俺はデビューに関して、あー姉ぇから説明を受けていた。

 まず、モデルについて。
 これまで使っていた真っ白なアカデミックガウン少女のイラストはすでに『イロハ』の代名詞になっている。

 なので、デザインはほぼそのままでいったほうがいい、とのこと。
 ただしその際はプロに依頼すべきだ、と言われた。

 『姉ヶ崎モネ』は今でこそ大手事務所の所属だが、最初は2Dモデルを自作して個人VTuberとしてデビューした経緯がある。
 それほどの画力を持ちながらも、あー姉ぇに言わせれば「あくまで趣味レベル」らしい。

「普通の個人勢デビューならそこまで気にしなくてもいいんだけどね。素材とかも全部フリーのやつでいいし。けどイロハちゃんの場合、期待値がちがうから」

 そのセリフには経験者としての言葉の重みがあった。
 個人勢と大手所属、酸いも甘いも噛み分けたゆえの実感がこもっている。

「その辺はコネあるから任せて」

 しかしプロに依頼するとなると、かなりの費用がかかるんじゃ? と不安になる。
 あいにくそんなおこづかいはない。

「それについては心配いらないよ。デビューに必要な費用は全部、あたしが出すつもりだから」

「え!? さすがにそこまでは。デビューしろって言ったのはたしかにあー姉ぇだけど」

「安心して。動画がバズったおかけで、予想外の収益が見込めたの。動画広告や投げ銭だけじゃなく、切り抜きもあたしたちに一部収益が入ってくるんだよ」

「へぇ〜、知らなかった」

「そこから出すから大丈夫。イロハちゃんが自分で稼いだようなものだし遠慮しないでね。むしろ今まで見合ったお礼ができてなくて申し訳なく思ってたんだよね。小学生に現金渡すのもちょっと、だし」

 俺としちゃあサイン以上に価値のある報酬もないわけで。むしろ、貰いすぎだとさえ思っていたのだが。
 このあたりの価値観は人によりけりだな。

「あとはここだけの話、税金対策。もうちょっと経費としてお金使っときたいんだよね」

 あー姉ぇはそう言って茶目っ気のある笑みを浮かべた。
 曰く、VTuber業というのは税金対策の難しい職種なのだとか。そういう意味で俺への投資は非常に”割がいい”そうだ。

「言っとくけど、必要なのはモデルだけじゃないからね?」

 あー姉ぇがモニターをこちらへ向けてくる。
 そこにはデビューに必要なものがリストアップされていた。

「機材だけでもデスクトップパソコン、モニター、マイク、ヘッドホン、webカメラ、オーディオインターフェース……」

 あー姉ぇが文字を指でなぞりながら読み上げる。

「画像編集ソフト、動画編集ソフト、モーショントラッキングソフト、配信ソフト……待機画面、配信画面、終了画面、オープニング動画、画面切り替え演出、待機BGM、配信中BGM、配信終了後BGM、ロゴ……」

「待って、頭が追いつかない」

「まだ序の口だよ? PCの設定、トラッキングの設定、配信ソフトの設定、一番大変なのは音声まわりの設定かな。あとトゥイッターのアカウントを作って事前に宣伝するのも必須。あ、宣伝用の画像や動画も用意しないとね」

「う、うん」

「もちろんMyTubeのチャンネルを開設しなきゃはじまらないし、自己紹介動画も撮らないと。デビュー配信の翌日はすぐにあたしのチャンネルとコラボして、そこから視聴者の導線引いて……いや、変則的だけどコラボ配信のあとに自己紹介動画を公開したほうが……ぶつぶつ」

「ひぇぇ〜!?」

 VTuberデビューってこんなに大変なのか!?
 世の中には星の数ほどのVTuberがいると言われているが、みんなこれを乗り越えているのか!?

「安心して。今回はアドバイザーとしてあたしがいるし大丈夫。あたしがひとりで……まぁ、ちょっと人に手伝ってもらったりもしたけど、そのときのデビュー作業に比べれば億倍カンタンだよ。しかもスタートダッシュが確約されてる。なんてイージーゲーム。ふふふ……」

「ひっ!?」

「あたしもマネージャーから許可取れたしオールグリーンだね。早ければ1ヶ月後にデビューだから。……あ。準備中もこれまで同様コラボ配信は続けるからね? ネタの提供は途切れさせないのが命」

 あー姉ぇの目が据わっていた。
 今さら「早まったかも」と思ってももう遅い。

 ガッチリと肩を掴まれていた。
 魔王からは逃げられない。なぜかそんな言葉が頭に浮かんだ――。

   *  *  *

 そこからはバタバタだ。
 なんたって、やることの多いこと多いこと。

 意外にも一番大変だったのは、親の許可を得ることだった。
 のちのち収益化するとき未成年者だけじゃダメらしく、あー姉ぇからは「必須」と言われていた。

 最終的には、俺が学校のテストで1ヶ月間すべて満点を取ったら許可してもらえることになった。
 ……なじぇえ?

 どうしてこんな展開になったのかはナゾだが、思い返せば俺が子どものころもこういう交換条件はあった気がする。
 いつの時代も親が子どもに求めるものは大差ないのかもしれない。


 とはいえ、言うは易く行うは難し。
 小学校のテストといえどすべて満点を取ろうとすると、意外とこれが侮れなかった。
 おかげで俺はデビュー準備と並行して学業に打ち込むハメになった。

 ……ハメに?
 あれ? 小学生は学業が本業なのでは???

 そんな疑問はさておき、俺はマジメに授業を受け予習復習をし――。

   *  *  *

 そして、ちょっと遅れて1ヶ月半後。

「――はじめまして、”翻訳少女イロハ”です!」

 俺は本格的なVTuberデビューを果たしたのだった。