ヒューとトレヴァーへ一通りの説教を終え、壊した責任を取って植物魔法と家事魔法を駆使して片付けと修繕をし始めているヒューを尻目に、シェリーは編集済みの帳簿をトレヴァーへ渡した。

 それをペラペラ捲って内容を目で追い、そしてそれが一冊目が終わった時点で盛大に溜息を吐く。

「嬢ちゃん、こいつぁ酷ぇ。これ全部ってくれぇいなげなカスリ跳ねられてるぞ。オマケにこの領収書は殆どオスコション商会のシマで、カスリ入れてる家業だ」
「……あのねトレヴァーさん。ちょーっと私にも判る言葉で言ってくれないかなぁ。大丈夫だよ普通に話したって、此処じゃあ誰も『らしくない』って言わないから」

 シェリーにそんなことを言われ、思わず言葉に詰まるトレヴァー。
 だがやがて諦めたように再び溜息を吐き、続けた。

「あー、まぁこの帳簿に書かれている領収書だけど、これ殆どイヴォン氏個人の出費だな。あと領収書を見る限り、これらの店舗はほぼ全てオスコション商会の息が掛かっていて上納金を支払っているところだ。更にだが、相当ぼったくられているぞ」

 その容姿と目付きに全く合わない口調で話し始めるトレヴァーさん。
 見た目と相反する丁寧な口調が逆に怖いと言われたことがあり、ならばと口調を容姿に合わせたという。
 普通は逆なのだが、彼自身その「ヤ」が付くヤヴァイ自由業者のような格好が気に入っているため、そのようになっちゃったそうな。
 (ちな)みに左目の上下に走る向こう傷は、料理が有り得ないほど壊滅的に出来ない彼の妻が頑張った証である。食材を切るときに振り上げたらすっぽ抜けた包丁が降って来て受傷したそうだ。

 そもそも包丁は振り上げない。

「そうなの……まぁ大体は予想出来てたんだけどね。お母さんが他界した頃からオスコションの豚が色々ちょっかい出してきてたし……」
「オスコションのヤツらを豚呼ばわりなんて勿体ない! それよりワタクシを豚と罵って下さい!」

 一応真面目な話をしているのに、ある一言(ワード)を耳にした瞬間、擬似餌に喰い付く名前に黒が付くスズキ目の淡水魚(ブラックバス)のように、面白いくらいにそれに喰い付く副店長のリー・イーリー。一度外れた(たが)はそう簡単に戻らないらしい。

「煩いわねアンタには言ってないわよ首突っ込んで来るな鬱陶しい! この詐欺師な豚野郎が気持ち悪い!」

 そしてそんなことをされたシェリーが、嫌悪感を露に即座にそう吐き捨てる。幼少期の心的外傷(トラウマ)はそう簡単に克服出来ないようだ。

 そんな罵倒を受けたリーは、ちょっと他人(ひと)には見せられないような恍惚の表情で悶絶し、床に転がって引き付けを起こしているかのように仰け反り、やがて荒い息を立てながら動かなくなった。
 彼の一部がマックスなクライマックスになっちゃっているのだが、それに関しては全力で無視するシェリーだった。まぁそれはそれで御褒美ではあるが。

「それで、嬢ちゃんはこれを見た上でどうするんだ? まず確実にオスコション商会の連中はあの莫迦(イヴォン)の借金取り立てに来るぞ」
「そうね……」

 そんな酷いことになっているリーを何故か羨ましそうに見つめている店員達を更に見なかったことにし、シェリーはトレヴァーと今後について話し合う。

「まず確認ね。この帳簿にある出費って、商会が認めなければ個人の出費ってことになるのよね?」
「ああ、その通りだ。だが会長の出費は商会の出費ってことになるのが通例だが、それはどうする?」
「うん、会長はその商会のお金を自由に使うっていうのが一般的よね。でもウチは違うわ。会長はあくまでもウチの顔であって、お金を自由に使って良いってわけじゃない。何故ならそのための役員会制だからね。商会で重要な決定や採決が必要なときには、その役員会の五分の四以上の賛成がないといけないの。つまりはそれだけの役員を納得させるだけの説得力をもって説明しなくちゃならないのよ。それに……」

 アップルジャック商会の採決制をトレヴァーに説明し、イヴォンが実は名だけの会長だと暗に訴え、そして意地の悪い表情を浮かべる。それは彼女の母であるエセルも時々浮かべていたものだ。やはり、血は争えない。

「お母さんが他界して此処が混乱していたとき、腐った役員は全員淘汰したわ。だから、残念だけどお父さんに味方する役員なんて一人もいないわね」
「……おっかねぇな嬢ちゃん。つまりこの帳簿にある交遊費(無駄遣い)はまるっと会長が払うべき金銭ってことになるのか」
「そういうこと。そもそもな話し、お父さんが使い倒した交遊費(無駄遣い)を経費で賄うって言ったって、今のアップルジャック商会の役員で承認する人なんて誰もいないわ」

