その後クローディアが出掛ける用意を僅か二分で終わらせ、だが案内する筈のラーラが、全然出来ていないばかりか取り掛かってもいないのに業を煮やしたセシルが、まだデシレアにバンザイさせられてキャッキャ言ってるその服の下に手を突っ込んで保護武装を締め上げ、更に豊かな胸部装甲を鷲掴みにしてしっかり収めるという実力行使に打って出た。
一見荒っぽいようなのだが、実はとても優しく丁寧にしたためラーラにダメージは一切なく、逆に呼気も荒く頬を染め、潤んだ瞳で上目遣いに見詰められて、
「セシルくん、好き♡」
と、誰もが見惚れて「ズキュウウウン!」しちゃいそうな仕草で何故か言われたそうな。
当のセシルに効果は無かったが。
そんな平然とたゆんたゆんを鷲掴んだセシルを、アイザックとJJはわりと本気の殺気が籠った視線を向けていた。
「ズキュウウウン!」効果の所為か、両手を不自然にワキワキさせているのが謎であるが。
そしてそんな二人に、奥さんだったり恋人だったりする約二名の凍てつく視線が突き刺さっているのに、実はまだ気付いていなかった。
それから数分後に繰り広げられているサスペンスを他所に、シェリーとやけに良い笑顔なデシレアに見送られた三人は、乗合馬車に揺られて出掛けて行った。
ちなみに、御者は例のドロテオである。あれから更に、帰宅で利用している酔っ払いに絡まれながら一往復していた。
そして馬は交代したのだが、彼は交代出来ていない。乗合馬車業者は、相当黒い企業であった。
そんな疲労困憊なドロテオが、それの限界を超えてナチュラル・ハイになり掛けているのを不憫に思ったセシルは、乗客がいないのを良いことに、半ば無理矢理に客席のロングシートに放り込んで御者を交代してしまった。
明らかに規律違反だし、なにより突然見ず知らずの者が手綱を握れば馬が混乱するのだが、彼はわざわざ馬車から降りてその二頭に挨拶をしてから軽くブラシで毛並みを整えてやり、結果その二頭にめっちゃ懐かれていた。
ちなみにその二頭は牝馬であり、クローディアは「馬まで誑し込んでる」と呟いて「ぷくす~」と笑っており、更にラーラは「真っ先に誑し込まれたのはディアだよね?」とか言っちゃって怪訝な顔を向けられていたが。
そんなこんなで出掛けた三人なのだが、その夜間営業の店舗が集中している区画に真っ先に行ってまず思ったのが、
「想像以上だ。なんか皆に悪いことしちゃったな」
「夜なのに此処までしっかり営業しているなんて。『バルブレアの商業は世界一ぃ!』ってふんぞり返っている商業組合の役員に見せてやりたいわ」
クリスタルガラス張りのショーウィンドウ・ディスプレイをしげしげ眺めながら、感心しながら言う二人。ちなみにショーウィンドウを見ているだけで、ディスプレイには興味がないのか見ていない。
「で、だ」
「そうね」
そのショーウィンドウ・ディスプレイを見て満足したのか、もう帰宅準備に掛かるセシルとクローディア。
「ええええ? 待って待って二人とも。なんでもう帰ろうとしてるの?」
そんな様を見て、ちょっと慌てるラーラ。だが満足しちゃった二人は小首を傾げるばかりである。
「ほらほら、ディアも服買ってオシャレしなさいよ。あ、此処の服飾店がオススメみたいだよ」
「……そう。面倒だけど行って来るわ」
「おお、行ってらっしゃ――」
「セシルくんも行くの!」
心の底から面倒そうに、ラーラが言うところのオススメ服飾店に入店するクローディア。それを見送ろうとするセシルの背を押し、ほぼ無理矢理後を追わせる。
――二〇分後。
疲れた表情のクローディアと、クラフトペーパー製の袋を抱えて若干不満顔のセシルが、その服飾店から出て来た。
喧嘩でもしたのだろうか? その様子から、焦燥しながらそんな予想をするラーラに二人は、
「ラーラ聞いてくれ。こいつ待たせるのが嫌だからってろくに選ばないで試着もしないで買おうとするんだ。有り得ないだろう」
「ラーラ聞いて。セシルったら待たせたくないっていう私の気持ちを無視して色々と選んだり着せたりするのよ。信じられないわ」
「は? 何言ってんだ。あんなサイズだけ合っているテキトーに選んだ服だと似合うわけがないだろう。お前は美人なんだからそれなりの格好をしないといけないんだぞ。レオンティーヌだってそこだけはしっかりしているしな」
