リオノーラの考えとか現状とかは全無視でレストランの方向性を楽しく仮想的に協議して、だがそれじゃあダメだろうと互いに気付いたシェリーとセシルは、咳払いを一つして本題に戻った。
ちなみに、セシルの咳払いも妙に色気があり、この場に変態が居なくて本当に良かったと全員が安堵した。
その変態さんは、現在ザカライア爺のところでベロンベロンに酔っ払ってクダを巻いていたのだが、それはどうでも良いことである。
「なあリオノーラ、給与なんだけど、なんで支配人が給仕長の五倍貰ってんだ?」
「え? それって普通なんじゃないの? ほら、支配人ってフロアの総責任者だから、責任の分を……」
「そんなワケないでしょ。そもそも貴女、オーナーシェフとしての自分の給与と支配人の給与を比べたことある? この支配人、貴女よりずっと貰ってるわよ」
「ええ? ウソぉ……」
帳簿の金の動きを追いながら、シェリーとセシルが事情聴取する。JJは二人が求めるであろう資料を、淀みなく次々とテーブルに並べていた。
「それ以前に、誰が給与を管理してんだ?」
「……支配人」
「ねぇリー。ちょっとこの支配人引っ張って来て……って肝心なときにいないし」
舌打ちを一つ。だがすぐに気を取り直して僅かに思考を巡らせ、何処かへ電話し始めた。
「確かにこの支配人が高跳びする前にとっ捕まえた方が良いな。済みません、この支配人の住所とグレンカダムの詳細な地図ってありませんか?」
自分のレストランの支配人を「クズ」呼ばわりして、挙句取っ捕まえようとするシェリーとセシル。その上なにをしようとするのだろうと、リオノーラは戦々恐々とする。
だがそんなそんな彼女の焦燥など須く気付かないフリをするセシルは、隣にいるJJにそう訊いた。
すると彼はチラリとザックへ目を向け、そしてそれを受けたザックは、棚から裏路地から下水道に至るまで詳細に記されたグレンカダムの全体地図を取り出して広げる。
「これは今日更新されたグレンカダムの地図だ。そのクソ野郎の住所は此処だ」
言われて、地図を覗き込む。其処は、高級住宅街であった。
「ラーラ」
「はい、ラーラです。なにすれば良いのセシルくん」
「この地図、覚えられるか?」
そう言い、その細いウェストを両手で掴んでヒョイと持ち上げる。
その行為に深い意味はない。そうすることで、地図を俯瞰で見られるのだ。重ねるが、深い意味など一切ない。
電話交換手と話しているシェリーと地図を広げたザックが舌打ちをして、エイリーンが口元に手を当てて近所のおばちゃんのように今にも「あらあらまぁまぁ」とでも言い出しそうな表情をし、コーデリアさんが両手で口を押さえて「ふわぁ」とか言っていたり、更にクローディアとデシレアが謎のサムズアップをしていた。
その傍で帳簿と戦闘中なJJは、眉一つ動かさなかったが。
後に彼は語った。
知識のある者がテキトーに付けている帳簿ほどタチの悪いものはない――と。
それはともかく、そうされているラーラはちょっとだらしなく、それでいて結構幸せそーに「にへら」と笑い、だがすぐに真顔に戻るとその地図を読み始めた。
そして数秒後――
「覚えたよ」
「いや早いな」
感心し、そのまま降ろそうとするのだが、ラーラは身体を捻ってセシルの首に抱き付いて身体を半回転させ、密着してぶら下がった。
現在ラーラは、胸部装甲を振動と摩擦から守る、ちょっとキツめの防具を外している。
つまり、その凶悪で非常に危険な胸部装甲が、そうされることで直に感じ取れてしまうのだ。
男にとってこれほど危険なものが、この世に存在するであろうか!? いや、ない!
