シェリーがベン・リアック神殿でお歴々な方々と大立ち回りをして、ちょっと特殊な信仰を不本意ながら集めちゃっていた頃、グレンカダムを特別列車で発っていた冒険者集団〝無銘〟の三名は、リトルミルの駅構内に降り立っていた。
そして険しい表情をそのままに、リーダーであるアイザック・セデラーはリトルミルの町へと一歩踏み出し、そのまま崩れ落ちた。
顔面が蒼白であり、吐き気が酷い。更に耐え難い眩暈にも襲われており、目を開いていても瞑っていても変わらず気持ち悪い。
「ぎぼじわるい……なんであんなに揺れるんだよおかしいだろ……」
そう、彼は――アイザック・セデラーは、只今絶賛乗り物酔い中であった。
「あー、速度を最優先にした特別列車だからねー。まー思いっきり揺れてたねー」
そんな情けなく丸まっているアイザックの背を眺め、その妻であるエイリーンはやれやれと言わんばかりに溜息を吐く。
奥さんなら乗り物酔いで気持ち悪くなっている夫の背を撫でるとかしろよとか言われるかも知れないが、それで気持ち悪くなっているのに背を撫でて振動を与えたら、余計に気持ち悪くなるのである。
興味があるという強者は、とりあえずグローブジャングルを高速で三〇回転ほどしてから試してみると良い。それをされたら確実に殺意が芽生えるであろう。
「乗馬とかは平気なのに、なんで乗り物で酔うんだろうな。馬車とかに乗ってもすーぐに酔っ払うし」
「酒も呑まずに酔えるんだから財布に優しいじゃない」
「いや姉さん、それなんか違う」
「酒云々は置いといて、あたしが抱えて走ったときには平気だったわよ。馬車より揺れてたと思うんだけど」
「なにがあってそうなったのは予想も想像も出来ないし、なんかしたくもないけど、きっとそれは御褒美だから酔う筈ないよ。あと自覚がないようだから敢えて言うけど、〝龍纏武術〟を修めている姉さんの歩法は重心がブレないんだから、馬車より揺れるとか有り得ない。逆に快適だったんじゃない?」
気持ち悪くて蹲るアイザックを眺めながら、エイリーンとJJの龍人姉弟が呑気にそんなことを言っている。
本来であればそれにツッコミを入れるアイザックなのだが、現在そんなワケで出来る筈もなく、そしてそうする気力すら湧かないために野放し状態だ。
「んがなんとした? あんべわりんだばこっちゃこ。ひゃっけ水っこなんじぎさあででやるったいに」
だが蹲るアイザックに、小妖精の駅員さんがつぶらな瞳で覗き込んでそう話し掛ける。
雰囲気でなんとなーく気遣っているなーとは思うのだが、例によってなにを言っているのか全然判らない。
しかしそれでも、その小妖精の駅員さんの気遣いが嬉しくもあり、でもやっぱりちょっとそっとしておいて欲しいとも思うアイザックであった。
シェリーを救出すべく押っ取り刀でリトルミルへと駆け付けた彼ではあるが、自身が乗り物酔いし易い体質だというある意味で最重要でもある事項がスッポリ抜けてしまっており、更にそれに思い至らなかったためにこの有様である。
仕方なく、三人は日が沈んで夜闇に包まれ、そして夜営業の店舗の明かりが灯る町へと歩き出した。
ちなみにアイザックはエイリーンにおんぶされている。荷車や人車で運ばれたり自分で歩くより、殆ど揺れない特殊な歩法で滑らかに移動するエイリーンに運ばれた方が、圧倒的に楽だから。
そんな有様な自分が情けなく、そうされている自分が恥ずかしいと、つくづく彼は思っていなかった。
自身の体質を嘆いたところでどうなるわけでもなく、そしてそう考えているのだから治そうとも思わない。
体質や性質は、そう簡単に治らないものである。それを無理にどうこうしようとしたって、事態が悪化するだけだから。
必要なのは、そういうことを受け入れてどのように付き合って行くかだ。KIAIでなんとかしろとか言うクズ野郎の言い分になど、耳を貸す必要も価値もない。ただ気分を害して時間を浪費するだけだし。
商業ギルドのサブマスター、デリック・オルコックからの情報で宿泊予定先は判っているため、なにはともあれその宿泊予定先である「カネキラウコロ」へと向かうことにした――
「ねえザック、お腹空いた。何か食べても良い?」
――のだが、物凄ーく真面目な表情で、そんなことを言い出すエイリーン。となりのトト……じゃなくて隣のJJも、やたらと神妙な表情で一度で充分なのにこれ見よがしに何度も首肯している。