「良いじゃない、服なんて別にどうでも。それにレオ姉さんを引き合いに出さないで欲しいわ。例えどんな汚部屋の主だとしても、あの人は最高峰の針子で服飾士なのよ。そういう面だけは同列にすら並べないわ」
「まぁそれもそうだな。だが下着を選ぶときもちゃんとカップに納めないでただ押さえるっていうのはいただけないぞ。型崩れ起こしたらどうするんだ」
「それはいつも通りにセシルがしてくれれば良いのよ。貴方以外には見せないんだし。あと湯上がりに美容マッサージという体で全身撫で回して私の体型を整えてくれてるんだから良いのよ。もっともその後はいつも通りに始まっちゃうけど」
などと、文句なんだか惚気なんだか良く判らないことを互いに言い出す始末。
自分の気遣い返せと、貼り付けたような笑顔で思うラーラである。若干目が死んでいるのだが、それも気のせいではないだろう。
そんなことより、女子の買物が僅か二〇分で終わるという有り得ない事態が信じ難い。
「それはともかく、この際だから私だけじゃなくてセシルも買いなさいよ。不公平だわ」
「え? 面倒なんだけど。それに服なんて着れたらなんでも良いよ。どうせ誰も見ていないんだから」
「そんなわけにはいかないでしょう。誰も見ていなくても私が見ているのよ。みっともない格好なんてさせられないわ。まったく、放っておくと継ぎ接ぎだらけの野良着で出歩こうとするんだから」
「良いじゃないか野良着。汚れなんて気にならないんだぞ。それに物持ちが良いのは悪いことじゃないだろう」
「それを悪いとは言っていないわ。物持ち良く大切にしているセシルも素敵だけど、時と場所と場面を弁えて欲しいと言っているの。それに、貴方にはいつまでも素敵でいて欲しいって思っているのはいけないことかしら?」
「あー、うん、そうだなぁ。俺もディアにはいつまでも綺麗で可愛くいて欲しいって思うし」
そんな言い合いをまたしても始める二人である。
一体何を見せられているのだろう?
先程と同じ表情と目のままその様子を眺めるラーラ。そろそろ砂糖を吐きそうだ。
そしてこんな会話を恥ずかし気もなく平然としているにもかかわらず、恋人でも夫婦でもないと謎に言い張る二人であった。
「そういえば、デシー先輩も地図読むの得意だったよね。もしかしてこの無意識無自覚ノロケ夫婦を見たくないから押し付けられた?」
出発時の、やけに良い笑顔で見送るデシレアを思い出しながら、遂にラーラは事実に辿り着いてしまった。
――なのだが。
「でもセシルくんとデシー先輩だって充分イチャラブだよね。もしかして先輩も自覚ないのかな?」
類が友を呼んじゃったのに、実は気付いていないようである。
それはともかく、皆を満遍なく大切にするなんて無理! とか言っているセシルなのだが、充分出来ているようにしか見えない。どうやらこっちの方も無自覚であるようだ。
「もう一人くらい増えても、セシルくんならきっと平気だよね」
オススメの男性用服飾店へ仲良く入って行く二人を見送り、ラーラはそんなことを考える。
まぁそれはともかく。
またどうせすぐに終わるであろう買物に向けて、手ブラで来てしまったためにこのままでは三人が荷物で溢れ返ってしまう。
よってラーラは、それを収納するための大きめザックを二つほどシレっと購入した。
収納ポケットが多数ついているし、丈夫で色合いも野外活動に差し支えない上物である。
そうやって待つこと暫し――というか結局二〇分後なのだが、クラフトペーパー製の袋を抱えて疲れた表情のセシルと、若干不満顔のクローディアが、その服飾店から出て来た。
それを見て、激しくデジャヴるラーラ。
「ラーラ聞いてよ。セシルったら待たせるのが嫌だからってろくに選ばないで試着もしないで買おうとするのよ。有り得ないでしょう」
「ラーラ聞いくれ。こいつ待たせたくないっていう俺の気持ちを無視して色々と選んだり着せたりするんだ。信じられないよ」
「え? 何言ってるの。あんなサイズだけ合っているテキトーに選んだ服だと似合うわけがないでしょう。セシルは美男子なんだからそれなりの格好をしないといけないわ。レオ姉さんだってそこだけはしっかりしているでしょう」
