イーロ・ネヴァライネンは焦燥していた。
彼はいつも「オーバン」閉店後に帳簿を付け、そして収入と支出を出してから帰宅するのが日課となっている。
そう――帳簿に記入すべき金額と収益が同じになるように。
だが今日は、それが出来なかった。
オーナーシェフであるリオノーラが早々に、本日の売上伝表と収支決算表を回収して事務室に引っ込み、出掛けてしまったのである。
まぁ此処数年のそれを付けていたのは自分であり、一度くらい見たところでそれが判る筈がない。
もっとも商業ギルドのサブマスター、デリック・オルコックだったらそれだけで判ってしまうだろうが、それだけ優秀な王定一級会計士などそうそういない。
後日また帳簿合わせをすれば良い。イーロは気を取り直してそう考え、行きつけの綺麗どころのおねぃさんが揃っているバーで豪遊し、良い気分で夜半過ぎに帰宅の途に着いた。
もっとも豪遊といっても、行方を晦ませたリンゴ酒を販売していた商会の三代目のように、分別を無くするくらい酩酊したりしない。
彼は計算高く、綿密に謀略を張り巡らすのを信条としていると自称しているのだ。
そういえば、そろそろ納税申告用に取っておいた正規の給与明細と実際に貰っている給与の明細を処分しなければならない。
証拠がなくなってしまえば、手出しなど出来なくなるのだから。
黒い笑みを浮かべながら、イーロは帰宅する。
そして運河沿いの高級住宅街にある自宅についたとき、その前にスーツ姿の六人の男女がいるのが目に付いた。
彼らはイーロを認めると、露骨に安堵の溜息を吐いて近付いて来る。
その様が異様であり、そして直感として悪い予感がしたため、彼は素知らぬ顔で踵を返した。
「あー、逃げちゃダメですよー」
だが向きを変えたその正面に、満面の笑みを浮かべた肉感的で野生的な女が、いつの間にか回り込んでいた。
「ダメっスよー。へスターっちの神速移動は、転移かよ! ってツッコミが入るくらいなんスから、逃げられないっスよー」
そう言いながら、表皮がやけにツヤツヤしている男――淡水の魚人が警棒を手の中で回しながら半眼で言う。
「ケネスの電撃棒も大概だけどな」
そしてその後ろで、ヒト種の男が呆れたように溜息を吐いていた。
「それよりへスターになにかあったら、ユーインさんが激怒するだろうが」
更にもう一人の、表皮に鱗が僅かに浮いている、同じく魚人だが鹹水魚の男が、ノコギリのような歯を剥いてそんなことを言っている。
ちなみに鹹水の魚人の容姿も、魚要素は一切ない。そして彼は塩味が苦手で、出汁を大切にする料理男子だったりする。
「ズルイですへスターばかり! いつになったら私も貰ってくれるんですか!?」
そんな中、もう一人いる岩妖精の女が、持っているやたらと太い3メートルはある鋼鉄の棒をミシミシ軋ませて、だが可愛らしく頬を膨らませてプリプリ怒っていた。
「どうでも良いけど小さいし年寄りで食い出が無さそうです」
そしてへスターは、今日も平常運転である。
「いやオネルヴァを貰う予定はないからな? やっとのことで妹にへスターを認めて貰えたのに、これ以上増えたらマジで殺される」
「いつも死んじゃうーってくらいされてるのはあたしの方でしゅ(ガチン)。きゃ!(ぽ♡)」
「くぅ、羨ま妬ましい! ユーインさん、この私オネルヴァも内緒の愛人で良いので『死んじゃうー』ってして下さい! 大丈夫です、責任取れって自宅に突撃しませんから!」
「絶対ぇウソだ! 本当にそう思ってんなら、そもそもその発想は出て来ないだろうが!」
女子の部下二人にそんな風に好意を寄せられているユーインを、その他の男子三人は、
「……美人で森妖精な義理の妹と物理的比喩的に肉食系ワイルド美人な獣人族部下の二人相手に、連日寝不足だってほざきやがるリア充の上司ってどう思うっスか?」
「死ねば良い」
「殺すべき」
「まったくその通りっスよね」
そんなことを言いながら、それぞれ持っている電撃棒だったり棘付きナックルダスターだったり二刀トレンチナイフだったりを構えている。