などとまー下らないことを脳内実況しつつ、だが表面上は平静を装ってラーラの頭を撫でながら褒める。しかし反対の手をその背に回し、落ちないようにしっかりと押さえていたが。
「相変わらず無意識に無自覚にたらし込んでるわね。それされちゃったら、そういう気がなくても相手はそう思っちゃうのに」
「良いんじゃないですか。私はラーラが嫁仲間になっても構いませんよ。むしろなって欲しいです。勿論第一夫人はディアですけど」
「え? なに言ってるのデシー。だから私はセシルとそういう関係になる気はないわ」
「……そうですか(手強いですね)」
クローディアとデシレアのそんな会話が聞こえて来るが、やはりそれを聞かなかったことにするセシル。ここで突っ込んだら泥沼に嵌ると考えているから。
だが既に手遅れであるのに、セシルは気付いていない。
「ところでこの地図は何処まで正確なんですか?」
ラーラに引っ付かれたまま、しかもそれをさも当然であるかのように抱きかかえながら訊くセシル。
その左手にラーラは自然に腰掛けるような格好になっており、首に抱き付かれているため胸部装甲が相変わらず押し付けられている。
「……ハーレム野郎が! 爆ぜろ!」
「ザック?」
セシルの問いに答える前に、そんな本音駄々漏れ全開な言葉を吐き捨てるザック。
だが隣にいるエイリーンに宥められ、ちょっと決まりが悪そうな表情をしてから何事もなかったかのように、
「先程言った通り、この地図は今日更新されたものだ。リーとその手の者が連日調査して更新している」
そんなとんでもないことを、それが当たり前であるかのように事も無げにザックは答える。
それを聞いて、セシルは驚愕した。
只者ではないとは思っていたが、リーはやはりただの変態ではなかったのである。
彼女を配下に置いていたら色々と戦略の幅が広がりそうだと考え、だが即座にそれを振り払う。
あまりにリスクが高過ぎて危険なのだ。主に貞操面で。
傍目にラーラを熱烈に抱き締めているセシルは、改めてそう考えながら再び地図に目を落とした。
「アレで無自覚だっていうなら、とんだ天然女たらしね」
『ん? なんのことだ嬢ちゃん。俺は常にシェリーの嬢ちゃんに変わらない無限の愛を捧げているぞ』
「こっちの話しよ。それにそんな愛なんか要らないわよ」
シェリーが電話口でピシャリとそう言う。どうやらそのお相手は、何処かで聞いたことのある「愛を愛を愛を」と喚く森妖精であろう。
そんな根回しをしているシェリーを他所に、セシルは抱き付いているラーラと地図を見ながら戦略を立てる。
そしてその背をポンポンして離れるように促す。だがラーラは、息が掛かるほどの至近距離でセシルを不満げに見詰めるだけで離れようとしない。
「はいはい、ラーラちゃんだっけ? きっと今からセシルくんは戦略と戦術を考えるだろうから一回離れましょう」
まるで子供をあやす母親のように、エイリーンがラーラをヒョイと持ち上げて引き剥がす。
そうされて不満も露わにするのだが、今度はそのエイリーンに抱き付くラーラ。その行為に、深い意味はない。
「うわ、おっぱい凄い!」
そして、エイリーンのちょっと心許無い胸部装甲にラーラの凶悪な胸部装甲がやっぱり押しつけられ、思わずそう漏らす。
しかしそれに反応する男衆は、この場にはいない。
何故なら、アイザックは薄い胸部装甲を好み、JJは自分の恋人以外の異性に興味がないし、セシルはウェストからのラインが好きだというドスケベだから!
