辺りが暗くなっていくなか、お互いの存在を求め合う。4年ぶりの吐息を逃がすまいと両腕を背中に回した。
「ねぇ……、やすはあのあと、誰とも付き合わなかったの?」
「できなかったよ。菜都実は?」
「あたしは、もともと白い目で見られてたり、噂もいろいろ流されちゃったし。そんなのに手を出してくる男子はゼロ。本当にあたしに声がけしてくれたのは、佳織だけだった。自分だってターゲットにされちゃうかもしれないのに。茜音もそう。嫌われてもいい覚悟で話したのに、逆にあたしが励まされちゃって。この旅行、あたしが大泣きしてもいいようにって、茜音の人選だよ。あの二人はあたしの特別。男子はいないよ」
高校、そして専門学校と進むにつれて、どうしても年頃の女の子たちの中では色恋沙汰の話が飛び交う。
「そうだったんだ。その間、ありがとうともごめんって言うことも出来なかったけど」
「そんなのいい。でも嬉しい。結局あれから一度も、誰ともない。やす意外に考えられなくて……」
中学での噂や、彼女の性格から連想されてしまいがちな男性向けのイメージとは全く逆で、『難攻不落』と言われ続けた茜音にも匹敵する信念の持ち主であることは、ほとんど知られていない。
「だから……、いいよ……。4年ぶり」
「菜都実……?」
「やすだって、想像はしてたんでしょ?」
そんな菜都実の髪をくしゃくしゃにすると、再び車に戻った。
「どうするの? おうちに戻る?」
「家じゃなぁ……」
宮古島に戻って、普段暮らしている平良地区を離れる。
空港近くのビジネスホテルに部屋を取る。
「大丈夫? こんなことして?」
「もう学生じゃないんだし。俺にも彼女いますって言ってもいいさ。いくら狭いって言ったって、全員が顔見知りってわけじゃない」
途中のスーパーで買ってきた弁当で夕食にする。
「やっぱり、あの食事一回食べたらダメだぁ」
「比較する方が間違ってるだろう」
笑って流しても、それは保紀にとって最高のほめ言葉になる。
「やすがどういう将来を持っているのかまだ聞いてないけど、たまにはああいうご飯作ってくれたらいいなぁ」
「毎日でも頑張るさ。先にシャワー浴びてきちゃいなよ」
その意味に気づいた菜都実はにっこり頷いてバスルームに消えた。
「ねぇやす……」
「うん?」
室内はもう暗い。3階の部屋のカーテンは半開きだが、そもそも周辺に高い建物がない上、室内が暗いので外から見られる心配もない。遠くの方に空港の明かりと時々通る車のライトが見えるだけだ。
「あたしたち、どこからやり直す?」
「そうだな。メールで友だちからってわけにはいかないよな」
「そうだよね。どこがいいんだろう……」
ベッドに入っている自分たち、シャワーあがりで着ていたバスローブでベッドに身を寄せている。
お互いの体温が感じられて、すでに泣きそうになっている。比較したこともないけど、他の人ではダメなんだと。
「菜都実は後悔しない?」
「するわけない。あたしはやすのものって、ずっと決めてきた。みんなに迷惑もたくさんかけたけど、そんな人たちが許してくれるのなら、このまま進めていきたい。あの子のためにも……」
そのために毎月のお参りを欠かさなかった。いつかは菜都実にも子供を授かることに周囲が祝福してくれる時が来ると。空に帰った命が再び自分に戻ってきてくれること。そして、今度も父親は保紀であってほしい。
そんなことを毎月の墓前で語り続けてきた。次こそは自分の腕で抱きしめてあげたい。だから……、パパとママの準備ができたら降りておいでと。
「そうだな。そのために頑張ったんだもんな」
横須賀を離れる直前、二人で小さな白木の箱を持ってお寺に行った。中には真綿だけしか入っていない。それでも泣きながら事情を話した菜都実に住職は何度も頷いて丁寧に炊き上げてくれ、墓碑も手続きをしてくれた。そんな過去の情景が脳裏に流れる。
「うん。あそこに戻そう。やすがあたしを教室で助けてくれた日。あそこからやり直そう?」
あの夕陽に照らされた教室の時と同じ。保紀が菜都実の涙を唇で吸い取った。
「俺もあれっきり。下手って言うなよ?」
「あたしだって同じ。そんなこと言わない!」
またあの日に戻って、今度こそみんなに認めてもらえるように。
「入籍するまではもう少しかかると思うけど……」
「それでいいよ。あの紙にあたしの名前書いて帰るから預かっていてね。出すときは二人で出そうね」
「俺の予約伝票だな」
笑いながら保紀の準備をするのがあの4年前とは違う。もう失敗したくない。焦らず一歩一歩進んでいくために必要なこと。
「菜都実……、ずっと会いたかった……」
