開店したレストラン「オーバン」は、当たり前だがその直後から繁盛していたわけではない。
それに――オーナーシェフがまだ成人したばかりの一五歳であり、更に女とあれば誰も利用したいとは思わないのは、思量が閉鎖的であるグレンカダムでは当然である。
飲食店の経営とそのシェフは男であるという「常識」が、この都市では根強く残っているから。
だがその程度で挫けるリオノーラではない。それにどの程度の偏見と逆境など、物心つく以前から経験している。
リオノーラは孤児である。その特異な容姿――白髪赤目の色素欠乏症のせいで「忌児」と気味悪がれ、両親にすら捨てられたのだ。
しかしそれでも、彼女はまだ幸運であったのだろう。
何故なら、捨てられ野垂れるしかなかった筈の赤子であるリオノーラは、生む前に子を亡くし悲しみに暮れ怒りに震える一人の女と出会ったのだから。
――貴女も、家族を失くしたのね。
涼やかな鈴の音のような声で彼女は呟き、産着に包まれ地面の上で火が点いたように泣き続ける彼女を抱き上げた。
自分を抱き上げる、血と汗と埃で薄汚れた白金色の髪と、深い悲しみを宿した翠瞳を、リオノーラは今でも覚えている。
そう、リオノーラは生まれ落ちた瞬間から全ての記憶を失わずに保持していた。
自分を抱き上げるその女がどのような容姿なのかは、まだ全てにおいて未熟な新生児であったため判らなかった。
だが、汚れてなお美しく輝く髪と、光の加減で色が変わる瞳だけは、強烈に覚えている。
彼女は赤子に「リオノーラ」という、本来であったのならば生まれてくる我が子に与えようとしていた名を与え、そして聖職者である義祖母に預けて足繁く通った。
幸いというか、不幸中の――ではあるのだが、子を亡くした彼女は乳が出たため育むのには困らなかった。
なにしろ、最初に赤子へ与えるべき初乳も飲ませれられたのだから。
だが「忌児」の偏見は消えることはなく、しかもそれは「全ての人々を平等に」と謳っている筈の神殿内でも同じであった。
よって彼女は、酒の飲み過ぎで身体を壊し、呆気なく他界した義祖父の喪が明けた数日後に、義祖母と共にリオノーラを連れてストラスアイラ王国の商業都市グレンカダムから、ダルモア王国の交易都市バルブレアへと居を移したのである。
現在リオノーラがそれほど歪まずに育ったのは、育ての親ともいうべき彼女――エセル・アップルジャックのお陰であろう。
まぁ、別の方面では所謂「普通」の範疇から著しく逸脱しちゃってて、ちょっとだけ他よりも色々と知識やら技術やらが人外に片足くらいは突っ込んでいたが。
当初「オーバン」はリオノーラ一人で切り盛りしており、調理場とカウンター席五席のみの、お世辞にもレストランと呼べるものではなかった。
そして訪れる客も、リンゴ酒を取り扱っている某商会のやたらと姦しい三人娘やら、一二歳の子供やら、某龍人族姉弟と目付きの悪いヒト種の男やら、男装の草原妖精やら、色白で黄金色の髪のカマ語で話す美青年やら、その一二歳の子供を追い掛けるように入店してすーぐ「愛を愛を愛を」と言い始めて煙たがられる森妖精やら、見た目「ヤ」がつくヤヴァイ自由業の方にしか見えない国法士の子連れ夫婦とかだけであった。
……結構客は入っていた。
その形態の、言ってしまえば食事処でしかないレストランが商業街に存在することすら例外であり、それを認めない輩が連日にように嫌がらせをし始め、それにより泣くことになってしまったのである。
――嫌がらせをした側が。
力にものをいわせて嫌がらせをすれば、その辺の武術道場の師範超えの実力で叩き出され、建物を壊そうとして大槌で壁を殴れば〝結界魔術〟の〝自動防衛衝撃反転〟の効果で大槌が砕け、落書きをしようとすれば〝自動洗浄汚染反転〟の効果で書いた傍から書き手に跳ね返り、嫌がらせの現場に居合わせた前述のお客さん達に物理的精神的社会的に痛い目に遭わされ、そして物流を止めてそもそもの営業が出来ないように裏工作しようとしても、何処で開拓したのか独自ルートからの仕入れであるため止められない。
ちなみにその「独自ルート」すら止めようと企てた者もいたのだが、実はそのルートはダルモア王国の交易都市バルブレアにある、とある農場からのものであり、そして工作に動いていた者どもが帰還したときは、酷い状態であったのである。
