わたしが入っているビリヤードサークルは、月に一度、大勢で集まってミーティングを開きます。
一応、わたしの大学のサークルということにはなっているけれど、実際はどんな大学の人でも入れるインターカレッジなサークルで、主な活動場所は行きつけのビリヤード場。そんなふわっとしたサークルだから部室は持っていません。ミーティングは大学の会議室を借りて行います。
そして、そういうふわっとしたサークルだから、ミーティングも大したことは話しません。終わったイベントの報告やこれからやるイベントの相談ぐらい。終わったらみんなでご飯を食べに行くので、それ自体が一つのイベントのようなものです。誰もそこで天地がひっくり返る大発表が行われるなんて思っていません。
だけど、七月のミーティングは違いました。
正確に言うと、わたしと、船井先輩と、長野先輩と、安木先輩と、小笠原先輩は違いました。ミーティングの最後に、小笠原先輩が余命宣告のことをみんなに話すと決めていたからです。
小笠原先輩はいつも通り眠たそうな顔をしていました。安木先輩はいつも通り何を考えているのか分からない顔をしていました。長野先輩は少し落ち込んでいるようでした。船井先輩は幹事長として前でミーティングを主導しながら、これから始まる夏休みのイベントを夏になったら戦争に行くみたいな表情で語るので、何も知らないみんなを困惑させていました。
「ではこれで、七月度のミーティングを終了します。最後に――」
船井先輩が小笠原先輩を見やりました。小笠原先輩は後ろの方に座っていたので、視線が多くの人の頭上を通り過ぎます。
「小笠原」
「ほーい」
小笠原先輩が立ち上がりました。そしてそのまま船井先輩のところに――行きません。当たり前のようにわたしのところに来て、当たり前のように言いました。
「一緒に来て」
意味が分かりません。でもわたしは「はい」と言って立ち上がりました。小笠原先輩が意味の分からないことをするのはいつものことです。意味の分かることをする小笠原先輩の方が、わたしにとっては分からないかもしれません。
小笠原先輩が前に向かってずんずんと歩き、わたしは後ろをついていきます。船井先輩は露骨に困惑していました。「なんでお前も来るの?」と目線で問いかけられ、わたしは同じく目線でこう返します。「さあ……」
ホワイトボードの前に立っていた船井先輩が横にどきました。小笠原先輩が代わりにそこに立ち、通りのいい声でみんなに語りかけます。
「えー、今日はみんなに三つ、発表があります。まずは一つ目から」
小笠原先輩が右腕で、わたしの肩をグイッと抱き寄せました。
「俺たち、付き合うことになりましたー」
無言。
部屋全体が、水を打ったように静かになりました。当たり前です。あまりにも前振りがありません。一言で言うと、滑っています。だけど小笠原先輩はそんなことは気にせず、流れるように言葉を続けました。
「そんで二つ目だけど、俺、余命宣告されましたー。癌で、あとだいたい五か月ぐらい。まー、そんな正確なやつじゃないぽいけど」
話す順番がおかしい。そんなツッコミが頭に思い浮かびました。もはや順番どうこうの問題ではないので、そんなツッコミをしている時点で小笠原ワールドに巻き込まれているのですが、わたしはそれに気づいていませんでした。
「大学は辞めたからサークル的にはOBになるのかな。まあとにかくそんな感じで時間がなくて、生きてるうちにやりたいことがあるのね。それが三つ目なんだけど」
わたしの肩を抱く小笠原先輩の腕に、軽く力が込められました。
「一か月後、俺たちの結婚式を開きたいと思いまーす」
――もう、無茶苦茶です。話が全く見えません。わたしも船井先輩も長野先輩も安木先輩も、覚悟していたのは二つ目の発表だけ。一つ目はここで発表するとは思ってなかったし、三つ目に至っては初めて聞きました。
「本当に結婚するわけじゃないけどね。結婚式風のパーティやりたいってだけ。前にバイトしてたバーに話したら協力してくれそうだし、場所はそこでいいと思うんだ。あとは――」
「待てや!」
船井先輩が声を上げました。さすが常識人。こういう時は頼りになります。
「こっちはついていけてねえんだよ! ちゃんと説明しろ!」
「今してるじゃん」
「……いや、それはそうだけど」
「でも確かに、大事なこと飛ばしてた。時期とか場所とか説明するより先にやることあるわ」
小笠原先輩がわたしの肩から腕を外しました。そしてわたしと向き合って、いつもみたいにゆるゆると笑います。
「俺だけの話じゃないもんね。ちゃんと二人の気持ちを合わせないと」
小笠原先輩の眠たそうな目が、ほんの少し開きました。
「俺と結婚してくれる?」
それはどういう意味ですか?
