裏帳簿を捲りながら物凄い勢いで算盤を弾くJJを他所に、ちゃっかり書類を完成させたトレヴァー。そしてシェリーは、早速それに一切の躊躇なくサインをした。

「JJ、忙しいところ悪いんだけど、『これ(後見人承諾書)』にサインくれないかな?」

 などと碌に説明もせずに書類を差し出すシェリー。それは殆ど詐欺の手口である。

「え? あ、はい。……これで良いですか? では自分は裏帳簿(これ)の計算がありますので――ところで何の書類ですか?」

 JJはシェリーに、雇用主として絶対の信頼を寄せている。よってその書類はおかしなものではないとは思っていた。
 まぁ確かにそれはおかしなものではない。正当なものだ。
ただそれは、本来であったなら互いに相談した上で納得してからサインするものの筈である。
 それを完全にすっ飛ばして、(あたか)も騙し討ちのようにするのは(いささ)かどころか相当問題があるだろう。

「後見人の承諾書。JJは今から私の後見人になったから」
「は? 後見人ですか? あの、何故に自分に?」
「だって、この中じゃあそれに相応しいのってJJしかいないから。ザックはエイリーンさんと色々するだろうから忙しいだろうし、リーや他だと私がイヤになるから」

 みんなして変態だし。言外にそう訴え、半眼で周囲を見回す。リーを見るときには特大の冷たく蔑むオプション(御褒美)付きだ。

 そしてそれに釣られて、同じくJJは自分の周囲を見回した。

 ピンクな雰囲気を醸し出して今にもおっ(ぱじ)めそうなアイザック(店長)エイリーン(事務受付)とか、シェリーの視線に再び悶絶するリー(変態)――もといリー(副店長)とか、そんな有様を羨望と嫉妬が入り混じった視線を向け、跪いて血涙を流し始める店員達(豚野郎ども)を冷めた表情と目付きで俯瞰(ふかん)し、JJは溜息と共に納得する。

「確かにこの変た――中では自分が適任でしょう。それはあきら――納得しました。でも良いのですかシェリー。これでも自分は男ですよ? 然も性欲が強い龍種(りゅうしゅ)です。こんなのを後見人にして、こういう言い方は露骨ですが、いつ自分に襲われるか判りませんよ?」

 JJは真剣な表情でそんなことを言う。それは脅しでもなんでもなく、客観的な事実だ。
 龍種――龍人は繁殖が難しい種族であり、そのためなのか性欲が非常に強い。純粋に他種属より回数を熟す必要があるからだ。アイザックを真っ白に燃え尽きさせるエイリーンが良い例である。

「まぁ、そのときはそのときで。それにJJくらい金銭管理がしっかりしていて責任感も強いなら、私も幸せになれるかなーと思ってはいるよ。見た目も悪くないし、それに愛情とかなんて後から生えてくるでしょ」

 案外冷めてるシェリーちゃん。自分で言っておいてなんだが、成人前の女の子が恋愛に対して夢見ることなく打算的にそんなことを言って良いのか、とか考え頭痛がしてくるJJだった。

「あ、あとするなら手加減してね。流石にいきなり激しいのは怖いから」
「あのねぇ……襲われる前提で話しを進めるのは止めて下さいよ。判りました、引き受けます。それから、前もって言っておきます。シェリーは確かに可愛らしいですが、大恩あるエセル様の忘形見を相手に性欲をぶつけるほど自分は節操なしではありませんので、ご安心を」
「あ、うん。JJならそう言うとは思っていたよ。でも万が一って場合があるから。ほら酒に酔ってやらかすとか」

 そんなことでやらかした母親(エセル)のことを言ったのだが、それが聞こえたアイザックが挙動不審にあらぬ方へと視線を泳がせているのは何故だろう。
 とか疑問に思うシェリー。その挙動不審な仕草そのものが答えなのは言わずもがなである。