譫言のように「黒髪怖い」と震え上がっていたり、「紫の目が光ってる」と怯えていたり、「蔓で絶妙に縛られわたしは夢心地で御座います」とちょっと危険な感性に目覚めてしまったりと、一部違うがとにかく色々と大惨事であった。
そしてその裏工作を企てた商会は、プライドを傷付けられて逆上して見境が無くなり、気づいたときには商会自体の運営が立ち行かなくなっているのにすら気付けなく、それで消滅した商会は結構あったりする。
そんな中、商業ギルドのマスターである鬼人族の、２メートル超えゴリゴリマッチョで暴走機関車を正面からぶった斬った実績持ちなシオドリック・グレンヴェルが、嫌がらせを受けても屈せず、実質的物理的に潰そうとしてもそれすら跳ね除ける、僅か一五歳のオーナーシェフが経営する「オーバン」に興味を持ったことで事態が一変した。
彼が――シオドリックが「オーバン」を訪れたときに最初に起こった出来事は、自身の身体があまりにデカ過ぎて店内にサイズが合わず、腰に差している短剣にしか見えない長剣で内装の壁紙をガリゴリ傷付けてしまい、
「なにすんのよアンタ！」
とプワルで頭を引っ叩かれたことであった。
もっとも人並外れて頑丈……というか馬車に轢かれて馬車が壊れるほどに頑丈というか化物であるシオドリックに非力（？）な彼女の一撃など効く筈もなく、だがデカい身体を精一杯縮めて平謝りする姿を見て、やっと彼は普通の客だと気付いたリオノーラは、ひしゃげたプワルに魔法陣を描いて修復しながら、今度は突然殴ってしまって申し訳ないと平謝りした。
そんなことがあり、色々と「オーバン」が気に入ってしまったシオドリックは足繁く通い始めたのである。
それが気に入らない、未だに嫌がらせを企てようとしている莫迦どもが流した噂――シオドリックと「オーバン」の女主人は不倫している――とかくっだらない噂を確かめるため、同じく鬼人族の色白美人な彼の奥さんが訪れるという事態が発生し――結果、和気藹々と夫婦で楽しく食事をして帰って行ったという。
どうやらこのとき、シオドリックの奥さんのセラフィーナは、夫の不名誉な噂を消すために動いていたようだ。
まさしく一夫一妻に誇りを持つとされている鬼人族の夫婦に相応しい、仲睦まじい二人である。
もっとも実際鬼人族は一夫一妻には拘っておらず、絶対そうしなければならないという決まりはないそうだ。
後日グランヴェル夫妻と「オーバン」で鉢合わせたバルブレア出身の鬼人族の誰かさんが、それを聞いてショックを受けて、ちょっと暫く落ち込んでいたそうなのであるが、それはこの際どうでも良いだろう。
関係ないがこのとき、夫人がちょっと酔っ払ってリオノーラですらクラクラするくらいに色っぽくなり、挙句なかなか子宝に恵まれないと愚痴を零し始めるという珍事が起きた。
困ったように若干狼狽えるシオドリックをリオノーラはエキュムワールで指して「頑張りが足りない」と指摘した。
そしてバルブレア在住時に黒髪の誰かさんから、要らないっていうのに将来絶対必要だからと教え込まれた「基礎体温法」とか、終わった後はちょっと安静にして激しい運動は避けることとかを享受したそうな。
奥さんは「早速試すといたしんしょう」と言いつつ、シオドリックの襟首を片手で持って引き摺りながら帰って行ったという。
その数ヶ月後にめでたく奥さんは懐妊し、感激したシオドリックはリオノーラの手を握り締めてブンブン振り回し、それでは足りずに彼女を肩に乗せてその辺を走り回った。
そんな恥ずかしいことをされたリオノーラは、とりあえず肩から脱出してから暴走するシオドリックに寸勁を叩き込んで黙らせ、奥さんに電話してドナドナして貰ったそうである。
その一部始終を見ていた人々は、リオノーラは商業ギルドのマスターですら敵わない強者であると噂し始め、だがすぐに「オーバン」で食事をした夫婦は子宝に恵まれるという噂で上書きされた。
その噂を流したのは、従業員であるやたらと姦しい三人娘が心配し過ぎて仕事に差し障っているのを懸念した、リンゴ酒を取り扱っている某商会の無能会長の優秀な娘であり、それが広まったことで掌を返したように「オーバン」は繁盛し始めたのである。
「人の掌っていうのはね、良くも悪くも簡単に引っ繰り返るのよ」
そのリンゴ酒を取り扱っている商会――アップルジャック商会の会長の娘、リオノーラの妹であるシェリー・アップルジャックは、一二歳とは思えないドヤ顔でそう言った。