さっき本当に結婚するわけじゃないって言ってましたよね? 結婚式やってもいいかってことですか? っていうか、断られたらどうするんですか? 断っちゃいますよ? 何の相談もしてくれなかったの、だいぶモヤってるし。
色々、本当に色々、言いたいことがありました。だけどわたしが選んだ返事は、たった一言。
「はい」
こんな風だから、わたしはいつも、小笠原先輩に振り回されるのです。
「はあ……なるほど」
テーブルの向こうで、お父さんが小さく頷きました。頷きはしたけれど理解できていないのは、眼鏡の奥で細められている目を見れば丸分かりでした。隣のお母さんはふーんという感じです。
「それで、その結婚式とやらには私たちも出た方がいいのかな?」
「いや、出なくて大丈夫ですよ。娘の結婚式に出席するって重大イベントじゃないですか。そのイベントをこんなんで消化しちゃうの、もったいないですし」
「だったら、私たちの許可は必要ないんじゃないか?」
「そこは、俺なりのけじめってやつです」
お父さんが首を傾げました。わたしと小笠原先輩は横並びに座っていて、二人でわたしの両親を説得する構図になってはいるけれど、お父さんのついていけない気持ちはよく分かります。何ならわたしもまだ事態を飲みこみきれていません。
一応、事前説明はしました。付き合っている人がいて、その人が余命宣告されていて、死ぬ前に結婚式っぽいものをやりたがっていて、そのために挨拶に来たいと言っていると、夕ご飯の時にお父さんとお母さんとお兄ちゃんに話しました。結果、お父さんとお兄ちゃんからは「何言ってんの?」という顔をされました。お母さんはふーんという感じでした。
「けじめ、ねえ」
お父さんが隣のお母さんを見やりました。お母さんは平然と言い放ちます。
「いいんじゃない? 私も友達が再婚して、結婚式はやらなかったけれど、仲間で集まってお祝いをしたことがある。それと同じようなものでしょう」
「それはちゃんと結婚しているじゃないか」
「ちゃんと結婚しないことが気になるの?」
お父さんがぐっと言葉に詰まりました。そして小笠原先輩に目を向けます。
「君にこういうことを言うのは酷だと思うけれど、私にとって結婚というのは人生を共に歩んでいく宣言なんだ。惚れた相手を生涯かけて守り抜く覚悟が先にあって、その上に築く誓いなんだよ。だから、ただのパーティなら好きにすればいいが、結婚式と呼ばれると……」
お父さんの視線が、わずかに下がりました。
「すぐいなくなる人間に娘は任せられないと、どうしても思ってしまう」
お父さんが口を閉じました。わたしも同じように唇を横に結びます。全員がピタリと静止して、リビングで動いているものはエアコンだけ。普段は気にも留めないささやかな送風の音が、やけに小うるさく聞こえてきます。
ポン。
わたしの肩に、小笠原先輩の手が乗せられました。振り向くと小笠原先輩は右手の親指を立てて、リビングのドアを指し示します。
「お父さんと二人で話したいから、ちょっと席外してくれる?」
わたしは困惑しました。理由を尋ねようとした矢先に、お母さんが口を開きます。
「じゃあ、私もどこかに行かなくちゃね」
お母さんが椅子から離れ、わたしをじっと見つめてきました。そして「二階にいるから、終わったら呼んで」と言い残してリビングから出て行きます。そうなればわたしだけ残るわけにはいきません。お母さんを追いかけて廊下に出ると、お母さんは二階に続く階段の傍で立ち止まり、わたしを待っていました。
「ねえ」お母さんに歩み寄ります。「わたしたち、なんで追い出されたのかな」
お母さんがわたしを見つめ、落ち着いた声で語り出しました。
「男二人で話したいことがあるんでしょう。こっちも女二人で話したいことがあるから、ちょうど良かった」
「話したいこと?」
「あんた、あの男の子のこと、本当に好きなのね?」
「当たり前でしょ。好きじゃなきゃ連れてこないよ」
迷うことなく言い切ります。本当に当たり前すぎて、意味がよく分かりませんでした。お母さんの唇が柔らかくほころびます。
「そう」
お母さんがわたしに背を向け、階段を上り始めました。いきなり話したいことがあると言われて、聞くまでもないようなことを聞かれて、完全に置いてけぼりです。どうすればいいか分からず立ちすくんでいると、お母さんが階段の途中で足を止めて振り返りました。
「惚れた相手を生涯かけて守り抜く覚悟、だって」
お母さんがふふふと笑いました。そしてまた階段を上り出し、囁くような一言を足音に重ねます。
「カッコつけちゃって」
お父さんと小笠原先輩の話は、三十分ぐらいで終わりました。
終わってすぐ、お父さんから「小笠原くんとビリヤードをしに行くぞ」と言われました。元々ビリヤードはお父さんの趣味なので、そこは小笠原先輩と話が合うだろうと思ってはいましたが、あの流れからビリヤードをやることになる理由はさっぱり分かりません。きっとお父さんも小笠原ワールドに巻き込まれたのでしょう。