「じゃあ後見人はJJということで。それで相続に関してだけど……」
「おいJJ。お嬢の後見人を引き受けるって本気なのかよ? このリー・イーリーを差し置いて良い目見てんじゃねぇぞゴラ!」
「あ゛? 誰が良い目見てるってんだカスが! 手前ぇみてぇなクズがなるよりマシだろうが身の程を知れや!」
「んだとこの守銭奴が! 手前ぇみてぇな金にしか興味がねぇクソ野郎が身の程とか、龍のクセにピーチクパーチク(さえず)ってんじゃねぇぞゴラ!」
「囀ってねぇだろうがこんチビが! 龍莫迦にしてんじゃねぇぞ目ン玉見えねぇ糸目野郎が何処見てんだクソが!」
「あ゛あ゛? 誰が糸目だこん屑龍が! マクダフ平原を仕切ってた〝草原の災厄者(プレリ・カラミテ)〟嘗めてんじゃねぇぞオラ!」
「はン、なにが〝草原の災厄者(プレリ・カラミテ)〟だこんクソが! 手前ぇなんざ災厄者(カラミテ)じゃねぇだろ! 草原に落ちてる獣のクソだろうが!」
「誰がクソだとこの野郎! 手前ぇみてぇな出来損ないの屑龍が偉そうに歌ってんじゃねぇぞ!」
「〝大気の戦鎚(アトモスフェル・マルト)〟!」
「あ゛あ゛!? もっぺん言ってみろこんクソがおぶぁ!?」
「あ゛あ゛!? そっちこそ今すぐにでも死にてぇのかクズがぶふぉあ!?」
「お黙り!」
『イエス・マム!』

 シェリーの後見人にJJが選ばれたのが気に入らなかったのか、唐突に口論というか口喧嘩を始めるリーとJJ。

 草原の妖精と龍種は、基本的に仲が悪い。大雑把というか多らかというか、悪く言ってしまえばチャランポランな草原の妖精に対して、龍種は異常ともいえるほど潔癖だから。

 そしてそれを、風魔法で二人纏めてぶっ飛ばしてから一喝して黙らせるシェリー。
 そのぶっ飛ばされて壁にしこたま顔面をぶつけ、盛大に鼻血を噴いている二人は、それでも即座に立ち上がって直立不動で同時にそんなことを言う。
 それでもリーは頬を赤らめてやたらと嬉しそうなのが、ちょっとどころか相当気持ち悪いと心の底から思うシェリーだった。

 余談だが、シェリーが使った〝大気の戦鎚(アトモスフェル・マルト)〟は風の中級魔法ではあるのだが、そのピーキーな性能から一部では上級で良いんじゃないかと分類を再検討されていたりする。

 どの辺が難しいかというと、まず大気を圧縮する魔法技術が難解で、更にそれを、効果を絞って本物の鈍器のように叩き付けるのだが、その「圧縮」と効果範囲の「絞り」と鈍器のように「叩き付ける」のを同時にやらなければならないのだ。
 幾ら同属性の魔法であるとはいえ、それは既に三重詠唱(トゥロワ・ソール)と同等の難易度になる。

 そんな難解な魔法を思わず使っちゃったシェリーは、実は魔法を習ったことがなかった。というかどのような魔法属性に適性があるのかすら判っていなかったりする。
 本来であったなら一〇歳で魔法適性を調べるのが通例なのだが、九歳で母親を亡くしてからずっと陣頭に立って商会を切り盛りしていたために、すっかり忘れ去っていた。
 それに今更そんなことを調べるのも面倒臭いし、それで一切困ってなどいないため、それをそのまま放置していたりする。

 なにより、そんなことをいちいち調べたり学んだりしなくとも、そうするまでもなく、なんとなくだが()()使()()()から。

 そんな遣り取りをよそに、出来上がった書類を封筒に入れてアップルジャック商会の封蝋(ふうろう)をするトレヴァー。そして商会の小間使いにそれの申請と受理をする審判省(しんぱんしょう)へ持って行くように言うのだが――

