グレンカダム市街と郊外を行き来している二頭立て乗合馬車を運行している御者のドロテオは、昼過ぎからほぼ休まず御者台に座っているためいい加減に疲労困憊であった。

 もっとも一番そうなのは馬だろうとツッコミが入りそうなのだが、その馬は昼下がりと夕方には交代しており、休まずにいるのはドロテオだけだったりする。

 二頭立ての馬車を操るのは存外技術が必要で、そして神経も使うのだが、それを理解してくれる人は驚くほど少ない。
 そのためずっと座って手綱を握っているだけなのに、一体どうして疲れるんだと言われることも屡々(しばしば)あるのが現状だ。

 本気で転職しようかな?

 そんなことを考えながら、そういえば新生したアップルジャック商会が募集していたな。御者も雇ってくれないかなーとか、わりと本気で考えているドロテオ。だがそんな甘い考えではきっと雇ってくれないだろうとも考え、深い溜息を吐いた。

 夕方も過ぎたし既に暗くなっているため、郊外からの客は誰も乗っていない。
 これからグレンカダムに到着してからまた夜の便があり、それには郊外に帰宅する酔っ払いが結構多く乗り込むため、それを考えて更に憂鬱になる。

 ゆっくり行って()らしてやろうか。

 などと僅かに邪悪な誘惑に駆られるが、それをして絡まれるのも面倒臭い。それよりも早目に市街に到着させて、馬を休ませる方がよほど有意義だし自分もそれなりに休める。

 そう考えてドロテオは、手綱を緩めて速く走らせ始めた。派手に揺れるため、客が乗っているときは絶対にしない速度でグレンカダム市街へ向う。

 そして市街の灯りが近くなり、やれやれと首を回して筋肉を解し、だが手綱はそのままに馬車を走らせるその後方から、なにかが高速で接近して来るのに気付いた。

 急ぎの馬車か?

 そう考え、速度はそのまま僅かに車体を道の端へ寄せる。

 そして――

「うふふふ、捕まえてごらんなさーい♡」

 草原妖精にしては妙に身長が高い、更にやたらとメリハリがありスタイル抜群な女がそう言いながら、軽く結んだ手を左右に振りつつ内股気味にする走法――乙女走りで、だが高速で馬車を追い抜いて行く。

 ……まぁ、この世界には軽くその程度は出来ちゃうヤツが結構いて、商業ギルドのサブマスターなんかは列車よりも早く走れるから、特に驚くことでもない。乙女走りでそうするというのは聞いたこともないが。

 ドロテオはそう自分に言い聞かせ、ドップラー効果を残して駆け抜けて行った今のは見なかったことにしようと――

「待て待てこいつぅ♡」

 ――したのだが、更に黒髪の妙に色白なヒト種であろう男がそれを追い、何故かスキップのように弾む走法で、またしてもドップラー効果を残して走り去るのを目の当たりにして、

「オレ、疲れてるんだな。うん、きっとそうだ」

 そう独白し、労働量が給料に見合わない今の運行業者を退職して新天地への転職を決めたそうである。

 物凄くどうでも良いことではあるが。

 で、そんなキャッキャウフフな台詞をドップラー効果付きで言いながら駆け抜けて行った二人なのだが、

「……ねぇセシルくん、今のってなにか意味があったの? 言われたからやってみたけど、ラーラちょっと理解出来ないよ」

 すん……と素に戻り、追い付いて隣を走るセシルを見上げてラーラが訊いた。若干目が死んでいるのは気のせいだと思いたい。

「あー、いや。男女で走るんならコレだよなーとか思ってキャッキャウフフしてみたんだけど、思いの外どーでも良かった。やっぱりこういうのは夕暮れの海岸でするのが定石かな?」

 もしかしたらそんなシチュエーションに憧れでもあったのだろうか。だが実際やってみたら、言った通りどーでも良かったらしく、ちょっとだけ後悔していたりする。

「更に意味が判らないよ。それにこの乙女走り? 凄く走りづらい。あと『捕まえてごらん~』って言ったけど、捕まったらどうなるの?」
「そりゃあまぁ、キャッキャウフフして捕まえたなら、恋人同士がするベッドでの儀式に雪崩れ込むんだよ」