ビリヤードは、小笠原先輩がお父さんを終始ボコボコにしていました。ビリヤードの後は家で夕ご飯を食べました。そこで初めて小笠原先輩に会ったお兄ちゃんは最初こそ戸惑っていましたが、世代がだいたい同じだったので、いつの間にか高校時代に流行ったゲームや漫画の話で盛り上がっていました。
夕ご飯の後はお父さんが車で小笠原先輩を駅まで送り、顔合わせは無事に終わりました。とはいえ、わたしのやることが終わったわけではありません。自分の部屋でベッドに腰かけて、LINEで長野先輩にメッセージを送ります。
『今、大丈夫ですか?』
すぐにメッセージが既読になり、通話が飛んできました。通話を受けて耳にスマホを当てると、長野先輩の明るい声が鼓膜にじんと響きます。
「お疲れー。どうだった?」
「上手く行ったと思います。結婚式も普通にやれそうです」
「そうだよねえ。あいつがやるって決めたなら、それは実現するわ」
声に実感がこもっています。きっと似たようなことが何度もあったのでしょう。今日の結果を長野先輩に報告すると決まった時、そこには船井先輩も安木先輩もいましたが、三人とも「99%やると思うけど念のため」という感じでした。
結婚式のプランナーを、小笠原先輩は船井先輩たちに丸投げしました。
正しくは船井先輩に丸投げしました。そうしたら船井先輩が文句を言ったので、長野先輩と安木先輩も巻き込まれることになりました。かくして船井先輩たちはいつものように、小笠原先輩の思い付きを形にする役割を担うことになりました。
「もう何か企画とか考えてるんですか?」
「考えてる。明日、小笠原の実家に行くんだよね?」
いきなり話がわたしの予定に移りました。わたしは脈絡のなさに戸惑いつつ、とりあえず「はい」と答えます。今日、小笠原先輩がわたしの家に来たように、明日はわたしが小笠原先輩の家まで挨拶に伺います。わたしがけじめをつける必要はあまりないのですが、顔合わせが片方だけはしっくりこないのでそうなりました。
「そこで、あいつの過去を色々探ってみてくれない? 好きだった先生とか、仲良かった友達とか」
「いいですけど……どうしてですか?」
「サプライズのビデオレターを撮ろうと思って」
ビデオレター。確かに、結婚式の定番イベントです。
「昔話は聞いたことあるけど、人の名前までは知らないから、ビデオレター撮るなら調査が必要なんだよね。でもいきなりそんなの聞いたら『こいつらビデオレター撮る気だな』ってバレちゃうじゃない。だから家に行くなら卒アルとか見せてもらって、探り入れて欲しいの」
「分かりました。でもそれだとビデオレター撮る時、小笠原先輩の病気のことを勝手に暴露しちゃうことになりません?」
「それは誰にでも言っていいみたいよ。ぞうじゃなきゃ、余命のことを知らない人を式に呼べないから」
「……そんな人も呼ぶつもりなんですか?」
「小笠原は、友達の友達の友達ぐらいなら普通に来て欲しいみたいだけど」
「結婚式って近しい人たちでやるものだと思うんですけど」
「私もそう思うから、そういう真っ当なツッコミは小笠原に入れて」
確かに。わたしは納得して黙りました。すると長野先輩がすさかず「っていうか他にもさー」と、小笠原先輩の無茶ぶりについて延々と愚痴り始めます。文句を言いたくなるぐらい大変なのに、小笠原先輩のためにビデオレターまで撮ろうとしてるんですよね。そんなツッコミが思い浮かびましたが、ちょっと性格が悪いので言わないでおきました。
それから十五分ぐらい話して、通話が切れました。わたしはベッドに仰向けに寝転がり、天井を眺めながら今日一日のことを思い返します。家族に小笠原先輩を会わせて、みんなに認めてもらえて、何だかんだいい顔合わせでした。次はわたしの番。小笠原先輩に何だかんだいい顔合わせだったと思ってもらえるよう、頑張らなくてはなりません。
目をつむります。暗闇の中に会ったことのない小笠原先輩のお父さんと弟さんの顔を思い浮かべます。二人とも性格は小笠原先輩とは似ていないらしいのに、想像する二人はどうしても小笠原先輩とそっくりになってしまい、シミュレーションはなかなか上手くいきませんでした。
翌日、小笠原先輩の実家の最寄り駅に着いたわたしは、待っていた小笠原先輩に開口一番「緊張しすぎ」と言われました。
どうしてそう思ったのか聞いたところ、「肩が上がりすぎてMになっている」とのことでした。それを聞いたわたしは肩から力を抜きましたが、少し歩くとまた「M! M!」と指摘されました。小笠原先輩が笑いながら話しかけてきます。
「そんな緊張する?」
「しますよ。小笠原先輩はしなかったんですか?」
「あまり。何となく、いい家族なんだろうなーって思ってたから」
「実際はどうでした?」
「想像の百倍いい家族だった。ああやって認めて貰えると嬉しいね」
雑談しながら歩いているうちに、小笠原先輩の家に着きました。わたしの家と同じ二階建ての一軒家。小笠原先輩が「ただいまー」と玄関のドアを開け、わたしは肩をMにして家に上がりました。
