「おはようございます~」

「あ、茜音かぁ。おはようさん。どうする? リハから先にやる?」

 茜音がお店の扉を開けて中に入ると、ステージのセッティングの手を休めて立ち上がった菜都実。

「佳織が来たら先にやっちゃおうか。ステージの方が先だもんね」

 ほどなくして、佳織ともう一人が荷物を持って入ってきた。

「茜音、未来(みく)ちゃん来たよ」

「あ、ありがとぉ。未来ちゃん今日はよろしくね」

「お願いします。本当にいいんですか? 私が入っちゃっても?」

 譜面を抱えてきた田中未来はステージに置かれた楽器を見て緊張気味に聞いた。

「いいの。うちはパーカッションいなかったからね。まさか練習であれだけ一発で行けるとは思わなかった。もう即決」

 ギターを取り出して、調律をしながら佳織も笑う。

 この日のウィンディは特別営業だ。お昼は行わずに、夕方から茜音たちのウィンディ卒業演奏会となり、その後は通常に戻るという具合。

 新年頭、看板娘が三人とも同時に卒業するというニュースが流れて、店内には惜しむ声が止まなかった。

 それならばと、きちんとした形で卒業ライブをやろうと決めてから3ヶ月。


 茜音と菜都実の卒業式も無事に終わり、春休みを利用して調整を行ってきた。後期試験が終わった佳織、就職も決まっている茜音と菜都実だから、久しぶりに毎日のように集まっては、お店と茜音の生家を往復した。

 茜音の家には演奏家だった両親らしく、本格的な防音室がある。時間を気にせず楽器を弾くことができるからだ。

 これまでとは布陣を少し変えて、佳織がギター、茜音にピアノとバイオリンに加えて、菜都実のピアノとパーカッションに未来を加えた。

 菜都実はもともと姉妹で店にあるピアノを弾いていた経験もあるから、実際に弾かせてみると、粗削りながら十分に素質はあった。

 そして驚きの未来の発掘は思わぬところからだった。

 4月からは高校3年生になる未来。中学生の頃にあった刺々しさは全くなくなり、つり目がちだった表情も別人のように柔和になった。

 そんな未来の成長は誰もが認めていたし、一番喜んだのは、彼女からライバル視されていた茜音だったけれど、茜音はそんな未来の本来の性格を数年前に言い当てていたのだから、それを覚えていた周囲はその先見性に驚くしかなかった。

 今回も珠実園でのクリスマス会のときに、未来が小さな子たちに向けた弾き語りをしていたのを見て、茜音は確信した。

 未来が知った彼女の両親も音楽関係者だ。未来にはその筋がある。後日、家に連れてきて譜面を渡してみると、数日で形にしてきたことで、今回のステージに加わるようにお願いをした。

「だって、あのウィンディは、姉さんたちの大切な場所じゃないですか?」

「だからだよぉ。他の人には頼めないんだ」

 そんなことがあって、あっという間に楽しい時間は過ぎていく。


「そう言えば、私たち抜けるってのに、マスターずいぶん元気だよね。ステージとか手入れしちゃったり?」

「うん、せっかくこういう場所があるって市内でもけっこう有名になってきちゃったんで、常設のライブハウスにできるようにしたみたい。安くしたから申し込みも結構あるみたいでさぁ」

 もうすぐこの家を旅立つ菜都実にして、わが父親ながら、店の新たな進路を見出していたのには感心していた。


「今日は、お集まりいただいてありがとうございます。このお店でBGM代わりに弾かせていただいて、4年になります。わたしと菜都実が学校を卒業したことで、今日で一度、わたしたちの定期の演奏会は最後になります。いつもと変わりませんが、ゆっりとお時間を過ごしてください」

 いつまでも、拍手が鳴り止まなかった。

「マスター、ときどきはこの子たちに頼んでよ。菜都実ちゃん上手いじゃん」

「あんな子ですけどね。ときどきはやってもらいたいね。年に1回とかは何かしら出来るんじゃないか?」

 菜都実の父親でもあるマスターから、菜都実と茜音の進路が決まったこと、佳織の司法試験に向けての準備を本格化させるため、三人揃って店での仕事も卒業となることが発表された。