無論冗談で、そんなリア充上司を本気で害そうなどとは考えている筈は、勿論ない――
「殺っちまうか」
「死体はディーンストン山脈に捨てれば魔獣が処理してくれるな」
「そのままだと運ぶのが大変っスから、取り敢えず二十分割くらいにすれば良いっスね」
――と思う。多分。
そんな冗談か本気か判断出来ない殺人予告をしている部下に若干引きつつ、だがそんなことは聞かなかったとばかりに、ユーインはイーロの前に出る。
「イーロ・ネヴァライネン氏ですね。我らは商業ギルドの監査特務隊です。貴方がレストラン『オーバン』で、開店から三年に渡り売上金を横領していると善意の第三者からの垂れ込――情報がありました。よってこれから貴邸宅の強制捜査をさせて頂きます。あ、これ審判省の捜査令状ね」
貼り付けたような笑顔をそのままに、捜査礼状を広げて掲げて見せるユーイン。そしてそれは、イーロにとってまさしく寝耳に水であった。
だがそれより、何故自分がそれをしていると判断出来たのかが疑問だ。帳簿に偽りなど残していないし、終始決算にもそんな証拠はない筈なのに。
「待って下さい、そんなことを言われてもなんのことだか――」
よって、そんな証拠などないと確信しているイーロは、そうするのが当然であるかのように身の潔白を訴えようとする。
だがそうなるのは織り込み済みなユーインは、頷きながらその訴えを途中まで聞き、
「あー、イーロ氏。貴方の残した帳簿は――」
「お前の残した帳簿には、確かにそんな証拠はなかったっスね」
「――て、おいケネス」
先回りされて言おうとする台詞を部下に取られた。
「ま、大概は騙せるんだろうけどな」
「――待てウッツ」
更に続けてヒト種の部下が、トレンチナイフを器用に回して続ける。
「だがなぁ、帳簿ってのは一方だけにあるんじゃねぇんだよ。取引相手だってちゃあんと付けてるんだよ」
「――デメトリオ、お前もか……」
そして両手に填めた棘付ナックルダスターを合わせて打ち鳴らし、鹹水の魚人が、鋭い歯を剥き出して言う。
「食材の仕入れ先の帳簿も確認したところ、取引価格に明らかな差異がありました」
「え……待ってオネルヴァまで俺の台詞取っちゃうわけ?」
ドズウウゥゥン……と地響きを立てて鋼鉄の棒を石畳に下ろし、ふんぞり返って得意げに岩妖精の女が続けた。岩妖精だけに小柄で筋肉質だが、その締まった肢体は無駄がない。性格は若干「アレ」だが。
そして――
「どうでも良いけど小さいし年寄りで食い出が無さそうです」
白虎の獣人族のへスターが、そう締める。
・・・・・・。
「いや待てへスター! そこはキメ台詞で〆るところだろ!? なんでそっち行っちゃうかな! あとコトある毎に相手を食料として評価しちゃいけません!」
「わたしとしてはケネスさんとデメトリオさんの評価が鰻の鯉幟です」
「え? なに? オレもしかしてへスターに狙われてるんスか? 比喩的に喰われるとか男として大変光栄な意味じゃなくて食料的な意味で! 確かにオレってばギュムノートゥスの魚人だけど!」
「ちょい待て俺を狙うなよ! 確かに珍しいし目出度いドラード・ルージュの魚人だし、喰ったら旨そうだというのは認めるが、そもそも食用魚としてのソレとは別種だからな!」
実はへスターに獲物として狙われている事実が判明し、慌てふためく魚人二名。そしてそのヘスターは、リアクションなど一切無く無言で見詰めるだけだった。
「ん、んん。とにかく、そんなワケだから、今から家宅捜索を開始する。言っておくが抵抗しても無駄だぞ。司法として正当な処置だからな」
咳払いを一つ。後ろで「何事もなかったかのように進めるな!」とか「大惨事じゃねーっスか!」とか言っているような気がするが、話が進まないためとりあえず無視してイーロを促す。
彼は観念したかのように項垂れて、ユーイン達を伴って邸宅へと入って行った。
(余計な抵抗はしないみたいだな)
