見下ろしていたその人は、とても優しい、青い色をしていた。抜けるような青空。雲一つない晴天に、すっくと立っていたのである。
 青の巨人。
 緑が煙る山の向こう、その稜線から、唯の頭の上にまで。空に溶けるような色をして、手を四方に広げ覆いかぶさるように。
 手にしたラムネ瓶を取り落とす。熱を伴う文月の風が、サイダーの甘い香りをくゆらせる。

 なんて綺麗な人だろう。まるで、このラムネのようだ。しゅわりしゅわりと体の中に泡が大小立ち昇り、循環し、弾けては消えまた生まれ……。
「あれが、見えるんかい」
 口をあんぐりと開けて見入っていた唯の頭を撫で回し、祖母は笑った。
 唯の顔をじっくりと見て、祖母はくしゃりと顔を歪める。鼻先に掠める土のにおい。祖母の手のひらは大きく、がさがさとしていて、そして、とても温かかった。
「さすが、ばあちゃんの孫だ」
 そう言って目を細めた祖母は。

 もう、いない。


 ***


「唯、何やってんだ」
 どうやら呆けていたようであった。兄が呆れたようにこちらを一瞥する。喪服の裾をぎゅうと握りしめ、唯は笑った。
「ごめん」
 目尻に溜まった雫を拭う。
 人間の骨というものは、とても愛おしいものでできているのだ、と唯は思った。幼い頃、あんなに大きく見えた祖母は、これ以上ないほど小さくなって、母の手の中に抱かれている。
 火葬場から戻ると、ただでさえ寂しげな田舎の風景が。更にがらんと感じられた。家主の居なくなった家は何かが足りないのだと分かっているかのように、目を伏せているように、ひっそりと佇んでいる。

「唯」
 目を瞬かせる。兄が、呆れた顔をして頭を小突いた。
「早く入れよ」
「うん」
 唯は、開け放しになっていた玄関から座敷に上がった。
 余所行きに整えられた、黒と白の幕に覆われた座敷。そこにはかつての思い出と、悲しみの色が混じってしまって、まるで知らない場所のようだ。線香の匂いに耐え切れず、大きく深呼吸をする。油断すると、また涙腺が緩んでしまいそうだ。

 居るべき人が居ないということ。どうにもならないと分かっているけれど。やはり、まだ、つらい。

「おい」
 声をかけられて振り向くと、丁度兄が玄関をくぐったところであった。
「唯は、どうする。俺は一度東京に戻るけど」
 兄は、手に持っていたらしい車のキーをちゃらりと回した。
「うん……戻ってもいいんだけど」

 会社員の兄と違って、自分は在宅の仕事をしている。パソコンも一応持ってきているし、こちらにいても、何の支障もない。

「もうちょっと、ここにいようかな」

「そうしてくれると助かるわ」
 母が奥座敷から姿を現した。目が、まだ、赤い。随分と憔悴した様子だった。
「お母さんたち、一度戻らなきゃいけないんだけど。まだお別れを言いに来る人、いるかもしれないし……どうしようかってお父さんとも言っていたのよ」
 母の後ろから、父がぬうと現れた。
「なに、親父たちも帰るの?」
「ああ。色々手続きがな……」
 父はそう言って、そっと母の肩に手を置いた。

 父母も、兄も、そして自分も、別の家に住んでいる。家を継ぐような親戚もいない。この家には祖母だけが住んでいたのだ。
 そして、その祖母は、今はもう、いない。
 手続きとは、そういったことなのだろう。

「それじゃ、残るよ。お母さんも、少し体を休めないと」
 唯は無理やり笑顔を作った。
 母には休息が必要である。祖母の遺体に取り縋り、号泣していた様子を思い出し、また、こみ上げてくるものを感じていた。
 あんな、子どものような泣き方をする母を見たのは初めてだ。
「それじゃ、唯、あとは、頼んだわね」
「うん」
「線香は毎日あげるのよ。お水も取り替えて」
「分かってる」
「もし誰かが訪ねてきたら、必ず名前と住所を聞いてね」
「はいはい」
「夜は電気をつけておくこと。お別れの挨拶に来る人がいつ来てもいいようにね」
「分かった」
「何かあったらすぐに連絡してね。携帯はつながるようにしておくから」
 母はまるで、自分が子どもの頃のように、再三注意を促した。



 二台の車が坂道を下っていく。車を見送りながら、少しだけ心もとない気分になる。

 唯は振り返り、家に向き直った。
 平屋造りの一軒家、その広い前庭はまるでジャングルのようで、見知らぬ生き物や植物が生い茂る、魔女の庭のようであった。

 幼い頃は、よくここで虫取りをした。大小のバッタ、キリギリス。アブラゼミや、ツクツクホウシ。夜には近くの川から蛍が飛んできたりもした。草の蔓を使った、引っ張り相撲。ホトケノザの蜜の味。

 教えてくれたのは祖母である。

 あれは美味いぞ。
 これは食うな。
 この虫は跳ねるぞ、そら、あっちへ行った。
 祖母の声を思い出して、唯は思わず天を仰いだ。 

 空は、青かった。あの思い出そのままに、キラキラと輝いていた。
 かつて見た。山の稜線。その上から覆い被さるように手を広げていた青の巨人。まるで自分たちを守るかのように、大きな手を広げて、空いっぱいに広がっていたのに。

 抜けるように青い空を見上げても、どんなに目をこらしても。
 そこにあの巨人はいなかった。







「だいだらほうし」
 祖母は、そう言って、空を仰いだものだ。
 青い人が見える。そう告げたとき、信じてくれたのは祖母だけであった。兄も、父母も、そんなものは見えないと首を振った。

 見えると告げた日から、祖母は唯に色々なことを教えてくれたものだ。
 青い人が、『だいだらほうし』という名であること。
 自分たちを昔から見守ってくれているということ。
 それから。
「ゆんは、自分がいんだらどうなるか、知ってるんかい?」
「いんだら……?」
「死んだら」

 やはり、夏の日であった。

 道路に横たわった猫。
 車に轢かれたようで、下半身が潰れていた。それでもまだ辛うじて息があったらしく、近付いた唯に向かって、小さく鳴いた。
 そして、二、三度体を震わせ、事切れた。
 手当てをすることもかなわず失われた命に、唯はしばし呆然とし、そして、泣いた。

 庭に埋葬し、墓標を立ててくれたのは、祖母であった。傍らで泣きじゃくる唯の頭をぽんと叩き、それで、あの言葉を口にしたのである。

 自分の死後。それは、幼い唯には難しい質問であった。考えても、分からない。死んだあと、自分はどうなってしまうのだろう。
 祖母はくしゃりと笑って、唯の髪の毛を掻きまわした。
「ばあちゃんも、ゆんも、この猫もな。いんだあとは、だいだらほうしの中に行くんよ」
 そう言って、祖母は天を仰ぐ。
 しゅわしゅわと、泡を立ち昇らせた大きな人は、相変わらずそこにいた。手を四方に広げ、傘のように、唯と祖母を見下ろしていた。
「だいだらほうしには、じいちゃんもいる。この猫もいるし、ばあちゃんもな……」
「やだ」
 唯は思わず祖母にしがみつく。そうしないと、今すぐにでもそこに行ってしまいそうに思えたのだ。
「ゆんはやさしいんなぁ」
 祖母の大きな手が、また、唯の頭をそっと撫でた。
「この猫は可哀想だったけんど、ゆんが泣いてくれたからなあ。きっと今頃、だいだらほうしの中でにこにこしてらあ」
 唯は、祖母に益々抱きつく。
「ゆん」
 祖母の声は優しかった。
「ゆんがだいだらほうしが見えるって知ったときなあ、ばあちゃんは嬉しかったんよ」
「……どうして?」
 祖母は、その問いには答えなかった。ただ黙って、唯の頭を撫でている。
「なあ、ゆん」
「なあに?」
「お願いがあるんよ。ゆん」
「なあに、ばあちゃん」
「もしばあちゃんがいんだらなあ。そんときは」
 ――そんときは。
 そのあと、祖母は何と言っただろう。




 家に戻ると、線香の匂いが鼻を突く。

 東京に引っ越した唯は、滅多にこの家に来ることはなくなっていた。
 成功してからは尚の事、忙しさを理由にほとんど帰らなかった。けれど、心のどこかで、この場所は桃源郷のような気がしていたものだ。
 決して、色あせない場所。
 ここに来れば、変わらぬ風景があって、いつも、祖母が迎え入れてくれるものだと、そう思っていたのだ。
 馬鹿な話だ。
 がらんどうになった田舎の家は、記憶の物よりもずいぶん広い。管理者のいなくなったこの家は、どうなってしまうのだろう。

 つん、とこみ上げる気持ちに気づかないようにして、居間の隅に立てかけられていた、こたつ机を引き出した。
 鞄からパソコンと、資料の一式を取り出して、机の上に置く。
 電源を入れた。
「ああ、やっぱり」
 一人ごちる。
 メールが入っていた。仕事の、催促のものだ。開かなくても分かるそれを、唯はそっと非表示にする。



 唯が、児童文学の作家になれたのは、ただの偶然である。



 昔から見えていた、あらゆることを、唯はよく記録した。
 見上げれば見上げるほど、大きくなる巨人。足の先を駆け抜けていく、犬のようなもの。電柱の下にうずくまる、青い坊主。神社に現れた火を纏う男や、けらけらと笑う女性の姿……。
 なるべく詳細に、丁寧に記録して、それを本にして楽しむのが、唯の趣味であった。

 祖母に見せると、祖母はいつも手を打って喜んだものだ。
「すごいんなあ」
 祖母はにこにこ笑って、唯の頭を撫でる。
「ゆんのおかげで、きっとみんな喜んでる」
「そうかな」
「そうさ」
 心底嬉しい、といった風情で、祖母は笑った。
「みいんな見えんくなっていく。そんなかで、ゆんはみんなが見えんものを書いて、みいんなに見てもらうことができるんな」
「それって、すごいことなの?」
「すごいんよ。ゆん、もっと自信を持ってええ。ゆんはな、見えんものに、命を与えてるってことなんよ」
 首を捻った唯に、祖母は笑いかける。
「見えんものは、見えるようになってはじめて命を持つんよ。だから、ゆん、沢山書き。書いて、みいんなに見てもらえ」
 その言葉に後押しされたのかもしれない。

 自分だけで楽しむだけでなく、誰かに読んでもらいたくなった。 
 お試し気分で、公募に出した。賞を取ろうとか、そういう野望はなかった。ただ誰かに読んでもらいたい。けれど、どうすればいいか分からない。それで、目に付いた雑誌の適当な欄に記載してあった、公募、の文字に引かれたのである。
 だから、大きな賞をもらったときは、正直面食らったというのが事実であった。

「今、流行ってるんすよ!」
 担当だと紹介された青年は、顔を真っ赤にしてこう言った。
「こういうの。あやかしものっていうんでしょうかね。いいっすねー! 夢があって」
「夢、ですか」
「ええ。今の子供に足りないのは、こういったファンタジー要素のものだと僕は思っているんです!」
 まだ若い、その担当は息を荒くする。
「特に、本郷さんのやつはすごくリアリティがあって、でもどこか非現実的で、今の流行りにばっちり、合います! くーっ、これは売れますよ!」
 その言葉の通りになるなんて、当時の唯は思いもしなかった。
 一作目が当たり、二作目の話が舞い込んだ。それも当たれば、そこからはとんとん拍子である。あれよあれよと唯のもとに、仕事が舞い込むようになった。

 けど、今は。
 手にした資料を一瞥し、唯は溜め息を吐いた。
「ばあちゃん、わたし、どうしたらいい?」
 居間の奥にちょこなんと置かれた白木の箱。小さい骨になった祖母が今の唯を見たら、どう思うのだろう。
 ――いけない。
 唯は堅く目をつむる。瞼の奥で、赤や黄色の光がはじける。

 夢なんかじゃない。リアリティがあって当たり前だ、
 だって、自分には見えていたのだ。それをただ、書けばいいだけであった。
 でも、今は、それができない。
 
 




 とんとん、と、音が聞こえた、ような気がした。
 唯は目をこする。
 いつの間にか、眠ってしまっていたようである。腕時計を見ると、もう夜の十二時になろうかというところであった。
 家の中は暗い。電気もつけずにうたた寝とは、自分も疲れがたまっていたのであろう。
 立ち上がり、電気の紐に手を伸ばした、そのときである。

 とん、と、また。
 聞こえた。

 どうやら、来訪者のようだ。
 唯は身構える。
 すでに深夜だ。
 弔問客だろうか。にしては、時間がおかしい。人の家を訪ねるには遅すぎる。
 それとも、こういう田舎では、この時間の弔問でも普通のことなのだろうか。
 そう言えば、母にもそう言われていたような気がする。
 ゆっくりと、玄関に近付いた。

 土間に降りる。玄関は曇り硝子の引き戸である。
 その奥に、誰かが、いた。白い手の甲が、もう一度、引き戸を打ち鳴らしている。
「……はい?」
 意を決して、声をかけた。
「こんばんは」
 低く、かすれた声。あからさまにほっとしたような、安堵の響きを帯びている。
 女性のようであった。唯は幾分安心する。いくら治安のいい田舎とはいえ、この時間に家にあげるには、同性の方がいい。

 土間の明かりをつけ、引き戸を開けた。
 そこにいたのは、思った以上に若い、綺麗な女性の人であった。 


 葉子、と名乗った女性は、白木の箱の前にきっちりと正座をした。丁寧にお辞儀をし、お焼香をする。
 唯は一歩下がり、その後ろ姿を見つめていた。
 明かりの下で見ても、美しい人である。
 長い黒髪。体にぴったりとした、黒い礼服。その黒と相まって、肌の白さが際だっている。
 丁寧な手つきであった。ひとつひとつを噛みしめるように、葉子は死者に挨拶をする。
「……美智」
 葉子が、親しげに祖母の名を呼んだ。
「美智、今まで、ありがとう」
 涙混じりの声である。微かに聞こえるのは、嗚咽であろうか。
 聞いている方も、胸が締め付けられるような声であった。
 