 次の瞬間、ラーラの両手のひらが軽く握られ外を向き、意味もなく左右に振られ始め、更に足も内股気味で細かく歩を刻む乙女走りにシフトチェンジされた。

「うふふふ、捕まえてごらんなさーい♡」
「なんでだよ!」

 そんな意味なんて一切無い遣り取りをしながら、セシルとラーラは平均時速が10km/h前後の馬車がドップラー効果を体感出来るほどの速度で駆け抜けていた。
 いや、今は速度を速めているため、大体の時速は20km/h弱くらいは余裕で出ているであろう。
 少なくとも二人は、最低でも100mを八秒以下の時間で駆け抜けたことになるのだ。
 それだけでも充分驚異的であるのだが、実は商業ギルドのサブマスターやアップルジャック商会の副店長などは、平均時速80km/hの蒸気機関車を追い越すほどの俊足である。
 それに比べたら、たかが100mを八秒台――時速45km/h程度は可愛い方だ。

 そんな傍目(はため)からは遊んでいるようにしか見えないバカなことを大真面目に繰り広げながら、二人はグレンカダムに到着するなりその城壁を駆け上がり、人の気配がないのを確認して侵入する。
 アイザックに見せて貰った地図には、城壁の何処からなら侵入し易いかも描かれていたのだ。
 何故そんなところまで調べる必要があるのかは不明であり、別に城攻めをするわけでもないのにと軽ーく突っ込もうかと思ったのだが、やけに彼の笑顔が怖くてちょっと訊くのを躊躇(ためら)ってそのままになっている。
 もしかして、過去にそれをする必要でもあったのだろうか? などと想像し、だが物凄く危険な気がして考えるのを止めたセシルだった。

 そんな益体のないことを思い返しているセシルに、

「お待ちしておりました」

 いつの間にか目の前に草原妖精の女がおり、流麗にお辞儀をしていた。

 気配を察知出来なかった!?

 僅かな焦燥と共に身構えるセシルとラーラに、彼女は頭を上げて妖艶に微笑みながら続ける。

「わたくしはリー・イーリー様直属部隊〝ラ・クレム・シトロニエ〟の一人でございます。アイザック様よりお手伝いを申しつかっておりますので、此処からは我らが誘導致します」

 微笑みは崩さず、彼女はそう言った。そう、それはとても妖艶で魅力的で、見る者が見たのなら本能のままに襲い掛かってしまうかも知れない。

 それほど彼女の微笑みは、強烈だった。

 但し、コッテコテの草原妖精で背が低く、体型もどちらかというと幼児のようであるが。
 そしてその容姿も、黒髪で細い目であるためその辺で走り回っている子供のようだったりする。

 まぁ、とある属性持ちであったのならば飛び付くかも知れないが。

「そうか。ご苦労」

 努めて平坦に、セシルは答える。その対応が意外であったのか、彼女は細い目を更に細めてやっぱり妖艶に笑う。

「ふふ。わたくしを見ても劣情に駆られないとは、なかなかやりますね」

 いや一体なにをどう思ったらお前をそんな対象に見られるんだよ。

 物凄く得意げに、黒髪をサラリと撫でてそんなことを言う彼女に、心中でツッコミを入れる。
 客観的に見れば、子供が背伸びしてそんなマセたことを言っている風にしか見えないし。

 そんなツッコミをされているとは露知(つゆし)らず、彼女は「美しいのは罪ね」とか黙られている理由を明後日(あさって)どころか明明後日(しあさって)くらいの方向で理解しているようである。

「わたくしの美しさに心奪われているところ悪いのだけれど――」

 違うそうじゃない。

「地図のこのルートで行くのが最短よ。途中にもわたくしと同じ〝ラ・クレム・シトロニエ〟の隊員がいるから安心なさい。ふふ、それとも美しいわたくしに付いて来て欲しいのかしら? 言葉を失っちゃって、可愛いわね」

 黙っている理由はそれじゃない。

「でも残念。わたくし、お子様には興味が無いの。わたくしに相手して欲しかったら、あと十年は男を磨いて来なさいな」

 いやそれより、誘ったり告白したりしていないしする気も無いのに、なんで振られたみたいな扱いになってるんだ?
 あと何処から来るんだその謎の自信? これがラーラみたいにボンキュボンな草原妖精なら理解出来るが、凹凸(おうとつ)の乏しいコッテコテなそれに言われたって誰得だよ!