鋼鉄の棒を持ったまま入ろうとし、当り前だが痞えて入れないと半泣きになっているオネルヴァへ氷点下の一瞥を与え、前回の反省から油断なくイーロを窺うユーイン。もう〝機関砲〟みたいに物騒なモノを相手取るのは御免だ。
取り敢えず部下四名に家宅捜索を命じ、ユーインは引き続きイーロを監視する。残り一名は、外でぶっとい棒を片手に入れないと悶えていた。
そうして捜索が開始されたとき、イーロはキッチンでなにやらやたらと豊富な調味料を弄っていた。
(気にし過ぎか)
少なくとも調味料でなにかが出来るとは、ユーインは考えられないから。
このとき、彼は判っていなかった。
調味料には、獣人を一瞬で戦闘不能にするものや、魚人を衰弱させるものがあることを。
監視しているのが料理男子のデメトリオであったのなら、もしかしたら気付いていたのかも知れない。
だが、いかんせんユーインは料理をするという発想自体が出てこない、一人暮らしをしたら遠くない未来に破綻するであろうなにも出来ない野郎であった。
「あ、あの、済みません。ちょっと皆さんにお話しがあるのですが……」
そしてイーロは、袋と瓶を持ってユーインに話し掛ける。
観念したと思い込んでいるユーインは、イーロのやけに殊勝な態度に疑問を持たず、捜査中の四人を招集する。
残りに一名は、どうすれば入れるのかやっと気付き、だが今度はその超重量な鋼鉄の棒をどうしようかと小脇に抱えてウロウロし始めていた。
それを尻目に、上司に呼ばれて集合する三名。その場にいない一名――ヒト種のウッツは、現在邸宅の奥で丁寧に捜査中で戻らない。
そんな集まりが悪い監査特務隊の面々に小さく舌打ちをし、だがそれはある意味で好都合だとイーロは切り替えた。
「あの、これなんですが……」
言いながら、袋の口を開いて差し出すイーロ。当然四人は、それを覗き込む。
中には白い結晶の粉末と、同じく黒い粉末が混合されたものが入っており、そしてそれを見た瞬間――料理男子のデメトリオがへスターとケネスの襟首を掴んで後退する。
だがそれは、明らかに遅過ぎた。
「〝微風〟」
顔を歪めて嗤うイーロが呟き、それによって発生した風が袋の中身を巻き上げ四人を包む。
まず最初にそれに反応したのは、獣人族のへスター。
彼女は巻き上げられたそれを真面に吸い込んでしまい、悲鳴を上げてのたうち回る。
次いでほぼ同時にそれを浴びたケネスとデメトリオの魚人コンビが、表皮から水分を奪うそれにより全身の掻痒感に襲われた。
最も近くにいたユーインも、それを吸い込んでしまって激しくクシャミをしながら蹲る。
その様を悠然と見下ろし、瓶の中身をへスターへと更にぶち撒けた。それを鼻先に浴びたヘスターは、頭を抱えて転げ回る。
「穏便にしていようと思ったが、もうここまでだな。仕方ない、思った以上に早かったが、帝国へ亡命するか……」
転げ回るへスターを蹴り、イーロはリビングのカーペットを剥がし、そこにある地下室への扉を開けて降りて行き、そしてそのまま施錠した。
「……あの野、郎……余計な真似、しやがっ、て……〝四重詠唱〟」
止まらないクシャミに涙目になり、だがユーインはなんとか魔法を紡ぐ。
「四連〝水球〟」
人が丸ごと浸かれるくらいの巨大な水の球体を四つ出し、それぞれ頭から被って浴びてしまった粉末と液体――塩コショウとワインビネガーを洗い流した。
その騒動を聞き付け、奥へ行っていたウッツが駆け付け惨状に唖然とする。そして玄関先にいるオネルヴァは、鋼鉄の棒を持って邸宅の壁やら柱やらを薙ぎ倒して入って来た。大惨事である。
「うーわ、酷ぇ目に遭った。つーかユーインさん油断し過ぎだよまったく!」
手足や頭を振って水を払い、ついでに首元にある鰓をパタパタさせてデメトリオが恨めしそうにユーインをジト目で睨む。
両手にナックルダスターを填めているスーツ姿の魚人の男のジト目なんて需要あるのか? などと惚けたことを考えるユーインだが、確かにちょっと油断していたのは事実であるため反論出来ない。
