ようやく少し落ち着いて、膝上の未来の頭を撫でてやりながら、千尋が頭を上げた。

「今後、どうされますか。お家に帰られてもいいし。お二人で決めていただければと思いますが」

「今夜、この子とホテルに泊まってもいいでしょうか。明日、必ずこちらに連れて参ります」

 今の住まいは都内だというが、今日は仕事が終わった後で、こんなことも想定して近所にホテルを予約したという。

「分かりました。そうしましょう。未来ちゃん、行ってこられる?」

「はい……」

 未来は千尋の手を放そうとしない。

 仕方の無いことだと茜音も健も思った。茜音はもうこれが出来ないと分かっているし、健自身も同じだが、二人とも一つだけ理解している。

 叶うのであれば、最後に一度でもいい。肉親に抱きしめてもらえることが、この珠実園にいる子どもたちと共通の願いであることも。


 迎えを頼んだタクシーが二人を乗せて走り去ると、園長、健と茜音も大きな息をついた。

「まさか、こんな急展開……」

「でも、見つかってよかった。あとは未来ちゃんの意思だね」

「そうだね。未来ちゃんは来年で18歳だ。別の時間をこれだけ長く過ごしてきて、突然変わるというのもお互いにストレスになってしまうこともある。こういうことは、本当に神経を使うんだよ」

 それを体現するように、園長先生はその日の日誌の来客記録に、あっさりと一文を書き加えただけだった。『未来の母親、来訪』と。





 翌朝、約束どおりに二人は珠実園に現れた。

 お互いに深夜まで話し合ったのだろう。未来にとっては17年ぶりの親子水入らずの時間になったはずだ。

「園長先生、私はまだ珠実園に居られるんですか?」

 再び応接室に昨夜の全員と、未来から連絡を受けた翔太も集まり、未来が自分で口を開いた。

「もちろん、お母さんがいても、保護が必要だとなればこちらにはいられる。どちらの手続きを進めるのも、君たちの希望に添うようにはするつもりだ」

 未来は頷いた。本当なら、一緒に家に帰り、長い時間を取り戻したい気持ちもある。

 しかし、千尋はまだ経歴的には独身である。そこにいきなりこんな大きな娘がいたとなれば、変なふうに書かれた上に仕事にも影響が出ないとも限らない。

 それならば、形式上は今のままで構わないと。

「私のことは気にせずに、帰ってきてもいいとは言ったのですが、未来の方がそれを許しませんで」

「私、昨日までと違う。お母さんも翔太くんもいる。兄さんも姉さんもいる。だから、今のまま大人になる。それでいいと思った」

 未来にはもちろん母親が分かったのであるから、そこに外泊の許可が当然出ること。面会についてもいつでも出来ることを説明した。

 千尋の方からも、施設に入所していることによる費用について支払うだけでなく、今後も珠実園の運営費サポートに回ってくれることも約束してくれた。

 また、本来なら今井姓とあるべき田中未来の名前についても、今から変更することの影響を考えて、現在のままということも確認された。

「あとね、お母さんにお願いがあるんです」

「なにかしら」

「私の、婚姻届に、お母さんの名前を書いて欲しいの」

 昨夜の内に、未来には先方も了承してもらっているパートナーがいることも話してあり、翔太にも今朝一番で話をした。

「もぉ、気が早いんだから。えぇ、喜んで書かせてもらいます。翔太さん、未来のことをよろしくお願いします」

 僅か1日でどれだけの交流があったのかは分からない。しかし、この会話を見ていると、普通の親子と何ら変わらない。それだけ突っ込んだ話もあったのだろうと予想はできていた。