流石にそれは承服出来ない。即座に反論しようとするアイザックだが、
「いや、ぞれどごろで……おぶふぅ……」
気持ち悪くてやっぱりそれどころではない。
「姉さん、今のザックにそれを訊くのは酷だろう。でもその意見には全面的に賛成だ」
言うが早いか、JJが道端に連なっている屋台に入って行き、野菜やら何かの肉やらを煮込んだ熱々なスープが入った特大の器――丼を二つ持って出て来る。
アイザックの身体を自分に、何処から出したのか帯紐で固定したエイリーンが、JJからそれを受け取ると、申し合わせたかのように一気に口へと流し込む。
「まったりっかおめだ。七味いれればまっとめはんで……あんやどでした、も食ったが。あぢくねがったが?」
そんな二人の前に、屋台の主人の小妖精が小瓶を片手にJJを追って来る。そして熱々のスープを一気飲みした龍人姉弟を目の当たりにして、ただでもつぶらな双眸を更に点にしていた。
「ん、熱くなかったかって訊いたのか? 龍人にとって多寡が煮立った湯など焔に比べれば流水のようなものだ」
「あんやんだなが。だばってそったはえんだば食ったそらねべしゃ。こっちゃこ。もいっぺかへるったいに」
言われ、だがやっぱり理解出来なくて丼片手に首を傾げる二人に手招きをし、その小妖精は言葉の壁にぶち当たって理解が追い付かないのを完全に無視して新たにスープを装う。
「そういえばなにも考えずに一気飲みしちゃったけど、このスープって何?」
装われたスープを繁々と眺め、至極真っ当なことを今更ながらに訊くエイリーン。
すると店主の小妖精は、
「モツ汁だ。なんぼがクセあるったいになもまぐねってへるのもいるばって、くしぇかまりねぐでぎだったいにめど」
案の定なにを言っているのか判らないが、見た感じ野菜と内蔵系の肉を煮込んだスープのようだ。
内臓系の肉は、龍人族の大好物である。
二人はその屋台に陣取り、まずJJが懐からちょっと屋台に払うような桁じゃない金額を出して店主に払い、ギョッとする店主を尻目に有り得ない量を食べ始めた。どうやら久し振りの内臓肉を目にして、完全に箍が外れたらしい。
「あいすかだねどでした。にゃまだくごどくごど。わこったにくのみだごどね。んだばこさじゃっぱ汁あるばってこいもくが?」
そう言い、丼に魚の頭やら骨やら鰓部分といったアラで出汁を取ったスープを出す。ちなみに、頭はまるっと入っていた。
龍人は、魚も頭からバリバリ食すのが好きである。
よってそれも――以下略。
「ガラの出汁さだまっこへだだまこ汁もあるばって、くが?」
そして更に提供される、米の粒を半分潰した――いわゆる半殺しにして丸く成形してキノコとささがき牛蒡とで煮込んだスープも提供させる。
龍人は、炭水化物も大好物である。
いや種族関係なしに、大抵はそうだと思うが。
「いや、食ってねぇではやぐ……うぼぁ……」
エイリーンの背で呟くアイザックの言葉は、食欲を満たそうとする龍人姉弟には届かない。
そしてその頃、シェリーが宿泊予定であった旅館「カネキラウコロ」のロビーでは、デリックやアイザックの到着を今か今かと待つデメトリオが、
「あいや大変だすなぁ。こだに待だねばねんだすか。まんず茶っこ飲んでたんせ」
年柄年中変わらず繁忙期で忙しい筈なのに、何故か隣にちょこんと座ってお茶を勧めて来る女将に困惑し、
「いやまんず良い男だごど。わ独り身だすがらどんだすか?」
「やめろ!」
何故か気に入られて言い寄られていた。
――*――*――*――*――*――*――
龍人姉弟が夜のリトルミルで食欲を満たしていたり、鹹水の魚人が小妖精の女将に気に入られて言い寄られるという珍事が起きている頃、一足先に現地入りしていた草原妖精二人――デリック・オルコックとリー・イーリーは、ベン・ネヴィス教会を一望出来る、峡谷を挟んだ町外れの林に潜んでいた。
ちなみにどうやって速度重視の特別列車より先に現地入り出来たかというと、なんのことはない自力で走って来たのである。
マクダフ平原を二分し取り仕切っていたその草原妖精二人は、控え目に言っても超人級の化物であった。
(まさか一緒になるとは思わなかったけど、貴方はこれからどうするつもりなの?)