「そもそも、塩コショウとかの調味料だって立派な対人兵器に成り得るんだからな! なんで判んねぇんだ!? あークソ開かねぇ! 鍵掛けやがったなこん畜生!」
文句を言いながら地下室を開けようとし、だが開かずに悪態を吐くデメトリオ。
そんな彼の言葉に、ユーインはキョトン顔で首を傾げるだけであった。
「なに言ってんだデメトリオ。料理人でもないなら男は料理なんてしないし、そんなことなんて知るわけないだろう」
「は?」
そんなユーインの言葉に、その場にいる男衆がフリーズする。
ちなみにオネルヴァは棒が痞えてしまい、もがいて破壊活動の真っ最中。ヘスターは転げ回ったせいかそこらじゅう擦り傷だらけになっていた。
「まさかと思うが、ユーインさんは家事とか炊事とかやらねーのか?」
「『まさか』の意味が判らんが。何故に男の俺がそんなことをしなきゃならんのだ? それは女の仕事だろう。デメトリオも早く家事をする女を見つけて仕事に集中するんだな。じゃないと一人前の男にはなれないぞ」
『えー……』
ユーインの亭主関白宣言に、いまどき有り得ないとばかりに全力でドン引く三人の男衆。そしてヘスターも、自身の耳を疑ってフリーズしていた。
「そもそも男は外に出て働いて稼ぐものだ。それを支えるのが女の役割だろう。お前こそなに言ってんだ?」
重ねてそんなことを言い始めるユーインを、今度は汚物を見るような視線を男衆が向ける。
「現在の常識だと、夫婦共働きで家事も協力し合うんだが、まさかと思うがアンタ、籍入れたら女は仕事を辞めて家と家庭を守るのが当り前って言うヤツか?」
泣きそうになっているへスターの頭を撫でながら、ウッツが半眼で訊く。すると心の底から不思議そうな表情を浮かべて小首を傾げるユーイン。
「そんなの当り前だろう。常識だよ常識。共働きとか家事分担とか有り得ない。それよりウッツよ、なんで馴れ馴れしくへスターを撫でてんだ?」
「恋人の本性を知って悲しくなってる同僚を慰めてんだよ。もう良い喋るなクズ野郎」
え? なんで? ヘスターは俺のだよ? とか呟きながら困惑しているユーインを今度は完全に無視して、
「オラァ!」
デメトリオが地下室を塞いでいる扉を殴ってブチ破る。
「おま……なにやってんだよ。俺らが壊したりしたら拙いだろうが」
強制捜査はあくまで捜査であり、基本的に建物や家具を壊してはならないことになっている。だが中には塗壁に帳簿や印鑑を隠している場合もあるため、そういうときは例外であるが。
「煩ぇよクズ野郎が。オネルヴァがもう壊しまくってんだから今更だろうがよ。あと、気安く話し掛けんなクズが感染る」
言い捨て、地下室へと身を躍らせるデメトリオ。礼儀正しい筈の部下からそんな罵詈雑言を浴びせられて閉口するユーインだが、すぐに我に返る。
「は? お前、上司に向かってなんて口の利き方……」
だが更に、人懐っこく温厚な筈のケネスが地下室へと歩を進めつつ、
「腐れ上司に口の利き方云々言われたくねーっスね。甲斐性あるなぁとか思ってたんっスけど、なんのことはない考え無しなクズだったんっスね」
侮蔑全開に吐き捨て、更にオネルヴァが絶対零度の視線を向け、
「ユーインさんって、女を自分の付属品程度にしか見てなかったんですね。良ーく判りました。へスターには悪いんですが、私は貴方のようなクズに純潔を散らされなくて心底良かったと、今現在進行形で痛感しています」
どうやら百年の恋が冷めたらしい。
だがそんな訴えなど、数百年に渡ってそれが当然だと信じて疑わないユーインには届かない。
泣き噦り、遂にはウッツの胸に顔を押し付けているへスターを信じられないとばかりに睨み付ける。
「……ごめんなさいウッツ。ありがとう。今仕事中だもんね、こんなことしてられない」
目を泣き腫らし、鼻を啜りながらヘスターが立ち上がる。
そしてユーインを視界に入れずに地下室へと降りて行こうとするのだが、それより早く多重障壁を展開したデメトリオが、床板をブチ破って吹き飛ばされ、そのまま天井にぶつかった――