まずは小笠原先輩の案内で、畳張りの和室に通されます。和室には大きな漆塗りのテーブルが置いてあり、奥にはたくさんの座布団が積み重なっていました。小笠原先輩がお父さんと弟さんを呼びに行っている間、わたしは座布団四枚をテーブルの周りに並べ、そのうち一枚に正座します。そして持ってきた紙袋からラッピングされたクッキーの詰め合わせを取り出し、テーブルの下に忍ばせてお父さんたちが現れるまで待機します。
鼓動が早まります。はしたない格好をしていないかと、家を出る前に何回もチェックしたワンピースの丈を全身鏡でチェックしたくなります。小笠原先輩はわたしの家族に良いイメージを持っていたから緊張しなかったと言いましたが、わたしだって小笠原先輩の家族に悪いイメージを持っているわけではありません。なのに、これ。とはいえ、わたしがおかしいわけではないと思います。小笠原先輩の心臓に剛毛が生えているだけでしょう。
ふすまが開きました。
小笠原先輩と男性二人が和室に入ってきます。小笠原先輩はわたしの隣に座り、その向かいに大人の男性が正座しました。わたしの向かいに座ったのは若い男の子。どちらも彫りの深い男らしい顔立ちをしていて、身体も大きくて厚みがあります。女顔で細い小笠原先輩とはあまり似ていません。
「はじめまして」
大人の男性が頭を下げました。そして自分が小笠原先輩の父親であることと、隣の男の子が高校三年生になる小笠原先輩の弟であることを語ります。わたしも頭を下げて自己紹介をしてから、用意していたクッキーの詰め合わせをテーブルの上に置きました。
「これ、お土産のお菓子です。良かったら」
「ありがとう。気を使わせて悪いね」
お父さんがクッキーを手元に引き寄せました。小笠原先輩がわたしの肩に手を置いてへらへらと笑います。
「いい子でしょー。俺が好きになるのも分かると思わない?」
お父さんがじろりと小笠原先輩をにらみ、わたしは背筋を強張らせました。わたしがにらまれているわけではない。分かっていても、怯えてしまいます。
「そうだな。他人の思いやれる優しい子なのだろう。だからこそ――」
お父さんの低い声が、にわかにボリュームを増しました。
「お前はその子のことをきちんと考えて、自分の行動を選ばなくてはならない」
お父さんが立ち上がりました。強かった威圧感がさらに増します。
「お前の人生だ。お前はお前を好きにしていい。だけど他人を好きにしていいわけじゃない。お前の命が残り少ないことは、何の免罪符にもならない」
小笠原先輩を見下ろし、お父さんが厳しい言葉を投げかけます。わたしはすっかり蚊帳の外。顔合わせという主旨が見事に消えてしまっています。
「お前はその子の人生の責任を取れない。それだけは絶対に忘れるな」
お父さんが歩き出し、ふすまを開けて和室から出ていきました。あまりの展開にわたしが呆けているうちに、弟さんもすっくと立ち上がります。
「ごめん。俺も特に言うことない」
弟さんがわたしを見やりました。小笠原先輩とは違う、意志の強そうな瞳。
「あなたも、自分が何をさせられているのか、少し考えた方がいいと思います」
お父さんと同じように、弟さんが和室から出ていきました。二人が現れてから約一分。名前すら聞けずに顔合わせは終了です。わたしは動揺し、おろおろと小笠原先輩に話しかけます。
「どうしましょう」
小笠原先輩が「んー」と腕を組んで目をつむりました。そしてしばらく経ってからぱちりとまぶたを上げ、右のひとさし指を伸ばします。
「とりあえずさ」
指先が、テーブルの上のクッキーに向けられました。
「あれ、食べちゃお」
「たぶんオヤジは、情を移したくなかったんじゃないかなー」
ザラメをまぶしたクッキーを頬張り、小笠原先輩が呟きます。わたしは「情?」と聞き返してレーズン入りのクッキーをかじりました。生地の甘みとレーズンの酸味が織りなすハーモニーが、唾液に乗って舌の上に広がります。
「クソ真面目だから、結婚式でも何でもやれとは言えない。でも俺の気持ちを考えたらやるなとも言えないでしょ。ガチの一生のお願いだもん。だから距離を置くことにしたんだよ。何も言えないから、何か言いたくならないようにしてる」
「じゃあ、わたしが歓迎されてないわけじゃないんですね?」
「うん。むしろ、こんなアホにこんな素敵なお嬢さんがついてくれるなんて申し訳ないって感じだと思うよ」
「弟さんは?」
少し間が空きました。小笠原先輩が新しいクッキーに手を伸ばし、わたしを見ずに呟きます。
「あいつは、ちょっと歓迎してないかも」
ガリッ。小笠原先輩がクッキーを歯で砕きました。しばらく顎を上下に動かし、咀嚼したクッキーを飲み込んでから続きを語ります。
「誰を連れて来ても同じだとは思うけどね。あいつが歓迎してないのは、相手じゃなくて俺の方だから」
「……あまり仲良くないんですか?」
「女の子がらみは信頼されてないって感じ。それで揉めたことあって」
「揉めた?」
「うん。あいつの好きな子、俺が取っちゃって」
わたしは息を呑みました。小笠原先輩は淡々と話し続けます。
「俺が高三であいつが中三の時、あいつがクラスメイトとうちで定期的に勉強会を開いてて、その中にあいつの好きな子もいたの。そんで俺も頭いいわけじゃないけど中三の勉強見るぐらいならできるから、たまに教えたりしてたのね。そうしたらあいつの好きな子が俺に惚れたみたいで、あいつがラブレターを俺に届けに来た」