 引き戸の先にいた、予想外の麗人を前にして、唯は首を傾げたものだ。
 彼女は、随分と若いように見える。おそらく、自分の五つ、六つは下であろう。もしかしたらまだ学生なのかもしれない。
 だから、最初は義務での訪問かと思ったのだ。
 誰かの代理か、それか、なにか役所の関係で、弔問せざるを得ない立場の人か……。
 けれど、彼女の所作は丁寧である。義務感は感じられない。心の底から祖母の死を悼み、悲しみを覚えているように見えた。 


「ありがとう」
 お焼香がすむと、葉子は目尻をハンカチで拭い、赤くなった目を細めて、改めて、と言った風情でお礼をのべた。
「どうぞ」
 唯は用意のお茶をグラスに入れて差し出した。冷えた緑茶である。暑い中、弔問に訪れる人用に、と、昼に用意していたものだ。

 もう一度お礼を言って、葉子はそれを受け取った。冷やしていたためであろう、グラスに付着した水滴が、ほたり、と葉子の黒服に吸い込まれていった。
唯は、しまった、と心の中で呟く。何か、コースターなどを準備するべきだったか。それとも一度、グラスを拭いてから渡せばよかったのか。
 こういった形での弔問を受けるのは、初めてであった。作法も何も分からない。

「君は、お孫さんの……?」
「ええ」
「美智に、よく似ている」
「そうでしょうか」
「うん、そっくりだ」
 落ちた雫を拭こうともせず、葉子は唯に微笑みかけた。どうやら、彼女は細かいことにあまり頓着しないタイプのようである。

「あの、失礼ですが」

 唯は思い切って、声をかける。

「祖母とは、どちらで」
「え?」
「ああ、いえ、住所を、お聞きしてもよろしいでしょうか? のちほどお礼をと思いまして。その……」
 嘘ではない。
 母からも、名前と住所を聞くようにと厳命されている。
 しかし、それ以上に、興味があった。祖母は、この人と、いったいどういうところで知り合ったのであろうか。
「美智は、私の友人なんだ」
「友人……?」
「そう。長いつきあいだった」
 葉子は、グラスの縁を、つ、となぞった。そのままそっと口をつけ、美味しそうに喉に流し込む。
「何か、役場の行事かなにかで」
 祖母はほとんど自給自足の生活を送っていたことは知っていた。だから、なにかそういう、村関係の知り合いであるのだろうか。以前は農業体験などで、役所に協力したこともあったと聞いているし、もしかしたら、そういったボランティアなどで知り合ったのかもしれない。

 葉子はグラスを机に置くと、首を静かに振って顔を上げた。切なげに眉をよせ、祖母の遺影を見つめている。
 唯も、同じようにする。

 遺影の中の祖母は、しわしわの顔を更にしわくちゃにして笑っていた。その祖母と、目の前の人が友人であるという。
 どうにも解せない。

「それ……」
 つ、と葉子が小首を傾げた。
 視線の先を追って、唯はああ、と頷いた。パソコンと資料を出しっぱなしにしていたのを忘れていたのである。
「すみません、散らかっていて」
「いや。……そうか、美智が言っていた。君が、作家の」
 瞬間、顔に血が集まるのを感じた。祖母は、いったいこの人に何を言ったかは知らないが、大体想像がつく。
「読んだよ。どの話も、面白かった。君は妖怪が好きなんだね」
「……ええ、まあ」

 やめてほしい。特に今、この話題には触れてほしくない。

 きっと祖母は、この麗人に自慢げに話したのだろう。孫が作家であるということを、近所の人にも言っていたのを、唯は知っている。きっとそのパターンだ。
 前は、それが誇らしいと思っていた。
 でも、今は。
 唯の表情に、何を思ったのであろうか。葉子はそっと目を細め、唯をじいっと見つめている。
 柔らかな表情である。黒々とした瞳に、唯の顔が写り込んでいる。
 どきりとした。
「君のことは、美智からよく聞いていたよ」
 そう言って、葉子は微笑む。
「見える、と。そう言って、私に嬉しそうに報告してきたんだ。見えた物を書いているのだと。立派な仕事だと、君のことをほめていた」
「え」
 耳を疑った。
 見える、と。
 まさか、話したというのか、祖母が、この女性に。
「待ってください。……見えるって、何が」
「君が見てきたものは、美智にも見えていた。そして、私も」
 余程、驚いた顔をしていたのだろう。葉子は唯の顔をまじまじと見て、ややあって、くすりと笑みを零す。

「ねえ、美智と私が、同じ時代を生きていた。って言ったら、信じる?」
 笑いながら、ことりと首を傾げて、葉子はそう言った。
「同じ、時代?」
「そう。美智と私は、この村で、同じ学校に通って、同じように暮らして……」
「ちょ、っと待って」
 唯は混乱する頭を抱えた。
「あの、あなた、だって、まだ若いですよね?」
 祖母は少なくとも、八十は越えていたはずだ。その祖母と、学生のような風貌のこの女性が、同じ学校に通っていただなんて、そんなはずがない。
「うん、だから、信じる? って聞いたんだ」
 この人は、どこかおかしいのかもしれない。唯がそう思ったのも、無理はないだろう。

 ――どうしよう。

 母に連絡するべきか。でも、こんなことで連絡しても。
「唯さん」
 突然名を呼ばれる。唯は目を瞬かせた。自分は、この人に名を名乗ったであろうか。
 葉子は、もう一度、首を傾げ、そして、こう言った。

「今も、見える?」
「え?」
「……だいだらほうし」
 唯は、目を見開いた。







 祖母の思い出は、いつだって夏に起因する。
 それは、唯が夏休みを利用してこの家に来ていたからなのかもしれない。
 燦々と照りつける太陽。
 白くまばゆい、陽の当たる縁側と、家の暗さ。光と影のコントラストに目がくらむ。
「昔はみいんな知ってたんになあ」
 縁側で、サヤエンドウの筋をとりながら、祖母はそう呟いたものだ。
「だいだらほうし。今はみいんな見えんようになった」
「見えないの?」
「そうさ。ゆんのお父さんもお母さんも見えん。兄ちゃんもそう」
「でも、わたしは見えるよ」
「そう。だから、ばあちゃんはうれしい」
 祖母は目を細めた。
「昔はみいんな知ってた。だいだらほうしがいることも、ほれ、あいつも」
 そう言って、祖母はサヤエンドウの筋を庭の片隅に放り投げる。
 ちい、と小さく声が聞こえ、茂みがガサガサと音を立てる。
「今のは?」
「家鳴り」
「家鳴り?」
「そう。なあんもないときに、家がぎしぎし言うときがあるんよ。あれはみいんな家鳴りのしわざ」
「悪いものなの?」
「いいや」
 祖母は首を振る。
「いいも悪いもないん。家鳴りは、そういうものってだけ」
 唯は首を傾げた。
 家がぎしぎし鳴るのは、怖い。それに、その家鳴りのせいで、もし家が倒れたら困るではないか。そう訴えたら、祖母はくしゃりと笑ったものだ。
「ゆん、覚えておきな。この世には、いいも悪いもいっさい、ないんよ。あるんは、人様の都合だけ」

 祖母はいつもそうであった。
 唯の見える不思議な物を、決して悪くは言わなかった。

「なあ、ゆん、もしなあ」
 祖母の話し方はいつもゆったりと、耳に優しく響く。
「もし、ばあちゃんが、いんだら……」
 青の巨人が、見下ろしていた。
 とても優しい、青い色。抜けるような青空。雲一つない晴天に、すっくと立っている。
 緑が煙る山の向こう、その稜線から、唯の頭の上にまで。空に溶けるような色をして、手を四方に広げ覆いかぶさるように……。






 時計の秒針が時を刻む音が、やけに大きく聞こえる。
 唯は小さく喘いだ。
 今、目の前の人は、なんと言った?
 今も見える、と聞いた。
 何故知っているのだろうか、唯が見えなくなったことを。
 目の前の麗人は、姿勢を崩さない。背筋を伸ばして、唯を見つめている。
 その瞳が、ふいに和らいだ。
「いい顔してるね、美智」
 どうやら、遺影のことのようである。唯は頷いた。
「……これ、わたしが撮った写真なんです」
 懐かしい。
 あれは、確か自分の本が初めて手元に届いたとき。真っ先に報告したのが祖母であった。
 ――ゆん、おめでとう。
 祖母は、目に涙をためて、そう言った。
「すごいんなあ。ゆん、本当におめでとう」
「ばあちゃん、ありがとう」
「な、写真、撮ってくれんか」
「え?」
「この本といっしょに」
「なんで」
「なんでも」
「まあ……いいけど」
 承諾すると、祖母は心底嬉しいと言った顔で笑った。
 そのときに撮った写真が、あまりにも幸せそうだったので、唯も誇らしく思ったものだ。
「ほら、見てみい」
 祖母が、空に手を伸ばす。そこにはあの、青い巨人。
「ゆんは、こんなに立派な仕事をしてるんよ」
「やめて、ばあちゃん。恥ずかしい」
「何が恥ずかしいもんか。ゆんはすごい。すごいことをしてるんよ」
 誇らしげに笑う、祖母の顔。
「なあ、ゆん、もしな、もしばあちゃんがいんだら」
 あのときはまだ、見えていた。青い巨人。祖母と一緒に見上げて……。

 ――立派なんかじゃないよ、ばあちゃん。
 唯は心の中で呟く。
 結局自分は、自分に見える物しか書けない。
 だから、見えなくなったらそれで終わりだ。


「ねえ唯さん」
 葉子がことりと首を傾げる。
「いつから」
「……え?」
「見えなくなったの。だいだらほうし」
 どきりとする。

 この人は、自分の心が読めるのではないだろうか。





 ――ばあちゃん、長く、生きすぎた。
 
 覚悟をしてほしい、と、医師に言われたときには、祖母の意識は既になかった。
 年寄りの一人暮らしで、訪ねる人もほとんどいない。だから、気づくのが遅れたのだと、救急隊からは連絡を受けた。
「数日前から風邪を引いたと言っていたそうです。近所の方が医者に行くように薦めたとのことだったのですが」
 年輩の医師は、眉を寄せながらそう言った。
「夏ですから。この時期は、体力のない老人はどうしても。……残念ですが」
 母も、父も、兄も、大急ぎで向かっていると聞いた。
 自分が間に合ったのは偶然だ。
 たまたま自由業で、たまたま仕事がない時期で。そんな状況であったから、時間の都合がつきやすかっただけ。
 白いベッドの上の祖母は、随分と小さく見えた。
 体中に繋がれたチューブが痛々しい。
 枕元に近寄った。
 大きな窓からは、日の光が射し込んでいる。
 抜けるような青空に、もくもくと入道雲が湧いている。
 祖母は、意識がないようであった。呼吸器の人工的な音。規則正しい機械音を聞きながら、唯は。
 手を、握ったのである。
「ばあちゃん」
 声をかけた。
 反応はない。
「ばあちゃん、やだよ」
 唯は握りしめた手に力を込めた。そのとき、うっすらと聞こえたのである。

 ――だいだら、ほうし。

 祖母の声。
 慌てて顔を見やる。うっすらとだが、祖母の目は開いていた。
「ばあちゃん!」

 ――ようやく、あっちに行けるんなあ。

「何言ってるの、ばあちゃん」
 早く、医者を呼ばなければ。
 ナースコールに手をかけた、その手を、祖母がつかんだ。
 驚くほど強い力であった。

 ――ゆん。
 ――ばあちゃん、長く生きすぎた。

「……え?」
 ふと、視界が陰った。
 窓の外いっぱいに、青が広がっている。
「だいだら、ほうし」
 青の巨人が、その大きな手を広げて、どんどん近付いてくるのである。
「やめて」
 呟いた。

 ――いんだあとは、だいだらほうしの中に……。

 あの巨人は、きっと祖母を迎えにきたにちがいない。あの大きな手で祖母の魂を持って行ってしまうのだ。
「やめて!」

 ――ゆん、ばあちゃんが、いんだらな。

 何度も言っていた。祖母の言葉。
 夏の日の縁側で。
 事切れた猫の傍で。

 ――もし、ばあちゃんがいんだらな、ゆん。書いてくれんか。
 ――書く?
 ――そう。あのだいだらほうしに、ばあちゃんがいる、って。書いてほしい。

「いやだ」
 あんなもの、見たくない。自分には見えない。
 だいだらほうしなんて嘘っぱちだ。そんなものはこの世に存在しないのだ。

 だから、祖母は死んだりなんかしない。
 するものか……。

 唯は愕然とする。
 思わず喉に手を当てた。
 もしかして。

 あれから、なのだろうか。
 記憶を反芻する。
 確かに、そうだ。あのとき、見えた。だいだらほうし。それを唯は否定した。
 自分から、拒否をしたその日から、唯は見えなくなってしまった。
「君は、優しいね」
 葉子は静かに微笑んでいる。黒々とした瞳が、ゆったりと細められている。
「……美智は、公平な人だった」
 そう言って、葉子は再び遺影を見上げた。
「決して否定することもなく、悪だと決めつけることもない。本当にすばらしい人だったんだ。だから、私のことも、美智は受け入れてくれたんだろう」
 確かに、祖母は公平な人であった。唯の見えていたものを一切否定もしなければ、悪いものだとも決めつけなかった。

 改めて、唯は葉子を見る。
 綺麗な人だ。やはり若い。この人が、祖母と同じ時を過ごしていたなど、とてもではないが信じられない。けれど、と唯は思い直す。
 きっと、この世にはそういうことがあるのではないだろうか。自分にだいだらほうしが見え、他の人には見えなかったように。
「葉子さん」
 初めて、名前を呼んだ。
「改めて、ありがとうございました。葉子さんに会えて……祖母もきっと、喜んでいると思います」
 葉子は驚いたように目を見開き、ややあって、花が綻ぶように、微笑んだ。