「やす、おかえりなさい……」
彼の背中に両腕を回し、菜都実は耳元でささやいた。
菜都実にメモを書いてもらった地図を頼りに、昨日訪れた下地島に再び渡る。
南側を回った昨日と違うのは、道を途中で折れて島の北側に向かうように指示されている。
ナビゲーションの画面に従いながら車を走らせると、正面にフェンスが見える。
「行っていいのこれ?」
「うん、メモには右に曲がってフェンス沿いに進むって」
遠浅の海岸を右に見ながら、指示通りに突端まで進めた。
「へぇ、すごぉい!」
下地島、この名前を聞いてピンと来る人にはいくつかの共通点があり、一つはダイビングスポットとして非常に有名なこと。もう一つには、下地島空港がある。定期便も少ないこの空港はパイロット養成の訓練空港としての顔も持っている。
海の上に張り出した北側からの着陸シーンは、真っ青な海からの反射もあって、非日常な迫力を味わうことが出来る。
その分、音もそれなりにするのだけど、周囲が海であり音が反響しないこと、そもそも飛行機を見に来ている者にとっては気にならないものなのかもしれない。
茜音たちの真上を通過して着陸してすぐに飛び上がる、タッチアンドゴーの訓練は、あっという間に引き込まれてしまう魅力があった。
「なんか、菜都実がこの島を気に入っているのがわかる気がするなぁ」
なんでもっと早くに知らなかったのだろうと思わずにはいられなかった。
茜音もいつもの笑顔とは裏の、誰にも顔を見られたくないときもある。
一人になりたいとき、茜音もよく海を見に出る。地元の横須賀だけでなく、江ノ島や鎌倉、城ヶ島にも何度も足を運んだ。
しかし、近所の海はみな観光地ばかりで、物想いに浸りたいときに一人になることが出来ない。
この島なら、訓練のときはそれなりに見学者がいる場所も、終わってしまえば波音だけの静かな海岸線に戻る。
それを証明するように、二人が到着して30分もすると見学者もいなくなり、周囲は再び静寂を取り戻した。
「ねぇ健ちゃん……」
コンクリートの防波堤の上に並んで座る。今日はもう訓練もないのだろう。
エンジンの音が消えて、人気も見えなくなった。茜音が何度でも見たいと言っていた夕焼けの時間に差し掛かっている。
「なに?」
「本当にごめんね。せっかくのお休みを、私のわがままで疲れさせちゃって。ごめんなさい」
「そんなことかぁ。茜音ちゃん、未来に言ってたじゃん。二人の時間があればどこでもって。僕も同じ。一緒に旅行が出来て嬉しいよ」
昼間は珠実園での仕事をして夜は夜間高校に通いながら、共同生活をしている健。
茜音も自分の生家から学校に通いながら、少しずつ片づけを行っている。
健が夜学を来年卒業することで、一区切りをつけようと徐々に準備を進めている。そのために、茜音が買い揃えるものはペア物も多くなった。
同時に漠然とした不安もある。
「本当はね、そろそろ就職活動の準備も始めなくちゃって思っていたりもするけど。わたしに本当にできるのか不安だし。誰かの役にたてるのか。必要としてくれる人がいるのか。もし、本当に就職先を珠実園にするって決めたって、ちゃんと試験は受けないとだし」
いつまでも学生時代ではいられない。
大人になって健と二人、支え合って生きていこう。幼い頃から描いてきたロードマップももうすぐ一つの転換期を迎える。
遠くにあったはずのゴールがもう手の届きそうなところまで来ている。その一方で自分の用意が出来ていないのではないか。そして、その準備をするにはどうすればいいのか。
「茜音ちゃん……」
背中側から両腕で抱き抱え、上半身の力が抜けた彼女の重みを受け止める。
「健ちゃん、わたしは、健ちゃんに認めてもらえるのかな? もしかしたら、不合格なのかもしれないのに、優しいから……」
「この旅行で、佳織さんと菜都実さんから同じ事を言われたんだ。茜音ちゃんを助けてあげるようにって」
「もぉ、そんなことないのに……」
うつむいた茜音の顔は見たことがないほど何かに怯えているようだった。
「……健ちゃん……。ちょっと昔の独り言を言ってもいい? 聞きたくなかったら聞かなくていいし。感想なんていらないから」
「わかった」
夕日に照らされながら、目をつぶる。ぎゅっと握った拳からも、辛い回想を引き出していることがわかる。
「わたしが、ときわ園を出たあとのことはもういろいろ聞いていると思うの。小学校、中学校、高校も本当にたくさん。人に言えない、今も誰も知らないこともたくさんあった……」
独り言だと言っているけれど、もちろん健は聞いている。施設を出て片岡家の一員として新しい人生を踏み出せたはずの茜音。けれど、それは書類上の話だった。