自分の好きな相手が、自分の兄弟を好きになって、ラブレターを渡してくれと頼まれる。弟さんの心境を想い、胸がきゅうと苦しくなりました。小笠原先輩もその苦しさを理解しているのか、横顔が珍しく物憂げです。
「俺はその子のこと好きじゃなかったし、逆にあいつがその子のことを好きなのはバレバレだったから断ったんだけど、あいつが頼むから付き合ってやってくれって頭下げるからとりあえず付き合ってみることした。でもやっぱ無理じゃん。だからすぐ別れることになって、そん時にあいつのことも考えてやってくれみたいなことを言ったんだよね。そうしたら、その子があいつにその話をしたみたいでさ、馬鹿にするなってめっちゃキレられたの」
小笠原先輩がテーブルに頬杖をつき、ぼんやりと中空を見上げました。
「あいつには、俺が面白がってあいつの恋愛を引っかき回してるように見えたんだろうね。そんなつもりはなかったけど、そう見えるのも仕方ないとは思う。焚きつけてやろうって気持ちが全くなかったわけじゃないし」
小笠原先輩は、確かに人を振り回します。
だけど、人を傷つけてもいいと思っているわけではありません。本当にただ派手なことをしたいだけの人ではない。それだったらきっと今頃は、爆音を鳴らしながらバイクで公道を暴走するみたいな方向に進んでいます。
ただ、人を傷つけたくて傷つける人なんて、そんなに多くはありません。傷つけたくなくて、それでも傷つけてしまう。それは小笠原先輩もそうです。良かれと思ってやったことが真逆の結果になる。そういうことが普通に起こります。
「だからあいつは、また俺がまた適当な気持ちで女の子を弄んでるんじゃないかって疑ってるわけ。そして――」
小笠原先輩がわたしの方を向きました。頬杖をついていない手で銃の形を作り、その銃口をわたしにつきつけます。
「そんな俺と平気で付き合ってる子のことも、あまり気に入ってない」
見えない弾丸に貫かれ、わたしは目を見開きました。小笠原先輩が両手を組んで大きく伸びをします。
「まー、でも、結婚式なんて絶対に許さないってわけじゃないからさ。それはそれ、これはこれでやっちゃおうよ。どうせ親族は呼ばないし」
――いいのでしょうか。確かに結婚式ごっこかもしれませんが、余命いくばくもない小笠原先輩にとってはごっこでは済みません。残りの人生の伴侶を紹介する、普通の結婚式と遜色のない場になるはずです。
「ところで顔合わせ終わったけど、どうする?」
「……せっかく実家に行くんだし、卒業アルバムとか見たいなーって思ってたんですけど、いいですか?」
「いいねー。面白そう。持ってくるよ」
小笠原先輩が和室から出て行きました。わたしは腿の上に乗せた手をぎゅっと握りしめます。部屋を出る時に弟さんが見せた寂しそうな目が、今でも宙に浮かんでわたしを監視しているようで、小笠原先輩が小中高の卒業アルバムを持って戻って来るまでわたしは正座を崩せませんでした。
長野先輩に与えられたミッションは、順調に進みました。
卒業アルバムを眺めながら語られる思い出話はバリエーションに富んでいて、ビデオレターの撮影候補は絞り切れなくて困るぐらい集まりました。あまりにも情報量がすごくて、わたしは途中で登場人物の名前を覚えきれなくなりました。一旦セーブをしようとスマホを持って立ち上がります。
「トイレ行ってきます」
わたしは和室を出て、トイレに向かいました。そしてトイレのドアの横の壁にもたれかかり、スマホを取り出して急いでメモをします。小学校の先生、中学校の部活の顧問、高校生の頃の親友、それから――
ギシッ。
上の階から、床の軋む音が聞こえました。わたしはスマホから顔を上げ、近くにある二階へと続く階段を見つめます。やがて足音と共に下りてきた弟さんが、わたしとトイレのドアを見比べて軽く頭を下げました。
「どうも」
何のどうもなのか分かりませんが、ひとまず「どうも」と返します。弟さんがわたしの目の前を通り過ぎました。そしてトイレのドアノブに手をかけます。
「あの」弟さんの方を向きます。「わたしのこと、気に食わないですか?」
ドアノブから手を離し、弟さんが振り向きました。わたしは自分で声をかけたくせに動揺し、あわあわと言葉を繋ぎます。
「えっと、その、他意はないんです。たださっきすぐに出ていっちゃったから、もしかしてわたしのことがイヤだったのかなって」
「……別に、そんなことはありませんけど」
「けど?」
続きを迫ります。自分で言っておいて、何が「他意はない」だと思いました。弟さんが困ったようにわたしから目を逸らします。
「なんか、かわいそうだなとは思いました」
「わたしが?」
「はい。兄貴にとって全ての人間は自分の引き立て役なので」
強烈なフレーズが飛び出しました。固まる私の前で、弟さんが不満そうに口を尖らせます。
「兄貴の世界の中心には、いつだって兄貴がいる。そりゃ、どうせなら引き立て役にも喜んでもらいたいぐらいのことは考えますけど、その程度ですよ。俺は兄貴のそういうところはあまり好きじゃないし」