 玄関の引き戸を開けると、外は、夏の夜とは思えない涼しさである。降るような虫の鳴き声。木々のざわめき。ほんの少し湿った香りは、土の匂いだろう。

 月が出ていた。
 細い三日月だ。頼りない月光と、それが霞むくらいの満天の星空。

「あの、本当に、これから帰るんですか?」
 既に真夜中と言っていい時間だ。
 葉子は、これから麓の町まで降りるのだという話であった。 
 この時間なので、泊まっていってもらおうと提案したのだが、一蹴されてしまったのである。それで、せめて見送りだけでもと思ったのだが、それも断られてしまった。
 それでも、この家から麓町まで、歩けばゆうに一時間以上はかかる。しかもこんな夜だ。さすがに危ないのではないだろうか。
 唯が、そう声をかけようとしたときのことである。
「ほら」
 葉子が、つ、と上を見上げた。
 満天の星空。月が細々と輝く。
 その奥の、黒々とした山の稜線に、あの巨人が立っていた。
青の巨人。
 とても優しい、青い色。降るような星空を背負い、大きな手を広げて。
「だいだら、ほうし……」
 喉の奥から、熱いものがこみ上げてくる。耐えきれずに、嗚咽を零す。
葉子も、同じものを見ていた。大きな巨人に、まるで祈りを捧げるように。その瞳に浮かんでいるのは、唯と同じものであった。
「……わたし、あなたのことも、書きます」
 口から出た言葉に、唯は自分でも驚いた。
 ――そうすればな。
「そうすれば」
 ――ずっと、一緒に。
「ずっと一緒ですから」
 記憶が、唯の脳内によみがえる。夏の日。縁側に腰掛けて、祖母はこう言ったのではなかっただろうか。

「もし、ばあちゃんがいんだらな、ゆん。書いてくれんか」
「書く?」
「そう。あのだいだらほうしに、ばあちゃんがいる、って」
「……どうして?」
「そうすれば、ばあちゃんは本当に、だいだらほうしと一緒にいれるんよ。だいだらほうしや、先にいんだみいんなと、ずっと一緒にいられるんよ。だから、な、ゆん」

 ――書いてくれんか、ゆん……。

 葉子は大きく目を見開くと、眉を下げる。
 そのまま唯に一礼すると、ゆっくりと踵を返した。

 唯の耳に、小さく声が届く。歌だ。葉子が歌っている。
 不思議な旋律であった。高く、低く響く旋律。どこかで聞いたことのあるような、懐かしい響き

 やがてその姿はゆっくりと、闇に飲まれて消える。
 のちの、静寂。
 虫の声。
 風の音。
 見上げれば、そこには青色の巨人。

「ばあちゃん」
 唯は天に手を伸ばす。
「見ててね」


 書店に並んだ新刊を前に、唯は顔を綻ばせる。
 我ながら、よい作品がかけたと思う。
 題材は勿論、青の巨人と、そして。

「いやあ、いいですよねえ!」
 喜色満面でそういったのは、担当である。
 今まで連絡をしなかったことを詫びたときも、彼は朗らかにこう言ったものだ。
「いいんっすよ! 作家にはそういうことがあるって、僕、聞いてましたから!」
 あまりにもあっけらかんとした様子に、唯は面食らった。
「でも、迷惑かけたでしょう」
「いいんっす! それも含めての担当っす。それに、あれっすよね。充電ってやつっすよね! それでこういう作品書いてくれるなら、僕的には全然オッケーなんで!」
 彼は朗らかに笑った。

「いや、ほんと、いいっすよこれ! この巨人もなんですが。なにより少女の友情物語……。時を越えて再び出会う! 片方は老人で、片方は少女で……いいっすね、くーっ!」
 反応が大げさだ。
 唯は思わず苦笑する。
「今こう言うの、流行りなんですよ、時をかけちゃって出会っちゃう系! 運命の出会い!しかもあやかしもので! いいっすね、これ、売れますよ!」
 その言葉通り、新しい作品の評判は上々であった。それで、サイン会を、と頼まれたのである。

 都内の大きな書店のバックヤードに通される。さすがに、緊張した。こんなに大々的なイベントに出るのは初めてだ。
「本郷さん!」
 大張り切りであちこちを走り回っていた担当が、嬉しそうに声を挙げた。
「見てください、これ!」
 今まさに届いたのであろう大きな花束を抱え、彼は顔を真っ赤にしながら力説する。
「あの、植草先生からですよ! すごい、大御所からこんな花束! 手紙まで! くーっ、すごい! これはもう、イベント大成功間違いなし!」
 驚いた。
 名前は勿論知っている。超大御所の作家大先生だ。こんなぽっと出の、しかも児童文学作家に個人的に花を贈るような立場の人間ではない。
「今度対談しませんか、ですって! うわーっ! もう本郷さん、これ、来るとこまで来ちゃってます!」

 担当の狼狽ぶりに、今度こそ、唯は、破顔した。
 
 見下ろしていたその人は、とても優しい、青い色をしていた。抜けるような青空。雲一つない晴天に、すっくと立っている。

 祖母の家は、唯が住むことになった。もともと気楽な自由業だ。書くことさえできれば、それでいい。だったら、もう、ここに住んでしまおうと考えたのである。

 今度、くだんの作家先生と対談をすることになった。
 先んじて電話をもらった。実際に話してみると、大御所というわりには砕けた話し方で、唯はほっとしたものだ。

「実はね、これ、内緒なんだけれど」
 ある程度日程を決めて、それでは、と電話を置こうとした時であった。こっそりと、内緒話という体で、彼はこう言ったのである。

「あの話に出てくる、この、葉子、という少女だけれど。多分、ぼくも知っているよ」




 窓の外は晴天。
 見上げれば、青の巨人。
 緑が煙る山の向こう、その稜線から、唯の頭の上にまで。空に溶けるような色をして、手を四方に広げ覆いかぶさるように。

「ばあちゃん」
 唯は、小さく呟いた。
「見ててね」


 だいだらほうしが、手を伸ばす。
 優しい色をした、青い巨人は。
 今も変わらずに、空いっぱいに、広がっている。
 見渡す限りの白であった。
 古い町並みである。昨晩降った雪は道を覆い隠し、屋根も綿帽子をかぶっているかのようであった。その白とは対照的な、抜けるような蒼天が眩しい。まだ気温も上がりきっていないからだろうか、道のぬかるみが少ないことが幸いである。
 降雪の後は、普段よりも音が耳に残りやすい。ほた、ほた、と歩く雪の道。その足音にはた、はた、ともうひとつ、足音が重なり耳に届く。
「八重」
 要は妻に声をかける。この妻は、決して夫の前に出ない。それは、普段の生活もそうであるし、こうやって歩いているときもそうだ。必ず三歩下がり、自分の後をついてくる。
「大丈夫か」
 立ち止まり、やはり遅れて歩く妻を見る。ただでさえ身重の身体だ。雪の道を歩かせるのは心配であった。
八重は問いには答えなかった。いつものことなので、要は気にせず話しかける。
「体が冷えただろう。もうすぐ家だ、辛抱してくれ」
 親戚筋の挨拶回りだ。最初は要一人で向かう予定であったが、八重が頑として引かなかったのである。
薄紫の色無地。海老茶の肩掛けをさらりと着こなす我が妻の、その凛とした立ち姿に要は覚えず感嘆の息をつく。八重は、色素が薄い。こうして雪の中に立っていると、まるで雪女の風情である。
 八重は口を閉ざしたまま、つう、と横に視線をずらした。その目が何かを見つけたのを見て、要も視線を向けてみる。
 そこにあったのは、藍染めの布であった。
 職人の家なのだろうか、軒先に渡された縄に、青が幾重にも重なって流れている。晴天の空の色よりも鮮やかな、目が覚めるような色合いであった。
「綺麗だなあ」
 思わず声に出す。
「なあ、八重。見事な青だなあ」
「――本当に」
 思いがけず返ってきた答えに、要は首を巡らせ、瞠目した。
八重が、微笑んでいる。まるで、春、ようやく硬い蕾が緩み始めた花のように、柔らかで、かすかではあったが、ほころぶような笑顔であった。
「綺麗な藍染でございますね」


  ***


「で、私はいつまでその惚気を聞かされているのかな?」
 そういって、葉子はことりと首を傾げた。藍鼠色の着物をたすき掛けし、土間に立つ姿は奥様然としているが、この家には彼女一人しか住んでいないことを要は知っている。
「まあ、そういうなよ。聞かせる相手がいないんだ。ほら、大根。隣からいただいたんだが、どうにも量が多くてね」
 要は板の間に腰掛け、笊に入れた大根を土間に降ろした。葉子はさっそく大根を手に取ると流し台の前に立つ。
「もうすぐだっけ、子供」
「そうだなあ。そろそろ生まれてもいい頃合いだと、産婆は言っていたかな」
「そっか。楽しみだね」
水を使う音を聞くともなしに聞きながら、要はぼんやりと葉子の後姿を眺めていた。
 葉子と要が知り合ってから、じきに半年になる。
 その日は友人の松原と酒を飲んでいて、遊びの話になった。要が女を買ったことがないというと、彼は大層嘆き、「とっておき」として葉子を紹介してもらったのである。
 ――たまには羽目外せよ。嫁があれじゃあ息が詰まるだろう。
 そう言ってにやついていた松原には悪いが、要と葉子はまだ一度も体を重ねてはいない。たまに会い、こうして話したり、茶を飲んだり、おすそ分けをしあったりはしているが、良い友人としてのお付き合いに留まっている。
 黙認される風潮こそあるものの。一人暮らしの女の家に、妻帯している自分が長居するのは外聞が悪い。しかも、身を売って口に糊する女だ。もし見つかりでもしたら、面倒なことになる。
しかし、要は葉子の持つ独特の気配が気に入っていた。儚げで、どことなく厭世的な香りがするが、話すと意外と朗らかである。居心地がよく、どうにも入り浸ってしまう。
「で、今日はなに」
「あ?」
「まさか、大根を届けに来ただけじゃないんでしょ」
「ああ……」
 要は唇を舐める。
「実は、あんたにお願いがあるんだ」
「何」
「買い物に付き合ってもらいたい」
 なおも後ろを向いたままの葉子に、要は声を投げかけた。
「八重にな。その……つまり、贈り物をしたいと思っている。その品を一緒に選んでほしい」
 葉子からの返事はない。大根を洗う水の音だけが、狭い土間に木霊している。
「目星はつけてある。けど、本当に喜んでもらえるかが不安でな。女のあんたから見て、判断してもらえないだろうか」
 大根を洗う音が止まった。流れる水をそのままにして、葉子はぽつりとつぶやいた。
「悪い人」
「え?」
「……鈍いにもほどがある」
「鈍い?」
 そう、と葉子は呟く。
 水を止め、洗い終わった大根を笊に戻すと、前掛けで手を拭った。その手の白さに、要は柄にもなくどきりとする。
この女も、八重と同じように色素が薄い。
「他の女が選んだものを贈り物にするのは、野暮だと思う」
「なにぃ?」
 唐突な言葉に、要は間抜けた声を上げてしまう。
「怒るよ」
「八重が?」
「そう」
「怒るかな」
「きっとね」
 それはぜひ見てみたい。八重は怒った顔も美しいだろう。しかし、それは葉子の想い違いである、と要は思う。
 八重は、表情が乏しい。
 見目麗しい姿なのに、適齢を過ぎて尚、婿を迎えられなかったのは、八重のその特性が原因だと聞いている。なにせあの美しさだ、それこそ見合い話が何件も降ってわいたと聞いているが、その席で男の方がたじろいでしまうのだという話であった。
――いや、たしかにお美しいのですが。
要の知人にも、見合いで断りを入れた者がいる。
――どうにも造り物のようで。私にはとても、とても。
 けれど、と要は思い出す。八重に出会ったときのこと。その頃の八重は、今の氷のような冷たさを感じさせない少女であった。
 ふたりが初めて会ったのも、冬だ。
 その日も、雪が降っていた。


 ***


「内緒にしてくれる?」
 そういって、雪女――八重は目尻にたまった涙を拭った。歳にして齢、十二。要はまだ九つ、八つ。そのくらいの年齢であったはずだ。
 要の父は商売がうまく、顔が広いことを自慢にする、そういう男であった。そんな父に連れられて、要は幼い頃からあちこちの屋敷を訪ねて回るのが常であった。
 初めて植草家を訪れたのも、そんな頃の話である。
 要は大人同士の付き合いなどどこ吹く風で、広い屋敷の庭をてほてほと歩いていた。
 雪が降っていた。
 植草家は純和風の邸宅で、庭も広く取ってある。母屋を背に、右手に門。左手には倉があり、飛び石がそれらを緩やかに繋ぐ。その飛び石に、雪がさらさらと降っては、消え、降っては積もり、を繰り返しているのである。石灯籠にぽってりと積もった雪。松、紅葉、辛夷の木。
 その木の下に、少女が立っていた。
 ほっそりとした体を薄青の着物に包み、木にもたれかかるようにして立っている。肌の色は抜けるように白い。炭を刷いたような黒髪が、白一色の景色にぼんやりと浮かび上がっているかのようであった。
 ――雪女。
 先日読んだ読本にそんなばけものが書かれていたことを思い出す。
 読本と違ったことは、その雪女がまだ少女であることと――泣いていたことである。切れ長の目尻を赤く染め、少女は雪の中でひそやかに涙を落していた。
「……誰?」
 要ははっと目を瞬かせた。
 切れ長の瞳がこちらを見ている。寒い場所にいるからなのか、それとも泣きすぎたせいなのか、鼻の頭も薄っすらと赤い。
 要は逡巡し、一歩足を踏み出した。
 飛び石に積もった雪が、じゃらりと湿った音を立てた。