ともかく、地図を見詰めていたセシルが小さく「シンプルに行くか」と独白した。
「ラーラ、悪いがちょいと付き合ってくれ。これからリオノーラを誑かしているクズ野郎のところに行って、給与明細とか出納帳とかを没収して来る」
「はい、ラーラです。良いよ付き合うよ。でもちょっとだけ待ってね。ラーラもうリラックスモードでブラ外しちゃったから、それ込みで準備して来るよ。あと、レオの片付け状況も見なくちゃ」
そう言い、軽い足取りで「でぇとでぇと♡」とか言いながら階段を登って行く。
それを見守り、だが、
「レオンティーヌの片付け状況?」
とても危険なワードを危うく聞き流しそうになっているのに気付き、デシレアに目配せした。
それを瞬時に察した彼女は、慌てて階上へと小走りで向かう。
そんな不思議な遣り取りを、クローディアとJJ以外の全員が訝しげに見ていた。
かくしてセシルの懸念は大当たりし、よくぞこの短時間で此処までとっ散らかしたものだと逆に誉めたくなるくらい、室内は惨憺たる有様になっていたという。
そして鬼神と化すラーラ。
だが今は、説教している暇はない。
半泣きで怯えるレオンティーヌを尻目に、摩擦と振動から胸部装甲を保護する防具を装着し、よーく装甲を格納してから部屋を後にする。当然、再度の片付け厳命は忘れない。
そのラーラとすれ違いに部屋に入り、その惨状を目の当たりにした瞬間に貧乏籤を引いたと直感し、頭の頭痛が痛くなるのをデシレアは痛感したそうである。
借りた部屋でこの有様であるのなら、レオンティーヌの自室は一体どうなっているのであろうかと思考を巡らせ、そして――デシレアはセシルとラーラに惜しみない賛辞を贈ろうと心に誓い、だがそれをしたら逆に嫌な顔をされるだろうとも考えた。
見なかったことにしよう。
心の中にある投擲用の匙を遥か彼方へとイメージとして遠投し、此処ではない何処か遠くを目を細めて眺めるデシレア。
今まで数百年生きて来たのだが、これほど別世界へと想いを馳せるのが素晴らしいと感じたことは無い。
それほど、レオンティーヌの散らかし方は凄かった――いや凄まじいと表現するべきであろう。
アレはもはや、才能という言葉で表現するのすら烏滸がましい。
そう――一種の化物だ。
「頑張ってね。セシル、ラーラ」
呟き、デシレアは二人を心の底から応援した。応援するべきところが若干どころか相当違うのだが、それはこの際どうでも良い。
とにかく、デシレアは今、そんな気分であった。
そして更に、レオンティーヌが嫁仲間に入るのは、全力で阻止しようと誓った。これから生まれるであろう子供の教育に、これ以上なく悪そうだし。
そんなデシレアの、後光が差し込むような聖女然とした誓いと祈りはどーでも良いとして、セシルはラーラが階下に降りて来るのを迎え入れると、
「ではシェリーさん、アイザックさん。ちょっと支配人ん家を家探しして給与明細とか出納帳とか諸々かっぱら――拝借して来ます」
「え? あ、うん。まぁその、お手柔にね」
言外に穏便にと訴えるシェリー。それに物凄く良い顔でサムズアップする二人。
ぶっちゃけ、悪い予感しかしない。
「あ、そうだ。ちょっと待ってて」
そう言い、シェリーはパタパタと二階へ登って行く。
途中、なんか滂沱の涙を流してデシレアの足にしがみ付き、鬱陶しがられながら、
「怖かったです食べられるかと思いました! 慰めて下さいデシーさん!」
とか言っている海妖精がいたが、これはきっとスルー推奨だと判断して視線すら合わせずそのままエセルの部屋に入った。
そして箪笥を開けて色とりどりのなにかの中から、衝撃的ピンク色のツヤツヤでサワッとした布切れを取り出し、階下に戻る。
「じゃあそれ拝借して来たら、此処にある『グッドオール国法事務所』ってところに届けてくれないかな。其処に変態紳士――じゃなくてヒュー・グッドオールって森妖精がいるから、後のことは任せて大丈夫」
傍にその布切れを置いて髪を掻き上げながら地図の一部を指し示してそう言い、リボンで綺麗にフラワー・ボウを作り始めた。