「良いじゃないか、服なんか別にどうでも。それにレオンティーヌを引き合いに出さないで欲しいよ。例えどんな汚部屋の主だとしても、あれは最高峰の針子で服飾士なんだぞ。そういう面だけは同列にすら並べないからな」
「まぁそれもそうなんだけどね。でも下着を選ぶときもちゃんと動き易さとか肌触りを考えないで、入れば良いっていうのは違うと思うわ」
「それはいつも通りにディアが選んでくれれば良いよ。どうせディアとデシー以外には見せないんだし。あと湯上がりにマッサージという体で全身撫で回して俺の筋肉を整えてくれてるんだから良いじゃないか。もっともその後はいつも通りに始まっちゃうけど」
などと、やっぱり文句なんだか惚気なんだか良く判らないことを互いに言い出す二人。
いい加減に砂糖を吐きそうなラーラなのだが、そんな言い合いをしている二人を無視して黙々とザックへそれらを詰めて行く。
ちなみにラーラはそれが上手であるため、結局最大容量の半分くらいにしかならず、使い道がなくなったもう一つのザックは綺麗に畳まれて更に収納された。
やがて一通り言い合いという体のイチャイチャが終わり、既に収納が終わりザックを背負って死んだ目でなんともいえない複雑な表情になっているラーラに気付き、
「じゃあそろそろ」
「そうね」
言いつつ、またしても帰ろうとする二人。そしてそれを、全力でラーラが止める。
「ねぇ二人とも。このネタもう良いんじゃないの。なんで何回も繰り返すの」
「いや、もう用が済んだから」
「そうよ。これ以上何をすればいいの」
「せっかく来たんだから、ご飯食べて行こうよ。ラーラもうお腹空いたよ」
そんなラーラの提案に、顔を見合わせて小首を傾げ、そして思い出したかのように同時に手を打ち合わせる二人。「外食」という判断が一切なかったようだ。
「そういえばそうだな。いつもは出掛けるのが面倒で、自宅で済ませてたから気付かなかった」
「そうね。外で食べるのも悪くないわ。考えてみれば、私って外食したことないわ。列車内でも作るのがセシルとラーラだったからいつも通りだったし」
そんな爆弾発言をするクローディア。それを聞いたラーラは、そんなひとが今時いるのかと驚愕し、だが考えてみれば、バルブレアに設立した教育校の宿舎で共同生活をしていた頃から、彼女が外出しているのを見たことがない。
食材は併設しているマーチャレス農場から無償で届くから一切困らないし、服もレオンティーヌが定期的に作ってしまうから問題ない。
つまり、バルブレアにいた頃は衣食住の全てが自給出来ていたため、出掛ける必要がなかったのである。
あと主な理由は、クローディア自身が出不精であることと、セシルの帰宅に合わせて夕飯だったり風呂の用意だったり寝所の手入れだったりをしていたからだ。
そんなことを考え、そしてやっぱり奥さんじゃないかとラーラは独白する。言っても仕方ないから言わないが。
そして三人は、アイザックが見せてくれた例の地図でイチオシと銘打たれたレストランを素通りして、若干萎びている串焼き屋さんに行っていた。
理由は、セシルとラーラが匂いに釣られ、更に店頭で焼いている親父の手際と素材の良さが気に入ったからだ。
其処は持ち帰りも出来るし、ちょっと狭いが店内でも食べられるお店である。そして酒類やお茶、果汁などの清涼飲料も提供していた。
時間も時間であり、既に客も疎らではあるためこれ幸いと入店し、窓際の席に陣取ると大量に注文し始める。
関係ないが、ラーラは小さい体に全く似合わず半端ではないくらいの大喰いだ。
そしてクローディアも普段はあまり食べないが、その気になれば肉などキロ単位で平らげる。
更にセシルも、本気を出せば物理的に有り得ないだろうとツッコミが入るであろうくらいの大食漢だった。
そんな三人が窓際で美味しそうに、肉類だけではなく野菜や魚介類、燻製ウィンナーやベーコン、ちょっと溶ろけたチーズなどの串焼き、更には貝類の炉端焼きや壺焼きまでを次々と、串焼きは飲み物ですと言わんばかりにツルツル食べて行く。しかも、メチャクチャ美味しそうに。
美男美女のセシルとクローディアだけではなく、小さいのにスタイル抜群なラーラがそんなことをしていれば、例え二一時を過ぎていようとも否応なく人目を引くわけで――