潜みながら、声を出さずに口の動きだけでリーが訊く。若干頬が上気して、そして衣服が乱れて妙に艶っぽいのは何故だろう。
(キミが考えているのと同じだよ。まず教会を抜けて神殿に行く。構造は理解しているから最速で片付ける)
それに対して、何の迷いも淀みもなくそう答えるデリック。その視線は真っ直ぐに教会に向けられており、だがこっちも衣服が乱れてちょっと疲れているのは何故だろう。
(ま、貴方なら問題なく出来るでしょうね。勿論わたしも行くけど。ねぇなんか疲れているみたいだけど。それで行けるの?)
背負っているザックから弩を取り出しているデリックに、魔力が付与された特製の短矢を渡しながら、気遣わしげに訊く。
するとデリックは、弦を巻き上げて受け取った短矢を弓床に装着しながら、半眼のジト目をリーに向けた。
他所様がそれを見ていたのなら、男のジト目など何処に需要があるのだと思うだろう。
(問題ない。というか疲れる原因はキミだろう。まさかこの期に及んで絞られるとは思わなかったよ)
溜息と共にそう言い、ジト目のままで「よっこいしょ」とでも言いたげな様子で立ち上がる。それを何も言わずに支えるリー。完全に奥さんである。
(ん……んん……。仕方ないでしょう。貴方ったら暫く相手してくれなかったもの。これでも我慢して加減したつもりよ。あと言っておくけど、浮気はしていないから安心して)
そんなデリックのジト目に、キュンキュン来ちゃったらしいリー。どうやら需要はあったらしい。
(い、いや、浮気もなにも、ボクとキミはもう夫婦じゃないし、それに恋人でもないからね)
そのキュンキュンしているリーに、やっぱりキュンキュンしちゃったらしいデリックであった。
傍から見れば、どうあっても相思相愛である。そんなに仲が良いのに何故に離縁したのか理解出来ないと他所様から言われそうなバカップルぶりだ。
(貴方が言葉責めをしてくれるだけでわたしは我慢出来るわよ。今はね)
自身が背負っているザックから黒装束を取り出し、何故か乱れている着衣を全て脱ぎ去ってそれを着る。それは身体を引き締めるようなものであり、判り易く言えば全身タイツであった。
(そういうのが嫌だって言っているだろう。ボクは変態を許容出来ない)
……そういうことである。正常と変態には、計り知れない溝があるのだ。
(ふうん……。じゃあ身体だけの関係で我慢するわ。今はね)
さりげなく予防線を張るリーを再びジト目で見詰め、だがすぐに溜息を吐いて気を取り直し、同じく黒装束を取り出した。
(今後もないから。あと、どうしてボクの前だけ女言葉なんだ?)