「それは?」
「これ? 手土産。そのヒューって人に渡せば『愛を愛を愛を』って煩く言い始めるけど、仕事だけは早くて完璧だから」
「………………見ても?」
「どうぞ」
なにかとてつもなく嫌ーな予感がするセシル。だがそれを、なんでもないことのようにシェリーがラッピングしているのを見て、いやそんな筈はないだろうと思い直し、その布切れを広げた。
「わー。綺麗な衝撃的ピンク色のパンツだね」
ラーラが物凄く、明るく無邪気にそう口にする。
そう、それは――衝撃的ピンク色のツヤツヤでサワッとした、シルクのパンツだった。
「チョットイイデスカ?」
「え? あ、うん。片言にならなくても大丈夫だし、現実だから安心して。それ、ヒューさんへの報酬。ちなみにお母さんのだから問題ないよ」
なにがどうなって問題がないのかが全然判らない。
セシルはどうしてくれようかと、パンツを広げたままフリーズした。
逝去した母親のパンツを報酬に渡す娘も大概だが、それを受け取るそのヒューとかいうヤツも大概である。
久し振りに頭の頭痛が痛くなって来るセシルだった。ちなみに前回は、レオンティーヌの汚部屋を目の当たりにしたときに発症した。
「ねぇ、いつまでお母さんのパンツ凝視してるの? もしかして、貴方も欲しい?」
「いやパンツに興味ないから。……待て待て『も』ってなんだよ『も』って」
「え? うーん、お母さんを知る人達って、なーんかみんなしてパンツ欲しがるんだよねー。しかも絶対に使用済みを。理解出来ない私が狭量なのかな?」
「いや、それは正常だよ。全然狭量じゃない。そんなことより――」
衝撃的ピンク色のツヤツヤでサワッとしたシルクのパンツを綺麗に畳み、テーブルに置く。
そんなセシルをなんなんだろうと思いつつ、シェリーはそれを綺麗にラッピングしてフラワー・ボウを取り付け完成させた。
それを尻目に、セシルは自分を落ち着かせるために数回深呼吸をする。
そして――
「アップルジャック商会の関係者には変態しかいないのか!?」
至極真っ当なツッコミを全身全霊でするセシル。
だが言ったところで、
「失礼ね。変態だけじゃなくて豚野郎だって居るわよ」
会長様から天井知らずなとんでもない事実を暴露させるだけだった。
「シェリーさん。この商会は本当ーに大丈夫なんですか?」
「いきなり丁寧語でどうしたの? 大丈夫よ。みんな頭がおかしいけど、仕事はしっかり出来るから」
「頭がおかしい時点で大問題だと思うんだが?」
「煩いわねぇ。そんなに言うなら貴方も此処で働いたら良いじゃない。業務内容は能力で決めるから安心して」
そんな話の流れでちゃっかり人材確保するシェリー。やはりあのエセルの娘は只者ではない。
その後セシルはラーラと共に出掛けて行き、僅か二時間後に戻って来た。
そんな短時間で戻るということは、なんだかんだ言って成果はなかったのかと皆が嘆息するが、
「シェリーさん、あの森妖精なんなんだ? 近年稀に見るほど頭がおかしいんだけど」
なんと仕事はきっちり終わらせていた。
更に――
「見て見て。この服、セシルくんがラーラのために選んでくれたんだよ♡」
手ブラでグレンカダムに、言うなれば成り行きで付いて来てしまったラーラのために、生活用品やら服やらをまとめて購入して来ていた。
仕事後に、本気でデートをして来たらしい。
「ねぇリオノーラ。あの人って一体何者なの?」
頭を抱えながら帳簿整理をしているJJを尻目に、飽きたのかコーデリアが淹れてくれたセシルお勧めのフレーバード・ティーを楽しみながら、ついでにクローディアが持って来たパウンドケーキとデシレアが持って来たマドレーヌ、更にこれも合うだろうとシェリーが提供したクッキーをモリモリ食べているリオノーラに、そのシェリーが素朴な疑問をぶつけた。
訊かれたリオノーラは、口いっぱいに頬張ったパウンドケーキをフレーバード・ティーで流し込むようにして飲み込み、ちょっと咽せてから答えた。