「解せぬ」

 薄っぺらい胸部装甲から地図を取り出して道筋(ルート)をなぞり、そして自身の容姿に恍惚とする彼女を半眼で見詰めて独白する。だがそれを突っ込んだとしても、きっと暖簾(のれん)腕押(うでお)しだろう。

 しかし、それよりなにより――

「なぁ、なんでそんな部隊員なのにメイド服なんだ?」

 そう、彼女は何処から見てもメイドだった。しかもミニスカなメイドなどではなく、きちんとしたそれなのである。

「……なにを言っているのですか?」

 言われて、彼女の動きが数瞬止まる。

 そしてグリンと首が動き、細い筈のその双眸が大きく見開かれ、ハイライトが消えた全てを飲み込みそうな漆黒の瞳が真っ直ぐにセシルへ向けられた。

「メイド服は淑女の戦闘服なんですよ、判っていますか? 判っていませんよね? だからそんな無神経且つ意味不明なことが言えるのですよね。そう淑女の象徴といえばメイド服なのです。バニーとかスリットドレスとかゴシックロリータとかカフェユニフォームとかがイイとか(たわ)けたことを言う無知蒙昧(むちもうまい)な奴もいますが、誰がなんと言おうとそれだけは絶対に譲れません。まぁ中にはミニスカメイドで絶対領域がイイとかワケの判らないコトをほざき下さりやがるクズもいますが、それはテメーの欲望だろうがナニ口走ってんだ××××(ピ――――!)潰して死なすぞ不能野郎が! 至高のメイド服を改造するなど言語道断! 長いスカートをたくし上げるから興奮するのであって、最初からフトモモ見えているのなど有り得ない! それはただの露出狂だろうが! メイド舐めんな――」

 なにやら勝手に誰へともなく白熱し始める草原妖精をそのままに、その彼女が持っていた地図に目を通す。
 その道筋(ルート)は、路地裏や下水溝内だったり、石造(いしづくり)集合住宅(アパート)外壁の垂直登攀(すいちょくとうはん)だったり、カチャカチャ(うるさ)い瓦屋根だったり、高低差が5メートルだったりとなかなかにパルクールなものであった。

「ふん、もっとも貴方達みたいなヒト種や半端な草原妖精じゃあまともに通れないでしょうね。良いですわよ、我らが〝ラ・クレム・シトロニエ〟に泣きついて協力を乞うのも一つの手段で――」
「んじゃ行こうかラーラ」
「はい、ラーラです。余っ裕ぅです」
「――しょうけどうぇええええええぇぇぇ!?」

 黒髪をサラリと撫でてそんなことを言い出す草原妖精メイドを他所に、まるで平地でも歩くかのようにひょいひょいと、更に音もなく流れるように走り出すセシルとラーラ。
 そんな二人の技量に、思わずおかしな声を上げる草原妖精メイド。だがその感嘆(?)は、既に彼方へと至っている二人には届かない。例え届いていたとしても、相手を見下すヤツなど気にも止めずに流すだけだが。

 そして地図にある道筋(ルート)通りに進んでいると、要所で〝ラ・クレム・シトロニエ〟の隊員らしき草原妖精が二人を待ち構えて誘導してくれる。

 それはとても有難い。

 なのだが――

「なぁラーラ」
「はい、ラーラです。どしたのセシルくん」
「ちょっと気になったんだが、草原妖精って、みんな同じ顔してるのか? あいつら服装以外は全部一緒なんだけど」
「ラーラは半分ヒト種だから良く判らないけど、同じじゃないと思うよ」
「そうかぁ。あいつらがおかしいだけなのかな? あと、なんで最初のと同じくメイド服で統一じゃないんだろうな」
「それはラーラ知らない。仕事の都合なのかな? あとは、ただの趣味」
「流石に趣味はないだろうけど……」

 そう、誘導してくれる草原妖精達は、一様に同じ容貌をしていた。だがその服装は、スリットドレスだったりゴスロリだったり十二単(じゅうにひとえ)だったりボンテージだったりしていたのである。

 そう。明らかに、隠密行動には不向きな装いであった。

 ……………………。

「……うん、深く考えるのは止めよう」

 早々にセシルは思考を放棄し、二人はイーロ・ネヴァライネンの邸宅へと走って行った。