彼女は大勢の犠牲者が出た航空機事故で奇跡的に生き延びた生存者。しかしながら、その陰には両親やその他の犠牲もあった。
報道では犠牲者や遺族の事が大きく取り上げられ、生還した茜音たちには励ましと同時に心無い言葉もたくさん届いた。
茜音自身、これまでの人生で一時だって忘れてはいない。一人娘を守るために命を落とした両親との幼い別れは、決して消えることがない彼女の心の傷だ。
笑顔や言葉すら失った彼女を周囲の懸命な努力で立ち上がらせたところに、心ない矢が再び突き刺さった。
どうしても当初遅れてしまった勉強の面。周囲の親からの声、それは自然に子供たちにも伝わる。茜音の事実がどこからか知れるとあっという間に広がった。
以前の学校のように施設からの子供たちを受け入れていないところでは、その対策も十分にされておらず、両親がいないことを言われ続けた。性格的にも他人を攻撃することが出来ない彼女は必然的にいじめの対象になった。
「小学校はまだよかった。言葉で言われていただけだったし、仲間外れになっても一人になるだけ。そんなのは平気だった。中学からの方がね……」
最初に入学した公立の中学校は、小学校からの持ち上がりも多数いた。その頃には学業や生活のハンデも克服していたのだが、結局環境は変わらなかった。登校も辛くなり、最終的には私立に転校となった。
「中学は受験もあるし、あと、いろいろ体の変化もあるから、みんな不安定だよね。それに、やっぱり恋愛だって始まってくるし。不安は他の人に向けた方が発散できるって言うもんね。仕方ないよ、わたしは何も言っていなかったし」
振り返ってみると、茜音が正式に自身の過去を発表したのは高校2年生の冬になる。それまでにも、彼女の事情を知っているかに関係なく、交際を申し込まれたことは何度もあった。
申し訳なく思いつつも、それらに応えることは出来ない日々。それが次第に別の方に発展してしまう。
「『片岡茜音を誰が最初に手に入れるのか』って言われていたこともあったんだよ……」
「ひどい……! そんなこと……。茜音ちゃんになんてことを……!」
健の声が怒りに震えている。彼には絶対に許し難い話だった。
そんな茜音の気持ちなど考えない馬鹿げたレースが始まってからと言うもの、それまで茜音に興味がそれほど無かった層からも声が掛かるようになった……。
「中には無理矢理なんて考えた人もいた。だからね……、わたしの体、健ちゃんが思ってくれているよりも汚いんだよ。本当にごめんなさい……」
最初に服の上から胸を揉まれたのは中学2年だったと記憶している。
大きなダークブラウンの瞳、幼い頃から変えることのなかった両サイドの三つ編みを特徴とする髪型。
同級生から見ても発育も進んでいなかったから、男子からすれば格好の的のようなものだった。
次第にそれはエスカレートしていった。特に夏場は制服も薄着になるし、体育の授業で水泳がある時には水着にもなる。
偶然を装っては、水着の上からだけでなく、手や足を触られたことも。途中で回数を数えるのをやめた。
高校を卒業して、茜音が女性としてのプロポーションをほぼ完成させても、セパレートの水着を選ばないと聞いた裏にはこんな体験をしてしまっているからだと。
「もちろん、声を上げればいいことは分かってた。でも、もう誰にも迷惑かけられなかった。わたしだけが我慢すればいい。本当はそれも間違っているんだよね……」
それでも頑なに誰からの声に応じなかった彼女に最大の危機が訪れたのは高校2年の春先。
教師を装った偽の呼び出しに応じて体育館に行くと、三名の3年生が待っていた。
囲まれる状況から逃れようとしたとき、髪の毛を捕まれて足を取られる。
両手足を押さえられ、絶望の中、観念したように記憶を途切れさせた。
「茜音!! おまえら……、ゆるせねぇ……」「先輩とはいえ許せません!」
朦朧とした意識の中、菜都実と佳織が踏み込んできてくれたこと。目隠しのアイマスクと喋れないように自分の三つ編みの先を口に入れられテープでとめられていたものを恐る恐る外す。
教師が駆けつけたときには、菜都実による怒りの制裁も終わっていて、自分は佳織に泣きついていた。
「テープで塞がれていたから、キスも平気だったし、佳織から『大丈夫だから。何も傷はない』って教えてくれた。だからね……、今でも一人とか暗いところは苦手……」
絶句だった。紛れもない犯罪行為だ。学校を離れたことで、あの二人が自分に懇願するように茜音を託した背景にはこんな事件があったのかと。
「去年、健ちゃんに初めてのキスを渡せた。本当に嬉しかったの。もう、平気だって……」