弟くんが眼球を動かし、じろりとわたしを見やりました。
「そんな兄貴を増長させる人も、正直、苦手です」
あなたのことを言っています。目線でそう語られ、わたしはたじろぎました。こんな真っ直ぐに敵意をぶつけられたのは久しぶりです。高校二年生の時、友達が大好きなボーイズダンスグループの男の子について、若手お笑い芸人の名前を出して「似てるよね」と言ってしまった時以来かもしれません。
――それはそれ、これはこれでやっちゃおうよ。
これは確かに、それしかないかもしれません。小笠原先輩に残された時間はわずかです。そのわずかな時間を使って優先すべきことは――
――ああやって認めて貰えると嬉しいね。
「あの」
とんでもないことを言おうとしている。頭では分かっているのに止まりません。小笠原先輩がとんでもないことを言い出す時も、もしかしたらこんな感じなのかもしれない。そう思いました。
「頼みたいことがあります」
電車が停まり、ドアが開きました。
むわっとした真夏の熱気に襲われ、わたしは顔をしかめました。汗をかいた感覚があり、白いフリルトップスに染みができないか心配になってきます。とはいえ、今から家に戻って汗染みが目立たない色の服に着替えるわけにもいきません。ホームに降りて改札に向かいます。
改札を出ると、船井先輩と長野先輩と安木先輩が既に集まっていました。全員トップスは半袖のTシャツ。逆にボトムスは船井先輩が短パン、長野先輩がデニム、安木先輩がチノパンと別れています。わたしもチェック柄のスカートなので被りはありません。長野先輩のシャツにはサイケデリックな猫が描いてあって、ちょっと不思議ちゃんな感じです。
「おはようございます。遅くなってすいません」
「時間ピッタリだろ? 大丈夫だよ」
船井先輩がフォローを入れてくれました。時間ピッタリ。確かにそうです。でもピッタリなのに、最後の一人はまだ来ていません。
「ねえ。もう一人は本当に来るの?」
長野先輩に問いかけられ、わたしはおずおずと頷きました。そしてハンドバックからスマホを取り出し、親指をディスプレイの上に走らせます。
「一応、今日の朝も確認しました。……あっ!」
わたしは声を上げました。長野先輩が横からスマホを覗き込みます。
「どうしたの?」
「待ち合わせ時間、11:00じゃなくて11:10って打っちゃってます」
「じゃあ十分ぐらい遅れて来るのね。まあ、それぐらいなら――」
「あの」
聞き覚えのある声が、わたしの耳に届きました。
振り向くと、小笠原先輩の弟さんが立っていました。半袖のワイシャツにグレーのズボン。たぶん、制服です。ワイシャツのボタンは一番上まで留められており、爽やかな黒い短髪と相まって、休日に試合に出かける運動部のように見えます。
「お待たせしてすいません。早く出たつもりだったんですけど……」
「……ねえ、今日の集合時間、何時何分だと思ってた?」
「十一時十分じゃないんですか?」
「十分早いよ?」
「一番年下ですから、遅いぐらいですよ」
わたしは二番目に年下ですが、十一時ピッタリに来ました。話題を変えます。
「なんで制服なの?」
「今日は兄貴に縁のある人たちを訪問して、結婚式のビデオレターを撮らせて頂くんですよね。だったらフォーマルな服装の方がいいと思って」
船井先輩が、短パンと生足を隠すように安木先輩の背後に移動しました。長野先輩も弟さんからシャツの猫の絵が見にくくなるように身体を背けます。
「では、初めての方もいるので改めて自己紹介させて下さい」
弟さんがピッと背を伸ばしました。そして両手を脇に揃え、深く頭を下げます。
「小笠原俊樹。十七歳の高校三年生です。今日はよろしくお願いします」
みんなが圧倒される中、船井先輩がかろうじて「よろしく」と返事をしました。長野先輩がどこか納得のいってない顔で首をひねります。
「ねえ」
率直で妥当な疑問が、長野先輩の口から飛び出しました。
「この子、本当にあいつの弟なの?」
俊樹くんがビデオレターの撮影に参加することになったと聞いても、船井先輩たちはあまり動じませんでした。
何でも「そういう暴走は小笠原で慣れている」そうです。ついでに暴走したわたしに「小笠原に似てきた」という評価を頂きました。わたしは小笠原先輩に憧れていたはずなのですが、なぜだかすごく微妙な気持ちになりました。
繁華街の甘味処に入ります。二人がけの席を三つ繋げて長いテーブルを作り、五人で座ってそれぞれ好きなものを注文します。わたしはあんみつを頼みました。暑い日にクーラーの効いたお店に入って食べる甘いものは最高です。生きている実感が湧きます。
あんみつを食べ終えた頃、藤色のブラウスを着た白髪のおばあちゃんがお店に入ってきて、わたしたちのテーブルに歩み寄ってきました。小笠原先輩が小学五年生と六年生の時の担任、丹羽先生です。小笠原先輩を教えている時にもう定年間近だったそうですから、歳は六十後半から七十と言ったところでしょう。ですが頬肉は上がっていて、背筋も張っています。わたしも教育学部生として将来は先生になるかもしれないわけですが、もしなるならこういう雰囲気の先生になりたい。そう思わせてくれる佇まいです。