そしてそう言いながら、着衣を全て脱ぎ去りそれを着始める。そんな姿をガン見しながら、だがそれを手伝い始めるリー。
事務仕事が多くて運動不足のせいなのか、若干お腹が出て来ているのに気付く。
後で運動させてやろうと、リーは勝手に画策した。無論どういった運動なのかは謎であるが。
(貴方がわたしにとって、昔も今も未来までも特別だからに決まってるでしょ。じゃなかったらこんなことを言ったりしたりするワケないわ)
「お、おお」
そんな男心を擽るリーに、思わず声が漏れるデリックであった。まぁ周りに誰もいないから、ちょっとくらい口に出したところで誰一人気付かないだろうが。
どうあってもイチャコラしているようにしか見えないのだが、そんな中でも着々と準備をする二人である。
程なく準備が終わり、互いに視線で合図を送ると、デリックが先程の弩を構えて100メートルを超える峡谷の先にある岸壁へと短矢を放つ。
それは暗闇へと消えて常人には視認出来ない――いや、日中であっても小さな短矢を視認するなどほぼ不可能。
それ以前に、いくら弩であってもそれほどの長距離射撃を成功させるのも、限りなく不可能であるのだが――
(うん。その腕は衰えていないのね)
暗闇の彼方に消えた短矢を眺めてそう声もなく呟き、岸壁に魔法陣を描く。其処に魔力を流すと、先程デリックが放った短矢から魔力のロープがリーが描いた魔法陣へと伸びて突き刺さる。
(ふふ。貴方の棒から出たモノがわたしのモノにキレイに突き刺さったわね。相変わらずの百発百中ぶりだわ)
(……そういうところがイヤなんだよ)
ちょっとした悪ふざけのつもりで言ったリーなのだが、大真面目にそう返されて、更にそれ以上は聞く耳持たないとばかりにデリックは、空気抵抗を打ち消す風を全身に纏って張られた魔力のロープの上を走り出す。
その反応が不満ではあったが、リーも同じように風を纏ってその後を追う。
その魔力のロープは物質的なものではないため、風や重力の影響は一切受けない。
故に揺れやたわみは一切なく、それを渡るのは慣れたものなら特別難しくはない。
だからといって、その100メートルを超える距離を十秒足らずで駆け抜けるのは些か非常識が過ぎると思われそうなのだが、そもそも列車よりも速くその速度を維持したまま長距離を走る化物相手にそんな常識を説く自体、当り前に無謀である。
ともかく、闇夜に紛れた二人の草原妖精は、音もなく拍子抜けするほどにあっさりと、ベン・リアック神殿へと侵入したのであった。
そして険しい表情をそのままに、リーダーであるアイザック・セデラーはリトルミルの町へと一歩踏み出し、そのまま崩れ落ちた。
顔面が蒼白であり、吐き気が酷い。更に耐え難い眩暈にも襲われており、目を開いていても瞑っていても変わらず気持ち悪い。
「ぎぼじわるい……なんであんなに揺れるんだよおかしいだろ……」
そう、彼は――アイザック・セデラーは、只今絶賛乗り物酔い中であった。
「あー、速度を最優先にした特別列車だからねー。まー思いっきり揺れてたねー」
そんな情けなく丸まっているアイザックの背を眺め、その妻であるエイリーンはやれやれと言わんばかりに溜息を吐く。
奥さんなら乗り物酔いで気持ち悪くなっている夫の背を撫でるとかしろよとか言われるかも知れないが、それで気持ち悪くなっているのに背を撫でて振動を与えたら、余計に気持ち悪くなるのである。
興味があるという強者は、とりあえずグローブジャングルを高速で三〇回転ほどしてから試してみると良い。それをされたら確実に殺意が芽生えるであろう。
「乗馬とかは平気なのに、なんで乗り物で酔うんだろうな。馬車とかに乗ってもすーぐに酔っ払うし」
「酒も呑まずに酔えるんだから財布に優しいじゃない」
「いや姉さん、それなんか違う」
