「あれ、お店に忘れ物したかなぁ」

 いつものトートバックの中のスマートフォンが震えている。

「あ、健ちゃん。学校お疲れさま。どうしたの? もう遅いよぉ?」

 時計を見ればもう深夜も11時になろうという時間だ。夜学の健もさすがに帰っている時間のはずだが。

『こんな遅くにごめん。茜音ちゃんは25日の夜って空いてる?』

 電話の声からすると、彼も屋外にいるようだ。

「うん、そこはまだかなぁ。暇だったら菜都実のところでバイトを入れようかなぁってくらい」

『そうか。じゃぁ、良かったらその日に会わない?』

 恐る恐る聞いてみたようだが、そもそも彼に会えると知った茜音に断る理由などない。

「もちろんいいよ!」

 時間を聞いてみると、仕事が終わってからになってしまうという。

「うん。じゃぁ菜都実のお店でお仕事してるよ」

『遅くなって本当にごめん』

「ううん。ありがとうねぇ。明日は夕方行くねぇ」

 明日のイブ。茜音はウィンディで昼間のアルバイトを済ませた後に、健の務める珠実園にクリスマス会の手伝いにいく。これは毎年の恒例行事だ。

「じゃぁ、また明日ぁ」

 通話が終わる頃に、ちょうど実家のマンションの前に到着した。

「ただいまぁ」

 こんなに遅くなってしまっても、茜音が帰ってくる日は、彼女の育ての両親は起きていてくれている。

「お帰りなさい。寒かったでしょう」

 お風呂の前にと、暖かいココアを出してくれた。

「うん。急にごめんなさい」

「いいの。ここは茜音の家なんだし。帰ってきてくれて嬉しいから」

 子供を産めない片岡家にとって、養子で迎えた茜音は本当の娘のような存在だ。当時の彼女は飛行機事故で両親を失ったという傷心からも完全に立ち直っておらず、扱いも難しいとされていた。

 他の里親候補と競合する中で、唯一この夫妻だけが彼女の心を開くことに成功してから今年で11年。

「先に寝るよ茜音」

「おやすみなさい、お父さん」

 いつものように交わされる会話も、茜音自身も知らなかった彼女の生い立ちが次第に分かるにつれ、お互いに奇跡のような出会いに感謝している。

「茜音は健君と予定合わないの?」

 すっかり年頃でもあり、公認の彼氏もいる娘が、この時期にずっと一人でいるのも可哀想だと思っていたものの、お互いの状況を知ると無理にとは言えない。

「明後日の夜に誘ってくれたよぉ。それに、明日はお仕事だけど会えるし」

「そう、それならよかった」

 このくらいの年齢なら、全力でイベントを楽しんでも許されるだろし、学校の友人の中には長期休暇を海外というケースも聞く。幼い頃から厳しい現実を見てきたこの若いカップルは、茜音が片岡家の中で不自由ない生活をしていても質素だ。

「お風呂できたよ。パジャマ置いておくからね」

「うん。ありがとう。先に寝ていていいよ。おやすみなさい」

「おやすみ茜音」

 母親も寝室に消え、コップを洗ってバスルームに入る。

 ココアで少しは取り戻したが、やはり手足の先は冷え切ってしまっている。

 熱いシャワーを頭からかけて全身を洗ってバスタブに飛び込んだ。

「やっぱり寒かったなぁ」

 髪を洗ったときにほどいた左右のサイドに作っている三つ編みの癖を取るためにゆっくりお湯に浸す。本当ならもうこの髪型でいる必要もない。ただ茜音自身も健をはじめとする周囲もこのトレードマークについては変えない方がという声が多い。そのために、他の部分を切ってもこの編み込みの部分だけは他よりも長くなってしまう。

 冬場になって毛先を揃えるだけにしていたので、長い部分は胸元まで届こうとしていた。その先端に視線を下ろすと、必然的に二つの膨らみに行き着いてしまう。

「健ちゃん、これで満足してくれるかなぁ」

 両手でそっと押さえてみる。この大きさになったのは中学でもなく、半ば諦めていた高校時代。

 親友たちで見れば、出会った頃からプロポーション抜群な菜都実。高校の卒業間近にサイズが上がったという佳織にも抜かれてしまったけれど、もともとが幼い雰囲気の自分にはこの程度かなと納得している一方、健にそれを聞いたことはなかった。

 もっとも、不満と言われてもどうすることも出来ないし、彼がそんな基準だけで自分を選んでいないとも知っている。

「変わらなくちゃいけないのかもなぁ」

 幼い頃の約束とその想いに応えることが二人の原動力だった。昨年の夏に、それを成し遂げて恋人という道を歩き出した茜音と健。

 おぼろげながらもその先のゴールは見え始めている。それでも、一歩一歩進まなければならないことも。そして、その歩みを踏み出すことが、本当に大丈夫なのか。これまでのこともあって、健が最初で最後の恋愛と決めている彼女には、比較するものがない。

「いつか……。大丈夫だよね……」

 そんな茜音がすっかりのぼせて布団に入ったのは、日が変わって1時間以上が過ぎていた。