「えーと、お楽しみの最中みたいですけど、そろそろ良いですか?」

 生温い視線で静観していた店長が、頃合いを見計らって事態を収束させる。ちょっと(うらや)んでいたのはナイショの方向で。

 そしてそれを聞いた、先程まで有り得ないほどノリノリであった若いモン(豚野郎)どもは、その一言で一斉に鎮静して通常業務に戻って行った。

 彼らは、ただ騒ぐだけの豚野郎ではない。メリハリがしっかりしている、生粋に真面目な豚野郎なのだから。

「と、とにかく、なんでか知らないけど、ウチには変態さんが多いっていうのが判ったわ。まぁ、判ったところでなんにもならないけど……」

 肩で息をしながら、額を抑えて(かぶり)を振るシェリー。もうなんだか色々お腹いっぱいだ。軽くしか朝食を摂っていないのに。

 だがそんなことを考えながら、頭の頭痛が痛くなってくる彼女へ、

「いえお嬢。『さん』は付けずに吐き捨てるように言って下さい」

 従業員の一人である、立っているだけで女性を引き寄せそうな爽やか色男(イケメン)が、これ以上ないほど真剣な表情と眼差しで謎の懇願をし、そして一同も同様にこれ以上ないくらい真面目な表情で頷いている。

 その微妙な一体感と、真剣だが意味不明な懇願にちょっとイラァっとしたシェリーが、

「ええい黙ってろ豚野郎ども!」
『ありがとうございます!(ぶききー)』

 声を荒げて言うのだが、帰って来たのは一斉に発せられた、やはり意味不明な謝辞だけだった。そして揃って平身低頭している様は、ある意味壮観だ。

 関係ないが、従業員は男性ばかりではなく、当然女性もいる。それはエセルが生前、本店に置くためにと特に厳選した優秀な人材であり、更に顔面接も行った美男美女揃いの集団なのだ。

 なのに、それなのに――何故か男女問わずにそんな有様であった。

 実に残念なことである。

 そして現在、危機的状況の所為なのか、それらの本性が()くも見事に露呈し頭を抱えるシェリー。
 意地の悪い笑みを浮かべる母エセルのドヤ顔が容易に夢想出来る。

 だがそれを励ますように店長が、その強面を更に怖くして、

「大丈夫ですお嬢。紳士的な変態は優秀なのです。なにより、節度は絶対に守り、そして――御主人様と認めた人を絶対に裏切りません! 何卒(なにとぞ)我らを存分にさげす……じゃなくて使って下さい。それが我らの()()でもあるのです!」

「くわ!」と効果音が付くくらい真面目な表情でそんなことを言う店長。
 若干どころか相当色々引っかかる言い方ではあるし、「喜び」のニュアンスがちょっと違うような気もするけれど、取り敢えずシェリーは自分を納得させる。

 そして誓った。絶対に蔑んでやる(ご褒美をあげる)ものか――と。

「ん、んん。じゃあまず、店の出費として関係ないものを挙げて、それの合計を算出して頂戴」

 咳払いをして気を取り直し、先程床に叩き付けた帳簿を拾って店長へ渡――そうとして気付く。
 よく見るとその表紙には「最重要機密(Top Secret)」という文字が、イヴォンの悪筆で書かれてあった。

 再びそれを床に叩きつけたくなる衝動に駆られるシェリーである。実際叩き付けたが。

 そして「お嬢の咳払いはちょっとエロい」と囁き合い、頬を染めながら気持ち悪くクネクネしている従業員達(豚野郎ども)(男女問わず)をジロリと睨んで黙ら(蕩けさ)せる。

 母親のエセルが遂に叶わなかった――というか叶いたくなかった境地に、無意識ではあるのだろうが到達してしまったシェリー。
 既にその(女王様の)資質は充分にある。きっと本人は絶対に、断固として意地でも認めないであろうが。

 そんなわけで、優秀なのは普段の仕事ぶりから判っているが、そっち方面の性癖に関してはまだまだ付いて行けないし行きたくないと、頭痛と共に痛感するシェリーであった。

 付いて行けたら、それはそれで問題があるが。

 とにかく、物凄い勢いで帳簿整理をする店長と副店長、そして会計の三人を尻目に、シェリーは壁に備え付けてある磁石式壁掛電話機のハンドルを回して電話交換手を呼び出す。

 繋ぐ先は、アップルジャック商会の顧問国法士(こくほうし)であるトレヴァー・グーチ氏の事務所である「グッドオール国法事務所」。(ちな)みに所長はヒュー・グッドオールである。