「セシルんはね、エセルさんのお気に入りだったの。多分、シェリーの次くらいに自分の子供みたいに思っていたんだと思う」
「……へぇ、あのお母さんが」
もしかして、男の子も欲しかったのかな? そんなことを考えながら、シェリーは自分達もデートに連れて行けとラーラ以外の三人に迫られているセシルを、溜息と共に頬杖を突きながらそれとなく眺めた。
だが――
「それにしてもなーんかイラつくわね。あのハーレム野郎!」
ロクデナシとは似て非なる種類の女っ誑し振りを目の当たりにして、やはり気持ちが逆立つシェリーであった。
ちなみに、セシルの咳払いも妙に色気があり、この場に変態が居なくて本当に良かったと全員が安堵した。
その変態さんは、現在ザカライア爺のところでベロンベロンに酔っ払ってクダを巻いていたのだが、それはどうでも良いことである。
「なあリオノーラ、給与なんだけど、なんで支配人が給仕長の五倍貰ってんだ?」
「え? それって普通なんじゃないの? ほら、支配人ってフロアの総責任者だから、責任の分を……」
「そんなワケないでしょ。そもそも貴女、オーナーシェフとしての自分の給与と支配人の給与を比べたことある? この支配人、貴女よりずっと貰ってるわよ」
「ええ? ウソぉ……」
帳簿の金の動きを追いながら、シェリーとセシルが事情聴取する。JJは二人が求めるであろう資料を、淀みなく次々とテーブルに並べていた。
「それ以前に、誰が給与を管理してんだ?」
「……支配人」
「ねぇリー。ちょっとこの支配人引っ張って来て……って肝心なときにいないし」
舌打ちを一つ。だがすぐに気を取り直して僅かに思考を巡らせ、何処かへ電話し始めた。
「確かにこの支配人が高跳びする前にとっ捕まえた方が良いな。済みません、この支配人の住所とグレンカダムの詳細な地図ってありませんか?」
自分のレストランの支配人を「クズ」呼ばわりして、挙句取っ捕まえようとするシェリーとセシル。その上なにをしようとするのだろうと、リオノーラは戦々恐々とする。
だがそんなそんな彼女の焦燥など須く気付かないフリをするセシルは、隣にいるJJにそう訊いた。
すると彼はチラリとザックへ目を向け、そしてそれを受けたザックは、棚から裏路地から下水道に至るまで詳細に記されたグレンカダムの全体地図を取り出して広げる。
「これは今日更新されたグレンカダムの地図だ。そのクソ野郎の住所は此処だ」
言われて、地図を覗き込む。其処は、高級住宅街であった。
「ラーラ」
「はい、ラーラです。なにすれば良いのセシルくん」
「この地図、覚えられるか?」
そう言い、その細いウェストを両手で掴んでヒョイと持ち上げる。
その行為に深い意味はない。そうすることで、地図を俯瞰で見られるのだ。重ねるが、深い意味など一切ない。
電話交換手と話しているシェリーと地図を広げたザックが舌打ちをして、エイリーンが口元に手を当てて近所のおばちゃんのように今にも「あらあらまぁまぁ」とでも言い出しそうな表情をし、コーデリアさんが両手で口を押さえて「ふわぁ」とか言っていたり、更にクローディアとデシレアが謎のサムズアップをしていた。
その傍で帳簿と戦闘中なJJは、眉一つ動かさなかったが。
後に彼は語った。
知識のある者がテキトーに付けている帳簿ほどタチの悪いものはない――と。
それはともかく、そうされているラーラはちょっとだらしなく、それでいて結構幸せそーに「にへら」と笑い、だがすぐに真顔に戻るとその地図を読み始めた。
そして数秒後――
「覚えたよ」
「いや早いな」
感心し、そのまま降ろそうとするのだが、ラーラは身体を捻ってセシルの首に抱き付いて身体を半回転させ、密着してぶら下がった。
現在ラーラは、胸部装甲を振動と摩擦から守る、ちょっとキツめの防具を外している。
つまり、その凶悪で非常に危険な胸部装甲が、そうされることで直に感じ取れてしまうのだ。
男にとってこれほど危険なものが、この世に存在するであろうか!? いや、ない!