彼はいつも「オーバン」閉店後に帳簿を付け、そして収入と支出を出してから帰宅するのが日課となっている。
そう――帳簿に記入すべき金額と収益が同じになるように。
だが今日は、それが出来なかった。
オーナーシェフであるリオノーラが早々に、本日の売上伝表と収支決算表を回収して事務室に引っ込み、出掛けてしまったのである。
まぁ此処数年のそれを付けていたのは自分であり、一度くらい見たところでそれが判る筈がない。
もっとも商業ギルドのサブマスター、デリック・オルコックだったらそれだけで判ってしまうだろうが、それだけ優秀な王定一級会計士などそうそういない。
後日また帳簿合わせをすれば良い。イーロは気を取り直してそう考え、行きつけの綺麗どころのおねぃさんが揃っているバーで豪遊し、良い気分で夜半過ぎに帰宅の途に着いた。
もっとも豪遊といっても、行方を晦ませたリンゴ酒を販売していた商会の三代目のように、分別を無くするくらい酩酊したりしない。
彼は計算高く、綿密に謀略を張り巡らすのを信条としていると自称しているのだ。
そういえば、そろそろ納税申告用に取っておいた正規の給与明細と実際に貰っている給与の明細を処分しなければならない。
証拠がなくなってしまえば、手出しなど出来なくなるのだから。
黒い笑みを浮かべながら、イーロは帰宅する。
そして運河沿いの高級住宅街にある自宅についたとき、その前にスーツ姿の六人の男女がいるのが目に付いた。
彼らはイーロを認めると、露骨に安堵の溜息を吐いて近付いて来る。
その様が異様であり、そして直感として悪い予感がしたため、彼は素知らぬ顔で踵を返した。
「あー、逃げちゃダメですよー」
だが向きを変えたその正面に、満面の笑みを浮かべた肉感的で野生的な女が、いつの間にか回り込んでいた。
「ダメっスよー。へスターっちの神速移動は、転移かよ! ってツッコミが入るくらいなんスから、逃げられないっスよー」
そう言いながら、表皮がやけにツヤツヤしている男――淡水の魚人が警棒を手の中で回しながら半眼で言う。
「ケネスの電撃棒も大概だけどな」
そしてその後ろで、ヒト種の男が呆れたように溜息を吐いていた。
「それよりへスターになにかあったら、ユーインさんが激怒するだろうが」
更にもう一人の、表皮に鱗が僅かに浮いている、同じく魚人だが鹹水魚の男が、ノコギリのような歯を剥いてそんなことを言っている。
ちなみに鹹水の魚人の容姿も、魚要素は一切ない。そして彼は塩味が苦手で、出汁を大切にする料理男子だったりする。
「ズルイですへスターばかり! いつになったら私も貰ってくれるんですか!?」
そんな中、もう一人いる岩妖精の女が、持っているやたらと太い3メートルはある鋼鉄の棒をミシミシ軋ませて、だが可愛らしく頬を膨らませてプリプリ怒っていた。
「どうでも良いけど小さいし年寄りで食い出が無さそうです」
そしてへスターは、今日も平常運転である。
「いやオネルヴァを貰う予定はないからな? やっとのことで妹にへスターを認めて貰えたのに、これ以上増えたらマジで殺される」
「いつも死んじゃうーってくらいされてるのはあたしの方でしゅ(ガチン)。きゃ!(ぽ♡)」
「くぅ、羨ま妬ましい! ユーインさん、この私オネルヴァも内緒の愛人で良いので『死んじゃうー』ってして下さい! 大丈夫です、責任取れって自宅に突撃しませんから!」
「絶対ぇウソだ! 本当にそう思ってんなら、そもそもその発想は出て来ないだろうが!」
女子の部下二人にそんな風に好意を寄せられているユーインを、その他の男子三人は、
「……美人で森妖精な義理の妹と物理的比喩的に肉食系ワイルド美人な獣人族部下の二人相手に、連日寝不足だってほざきやがるリア充の上司ってどう思うっスか?」
「死ねば良い」
「殺すべき」
「まったくその通りっスよね」
そんなことを言いながら、それぞれ持っている電撃棒だったり棘付きナックルダスターだったり二刀トレンチナイフだったりを構えている。