「酒云々は置いといて、あたしが抱えて走ったときには平気だったわよ。馬車より揺れてたと思うんだけど」
「なにがあってそうなったのは予想も想像も出来ないし、なんかしたくもないけど、きっとそれは御褒美だから酔う筈ないよ。あと自覚がないようだから敢えて言うけど、〝龍纏武術〟を修めている姉さんの歩法は重心がブレないんだから、馬車より揺れるとか有り得ない。逆に快適だったんじゃない?」
気持ち悪くて蹲るアイザックを眺めながら、エイリーンとJJの龍人姉弟が呑気にそんなことを言っている。
本来であればそれにツッコミを入れるアイザックなのだが、現在そんなワケで出来る筈もなく、そしてそうする気力すら湧かないために野放し状態だ。
「んがなんとした? あんべわりんだばこっちゃこ。ひゃっけ水っこなんじぎさあででやるったいに」
だが蹲るアイザックに、小妖精の駅員さんがつぶらな瞳で覗き込んでそう話し掛ける。
雰囲気でなんとなーく気遣っているなーとは思うのだが、例によってなにを言っているのか全然判らない。
しかしそれでも、その小妖精の駅員さんの気遣いが嬉しくもあり、でもやっぱりちょっとそっとしておいて欲しいとも思うアイザックであった。
シェリーを救出すべく押っ取り刀でリトルミルへと駆け付けた彼ではあるが、自身が乗り物酔いし易い体質だというある意味で最重要でもある事項がスッポリ抜けてしまっており、更にそれに思い至らなかったためにこの有様である。
仕方なく、三人は日が沈んで夜闇に包まれ、そして夜営業の店舗の明かりが灯る町へと歩き出した。
ちなみにアイザックはエイリーンにおんぶされている。荷車や人車で運ばれたり自分で歩くより、殆ど揺れない特殊な歩法で滑らかに移動するエイリーンに運ばれた方が、圧倒的に楽だから。
そんな有様な自分が情けなく、そうされている自分が恥ずかしいと、つくづく彼は思っていなかった。
自身の体質を嘆いたところでどうなるわけでもなく、そしてそう考えているのだから治そうとも思わない。
体質や性質は、そう簡単に治らないものである。それを無理にどうこうしようとしたって、事態が悪化するだけだから。
必要なのは、そういうことを受け入れてどのように付き合って行くかだ。KIAIでなんとかしろとか言うクズ野郎の言い分になど、耳を貸す必要も価値もない。ただ気分を害して時間を浪費するだけだし。
商業ギルドのサブマスター、デリック・オルコックからの情報で宿泊予定先は判っているため、なにはともあれその宿泊予定先である「カネキラウコロ」へと向かうことにした――
「ねえザック、お腹空いた。何か食べても良い?」
――のだが、物凄ーく真面目な表情で、そんなことを言い出すエイリーン。となりのトト……じゃなくて隣のJJも、やたらと神妙な表情で一度で充分なのにこれ見よがしに何度も首肯している。
流石にそれは承服出来ない。即座に反論しようとするアイザックだが、
「いや、ぞれどごろで……おぶふぅ……」
気持ち悪くてやっぱりそれどころではない。
「姉さん、今のザックにそれを訊くのは酷だろう。でもその意見には全面的に賛成だ」
言うが早いか、JJが道端に連なっている屋台に入って行き、野菜やら何かの肉やらを煮込んだ熱々なスープが入った特大の器――丼を二つ持って出て来る。
アイザックの身体を自分に、何処から出したのか帯紐で固定したエイリーンが、JJからそれを受け取ると、申し合わせたかのように一気に口へと流し込む。
「まったりっかおめだ。七味いれればまっとめはんで……あんやどでした、も食ったが。あぢくねがったが?」
そんな二人の前に、屋台の主人の小妖精が小瓶を片手にJJを追って来る。そして熱々のスープを一気飲みした龍人姉弟を目の当たりにして、ただでもつぶらな双眸を更に点にしていた。
