グッドオール国法事務所の玄関先で「愛を愛を愛を」と騒いで、
「おかーさん、変な人がいるー」
「目を合わせちゃいけません!」
と幼子に奇異の目で見られて指差され、そしてその母親が決死の覚悟でそんな注意しているのを尻目に、気取ったポーズでターンしてからバッチリ目を合わせてウィンクをする。
その母親は、小脇に我が子を抱えて一目散に逃げ出したが、その程度のことなど気にしない。幼子の方はケラケラ笑っていたが。
そんな軽い騒ぎになって、警備兵が慌てて駆け付けるのだが、ヒューを見るなり「いつものことか」と独白して肩を竦めた。
ヒューもその警備兵に軽く会釈をし、同じく会釈を返して去って行くのを見守り、そして見えなくなるなり空を見上げて集中する。
ヒューの体内のにある魔力が練り上げられ、そしてその周囲に存在する大気の魔力に干渉して風を生む。
それは空を駆ける、森妖精の中でも行使出来る者が少ないという風の上級魔法。
自身の周囲にのみに作用させるためのコントロールが難解で、慣れない者は周りを残らず吹き飛ばしてしまうという、意外と傍迷惑な魔法である。
だが数百年を生きる彼は、ヒュー・グッドオールはその風魔法に熟達していた。
彼はシェリーとの電話で速攻で行くと言った。その約束を違えるわけにはいかない。よって、自身が生み出せる最高速度で向かうと決めたのである。
「今行くぞシェリーの嬢ちゃん。これならば、すぐにキミに逢える……!」
「あ゛? 手前ぇこの野郎莫迦野郎。人ン顧客になに勝手に会いに行こうつってんだダボが」
最高まで練り上げ風を巻いて飛び立とうとしたそのとき、そんな声と共にその魔法を構成する魔力自体が吹き飛ばされ、そして再構成不能なまでに解体され消滅するそれを即座に破棄しながら、ヒューは盛大に舌打ちをして声の主へ目を遣る。
其処には黒革の鞄を肩に引っ掛けて持っている、薄茶の色眼鏡を掛けた目付きの悪い男が立っていた。
その男は黒のスーツをだらしなく羽織り、その下に光沢のある紫のシャツを着ている。そしてその黒髪を無香料のポマードでオールバックに固め、だが所々解れて乱れているにも拘らず、不思議と違和感がなかった。
余談だが、強制的に解体された魔法はその残滓がいつまでもその場に残り、別の魔法へ干渉してしまって魔法事故に繋がるため、そうなった魔法は即破棄するのが望ましい。
魔法学校の初等部で必ず教えられ、そして最後まで口煩く言われる、基本にして最重要な法則とも呼んでしまっても良い事象である。
もっともそれを利用して、全く違う効果に書き換えてしまうという特殊な魔法技術もあるのだが、行使出来る者は稀だ。
その目付きが最悪で黒スーツな彼を見て何度も舌打ちを繰り返しているヒューを、黒い瞳のやっぱり悪い目付きを更に悪くして睨め上げる。
左目の上下に一直線に貫く傷跡が走っており、それを加味していなくとも、彼が真っ当な職業人ではないと誰もが思うだろう。
しかしそれは大きな間違いだ。
彼の名はトレヴァー・グーチ。アップルジャック商会の顧問国法士である。
こんな成りでも二級国法士であり、そして結構優秀で然も優しいため人気が高い。
もっとも初見で大抵の人に怯えられてしまうという不幸な事件が高確率で発生するため、相談事がなかなか進まない場合が多い。だがその見てくれと言葉遣いに慣れてしまえば、これほど頼もしい人物はいない。
因みにシェリーは初見でも全く怯えることはなく、逆に目付きは仕方ないにしても見た目の服装をなんとかしろと注意していた。
そしてそんな注意されて困った顔をしているトレヴァーを、エセルは笑いを噛み殺して見ていてその悪い目付きで睨まれたという。その後エセルは結局爆笑していたが。
シェリー・アップルジャック、当時六歳の出来事であったという。
「お前には関係ないんだよトレヴァー。今日の俺は非常に忙しいからお前と遊んでいる暇なんてないんだ」
そう言い「やれやれ」とでもいうかのように肩を竦め、ホンブルグハットを被り直して溜息を吐く。