「茜音!……」
もう我慢できなかった。横に座る彼女を抱きしめて唇を塞ぐ。塩辛い味がした。あの日もファーストキスだと泣きながら笑ってくれた。
「茜音ちゃ!!……あ…かね……よく無事で……いてくれて……」
健の声が怒りから嗚咽に変わる。
櫻峰高校は、男女の交際自体には寛容な代わりに、ことを起こせば制裁処分は厳しいと噂は聞いていた。
「……わたしがね、2日間の自宅待機を言われている間に、先輩たちは全員退学処分。所属していたバスケ部も廃部解散にされていた……」
当たり前だと健が怒りをぶちまけると、茜音は首を振った。
「バスケ部に入って頑張っていた人もいた。その人たちの人生を変えちゃったんだよ……」
「でも、ダメなものはダメだろ。茜音ちゃんの責任じゃない」
珠実園で櫻峰高校に入学した未来が事件があってバスケットボールは部活ではなく同好会でしか存在しないことを驚きで話していたのを思い出す。
その事件の被害者が、泣きながら自分に許しを請う茜音だなんて……。
「健ちゃん……。こんな汚れて傷だらけだけど、本当に……茜音でいいの? 健ちゃんに決めてほしい……」
「決まってる。茜音ちゃんは僕が守る!」
「うん……。ありがとぉ……」
強く抱きしめたときに着崩れした服を整えながら立ち上がって、フェンスから空港の中を見る。
星空の下、滑走路に一直線に延びる灯りは幻想的で、そのまま見入ってしまいそうだ。
「健ちゃん、わたしの道、きっとこんなに真っ直ぐじゃないよ?」
スカートの裾とブラウスのボタンを直した茜音が横に立った。
「僕たちの人生、こんな真っ直ぐだったこと無いんだよ? これからだって曲がってるよ。それでも茜音ちゃんとなら、どんな道でもいい」
「あはっ、もうプロポーズだね。うん、わたしも一緒。だから、どこにも行かない」
潮風の中、もう一度唇を塞いだ。両手を組み合わせてお互いの体を支え合う。
「離したくない」
「うん……。わたしも。もっと近くにいきたいの」
「茜音ちゃん、大胆なのか天然なのか分からないや」
突然笑い出した健に、不思議そうに首を傾げる。
「だって、そんなセリフ言われたらさ……?」
しかし、茜音の返事は落ちついていた。
「分かってるよ。健ちゃんとって……」
薄明かりでも分かるくらい顔を赤くした茜音をそっと抱き寄せて車に戻った。
ホテルの部屋に戻り、茜音はオートロックだけでなく、内側からの鍵もかけた。
ベッドサイドの灯りだけの薄暗い部屋。カーテンを二人で閉めて再び唇からひとつに溶け合う。
「健ちゃん……」
「茜音ちゃん……」
呼びかけに応えるように、背中に回していた手を徐々にずらしていく。
菜都実と一緒に買いに行った上下セットアップのセーラーワンピース。膝丈のスカートを吊っているサスペンダーを肩から外し、ホックを外して床に落とす。
七分袖ブラウスのボタンを外してこれも立ったまま腕から外した。
自分のポロシャツとジーンズを脱ぎ、茜音を抱きしめたままベッドに倒れ込んだ。
「ごめん、痛かった?」
「ううん。今日の健ちゃん、積極的だね……ぁぅ」
言い終わる前に今日何度目か分からないキスをする。
これまでだって、お互いに一線を超えようと思ったことは何度もあって、いつもは話だけに終わってしまった。
昨年夏、10年ぶりの再会の直後から、ファーストキスを渡せた茜音には、先の覚悟もあった。その時は自分が倒れてしまい、健にも心配をかけたことから先送りになったけれど。
元からプロポーションのいい菜都実にも、高校の間に急成長した佳織にもかなわない自分の体型。
自分ではそれでもいいと思っていたし、友人たちからも茜音らしいと言われたけど、健から魅力がないことを理由に断られても仕方ないと思っていた。
「ごめんね、まだ子供体型だから……」
彼の両腕の中にすっぽりと収まって、背中を丸める
これまで、自分の意識とは無関係に身体を弄ばれた時とは明らかに違った。
自分でも分かる。呼吸が荒くなり、心臓の鼓動も経験したことが無いほど早鐘を打っている。
「茜音ちゃん……?」
健も茜音の変化を見逃さなかった。
「いや……、やめないで……」
「そ、そう? 辛そうじゃない?」
「違うの……。いろいろ思い出しちゃって……」
前の年、10年ぶりに茜音のもとにたどり着いたとき、彼女は川の中で冷え切っていた。
夢中で抱き起こして息をしているのを確かめて全身から力が抜けた。温泉での介抱は友人たちに任せたが、そのあとにバスタオルのみで布団に寝かされた茜音の手を握り続けた。