などとまー下らないことを脳内実況しつつ、だが表面上は平静を装ってラーラの頭を撫でながら褒める。しかし反対の手をその背に回し、落ちないようにしっかりと押さえていたが。
「相変わらず無意識に無自覚にたらし込んでるわね。それされちゃったら、そういう気がなくても相手はそう思っちゃうのに」
「良いんじゃないですか。私はラーラが嫁仲間になっても構いませんよ。むしろなって欲しいです。勿論第一夫人はディアですけど」
「え? なに言ってるのデシー。だから私はセシルとそういう関係になる気はないわ」
「……そうですか(手強いですね)」
クローディアとデシレアのそんな会話が聞こえて来るが、やはりそれを聞かなかったことにするセシル。ここで突っ込んだら泥沼に嵌ると考えているから。
だが既に手遅れであるのに、セシルは気付いていない。
「ところでこの地図は何処まで正確なんですか?」
ラーラに引っ付かれたまま、しかもそれをさも当然であるかのように抱きかかえながら訊くセシル。
その左手にラーラは自然に腰掛けるような格好になっており、首に抱き付かれているため胸部装甲が相変わらず押し付けられている。
「……ハーレム野郎が! 爆ぜろ!」
「ザック?」
セシルの問いに答える前に、そんな本音駄々漏れ全開な言葉を吐き捨てるザック。
だが隣にいるエイリーンに宥められ、ちょっと決まりが悪そうな表情をしてから何事もなかったかのように、
「先程言った通り、この地図は今日更新されたものだ。リーとその手の者が連日調査して更新している」
そんなとんでもないことを、それが当たり前であるかのように事も無げにザックは答える。
それを聞いて、セシルは驚愕した。
只者ではないとは思っていたが、リーはやはりただの変態ではなかったのである。
彼女を配下に置いていたら色々と戦略の幅が広がりそうだと考え、だが即座にそれを振り払う。
あまりにリスクが高過ぎて危険なのだ。主に貞操面で。
傍目にラーラを熱烈に抱き締めているセシルは、改めてそう考えながら再び地図に目を落とした。
「アレで無自覚だっていうなら、とんだ天然女たらしね」
『ん? なんのことだ嬢ちゃん。俺は常にシェリーの嬢ちゃんに変わらない無限の愛を捧げているぞ』
「こっちの話しよ。それにそんな愛なんか要らないわよ」
シェリーが電話口でピシャリとそう言う。どうやらそのお相手は、何処かで聞いたことのある「愛を愛を愛を」と喚く森妖精であろう。
そんな根回しをしているシェリーを他所に、セシルは抱き付いているラーラと地図を見ながら戦略を立てる。
そしてその背をポンポンして離れるように促す。だがラーラは、息が掛かるほどの至近距離でセシルを不満げに見詰めるだけで離れようとしない。
「はいはい、ラーラちゃんだっけ? きっと今からセシルくんは戦略と戦術を考えるだろうから一回離れましょう」
まるで子供をあやす母親のように、エイリーンがラーラをヒョイと持ち上げて引き剥がす。
そうされて不満も露わにするのだが、今度はそのエイリーンに抱き付くラーラ。その行為に、深い意味はない。
「うわ、おっぱい凄い!」
そして、エイリーンのちょっと心許無い胸部装甲にラーラの凶悪な胸部装甲がやっぱり押しつけられ、思わずそう漏らす。
しかしそれに反応する男衆は、この場にはいない。
何故なら、アイザックは薄い胸部装甲を好み、JJは自分の恋人以外の異性に興味がないし、セシルはウェストからのラインが好きだというドスケベだから!