無論冗談で、そんなリア充上司を本気で害そうなどとは考えている筈は、勿論ない――
「殺っちまうか」
「死体はディーンストン山脈に捨てれば魔獣が処理してくれるな」
「そのままだと運ぶのが大変っスから、取り敢えず二十分割くらいにすれば良いっスね」
――と思う。多分。
そんな冗談か本気か判断出来ない殺人予告をしている部下に若干引きつつ、だがそんなことは聞かなかったとばかりに、ユーインはイーロの前に出る。
「イーロ・ネヴァライネン氏ですね。我らは商業ギルドの監査特務隊です。貴方がレストラン『オーバン』で、開店から三年に渡り売上金を横領していると善意の第三者からの垂れ込――情報がありました。よってこれから貴邸宅の強制捜査をさせて頂きます。あ、これ審判省の捜査令状ね」
貼り付けたような笑顔をそのままに、捜査礼状を広げて掲げて見せるユーイン。そしてそれは、イーロにとってまさしく寝耳に水であった。
だがそれより、何故自分がそれをしていると判断出来たのかが疑問だ。帳簿に偽りなど残していないし、終始決算にもそんな証拠はない筈なのに。
「待って下さい、そんなことを言われてもなんのことだか――」
よって、そんな証拠などないと確信しているイーロは、そうするのが当然であるかのように身の潔白を訴えようとする。
だがそうなるのは織り込み済みなユーインは、頷きながらその訴えを途中まで聞き、
「あー、イーロ氏。貴方の残した帳簿は――」
「お前の残した帳簿には、確かにそんな証拠はなかったっスね」
「――て、おいケネス」
先回りされて言おうとする台詞を部下に取られた。
「ま、大概は騙せるんだろうけどな」
「――待てウッツ」
更に続けてヒト種の部下が、トレンチナイフを器用に回して続ける。
「だがなぁ、帳簿ってのは一方だけにあるんじゃねぇんだよ。取引相手だってちゃあんと付けてるんだよ」
「――デメトリオ、お前もか……」
そして両手に填めた棘付ナックルダスターを合わせて打ち鳴らし、鹹水の魚人が、鋭い歯を剥き出して言う。
「食材の仕入れ先の帳簿も確認したところ、取引価格に明らかな差異がありました」
「え……待ってオネルヴァまで俺の台詞取っちゃうわけ?」
ドズウウゥゥン……と地響きを立てて鋼鉄の棒を石畳に下ろし、ふんぞり返って得意げに岩妖精の女が続けた。岩妖精だけに小柄で筋肉質だが、その締まった肢体は無駄がない。性格は若干「アレ」だが。
そして――
「どうでも良いけど小さいし年寄りで食い出が無さそうです」
白虎の獣人族のへスターが、そう締める。
・・・・・・。
「いや待てへスター! そこはキメ台詞で〆るところだろ!? なんでそっち行っちゃうかな! あとコトある毎に相手を食料として評価しちゃいけません!」
「わたしとしてはケネスさんとデメトリオさんの評価が鰻の鯉幟です」
「え? なに? オレもしかしてへスターに狙われてるんスか? 比喩的に喰われるとか男として大変光栄な意味じゃなくて食料的な意味で! 確かにオレってばギュムノートゥスの魚人だけど!」
「ちょい待て俺を狙うなよ! 確かに珍しいし目出度いドラード・ルージュの魚人だし、喰ったら旨そうだというのは認めるが、そもそも食用魚としてのソレとは別種だからな!」
実はへスターに獲物として狙われている事実が判明し、慌てふためく魚人二名。そしてそのヘスターは、リアクションなど一切無く無言で見詰めるだけだった。
「ん、んん。とにかく、そんなワケだから、今から家宅捜索を開始する。言っておくが抵抗しても無駄だぞ。司法として正当な処置だからな」
咳払いを一つ。後ろで「何事もなかったかのように進めるな!」とか「大惨事じゃねーっスか!」とか言っているような気がするが、話が進まないためとりあえず無視してイーロを促す。
彼は観念したかのように項垂れて、ユーイン達を伴って邸宅へと入って行った。
(余計な抵抗はしないみたいだな)