だがそう言ったところで納得するトレヴァーではない。ただでも悪い目つきを更に悪くして、ヒューに近付きメンチを切る。
その姿は、完全に「ヤ」が付くヤバい自由業のお方にしか見えない。
「忙しいだぁ? 日がな一日事務所で暇こいてやがるシャバ増がどのツラ下げて言ってんだゴラ! 泣き入れさすぞジジイ!」
眉間のシワを更に深くして左の眉を器用に吊り上げるトレヴァー。だがそんなことで怯むヒューではない。
「暇はしていないぞ。俺は常に最適に、どうしたら愛を伝えられるか考えるために切磋琢磨しているのだ! それが紳士として、そして愛の伝道師としての務めだからな!」
逆にそんなトレヴァーを鼻で笑い、自分が如何に崇高な行為をしているかを説く。
「伝道師だぁ? クソくっだらねぇことほざいてケツ割ろうとしてじゃねぇぞ手前ぇこの野郎莫迦野郎!」
だがそんなことなど通用する筈もなく、それにそもそもそんな努力など、完全に一点の淀みもなく自己満足だ。
それを言ったところで、基本的にそっち系の人々はそういうことに関して人の意見など聞き入れようとは一切しないから無駄な努力で終わる。
「どうでも良いが、相変わらず口が悪いなトレヴァーよ。お前はもっと紳士らしい態度と教養と口の利き方を学んだ方が良いのではないか? そんなことでは立派な紳士にはなれないぞ」
それでもそれを指摘されればそれなりに不愉快になるらしく、ヒューもその例に漏れずそうなり、逆襲する。
「は! 手前ぇみてぇな変態が紳士ってんなら願え下げだ莫迦野郎! 下らねぇゴチャしてんじゃねぇよ手前ぇこの野郎莫迦野郎!」
それをあっさり受け流し、返す刀で更にそんなことを言う。
だがこれは大して効果がない。
何故なら、ヒューは誰よりも自分を良く理解していた。
そう、彼は自分が変態だと――変態紳士だと自覚しているのだから!
「ふん、そういう態度だからいつまでたっても二級国法士なんだよ。今すぐに態度を改めるなら、一級への推薦状を出してやろう。そして一級になってさっさと独立するんだな!」
そしてこの際トレヴァーを体良く自立させて、今後アップルジャック商会の担当を自分がしようと、しちゃおうと悪巧むヒュー。
だがもしもそんなことになったとしたら、彼が担当する顧客をごっそり持って行かれるという事実に、実は全然気付いていない。
仕事関係は非常に優秀なのだが、顧客の維持とか新規獲得とかそういうことに関しては、全然ダメダメなヒュー・グッドオールだった。
「煩ぇこの野郎莫迦野郎! 俺ぁこれ以上座布団増やさねぇって決めてるんだよ莫迦野郎! そもそも俺が辞めたら此処のシノギも入らねぇだろうが莫迦野郎! つーか働けこの野郎莫迦野郎!」
一級国法士になるためには、その一級以上からの推薦状が必要で、そしてそれはなかなか手に入らない。
そもそも一級と二級は実力的にそれほど差はないのだ。しかしその資格の性質上、給与に絶対的な格差が生じてしまっている。
よって二級国法士は通常であったなら、一級は喉から手が出るほど欲しい資格であった。
だがトレヴァーは現在の事業所で、他での二級国法士より遥かに高額な給与を貰っていた。
よって、貴族からの依頼やそれに類する高官どもからの依頼を受けざるを得なくなって色々面倒事が増える一級より、二級に留まるのを選択している。
まぁぶっちゃけた話し、実は稼ぎ頭なトレヴァーに辞められて困るのはヒューなのだが。
それにトレヴァーも、こんな言い合いはするものの、それ以外は自由にさせてくれるグッドオール国法事務所の居心地が良いため退職しようとは一切思っていない――
「は! 自惚れるのも良い加減にしろチンピラが! 貴様程度がいなくなったってグッドオール国法事務所はいつでも通常営業だ! 俺を甘く見るなよ小僧!」
――筈なのだが、なんだか売り言葉に買い言葉のその場の勢いでそんなことを吐き捨て、次いで一瞬にして魔法を構築して宙を舞う。
それにより発生した風が周囲に吹き荒れ、離れたところにいる淑女達のスカートが大変なことになっている。色々と考えなしなヒューだった。