 ――内緒にしてくれる?
 少女の言葉に、要はことりと首を傾げ、問う。
 雪はまだ、さらさらと降り続けている。
「うん。だって……悔しいから」
 そういって八重は、口をぎゅっと引き絞った。唇の色も薄い。まるで血が通っていないかのようである。薄青の着物は見るからに薄く、寒そうだ。要は自分の羽織を脱ぎ、背伸びをして、八重の肩にぱさりとかける。
 八重は驚いたようである。切れ長の目を見張り、くしゃりと笑った。
「ありがとう」
要は首を振る。風が吹いていないからだろうか、それとも、少なからず興奮していたからであろうか。寒さはほとんど感じなかった。
「――私、来月お見合いだって」
 唐突に、八重はそう言った。
「もう決まっていることだからって、お父様が引かないの」
「嫌なの?」
 要は訝しく思う。要とて、植草家には叶わないが、それなりの財力のある家の子供である。お見合いも、それによる婚姻も、彼とっては普通の事だ。取り立てて嫌だと思ったこともないし、いずれ自分もそうやって、妻を持つものだと思っている。
 要の問いに、八重は首を振った。
「お見合いが嫌なわけじゃない。でも……」
 八重はほうと息をつく。白く煙ったため息が、曇天にするすると吸い込まれていった。
「私……まだ恋もしたことがないのに」
 要は目を見張り、ややあって吹き出した。今になって思えば、随分と失礼な振る舞いであったと思う。しかし、当時の要は、自分よりも年上の、もうじき女学校に通うような年齢の少女がそんなことで悩み、泣いているのが可笑しく感じられたのだ。
 要の態度は少女の勘に触ったようである。八重はじろりと要を睨み、口を尖らせた。
「言わなければよかった」
「……ごめんなさい」
「謝ったって許してあげない」
 色白の顔が赤く染まる。ころころと変わる少女の表情を、要は素直に美しいと感じたものだ。
「ねえ、雪女って知ってる?」
「雪女……」
「僕、あなたをさっき見たとき、雪女がいるって思った」
「なにそれ、私がばけものだって言いたいの?」
 要は首を振る。どうやったらうまく伝わるだろう。
「それくらい、綺麗だって言いたかったんだ」
 言ってしまってから、要は首の後ろが熱くなる自分を自覚した。恥ずかしい。要は俯く。まだ短い彼の人生の中で、初めて女性への誉め言葉を口に出した瞬間であった。
 八重は目を見張った。そのまま俯き、手を唇に添えて黙りこくってしまう。
「……そっか、うん、雪女、か……」
 八重は顔を上げ、要ににっこりと微笑みかけた。
「ありがとう。私、いいこと考えちゃった」
「いいこと?」
「そう。雪女、ね。任せて頂戴。そういうの、得意なの」
 要は首を傾げる。そういうの、とは何のことなのだろう。
「私は、好きな人と――本当に好きな人と、一緒になりたい」
 そう言って、八重は要に小指を差し出した。意図が分からず、硬直する要の小指に、八重は自分のそれを絡ませる。
「約束。今日のことは絶対に、他の人には言わないで」
「――え?」
「ね、約束。私とあなただけの……」
 少女の瞳に熱を感じ、要は首筋にちりちりとした痛みを感じた。絡めた小指に力が入る。その指越しに伝わる熱や、瞳の温度、吐息の白さを、要は今でも覚えている。思い出すたびにくすぐったくて、甘酸っぱい、大切な思い出だ。

 雪の日の約束。それを、要は今でも律義に守っている。いや、正直に言うと、自分に見合い話が来て、その相手が八重だと知るまではすっかり忘れていたのだ。
 見合いの席の八重は、少女の頃の面影そのままに、凛とした美しさを湛えていた。しかし、唯一違ったのはその表情である。
 造り物のような、美しさ。ただ静かに、静かにそこにいるだけ。八重は、笑わない。泣かない。怒らない。
 一緒になってからも、八重の造り物めいた表情が変わることはなかった。どんなものを見ても、何をしていても、感情を見せないのである。
あの雪の日の約束のことを話してみようか、と考えたこともある。自分があの時の約束の主だと知ったら、もしかしたら何かしらの反応を示してくれるのではないか、と。
 しかし。
 ――本当に好きな人。
 八重の願いは、叶わなかった願いだ。自分と彼女の婚姻は家同士の思惑であった。もっと正直に言うと、名家の肩書と財力が欲しかったのは、要の家の事情である。八重が適齢をとうに超えており、問題のある女性だったからこそ叶った婚姻だ。そこに本人同士の恋愛感情などあろうはずもない。
 だから、要はあえて話さない。
その約束を口にしてしまったら、八重があの日のことを思い出してしまったら……きっと雪女は消えてしまうのだろう。


 葉子は軽く腰に手を当てたまま、要を見つめていた。要はぱちりと目を瞬かせて葉子を見やる。
 あの雪の日のことを思い出すと、どうにもいけない。自分自身の女々しさに要は苦笑した。
「まあ、八重なら、心配しなくて大丈夫さ」
 そういって、要は葉子に肩を竦めてみせる。八重はきっと、自分が誰と出かけようと眉ひとつ動かさない。寂しくもあったが、それが事実だ。
「あんたしか頼れる人がいないんだ。頼むよ」
 手を合わせ、頭を垂れる。葉子は肩を竦め、わかった、と苦笑した。


  ***


 今にも泣き出しそうな空の下、要は葉子と共に帰路についていた。手にした風呂敷の中には、求めたばかりの藍染めの肩掛けがきちんと畳まれて包まれている。
「今日は助かった。おかげで良いものを選ぶことができた、と思う」
 葉子を伴い呉服店に入ったはいいが、あまりの種類の多さに眩暈を起こしそうになった要である。藍染めだけに絞っても、ざっと十数種類以上はあっただろうか――世の中の女性は、どのようにして自分の欲しいものを選び取っているのだろう、と心底不思議に思ったものだ。
 葉子が選んだのは、絞り模様が花のように広がった肩掛けであった。
 ――雪花絞りと言いましてね。
 店の者は愛想よくそう言った。
 ――西の絞りなんですが。雪の花のような模様になるのが特徴なんですよ。
 それはいい、と要は頷く。八重に贈るものだ。雪にちなんだもの、というところが気に入った。
 意気揚々と道を歩く。
 冷え冷えとした空気に、湿り気が混じる。もうじき、雪が降るに違いない。
「よかった。でも、私が選んだものだってことは、内緒にしておいた方がいいと思う」
「そうか、そうだな」
 頷くと、葉子は要を見上げてゆったりと微笑んだ。この女性は、背が高い。八重よりも頭一つほど高いのではないだろうか。色白の肌や黒髪の見事さは八重にも通じるところがあるが、瞳の色だけがやや違う。八重の瞳は薄茶色で、その色の薄さが白い肌によく似合っている――。
そこまで考えて、要は思わず苦笑する。違う女性と道を歩いていても、自分は、八重のことを考えてしまう。それが何を意図するかくらい要にだって分かっている。分かっているからこそ、要は怖い。
八重と一緒になり、子をなしても尚、要には拭いきれない不安があった。
要と彼女の婚姻は、要側に決定権があった。要が八重に否を言えば、取り消すことができた話である。八重の望みを絶ってしまったのは、外ならぬ要自身なのかもしれない。
自分は、八重の『本当に好きな人』ではないのだから。
立ち止まり、黙ってしまった要に何を思ったのであろうか。葉子は首をことりと傾げ、要の顔を覗き込むようにする。
「あのさ」
「――なに」
「ちゃんと言葉にして、言った方がいい」
 唐突な言葉に、要は目を瞬かせた。
「伝えようとしないと、伝わらないよ。大切な人なら尚のこと」
 この女は、心が読めるのであろうか。瞠目している要に、葉子は言葉を重ねた。
「時間は限られているんだ。後悔しないようにした方がいい」
 そういって、葉子は笑った。ふわりと漂う花の香り、沈丁花の匂い。
 その時である。
「へえ、随分とよろしくやっているようじゃないか」
 ふいに割り込んだその声に、葉子がびくりと体を震わせた。
 要は振り返る。
「――松原」
にやにやしながらこちらに近づいてくる友人の、その漂う臭気に要は眉を潜めた。ひどく酔っている。いや、酔っているだけではない。松原の目に浮かんでいるのは明らかな敵愾心だ。
「おい、葉子、あんた話が違うじゃねえか」
 松原はそう言って葉子の肩に手をかけた。葉子は顔を背けている。漂う剣呑な雰囲気に、道行く人々が足を止め、遠巻きにこちらを見ていることが分かった。
「植草よお。お前、どうやってこいつを引っ張り出したんだ?」
「何のことだ?」
 尋ねると、松原は口の端を歪めて嗤った。嫌な笑い方だ。そのまま要の問いには答えず、ぐい、と葉子の腕を引いた。
「すかしやがって。なにが『もうやめる』だと? こいつの誘いには乗るのに、なんで俺は駄目なんだ。選べる立場じゃねえだろう!」
「やめて」
 葉子は身をよじった。黒髪がはらはらと空に舞う。松原は手を緩めない。ぎりぎりと腕を締め上げている。
「やめろよ。痛がってるだろ!」
 あまりに乱暴な扱いに、植草は思わず声を荒げた。
「少しくらい痛い目に合った方がいいだろ、こんな女はよ」
「おい、お前」
「同じ穴の貉の癖に、いい人ぶるのはよせよ」
 松原は葉子の耳に口を寄せる。
「行こうぜ、葉子。嫌とは言わせねえぞ。ずっとあんたが忘れられなかったんだ」
 そう言うと、松原は葉子の腰に手を這わせた。
「やめて!」
「うるせえ! 来いって言ってるだろう!」
逃がさじと腰を抱き留める松原の腕を引きはがし、葉子は体をよじり――どう、と道に倒れこむ。
「ひっ……」
 声を漏らしたのは、誰だっただろうか。道行く人だっただろうか、それとも要自身であっただろうか。
 葉子が道に倒れている。着物の裾ははだけ、白い襦袢に包まれていた素足が投げ出されている。その足が、赤い。皮膚が爛れた痕だろうか、無事な皮膚がないくらい、あちこち引き攣れ、斑になっている。
 葉子は俯いたまま、着物の裾をす、と直した。ぬかるんだ泥と、おそらくどこかを擦ってしまったのであろう血が入り混じり、着物は斑模様に染まっている。
「相変わらずきったねえ足しやがって。かわいがってやろうってんだから、ありがたく思えよ!」
 要は瞠目する。この男は、何を言っているのだろう。
「……おい」
 口に出した声は、思った以上に怒りを孕んでいた。
「いい加減にしろ。それがご婦人に対する態度か」
「うるせえ! なにがご婦人だ。お前だって俺と同じ癖に、偉そうにご高説か?」
「お前、自分が何を言っているのか分かっているのか?」
「俺はばけもんを抱いてやって、金を恵んでやってるんだ。それの何が悪い!」
 顔を赤くして怒鳴る松原を一瞥し、要は葉子の肩に手を回した。細い肩がびくりと震える。
「行こう、葉子。こんなやつ相手にしない方がいい」
 立ち上がるように、葉子を促す。おずおずと歩き始めた葉子を松原の視界から隠すように、要は葉子の肩を抱いた。
 踵を返したその時、視線の先に――八重が、いた。
 八重がこちらを見ている。氷のような冷たい瞳で、要と、葉子をじ、と見つめている。
「八重……」
 その言葉に、葉子がはっと顔を上げた。
「八重、違う」
 声を上げながら、要はうっすらと期待する。怒るだろうか。八重はその氷の表情を溶かし、どういうことだと自分に詰め寄ってくれるのではないか。
 八重はすう、と息を吸い、そのままゆっくりと吐き出した。そして、姿勢を正したまま、ゆっくりと――まるで何もなかったかのようにゆっくりと、二人の横を通り過ぎて行った。
 鼓動が激しい。息がうまくできない。目の前が暗くなっていくのを感じて、風呂敷を持つ手で胸を押さえた。
 心臓が冷たくなっていく。まるで氷の息を吹きかけられたかのような鋭い痛みが、要の心を貫いた。
 大丈夫だ、八重は気にしない、と口ではそう言っていた。そう思ってもいた。しかし、実際にそうであると突き付けられた現実は、要に思った以上の衝撃を与えたのである。
 やはり、八重は自分のことなど――。
「要さん!」
 葉子だ。何やら緊迫した声で、肩に回された要の手を外そうともがいている。
「早く、逃げて」
「な、なに」
「早く!」
 その声と重なるように、幾重の悲鳴が上がった。
 要は振り返り――。
 衝撃が、走った。何か、ひんやりとした物が――鋭い氷のようなものが――腹から背中にかけて刺さっている。
 身体がじわじわと熱くなる。足に力が入らなくなり、もつれるようにして地面に倒れこんだ。熱い。だくだくと熱い液体が流れ出ていく。震える手でそれを触り、理解した。刺された、何かに。刺されたのだ。
 体中が引き裂かれるような激痛に、声なき声を挙げた。
痛い。
 体が急速に冷えていく。頬の下で、雪交じりの砂利がざらざらと音を立てる。
「まつ、ばら」
「ざまあみろ!」
 言い捨て走る後ろ姿が、徐々に霞む。地に落ちた風呂敷がほどけ、藍染めの肩掛けが毒々しい色に染まっていった。
――た、あなた……!
 半狂乱の声が耳に届く。あの声は、八重ではないのか。
「や……え」
 冷たい手が、頬を撫でた。ひいやりと気持ちいいその感触に要は微笑んだ。目が霞む。もう光も入らない暗い闇の中で、その冷たい掌だけが要をこの場に繋ぎとめている。
 ――……なないで、死なないで……
 八重の声だ。自分のために、必死になっているのか、泣いてくれているのか。
 体がゆっくりと沈んでいく。もはや痛みも感じない。ただ、静かな冷たさだけが、要をしんしんと包み込んでいた。
 ――時間は限られているんだ。後悔しないようにした方がいい。
 葉子の声が、脳裏によみがえる。本当にその通りだな、と要はひどく後悔をする。
「やえ」
 頬に、ほたりと落ちたのは、涙だろうか、それとも雪か。
 死にたくない。まだ伝えられていないのに――。

 しらしらと雪が降る。
 雪が降る。
 昔、紀伊国にわたつみと申す神おはします。その神、年毎まつりにていけにへを奉るなり。ひとの女かたちよく色白く姿らうたげたるもの求めて奉りける。
 ある女いけにへにさし当てられにけり。親なく国の生まれならず逆ふものありしもせむかたなし。女月日嘆きて過すほどに、やうやう命つづまりけり。
 そのまつりの日になりて宮司よろづの人々こぞり集まりて長櫃に女入れわたつみのもとへこれを浮かべ火をつけけり。
 かくのごとく見るほどにむら雲大空に引き蓋ぎて、雷光満ち車軸のごとくなる雨降りて火はしり風おしおほひて家に移りて煙り炎くゆりける。