「起きてくれ」何度も呟いた。「絶対に失いたくない」。自分との約束のために来てくれた彼女。それが時間を経て「彼女を他の誰にも渡したくない」という感情だと確信するのに時間はかからなかった。
薄暗い部屋の中、茜音が確かに生きている証。呼吸とともに微かに上下している緩やかなカーブの胸元。決してグラビアに載るようなものではないけれど、自分を男として揺さぶるには十分だった。
その後も何度か着替えさせたり一緒に入浴もあった。それでも無理に急いで悲しませたくない。自分とひとつになることを許してくれるまではとこらえ続けた。
茜音がそれを許してくれた今、一回の仕切り直しくらい、これまでの時間を考えればなんて事はない。
「ごめんね、落ちついたぁ」
「茜音ちゃん……、愛してる」
「あうぅ、ずるぅぃ……。反則だよぉ」
目尻から涙がこぼれ落ちながら、茜音は笑顔を作る。
それには答えずに、健は穏やかに微笑んで茜音の頭をなでた。
「もう、辛いこと忘れていいんだよ。よく頑張ったね」
「うん……、もう……いいんだよね。これ……、ほどいてくれる……?」
「茜音ちゃん……」
茜音が差し出した、彼女の両サイドにある三つ編み。一番下で留めてあるヘアゴムとリボンに手をかけた時、彼女がギュッと目をつぶる。
二人とも分かっている。この2本の三つ編みは茜音が幼い頃、母親から施してもらった最後の髪型。
そして、健との10年間を忘れないために変えることはなかった。言わば彼女のアイデンティティそのものだ。
嬉しいことも辛いことも一緒に乗り越えてきた。特にこの留めている部分は彼女以外、あの二人の親友や健でも外させたことはない。茜音の心の鍵でもある。
「健ちゃん、いいよ。外して……」
ゆっくりと丁寧に、リボンを解いてから最後に下留めしてあるヘアゴムを外した。
両方の作業が終わると、恥ずかしそうに頭を振る。ストッパーがなくなった艶のある黒髪は順にほどけていく。
「ありがとうね。もう、わたし、隠しているものないよ。体も心も全部、健ちゃんに渡せる」
全ての防御を解いた茜音を両腕で抱き締める。直に密着している胸元から、茜音の心臓が早鐘を打っているのを感じた。
「緊張してる?」
「もぉ、わたしも初めてなんだからぁ……」
安心したように微笑んで閉じられた茜音の瞼から光るものが溢れていた。
「大丈夫? 落ち着いた?」
「うん。ごめんね。びっくりさせちゃって。……はずかしぃ」
入浴を済ませて、再びベッドに二人で潜り込む。
健も茜音の破瓜の傷を気にしたけれど、どうやらその心配はなさそうだ。
この傷が塞がることはない。初めてのキスと同じで、彼女の決意の現れは健に伝わっていた。
「茜音ちゃんが元気になってくれてよかった」
「菜都実の詳しい話は聞いたことないけど、健ちゃんは上手だったんじゃないかな。あんなに優しくしてくれたんだもん」
今はパジャマを通してだけど、茜音の体温を感じる。この温もりを一生感じていきたい。
14年前、初めて彼女と出会ったとき、それまで周囲がだれも信じられなかった幼い自分の中に、何かが突き刺さった。
この子をもっと知りたい。ときわ園の職員たちが言葉が話せない茜音への接し方を探っている中、思い切ってスケッチブックとクレヨンを渡した。
『ありがとう』。今から思えば、まだ下手で小さな字だったけど、初めて笑ってくれた。それには園中の先生たちが驚いた。一番の問題児だった健があっさりと堅く閉ざされた少女の心を開いた。
その夜、健は園長室に呼ばれた。「茜音ちゃんを頼む」と。言われなくたって決めていた。「茜音ちゃんは自分が守るんだ」と。
園の中で唯一、男女で一緒に眠ることも許された。暗がりに怯える茜音の手を握って並んで寝た。
「健ちゃん……。ひとつ聞いてもいい?」
「うん?」
「ときわ園の最後のとき、わたしたち、駆け落ちしたでしょ? どうしてわたしを誘ってくれたの?」
「決まってるよ。もう、茜音ちゃんが好きだったんだ。離れたくなかった。でも、茜音ちゃんには本当に迷惑かけたって思ってたよ。本当にごめんね」
「ううん、わたしも同じだった。あれがあったから、今日まで頑張ってこられた。こんなわたしのことを好きで必要としてくれている人がいる。その人のために生きていこうって。健ちゃんがわたしをずっと支えてくれたんだよ。命の恩人なの。だから、これからも……、健ちゃんが嫌じゃなかったら、一緒にいさせて……くれたら、嬉しいな……」
鼻をすすりながら絞り出す茜音を抱き寄せる。
「一緒に、生きていこう。大変なこともいっぱいあるかも知れない。でも、僕も茜音ちゃんじゃなくちゃ嫌なんだ」
「未来ちゃんがいても?」