瞬間的に魔法を発動させる技術は、それこそ何十年もの研鑽の結果習得出来ると言われる高度な魔法技術。
そんな大層なものではあるが、そもそもヒューは森妖精。既に何百年と生きているのだから、真面目に努力していれば出来て当り前である。
そんな瞬間発動した魔法により、遠巻きに二人の遣り取りを眺めている一般人の視線は即座に様々な場所へと逸らされ、そしてビンタされたり非難の視線を浴びたりで戻された視界には、一瞬にしてヒューの姿が消えたようにしか見えなかった。
そして彼がいた場所には旋風だけが残っており、その傍でどう見ても絡んでいるようにしか見えないトレヴァーの姿も、消えていた。
「下らねぇゴチャ入れてケツかこうとしてんじゃねぇよこの野郎莫迦野郎! 木端喰らわしたるぞこの野郎莫迦野郎!」
宙へと舞い上がるヒューの傍に、そんなことを言いながらトレヴァーもまた宙を舞っている。因みに彼は魔法が使えない。
「おいちょっと待てトレヴァー。お前なんで空まで付いて来れる? 魔法は使えなかったんじゃないのか!?」
僅かに驚き、だが即座に叩き落とすべく圧縮空気の塊をトレヴァーの頭上から叩き付ける。
しかしそれがまるで見えているかのように、彼は中空にある何かを蹴って躱した。
「あ゛? ンなの気合いがありゃあ出来るんだよこの野郎莫迦野郎! 努力と根性で頑張れば、人は空だって飛べるんだ覚えとけこの野郎莫迦野郎!」
絶対に無理である。
そしてヒューだって当り前に無理だって思っているし、それでなんとかなったら苦労はない。
「以前から常識離れしているヤツだと思っていたが此処までとは……面白い! このヒュー・グッドオールが貴様を完膚なまでに叩きのめしてろう。愛という名のもとに! 然ればお前とて、心の底から誰かを愛することが出来る筈!」
などと何処かで聞いたようなセリフを、恥ずかしげもなく大真面目に言っちゃう自称〝愛の伝道師〟な森妖精。
瞬間――ヒューの周囲に風が巻き、それが無数の無色透明な弾丸となり、更に不規則にトレヴァーを襲う。
愛の形には様々なものがあるのだが、これはどう見たとしてもそれには見えない。
どうあってもこれが愛だと言い張るのなら、そんな重く痛そうな愛は要らないと皆が感じるし思うことだろう。
そしてそんな要らない愛を向けられたトレヴァーは、眼球だけを動かして周囲を確認して一度だけ後ろの宙を蹴って前進すると、左手が霞むほどの速度で連続突きを繰り出した。
そうすることで空気の壁を打ち破り、発生した衝撃波が弾幕となりその前方へと展開される。
余談だが、右手は鞄を持ったままである。
ヒューが放った風の弾丸と、トレヴァーが展開した衝撃波の弾幕が真っ向から衝突する。
その余波は凄まじく、宙にいる二人はおろかその真下にある経営不振に陥り会長が夜逃げしたリンゴ酒を製造販売している商会の正面入口の屋根を吹き飛ばしてしまった。
――*――*――*――*――*――*――
「……それで、なにが一体どうなったらウチの店に破壊活動を働く結果になったワケ? 其処のところをよーーーーーーーーく教えてくれないかな?」
商店の顔ともいうべき出入口を吹き飛ばされ、それでもとても良い笑顔を浮かべたシェリーは、破壊し尽くされ破片が散乱しているその場に正座させた二人を腕を組んで見下ろした。
彼女の笑顔の其処彼処に青筋が浮かんでいるように見えるのは、決して気の所為ではない筈だ。
「いや嬢ちゃん、これには色々と事情があるんだよ」
まず、そう言い始めるヒュー。それを聞いて、口元に笑顔を浮かべたままゆっくり首肯するシェリー。その目は当然笑っていない。
「うんうんそうだよねー。これでワケもなくやったっていうんなら衛兵さん案件だよねー。それに事情があったとしても、やって良いことと悪いことがあるよねー」
シェリーの絶対零度の視線がヒューに刺さる。そしてヒューは、言葉に詰まってしまった。
その様を片付けながら見守る若いモンどもは、まだまだ青いと鼻で嗤う反面、その視線を自分達に向けて欲しいと切に願い、黙々とそれに勤しんでいた。