 わたつみ怒らせにけりと人のくちずさみなほやまず。
 げにおそろしきことなり。

 浜辺に、女性が佇んでいる。
 長い黒髪を靡かせて、彼女は、ただ。ただ。海を見ていた。
 まるで、物語のようであった。
 かつて読んだ様々な絵本、小説、戯曲、なんでもいい。その印象的な一頁のように。
 海と、彼女は、そこに確かに存在していた。
 
 目を奪われるということが本当にあるのだということを、夏彦はその日、初めて知ったのである。


  ***


「何、お前、懸想したの」
「懸想って、お前な」
「想いを懸ける。良い言葉だよねえ」
 聡はそういってくふりと笑った。
 全く腹の立つ野郎である。

 大学帰りに寄り道をしては、喫茶店で、少しお高い珈琲を嗜むというのが、ここ最近の夏彦の日課である。特にこの場所は、色々な喫茶店に顔を出し、調査した結果、ようやく見つけたお気に入りの場所であった。

 人は、食事をする際には暖色を好むのだという。それ故に、飲食店では温かみのある照明を使うところが多いのだが、夏彦御用達のこの喫茶店は、一味違う。
 まるで水の中のように、青の照明が使われているのである。
 これだけだとイロモノの喫茶店のようであるが、なかなか本格的で、珈琲も料理も、デザート系も、どれも皆一流の味である。
 聡は目の前で青に染まったショートケーキを頬張っている。初めて連れてきたときは、食欲が失せる、と、あまりいい顔はしなかったのだが、何回か来ているうちにすっかり慣れてしまったようだ。
 視線に気がついたのだろう、聡は顔を上げる。目が合うと、口を下弦の月のように歪めて笑った。嫌な顔だ。明らかに楽しんでいる。
「で、相手はどんなコ?」
「おい」
「いいじゃないか。教えてよ」
「やだね。お前、楽しんでるだろ」
「当たり前でしょ。惚れた腫れたで大変なのは当人のみさ。周りはただの観客と相場が決まっている」
「本当に、やなやつだなお前は」
「いのち短し、恋せよ乙女。男なのが残念だ。ああ甘酸っぱい、甘酸っぱい」
 歌うように呟いて、彼はショートケーキの上の苺をぱくりと口に含んだ。
 夏彦と聡は大学の二回生である。同じ文学部在籍であった。
 聡は目立つ容姿であった。線が細く、顔立ちも中性的で、物柔らかな物腰。当然女学生にも人気があり、いつも誰かしらに囲まれている印象であった。
 対する夏彦は、頬骨の張った厳つい顔で、体もずんぐりと大きい。ただでさえ怖がられる風貌であるのに、それに加えて人見知りで、特に女性に関しては、どうにも鯱張ばってしまうところがあった。そのため、この二十年間というもの、ガールフレンドが出来たこともなければ、勿論お付き合いをしたこともない。
 何とも、不公平な世の中だ。
 人見知りなのは、置いておいても。せめてこの男に比肩するくらいの容貌であれば、また違ったかもしれないのに。
 夏彦は恨めし気な目で、目の前の男を眺めた。
「お前はいいよな、お相手がいるんだから」
 涼しい顔をしたこの男が、軽薄そうに見えて実は結構一途だというのを知ったのは、つい最近である。
 聡にはガールフレンドがいる。明美という名の、ボーイッシュで、背の高い、エキゾチックな顔立ちの女性であった。高校からの付き合いなのだという。一度だけ会ったことがあるが、明るく快活なその様子に夏彦は癒されたものだ。
「ふふん。いいだろう。ほら、これ、手作り」
 そういって見せつけてきた白いマフラーは、歪な形であったが、それすらも、一生懸命編んだのだと暗に主張しているようで、なんとも腹立たしい。
「ぼくは純粋に興味があるんだ。お前みたいな朴念仁が一目惚れするなんて、きっと相当な美人なんだろうな」
「ちがう、ただ少し気になっただけで」
「それを恋と言わずしてなんという」
「ちがうと言っているだろう」
「まあ、何とでもいいなよ。目は口ほどに物を言うってね」
 にやにやと笑う聡をじとりとねめつけて、夏彦は珈琲をずずっとすすった。


 
 夏彦がその女性に出会ったのは、つい先日のことであった。
 彼の住むアパートは、海の近くに建っている。大学に通うためだけに借りたその場所は、狭く、ぼろぼろで、壁も薄い。こんな風に寒い冬の日などは、隙間風が入り込む。
 炬燵やストーブは、甘えだ。学生ならば学生らしく、慎ましく暮らすべき、という謎の義務感にかられて、夏彦はこの冬も安い毛布で過ごそうと決めていた。一度贅沢を覚えたら、そのままなし崩しになってしまうような気がしたのだ。心頭滅却すれば火もまた涼しという。その逆だって可能なはずだ。

 その日も、彼は毛布にくるまって寒さをしのいでいた。

 朝の五時である。風の強い日であった。凍えるような風がひっきりなしに入り込み、夏彦の体温を容赦なく奪っていく。
 一度、目が覚めたら、もう駄目だった。何度寝なおそうとしても、体の芯を抉られるような冷たさが、彼の睡魔を奪っていく。
 ――起きよう。
 彼は布団をはね上げた。
 眠れないのなら、このままだらだらと布団の中にいても、仕方がない。
 それで、朝の散歩に出かけたのである。
 早朝の海は、静かであった。さすがに寒い。芯から順々に凍えるような感覚である。着ているダウンジャケットの襟を合わせるようにして、彼は浜辺に佇んでいた。
 まだ太陽も顔を出さない、けれど夜とも言い切れない。朝と夜の狭間。
 背後の月が、幽かな光で海原を照らしていた。青紫の水面はぬらぬらと光り、やがて来る夜明けの気配をうっすらと漂わせている。
 白く砕ける波しぶきが、月光を浴びてベールの様に輝いていた。
 絶え間なく続く、波の音。
 吹きおろしの風が、夏彦の少し伸びた髪を荒々しくかき混ぜていく。
 夏彦は、海が好きであった。
 心の、一番深いところが、ざわざわとざわめくのである。
 人は、海から来て、海に還る。どこかで聞いたフレーズであるが、まさにそれだ。
 きっと、自分は、前世は魚だったに違いない。
 理屈ではない。夏彦には、そんな、確信めいた思いがあった。深い青の底に沈む。手足はヒレに変わり、人間の皮を破り捨てて、深く、深く。
 そんなことを考えている折であった。
 吐く息が、白い。暗闇にすうと溶けていく。その息の先を視線で追って、彼は息をのんだ。

 女性が、居た。

 ほんの数メートル先である。いつからいたのだろうか。暗闇に溶けるように、彼女はそこに佇んでいた。
 海を、見ているようであった。風に乱れた長い黒髪。体にぴったりとしたジーンズに、革のジャケット。随分と細身である。すらりとした姿に、男性のような恰好がよく似合っていた。走り屋だろうか。バイクの音は、聞こえなかったが。いったい、いつから。
 夜が明けていく。藍色、薄ぼんやりとした紫、そして海原を金に染めながら、朝が、生まれようとしていた。水面に顔を出した太陽は、彼女の輪郭を金に染め上げていく。
 まるで、物語のようであった。
 かつて読んだ様々な絵本、小説、戯曲、なんでもいい。その印象的な一頁を思わせる光景であった。
 女性は、たなびく髪をつうと抑え、ゆっくりと振り返る。
 夏彦は、動けない。
 もう寒さも感じなかった。
 音の一切を吸い込まれたかのような感覚。
 波の音も、海を渡る風の音も、最早、遠い。

 目が、合った。

 黒曜石の瞳が、濡れ濡れと光っている。
 その光を隠すかのように、彼女はそっと目を伏せた。
 泣いていたのかもしれなかった。
 長い睫毛のふちに、雫を宿し、自嘲するかのような笑みを浮かべていた。
 さくり、と音がした。黒の靴の足元で、砂が鳴る。
 女性はゆっくりと歩み、そのまま、夏彦の横をすうと通り抜けた。
 翻る黒髪から、幽かな、甘い香り。
 香水ではない。
 何か、花のような、懐かしさを感じる香りであった。

 目を瞬かせる。

 気づけば、朝日はとっくに昇り切っていた。
 まるで、立ったまま夢を見ていたかのようであった。
 夏彦は頭をひとつ振り、そっと後ろを振り返った。

 もう、あの女性はいなかった。ただ、甘い香りが。胸を締め付けるように、残っていた。


  ***


「それは、恋だわね」

 古本を整理しながら、頬を染めていったのは、夏彦のアルバイト先のオーナーである。五十がらみの女であった。名前を芳子という。
「恋」
 壁一面の棚にはたきを掛けながら、夏彦は憮然とする。
 この人も、聡と同じことを言う。
「違いますよ。俺はただ……ちょっと気になっただけで」
 舞う埃に顔をしかめながら、夏彦は呟いた。
 馬鹿馬鹿しい。そんなものではないのだ。
 ただ、振り向いた時の、長い睫毛に宿った光、輪郭を金に染めた姿、あの香り、それが少し気になる。それだけの話である。
「気になるってんなら、それはもう、囚われている証拠なのよ。囚われてからが恋のはじまり。もうそこからは逃げ出せないの。ああ、楽しいわねえ。いいわねえ、若いって」
 芳子は古本を手にしたまま、それに頬を寄せ、むふりと笑った。
「わたしにもあったわあ、身を焦がすような。赤いリンゴに唇寄せて……ふふふ」
 本に、口づけを落としそうな勢いである。
 夏彦は溜息を一つ吐くと、今にも芳子の餌食となりそうな古本をそっと取り上げることに成功した。
「芳子さん、ここは俺がやりますから」
「あらそお、じゃこの本、全部、しまっておいてくれるかしら」
「わかりました」
「それじゃ、わたしはちょっと失礼して……」
 昼の三時である。ちょうど芳子がいつも見ているテレビドラマの再放送の時間であった。
 夏彦は苦笑し、手に持った本を棚にしまう。


 壁一面の本棚には、様々な古本が積み上げられている。芳子には申し訳ないが、この本を読み漁ることもまた、午後三時の夏彦の日課であった。
 今日は、どの本にしようか。昨日は鏡花を嗜んだので、少し違った作風のものがいい。久しぶりに乱歩にしようか。しかし、今はどちらかというとそういうアンダーグラウンドな物ではなく、もう少しかっちりとしたものを読みたい気分だ。

 逡巡しながら、手を彷徨わせている時であった。
 入口の、呼び鈴が、鳴った。
「いらっしゃいま……」
 夏彦は口をあんぐりと開ける。
 本屋の入り口。今にも崩れ落ちそうに積まれた古本の隙間を縫うようにして店内を物色している。
 あの、女性だ。
 長い黒髪、すらりとした姿。黒曜石の瞳。
 海辺で会った、あの人が、今、ここにいる――。


  ***


「え、なに、それで、何も話さなかったっていうわけ?」
 聡は目を丸くした。
 翌日。
 講義終わりに構内をうろうろしていた聡を捕まえ、缶珈琲一本分の時間をもらうことに成功したのである。
 この男に相談事とは我ながら情けないが、夏彦は、心底困っていた。
 昨日の女性のことが、頭から離れない。
 しっかりとした日の下で見ても、彼女は変わらず美しかった。
 ゆっくりと、狭い店の中を歩く姿。立ち止まって、本を選ぶ指先。背に流れる黒髪。夏彦に、本を差し出した、白魚の手。先のほうだけ少し赤い、ふっくらした指。少し低めの掠れた声。花のような香り。
 そういったものが、ちらちらと頭に住み着いて、何も手につかなかった。アルバイトを終え帰宅しても、その姿はより一層鮮やかになり、まるで万華鏡を覗き込んだ時のような心持ちになったものだ。
 端的に言うと、夏彦は焦っていた。まるで自分が自分でないようである。
 今まで、二十年間生きてきて、こんな経験をしたことがない。あの女性のことを考えるだけで、心がざわざわとざわめいて、ちっとも落ち着かないのである。

