レミー達がグレンカダムへ立ってから二〇日後の夕暮れ時。

 そろそろ夕食の準備をしようとセシルとリオノーラがキッチンで献立について相談していると、やたらとやつれたレオンティーヌだけが帰って来た。

 あの無神経なレオンティーヌがこうなるくらい、グレンカダム行きは辛かったのかと思ったら、単に帰りは各駅停車の普通列車であったために三日間掛かり、しかもシートが硬くて狭いので全然休めなかったとのこと。
 ちなみに各駅停車は、停車時間が最大半日な駅もある。そして一度でも降りて駅から離れてしまえば、切符をもう一度買わなければならない。途中下車可能クーポン券なるものは存在しないのである。

 疲労困憊なのは店長のアフクセ……店長も同じだったようで、彼も駅に着くなり重い足取りで貸馬車を呼び、真っ直ぐ帰宅したそうだ。手土産は結構持っていたらしいが。

「セシル。私、疲れました。お尻がとっても痛いです。なのでご褒美が欲しいのです。一緒にお風呂に入って全身マッサージをして下さい、前も後ろも。ついでに娶って一生面倒を見て下さい」
「メイ。レオンティーヌがお風呂でのマッサージを御所望だ。思う存分骨抜きにしてやってくれ」
「あいあい♪ ボクがレオねーちゃんを骨抜きにしてあげるよん♪」
「え? ちょっと待って。私はセシルにお願いしたいのでメイさんと一緒には――」
「良いではないか良いではないか♪」
「あ、ダメ、ちょま……や、そんなとこ……らめなのぉ……」
「ここなの? ここが良いのん?」
「らめ……らめなのぉ……アッ――――――!」

 土妖精は土を愛し、土と共に生きて行く種族である。なので基本的に農耕に特化しており、そして岩妖精並みに力が強くて器用だ。
 ついでに岩妖精ほど酒に弱くはなく、だが何処ぞの森妖精並みに呑めるわけでもなく、まぁ所謂(いわゆる)世間一般的に言うところの「普通」である。
 そしてメイは人体の構造についてエセルから享受されており、そんな総合的な理由から全身のマッサージに関して右に出る者はいない。

 数十分後、全身のコリが解れたレオンティーヌはホクホクに温まった夢心地で、だが何故か肩を落として食卓に着いていた。

「セシル、お腹空きました。今日の夕飯はなんですか? 帰りの列車では『海鮮フェア』とか意味不明でなんの価値もない頭がおかしい催事(イベント)をしていまして、クロワッサンとかクッペとかブールとかエピとかとハムやチーズしか食べていなかったので楽しみです♪」

 既にカトラリーを両手に紫紺(ディープ・パープル)の瞳をキラキラさせながらセシルに訊くが、

「え? 今日は白身魚のパイ包み焼きだよ。入れるムースも海老と帆立だからね。なんでもタリスカーで魚介類が大漁だったみたいだし、〝冷却箱(フロワ・ボワット)〟を本格導入したから新鮮なまま仕入れられたみたい」

 訊かれた当人は、心中で結構種類喰ってんじゃないかとツッコミを入れたが一瞥した上でのスルーに留め、代わりにリオノーラがそう答える。

 レオンティーヌは絶望した!

 ――海洋交易都市タリスカー。

 海洋交易と漁業で発展した都市であり、そして近年導入された〝冷却列車(フロア・ル・トラン)〟により海産物の輸送が容易になり、その需要も更に増えたのである――

 ――のだが、そんな新装備や需要と供給とかはぶっちゃけ一般市民にはどーでもいい問題であり、そして料理人やそれを志す者達にとっては、

「使える食材が増えたぜヒャッフー!」

 程度にしか思われていない。そしてそれはリオノーラも同じであり、安く良質の海産物を入手出来てテンション爆上がりだった。
 そのため、ペーストにしてからムースにするなどという意外に手間が掛かって七面倒(しちめんどう)な工程も、そうとは感じないでやっちゃう有様である。
 ペーストなどの裏漉(うらご)しは手作業だか、ムースは細かく調整された風魔法で作った。

 ちなみに以前も述べたが、孤児院には百人からの子供たちがいる。それら全てに出来たてを提供するとリオノーラは張り切っており、彼女の指示の元に十人が調理と成形をして、岩妖精の子供たちが研究がてら作った十基の窯で焼成を始める。

 そうして出来上がった白身魚のパイ包み焼きは魚介特有の臭みも一切なく大層美味であり、それが大嫌いで海産物は死ねばいいとか意味不明なことを公言しているレオンティーヌも、