「おかーさん、変な人がいるー」
「目を合わせちゃいけません!」
と幼子に奇異の目で見られて指差され、そしてその母親が決死の覚悟でそんな注意しているのを尻目に、気取ったポーズでターンしてからバッチリ目を合わせてウィンクをする。
その母親は、小脇に我が子を抱えて一目散に逃げ出したが、その程度のことなど気にしない。幼子の方はケラケラ笑っていたが。
そんな軽い騒ぎになって、警備兵が慌てて駆け付けるのだが、ヒューを見るなり「いつものことか」と独白して肩を竦めた。
ヒューもその警備兵に軽く会釈をし、同じく会釈を返して去って行くのを見守り、そして見えなくなるなり空を見上げて集中する。
ヒューの体内のにある魔力が練り上げられ、そしてその周囲に存在する大気の魔力に干渉して風を生む。
それは空を駆ける、森妖精の中でも行使出来る者が少ないという風の上級魔法。
自身の周囲にのみに作用させるためのコントロールが難解で、慣れない者は周りを残らず吹き飛ばしてしまうという、意外と傍迷惑な魔法である。
だが数百年を生きる彼は、ヒュー・グッドオールはその風魔法に熟達していた。
彼はシェリーとの電話で速攻で行くと言った。その約束を違えるわけにはいかない。よって、自身が生み出せる最高速度で向かうと決めたのである。
「今行くぞシェリーの嬢ちゃん。これならば、すぐにキミに逢える……!」
「あ゛? 手前ぇこの野郎莫迦野郎。人ン顧客になに勝手に会いに行こうつってんだダボが」
最高まで練り上げ風を巻いて飛び立とうとしたそのとき、そんな声と共にその魔法を構成する魔力自体が吹き飛ばされ、そして再構成不能なまでに解体され消滅するそれを即座に破棄しながら、ヒューは盛大に舌打ちをして声の主へ目を遣る。
其処には黒革の鞄を肩に引っ掛けて持っている、薄茶の色眼鏡を掛けた目付きの悪い男が立っていた。
その男は黒のスーツをだらしなく羽織り、その下に光沢のある紫のシャツを着ている。そしてその黒髪を無香料のポマードでオールバックに固め、だが所々解れて乱れているにも拘らず、不思議と違和感がなかった。
余談だが、強制的に解体された魔法はその残滓がいつまでもその場に残り、別の魔法へ干渉してしまって魔法事故に繋がるため、そうなった魔法は即破棄するのが望ましい。
魔法学校の初等部で必ず教えられ、そして最後まで口煩く言われる、基本にして最重要な法則とも呼んでしまっても良い事象である。
もっともそれを利用して、全く違う効果に書き換えてしまうという特殊な魔法技術もあるのだが、行使出来る者は稀だ。
その目付きが最悪で黒スーツな彼を見て何度も舌打ちを繰り返しているヒューを、黒い瞳のやっぱり悪い目付きを更に悪くして睨め上げる。
左目の上下に一直線に貫く傷跡が走っており、それを加味していなくとも、彼が真っ当な職業人ではないと誰もが思うだろう。
しかしそれは大きな間違いだ。
彼の名はトレヴァー・グーチ。アップルジャック商会の顧問国法士である。
こんな成りでも二級国法士であり、そして結構優秀で然も優しいため人気が高い。
もっとも初見で大抵の人に怯えられてしまうという不幸な事件が高確率で発生するため、相談事がなかなか進まない場合が多い。だがその見てくれと言葉遣いに慣れてしまえば、これほど頼もしい人物はいない。
因みにシェリーは初見でも全く怯えることはなく、逆に目付きは仕方ないにしても見た目の服装をなんとかしろと注意していた。
そしてそんな注意されて困った顔をしているトレヴァーを、エセルは笑いを噛み殺して見ていてその悪い目付きで睨まれたという。その後エセルは結局爆笑していたが。
シェリー・アップルジャック、当時六歳の出来事であったという。
「お前には関係ないんだよトレヴァー。今日の俺は非常に忙しいからお前と遊んでいる暇なんてないんだ」
そう言い「やれやれ」とでもいうかのように肩を竦め、ホンブルグハットを被り直して溜息を吐く。
