皇帝陛下には龍が棲む。

建国の伝説、第一節にはそう記されている。
神代の昔、雷と共に空から降りた一匹の巨大な龍は空を割り、大地を砕き、人を惑わせ世界を混沌に追い込んだ。

それを立ち向かったのは、たったひとりの勇敢な青年だった。

ある時は知恵で、ある時は力で。
辛抱強く龍と対話を重ねた彼に龍が根負けしたのか、はたまた天晴れと認めたのかはさて知らず、龍は暴れ狂うことを止め、青年に力を貸すことにした。

龍をその身に宿した青年は、人でありながらも人あらざる者となり、荒廃しきった国を建て直した。
龍の加護を得た青年は、崩れた大地を潤して花を芽吹かせ、孤独に慄く人々の手を取り絆の輪を結ばせた。
鎮めた龍は青年に寄り添い、その力を惜しみなく与えたようである。
かくして、一度滅びた国に新たな礎が築かれた。

──それが初代皇帝陛下の伝説である。

そこから果てしない年月を経てもなお、始祖の血を継ぐ皇帝には、龍の力が宿るという。
鎮められたとはいえ、やはり元は暴れ龍。
代替わりの度に、次代の皇帝は自分の力を宿すに相応しいかと見定めるかのように、身の内で騒ぎ出すのだ。
それをたしなめ鎮めることが、何よりの正統を示す根拠となる。

そして微力ながら、皇帝陛下の内で暴れる龍を鎮めるお手伝いを担ってきたのが私たち──音で龍を慰める(チン)家である。

「姉さん、僕は大きくなったら鎮めの楽士になるんだろう?」
「そうよ。貴方の奏でた音色を聞いただけで犬も花もすやすや眠ってしまったでしょう?」

幼い頃、同じ問答を繰り返した記憶がある。

鎮めの楽士。

それが沈家の代々担うお役目である。

ある者は歌で。ある者は琵琶で。
力を乗せた旋律は、暴れ龍の渇きを潤し鎮めていく。
春蕾は幼い頃から巧みに横笛を操り、稀代の楽士となる片鱗を見せていた。
彼の笛は心地良い。
鎮めの力云々を除いても、聞いているこちらの心が安らかになる。
まさに名前通り、春霞の中でまどろむ蕾を思わせる。
きっとこの音色を聞けば、暴れ龍とて喉を鳴らして長い眠りに就いてくれるに違いない。
そう確信させるだけの才が、春蕾には備わっていた。

「でも僕は姉さんの音色が好き。しゃっきりするというか……そう、母様に背中を押されてる気持ちになれるよ」

うっとりとしたまなざしで私を見つめていた春蕾のまなこに映るのは、私ではなく母様だろう。

「そう? 私は母様ほど優しくはないけれど──でも背中を叩いて目覚めさせてあげることはできるわよ」

そうおどけて腕を振れば、春蕾は首をすくめて笑って逃げた。
何度私の音色について話を振られても、こうして誤魔化すしかないのが情けなかった。
何せ血を分けた姉弟とはいえ、私の奏でる音色には鎮めの力はないのだから。