 二人は寒風吹きすさぶベンチに並んで腰を下ろしていた。もう随分とそうしている。相談しようと思えど、夏彦とて、何を言えばいいか分からなかったのだ。
 逡巡し、ようやく口を開いた時には、温かかった缶珈琲は、とうに冷めきっていた。
「で? 奇跡的にも、アルバイト先で? 運命的な再会をしたというのに? 何も、できなかったというのかお前は」
「本は売ったぞ。会話も、した」
「あのさ」
 聡はあきれたように笑った。
「まさかその会話って、ウン百円になります。お釣りはこちら、じゃあなかろうね」
 その通りだったので、夏彦は押し黙った。
「……奥手奥手とは思っていたけど」
「んなこと言っても、何を、話せばよかったんだよ」
「いろいろあるだろう。名前とか、年齢とか……電話番号まで聞けたら完璧だけど、流石にぼくもそこまでは言わないさ、けどねぇ」
 聡はため息をついた。冬空に、白く消える息を目で追って、夏彦はぼそりとつぶやく。
「でも、そんなこと聞いて」
 いったい、どうしろというのだ。
「あのね」
 聡は冷えた珈琲をすすった。
「誰かと誰かが繋がるためには、どちらかが働きかけなきゃだめだ。だろう?」
「でも」
「現に、ぼくはそうした」
 確かに、そうだ。この男と、ガールフレンドの話は、耳にタコができるほど聞かされていた。
 夏彦は考える。自分は、あの女性と繋がりたいと思っているのだろうか。
 ――そもそも、繋がるとはどういうことだ。
「まあ、次に会った時に、せめて名前くらいは聞いておけよ」
「……次、と言っても」
 夏彦は下唇を噛み締める。
「また、お前の店に来ることもあるんじゃないのか」
「店に?」
「そう」
「でも、彼女が来たのは昨日が初めてだぞ」
「さあ、どうだか」
 聡の声が、のっぺりと耳に響いた。
「見えていなかっただけかもしれないだろう」
「どういうことだ」
「お前が意識していなかっただけかもしれないぞ」
「何を、言っているんだお前は」
 聡は朗らかに笑った。
「気になる人ができるっていうのは、そういうことだからさ」
 意味が分からなかった。いったい、聡は何を言っているのだろう。
「まあ、大丈夫だ。二度まで会ったのだから、縁があれば、あと一回くらいは好機があるだろう」
「――好機」
 ぽそりと呟いた言葉は、思いの外期待に満ちた響きであった。そのことに夏彦自身もぎくりとする。
 自分は、期待、しているのだ。もう一度彼女に会えることを。
「二度あることは、三度あると言うし、な」
 夏彦の言外の思惑に気づいているのであろう、聡はにやりと笑った。
「そして、三度目の正直とも言う」
 黙ってしまった夏彦に、聡はたたみかける。
「言ってみろ」
「は?」
「感情に、仕切りが必要だ。今のお前は混乱している。整理する必要があるだろう」
「……何を」
「覚悟を決めろよ。口に出して言うんだ」
 そう言うと、聡は口の端をひょいと持ち上げた。そのまま珈琲を一息に飲み、立ち上がる。
 風が吹いた。
 聡の白いマフラーが、ひらひらと舞っている。それをつうと抑え、聡は笑った。
「お前は、その人のことが好きなんだ」
 夏彦を取り囲む音が、一切合切、消えた。
 違う。そう言おうとしても、口が動かない。
 ――好き、だと?
 ――自分が、あの女性を?
 ――名前も知らぬその人を?
 聡の手から放れた空き缶が放物線を描き、屑籠に吸い込まれる。
「まあ、ぼくはね、全面的にお前を応援するよ。お前のそんな顔を見たら、せざるを得ないからな」
 思わず顔を片手で覆った。今、自分がどんな顔をしているのか、自覚したら最後だ。
 聡は高らかに笑うと、片手を上げて踵を返す。
 夏彦は、その後ろ姿を目で追った。
 顔が熱い。
 真冬だというのに、自分はいったい、どうしてしまったのであろうか。


  ***


「ああ、もう、何やってるの!」
 芳子の悲鳴で、夏彦は目を瞬かせた。目の前で、本が雪崩を起こしている。
 確か、検品をしていたはずであった。破れているものがないか、状態はどうなっているのか、それを確認してから、値段をつける。そんな作業である。
 今日は講義が四限まであったので、午後六時からの勤務であった。時計を見る。夜の八時を過ぎていた。あと一時間で閉店である。それなのに、夏彦の前に積まれた本は、一向に減ってはいない。
 いったい、自分はこの二時間、何をしていたのだろう。
「どうしたの、北村君。随分と上の空じゃない」
 芳子が溜息交じりに呟いた。
「す、すみません」
「も・し・か・し・て、恋の病かしらぁ」
「……違います」
 はたきを持って、腰をくねらせる芳子を一瞥し、夏彦は息を吐く。この人はいつもこうだ。聡にしても、芳子にしても、どうして自分をそんなに恋愛に絡めたがるのだろうか。
 夏彦とて、恋愛に興味がないわけではない。むしろ、大いにあると言ってもいい。けれど、たった二度しか会っていない、名も知らぬ人のことを、好きだ、というには抵抗があった。
 そう、確かに気にはなっているけれど。人を好きになるということは、その人の、人と為りを確かめて、ある程度の時間を経て、ようやく芽生える感情なのではないだろうか。
 崩れた本の雪崩は、床にまで及んでいる。随分派手に散らばしてしまったものだ。
 直そうと、手を伸ばし――ふと、一冊の本が目に留まった。
 頁が開いてしまっている。
 随分と古い。
 和綴じの本である。
 黄ばんだページには、墨で描かれた絵と、うねうねとした崩し字が踊っていた。
 思わず、手に取った。
「これ……」
 描かれているのは、女だ。綺麗な人であった。
 裸体である。女は水の――おそらく海の中にいる。
 すうと切れ上がった瞳は悲しげに伏せられていた。長い黒髪は乱れて体に張り付き、ふくよかな乳房がその隙間からちらりと覗いている。その乳房の下の方、ちょうど影になっているところから、鱗が、生えていた。
 まばらに生えたその鱗は、下半身にいくに従って密度を増していく。鱗に覆われた下肢は、魚の尾となり、力強く水しぶきを上げて。
 上半身は人、下半身は魚。
 ――人魚だ。
 異形の女は、その身を海に沈め、荒れ狂う海に抗うように泳いでいる。
 そんな、絵であった。
 不思議と、胸の奥がぎゅうと痛くなる。何だかとても懐かしいような気がする。この絵を、いや、この情景を自分は知っている……。
「ああ、それ」
 芳子は本を手に取った。画集のようであった。表紙にはタイトルと思しき文字が、これまた崩し字で踊っている。
「面白いわよねえ」
「面白い、ですか?」
「ええ」
 そう言って芳子は本を指さす。
「日本の人魚には、なかなか見ないタイプの絵だわね」
 芳子は、本屋の店主なだけあって、こういうものには結構詳しい。特に、古書に関しては博識で、打てば響くような答えが返ってくる。普段がああなだけに、そのギャップに最初は驚いたものであった。
「見ないタイプですか?」
「ええ。日本の人魚って、いかにも化け物然としているものが多いのよ」
「化け物?」
「般若のような顔に鯉の体がくっついていたり……、上半身が河童のように描かれているものも多いわね」
「ああ……」
 夏彦は頷いた。
 妖怪の類に関しては、夏彦はあまり詳しくない。しかし、聡から本を貸してもらったことがある。彼は専らその手の読み物が好きなのだ。
 面白いから読んでみろ、とのお言葉をいただき、一、二冊借りて読んでみた。図録と、読み物がセットになった本である。その中の一冊に、確か人魚もいたはずだ。夏彦が見知っている、童話の物と随分違ったのを覚えている。
 こちらは、どちらかというと、一般的によく知られている、アンデルセンの人魚に近い姿であった。
「それ、誰が描いたやつなんです?」
 夏彦は本を指さした。
「さあ。それが分からないのよ。古いものであることは、確かなのだけれど」
「……それ、俺が買ってもいいですか?」
「北村君が?」
「ええ。友人が好きそうなんです」
 嘘だ。
 聡に見せたら、どんな反応をするだろう。そう思ったのも事実である。しかし、それよりも、その人魚の絵が、気になった。
 妙に離れがたい。手元に置いておきたい。そんな心持ちになったのである。
「残念ながら、だめなのよ」
「え?」
 芳子は本を閉じ、机に置いた。
「これ、実はもう買い手が決まっているのよね」
「買い手?」
「そう」
 呼び鈴が、なった。
「噂をすれば」
 芳子が、笑った。
 入口を見て、夏彦は絶句する。
 そこにいたのは、あの――。
「いらっしゃい、葉子ちゃん」
「芳子さん、いつもありがとう」
「いいのよぉ。あ、これ、例の本」
 そう言って、芳子は本を彼女に手渡した。
 夏彦は息ができない。魚のように、口をパクパクさせるので精いっぱいである。
 確かに、あの女性だった。海で会った、そして、この店で先日会った、あの。
 彼女は本を検分しているようであった。白い指先が、黄ばんだ本の頁をひと繰り、ひと繰り確かめるように捲っている。
 真剣な表情であった。
「どう?」
「まだ私が持っていないものです」
 上目づかいでそう尋ねる芳子を安心させるように、葉子、と呼ばれた女性は微笑んだ。
「流石、芳子さん」
「ふふふ、良かった」
 芳子もつられたように笑う。
 夏彦は――未だに動けない。
 目の前の光景を、まるで水槽越しに見ているかのようであった。現実感がないというのだろうか。薄青に包まれた視界に、葉子と芳子が笑っている。
 黒髪が、さらりと流れた。
 ふわり、と漂う、花の香り。
 あの時も――海で会った時もそう思ったが、ひどく懐かしい香りであった。
「……くん、北村君!」
 夏彦は目を瞬かせる。
 青い視界は一瞬で消え、目の前には、呆れた風情の芳子が仁王立ちしていた。
「もう、なにぼーっとしてるの!」
「あ……」
「ちょっと奥に行くから、葉子ちゃんの相手、お願いね」
 電話がけたたましく鳴っている。奥の方だ。店の電話ではないので、芳子の私用であろう。
 慌てたように奥に消える芳子の背を目で追い、夏彦は慌てた。
 二人きりに、なってしまった。
 視線を戻すと、目の前の麗人は、相変わらずの風情で本の頁を繰っている。
 奥からは芳子の朗らかな笑い声が聞こえてきた。どうやら知り合いからの電話だったようで、何やら盛り上がっている。
 夏彦は、焦った。
 相手、と言っても。いったい何をすればいいのだろう。
 じっと見る。
 確かに、あの人だ。海で会った。そして、ここでも一度会っている。
 葉子ちゃん、と呼ばれていた。芳子の知り合いなのだろうか。
 それにしても、睫毛が長い。白皙の頬。きっと触ると少し冷たいのだろう。鼻は高めで、細い。少し開いた薄い唇から、真珠のような歯がちらりとのぞいている。
 覚えず、不躾な視線を送っていたようだった。葉子が、つうと顔を上げた。
 目が、合った。
 黒々とした瞳に、夏彦が映り込んでいる。
 体が、震えた。
 何か、喋らなくては。
 何を言えばいい。
「あ……」
 口が、上手く動かない。
 ――好機。
 聡の声が、聞こえた気がした。
 好機だ。
 しかし、何の好機だ。
 名前は既に知っている。
 ――年齢。
 女性に聞くのは失礼だ。
 ――電話番号。
 無理だ。不審がられるに決まっているではないか。
「あ……の」
「はい」
「う、海に……」
 口をついて出たのは、そんな言葉であった。
「海?」
「う、海に、いましたよね……」
 葉子は目を見張った。やがて、その瞳をゆっくりと細める。
「ああ……あの時、浜にいた人」
 少し低い、掠れた声だった。
「それじゃあ、恥ずかしいところ、見られちゃったかな」
 夏彦はぎくりとし、机の角に頭をぶつけたい衝動に駆られた。よりによって、なぜ自分は、その話題を選んでしまったのだろう。
 そうだ、この人は、泣いていたのではなかったか。
 睫毛に宿った雫を思い出す。その理由を知りたいと思わないでもなかったが、いくらなんでも、ほぼ初対面の相手に振っていい話題ではない。
 夏彦は慌てて話題を探した。
「よ、よく行くんですか」
「え?」
「う……海に」
「うん」
 葉子は本の頁を慈しむように撫でた。指の先を追って、夏彦は息を呑む。
 ――人魚だ。
「行くよ」
 そう言って、葉子は目を伏せた。視線は人魚の頁に注がれている。
 狂おしいまでの光を秘めた瞳であった。絵を見ているはずなのに、絵の奥の奥を覗き込もうとしているかのようである。
「海は故郷だからね」
「故郷?」
「そう。人は、海から来て、海に還るっていうけれど」
 葉子の言葉に、夏彦はどきりとする。
「もしかしたら、私は昔、魚だったのかもしれない。そう言ったら笑うかな?」
 顔を上げて、葉子は苦笑した。夏彦は……笑えなかった。
 全く同じことを、自分も考えてはいなかっただろうか。
「お、俺も」
 思わず言葉に出した。葉子は小首を傾げる。その拍子に、艶やかな黒髪がさらりと零れた。
「俺も、同じこと、考えます」
「君も?」
「ええ、なんていうか、青いのが落ち着くって言うか」
 しどろもどろになりながら、夏彦は言葉を探す。
「理屈じゃなくて、なんとなくなんですけど。海の底に行きたいとか、前世は実は魚だったんじゃないかってよく考えます。――その人魚も」
 ちらり、と人魚を見やった。
「なぜか、懐かしい気がして。だからその頁をあなたが見つけて、あなたがそんなことを言うなんて、なんだかすごく運命を感じて」
「運命?」
「あ、いえ、その」
 焦った。顔が熱い。自分は何を口走っているのだ。これではまるで、ただの遊び人か、危ない人だ。
 葉子は目を丸くし、一拍置いて、爆笑した。体をくの字に曲げて、笑い転げている。
「す、みません、俺、変なこと」
 葉子はまだ笑っている。
「違う、違う。顔、真っ赤で」
「え!?」
「君、おもしろいね」
 夏彦の顔が、ますます熱くなる。自分でも火照っているのが分かるくらいだ。さぞひどいことになっているのだろう。
「ああ、笑った、笑った」
 目じりにたまった涙をぬぐいながら、葉子は笑みを零している。
「なあに、随分盛り上がってるじゃない」
 いつの間に帰ってきたのだろう、芳子がにやにやしながら隣に立っていた。
「どう? 葉子ちゃん、ウチの秘蔵っ子。将来性抜群、性格真面目、顔は怖いけど気は優しくて力持ち」
「……よしてくださいよ」
 げんなりする夏彦を見て、葉子はまた、笑った。


 葉子は、よく店に現れるようになった。
 とは言っても、それは昔からのことだったらしく、単に夏彦が気づいていなかっただけだった、という話である。
「なぁに言ってるの! うちのお得意様なのよぉ」
 そう言ったのは芳子である。
「北村君も、何回か顔を合わせてると思ったけれど。あんな美人に気がつかないなんて、朴念仁もいいところね」
 芳子は朗らかに笑った。
「いい子よ。すっごく。古書が好きでねえ。それで、あの子の好きそうなのが入ると、一応取っておくのよ」
「古書、ですか」
「そう。特に、妖怪画ね。コレクションしているんだって話よ」
「へえ……」
「まだ若いのに、偉いわよねえ」
 その話が本当なら、なぜ自分は彼女に気がつかなかったのだろう。
 呼び鈴が鳴った。
 黒髪を靡かせて、本棚の前に立つ麗人を見て、夏彦はひっそりと頷いた。
 ――見えていなかっただけかもしれないだろう。
 ああ、そういうことか。
 聡が言っていたのは、このことだったのだ。
 自分は、彼女に恋を、している。
 だから、見えるようになった。
 つまり、そういうことなのだ。