実は客も疎らで減って来ているし、そろそろ採算が取れなくなって借金も増えてしまったため、店を畳もうかと思っていたその串焼き屋「ブロシェット」の店主ヘルマンニは、この日を境に転期を迎える。
――そんなモリモリ食べている三人に、スーツにトレモント・ハットを合わせた紳士が話し掛ける。
彼は、グレンカダムで情報誌を扱っていると自己紹介をした後で、
「お願いします!(インタビューを)させて下さい! ちょっとで良いんですほんのちょっとで! もし(インタビュー)させてくれたら言われた額だけ謝礼払いますから! お願いします(感想の)先っちょだけで良いですからすぐ済みますから!」
などと誤解を招くことを喚き散らし、だが言った相手がセシルであったためそっち目的ではないだろうと、ちょっと確証はないが判断した上で聞き返し、括弧部分を理解した上でそれに応じた。
まぁ、何故この店を選んだのかとか、味はどうだとかその感想は――とかであったが。
もっとも感想だけ聞くより実際に食すべきだとセシルが提案し、論より証拠が重要だということで彼も一緒に食べ始めた。
余談だが、三人は酒ではなくお茶を飲んでいるのだが、その紳士はあまり流通していないシードル・スパークリングがあると店主から聞き、キンキンに冷えた、リンゴに口付ける森妖精のラベルが貼られたそれを瓶ごと注文していた。
ちなみに、それを取り扱って小売店は一箇所しかない。
後日。グレンカダムで一番の発行部数を誇る情報誌「アオスクンフト」のとあるページ、編集長の独り言という記事に串焼き屋「ブロシェット」の情報が掲載され、店内での飲食は勿論持ち帰りも出来る絶品串焼き店として、その日のうちに其処は話題の店として大忙しになったそうである。
それはともかく。
食事を終えた三人は、腹ごなしに運河沿いを散歩してから、最終二三時の乗合馬車で帰ろうと考えていた。
商業都市グレンカダムは海からも遠く、どちらかというと山沿いではあるのだか、ディーンストン山脈から流れ出でる大河「タリバーディン」の豊かな水源を引き入れた運河により、より豊かになっている。
しかもそれはグレンカダム中に張り巡らされており、だがそれとは別に下水溝をも完備されそれと交わることは決してなく、更に厳しい規制を掛けているため飲料水として利用も可能だ。
ちなみに過去うっかり運河に排泄しちゃった酔っ払いは即日捕縛され、街中全ての運河を一度空にして清掃した上で浄化させ、再び水を通す作業全ての費用を負担することになったそうな。
当り前だが個人にそんな金額は一生掛かっても返済など出来る筈もなく、その酔っ払いは破産申請をした上で郊外にひっそりと一人で暮らしているという噂である。
そんな豊かで美しい水を湛える運河は、まだ営業している店舗の明かりや街灯を反射し映し出し、まるで夜空のように輝いている。
そして街の明かりが消えれば、晴天であれば満天の星空や輝く月をも映し出すという、まさしくカップル御用達の場所なのだ。
まぁそんなロマンチック・スポットを、セシルは串焼きを齧りながら歩いて台無しにしているが。
理解のない恋人を連れているのなら惨事になるのだろうが、
「ねぇ、まだ串焼きある?」
「んあ? あるぞ」
「あ、ラーラも食べたい」
ロマンチック? なにそれ食えるの? と言わんばかりに一緒になってそれを齧り始めるクローディアとラーラ。
魅惑のスポット涙目である。
そんな感じで色気より喰い気を体現しつつ運河沿いを歩き、そろそろいい時間だから戻ろうかと考えていると――彼方でその運河の水がそそり立っているのが見えた。
それは、上級の水魔法である〝大海嘯〟。
災害級の戦略魔法である。
「セシルくん、こんなところで〝大海嘯〟使ってる人がいるよ」
そんな危ない魔法を目の当たりにして、だが慌てずのんびりそう言うラーラ。自分ならなにがあっても絶対に逃げ切れるという自信があるのだろう。
「は? 莫迦じゃねーの。災害起こす気か? どんなテロリストだよ」
そしてそれはセシルも同じであり、しかし一つだけ違うのは、たった今この瞬間、隣にクローディアがいるため逃げる必要などないと判っていることだ。
「面倒ねぇ、まったく……」