ともかく、地図を見詰めていたセシルが小さく「シンプルに行くか」と独白した。
「ラーラ、悪いがちょいと付き合ってくれ。これからリオノーラを誑かしているクズ野郎のところに行って、給与明細とか出納帳とかを没収して来る」
「はい、ラーラです。良いよ付き合うよ。でもちょっとだけ待ってね。ラーラもうリラックスモードでブラ外しちゃったから、それ込みで準備して来るよ。あと、レオの片付け状況も見なくちゃ」
そう言い、軽い足取りで「でぇとでぇと♡」とか言いながら階段を登って行く。
それを見守り、だが、
「レオンティーヌの片付け状況?」
とても危険なワードを危うく聞き流しそうになっているのに気付き、デシレアに目配せした。
それを瞬時に察した彼女は、慌てて階上へと小走りで向かう。
そんな不思議な遣り取りを、クローディアとJJ以外の全員が訝しげに見ていた。
かくしてセシルの懸念は大当たりし、よくぞこの短時間で此処までとっ散らかしたものだと逆に誉めたくなるくらい、室内は惨憺たる有様になっていたという。
そして鬼神と化すラーラ。
だが今は、説教している暇はない。
半泣きで怯えるレオンティーヌを尻目に、摩擦と振動から胸部装甲を保護する防具を装着し、よーく装甲を格納してから部屋を後にする。当然、再度の片付け厳命は忘れない。
そのラーラとすれ違いに部屋に入り、その惨状を目の当たりにした瞬間に貧乏籤を引いたと直感し、頭の頭痛が痛くなるのをデシレアは痛感したそうである。
借りた部屋でこの有様であるのなら、レオンティーヌの自室は一体どうなっているのであろうかと思考を巡らせ、そして――デシレアはセシルとラーラに惜しみない賛辞を贈ろうと心に誓い、だがそれをしたら逆に嫌な顔をされるだろうとも考えた。
見なかったことにしよう。
心の中にある投擲用の匙を遥か彼方へとイメージとして遠投し、此処ではない何処か遠くを目を細めて眺めるデシレア。
今まで数百年生きて来たのだが、これほど別世界へと想いを馳せるのが素晴らしいと感じたことは無い。
それほど、レオンティーヌの散らかし方は凄かった――いや凄まじいと表現するべきであろう。
アレはもはや、才能という言葉で表現するのすら烏滸がましい。
そう――一種の化物だ。
「頑張ってね。セシル、ラーラ」
呟き、デシレアは二人を心の底から応援した。応援するべきところが若干どころか相当違うのだが、それはこの際どうでも良い。
とにかく、デシレアは今、そんな気分であった。
そして更に、レオンティーヌが嫁仲間に入るのは、全力で阻止しようと誓った。これから生まれるであろう子供の教育に、これ以上なく悪そうだし。
そんなデシレアの、後光が差し込むような聖女然とした誓いと祈りはどーでも良いとして、セシルはラーラが階下に降りて来るのを迎え入れると、
「ではシェリーさん、アイザックさん。ちょっと支配人ん家を家探しして給与明細とか出納帳とか諸々かっぱら――拝借して来ます」
「え? あ、うん。まぁその、お手柔にね」
言外に穏便にと訴えるシェリー。それに物凄く良い顔でサムズアップする二人。
ぶっちゃけ、悪い予感しかしない。
「あ、そうだ。ちょっと待ってて」
そう言い、シェリーはパタパタと二階へ登って行く。
途中、なんか滂沱の涙を流してデシレアの足にしがみ付き、鬱陶しがられながら、
「怖かったです食べられるかと思いました! 慰めて下さいデシーさん!」
とか言っている海妖精がいたが、これはきっとスルー推奨だと判断して視線すら合わせずそのままエセルの部屋に入った。
そして箪笥を開けて色とりどりのなにかの中から、衝撃的ピンク色のツヤツヤでサワッとした布切れを取り出し、階下に戻る。
「じゃあそれ拝借して来たら、此処にある『グッドオール国法事務所』ってところに届けてくれないかな。其処に変態紳士――じゃなくてヒュー・グッドオールって森妖精がいるから、後のことは任せて大丈夫」
傍にその布切れを置いて髪を掻き上げながら地図の一部を指し示してそう言い、リボンで綺麗にフラワー・ボウを作り始めた。
「それは?」
「これ? 手土産。そのヒューって人に渡せば『愛を愛を愛を』って煩く言い始めるけど、仕事だけは早くて完璧だから」
「………………見ても?」
「どうぞ」