「あの子はもう僕から離れても大丈夫。でも、茜音ちゃんはそうじゃない。一番近くで見ていないと。手をつないでいないと、茜音ちゃんはきっと立ち止まっちゃう。だからね……」
頬に流れた涙を吸い取り、そのまま柔らかい唇も優しく吸った。
「ずっと一緒にいよう」
「うん、お願いするよ。……ただいま……」
「おかえり」
幼い頃と同じように、健の胸元に顔を埋める。いろんな事があった。あの頃とはいろいろ変わってしまった部分もある。
それでも、ここは自分が唯一全てを許せる人の腕の中だと。変わらない彼の匂いと、鼓動を感じながら茜音は意識を手放した。
「あ、来た来た」
「おそぉい」
宮古空港のロビーで、茜音たち三人は今回の旅の主役を待っていた。
「ごめんごめん。遅刻はしなかったでしょ?」
復路も那覇空港を経由しての長旅。ゴールデンウィークの帰りのピークには1日早い。
「菜都実、スッキリ出来た?」
チェックインを済ませて、2階の出発ロビーで案内を待つ。
「うん。今出来ることを精一杯やる。やすはこれまでどおり修行するし、あたしも学校ちゃんと卒業する。そのあとできちんとけじめをつけるよ。今度は順番が逆って言われないようにね」
往路で茜音に渡された両親からの手紙。それを将来を誓った二人で恐る恐る開けてみた。
菜都実は双子の妹や自分の子を失って傷ついていること。本来ならずっと手元に置いておきたい愛娘であること。それでも相手が保紀であるならば、次こそは娘を幸せにして欲しい。そして、今度こそ元気な赤ちゃんを抱かせて欲しいと綴られていた。二人はその場で横須賀に電話をかけて、次を約束した。
「本当は帰るの寂しい。でもここまで頑張った。ゴールはあたしたちでつくるから」
「強くなったね。来てよかったぁ。あのお地蔵さまにもいい報告できるね」
「うん。あれは続けるよ。気持ちが全然違ってくるとは思うけど」
保紀も自分の子と認めてくれたし、もう先が見えない話ではない。準備ができたら戻っておいでと告げることが出来る。数年後には温かい家庭が作られるに違いない。
「ところで茜音。あんたはどうだったの?」
菜都実の準備をしていて、健に自分のことを親友二人が健に頼み込んでいたなんて知らされていなかった。
「菜都実、大丈夫。茜音も健君も頑張ったよ」
「えっ? 隣まで聞こえちゃった……?」
真っ赤になる茜音に佳織は首を横に振る。
「菜都実の電話がかかってきたら急いで戻るつもりだったけど、お店で夜までお世話になって、ホテルに戻ったのは日が変わった頃だったし。朝ご飯で顔を合わせたときに分かったの。茜音も大人になれたんだなって。幸せそうないい顔してたよ」
「そっかぁ。それ見たかったなぁ。いい初経験だった?」
「こ、声大きいよぉ」
慌てているところも、見ていればやはり可愛らしい。
前日の疲れと、これまでの緊張の解放から、時間に遅れそうになって急いでシャワーを浴びたりと慌てながら部屋を飛び出していったのも、佳織からそう見えた原因だったのかも知れない。
「うん……。優しくしてくれたよ」
「よかった。頼んだかいがあったな」
笑っていると、四人の乗る那覇行きのアナウンスが入った。
「やす、本当にありがとう」
「こっちこそ。元気で頑張れよ? オフになったら遊びに行くよ」
「うん、待ってる。あたしも遊びに来るよ。ちょっとごめんね」
他の面々が荷物に気を向けた瞬間、保紀にキスをした菜都実。その頬には一筋光るものがあった。
「ここまで頑張ったんだろ。必ず迎えに行くよ」
「うん。じゃぁ、またねっ」
保紀の指で涙を拭かれると、笑顔で手を振りながら検査場に消えていった。
「ねえ菜都実?」
往路と同じく、窓側の席で外を眺めていた菜都実。
離陸のあと、海上にでたことを確認して茜音は問いかけた。
「うん?」
「さっき、保紀君は菜都実のこと迎えに行くって言ってたけど、本当にこっちに引っ越しちゃうの?」
「うーん、どうかな。まだその辺は全くの白紙。将来やすと結婚するってのはたぶん決まりだけど、その後どっちに住むとか、お店をどうするかはこれから。またみんなにも相談するよ」
「うん、いいお話になるといいね」
「でもさぁ、佳織には悪いことしたなぁ。せっかく来てもらったのにねぇ」
「え? 全然。面白かったよ。菜都実はめちゃ女の子になっちゃうし、茜音だって大人の階段上っちゃうし。見ていると参考になるわぁ」
通路の反対側からの佳織に嘘はなさそうだ。彼女にも地元に帰りを待つ人がいる。
「みんな結婚しても、時にはこうやって遊ぶのもいいのかもね」
「その前にみんなまず卒業しなくちゃ」
「はーい。でもあと2日はバイトだね」
