「中には無理矢理なんて考えた人もいた。だからね……、わたしの体、健ちゃんが思ってくれているよりも汚いんだよ。本当にごめんなさい……」
最初に服の上から胸を揉まれたのは中学2年だったと記憶している。
大きなダークブラウンの瞳、幼い頃から変えることのなかった両サイドの三つ編みを特徴とする髪型。
同級生から見ても発育も進んでいなかったから、男子からすれば格好の的のようなものだった。
次第にそれはエスカレートしていった。特に夏場は制服も薄着になるし、体育の授業で水泳がある時には水着にもなる。
偶然を装っては、水着の上からだけでなく、手や足を触られたことも。途中で回数を数えるのをやめた。
高校を卒業して、茜音が女性としてのプロポーションをほぼ完成させても、セパレートの水着を選ばないと聞いた裏にはこんな体験をしてしまっているからだと。
「もちろん、声を上げればいいことは分かってた。でも、もう誰にも迷惑かけられなかった。わたしだけが我慢すればいい。本当はそれも間違っているんだよね……」
それでも頑なに誰からの声に応じなかった彼女に最大の危機が訪れたのは高校2年の春先。
教師を装った偽の呼び出しに応じて体育館に行くと、三名の3年生が待っていた。
囲まれる状況から逃れようとしたとき、髪の毛を捕まれて足を取られる。
両手足を押さえられ、絶望の中、観念したように記憶を途切れさせた。
「茜音!! おまえら……、ゆるせねぇ……」「先輩とはいえ許せません!」
朦朧とした意識の中、菜都実と佳織が踏み込んできてくれたこと。目隠しのアイマスクと喋れないように自分の三つ編みの先を口に入れられテープでとめられていたものを恐る恐る外す。
教師が駆けつけたときには、菜都実による怒りの制裁も終わっていて、自分は佳織に泣きついていた。
「テープで塞がれていたから、キスも平気だったし、佳織から『大丈夫だから。何も傷はない』って教えてくれた。だからね……、今でも一人とか暗いところは苦手……」
絶句だった。紛れもない犯罪行為だ。学校を離れたことで、あの二人が自分に懇願するように茜音を託した背景にはこんな事件があったのかと。
「去年、健ちゃんに初めてのキスを渡せた。本当に嬉しかったの。もう、平気だって……」
「茜音!……」
もう我慢できなかった。横に座る彼女を抱きしめて唇を塞ぐ。塩辛い味がした。あの日もファーストキスだと泣きながら笑ってくれた。
「茜音ちゃ!!……あ…かね……よく無事で……いてくれて……」
健の声が怒りから嗚咽に変わる。
櫻峰高校は、男女の交際自体には寛容な代わりに、ことを起こせば制裁処分は厳しいと噂は聞いていた。
「……わたしがね、2日間の自宅待機を言われている間に、先輩たちは全員退学処分。所属していたバスケ部も廃部解散にされていた……」
当たり前だと健が怒りをぶちまけると、茜音は首を振った。
「バスケ部に入って頑張っていた人もいた。その人たちの人生を変えちゃったんだよ……」
「でも、ダメなものはダメだろ。茜音ちゃんの責任じゃない」
珠実園で櫻峰高校に入学した未来が事件があってバスケットボールは部活ではなく同好会でしか存在しないことを驚きで話していたのを思い出す。
その事件の被害者が、泣きながら自分に許しを請う茜音だなんて……。
「健ちゃん……。こんな汚れて傷だらけだけど、本当に……茜音でいいの? 健ちゃんに決めてほしい……」
「決まってる。茜音ちゃんは僕が守る!」
「うん……。ありがとぉ……」
強く抱きしめたときに着崩れした服を整えながら立ち上がって、フェンスから空港の中を見る。
星空の下、滑走路に一直線に延びる灯りは幻想的で、そのまま見入ってしまいそうだ。
「健ちゃん、わたしの道、きっとこんなに真っ直ぐじゃないよ?」
スカートの裾とブラウスのボタンを直した茜音が横に立った。
「僕たちの人生、こんな真っ直ぐだったこと無いんだよ? これからだって曲がってるよ。それでも茜音ちゃんとなら、どんな道でもいい」
「あはっ、もうプロポーズだね。うん、わたしも一緒。だから、どこにも行かない」
潮風の中、もう一度唇を塞いだ。両手を組み合わせてお互いの体を支え合う。
「離したくない」
「うん……。わたしも。もっと近くにいきたいの」
「茜音ちゃん、大胆なのか天然なのか分からないや」
突然笑い出した健に、不思議そうに首を傾げる。
「だって、そんなセリフ言われたらさ……?」
しかし、茜音の返事は落ちついていた。
「分かってるよ。健ちゃんとって……」
薄明かりでも分かるくらい顔を赤くした茜音をそっと抱き寄せて車に戻った。