なにかとてつもなく嫌ーな予感がするセシル。だがそれを、なんでもないことのようにシェリーがラッピングしているのを見て、いやそんな筈はないだろうと思い直し、その布切れを広げた。
「わー。綺麗な衝撃的ピンク色のパンツだね」
ラーラが物凄く、明るく無邪気にそう口にする。
そう、それは――衝撃的ピンク色のツヤツヤでサワッとした、シルクのパンツだった。
「チョットイイデスカ?」
「え? あ、うん。片言にならなくても大丈夫だし、現実だから安心して。それ、ヒューさんへの報酬。ちなみにお母さんのだから問題ないよ」
なにがどうなって問題がないのかが全然判らない。
セシルはどうしてくれようかと、パンツを広げたままフリーズした。
逝去した母親のパンツを報酬に渡す娘も大概だが、それを受け取るそのヒューとかいうヤツも大概である。
久し振りに頭の頭痛が痛くなって来るセシルだった。ちなみに前回は、レオンティーヌの汚部屋を目の当たりにしたときに発症した。
「ねぇ、いつまでお母さんのパンツ凝視してるの? もしかして、貴方も欲しい?」
「いやパンツに興味ないから。……待て待て『も』ってなんだよ『も』って」
「え? うーん、お母さんを知る人達って、なーんかみんなしてパンツ欲しがるんだよねー。しかも絶対に使用済みを。理解出来ない私が狭量なのかな?」
「いや、それは正常だよ。全然狭量じゃない。そんなことより――」
衝撃的ピンク色のツヤツヤでサワッとしたシルクのパンツを綺麗に畳み、テーブルに置く。
そんなセシルをなんなんだろうと思いつつ、シェリーはそれを綺麗にラッピングしてフラワー・ボウを取り付け完成させた。
それを尻目に、セシルは自分を落ち着かせるために数回深呼吸をする。
そして――
「アップルジャック商会の関係者には変態しかいないのか!?」
至極真っ当なツッコミを全身全霊でするセシル。
だが言ったところで、
「失礼ね。変態だけじゃなくて豚野郎だって居るわよ」
会長様から天井知らずなとんでもない事実を暴露させるだけだった。
「シェリーさん。この商会は本当ーに大丈夫なんですか?」
「いきなり丁寧語でどうしたの? 大丈夫よ。みんな頭がおかしいけど、仕事はしっかり出来るから」
「頭がおかしい時点で大問題だと思うんだが?」
「煩いわねぇ。そんなに言うなら貴方も此処で働いたら良いじゃない。業務内容は能力で決めるから安心して」
そんな話の流れでちゃっかり人材確保するシェリー。やはりあのエセルの娘は只者ではない。
その後セシルはラーラと共に出掛けて行き、僅か二時間後に戻って来た。
そんな短時間で戻るということは、なんだかんだ言って成果はなかったのかと皆が嘆息するが、
「シェリーさん、あの森妖精なんなんだ? 近年稀に見るほど頭がおかしいんだけど」
なんと仕事はきっちり終わらせていた。
更に――
「見て見て。この服、セシルくんがラーラのために選んでくれたんだよ♡」
手ブラでグレンカダムに、言うなれば成り行きで付いて来てしまったラーラのために、生活用品やら服やらをまとめて購入して来ていた。
仕事後に、本気でデートをして来たらしい。
「ねぇリオノーラ。あの人って一体何者なの?」
頭を抱えながら帳簿整理をしているJJを尻目に、飽きたのかコーデリアが淹れてくれたセシルお勧めのフレーバード・ティーを楽しみながら、ついでにクローディアが持って来たパウンドケーキとデシレアが持って来たマドレーヌ、更にこれも合うだろうとシェリーが提供したクッキーをモリモリ食べているリオノーラに、そのシェリーが素朴な疑問をぶつけた。
訊かれたリオノーラは、口いっぱいに頬張ったパウンドケーキをフレーバード・ティーで流し込むようにして飲み込み、ちょっと咽せてから答えた。
「セシルんはね、エセルさんのお気に入りだったの。多分、シェリーの次くらいに自分の子供みたいに思っていたんだと思う」
「……へぇ、あのお母さんが」
もしかして、男の子も欲しかったのかな? そんなことを考えながら、シェリーは自分達もデートに連れて行けとラーラ以外の三人に迫られているセシルを、溜息と共に頬杖を突きながらそれとなく眺めた。
だが――
「それにしてもなーんかイラつくわね。あのハーレム野郎!」
ロクデナシとは似て非なる種類の女っ誑し振りを目の当たりにして、やはり気持ちが逆立つシェリーであった。