そんなのんびりした会話をしながら、そして――
「〝 強制詠唱破棄〟」
やけに気怠げなクローディアの声と共に、誰かが放った〝大海嘯〟が一瞬で消滅した。
一見荒っぽいようなのだが、実はとても優しく丁寧にしたためラーラにダメージは一切なく、逆に呼気も荒く頬を染め、潤んだ瞳で上目遣いに見詰められて、
「セシルくん、好き♡」
と、誰もが見惚れて「ズキュウウウン!」しちゃいそうな仕草で何故か言われたそうな。
当のセシルに効果は無かったが。
そんな平然とたゆんたゆんを鷲掴んだセシルを、アイザックとJJはわりと本気の殺気が籠った視線を向けていた。
「ズキュウウウン!」効果の所為か、両手を不自然にワキワキさせているのが謎であるが。
そしてそんな二人に、奥さんだったり恋人だったりする約二名の凍てつく視線が突き刺さっているのに、実はまだ気付いていなかった。
それから数分後に繰り広げられているサスペンスを他所に、シェリーとやけに良い笑顔なデシレアに見送られた三人は、乗合馬車に揺られて出掛けて行った。
ちなみに、御者は例のドロテオである。あれから更に、帰宅で利用している酔っ払いに絡まれながら一往復していた。
そして馬は交代したのだが、彼は交代出来ていない。乗合馬車業者は、相当黒い企業であった。
そんな疲労困憊なドロテオが、それの限界を超えてナチュラル・ハイになり掛けているのを不憫に思ったセシルは、乗客がいないのを良いことに、半ば無理矢理に客席のロングシートに放り込んで御者を交代してしまった。
明らかに規律違反だし、なにより突然見ず知らずの者が手綱を握れば馬が混乱するのだが、彼はわざわざ馬車から降りてその二頭に挨拶をしてから軽くブラシで毛並みを整えてやり、結果その二頭にめっちゃ懐かれていた。
ちなみにその二頭は牝馬であり、クローディアは「馬まで誑し込んでる」と呟いて「ぷくす~」と笑っており、更にラーラは「真っ先に誑し込まれたのはディアだよね?」とか言っちゃって怪訝な顔を向けられていたが。
そんなこんなで出掛けた三人なのだが、その夜間営業の店舗が集中している区画に真っ先に行ってまず思ったのが、
「想像以上だ。なんか皆に悪いことしちゃったな」
「夜なのに此処までしっかり営業しているなんて。『バルブレアの商業は世界一ぃ!』ってふんぞり返っている商業組合の役員に見せてやりたいわ」
クリスタルガラス張りのショーウィンドウ・ディスプレイをしげしげ眺めながら、感心しながら言う二人。ちなみにショーウィンドウを見ているだけで、ディスプレイには興味がないのか見ていない。
「で、だ」
「そうね」
そのショーウィンドウ・ディスプレイを見て満足したのか、もう帰宅準備に掛かるセシルとクローディア。
「ええええ? 待って待って二人とも。なんでもう帰ろうとしてるの?」
そんな様を見て、ちょっと慌てるラーラ。だが満足しちゃった二人は小首を傾げるばかりである。
「ほらほら、ディアも服買ってオシャレしなさいよ。あ、此処の服飾店がオススメみたいだよ」
「……そう。面倒だけど行って来るわ」
「おお、行ってらっしゃ――」
「セシルくんも行くの!」
心の底から面倒そうに、ラーラが言うところのオススメ服飾店に入店するクローディア。それを見送ろうとするセシルの背を押し、ほぼ無理矢理後を追わせる。
――二〇分後。
疲れた表情のクローディアと、クラフトペーパー製の袋を抱えて若干不満顔のセシルが、その服飾店から出て来た。
喧嘩でもしたのだろうか? その様子から、焦燥しながらそんな予想をするラーラに二人は、
「ラーラ聞いてくれ。こいつ待たせるのが嫌だからってろくに選ばないで試着もしないで買おうとするんだ。有り得ないだろう」
「ラーラ聞いて。セシルったら待たせたくないっていう私の気持ちを無視して色々と選んだり着せたりするのよ。信じられないわ」
「は? 何言ってんだ。あんなサイズだけ合っているテキトーに選んだ服だと似合うわけがないだろう。お前は美人なんだからそれなりの格好をしないといけないんだぞ。レオンティーヌだってそこだけはしっかりしているしな」