「悔しい! でも、(美味しさを)感じちゃう!」

 とか、妙に艶っぽく頬を染めて熱い吐息を吐きながら、行儀良くカトラリーを扱い言っていた。

 レオンティーヌはテーブルマナーが完璧で、そして食事の仕方もとても綺麗である。自室が汚部屋(おべや)なのに。

 そんなこんなで、その後の日々はセシルがレスリーに狩りに誘われてついでに口説かれたり、セシルがメイに畑を増やしたいから土地を買ってくれと無茶なお願いをされたり、セシルがシャーロットに果物の種類と規模を増やしたいから土地を買ってくれと無理難題を突き付けられたり、セシルが逃げるリオノーラを取っ捕まえて付きっきりで勉強させて資格を取得させたり、セシルがあまりに散らかっているレオンティーヌの部屋をキレながら掃除してそれをクネクネしつつ謝罪する彼女を蹴り飛ばして新たな扉を開けちゃったり、セシルが暫く放っておかれたクローディアに軟禁されたりしていた。

 それから更に半年が過ぎたのだが、レミーはそれ以降、孤児院に戻らなかった。

 孤児院の名義は一応未だアップルジャック商会バルブレア支店なのだが、いつまでもそれが続く確証はない。
 なにしろ遣り手と言われているエセルが行方不明であり、次いで堅実な経営に定評があったカルヴァドスが急逝したとなると、後を継ぐのは息子のイヴォンである。
 そのイヴォンの為人(ひととなり)や噂を、セシルはこの期間で重点的に集めていた。そしてそれを纏め上げ、出した結果が――

 ――イヴォンでは商会を正しく運営するのは()()()であるという結論であった。

 そう、「難しい」ではなく「不可能」だと、セシルは判断したのである。

 この孤児院では、既に農産物の出荷と狩猟で生計が立っており、贅沢をしなければ完全に独立出来るためにそれは問題ない。
 エセルが列車事故に巻き込まれたとの一報を受けた時から、セシルは計画的にそうなるように動いていた。
 たとえ、エセルがその程度で怪我をするとは思っていなくとも、万が一に備えるのは当然である。

 それに――半年も経っているのにエセルの安否が不明であるのを(かんが)みると、その万が一が起きてしまったと考えるのが妥当だろう。

 よってセシルは、アップルジャック商会バルブレア支店から独立すべく、その店長であるアフク……店長と交渉に入った。

 店長のアフ……店長にとってもその申し出に(いな)はなく、だが最後に出来るだけのことをすると確約してくれた。
 セシルはそれを甘受し、孤児院の周辺一帯の雑木林やら荒地といった都市管理地の約40ヘクタールを纏めて買い叩いて貰ったのである。
 ちなみにとんでもない荒地やら雑木林やら山林やらであるため二束三文であり、買うと申し出たときには都市の土地管理省から正気を疑われた。

 そしてまたしても始まる、セシルと子供たちによる土地魔改造。

整列(アリーニィ・モン)!」
はい(ウィ・ムッシュウ)!』

 ――以下略。

 そんな感じで、気付けば孤児院を中心に広大な農地が広がり、メイを始めとした土妖精集団と農耕の(よろこ)びに目覚めた子供たちが農作業に精を出し、シャーロットが主導する果物の品種()()()研究組とか、レスリーを始めとした狩猟大好き一狩り行こうぜ鬼人族御一行様が家畜になりそうな獣を捕獲して牧畜を始めたりした。

 ――そして一年後。

 孤児院であった其処は、今では他の追随を許さないほどの農園と畜産を営む農場として発展し、更にアップルジャック商会からいち早く独立した元店長のアフ……元店長が「ポトチュファロヴァ商会」を立ち上げ、その農場経営に協力することとなった。

 農場に併設された直売場では、農産物や畜産物、そしてそれらの加工品が販売され、別棟に設けられた食事処ではより良いものをお手頃価格で提供したり、持ち帰りなどのサービスをも行うという、所謂(いわゆる)六次産業化を展開して高い利益を叩き出したのである。

 勿論それを模倣しようと他の農園や畜産経営者が動き出したのだが、これほど大規模で効果的な経営展開は困難であった。主に土地問題で。

 そういう面では、整地や開墾が大変であるために誰も手を付けずに二束三文な価値しかなかった都市管理地を買い叩いて、誰にも真似出来ない方法で整地開墾したセシルと子供たちは、ある意味で先見の明があったのであろう。