だがそう言ったところで納得するトレヴァーではない。ただでも悪い目つきを更に悪くして、ヒューに近付きメンチを切る。
その姿は、完全に「ヤ」が付くヤバい自由業のお方にしか見えない。
「忙しいだぁ? 日がな一日事務所で暇こいてやがるシャバ増がどのツラ下げて言ってんだゴラ! 泣き入れさすぞジジイ!」
眉間のシワを更に深くして左の眉を器用に吊り上げるトレヴァー。だがそんなことで怯むヒューではない。
「暇はしていないぞ。俺は常に最適に、どうしたら愛を伝えられるか考えるために切磋琢磨しているのだ! それが紳士として、そして愛の伝道師としての務めだからな!」
逆にそんなトレヴァーを鼻で笑い、自分が如何に崇高な行為をしているかを説く。
「伝道師だぁ? クソくっだらねぇことほざいてケツ割ろうとしてじゃねぇぞ手前ぇこの野郎莫迦野郎!」
だがそんなことなど通用する筈もなく、それにそもそもそんな努力など、完全に一点の淀みもなく自己満足だ。
それを言ったところで、基本的にそっち系の人々はそういうことに関して人の意見など聞き入れようとは一切しないから無駄な努力で終わる。
「どうでも良いが、相変わらず口が悪いなトレヴァーよ。お前はもっと紳士らしい態度と教養と口の利き方を学んだ方が良いのではないか? そんなことでは立派な紳士にはなれないぞ」
それでもそれを指摘されればそれなりに不愉快になるらしく、ヒューもその例に漏れずそうなり、逆襲する。
「は! 手前ぇみてぇな変態が紳士ってんなら願え下げだ莫迦野郎! 下らねぇゴチャしてんじゃねぇよ手前ぇこの野郎莫迦野郎!」
それをあっさり受け流し、返す刀で更にそんなことを言う。
だがこれは大して効果がない。
何故なら、ヒューは誰よりも自分を良く理解していた。
そう、彼は自分が変態だと――変態紳士だと自覚しているのだから!
「ふん、そういう態度だからいつまでたっても二級国法士なんだよ。今すぐに態度を改めるなら、一級への推薦状を出してやろう。そして一級になってさっさと独立するんだな!」
そしてこの際トレヴァーを体良く自立させて、今後アップルジャック商会の担当を自分がしようと、しちゃおうと悪巧むヒュー。
だがもしもそんなことになったとしたら、彼が担当する顧客をごっそり持って行かれるという事実に、実は全然気付いていない。
仕事関係は非常に優秀なのだが、顧客の維持とか新規獲得とかそういうことに関しては、全然ダメダメなヒュー・グッドオールだった。
「煩ぇこの野郎莫迦野郎! 俺ぁこれ以上座布団増やさねぇって決めてるんだよ莫迦野郎! そもそも俺が辞めたら此処のシノギも入らねぇだろうが莫迦野郎! つーか働けこの野郎莫迦野郎!」
一級国法士になるためには、その一級以上からの推薦状が必要で、そしてそれはなかなか手に入らない。
そもそも一級と二級は実力的にそれほど差はないのだ。しかしその資格の性質上、給与に絶対的な格差が生じてしまっている。
よって二級国法士は通常であったなら、一級は喉から手が出るほど欲しい資格であった。
だがトレヴァーは現在の事業所で、他での二級国法士より遥かに高額な給与を貰っていた。
よって、貴族からの依頼やそれに類する高官どもからの依頼を受けざるを得なくなって色々面倒事が増える一級より、二級に留まるのを選択している。
まぁぶっちゃけた話し、実は稼ぎ頭なトレヴァーに辞められて困るのはヒューなのだが。
それにトレヴァーも、こんな言い合いはするものの、それ以外は自由にさせてくれるグッドオール国法事務所の居心地が良いため退職しようとは一切思っていない――
「は! 自惚れるのも良い加減にしろチンピラが! 貴様程度がいなくなったってグッドオール国法事務所はいつでも通常営業だ! 俺を甘く見るなよ小僧!」
――筈なのだが、なんだか売り言葉に買い言葉のその場の勢いでそんなことを吐き捨て、次いで一瞬にして魔法を構築して宙を舞う。
それにより発生した風が周囲に吹き荒れ、離れたところにいる淑女達のスカートが大変なことになっている。色々と考えなしなヒューだった。