全員が一歩ずつ大人に近づいていく。本当は良いことなのに、一方ではこんなふうに三人で笑っていられる時間をもっと大事にしたい。
「茜音ちゃん、疲れた?」
隣を歩いてくれる健の影。幼い頃、川の土手を並んで歩きながらときわ園に帰っていた頃と重なる。明日から仕事に戻る健は今夜まで一緒にいてくれるから、そのときと同じように手をつないだ。
「うん、ちょっとね。ねぇ健ちゃん、大人になるって難しいこともたくさんあるんだね」
「そうだね。僕たちも菜都実さんのところに負けないように頑張らなくちゃ」
「うん。頼りにしてるよぉ」
得られるものもたくさんあったけれど、大人になることへの複雑な葛藤もこれまで以上に噛み締めながら、夕焼けの家路を急いだ。
【茜音 短大1年 冬】
「ありがとうございましたぁ」
最後の客をドアで見送り、表の看板をしまう。
「茜音、サンキュ!」
「うん。マスター大変だもんね」
「ドジだよねぇ。年甲斐もなくはしゃぐから、足痛めちゃうなんてさぁ」
片岡茜音《あかね》と親友の上村菜都実《なつみ》の二人で、彼女の実家でもある喫茶店ウィンディの後片付けをしていた。
高校生時代、幼い頃からの約束を果たす旅費を工面するという口実のもと、菜都実の協力でもう一人の友人、近藤佳織《かおり》と共にアルバイトを始めた茜音。
三人娘の登場により、メニューや内装を変えたり、時間を区切ってジャズ喫茶のように生演奏を取り入れたりと、それまでよりも広い客層の開拓に成功していた。
その演奏でメインを務めていた茜音が、彼女の目標を達成したあと、その去就が常連客からも注目されていたが、短大生になった今でも週末などに日にちを減らしつつも継続してくれたことで、お店の賑わいは変わらずに済んでいる。
そんなウィンディの菜都実から電話が入ったのが昨日の夜。
ウィンディのマスターでもある菜都実の父親が階段から滑り落ち、足腰を痛めてしまったという。
幸い大事には至らなかったが、数日間は安静と言うこと。普段の平日ならば、彼女の母親や菜都実だけでも切り盛りが出来るのだが、学校が冬休みに入ってしまったこの時期には少々厳しい。
茜音も佳織もその申し出に二つ返事で了解し、それぞれ休み中の空いている時間をこの店で過ごすようになったっと言うのがことの顛末だ。
「茜音も、こんな時期に仕事していてもいいの? 健君怒らない?」
「うん、健ちゃんもお仕事忙しいし、珠実園のみんなもいるから、わたしが独り占めは出来ないし」
幼い頃に無謀とも思える約束を茜音と交わし、それを無事に添い遂げた相手の松永健《けん》。
茜音も健もそれぞれ事情は異なるが、親と別れて児童福祉施設で育った。
茜音はその後、育ての親となる片岡夫妻の元に養子として迎えられて今に至る。
一方の健はそのまま施設で育ち、職員として働きながら夜間高校に通い、在学4年の期間の来春までは他の子どもたちとの共同生活を送ることになっている。
今では、二人を見守るほとんどがその関係を認めていたし、お互いの直球勝負のような素直な想いは幼いころから変わっていない。
「茜音はクリスマスどうするの?」
もちろん、菜都実だって二人を一番近くで見てきた一人だ。予定があるならば、絶対に引き留めてはいけないと思っていた。
ところが、そのあたりは良くも悪くも現実が見えてしまっている二人。
「そうだねぇ、イブは健ちゃんも私も、わたしは珠美園でのお手伝いだし。どっちも夕方までは大丈夫だよ」
「そっか……。なんだか悪いなぁ」
もともと自分の家で仕事という自分ならと菜都実が考えていたが、茜音にとっても一人きりにならずに済むのでそれはそれで楽しいと笑っていた。
「じゃぁ、また明日ねぇ」
「うん、サンキュ! 今日はこっちの家?」
「うん。学校もお休みだし」
「気をつけて帰ってな」
「うん」
短大に通い始めてからの茜音の住まいは、本当の両親が建てた横浜市にある彼女の生家が主になっている。
施設から茜音を引き取った片岡夫妻は家を含む彼女の財産を処分したりはせず、全てを彼女に返した。そのおかげで、進学にあたっての下宿などを考える必要もなかった分、さすがに戸建ての家を維持するのも大変なので、少しでもその足しになればと高校生時代からのウィンディのアルバイトを続けている。
そんな生活スタイルだから、長年過ごした横須賀の実家に泊まることも特別なことではなく、その日も普段通りに仕事を終えて自宅への道を歩いていた。
「あれ、お店に忘れ物したかなぁ」
いつものトートバックの中のスマートフォンが震えている。
「あ、健ちゃん。学校お疲れさま。どうしたの? もう遅いよぉ?」
