あんぐおーぐが日本にやってきて3日目。
 俺たち4人……俺とあんぐおーぐとあー姉ぇとマイは夏祭りに来ていた。
 せっかくだから、とみんな浴衣姿だ。

《すごいすごい! めっちゃきれいだし、かわいい! ”キモノ”いいな! それに”ヤタイ”も最高! おもしろいものがたくさんある!》

 あんぐおーぐが楽しそうにはしゃぎ、出店を覗き込んでいる。
 あー姉ぇが彼女のかわりに商品を注文してあげていた。
 俺はそんなふたりをよそ目に、「マ~イ~」とにじり寄っていた。

「お前~、あー姉ぇの寝相の悪さ知ってたな~?」

「ななななんのことかなぁ~!?!?!? ししし知らないよマイはなんにもぉ~!?」

「じぃ~っ」

「うっ……あ〜うぅ〜。イロハちゃん、たこ焼き食べるぅ~?」

 たこ焼きを「あ~ん」と差し出された。
 爪楊枝にぱくりと食らいつく。

「熱っ……はふっ、はふっ」

 悶えながら咀嚼する。まぁ、醍醐味ってやつだ。
 うーん、うまい!

「しゃーない。許してやるか」

「ほっ」

「……」

 しばしの静寂。祭囃子がこだまする。
 俺たちの視線の先では、あー姉ぇとあんぐおーぐとが「わーっ!」《ぎゃーっ!》と騒いでいた。

 あー姉ぇが姫りんご飴を買って差し出し、あんぐおーぐは「また”カリカリウメ”でショ!」と警戒する。
 そんな態度に、あー姉ぇは爆笑している。

 じつは、ずっと聞きたかったことがある。
 けれど聞きづらかったこと。

「なぁ、マイは自分もVTuberをやろうとは思わないのか? わたしたちの活動、知ってるよな?」

「うん、知ってるよぉ~。お母さんたちはVTuberのことよくわかんなかったみたいだけど、マイは配信しはじめたころのお姉ちゃんを見てたから。というか最初、お姉ちゃんの配信手伝ってたし」

「え? そうだったの!? じゃあなんで」

「ムリムリムリ! マイ自身が配信するのはまったくのべつだよぉ~! マイは配信とか向いてないもん! そういう人前でおしゃべりとか本当に苦手で! お姉ちゃんにも誘われたことあるけど断ったしぃ~」

「知らなかった」

「でしょぉ~。マイはねぇ~、毎日コツコツと学校に行ってお勉強するほうが好きなんだぁ~。……えへへぇ~。こうやって挑戦しないのは臆病かなって思ったけど、お姉ちゃんが言ってくれたのぉ~」

 マイが視線があー姉ぇの背中を追っていた。
 それはおそらく、憧れではなく尊敬のまなざし。

「『どっちの人生のほうがエラい、なんてのはないんだよ!』って。『マイはマイの進みたい人生を進め!』ってぇ~。だからマイはこのままでいいの。このまま()いいんだぁ~」