 胸を張って会心のドヤ顔をするシェリー。そしてその交遊費(無駄遣い)の合計を算出している商会会計監査のジャン――ジャン・ジャック・ジャービス。通称JJ(ジェイジェイ)――が、物凄く不機嫌そうに算盤(そろばん)を弾いている。
 白銀の三つ編みにした長い髪と黄金の瞳の美丈夫なのだが、その身に纏っているのが何故か着流(きながし)であるため違和感が半端ない。まぁ似合ってはいるが。
 関係ないが、商会での金銭管理でそれを算出するときには(おおむ)ね機械式計算機が主流で、当然アップルジャック商会にもあるのだが、

「デカくて不便」

 という理由から、JJは海を超えた遙か西方で使われているという算盤を愛用していた。
 (ちな)みにシェリーも、算盤をパチパチと弾くのが案外気に入っている。

 そして計算を終えたJJが、製紙に鼬毛(いたちげ)の筆でサラサラと事細かにイヴォンの交遊費(無駄遣い)の金額を用途別に書いていき、それが終わったとき、深い溜息と共に苛立たしげにちょっと人種(ひとしゅ)には発音出来ない唸り声を上げつつ算盤を着流の袖に突っ込んでそれをシェリーに差し出した。

「お疲れ様JJ。相変わらず仕事が早いわね……って! なんなのこの金額!? 莫迦じゃないの!!」

 思わず叫ぶシェリー。

 それもその筈。JJが算出した金額は、最終的に大金貨八枚――八千万円を超えていたのだ。

「うわ~、信じられない……自分の父親だけど有り得ない。莫迦だ莫迦だとは思ってはいたけど、こんな底がないほど莫迦だったんだ……」
『ただいま~……う~、酷い目にあったよ~……って! なんで入口が吹き飛んでんの!?』

 ドヤ顔でしょーもない方策を口走って周りを混乱させまくる父親を夢想し、眩暈(めまい)がしてくるシェリーだった。

「ねぇトレヴァーさん、この金額の返済って、個人だとほぼ不可能だよね? というかどうやったらこんなに使えるんだろう。逆に感心しちゃうよ。しないけど」
「確かに此処まで借金が増えたら個人での返済はほぼ不可能だ。だがどうする? 仮にも嬢ちゃんの親父だろう? なんとかしてやるのかい?」
『お? おかえりエイリーン。ああこれはヒュー氏とトレヴァー氏が盛大に身内喧嘩して煽りを喰らったんだよ。だからヒュー氏に修繕させてるんだ』

 トレヴァーの疑問に、僅かに考える。これだけの借金は、現在のアップルジャック商会全てを抵当にしても払い切れるものではない。(しか)も現在は控えめに言わなくとも風前の灯だ。払い切れる筈もない。
 だからといって実の父親が仕出かしたことをそのままにするのも、心情として抵抗が……抵抗は――

「うん、ないな。なんで私があの莫迦親父が仕出かした尻拭いをしなくちゃならないのよ。止め止め、考えるだけ無駄」
「ビックリするくらいサッパリしているな嬢ちゃん。俺ぁ娘にンなコト言われたら軽く死ねるぞ」
『あー、いつものねー。しょーがないわねー。あ、そんなことより聞いてよザック! 酷いんだよあの宿六(やどろく)! シェリーに借金全部被せる気なんだよ! あったま来たから簀巻(すま)きにしてベリーズ村の(うまや)に放り込んで来たわよ!』

 あっさりと父親を見捨てると言い切るシェリー。そしてその様を見たトレヴァーは、娘にそんなことをされるのをリアルに想像したのか、怖い顔を更に怖くした。
 因みに彼には本当に娘がいる。現在五歳のマーシアちゃんは、超絶美人なトレヴァーの奥さんのステイシーに良く似て滅茶苦茶可愛いかった。
 だが時々見せる眼光の鋭さはまさしくトレヴァー似で、そしてお父さん大好き娘でもある。

「そんなこと言われてもねー。実は私ってお父さんをどうしても実の父親って思えないのよねー。というか認めたくない。もしかしたらお母さんが愛想をつかせて、一夜の過ちで私が出来たって思っているくらい。まぁお母さんに限ってそんな不実は働かないだろうけど。でも仮にこの想像が本当でも、私だったら絶対に責めないなぁ。(むし)ろ良くやった! って言いたいよ」
「いやマジでおっかねぇな嬢ちゃん。それはともかくとして、だ。じゃあイヴォンの借金は嬢ちゃんが肩代わりしないってことで良いか?」
『あー、やっぱりそうなったか。予想は出来てたけどな。だが良いのか? 仮にもお前は会長(ロクデナシ)の愛人だろう』

 肩に引っ掛けて持っている鞄から書類を取り出しながら、トレヴァーはシェリーに確認する。
 もっとも借金については確認するまでもなく、連帯保証人になっているとか、()()()()()()()()を相続するとかしない限り、親から子にそれがそのまま()()()()()()()()()()()()()()。王国法でそのように決まっているからだ。
 だがそんな法律があるというのは一般には意外と知られておらず、そのためロクデナシ親父の借金のカタに娘が身売りするなどは良くある話しである。