時計を見ればもう深夜も11時になろうという時間だ。夜学の健もさすがに帰っている時間のはずだが。
『こんな遅くにごめん。茜音ちゃんは25日の夜って空いてる?』
電話の声からすると、彼も屋外にいるようだ。
「うん、そこはまだかなぁ。暇だったら菜都実のところでバイトを入れようかなぁってくらい」
『そうか。じゃぁ、良かったらその日に会わない?』
恐る恐る聞いてみたようだが、そもそも彼に会えると知った茜音に断る理由などない。
「もちろんいいよ!」
時間を聞いてみると、仕事が終わってからになってしまうという。
「うん。じゃぁ菜都実のお店でお仕事してるよ」
『遅くなって本当にごめん』
「ううん。ありがとうねぇ。明日は夕方行くねぇ」
明日のイブ。茜音はウィンディで昼間のアルバイトを済ませた後に、健の務める珠実園にクリスマス会の手伝いにいく。これは毎年の恒例行事だ。
「じゃぁ、また明日ぁ」
通話が終わる頃に、ちょうど実家のマンションの前に到着した。
「ただいまぁ」
こんなに遅くなってしまっても、茜音が帰ってくる日は、彼女の育ての両親は起きていてくれている。
「お帰りなさい。寒かったでしょう」
お風呂の前にと、暖かいココアを出してくれた。
「うん。急にごめんなさい」
「いいの。ここは茜音の家なんだし。帰ってきてくれて嬉しいから」
子供を産めない片岡家にとって、養子で迎えた茜音は本当の娘のような存在だ。当時の彼女は飛行機事故で両親を失ったという傷心からも完全に立ち直っておらず、扱いも難しいとされていた。
他の里親候補と競合する中で、唯一この夫妻だけが彼女の心を開くことに成功してから今年で11年。
「先に寝るよ茜音」
「おやすみなさい、お父さん」
いつものように交わされる会話も、茜音自身も知らなかった彼女の生い立ちが次第に分かるにつれ、お互いに奇跡のような出会いに感謝している。
「茜音は健君と予定合わないの?」
すっかり年頃でもあり、公認の彼氏もいる娘が、この時期にずっと一人でいるのも可哀想だと思っていたものの、お互いの状況を知ると無理にとは言えない。
「明後日の夜に誘ってくれたよぉ。それに、明日はお仕事だけど会えるし」
「そう、それならよかった」
このくらいの年齢なら、全力でイベントを楽しんでも許されるだろし、学校の友人の中には長期休暇を海外というケースも聞く。幼い頃から厳しい現実を見てきたこの若いカップルは、茜音が片岡家の中で不自由ない生活をしていても質素だ。
「お風呂できたよ。パジャマ置いておくからね」
「うん。ありがとう。先に寝ていていいよ。おやすみなさい」
「おやすみ茜音」
母親も寝室に消え、コップを洗ってバスルームに入る。
ココアで少しは取り戻したが、やはり手足の先は冷え切ってしまっている。
熱いシャワーを頭からかけて全身を洗ってバスタブに飛び込んだ。
「やっぱり寒かったなぁ」
髪を洗ったときにほどいた左右のサイドに作っている三つ編みの癖を取るためにゆっくりお湯に浸す。本当ならもうこの髪型でいる必要もない。ただ茜音自身も健をはじめとする周囲もこのトレードマークについては変えない方がという声が多い。そのために、他の部分を切ってもこの編み込みの部分だけは他よりも長くなってしまう。
冬場になって毛先を揃えるだけにしていたので、長い部分は胸元まで届こうとしていた。その先端に視線を下ろすと、必然的に二つの膨らみに行き着いてしまう。
「健ちゃん、これで満足してくれるかなぁ」
両手でそっと押さえてみる。この大きさになったのは中学でもなく、半ば諦めていた高校時代。
親友たちで見れば、出会った頃からプロポーション抜群な菜都実。高校の卒業間近にサイズが上がったという佳織にも抜かれてしまったけれど、もともとが幼い雰囲気の自分にはこの程度かなと納得している一方、健にそれを聞いたことはなかった。
もっとも、不満と言われてもどうすることも出来ないし、彼がそんな基準だけで自分を選んでいないとも知っている。
「変わらなくちゃいけないのかもなぁ」
幼い頃の約束とその想いに応えることが二人の原動力だった。昨年の夏に、それを成し遂げて恋人という道を歩き出した茜音と健。
おぼろげながらもその先のゴールは見え始めている。それでも、一歩一歩進まなければならないことも。そして、その歩みを踏み出すことが、本当に大丈夫なのか。これまでのこともあって、健が最初で最後の恋愛と決めている彼女には、比較するものがない。
「いつか……。大丈夫だよね……」
そんな茜音がすっかりのぼせて布団に入ったのは、日が変わって1時間以上が過ぎていた。