  ***


「ついに、認めたか」
 学食できつねうどんをすすりながら、聡はにやりと笑った。
 対する夏彦はハヤシライスをスプーンの先でつつきまわしている。
「で、誘ったの?」
「何に」
「決まってるだろう。デートだよ、デート」
「デっ……」
 音を立てて、スプーンが皿の上に跳ねた。ハヤシライスの黒褐色が夏彦の服に飛び散る。
「うわ!」
 慌てて布巾で服をこする夏彦を見て、聡は呆れたようにため息をついた。
「その様子じゃ、まだなんだな」
「だって、おい、会って間もないご婦人に、そんな」
「そんなに固く考えることもないだろう。お茶しませんか、で済む話じゃないか」
「んな、簡単に言うなって!」
「何も、ホテルに誘え、って言ってるわけじゃないんだぞ」
「なっ、ちょっ、待て!」
「待たん。どうにもお前はじれったさすぎる」
 しれっと言いながら、聡はうどんの油揚げをかじっている。
「それで、名前は? 聞けたんだろうな」
「あ、ああ。葉子、と」
 瞬間、聡の動きが止まった。
「……葉子? 苗字は?」
「分からん」
 聡の事だから、きっとまたにやにやと笑い、こちらをからかってくるに決まっている。夏彦は、そう思っていた。
 しかし、聡はにこりともしない。
 顎に手を添え、何やら考え込んでいる風情である。
「植草?」
「ああ……いや」
 聡は目を瞬かせる。
「葉子、なんて名前、珍しくもないしな」
「は?」
「こっちの話だ。……ともかく、頑張れよ」
 その様子に、少しだけ違和感を覚えた。
 後に思えば、この時に。
 もっと深く突っ込んでおくべきであった。
 葉子、という名に何か意味があるのか、と。
 訪ねておけばよかったのだ。


 ***


「お茶、しませんか」
 そう初めて声をかけたのは、寒さも厳しい、夕の刻であった。
 その日は大学が休みだったので、午前からの勤務である。そのため、珍しく夕方には上がりの時間だった。
 そのタイミングで、彼女が来店したのだ。
 今しかない、そう思った。
 葉子は目を丸くし、そして。ゆっくりと、花が綻ぶように、笑った。
 通いなれた店で、初めて食べたケーキの味を、夏彦は一生忘れないだろう。青い照明のあの喫茶店を、葉子は気に入ったようであった。海の色に染まった苺のショートケーキをパクつきながら、彼女は笑っている。
 海の中にいるようだ、と言っていた。青の底は、こんな案配なのだろうか。それは随分と心地よいに違いない。
 とりとめない話ばかりを、した。
 好きな本の話。
 好きな食べ物の話。
 好きな音楽の話。
 人には、相性というものがあるのだと思う。夏彦も今回ばかりはそれを実感せざるを得なかった。
 彼女といると、気が楽になる。
 女性が苦手な夏彦にしては珍しく、自然体で話せる相手であった。


 それから暫くの間、そんな日々が続いた。特に約束をしたわけではない。しかし、夏彦の仕事が早く終わる日に、彼女はいつもふらりと店に現れるのである。
 葉子との逢瀬は楽しかった。
 不思議と、出自については話さなかった。向こうも聞かなかったし、こちらも触れずに会話をした。気にならなかったわけではない。けれど、聞いてどうなることでもないし、聞けば必ずはぐらかされる。そんな確信があった。
 どんな生涯を送ってきたかなど、そんなことは大した問題ではないのだ。
 目の前に彼女がいる。名前を呼び、呼んでもらう、それだけでもう十分なのだと、彼には分かっていた。
 ただ一つ、どうしても気になることがあるのだとすれば。それは、彼女が時々酷くつらそうな顔をすることだ。
 あの日も、そうであった。
 寒さも少しばかり緩んだ、午後のことである。
 この頃になると、もう仕事とは関係なく、二人は会うようになっていた。相変わらず約束はしていない。休みの日や、時間の空いた時に、夏彦はあの喫茶店に足を向けるのだ。葉子は、大抵そこにいた。会える日もあったし、会えない日もあった。会えた日はそのまま同席し、そのまままったりと過ごすのである。
 その日の彼女は、呆けていた。
 ここ最近、ぎっしりと縮まった蕾が、ゆっくりと花開くように、春の気配を感じるようになった。春は、好きだ。何かが始まるようなワクワクとした心持ちになる。
 暖かな予感に胸を膨らませ、夏彦は店の扉を潜った。
 青に照らされた店内、静かなジャズの響く中、壁際の席に、葉子は、いた。
「やあ」
 声をかけて、向かいの席に座る。
 葉子はひどく塞ぎ込んでいるようであった。いつもなら嬉々として食べ進めているはずのいちごパフェも、一向に減っていないように見える。
 来たばかりなのだろうか。
 いや、そうではない。
 パフェの上に乗っているアイスクリームが、だいぶ溶けている。青の照明に照らされたバニラアイスは、まるで海のようであった。その中で、苺が辛うじて頭を出し、助けてくれと言わんばかりである。
 葉子は無言であった。
 頬杖を突き、ぼんやりと青に照らされた店内を眺めている。
 彼女が話さないのは、今に始まったことではない。しかし、いつものそれとはどうにも調子が違うような気がしたのも事実である。
 夏彦は珈琲を注文し、鞄から文庫を取り出した。
 話したいことがあれば口を開くだろうし、そもそも口を出していい関係でもない。だから、いつも通りに過ごそうと思ったのである。
 運ばれてきた珈琲を一口、二口飲み、本を捲る。
 どのくらいの時間が経ったのであろうか。夏彦のカップが二度、空になるほどの時を経て、彼女はようやくぽそりと呟いたのである。
「魚は、いないのかな」
「魚?」
 脈絡のない言葉に、夏彦は目を瞬かせる。
「そう。せっかく海の底みたいなんだから。魚がいればいいのにと思う」
「一応、飲食店だから、それは難しいんじゃないか?」
「……そっか」
 そう言ったきり、彼女はまた口を噤んでしまう。眉を寄せたその表情に、夏彦はどきりとした。どういうことか、と聞くのは簡単である。しかし、そこまで踏み込んでいいものなのだろうか。
 葉子はスプーンで溺れかけている苺を掬い上げ、再び、パフェの中に沈ませている。
 夏彦は本を閉じると、葉子の様子を見るともなく見つめていた。
「切り離された水は」
 何回目かの救出劇の後、不意に発せられた言葉に、夏彦は首を傾げた。
「流れが止まってしまったら、やっぱり腐ってしまうのだろうか」
 夏彦は顎をさすった。切り離された水、とは、どういうことであろうか。質問の意味が理解できない。
「淀んでしまうのかな。循環させないと、いけないのかな」
 ああ、と夏彦は手を打った。
「もしかして、水槽の、話か」
 葉子は驚いたように顔を上げ、ややあって、こくりと頷いた。
「俺は、そう聞いたことがある。水は流れているから綺麗なままでいられるんだと。だから、魚を飼う際には、何かそういった、循環器のような物をつけるんだそうだ」
「そっか……。うん、そうだよね」
 そう言って、葉子はまた黙ってしまう。
 夏彦は逡巡した。
 葉子の様子は、明らかに普段と違っている。何か悩みがあるのだろうか。でも、それを聞いてもいいのだろうか。
 結局、その日はそのまま閉店時間になってしまった。いちごパフェは一度も口をつけられずに終わったようだ。
 店の前で踵を返す彼女の後姿を見て、夏彦は少しだけ後悔をした。
 もしかしたら、さっきの問いは、彼女の内側から出た言葉なのではないだろうか。だとしたら、やはり、突っ込んで聞くべきだったのかもしれない。しかし、どうやって聞けばいい。そもそも、この関係自体もあやふやであるのに、そこまで聞いていいものかどうか。
 自分は、彼女にとって、どういう存在なのだろう。
 空を見上げると、靄に包まれたかのような夜空が広がっていた。
 もう冬の色ではない。
 春が、近いのだ。


  ***


「よう」
 そう声をかけてきたのは、案の定、聡だった。
 講義が終わって、さあ飯にでも行くか、と思った時のことである。
 良い天気である。
 大教室の大きな窓からは日の光が燦々と降り注ぎ、ひと続きになった机にまだら模様の絵を描いていた。
 春休みの集中講義、というものに出席していたのである。
 せっかく学び舎に来ているのだから、精一杯学ぶことが自分の仕事である。夏彦はそういう考え方の持ち主であった。高い授業料を払っているのだ。勉強する機会があるなら、進んで行うべき、との自身の信念にしたがって、彼は長期休暇も頻繁に学校に来ているのである。
 だから、聡がそこにいたことに、夏彦は少なからず驚いた。
 彼はどちらかというと、座学はほどほどに、それよりも、外に出て、様々なものを見て、糧にしていく。そういう学びを取るタイプであった。
「これから、飯だろ? ぼくも行く」
 そんなわけで、二人で食堂にしけこむことになったのである。
「実は、ウチのツレがね」
「ツレ?」
 夏彦はナポリタンをかき混ぜながら聞き返す。
「明美が」
 聡はカツ丼の上の三つ葉を箸で器用につまみ、蓋の上によけた。
「気にしてて」
「何を」
「その……例の彼女とは、最近どうなのかって」
「どうって」
 今日のナポリタンは、ウインナーが多い。ここの学食は、日によって具材が変わることで有名である。この間頼んだ時は、パスタの半量ほどの人参がぶち込まれていた。
 ごろごろと転がったその肉片をフォークで突き刺し、夏彦は思案する。
 最近、どうなのか。
 この言葉に正確に答えるのは難しい。何故なら、彼とて『どう』なのかは分からないのである。
 確かに、よく会う。彼女は夏彦を拒否しないし、会話もする。名前を呼ぶことも多くなった。けれど、自分たちは何かを約束しているわけではないのだ。
「ちょっと、変なことを言ってもいいか?」
 カツを几帳面に一口大に切り分けながら、聡は言った。妙に歯切れの悪い言い方である。
 珍しい。
 いつもの彼は、いっそ小気味のいいほどの切れ味でもって、すぱりすぱりと言うはずだ。
 よほど言いにくいことなのだろうか。
「実は、ツレと、ぼくは、以前不思議なことにあってね」
「不思議なこと?」
 いったい何の話をするつもりなのだろう。夏彦は首を傾げる。
 聡は切ったカツを箸の先で転がしながら、もう片方の手を自らの首元に持っていき、そのまま何度かさすった。
 まるで、そこにあった何かを思い出しているかのような仕草であった。
「詳しくは、話せないんだけど。まあ、超常的現象と思ってくれていい」
「はあ」
「ねえ。おかしなことを聞くよ」
「なんだよ」
「その、お前の、その、『葉子』って人は、もしかして」
 聡は、そこで一度言葉を区切った。
「……長い黒髪で。黒の革ジャン、ぴったりしたジーパンを履いている、そんな人だったりするのか?」
 まるで、そうではないことを祈るような口調であった。目は、まっすぐと夏彦を見据えている。その狂おしい光に射すくめられ、夏彦は言葉を飲み込んだ。
 その通りの人であった。けれど、それを伝えてはいけないような気がした。もし伝えてしまったら、何か、とんでもないことが起こる。そんな気配すら感じていた。
 黙ってしまった夏彦を見て、思うところがあったのだろう。聡は、奥歯に物が挟まったかのような口調で、ぼそりと呟いた。
「もし、お前が、ぼくが言った通りの人と親しくしているようなら――」
 聡は、目を閉じる。
「――やめておいた方が、いい」
 夏彦は何も言えなかった。
 やめる、も、何も。
 ナポリタンを一口、含む。味はほとんど感じられなかった。それなのに、口の中には嫌な酸味ばかりが残る。
 よく、分からない。
 そんな夏彦に何を思ったのだろう、聡は軽く、じゃあ、と言い、カツ丼にほとんど手を付けぬまま食堂を後にした。


 聡の後姿を目で追いながら、夏彦は考える。
 何を示唆されているのかも、正直分からない。しかし、彼は信頼できる男である。そして、あの言葉が自分を気遣ったうえでの言葉なのも、彼にはよく分かっていた。
 だからこそ、解せない。
 聡は、言いたいことに遠慮はしない。夏彦のことを考えた上で忠告するのであれば、もっと具体的に言葉を落とすはずである。
 超常的現象と彼は言ったが、それがいったい葉子と何の関係があるのだろう。