 余談だが、絶対に模倣する奴が出てくると睨んでいたセシルは、

「アフ……元店長。此処とは反対側に手付かずで税金ばっかり掛かっていて、手放す検討をしている私有地があると聞きます。持ち主と交渉して其処も整地してから土地管理省へ高く売り捌くように交渉しましょう。整地の代金は応相談で」
「成程、ウチの真似をする業者が出て来ますから買い手は付くでしょうね。でもどうしてわざわざ買い取らずに整地を済ませてから土地管理省へ? あとワタシの名前はアフクセンチエヴナ・ポトチュファロヴァで、一応ポトチュファロヴァ商会の会長です」
「そうする理由は三つあります。まず子供たちが魔法を練習するのに丁度良いということ。次いで加工してから相応の価格で販売するのは商売として当り前であること。そして最後は、心象の問題ですよアフ……会長」
「前者二つは納得出来ますが、最後の心象とは? ワタシはアフクセンチエヴナ・ポトチュファロヴァです」
「整地開墾して直ぐにでも農畜産が出来るようになっていると、この流れに乗りたい業者は飛び付くじゃあないですか。そんな土地を買い取って整地した上で直ぐに高く売っちゃうと、元の持ち主が面白くないですよね。手放すならより高く売りたいっていうのは人として当り前ですし。まぁぶっちゃけて言っちゃえば、いざこざ(トラブル)回避と印象操作です、アフ……会長」
「確かに。土地の転売は違法ではありませんが、それをされて相手が儲けたと知れれば面白くありませんからね。そしてそれが可能であるにも(かかわ)らず、採算度外しでこのような話しを持ち掛けたと周知されれば、多少の(ねた)(そね)みはあるでしょうが、この農場やポトチュファロヴァ商会の株も上がるし宣伝効果もあるというもの。それとワタシの名前はアフクセンチエヴナ・ポトチュファロヴァです」
「それを全部見越して、ではありませんよ。偶然の一致やこじつけもありますし、実は孤児院(ウチ)の子供たちの能力を世に知らしめたいという思惑もあるのです、アフ……会長」
「成程。確かに整地開墾をしているのが子供たちで、目的が完全にそれではなく魔法の練習がてらであるのならば、余程の莫迦や人でなしでもない限りそれはないでしょうね。いやはや、さりげなく(したた)かですねセシル君は。それからワタシの名前はアフクセンチエヴナ・ポトチュファロヴァです」
「そしてそんな土地が一般の不動産より安価であり管理もしっかりしているであろう土地管理省が持っているとなると、売れないわけはないですよね。土地管理省としては売れる物件なら許される範囲で吹っ掛けても問題ないし、それでも一般不動産より安ければお得感があります。なにより『公的機関への売却』と『公的機関からの購入』という、消費者への()()()()()()()()んですよ。よってこちら側としても土地の持ち主としても、更に土地管理省側や購入者側としても一切損はないんですよ、アフ……会長」
「素晴らしいですねセシルさん。その思考と思想は経営者向きです。ですからワタシの名前はアフクセンチエヴナ・ポトチュファロヴァです」
「いえいえ、俺は面倒臭がり屋なので経営者は無理です。それと土地ですが、子供たちも随分と魔法や魔力共に熟練して来ましたので、短期間で整地出来るようになっていますよ。地図で見たところあと五箇所くらいなら農耕地に出来るようですから、先ほど言った要領で先を越される前に工事委託させて貰えないか交渉してみましょうか。利益が上がれば土地管理省も文句はない筈。そしてバルブレアは交易だけの都市だと認識している蒙昧(もうまい)な輩に目にモノを見せてやりましょう、アフ会長」
「ふふ、都市の在り方すら変えようとするその姿勢、嫌いじゃないです。良いでしょう、やってしまいましょう。良い意味でこの都市の歴史に名を残すのも悪くはありません。それからワタシの名前はアフクセンチエヴナ・ポトチュファロヴァですってば」

 そんな相談と悪巧みをアフ……会長としていた。

「だって名前が長過ぎて覚えられないんですよ! 寿限無じゃないんだから、誰なんですか名付けたの! というかアフさんも子供の頃は苦労しませんでしたか? 長過ぎるーって!」
「その『じゅげむ』というのは判りませんが、確かにを長過ぎて誰も覚えてくれませんでした。挙句『長い名前の人』で認識されていましたねー。もう慣れましたけど。でもウチの奥さんはちゃんと名前で呼んでくれますよ! ……五回に二回は噛んだり間違えたりしますけど……」

 最後の惚気(のろけ)は要らないなーと思いつつ、奥さんですら確率40%で呼び間違えるのかと考えて、見たこともない彼の名付け親のドヤ顔を夢想してゲンナリするセシル。

 そして結局、彼の呼称は「アフさん」もしくは「アフ会長」となった。