瞬間的に魔法を発動させる技術は、それこそ何十年もの研鑽の結果習得出来ると言われる高度な魔法技術。
そんな大層なものではあるが、そもそもヒューは森妖精。既に何百年と生きているのだから、真面目に努力していれば出来て当り前である。
そんな瞬間発動した魔法により、遠巻きに二人の遣り取りを眺めている一般人の視線は即座に様々な場所へと逸らされ、そしてビンタされたり非難の視線を浴びたりで戻された視界には、一瞬にしてヒューの姿が消えたようにしか見えなかった。
そして彼がいた場所には旋風だけが残っており、その傍でどう見ても絡んでいるようにしか見えないトレヴァーの姿も、消えていた。
「下らねぇゴチャ入れてケツかこうとしてんじゃねぇよこの野郎莫迦野郎! 木端喰らわしたるぞこの野郎莫迦野郎!」
宙へと舞い上がるヒューの傍に、そんなことを言いながらトレヴァーもまた宙を舞っている。因みに彼は魔法が使えない。
「おいちょっと待てトレヴァー。お前なんで空まで付いて来れる? 魔法は使えなかったんじゃないのか!?」
僅かに驚き、だが即座に叩き落とすべく圧縮空気の塊をトレヴァーの頭上から叩き付ける。
しかしそれがまるで見えているかのように、彼は中空にある何かを蹴って躱した。
「あ゛? ンなの気合いがありゃあ出来るんだよこの野郎莫迦野郎! 努力と根性で頑張れば、人は空だって飛べるんだ覚えとけこの野郎莫迦野郎!」
絶対に無理である。
そしてヒューだって当り前に無理だって思っているし、それでなんとかなったら苦労はない。
「以前から常識離れしているヤツだと思っていたが此処までとは……面白い! このヒュー・グッドオールが貴様を完膚なまでに叩きのめしてろう。愛という名のもとに! 然ればお前とて、心の底から誰かを愛することが出来る筈!」
などと何処かで聞いたようなセリフを、恥ずかしげもなく大真面目に言っちゃう自称〝愛の伝道師〟な森妖精。
瞬間――ヒューの周囲に風が巻き、それが無数の無色透明な弾丸となり、更に不規則にトレヴァーを襲う。
愛の形には様々なものがあるのだが、これはどう見たとしてもそれには見えない。
どうあってもこれが愛だと言い張るのなら、そんな重く痛そうな愛は要らないと皆が感じるし思うことだろう。
そしてそんな要らない愛を向けられたトレヴァーは、眼球だけを動かして周囲を確認して一度だけ後ろの宙を蹴って前進すると、左手が霞むほどの速度で連続突きを繰り出した。
そうすることで空気の壁を打ち破り、発生した衝撃波が弾幕となりその前方へと展開される。
余談だが、右手は鞄を持ったままである。
ヒューが放った風の弾丸と、トレヴァーが展開した衝撃波の弾幕が真っ向から衝突する。
その余波は凄まじく、宙にいる二人はおろかその真下にある経営不振に陥り会長が夜逃げしたリンゴ酒を製造販売している商会の正面入口の屋根を吹き飛ばしてしまった。
――*――*――*――*――*――*――
「……それで、なにが一体どうなったらウチの店に破壊活動を働く結果になったワケ? 其処のところをよーーーーーーーーく教えてくれないかな?」
商店の顔ともいうべき出入口を吹き飛ばされ、それでもとても良い笑顔を浮かべたシェリーは、破壊し尽くされ破片が散乱しているその場に正座させた二人を腕を組んで見下ろした。
彼女の笑顔の其処彼処に青筋が浮かんでいるように見えるのは、決して気の所為ではない筈だ。
「いや嬢ちゃん、これには色々と事情があるんだよ」
まず、そう言い始めるヒュー。それを聞いて、口元に笑顔を浮かべたままゆっくり首肯するシェリー。その目は当然笑っていない。
「うんうんそうだよねー。これでワケもなくやったっていうんなら衛兵さん案件だよねー。それに事情があったとしても、やって良いことと悪いことがあるよねー」
シェリーの絶対零度の視線がヒューに刺さる。そしてヒューは、言葉に詰まってしまった。
その様を片付けながら見守る若いモンどもは、まだまだ青いと鼻で嗤う反面、その視線を自分達に向けて欲しいと切に願い、黙々とそれに勤しんでいた。