 つまり、自分のためにそういう法律は覚えておいた方が良いのだ。そう、誰のためでもなく、自分のために。

 因みに某日本もそのようになっているので、気になる方は調べてみると良い。

 それに法律は弱者の味方()()()()のだ。だからといって敵でも強者の味方でもない。

 ()()()()()()()()()ではなく()()()()()()()()()のである。ようは使いようだ。

「肩代わりしない。そんな義理もない。なんなら親子の縁を切っちゃっても良いんだけど……」
「その気持ちは判るが、残念ながら未成年にはそれは無理だな。信頼のおける後見人がいるんだったらいざ知らず……」
「後見人なら俺がなろうではないか! こう見えても一応特級国法士だからな!」
『え? ザックそれ本気で言ってるの? なんであたしがあんな宿六の愛人になんてならなくちゃいけないの? アレは他所で素人さん相手にロクでもないことをしないようにって、エセルさんに頼まれて絞ってただけよ。それに一度だって体を許していないわ。あたしはザック専用なんだから』

 シェリーとトレヴァーの真面目な会話に、修繕が終わったヒューがクルリとターンして片膝を付き、そして片手で顔を押さえつつやけにキラキラした瞳で真っ直ぐにシェリーを見詰めて口を挟む。
 この短時間でそれを終わらせるのは凄まじい技量ではあるのだが、その歌劇を遥かに凌駕するオーバーリアクションでそんなことを言われても、ただただドン引きするだけだ。
 現にシェリーは半眼で、ちょっと未成年の女の子がしちゃいけないような表情でヒューを見詰めて(蔑んで)いるし、トレヴァーも子供の前では絶対にしちゃいけない顔付きになっていた。

「いえいえこのような些末なことでお忙しいヒュー・グッドオール先生のお手を煩わせるなど以ての外です丁重にお断り致しますわ」
「担当者が所属している事務所の関係者は後見人になれるわきゃねーだろこの野郎! ボケた(タマ)吹っ飛ばされてぇのかジジイこの野郎莫迦野郎!」
『あ、いや、まぁそうなんだが……ここのところ来ないから、ちょっと心配になってだな……』

 ヒューのバカな申し出に早口で丁寧にお断りを入れるシェリー。そして気の弱い人なら色々漏らしそうな顔付きを継続しつつ、本気の殺気を含んだ視線と言葉を投げ掛けるトレヴァー。
 そのあまりといえばあまりな言葉にヘソを曲げ、だが実は正論であるため反論出来ずに、取り敢えずヒューは店舗奥にあるソファに引っ繰り返って不貞寝した。本当に何をしに来たのだろう。

「ヒューさんのバカな申し出はともかくとして、そうね、私の後見人になってくれる人を探さなきゃ」
「だな。まぁ後見人の条件は定職についていて一定以上の収入があって、それで親族もしくはそれに近しい関係であるのが望ましいな」
『あらら、不安にさせちゃった。ごめんなさいね。言い訳をさせて貰えれば、ここのところあの宿六の無駄遣いが一層激しくなったからそれとなく抑止してたの。はい、これ追加の裏帳簿。隠し金庫にあったから持って来たわよ。それと同じく隠してた帳簿にない何処から出したか不明な大金貨三枚も』
『ちょっと待って姉さん。裏帳簿があったのか? それ貸して………………未払金が大金貨五枚って莫迦じゃないのか!? これ裏帳簿じゃなくて請求書だろ! 二度目だけど莫迦じゃないのか!?』

 極力気付かないフリをしようと思っていたのだが、徐々にピンクな雰囲気を醸し出し始める二人はともかく、新たに発覚して増えちゃったらしい借金に遂に黙っていられなくなり、同時に呆れと苛立たしさが混同した深い溜息を吐くシェリーとトレヴァー。

 まぁそれはそれこそともかくとして、まずはシェリーの後見人である。

「収入がしっかりしていて責任感があり、且つ金銭管理もしっかりしている人材かぁ……」
「ああ、この際此処の従業員でも良いんだが、めぼしいヤツはいるかい?」
『いや、まぁ、その……エイリーンは信じてるが、いつあの莫迦が暴走して色々されちゃうかも知れないって考えたら、不安でな……』
『うわー、これはナイな……。殆どボッタくられてて適正価格じゃないだろう。なんだよ水割り一杯が銀貨二枚(二万円)って。ほぼ水だろうが莫迦じゃないのか?』

 そんな話しをしながら、誰か立候補はいないかと従業員達を見回す。全員が――床にまだ引っ繰り返っているリーまで挙手していた。

 一人を除いて。

「うん、決めた」
「ああなるほど、この上なく適任だな」

 まだ誰かとも言っていないのに、トレヴァーは後見人関連の書類を取り出して、万年筆の蓋を咥えてペン先を出し、流れるように名前を書き込んだ。その筆跡は、滅茶苦茶達筆である。

 シェリーが選んだ後見人は、アップルジャック商会きっての()()金勘定である、借金が増えちゃって苛立たしげに算盤を弾いて挙手どころではない会計監査――ジャン・ジャック・ジャービスであった。