「良いじゃない、服なんて別にどうでも。それにレオ姉さんを引き合いに出さないで欲しいわ。例えどんな汚部屋の主だとしても、あの人は最高峰の針子で服飾士なのよ。そういう面だけは同列にすら並べないわ」
「まぁそれもそうだな。だが下着を選ぶときもちゃんとカップに納めないでただ押さえるっていうのはいただけないぞ。型崩れ起こしたらどうするんだ」
「それはいつも通りにセシルがしてくれれば良いのよ。貴方以外には見せないんだし。あと湯上がりに美容マッサージという体で全身撫で回して私の体型を整えてくれてるんだから良いのよ。もっともその後はいつも通りに始まっちゃうけど」
などと、文句なんだか惚気なんだか良く判らないことを互いに言い出す始末。
自分の気遣い返せと、貼り付けたような笑顔で思うラーラである。若干目が死んでいるのだが、それも気のせいではないだろう。
そんなことより、女子の買物が僅か二〇分で終わるという有り得ない事態が信じ難い。
「それはともかく、この際だから私だけじゃなくてセシルも買いなさいよ。不公平だわ」
「え? 面倒なんだけど。それに服なんて着れたらなんでも良いよ。どうせ誰も見ていないんだから」
「そんなわけにはいかないでしょう。誰も見ていなくても私が見ているのよ。みっともない格好なんてさせられないわ。まったく、放っておくと継ぎ接ぎだらけの野良着で出歩こうとするんだから」
「良いじゃないか野良着。汚れなんて気にならないんだぞ。それに物持ちが良いのは悪いことじゃないだろう」
「それを悪いとは言っていないわ。物持ち良く大切にしているセシルも素敵だけど、時と場所と場面を弁えて欲しいと言っているの。それに、貴方にはいつまでも素敵でいて欲しいって思っているのはいけないことかしら?」
「あー、うん、そうだなぁ。俺もディアにはいつまでも綺麗で可愛くいて欲しいって思うし」
そんな言い合いをまたしても始める二人である。
一体何を見せられているのだろう?
先程と同じ表情と目のままその様子を眺めるラーラ。そろそろ砂糖を吐きそうだ。
そしてこんな会話を恥ずかし気もなく平然としているにもかかわらず、恋人でも夫婦でもないと謎に言い張る二人であった。
「そういえば、デシー先輩も地図読むの得意だったよね。もしかしてこの無意識無自覚ノロケ夫婦を見たくないから押し付けられた?」
出発時の、やけに良い笑顔で見送るデシレアを思い出しながら、遂にラーラは事実に辿り着いてしまった。
――なのだが。
「でもセシルくんとデシー先輩だって充分イチャラブだよね。もしかして先輩も自覚ないのかな?」
類が友を呼んじゃったのに、実は気付いていないようである。
それはともかく、皆を満遍なく大切にするなんて無理! とか言っているセシルなのだが、充分出来ているようにしか見えない。どうやらこっちの方も無自覚であるようだ。
「もう一人くらい増えても、セシルくんならきっと平気だよね」
オススメの男性用服飾店へ仲良く入って行く二人を見送り、ラーラはそんなことを考える。
まぁそれはともかく。
またどうせすぐに終わるであろう買物に向けて、手ブラで来てしまったためにこのままでは三人が荷物で溢れ返ってしまう。
よってラーラは、それを収納するための大きめザックを二つほどシレっと購入した。
収納ポケットが多数ついているし、丈夫で色合いも野外活動に差し支えない上物である。
そうやって待つこと暫し――というか結局二〇分後なのだが、クラフトペーパー製の袋を抱えて疲れた表情のセシルと、若干不満顔のクローディアが、その服飾店から出て来た。
それを見て、激しくデジャヴるラーラ。
「ラーラ聞いてよ。セシルったら待たせるのが嫌だからってろくに選ばないで試着もしないで買おうとするのよ。有り得ないでしょう」
「ラーラ聞いくれ。こいつ待たせたくないっていう俺の気持ちを無視して色々と選んだり着せたりするんだ。信じられないよ」
「え? 何言ってるの。あんなサイズだけ合っているテキトーに選んだ服だと似合うわけがないでしょう。セシルは美男子なんだからそれなりの格好をしないといけないわ。レオ姉さんだってそこだけはしっかりしているでしょう」
「良いじゃないか、服なんか別にどうでも。それにレオンティーヌを引き合いに出さないで欲しいよ。例えどんな汚部屋の主だとしても、あれは最高峰の針子で服飾士なんだぞ。そういう面だけは同列にすら並べないからな」