それに――オーナーシェフがまだ成人したばかりの一五歳であり、更に女とあれば誰も利用したいとは思わないのは、思量が閉鎖的であるグレンカダムでは当然である。
飲食店の経営とそのシェフは男であるという「常識」が、この都市では根強く残っているから。
だがその程度で挫けるリオノーラではない。それにどの程度の偏見と逆境など、物心つく以前から経験している。
リオノーラは孤児である。その特異な容姿――白髪赤目の色素欠乏症のせいで「忌児」と気味悪がれ、両親にすら捨てられたのだ。
しかしそれでも、彼女はまだ幸運であったのだろう。
何故なら、捨てられ野垂れるしかなかった筈の赤子であるリオノーラは、生む前に子を亡くし悲しみに暮れ怒りに震える一人の女と出会ったのだから。
――貴女も、家族を失くしたのね。
涼やかな鈴の音のような声で彼女は呟き、産着に包まれ地面の上で火が点いたように泣き続ける彼女を抱き上げた。
自分を抱き上げる、血と汗と埃で薄汚れた白金色の髪と、深い悲しみを宿した翠瞳を、リオノーラは今でも覚えている。
そう、リオノーラは生まれ落ちた瞬間から全ての記憶を失わずに保持していた。
自分を抱き上げるその女がどのような容姿なのかは、まだ全てにおいて未熟な新生児であったため判らなかった。
だが、汚れてなお美しく輝く髪と、光の加減で色が変わる瞳だけは、強烈に覚えている。
彼女は赤子に「リオノーラ」という、本来であったのならば生まれてくる我が子に与えようとしていた名を与え、そして聖職者である義祖母に預けて足繁く通った。
幸いというか、不幸中の――ではあるのだが、子を亡くした彼女は乳が出たため育むのには困らなかった。
なにしろ、最初に赤子へ与えるべき初乳も飲ませれられたのだから。
だが「忌児」の偏見は消えることはなく、しかもそれは「全ての人々を平等に」と謳っている筈の神殿内でも同じであった。
よって彼女は、酒の飲み過ぎで身体を壊し、呆気なく他界した義祖父の喪が明けた数日後に、義祖母と共にリオノーラを連れてストラスアイラ王国の商業都市グレンカダムから、ダルモア王国の交易都市バルブレアへと居を移したのである。
現在リオノーラがそれほど歪まずに育ったのは、育ての親ともいうべき彼女――エセル・アップルジャックのお陰であろう。
まぁ、別の方面では所謂「普通」の範疇から著しく逸脱しちゃってて、ちょっとだけ他よりも色々と知識やら技術やらが人外に片足くらいは突っ込んでいたが。
当初「オーバン」はリオノーラ一人で切り盛りしており、調理場とカウンター席五席のみの、お世辞にもレストランと呼べるものではなかった。
そして訪れる客も、リンゴ酒を取り扱っている某商会のやたらと姦しい三人娘やら、一二歳の子供やら、某龍人族姉弟と目付きの悪いヒト種の男やら、男装の草原妖精やら、色白で黄金色の髪のカマ語で話す美青年やら、その一二歳の子供を追い掛けるように入店してすーぐ「愛を愛を愛を」と言い始めて煙たがられる森妖精やら、見た目「ヤ」がつくヤヴァイ自由業の方にしか見えない国法士の子連れ夫婦とかだけであった。
……結構客は入っていた。
その形態の、言ってしまえば食事処でしかないレストランが商業街に存在することすら例外であり、それを認めない輩が連日にように嫌がらせをし始め、それにより泣くことになってしまったのである。
――嫌がらせをした側が。
力にものをいわせて嫌がらせをすれば、その辺の武術道場の師範超えの実力で叩き出され、建物を壊そうとして大槌で壁を殴れば〝結界魔術〟の〝自動防衛衝撃反転〟の効果で大槌が砕け、落書きをしようとすれば〝自動洗浄汚染反転〟の効果で書いた傍から書き手に跳ね返り、嫌がらせの現場に居合わせた前述のお客さん達に物理的精神的社会的に痛い目に遭わされ、そして物流を止めてそもそもの営業が出来ないように裏工作しようとしても、何処で開拓したのか独自ルートからの仕入れであるため止められない。
ちなみにその「独自ルート」すら止めようと企てた者もいたのだが、実はそのルートはダルモア王国の交易都市バルブレアにある、とある農場からのものであり、そして工作に動いていた者どもが帰還したときは、酷い状態であったのである。