「あなた方が、小笠原くんの?」
「はい。そうです。まずはそちらにおかけ下さい」
船井先輩が示した空席に丹波先生が座ります。全員の自己紹介と今日の主旨の説明を済ませたら、いよいよ撮影です。インタビュアーの船井先輩と長野先輩は丹波先生の正面に、カメラマンの安木先輩はハンディカムを構えて斜め前に座ります。わたしと俊樹くんはカメラに映らないところに椅子を動かして待機。一応、サブのインタビュアーとして発言は許されています。
「では、これから撮影を始めさせていただきます。」
船井先輩の合図で撮影が始まりました。まずは軽い自己紹介。そしてすぐに小笠原先輩の過去に話が伸びます。
「丹波先生から見て、小学生の小笠原くんはどういう子でしたか?」
「めちゃくちゃだったわ」
迷いなく言い切り、丹波先生がため息をつきました。思い出すだけで疲れるとでも言いたげです。だけど口元は、幸せそうにほころんでいました。
「小笠原くんの友達が、コンビニの店長に万引きを疑われた時の話をしましょうか」
丹波先生が目を細めました。目尻に深いしわが浮かびます。
「万引きしたと思われたものはカードゲームのカード。実際に万引き被害は継続的にあったそうだから、神経質になっていたんでしょうね。でもその子は万引きなんてしていないし、証拠も出て来なかった。ただ店長はそこで引かなかったのよ。その子の家が母子家庭でお金がないのを知っていたから、そういうところも突いて、コンビニのバックルームでその子を何時間も責め続けたらしいわ」
ひどい。わたしは眉をひそめました。そんなわたしの心理を読み切り、丹波先生が語り続けます。
「ひどい話だと思ったでしょう。小笠原くんもそう思ったわ。そこまではみんなと一緒。ただその後にやることが、あの子のオリジナリティなのよね」
感性は普通の人と同じ。だけど行動がぶっ飛んでいる。確かに、その通りかもしれません。感性だけなら安木先輩の方が変わっている気がします。
「友達が受けた仕打ちを知った小笠原くんは、コンビニに復讐することにした。ただし暴力的な手段はなし。さて、何をしたと思う?」
丹波先生がクイズを出します。船井先輩が自信なさげに答えました。
「コンビニの悪評を流した、とか」
「評判を下げようとしたのは正解。でも小笠原くんはそのコンビニを下げるんじゃなくて、他の店を上げようとした」
「他の店を上げる?」
「そのコンビニと同じものを安く買えるお店を調べて、チラシにして配ったの。そうしたら地域で話題になって、学校も巻き込んで大騒ぎになったわ。そして騒ぎになれば店長の仕打ちも広まってコンビニの評判は下がる。さっきは他の店を上げようとしたと言ったけれど、本当の狙いはそっちだったのかも」
「騒ぎにしたいだけなら、もっと直接的なやり方がありませんか?」
「そうね。でも小笠原くんにそんな理屈を言っても無意味。あなたたちもそれは分かっているんじゃない?」
船井先輩が黙りました。丹波先生が不敵に笑います。
「最適でも、最善でもなく、最高を選ぶ。小笠原くんはそういう子だった。だから今日、こうやってあなたたちに呼び出されて嬉しかったわ。あれから倍の年齢になっても小笠原くんが変わってないことを知れて、本当に嬉しかった」
うっとりとした顔。きっと長い教員人生の中でも特別に思い入れのある相手なのでしょう。数ある候補の中から丹波先生を撮影相手に選んだのは、学校経由で連絡が取れそうだったからなのですが、選んで良かったと心の底から思いました。
その後も丹波先生は、小笠原先輩の思い出を色々と語ってくれました。やがて用意していた質問も尽き、船井先輩が〆に入ります。
「では最後に、小笠原くんへのメッセージをお願いしてもいいですか?」
「分かったわ」
丹波先生がこほんと小さく咳払いをしました。それから安木先輩の構えているカメラと向き合います。
「小笠原くん、結婚おめでとう」
波の音のような、しわがれた柔らかい声が、わたしの耳をくすぐりました。
「あなたと過ごした日々は本当に大変だったけれど、本当に楽しかった。今あなたと一緒にいる人たちも、きっと同じように感じていると思います。これからもあなたらしく駆け抜けてください。あなたが最後まであなたで在り続けることを、先生は期待しています」
撮影終了。船井先輩がお礼を言い、安木先輩がハンディカムを切ります。一仕事終えた達成感が場に満ちる中、丹波先生がわたしに話しかけてきました。
「ねえ、あなたが小笠原くんのお嫁さんでいいのよね?」
お嫁さん。聞き慣れない響きに耳たぶが熱くなります。
「そうです」
「じゃあ、あの子に伝言をお願い。私もすぐ逝くって伝えてちょうだい」
返事の言葉が出てきませんでした。丹波先生が自分の胸に手を当てます。
「あと一年ですって」
詳細を語らずとも、何を言いたいかはすぐに分かりました。
「もちろん見立ては見立てだから、私の方が先に逝くこともあるかもしれない。でも向こうで会えることは間違いない。それがほんの僅かでもあの子の支えになってくれるなら嬉しいの。こんなおばあちゃんでもそれが分かった時は辛くて、世の中を恨みたくもなったけれど、少しは意味があったんだなと思えるわ」