 マイは「まぁ、まだ将来やりたいことなんて決まってないんだけどねぇ~」と照れたように笑った。
 俺は正直マイのことを見くびっていた。

 ……いや。”子ども”を見くびっていた。
 彼ら彼女らはその小さな身体で、しかしすでにたくさんの物事を考えながら生きているのだ。

《イロハ! そろそろ時間だってさ! 行くぞ!》

「ほらマイ、行くよ!」

 俺はあんぐおーぐに、マイはあー姉ぇに手を引かれる。
 連れていかれたのはすこし高台になった場所。

《さん、にぃ、いち……》

 夜闇のキャンパスにカラフルな花が描かれた。
 音と衝撃が俺を身体の芯まで揺さぶった。

《”ターマヤー”!》

 あんぐおーぐが叫ぶ。なんだか俺も叫びたくなって、一緒になって声を出した。
 いつもはめんどうくさい夏休みの日記が、今日はすぐにでも書きたい気分だった。

   *  *  *

《この3日間、本当に楽しかった! みんなのおかげだよ。ありがとう!》

 俺たちは空港まであんぐおーぐを見送りに来ていた。
 アメリカ行きの最終便が出るまでもう時間がない。

《お~ぐ~、本当に帰っちゃうの?》

《あーもう、泣くなよー。べつに今生の別れってわけじゃないんだしさ》

《いや、泣いてねーし》

 俺はそう言って目元を拭った。
 この3日間はあっという間だった。
 なのにもう、おーぐと一緒にいるのが当たり前とさえ感じるようになっていた。

《そうだ、これ。結局ドタバタして渡せてなかったから》

《あっ、サイン! ……ありがとう》

 しばし、ふたりして無言になる。
 やるべきことが全部終わってしまった。

 これで本当にお別れなんだという実感が湧いてくる。
 ぽつり、と呟くようにあんぐおーぐが口を開く。

《今回の旅行は期間が短くて、ちょっとしか観光をできなかった。けど、次は1週間ぐらい休みを取って来るつもりだから! そのときは日本中を回ってご当地グルメを食べ歩くんだ!》

 あんぐおーぐは視線を窓の外へ向けた。
 その声はかすかに震えていた。

《おーぐ?》

《日本の夏は経験できたから、次は春にしようかな。それで桜を見に行くんだ。そのまた次は秋に来て、紅葉を見る。これでお別れじゃない、ワタシはこれからも何度も日本に来るから。だから――》

 あんぐおーぐが視線をこちらに向けた。
 そのまなじりには今にも溢れんばかりの涙が溜まっていた。

《だから、イロハも絶対にアメリカに来いよ!》

《……!》

 俺がアメリカに?
 考えたこともなかった。

 いや、人生で一度だけアメリカに行ったことがある。
 その結末は悲惨なものだったが……。

《わかった。必ず行くよ》

《約束だからな!?》

 空港のロビーにアナウンスが響く。
 もう時間だ。

《……じゃあ、行く》

《……うん》

 あんぐおーぐが背を向けて歩き出す。
 その背がどんどんと小さくなっていく。

 これでお別れ? 本当に?
 まだなにか伝えるべきことがある気がした。

 けれど、俺にはその感情をどう言語化すればいいのかわからない。
 ただ気づいたときには彼女の名前を呼んでいた。

《おーぐ!》

 あんぐおーぐが振り返る。
 まるで、そのひと言を待っていたみたいに。

《イロハ!》

 カバンを放り投げ、こちらへ駆け戻ってくる。
 そして、どんっ! と体当たりするかのように俺へと抱き着いた。
 俺は彼女をぎゅっと受け止めた。

《イロハ、絶対にまた会おう! 絶対にまた会おうなっ!》

 そう、あんぐおーぐは俺へと顔を近づけてきた。
 俺は《え?》と反射的に振り向いた。瞬間――。

《んぅ!?》「んぐぅ!?」

「あ」「ぎゃぁああああああぁ~!?」

 あんぐおーぐの目が驚愕に見開かれる。俺も同じような顔をしているだろう。
 あー姉ぇがポカンと口を開け、マイが悲鳴を上げた。

《「うわぁあああ~~~~!?」》

 俺とあんぐおーぐは同時に跳び退った。
 まるで鏡映しのように、ゴシゴシと服の裾で口元を拭う。

《な、なななっ!? なにするんだ、おーぐぅううう!?》

《ち、ちがっ!? ワタシはただ気持ちが昂っちゃって、それでチークキスしようとしただけで!》

《やっぱりキスじゃないか! この発情ゾンビ!》

《ちがうっ! チークキスっていうのはほっぺた同士を引っ付けるだけ! くちびるは引っ付けない! イロハが振り向いたのがいけないんだろ!? スケベはイロハのほうだ!》

《なっ、なにおぅ!? 今のはおーぐが――!》

《いやいや、イロハが――!》

「ま、まままマイのイロハちゃんがぁ~~~~!?」

「あははははは!」

 さっきまでの感動的な雰囲気はどこへやら。
 結局、俺たちの別れはずいぶんと騒がしいものになった。

 けれどもう寂しくはなかった。
 また会える。そんな確信があった。

 ……あ、ちなみにあんぐおーぐにキスされたことは配信でバラした。
 すぐさまあんぐおーぐがコメント欄に現れ必死に弁明したが、遅い。

 あっという間に切り抜かれ、それは過去最高の再生数を叩きだした。