譫言のように「黒髪怖い」と震え上がっていたり、「紫の目が光ってる」と怯えていたり、「蔓で絶妙に縛られわたしは夢心地で御座います」とちょっと危険な感性に目覚めてしまったりと、一部違うがとにかく色々と大惨事であった。
そしてその裏工作を企てた商会は、プライドを傷付けられて逆上して見境が無くなり、気づいたときには商会自体の運営が立ち行かなくなっているのにすら気付けなく、それで消滅した商会は結構あったりする。
そんな中、商業ギルドのマスターである鬼人族の、２メートル超えゴリゴリマッチョで暴走機関車を正面からぶった斬った実績持ちなシオドリック・グレンヴェルが、嫌がらせを受けても屈せず、実質的物理的に潰そうとしてもそれすら跳ね除ける、僅か一五歳のオーナーシェフが経営する「オーバン」に興味を持ったことで事態が一変した。
彼が――シオドリックが「オーバン」を訪れたときに最初に起こった出来事は、自身の身体があまりにデカ過ぎて店内にサイズが合わず、腰に差している短剣にしか見えない長剣で内装の壁紙をガリゴリ傷付けてしまい、
「なにすんのよアンタ！」
とプワルで頭を引っ叩かれたことであった。
もっとも人並外れて頑丈……というか馬車に轢かれて馬車が壊れるほどに頑丈というか化物であるシオドリックに非力（？）な彼女の一撃など効く筈もなく、だがデカい身体を精一杯縮めて平謝りする姿を見て、やっと彼は普通の客だと気付いたリオノーラは、ひしゃげたプワルに魔法陣を描いて修復しながら、今度は突然殴ってしまって申し訳ないと平謝りした。
そんなことがあり、色々と「オーバン」が気に入ってしまったシオドリックは足繁く通い始めたのである。
それが気に入らない、未だに嫌がらせを企てようとしている莫迦どもが流した噂――シオドリックと「オーバン」の女主人は不倫している――とかくっだらない噂を確かめるため、同じく鬼人族の色白美人な彼の奥さんが訪れるという事態が発生し――結果、和気藹々と夫婦で楽しく食事をして帰って行ったという。
どうやらこのとき、シオドリックの奥さんのセラフィーナは、夫の不名誉な噂を消すために動いていたようだ。
まさしく一夫一妻に誇りを持つとされている鬼人族の夫婦に相応しい、仲睦まじい二人である。
もっとも実際鬼人族は一夫一妻には拘っておらず、絶対そうしなければならないという決まりはないそうだ。
後日グランヴェル夫妻と「オーバン」で鉢合わせたバルブレア出身の鬼人族の誰かさんが、それを聞いてショックを受けて、ちょっと暫く落ち込んでいたそうなのであるが、それはこの際どうでも良いだろう。
関係ないがこのとき、夫人がちょっと酔っ払ってリオノーラですらクラクラするくらいに色っぽくなり、挙句なかなか子宝に恵まれないと愚痴を零し始めるという珍事が起きた。
困ったように若干狼狽えるシオドリックをリオノーラはエキュムワールで指して「頑張りが足りない」と指摘した。
そしてバルブレア在住時に黒髪の誰かさんから、要らないっていうのに将来絶対必要だからと教え込まれた「基礎体温法」とか、終わった後はちょっと安静にして激しい運動は避けることとかを享受したそうな。
奥さんは「早速試すといたしんしょう」と言いつつ、シオドリックの襟首を片手で持って引き摺りながら帰って行ったという。
その数ヶ月後にめでたく奥さんは懐妊し、感激したシオドリックはリオノーラの手を握り締めてブンブン振り回し、それでは足りずに彼女を肩に乗せてその辺を走り回った。
そんな恥ずかしいことをされたリオノーラは、とりあえず肩から脱出してから暴走するシオドリックに寸勁を叩き込んで黙らせ、奥さんに電話してドナドナして貰ったそうである。
その一部始終を見ていた人々は、リオノーラは商業ギルドのマスターですら敵わない強者であると噂し始め、だがすぐに「オーバン」で食事をした夫婦は子宝に恵まれるという噂で上書きされた。
その噂を流したのは、従業員であるやたらと姦しい三人娘が心配し過ぎて仕事に差し障っているのを懸念した、リンゴ酒を取り扱っている某商会の無能会長の優秀な娘であり、それが広まったことで掌を返したように「オーバン」は繁盛し始めたのである。
「人の掌っていうのはね、良くも悪くも簡単に引っ繰り返るのよ」
そのリンゴ酒を取り扱っている商会――アップルジャック商会の会長の娘、リオノーラの妹であるシェリー・アップルジャックは、一二歳とは思えないドヤ顔でそう言った。
