次の日の朝、蓮華は荷物を纏め、紫空のいる房室を訪ねた。

「失礼します」

 名乗り入ったその部屋で、紫空は長椅子にゆったりと腰掛け蓮華を待っていた。
 そして、昨日と同じように隣に座れと空いた場所をポンと叩く。
 躊躇いがちに蓮華が座るのを確認すると、紫空は少し身体を斜めに座りなおし蓮華と向き合った。

「この度の幽鬼騒ぎは無事解決した。礼を言う。井戸は塞いだゆえ心配ない」
「恐れ入ります」

 国の頂きに立つ方に面と向かって礼を言われ、蓮華はあわてて長椅子から降り跪こうとする。
 しかし、紫空の手がそれを止めるかのように蓮華の腕を持つ。
 そして、いつものように目を細め少し意地悪く唇の端を上げた。

「お前の腕は女のように細いのだな」

(やっぱり気づかれている?)

 この二日間何度も思った疑問が胸に湧く。

(もしかして、幽鬼を祓ったあとで私を罰しようと決めていらっしゃったのでは)

 そもそも帝の前で身分をいつわるなんて大罪。
 あわあわと慌て額に汗を浮かべる蓮華を見て、帝はクツクツと笑い出した。

「お前は本当に面白い」
「あの、……」
(なんて聞けばいいの!?)

 まさか、女と気づいていますか? なんて聞けるはずもなく。続く言葉が出てこない。しかし、紫空はそんな反応さえ楽しんでいるようで。

 さらに蓮華を驚かす言葉を口にした。

「このまま俺の妃にならないか?」

 蓮華の目がこれ以上ないほど大きく見開く。
 唖然としながら紫空を見れば、こちらを全て見透かすような黒曜石の瞳に見返される。あぁ、やはり知られていたのかと絶望が胸を覆ってきた。

 しかも妃と言われ、蓮華の頭は二重の意味で混乱する。

「あ、あの。男と偽っていたことに対する罰はあるのでしょうか?」
「幽鬼を祓うのに性別は関係ない。男が女と偽って後宮に入れば法に触れるが逆の場合を定めた法はない。それから、俺は法にのっとらず自分の気持ち一つで采配をくだすのは良しとしない」

 つまり蓮華を罰することはないと言っている。
 蓮華は大きく息吐く。背負わされていた荷が肩から降ろされた気分だ。とりあえず命の危険はさった。しかし問題はまだある。

「妃にならないか、とはどのような意味でしょうか?」
「その言葉の通りだ。俺はもっと蓮華と話がしたい、蓮華の事を知りたい」

 熱の籠った瞳で見つめられて蓮華の頬が朱に染まる。このようなことは初めて、しかも相手は見とれるほどの美丈夫であり帝なのだ。心臓はばくばくと音を立て、今にも壊れてしまうのではと思ってしまう。

「嫌か?」
「あ、あの。以前にも申しましたが、私は一人の方と思い思われ添い遂げたいのです」
「奇遇だな。おれも同意見だ」
「ですが、帝である以上後宮にお渡りになりますよね」

 歴然たる事実なのにあえて口にすると胸の奥がずきりと痛んだ。もっと話していたい、知りたいという気持ちは間違いなく蓮華の心の内にもあった。

「そんなことか。確かに容易なことではないが、先々代の帝は一度も後宮に足を踏み入れなかったらしい」
「えっ、そんなことが?」

 可能なのかと疑ってしまう。後宮にいる妃賓は政治的にも重要な役職に就く父を持つ。そんな身勝手が通じるのだろうか。

「切れ者だったらしくい、その政治手腕で文句を言わせなかったらしい」

 腰に回した手と反対の手で蓮華の顔を上に向かせる。

「すぐにとは言わない。時間はたっぷりとある」

 紫空の声が近づいてきたと思ったら。額に柔らかな感触があった。
 それが何か理解した蓮華は耳まで赤くする。

「やはり蓮華は面白い」

 蜂蜜のような甘い声に囁かれ、蓮華は自分の未来が予想しない方向に向かっていることを漠然と感じた。