鋼鉄の棒を持ったまま入ろうとし、当り前だが痞えて入れないと半泣きになっているオネルヴァへ氷点下の一瞥を与え、前回の反省から油断なくイーロを窺うユーイン。もう〝機関砲〟みたいに物騒なモノを相手取るのは御免だ。
取り敢えず部下四名に家宅捜索を命じ、ユーインは引き続きイーロを監視する。残り一名は、外でぶっとい棒を片手に入れないと悶えていた。
そうして捜索が開始されたとき、イーロはキッチンでなにやらやたらと豊富な調味料を弄っていた。
(気にし過ぎか)
少なくとも調味料でなにかが出来るとは、ユーインは考えられないから。
このとき、彼は判っていなかった。
調味料には、獣人を一瞬で戦闘不能にするものや、魚人を衰弱させるものがあることを。
監視しているのが料理男子のデメトリオであったのなら、もしかしたら気付いていたのかも知れない。
だが、いかんせんユーインは料理をするという発想自体が出てこない、一人暮らしをしたら遠くない未来に破綻するであろうなにも出来ない野郎であった。
「あ、あの、済みません。ちょっと皆さんにお話しがあるのですが……」
そしてイーロは、袋と瓶を持ってユーインに話し掛ける。
観念したと思い込んでいるユーインは、イーロのやけに殊勝な態度に疑問を持たず、捜査中の四人を招集する。
残りに一名は、どうすれば入れるのかやっと気付き、だが今度はその超重量な鋼鉄の棒をどうしようかと小脇に抱えてウロウロし始めていた。
それを尻目に、上司に呼ばれて集合する三名。その場にいない一名――ヒト種のウッツは、現在邸宅の奥で丁寧に捜査中で戻らない。
そんな集まりが悪い監査特務隊の面々に小さく舌打ちをし、だがそれはある意味で好都合だとイーロは切り替えた。
「あの、これなんですが……」
言いながら、袋の口を開いて差し出すイーロ。当然四人は、それを覗き込む。
中には白い結晶の粉末と、同じく黒い粉末が混合されたものが入っており、そしてそれを見た瞬間――料理男子のデメトリオがへスターとケネスの襟首を掴んで後退する。
だがそれは、明らかに遅過ぎた。
「〝微風〟」
顔を歪めて嗤うイーロが呟き、それによって発生した風が袋の中身を巻き上げ四人を包む。
まず最初にそれに反応したのは、獣人族のへスター。
彼女は巻き上げられたそれを真面に吸い込んでしまい、悲鳴を上げてのたうち回る。
次いでほぼ同時にそれを浴びたケネスとデメトリオの魚人コンビが、表皮から水分を奪うそれにより全身の掻痒感に襲われた。
最も近くにいたユーインも、それを吸い込んでしまって激しくクシャミをしながら蹲る。
その様を悠然と見下ろし、瓶の中身をへスターへと更にぶち撒けた。それを鼻先に浴びたヘスターは、頭を抱えて転げ回る。
「穏便にしていようと思ったが、もうここまでだな。仕方ない、思った以上に早かったが、帝国へ亡命するか……」
転げ回るへスターを蹴り、イーロはリビングのカーペットを剥がし、そこにある地下室への扉を開けて降りて行き、そしてそのまま施錠した。
「……あの野、郎……余計な真似、しやがっ、て……〝四重詠唱〟」
止まらないクシャミに涙目になり、だがユーインはなんとか魔法を紡ぐ。
「四連〝水球〟」
人が丸ごと浸かれるくらいの巨大な水の球体を四つ出し、それぞれ頭から被って浴びてしまった粉末と液体――塩コショウとワインビネガーを洗い流した。
その騒動を聞き付け、奥へ行っていたウッツが駆け付け惨状に唖然とする。そして玄関先にいるオネルヴァは、鋼鉄の棒を持って邸宅の壁やら柱やらを薙ぎ倒して入って来た。大惨事である。
「うーわ、酷ぇ目に遭った。つーかユーインさん油断し過ぎだよまったく!」
手足や頭を振って水を払い、ついでに首元にある鰓をパタパタさせてデメトリオが恨めしそうにユーインをジト目で睨む。
両手にナックルダスターを填めているスーツ姿の魚人の男のジト目なんて需要あるのか? などと惚けたことを考えるユーインだが、確かにちょっと油断していたのは事実であるため反論出来ない。