「まぁそれもそうなんだけどね。でも下着を選ぶときもちゃんと動き易さとか肌触りを考えないで、入れば良いっていうのは違うと思うわ」
「それはいつも通りにディアが選んでくれれば良いよ。どうせディアとデシー以外には見せないんだし。あと湯上がりにマッサージという体で全身撫で回して俺の筋肉を整えてくれてるんだから良いじゃないか。もっともその後はいつも通りに始まっちゃうけど」
などと、やっぱり文句なんだか惚気なんだか良く判らないことを互いに言い出す二人。
いい加減に砂糖を吐きそうなラーラなのだが、そんな言い合いをしている二人を無視して黙々とザックへそれらを詰めて行く。
ちなみにラーラはそれが上手であるため、結局最大容量の半分くらいにしかならず、使い道がなくなったもう一つのザックは綺麗に畳まれて更に収納された。
やがて一通り言い合いという体のイチャイチャが終わり、既に収納が終わりザックを背負って死んだ目でなんともいえない複雑な表情になっているラーラに気付き、
「じゃあそろそろ」
「そうね」
言いつつ、またしても帰ろうとする二人。そしてそれを、全力でラーラが止める。
「ねぇ二人とも。このネタもう良いんじゃないの。なんで何回も繰り返すの」
「いや、もう用が済んだから」
「そうよ。これ以上何をすればいいの」
「せっかく来たんだから、ご飯食べて行こうよ。ラーラもうお腹空いたよ」
そんなラーラの提案に、顔を見合わせて小首を傾げ、そして思い出したかのように同時に手を打ち合わせる二人。「外食」という判断が一切なかったようだ。
「そういえばそうだな。いつもは出掛けるのが面倒で、自宅で済ませてたから気付かなかった」
「そうね。外で食べるのも悪くないわ。考えてみれば、私って外食したことないわ。列車内でも作るのがセシルとラーラだったからいつも通りだったし」
そんな爆弾発言をするクローディア。それを聞いたラーラは、そんなひとが今時いるのかと驚愕し、だが考えてみれば、バルブレアに設立した教育校の宿舎で共同生活をしていた頃から、彼女が外出しているのを見たことがない。
食材は併設しているマーチャレス農場から無償で届くから一切困らないし、服もレオンティーヌが定期的に作ってしまうから問題ない。
つまり、バルブレアにいた頃は衣食住の全てが自給出来ていたため、出掛ける必要がなかったのである。
あと主な理由は、クローディア自身が出不精であることと、セシルの帰宅に合わせて夕飯だったり風呂の用意だったり寝所の手入れだったりをしていたからだ。
そんなことを考え、そしてやっぱり奥さんじゃないかとラーラは独白する。言っても仕方ないから言わないが。
そして三人は、アイザックが見せてくれた例の地図でイチオシと銘打たれたレストランを素通りして、若干萎びている串焼き屋さんに行っていた。
理由は、セシルとラーラが匂いに釣られ、更に店頭で焼いている親父の手際と素材の良さが気に入ったからだ。
其処は持ち帰りも出来るし、ちょっと狭いが店内でも食べられるお店である。そして酒類やお茶、果汁などの清涼飲料も提供していた。
時間も時間であり、既に客も疎らではあるためこれ幸いと入店し、窓際の席に陣取ると大量に注文し始める。
関係ないが、ラーラは小さい体に全く似合わず半端ではないくらいの大喰いだ。
そしてクローディアも普段はあまり食べないが、その気になれば肉などキロ単位で平らげる。
更にセシルも、本気を出せば物理的に有り得ないだろうとツッコミが入るであろうくらいの大食漢だった。
そんな三人が窓際で美味しそうに、肉類だけではなく野菜や魚介類、燻製ウィンナーやベーコン、ちょっと溶ろけたチーズなどの串焼き、更には貝類の炉端焼きや壺焼きまでを次々と、串焼きは飲み物ですと言わんばかりにツルツル食べて行く。しかも、メチャクチャ美味しそうに。
美男美女のセシルとクローディアだけではなく、小さいのにスタイル抜群なラーラがそんなことをしていれば、例え二一時を過ぎていようとも否応なく人目を引くわけで――
実は客も疎らで減って来ているし、そろそろ採算が取れなくなって借金も増えてしまったため、店を畳もうかと思っていたその串焼き屋「ブロシェット」の店主ヘルマンニは、この日を境に転期を迎える。
