寝室に辿り着くころには侍女たちも気を取り直していたようで、素早く内衣(したぎ)を広げて待ち構えていてくれた。お陰で、茜華(せんか)は肌を晒さずに人の姿に戻ることができた。昇暉(しょうき)には、男の癖に侍女に世話を焼かれる軟弱者と思われただろうけれど、それはもうしかたない。

 破れた五彩羽衣(ごさいのはごろも)も医師に見咎められる前に回収できたし、脈と顔色を診せるだけで、怪我はないと信じてもらうこともできた。それでも動揺と衝撃による発熱を鎮めるために薬を出された、翌日──茜華は、横になったままで昇暉を迎えた。

(身に余る光栄なのかも、しれないけど……!)

 籠の鳥に過ぎない身を、皇帝直々に見舞ってくれるなんて。怪我人だからと、平伏しなくても許されるなんて。でも、茜華としては薄い夜着で男と対峙しなければいけないのが居たたまれない。彼女の細い首や肩に目を止めた昇暉が、軽く目を瞠っているからなおのこと。

「鳳凰族というのは、男もかように細身なのか」
「ええ……まあ、おおむね……」

 ゆったりとした(ほう)なら、もっと身体の線を隠すこともできたのに。この格好では、女と露見しないためにはいつも以上に声や言葉遣いに注意しなければならない。

「不躾に触れたのは非礼であったな。……もうしない」
「恐れ入ります」

 たぶん、男なら女のように扱うな、と憤るべき場面なのだろう。でも、茜華にそんな勇気はなかったから従順に目を伏せるだけだ。願わくば、まだ調子が悪いと思って早く帰ってくれれば良い。でも、茜華の枕元に腰を据えた昇暉は、立ち上がる気配を見せなかった・

「……鳳凰は龍を(たす)け、その翼は玉を示す」
「昨日仰っていましたね」

 あまつさえ独り言のように呟くから、反応に困る。しかたなく相槌を打つと、昇暉は頷いた。

夏霄(かしょう)の祖は龍だったという。歴代の皇帝にも龍と化して雨を呼んだ者もいたし、玉璽(ぎょくじ)は龍の頚の珠から造り出したのだとか。……お伽話だろうが」
「はあ……」

 鳳凰族を前にして、よくもお伽話だなんて言えると思う。とはいえ、ただ美しくてそれを飛べるだけの鳳凰と比べれば、確かに天候を操る龍は神の域に近いのかもしれないけれど。
 話が見えなくて、指先で(しとね)(いら)う茜華の耳に、昇暉の淡々とした声が降り続ける。低く、堂々としたはずの──でも、どこかしら、何かに耐えるような気配もあるかもしれない。

「祖父までの皇帝は伝承と祖を重んじたが、父はそれらを迷信と断じた。祖父と父の間ではだいぶ揉めたらしく、祖父は崩御する前に玉璽を隠した。父がどれだけ探しても見つからず、今は新しく造ったもので代用している。……そのような有り様だから国が乱れるのだと言う者も、いる」
「だから私が呼ばれた、のでしょうか」
「そうだ。それに、祖父の遺言だ。鳳凰は龍を、と──だから、鳳凰が()えれば失われた玉璽がどこかから現れるやも、などと考えるのだろう」

 緋桜(ひおう)の話だと、皇帝と異なる考えの臣下も多いようだ。その実際のところを聞いて、茜華は言葉が出ない。彼女が召された理由は、思いのほかに根深いところにあったらしい。

(玉璽の行方が鳳凰に懸かっていると思われていたなら、緋桜様も気に病む、か……)

 茜華は、皇帝の権威が足りないがために翻弄されたと思って憤った。けれど、これでは昇暉というより祖父君と父君の責が大きい気がする。

(そう思うと気の毒、かも……?)

 空から見下ろした昇暉は、掌に乗るほどに小さく見えた。限りなく強い権を持つはずの皇帝も、地に縛られているという点ではただの人だ。自らの意志によらず、重荷を背負わされているのだと思うと手を差し伸べたくなる、けれど──

「……そなたはそんなことに巻き込まれたのだ。心を踏み躙り、あまつさえ矢で射られるとは。すべて俺の不徳の致すところ、許せとはとうてい言えないが──」
「皇帝陛下のなさることではありません。お止めください!」

 昇暉が頭を下げようとするのを見て、茜華は狼狽えた。襟元が乱れる心配さえしなくて良かったら、玉体に触れる非礼を犯していたかもしれない。でも、秘密を抱えた茜華は寝台の上で縮こまることしかできない。辛そうな顔の昇暉を慰めることは、できないのだ。