「ん、熱くなかったかって訊いたのか? 龍人にとって多寡が煮立った湯など焔に比べれば流水のようなものだ」
「あんやんだなが。だばってそったはえんだば食ったそらねべしゃ。こっちゃこ。もいっぺかへるったいに」
言われ、だがやっぱり理解出来なくて丼片手に首を傾げる二人に手招きをし、その小妖精は言葉の壁にぶち当たって理解が追い付かないのを完全に無視して新たにスープを装う。
「そういえばなにも考えずに一気飲みしちゃったけど、このスープって何?」
装われたスープを繁々と眺め、至極真っ当なことを今更ながらに訊くエイリーン。
すると店主の小妖精は、
「モツ汁だ。なんぼがクセあるったいになもまぐねってへるのもいるばって、くしぇかまりねぐでぎだったいにめど」
案の定なにを言っているのか判らないが、見た感じ野菜と内蔵系の肉を煮込んだスープのようだ。
内臓系の肉は、龍人族の大好物である。
二人はその屋台に陣取り、まずJJが懐からちょっと屋台に払うような桁じゃない金額を出して店主に払い、ギョッとする店主を尻目に有り得ない量を食べ始めた。どうやら久し振りの内臓肉を目にして、完全に箍が外れたらしい。
「あいすかだねどでした。にゃまだくごどくごど。わこったにくのみだごどね。んだばこさじゃっぱ汁あるばってこいもくが?」
そう言い、丼に魚の頭やら骨やら鰓部分といったアラで出汁を取ったスープを出す。ちなみに、頭はまるっと入っていた。
龍人は、魚も頭からバリバリ食すのが好きである。
よってそれも――以下略。
「ガラの出汁さだまっこへだだまこ汁もあるばって、くが?」
そして更に提供される、米の粒を半分潰した――いわゆる半殺しにして丸く成形してキノコとささがき牛蒡とで煮込んだスープも提供させる。
龍人は、炭水化物も大好物である。
いや種族関係なしに、大抵はそうだと思うが。
「いや、食ってねぇではやぐ……うぼぁ……」
エイリーンの背で呟くアイザックの言葉は、食欲を満たそうとする龍人姉弟には届かない。
そしてその頃、シェリーが宿泊予定であった旅館「カネキラウコロ」のロビーでは、デリックやアイザックの到着を今か今かと待つデメトリオが、
「あいや大変だすなぁ。こだに待だねばねんだすか。まんず茶っこ飲んでたんせ」
年柄年中変わらず繁忙期で忙しい筈なのに、何故か隣にちょこんと座ってお茶を勧めて来る女将に困惑し、
「いやまんず良い男だごど。わ独り身だすがらどんだすか?」
「やめろ!」
何故か気に入られて言い寄られていた。
――*――*――*――*――*――*――
龍人姉弟が夜のリトルミルで食欲を満たしていたり、鹹水の魚人が小妖精の女将に気に入られて言い寄られるという珍事が起きている頃、一足先に現地入りしていた草原妖精二人――デリック・オルコックとリー・イーリーは、ベン・ネヴィス教会を一望出来る、峡谷を挟んだ町外れの林に潜んでいた。
ちなみにどうやって速度重視の特別列車より先に現地入り出来たかというと、なんのことはない自力で走って来たのである。
マクダフ平原を二分し取り仕切っていたその草原妖精二人は、控え目に言っても超人級の化物であった。
(まさか一緒になるとは思わなかったけど、貴方はこれからどうするつもりなの?)
潜みながら、声を出さずに口の動きだけでリーが訊く。若干頬が上気して、そして衣服が乱れて妙に艶っぽいのは何故だろう。
(キミが考えているのと同じだよ。まず教会を抜けて神殿に行く。構造は理解しているから最速で片付ける)
それに対して、何の迷いも淀みもなくそう答えるデリック。その視線は真っ直ぐに教会に向けられており、だがこっちも衣服が乱れてちょっと疲れているのは何故だろう。
(ま、貴方なら問題なく出来るでしょうね。勿論わたしも行くけど。ねぇなんか疲れているみたいだけど。それで行けるの?)