――そんなモリモリ食べている三人に、スーツにトレモント・ハットを合わせた紳士が話し掛ける。
彼は、グレンカダムで情報誌を扱っていると自己紹介をした後で、
「お願いします!(インタビューを)させて下さい! ちょっとで良いんですほんのちょっとで! もし(インタビュー)させてくれたら言われた額だけ謝礼払いますから! お願いします(感想の)先っちょだけで良いですからすぐ済みますから!」
などと誤解を招くことを喚き散らし、だが言った相手がセシルであったためそっち目的ではないだろうと、ちょっと確証はないが判断した上で聞き返し、括弧部分を理解した上でそれに応じた。
まぁ、何故この店を選んだのかとか、味はどうだとかその感想は――とかであったが。
もっとも感想だけ聞くより実際に食すべきだとセシルが提案し、論より証拠が重要だということで彼も一緒に食べ始めた。
余談だが、三人は酒ではなくお茶を飲んでいるのだが、その紳士はあまり流通していないシードル・スパークリングがあると店主から聞き、キンキンに冷えた、リンゴに口付ける森妖精のラベルが貼られたそれを瓶ごと注文していた。
ちなみに、それを取り扱って小売店は一箇所しかない。
後日。グレンカダムで一番の発行部数を誇る情報誌「アオスクンフト」のとあるページ、編集長の独り言という記事に串焼き屋「ブロシェット」の情報が掲載され、店内での飲食は勿論持ち帰りも出来る絶品串焼き店として、その日のうちに其処は話題の店として大忙しになったそうである。
それはともかく。
食事を終えた三人は、腹ごなしに運河沿いを散歩してから、最終二三時の乗合馬車で帰ろうと考えていた。
商業都市グレンカダムは海からも遠く、どちらかというと山沿いではあるのだか、ディーンストン山脈から流れ出でる大河「タリバーディン」の豊かな水源を引き入れた運河により、より豊かになっている。
しかもそれはグレンカダム中に張り巡らされており、だがそれとは別に下水溝をも完備されそれと交わることは決してなく、更に厳しい規制を掛けているため飲料水として利用も可能だ。
ちなみに過去うっかり運河に排泄しちゃった酔っ払いは即日捕縛され、街中全ての運河を一度空にして清掃した上で浄化させ、再び水を通す作業全ての費用を負担することになったそうな。
当り前だが個人にそんな金額は一生掛かっても返済など出来る筈もなく、その酔っ払いは破産申請をした上で郊外にひっそりと一人で暮らしているという噂である。
そんな豊かで美しい水を湛える運河は、まだ営業している店舗の明かりや街灯を反射し映し出し、まるで夜空のように輝いている。
そして街の明かりが消えれば、晴天であれば満天の星空や輝く月をも映し出すという、まさしくカップル御用達の場所なのだ。
まぁそんなロマンチック・スポットを、セシルは串焼きを齧りながら歩いて台無しにしているが。
理解のない恋人を連れているのなら惨事になるのだろうが、
「ねぇ、まだ串焼きある?」
「んあ? あるぞ」
「あ、ラーラも食べたい」
ロマンチック? なにそれ食えるの? と言わんばかりに一緒になってそれを齧り始めるクローディアとラーラ。
魅惑のスポット涙目である。
そんな感じで色気より喰い気を体現しつつ運河沿いを歩き、そろそろいい時間だから戻ろうかと考えていると――彼方でその運河の水がそそり立っているのが見えた。
それは、上級の水魔法である〝大海嘯〟。
災害級の戦略魔法である。
「セシルくん、こんなところで〝大海嘯〟使ってる人がいるよ」
そんな危ない魔法を目の当たりにして、だが慌てずのんびりそう言うラーラ。自分ならなにがあっても絶対に逃げ切れるという自信があるのだろう。
「は? 莫迦じゃねーの。災害起こす気か? どんなテロリストだよ」
そしてそれはセシルも同じであり、しかし一つだけ違うのは、たった今この瞬間、隣にクローディアがいるため逃げる必要などないと判っていることだ。
「面倒ねぇ、まったく……」
そんなのんびりした会話をしながら、そして――
「〝 強制詠唱破棄〟」
やけに気怠げなクローディアの声と共に、誰かが放った〝大海嘯〟が一瞬で消滅した。