「その大役、俺が請け負おう。任せておけ! 審判省の仕事が遅い無能役人どもを(おど)――発破を掛けて今日の正午までには受理させてみせる!」

 そう言いながら、ヒューはトレヴァーの手から一瞬にしてその封筒を奪って直したばかりの出入口から文字通り飛び出して行く。
 その一瞬の出来事に、流石のトレヴァーも反応出来なかったようだ。

 だが特級国法士であるヒューがわざわざ持って行くと言うのだ。これ以上ないくらい適任と言える。

 まぁそれは良いとして――

「ええと、今一〇時前よね? 今日の正午まであと二時間強なのに受理って、無理じゃないの? というか、役人を脅すって言ってなかった?」
「あー、あのジジイならやりかねん。だがあれでも有言実行が信条だからな。どんな手を使うか知らねぇが、きっと本当に正午には受理させちまうだろうよ」

 無茶苦茶なことを言いながら飛び出したヒューに対して、実にノンビリとその無茶苦茶を肯定するトレヴァーだった。
 なんだかんだで、お互いにその仕事に対しては信頼しているようである。

 仕事に対して()()――だが。

 そんなこんなで後見人の手続きを終え、そして今度はロクデナシ(イヴォン)の負の遺産とも言うべき借金の精算に取り掛かる。
 まぁこれはほぼJJがするわけなのだが、それでも帳簿の整理や商会の適正な収支を除く作業は、アイザックを始めとした店員達の仕事になる。

 そしてそれらが終わったのは、もうじき正午になろうかという時間だった。それでも早いことには変わりはないが。

 そんな面倒な作業が終了し、

「お疲れ様ザック。相変わらず仕事が早いのね」
「おお、ありがとうエイリーン。いや皆が頑張ったおかげだよ」
「ふふ、謙虚なザックも素敵。ねぇ、今夜いいしょう? ザック成分が足りないの」
「こらこら、まだ仕事中だぞ。だがまぁ、それも良いかな」

 何故かイチャイチャしているアイザックとエイリーンを、明確な殺意が籠もった視線で睨む店員達。
 他人のイチャイチャを至近距離で目の当たりにすれば、誰だってそうなったり砂糖を吐きそうになるだろう。

 そしてそんなピンクなイチャイチャを展開して周囲の殺意を欲しい侭にしている店長(アイザック)事務受付(エイリーン)を白けた表情を浮かべつつ横眼で眺めながら、シェリーはリンゴジュースをグラスに注いで水魔法を掛けて冷やし、イヴォンの財産相続の書類を作成しているトレヴァーへ無言で差し出した。
 そしてトレヴァーはそれを無言で受け取り、まるで一杯引っ掛けているかのようにチビリと口にする。

 関係ないが、トレヴァー氏はアルコール類は一切飲めなかった。一口飲んで顔が赤くなり、二口飲んで顔色が土気色になり、三口飲んで嘔吐しぶっ倒れるのである。
 更に関係ないが、ヒュー氏は()と呼ばれるほど酒が強い。アップルジャック商会の初代会長である酒豪と謳われた(ザル)のニコラスに「呑んでも引っ掛からねぇから酒の無駄」と謂わしめたほどだ。

 そんなアルコールにめっぽう弱いがどう見ても吞んでいるようにしか見えない、実は相当な甘党なトレヴァーがその書類を仕上げた頃にヒューが戻り、本当に後見人の認可を勝ち取ってドヤ顔をして皆を驚愕させていると、

「ぅお~い、邪魔する……ぜぶべら!?」

 そんな礼儀もなにもあったものではない挨拶と共に、樽のような体躯の口髭を生やしている男が、やたらとガラの悪い連中を伴ってアップルジャック商会を訪れた。

 その樽のような体躯の、体脂肪率が30%はありそうな男こそ、オスコション商会の会長であるハロルド・オスコションその人であった。

 彼は好色そうな――いや、好色というかただのエロジジイな笑みを浮かべて出入り口のクリスタルガラス製の引き戸を乱暴に開け……ようとして開けられず、だが入ろうとして発生している体型に比例した特大の慣性を止められずに見事に顔面をぶつけて、体勢を小気味良く崩してよろめき、だが気を取り直して今度は慎重に開けて入って来る。
 クリスタルガラスに皮脂汚れが有り得ないくらい大量にベッチョリ付いてしまい、シェリーは盛大に二つの意味で嫌な顔をした。