「傷が癒えたら玉泉に戻れ。緋桜が望むなら一緒に行かせる。鳳凰族は変わらず庇護しよう。ほかに、望みはあるか」
「……いいえ」

 願ってもない申し出なのに、まったく嬉しくないのはどうしてだろう。自分の気持ちが分からないまま、茜華は昇暉が立ち去るのを見送ることしかできなかった。

      * * *

 金の檻がいかに豪奢でも、その隙間から見る空は狭く、くすんで見えた。それでも窓辺を離れない茜華に、緋桜が心配そうに寄って来る。

「姉様、また空を飛びたいのですか? でも、あの──」

 彼女が射られた時のことを思い出したのか、声を震わせる少女の頭を、茜華はそっと撫でた。

「そうじゃないんです。上空から見た皇宮を思い出していて──やけに整っていたな、と思って」
「それは、皇宮ですもの……?」

 建物が美しいのも庭園に手がかかっているのも当然のこと、と。首を傾げる緋桜に、茜華は苦笑した。

「何というか……絵のようだ、と思って。もっとしっかり見ておけば、ちゃんと模様になっていそうだったんですよね。鳳凰くらいしか見ることができないのに不思議ではありませんか?」
「それは……かつて後宮にいた鳳凰のために、なのでしょうか?」

 緋桜の推理は、茜華も既に考え、そして却下したものだった。

(献上品に過ぎない鳳凰に、そこまで気を遣うはずがない。じゃあ……?)

 皇宮が誰のものかと問えば、言うまでもなく皇帝のため、だ。空から見てさえも美しく作り上げたのは、建造された当時の皇帝を楽しませるものではなかったのだろうか。

(夏霄の皇帝は龍の末裔……!)

 考えは、ほぼ纏まっている。あとは茜華に勇気があるかどうかだけ。一歩を踏み出すため、背中を押してもらうため、茜華は幼い同族の力を借りたかった。推理を打ち明けて、賛同してもらえるかどうか確かめたかった。

「鳳凰は龍を(たす)け、その翼は玉を示す──先々帝が遺したという言葉の意味を、考えているんです。玉璽をどこに隠したのか、どうして見つからないのか」
「……はい。このままでは昇暉様がお気の毒で」

 茜華に弓を向けた犯人も、まだ見つかっていないのだという。皇帝の意を押し切って茜華を──鳳凰を迎えさせた者たちがいるのと動揺に、皇帝の意に反しても先帝の志を堅持する者たちもいるらしい。そして、彼ら(?)を匿う者たちも。

(苦労、してるんだろうなあ)

 胸に走った痛みを深呼吸で宥めてから、茜華は緋桜を覗き込んだ。

「お辛いことを聞いてしまうかもしれませんが。緋桜様のご両親も、鳥の姿になったことがないのでは? 一方で、先々帝の御代では鳳凰は自由に皇宮の空を舞っていたのではないですか?」
「ええ……そのように、聞いていますけれど。──姉様」

 言葉を紡ぐうちに目を見開いた緋桜は、賢い子だ。推測が突飛なものではなさそうだと知って、茜華は勢い込んで続ける。

「鳳凰が空から見れば、玉璽の隠し場所が分かるのかもしれません。先々帝は、先帝が御心を変えることを期待して、そのように企まれたのかも」

 かつて後宮にいた鳳凰たちは、先々帝に空からの眺めを伝えただろう。飛ぶ力を持つ者だけに許された美景は、夏霄の皇帝たちが伝説通りに龍に変じたことの証拠。──先帝は、鳳凰の翼を禁じることで、その証拠を握りつぶそうとしたのだろう。

「姉様、では……! ……でも、あの」

 顔を輝かせた後で、緋桜は愛らしい顔を曇らせた。また飛んで探してみれば良い、とは気軽に言えないことに気付いたのだろう。

 鳳凰の姿を現わせば、また弓で狙われるかもしれない。それ以前に、五彩羽衣は破れてもう使えない。茜華が飛べば、昨日とは姿が違うのは一目瞭然で──性別を偽っていたことも、露見してしまうだろう。でも、それでも──

「もう一度、空から見てみようと思います。陛下にも、意図を説明して──見事、玉璽を見つけたら、許してもらえると良いですね」

 緊張に引き攣っていたかもしれないけれど、茜華は精いっぱい笑おうとした。

 翼を持たない人間に対して、不思議な感情ではあるのだけれど。昇暉のためにできることをしたかった。傲慢なようで意外と律儀で真面目で、苦境にありながら黙然とそれを背負う──皇帝が龍だというなら、援けることこそ鳳凰の役目なのかもしれない。