暑さの静まる夏の夕べ、碧成君(へきせいくん)の宮の中にある泉のほとりで皇子一行の歓待の席がもうけられた。
「では、白怜(はくれい)帝国の繁栄と一日も早い蛙事変の終結を祈って。乾杯!」
 木々から下げた灯篭が仄明るく辺りを照らす中、碧成君の声と共に立食が始まった。
 辺境から取り寄せた鹿肉、樽から直接汲んで飲む麦酒(びぃる)、夏の夕餉は豪快で陽気だ。碧成君が呼んだ楽師も粋に胡弓など弾いたりして、ちょっとした祭りのようなにぎやかさだった。
「兵士さん、果物などいかがです?」
「いえ、お構いなく」
 しかし随行の兵士たちは隠れて清心(せいしん)後援隊(ふぁんくらぶ)に加盟している者も多く、酒席に侍る舞姫や侍女をかわしながら清心を守っていた。兵士たちは清心とその上司である怜倫(れいりん)皇子が無事蛙慰問をこなして帰城するのが目的であって、断じて碧成君が呼んだ辺境の領主たちが清心に寄って来るのが気に入らないからではないと密かに言い交わしていた。
 怜倫皇子も久しぶりに会う友人も多いだろうと、清心と辺境領主との会話を大目に見ていた。
「清心」
 大目に見るつもりだったが、次から次へと清心に挨拶に来る辺境領主たちを見てついに声を上げた。
「多くないか。どうして辺境領主が今夜ここにこんなに集っている?」
「殿下、恐れながら」
 清心はきりっといつもの進言の口調になって言う。
「白怜帝国の帝都は無数の辺境領で他国から守られています」
「それはわかる。そうではなくて、君のところにあいさつに来る辺境領主が多くないかという疑問だ」
 そもそも昼頃、清心が伝書鳩を飛ばして急遽滞在が決まっただけのはずが、早馬を飛ばさないと帝都までたどり着けないような辺境領主が集っているのだ。
 怜倫の問いかけに清心は少し考えて、ええ、と何気なく答えた。
「辺境に住まう者同士交流がありますから。毎年唐柿(とまと)を贈り合ったり」
「唐柿など贈ったら誤解するだろう」
「……うちの領地だと唐柿くらいしか贈るものがなくて」
 清心が途端にしょげた様子で言うので、怜倫は慌てて言葉をひるがえした。
「いい。唐柿は別にいいんだ。君にも交友関係があるだろう」
 ちょっといらついただけで基本的に清心を信頼している怜倫は、話題を変えようと首を横に振る。
 そもそも怜倫は清心がこういう遊興の場にいるのを初めて見た気がした。帝都では年頃になったら宴に呼ばれるものだが、早すぎる才覚を発揮して皇宮で働いて来た清心が、装って宴で笑う姿はおおよそ見たことがない。
 清心はそのまっすぐな人柄で友人も多いし、後宮の姫君方には後援隊もあるらしいのだが、案外皆が当たり前に経験することは経験していないのかもしれないと、ふと思ったのだった。
 怜倫は一息ついて、清心に言葉を投げかける。
「今年の夏はお互い、蛙事変で働き詰めだったからな。落ち着いたら、一緒にお忍びにでも行くか」
「え?」
 仕事の延長として緊張をまとって控えていた清心が、ふいに振り向いて子どものように目を丸くした。
「別に辺境でも唐柿畑でもいいが。君だけ連れて行こう」
 清心は怜倫をまじまじとみつめて、次第に視線を落として赤くなった。
 なぜそこで赤くなると怜倫は笑ったが、清心にしてははっきりとうれしそうだったので、皇子の精神衛生上非常によろしかった。
 ちょうど楽師が辺境の歌曲を奏でていて、怜倫はふと清心に笑う。
「一緒に入ってみるか、清心?」
「皇子殿下を辺境の遊びに付き合わせては」
「踊れるんだな。それなら」
 くっと清心の手を引いて、怜倫は踊りの輪に加わる。
 皇宮の宴のように堅苦しくない辺境の踊りは、別に男も女も関係ない。
 怜倫は清心の手を離さないまま、遊興の夜に入っていった。