  ***


 その日の晩のことである。
 夏彦は暗闇の中で、ぽっかりと目を開けた。様々なことが頭を駆け巡り、すっかり目が冴えてしまっている。
 時計を見ると、朝の四時であった。
 夏彦はむくりと起きあがる。
 考えていてもしかたがない。こういうときは、外に出た方がいい。
 行こう。久しぶりに。
 海を見に、行こう。
 早朝の海は、相変わらず静かであった。春とはいえ、この時間はまだ寒い。夏彦は着ているジャケットの襟を合わせるようにした。
 そういえば、初めて葉子に会った時も、この浜辺であった。彼女はここで、いったい何を見ていたのだろう。
 薄紫に染まる海原は、一定の音楽を保っている。まるで鼓動のようだ。ただ静かに、寄せては返しを繰り返し。
 どれだけの年月を、この波は繰り返しているのだろう。そこにあるのは、同じ水なのか、それとも違う水なのか。留まってしまったら、この海は海でなくなるのか。そんなことを考えて、夏彦は迷子のような心細さを覚えた。
 人は、海から来て、海に還る。
 深い青の底に沈み、手足はヒレに変わり、人間の皮を破り捨てて、深く、深く。
 ――人魚。
 ふと、思い出した。
「肉を食べると、不老不死になるって話だ」
 そう言ったのは、聡であった。古書で見た人魚が気になって、聡に訪ねた時の事である。食堂でカレーライスをつついていた彼は、首を傾げ、暫く何かを思い出そうとするそぶりをみせる。やがて紡がれた言葉が、それであった。
 ――不老不死。
「西洋と東洋では随分と違うようだけれどね。日本ならば、それが有名だ」
「へえ」
「だから、捕まえようとする人が多かった。しかし、捕まえたら捕まえたで、その人、あるいは村に、良くないことが起きる」
「ちょっと待て、その前に。――人魚は、いるのか」
「いるのか、って?」
「つまり、その。実在するのか、という意味だ」
「ナンセンスだな」
「しかし」
「お前も文学が好きなら分かるはずだ。いる、いないの問題ではない。いると書かれていることが重要なんだ。つまり」
 聡はそこで一度言葉を区切った。
「信じていること。それが一番大切だ。いる、と描かれているのなら、その当時の人にはいる存在だったのだろう」
 話を戻そう、と聡はスプーンで皿を叩いた。
「では。なぜ食べると不老不死になるか、と言う話だけれど。ぼくが思うに、海の印象に関係あるんじゃないかと思うね」
「海」
「そうだ。海の、波を見るとわかるだろう。寄せては返しというけれど。あの動きは永遠を連想させるに相応しいものなのだと思う」
「ああ」
「それに。海は、異界だしな」
「異界?」
「そう。常世の国だとか、ニライカナイだとか。つまり、海の向こうには理想郷があって、そこでは皆不老不死で幸せに暮らしている。そんな考え方が基盤にあるんだ」
 聡は、こういう話になると普段以上に饒舌になる。夏彦も、彼のこういう話を聞くのは好きであったので、ミルクセーキを吸い上げながら、話の続きを促した。
「そこに現れる不可思議な生き物――人でもなく、魚でもない。それを見た人が、不老不死の国から来たのだと思うのも当然の流れだ」
「ああ……」
「だから、それを食せば、その力を――つまり、不老不死の力を、そっくりそのまま体内に取り込むことができる、と考えたんじゃないかな」
 聡は見せつけるように、カレーから肉片をひとつ掬い上げ、ぱくりと口に入れる。
 夏彦は胸を撫でた。思った以上に、気味の悪い話だ。
 今の話を反芻する。
 要約すれば、不老不死のイメージは海から来ているのだということだろう。それならば、人魚を食すことは、海を食べることでもあるのかもしれない。
 それは、何となくしっくりとくる考えであった。
 海の律動ごと体内に取り込んで、血液の代わりに潮でもって、その寄せ返す波を鼓動の代わりとする。そうすれば、体内に永遠の海が完成するという寸法だ。
「羨ましいと思うか?」
 唐突に、聡が呟いた。先程の、滔々と話していた口調とは少し違った、どこか切なげな響きを持った言葉であった。
「何が」
「不老不死。お前は、どう思う」
 夏彦は考える。
 もし、自分が、余命幾許であれば。今日明日で儚くなることが分かっているのなら、それを望むのかもしれない。しかし。失うものがほとんどであろう。家族も、恋人も、友人も、皆自分より先に死んでしまう。時代も変わる。時の流れに切り離され、もう『自分』を知る人が一人もいなくなる。そんなことに耐えられる人間がいるとは到底思えなかった。
「俺は、ごめんだな」
「そうか。……ぼくもだ」
 そう頷いた聡が、どこかほっとした表情であったのを、夏彦はよく覚えている。


 海が、きらりと光った。
 夜明けが近いのだ。
 吐く息が、白い。暁にすうと溶けていく。その息の先を視線で追って、彼は息を呑んだ。
 葉子が、いた。
 ほんの数メートル先である。いつからいたのだろうか。海原の金に溶けるように、彼女はそこに佇んでいた。
 海を、見ているようであった。風に乱れた長い黒髪、その一本一本が金に染まっている。
 まるで、物語のようだ。
 かつて読んだ様々な絵本、小説、戯曲、なんでもいい。その印象的な一頁のように、忘れられない挿絵のように。海と、葉子の後姿は、ただそこに存在していた。
 たなびく髪をつうと抑え、葉子はゆっくりと振り返る。
 夏彦は、動けない。
 同じだ。初めて、葉子と会った時と。
 音の一切を吸い込まれたかのような感覚。
 波の音も、海を渡る風の音も、最早、遠い。

 目が、合った。

「……夏彦君?」
 少し低い、掠れた声。
 沈丁花の香り。
「――随分、早いね」
 黒曜石の瞳が、濡れ濡れと光っている。
 駄目だ、と夏彦は唇を噛みしめる。どう足掻いても、もう否定できない。自分の心は、この人を欲している。
 手に入れたい。つなぎ止めたい。自分だけの物にしたい――。
 夏彦は一歩踏み出した。
 足元で、砂がきしりと音を立てる。
 耳奥で聞こえるのは、血の音か。
 いや、違う。
 これは海だ。
 夏彦の体の中に、海があって。
 それが今、耳元に響いてきているのだ。
 夏彦は無言であった。
 もう一歩。手を伸ばせば、彼女に届く。
 葉子の、黒曜石の瞳に、夏彦が映っている。
 その瞳ごと飲み込むように、夏彦は、葉子を抱き締めた。
 思った以上に、その体は細く、頼りなかった。
 彼女は一瞬身を固くし、むずがるように体を捩る。それを抑え込むように、夏彦は腕の力を強めた。
「葉子さん」
「……放して」
「葉子さん、聞いて」
「いやだ」
「俺は、あなたが」
「やめて!」
 悲痛な叫びであった。
 夏彦の腕の中で、葉子は体を震わせている。強くなる沈丁花の香りに眩暈がした。
「後悔すると分かっていた」
 呟かれた言葉に、夏彦は目を見開いた。
 湿度の高い音であった。ほとんど泣き声と言ってもいい。表情は分からない。俯いた彼女の黒髪から、白いうなじが覗いている。
「ごめんなさい」
「……なんで謝るの」」
「私は何度、同じことを繰り返すのだろう」
「葉子さん」
「罰が当たったんだ」
「葉子さん、何、言ってるの」
「あの時、あれを口にしなければ……違う」
「何」
「いっそのこと、私が本当に人魚なら」
「葉子さん」
「この肉を君に食わせたのに」
 抉るような言葉であった。心の奥底の、濁ったものを吐き出すかのように、彼女は呟いた。
「私は切り離された水だから」
「何を、言っているのか、分からない」
「流れないと、腐ってしまう」
 そう言って、葉子は顔を上げ、ゆったりと微笑んだ。
 世にも優しい、慈悲の笑みであった。
「もうきっと、君には会えない」
 そっと解きほぐすように、彼女は彼の腕から抜け出した。金色に染まる海原を背負ったその女性は、ぞっとするほど美しかった。
「ありがとう……ごめんなさい」
「待って」
 引き止めなければいけない。そうしないと、もう二度と、彼女には会えない。
「どうか、覚えていてほしい。私の最後のお願い」
 金に滲む空に、彼女の体が溶ける。絵の具に水を落とした時のように、輪郭が曖昧になっていく。
「……人として生まれたのだから」
「葉子さん!」
「しあわせに……」

 伸ばした指先は、届かなかった。金に染まる世界に、彼女は。
 泡のように。
 ぱしゃり、と。
 溶けた。




 夏彦は暗闇の中で、ぽかりと目を開けた。
 ――夢か。
 喉が、乾いている。張り付いた気管に息を通すように、彼は大きく咳をした。視界が滲んでいる。どうやら泣いてしまっていたようであった。何か、酷くつらい夢を見ていた。寝ながら泣くだなんて、まるで子どものようだ。
 今は、何時だろうか。
 むくりと起きあがり、台所に向かうと、彼は蛇口を捻る。流れ落ちる水に、海の音が重なった。
 シンクに渦を巻く、水の流れを見て、彼は。
「……ああ」
 夢か、現か。分からないけれど。
 きっと。


 それから、夏彦が、葉子を見ることはなくなった。


  ***


「やあ、久しぶり」
 呼び鈴の音に振り返ると、幾分老けた顔がそこにあった。
「植草! 久しぶりだなあ」
「すごいな」
 聡はそう言うと、ぐるりと店の中を見回すようにした。照明の代わりに、壁や柱に埋め込まれたアクアリウムが、青や緑の光で店内を照らし出している。
 水槽で泳ぐ、色とりどりの魚を目で追って、彼は破顔した。
「海の中みたいだ」
「だろう?」
 夏彦は得意げに笑ってみせた。
「まさか、本当に開くとは思わなかった」
「俺も、お前が来るとは思わなかった」
 そういうと、聡は椅子に腰かけながら、笑った。
 今日は、カフェのプレオープンの日であった。朝からどたばたと準備をしていたが、それもようやく落ち着いて、あとは時間を待つのみ、という案配だ。
 大学を中退し、調理の道に入ると言った時も、聡は何も詮索しなかった。そのことがあの当時の夏彦にはただただありがたかったのである。
 思えば随分遠くまで来たものだった。がむしゃらに修行し、免許を取り、ようやく自店を持つことができたときは、嬉しさよりもむしろ、ほっとしたものであった。


 夏彦がこだわったのは、海の底をコンセプトにするということだ。本物の魚を眺めながら、ゆっくりできるカフェを作ろうと、そう決めていた。
 アクアリウム・カフェ、ということで、そこそこの注目を浴びているのだという話であった。それで、開業前なのにも関わらず、雑誌の取材が入った。今回のプレオープンに、作家を呼んで、記事を書いてもらうことになったのである。
 その作家の名を聞いて、夏彦は仰天したものだ。
「売れっ子だもんなあ、植草先生よぉ」
「おかげさまでね」
 聡は端正な顔をにやりと歪めた。まったく、変わらない、この男も。学生のときのまま、時間が巻き戻ったかのようである。
 ちくり、と差し込む胸の痛みに気がつかないふりをして、夏彦は笑った。
「頼むぞ、先生」
「任せろ。いい記事にしてやるから」
 そう言って、聡は持参の花束を渡した。
「これ、開店祝い。明美も喜んでたぞ」
「ああ、明美さん。元気かい? 一緒に来ればよかったのに」
「それが、あいつ。今、こうだから」
 聡は笑って、腹のあたりを撫でた。幸せそうな様子に、夏彦は破顔する。
「もう少ししたら、始まるから。もう少しだけ待っててくれな」
 そう言って、厨房に戻ろうとした時の事であった。
「ちゃんと、書くからな」
「え?」
「きっとあの人の目にも、止まるはずだ」
 夏彦は、そっと目を伏せる。
 長い黒髪。すらりとした姿。少し低い声。沈丁花の香り。一度たりとも、忘れたことがない、その姿を思い浮かべて、夏彦は笑った。
「誰の事だ?」
 そう言い放つと、聡は、やっていられない、と言わんばかりに、眉を下げ、肩を竦めた。


 月日は流れていく。
 体中に満ち満ちていた若さも、無鉄砲さも、年齢と共にすうと潮が引いていくようだった。
 ――もう随分と、歳を取った。
 夏彦は椅子に腰かけ、アクアリウムの光に満ちた店をぼうっと眺めていた。
 よくぞ、ここまで続けていけたものだ。幾分古くなった調度は、その年月の分だけ重さを増し、煌やかに輝く熱帯魚の群れも、もう何代目になったのかは分からない。
 白が混じった髭を撫でつけ、彼はよいしょと腰を上げる。
 外は良い天気であった。
 朝である。初夏の、まだ柔らかな日差しが、窓硝子越しに店に模様を描いている。アクアリウムの青と、あたたかな陽光が溶け合って、まるで南国の海のようだ。
 新聞の天気予報では、午後は崩れるとのことであった。
 雨宿りのために、少し混むかもしれない。アルバイトの子は、今日は休みである。
 夏彦は厨房に入った。少し多めに仕込みをした方がいいだろう。
 そうして、ゆるゆると店を開けていたのだ。
 どうやら、天気予報は当たったようで、午後になって幾許もしないというのに差し込む光に陰りが見えた。
 雨になるのだろう。
 夏彦が重い腰を上げて、傘立てを準備していた時の事であった。
 呼び鈴が、鳴り、入ってきたのは、男女のペアであった。男の方は常連だった。爽やかな出で立ちの、好青年然とした、気持ちのいい客である。
 いつもは一人で来るのに。女づれは、初めてではなかろうか。
「いらっしゃいませ」
 ほぼ機械的に声をあげ、夏彦は――絶句した。
 ――おごりますよ。何でも好きなものを頼んでください。
 ――いちごパフェ。
 ああ。
 長い黒髪。黒いジャケットにジーンズ。黒曜石の瞳。
「すみません、注文、お願いします」
 青年が手を挙げている。
 そんなことより、彼の前に座った女性は。
 記憶の時のままの。
 ――そんな。まさか。
 ――何年前だと思っている。
 夏彦がきちんと注文を取りに行けたのは、彼の意志が強かったからではない。体に染みついた、何十年もの経験が、彼を動かしただけである。女性は、震える手の夏彦を見て、何を思ったのだろう。軽く目を見張り、そっと、目を伏せた。その悲し気な黒曜石の瞳は、あの時のままであった。
 ――いっそ私が本当に人魚なら。
 そういう、ことか。
 そういうことなのか。
 厨房に戻った夏彦は、冷蔵庫から苺を取り出し、丁寧にカットした。透明な、足の高い器にババロア、シリアル、バニラアイス、ホイップクリームを乗せ、その上に、先ほど切った苺をたっぷりと乗せる。
 口元が、歪んだ。
 こらえきれずに、嗚咽となった。
「――葉子、さん」
 きっともう、呼んではいけないのだ。あの彼女と、この彼女を線で結んでしまったら、今度こそ彼女はいなくなってしまう。
 運んだパフェを、彼女は嬉々として食べる。夏彦はその姿を、そっと横目で眺めていた。

 これでいい。
 この距離で、いいのだ。


  ***


「マスター、いちごパフェ、ひとつ」
「あ、いつもの人か」
 夏彦は冷蔵庫から苺を取り出し、慣れた手つきでカットを始めた。
「いつもの人?」
「そう、常連、べっぴんさんだよねえ」
 話しながら夏彦はパフェを仕上げていく。
 もしも彼女が、切り離された水なのであれば。この場所が、葉子にとって、海であればいい。そんなことを考えながら、夏彦は微笑んだ。

 運ばれたパフェを見て、彼女は、笑った。
 世にも優しい慈悲の笑みだった。

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