「そもそも、塩コショウとかの調味料だって立派な対人兵器に成り得るんだからな! なんで判んねぇんだ!? あークソ開かねぇ! 鍵掛けやがったなこん畜生!」
文句を言いながら地下室を開けようとし、だが開かずに悪態を吐くデメトリオ。
そんな彼の言葉に、ユーインはキョトン顔で首を傾げるだけであった。
「なに言ってんだデメトリオ。料理人でもないなら男は料理なんてしないし、そんなことなんて知るわけないだろう」
「は?」
そんなユーインの言葉に、その場にいる男衆がフリーズする。
ちなみにオネルヴァは棒が痞えてしまい、もがいて破壊活動の真っ最中。ヘスターは転げ回ったせいかそこらじゅう擦り傷だらけになっていた。
「まさかと思うが、ユーインさんは家事とか炊事とかやらねーのか?」
「『まさか』の意味が判らんが。何故に男の俺がそんなことをしなきゃならんのだ? それは女の仕事だろう。デメトリオも早く家事をする女を見つけて仕事に集中するんだな。じゃないと一人前の男にはなれないぞ」
『えー……』
ユーインの亭主関白宣言に、いまどき有り得ないとばかりに全力でドン引く三人の男衆。そしてヘスターも、自身の耳を疑ってフリーズしていた。
「そもそも男は外に出て働いて稼ぐものだ。それを支えるのが女の役割だろう。お前こそなに言ってんだ?」
重ねてそんなことを言い始めるユーインを、今度は汚物を見るような視線を男衆が向ける。
「現在の常識だと、夫婦共働きで家事も協力し合うんだが、まさかと思うがアンタ、籍入れたら女は仕事を辞めて家と家庭を守るのが当り前って言うヤツか?」
泣きそうになっているへスターの頭を撫でながら、ウッツが半眼で訊く。すると心の底から不思議そうな表情を浮かべて小首を傾げるユーイン。
「そんなの当り前だろう。常識だよ常識。共働きとか家事分担とか有り得ない。それよりウッツよ、なんで馴れ馴れしくへスターを撫でてんだ?」
「恋人の本性を知って悲しくなってる同僚を慰めてんだよ。もう良い喋るなクズ野郎」
え? なんで? ヘスターは俺のだよ? とか呟きながら困惑しているユーインを今度は完全に無視して、
「オラァ!」
デメトリオが地下室を塞いでいる扉を殴ってブチ破る。
「おま……なにやってんだよ。俺らが壊したりしたら拙いだろうが」
強制捜査はあくまで捜査であり、基本的に建物や家具を壊してはならないことになっている。だが中には塗壁に帳簿や印鑑を隠している場合もあるため、そういうときは例外であるが。
「煩ぇよクズ野郎が。オネルヴァがもう壊しまくってんだから今更だろうがよ。あと、気安く話し掛けんなクズが感染る」
言い捨て、地下室へと身を躍らせるデメトリオ。礼儀正しい筈の部下からそんな罵詈雑言を浴びせられて閉口するユーインだが、すぐに我に返る。
「は? お前、上司に向かってなんて口の利き方……」
だが更に、人懐っこく温厚な筈のケネスが地下室へと歩を進めつつ、
「腐れ上司に口の利き方云々言われたくねーっスね。甲斐性あるなぁとか思ってたんっスけど、なんのことはない考え無しなクズだったんっスね」
侮蔑全開に吐き捨て、更にオネルヴァが絶対零度の視線を向け、
「ユーインさんって、女を自分の付属品程度にしか見てなかったんですね。良ーく判りました。へスターには悪いんですが、私は貴方のようなクズに純潔を散らされなくて心底良かったと、今現在進行形で痛感しています」
どうやら百年の恋が冷めたらしい。
だがそんな訴えなど、数百年に渡ってそれが当然だと信じて疑わないユーインには届かない。
泣き噦り、遂にはウッツの胸に顔を押し付けているへスターを信じられないとばかりに睨み付ける。
「……ごめんなさいウッツ。ありがとう。今仕事中だもんね、こんなことしてられない」
目を泣き腫らし、鼻を啜りながらヘスターが立ち上がる。
そしてユーインを視界に入れずに地下室へと降りて行こうとするのだが、それより早く多重障壁を展開したデメトリオが、床板をブチ破って吹き飛ばされ、そのまま天井にぶつかった――