 アップルジャック商会の出入り口の引き戸は、乱暴に開けようとすると自動でロックが掛かる仕組みになっていた。因みに、エセルの発明品である。そして特許取得済みだった。
 先程ヒューとトレヴァーの身内喧嘩で壊されたのだが、その機構を見事に直しているヒューは、流石と言うべきだろう。

「ああん? あんたらウチになんの用よ?」
「ああ、お嬢……そのタマラナイ視線を是非ワタクシにも……」

 ドサクサに紛れて変態的欲求をするリーを視線で黙らせ、ヒューにリンゴ酒をロックのダブルで提供してから後見人の書類を確認していたシェリーは、だが不届きな闖入者(ちんにゅうしゃ)が現れたためにその確認作業を中断し――彼女は一目見れば大体理解出来るために二度見の必要はないが――不機嫌も露に吐き捨てるように言う。シェリーはハロルドのねちっこい視線が、リー(変態)よりも苦手だった。いや、苦手というより嫌悪していた。

 因みにリーは、先程の視線でまたしても床に転がってビクンビクンしていたりする。
 現在四六歳のリーは、このアップルジャック商会では最年長であり、そしてその変態歴も誰より長く、誰にも負けない自信と自負があった。
 そんなものは汚水と一緒に流してしまえと、シェリーは常々言ってはいる。当たり前に効果はないが。

「なーに、大した用じゃねぇんだが、そちらの会長の借金をいい加減に精算して欲しくてなぁ」

 嫌らしくニヤニヤニタニタと笑いながらそんなことを言う、ハロルドと後ろの柄の悪い男達。
 だがそんなことは既に織り込み済みなシェリー。というか皆して同じような表情と顔をしているため、区別する方が難しいと見当違いなことを考えていたりする。
 よって一切動揺することなく従業員達を見回してゆっくりと移動し、そしてやけに清々しい賢者のように悟った表情で床に転がっているリーにイラっとして下っ腹を踏ん付けてグリっとターンをしつつハロルドから離れる。
 別に怯えているとかではなく、単にギトギト脂ギッシュなハロルドを視界に入れたくないだけだ。

 そのシェリーに下っ腹をグリっとされたリーは、過去最大に満ち足りた、それでいて神の祝福を受けたような表情となり、たとえ世界が滅びようとも、世界全てを敵に回そうとも、シェリーに()()()行くと決めたという。
 シェリーにしてみれば実に迷惑なことではある。色々難儀な〝草原の災厄者(プレリ・カラミテ)〟だった。

「精算、ねぇ。で、お幾らになるの?」

 ニタニタ笑いが止まらないハロルドと愉快な仲間達を視界に入れたくないシェリーは、視線を一切合わせずに白金の髪(プラチナブロンド)の毛先を摘む。あ、枝毛発見。

「そうさなぁ、利子も含めると結構な額になるなぁ」

 ニタニタというよりニチャニチャと表現した方が良いような笑みを浮かべるハロルド。
 そして枝毛を見つけて嫌な顔をしているシェリーになにを感じたか――きっと怯えて表情を歪めているとでも思ったのだろう――更にその笑みを嗜虐的に深め、後ろに控えている愉快な仲間Aが差し出す証文を受け取ってシェリーに差し出した。

 差し出された証文(それ)を一瞥するシェリー。そして、()手繰(たく)るように受け取った。JJが。

 ハロルドにしてみればシェリーに受け取って欲しかったようなのだが、そんなことを許すアップルジャック商会の従業員は誰一人としていないし、ぶっちゃけ誰も受け取りたくはなかった。脂汚れが身体に悪そうだし。

 それはともかく、その証文には誰が書いたのか信じられない悪筆で金額が書かれていた。

 その金額は、利子や謎の諸経費を含めて、白金貨二枚にも上っていた。