丹波先生の表情は、今までと同じように穏やかでした。こういう話をしている時にそういう顔ができる人を、わたしは一人だけ知っています。小笠原先輩です。丹波先生を撮影相手に選んでよかった。改めて、思います。
だけど――
「すいません。それは伝えられません」
わたしは頭を下げました。そして上げ直し、丹波先生の目をじっと見つめます。
「結婚式が終わったら、今度は夫婦で会いに来ます。その時に丹波先生の口から直接お話ししてください」
丹波先生が乾いた唇が、ふわりとほころびました。
「分かったわ」
二人目の撮影相手は、小笠原先輩の高校時代の男友達、鴨志田さんです。
高二の時にクラスメイトとして出会ってからずっとつるんでいて、俊樹くんも話したことはありませんが見かけたことはあるそうです。今回は、小笠原先輩の過去を探っている時に見せてもらったインスタグラムのアカウントを通じて、連絡を取らせて頂きました。
待ち合わせ場所はファミリーレストラン。早めに入り、先にわたしたちのお昼を済ませます。わたしはオムライスを、長野先輩はたらこスパゲティを、安木先輩は鳥雑炊を食べました。船井先輩と俊樹くんはハンバーグに大盛ライスをつけた上にポテトフライを半分こしており、さすが二人とも身体が大きいだけあるなあと感心してしまいました。
鴨志田さんは、わたしたちが食後のコーヒーを飲んでいる時に現れました。
ぱっちりした二重に、スラッとしたシルエット。正統派のイケメンです。まずはお互いに自己紹介をします。それから六人がけのボックス席に前と同じ配置を作り、船井先輩が代表として話し始めます。
「では、これから撮影を始めさせていただきます」
「あ、ちょっと」
鴨志田さんが出鼻をくじきました。そして流れを自分の方に持っていきます。
「敬語は止めない? 肩ひじ張られるとこっちも緊張するからさ」
船井先輩が口ごもり、横目で隣の長野先輩を見やりました。無言のメッセージを受け取った長野先輩が動きます。
「分かった。じゃあ、雑談っぽくやるね。まずは――」
さすが、長野先輩。アクシデントに強いです。台本のある仕事をきっちりこなす船井先輩と上手く役割分担ができています。
「――それで、小笠原とはどんな友達だったの?」
「単純に遊び仲間だよ。君たちビリヤードサークルの仲間だよね。あいつにビリヤード教えたの俺だから」
「そうなの?」
「そうなの。だから君たちがオガちゃんと出会えたのは、俺のおかげ」
鴨志田さんがニッと笑いました。並びのいい白い歯が眩しいです。
「遊びの趣味が合ったから仲良くなった感じ?」
「それもある。でも一番大きいのは、俺もオガちゃんも学校みたいなカッチリした空間が苦手だったからかな。だからよく一緒に授業サボって遊んでた」
「サボっちゃうんだ」
「そう。オガちゃんは小さい頃にお母さんを亡くしてるだろ。あの体験があるから、やりたいことはやりたい時にやるって決めてるんだよ」
鴨志田さんが俊樹くんを一瞥しました。俊樹くんの肩が小さく上下します。
「誰にだって、天気がいいから学校サボって海に行きたいみたいなことを考える瞬間はある。でも即行動に移せるのは一握りだ。オガちゃんは特に爆速で、俺はついていけなくて『今から?』とか聞くこともあった。そうすると、オガちゃんは『だって明日には死んじゃってるかもしれないじゃん』とか返してくる」
鴨志田さんの視線が、わずかに横に逸れました。
「結果的にこうなってるんだから、それが正解だったんだろうな」
こうなっている。みんなが思い出したくないことを思い出し、場の空気が沈みました。長野先輩が仕切り直すように軽く咳払いをします。
「そんなの、結果論じゃないですか」
刺々しい声が、しんみりとした雰囲気を打ち砕きました。全員の視線が声の主――わたしの隣の俊樹くんに向けられます。
「こうなることが予想できていたわけじゃない。あの時ちゃんと勉強しておけば良かったと思う可能性だってあった。だから今から逆算して、兄貴の行動を正当化はできません。それはただの結果論です」
俊樹くんが鴨志田さんを見つめます。鴨志田さんは視線を受け止め、ふっと小さく笑いました。
「俺もそう思う」
余裕たっぷりに言葉を放ち、鴨志田さんが座席に深く身を沈めました。
「俺は結果的に正解だったって言ってるだけだからね。結果論で正解。オガちゃんの人間性を評価してるつもりはないよ」
鴨志田さんが肩をすくめました。芝居かがった仕草が画になっています。
「ただ個人的な評価でいいなら、俺はオガちゃんの性格は好きだ。君がどんな想いを抱いていてもそれは変わらない」
はっきりと言い切ります。俊樹くんが鴨志田さんから視線を外しました。テーブルの何も置かれていないスペースを見つめ、呟きをこぼします。
「分かりました」
話が途切れました。長野先輩が「じゃあ、次の質問だけど」と言って撮影を再開します。それから撮影が終わるまで、俊樹くんは一言も喋らず、ほとんど鴨志田さんの方を向きもしませんでした。