背負っているザックから弩を取り出しているデリックに、魔力が付与された特製の短矢を渡しながら、気遣わしげに訊く。
するとデリックは、弦を巻き上げて受け取った短矢を弓床に装着しながら、半眼のジト目をリーに向けた。
他所様がそれを見ていたのなら、男のジト目など何処に需要があるのだと思うだろう。
(問題ない。というか疲れる原因はキミだろう。まさかこの期に及んで絞られるとは思わなかったよ)
溜息と共にそう言い、ジト目のままで「よっこいしょ」とでも言いたげな様子で立ち上がる。それを何も言わずに支えるリー。完全に奥さんである。
(ん……んん……。仕方ないでしょう。貴方ったら暫く相手してくれなかったもの。これでも我慢して加減したつもりよ。あと言っておくけど、浮気はしていないから安心して)
そんなデリックのジト目に、キュンキュン来ちゃったらしいリー。どうやら需要はあったらしい。
(い、いや、浮気もなにも、ボクとキミはもう夫婦じゃないし、それに恋人でもないからね)
そのキュンキュンしているリーに、やっぱりキュンキュンしちゃったらしいデリックであった。
傍から見れば、どうあっても相思相愛である。そんなに仲が良いのに何故に離縁したのか理解出来ないと他所様から言われそうなバカップルぶりだ。
(貴方が言葉責めをしてくれるだけでわたしは我慢出来るわよ。今はね)
自身が背負っているザックから黒装束を取り出し、何故か乱れている着衣を全て脱ぎ去ってそれを着る。それは身体を引き締めるようなものであり、判り易く言えば全身タイツであった。
(そういうのが嫌だって言っているだろう。ボクは変態を許容出来ない)
……そういうことである。正常と変態には、計り知れない溝があるのだ。
(ふうん……。じゃあ身体だけの関係で我慢するわ。今はね)
さりげなく予防線を張るリーを再びジト目で見詰め、だがすぐに溜息を吐いて気を取り直し、同じく黒装束を取り出した。
(今後もないから。あと、どうしてボクの前だけ女言葉なんだ?)
そしてそう言いながら、着衣を全て脱ぎ去りそれを着始める。そんな姿をガン見しながら、だがそれを手伝い始めるリー。
事務仕事が多くて運動不足のせいなのか、若干お腹が出て来ているのに気付く。
後で運動させてやろうと、リーは勝手に画策した。無論どういった運動なのかは謎であるが。
(貴方がわたしにとって、昔も今も未来までも特別だからに決まってるでしょ。じゃなかったらこんなことを言ったりしたりするワケないわ)
「お、おお」
そんな男心を擽るリーに、思わず声が漏れるデリックであった。まぁ周りに誰もいないから、ちょっとくらい口に出したところで誰一人気付かないだろうが。
どうあってもイチャコラしているようにしか見えないのだが、そんな中でも着々と準備をする二人である。
程なく準備が終わり、互いに視線で合図を送ると、デリックが先程の弩を構えて100メートルを超える峡谷の先にある岸壁へと短矢を放つ。
それは暗闇へと消えて常人には視認出来ない――いや、日中であっても小さな短矢を視認するなどほぼ不可能。
それ以前に、いくら弩であってもそれほどの長距離射撃を成功させるのも、限りなく不可能であるのだが――
(うん。その腕は衰えていないのね)
暗闇の彼方に消えた短矢を眺めてそう声もなく呟き、岸壁に魔法陣を描く。其処に魔力を流すと、先程デリックが放った短矢から魔力のロープがリーが描いた魔法陣へと伸びて突き刺さる。
(ふふ。貴方の棒から出たモノがわたしのモノにキレイに突き刺さったわね。相変わらずの百発百中ぶりだわ)
(……そういうところがイヤなんだよ)
ちょっとした悪ふざけのつもりで言ったリーなのだが、大真面目にそう返されて、更にそれ以上は聞く耳持たないとばかりにデリックは、空気抵抗を打ち消す風を全身に纏って張られた魔力のロープの上を走り出す。
その反応が不満ではあったが、リーも同じように風を纏ってその後を追う。
その魔力のロープは物質的なものではないため、風や重力の影響は一切受けない。
故に揺れやたわみは一切なく、それを渡るのは慣れたものなら特別難しくはない。
だからといって、その100メートルを超える距離を十秒足らずで駆け抜けるのは些か非常識が過ぎると思われそうなのだが、そもそも列車よりも速くその速度を維持したまま長距離を走る化物相手にそんな常識を説く自体、当り前に無謀である。
ともかく、闇夜に紛れた二人の草原妖精は、音もなく拍子抜けするほどにあっさりと、ベン・リアック神殿へと侵入したのであった。