 そして通話可能となり、だが電話に出たのは顧問のトレヴァーではなく、所長のヒューであった。トレヴァー氏は、まだ出社していないようである。

 グッドオール国法事務所は、勤務時間がフレックスタイム制だった。

 急を要する要件なのだが、いないのならば仕方ない。出勤したら連絡をしてくれるように言うと、珍しくシェリーが連絡したことになにかを感じたヒューは、要件を訊いて来た。

 事情を説明し始め、そしてまずイヴォンが失踪したと言った辺りでやっぱり、

『はぁ!?』

 と、素っ頓狂な声を上げ、そして借金の額と現在のアップルジャック商会の総資産、更に明らかに個人での出費でしかない帳簿の説明をした辺りで、

『シェリーの嬢ちゃん、良い暗殺者紹介しようか?』

 などと物騒なことを言われた。

「それは最後の手段に取っておきます。ですがそもそもそんなことをせずとも、放っておけば勝手に野垂れるかと思います」

 そりゃそうだと電話の向こうで大笑いするヒュー氏。ヒューもそうだが、イヴォンに対しての対応がシェリーも酷い。自業自得だろうが。

『よし判った。トレヴァーの代わりに俺が行こう』

 そんなことを言い出すヒュー。そしてそのとんでもない申し出に、シェリーは戸惑いまくる。

 国法士とは、正式名称『王国法律(おうこくほうり)監査士(つかんさし)』の略であり、その仕事は読んで字の如くこの『ストラスアイラ王国』が定めた法律の番人である。

 その国法士には階級があり、資格を取り立ての見習いである五級から、最高位の特級までの六段階あり、一般的な商会の顧問は三級国法士を充てるのが通例で、二級国法士を充てるのは相当大きな商会か、商業ギルドへの影響力が強い商会だけだ。

 因みにアップルジャック商会の顧問であるトレヴァー氏は、二級国法士である。

 そして事務所を構え、従業員としてそれら国法士を雇い、商売として運営出来るのは一級以上の国法士資格の所持者のみ。
 ヒューはその中でも特に優秀で、特級国法士の資格を持っており、更に何故か裏社会にも顔が効くと噂されている。

 そんなヒューが来ると言うのだ、戸惑わない筈がない。

 特級国法士がどれほどの資格かというと、まず四級から五級の資格証は地方自治領主が発行し、二級から三級が王国法務大臣が発行する。

 そして一級以上は『王定資格(ロイヤル・クォリフィ)』と呼ばれる特別な資格であり、中でも特級は特別で、地位としては王宮勤務すら可能となるほどだ。

 つまり――貴族と同等。

 よって特級国法士の多くは宮仕(みやづかえ)をしているか王立の事務所に勤務するかである。
 ヒューのように特級でありながら個人事務所を開設している者は、本当に稀だ。

 余談だが、国法士の資格は全て五級の見習いから始まり、相応の実績と年一回の昇進試験に合格しなければならず、更に詳細な素行すら調査される。

 そう――等級の高い国法士は、清廉な人物しか成れないのだ。

「いえ、あの、ヒューさんの手を煩わせるほどのことでは――」

 完全に気後れしてしまい、断ろうとするのだが、

『いやいや、そんな面白……大変な事態なんだから早く処理した方が良いだろ?』

 そんな軽い口調で簡単に請け負ってしまうヒュー。だが、

「面白いって言った!? 言い直したけど面白いって言いましたよね!」

 思わず正しく突っ込むシェリー。言われたヒューの爆笑が、電話越しによく響く。

 楽しんで貰えてなによりだ。そんなことを考えるのだが、口にするともっと喜ばれそうだと悟り、それを飲み込んだ。

「……料金は増えませんよ?」

 最後の手段でそんなことを言うのだが、

『ああ、そんなモン要らん。面白そうだから無料(ロハ)で請け負うから心配なさんな嬢ちゃん』
「また『面白そう』言ったなおっさん! ボッタくるから覚悟しなさい!」

 なんだか敬語がバカらしくなったシェリーがお座なりにそう言っちゃうが、ヒューはやっぱり大笑いしている。

『おー、おっかないねぇ。つーかエセルでも二十歳(はたち)を超えないと俺に突っ込み入れられなかったのに、嬢ちゃんはもう出来るのか。これは将来が楽しみだな。よし、目指せ親子漫才!』
「貴方を親にした覚えはないわよ! あと漫才なんかしないからね! と言うかちゃんと自分の仕事しなさいよ!」
『へいへーい。んじゃ速攻でそっち行くからな~。その間に帳簿のおかしい所とか明らかに違うだろう所とか、どうなんだろうって所を纏めといてくれ』

 電話機のスピーカーから、そんなヒューの声がする。磁石式壁掛電話機のスピーカーは本体の中央下に付いているため、そんなヒューの声は全員に聞こえていた。

 内緒話は絶対に無理だよね。そんなどうでも良いことを考えながら、帳簿を捲っている店長達をシェリーは見た。
 おかしかったり違ったり、そして不明な箇所に色別で付箋が貼られている。

 アップルジャック商会の従業員は、本気で有能であった。

「それは大丈夫。今終わったみたいだから」
『マジでか!? 無理難題言って困らせてやろうと思ってたのに! くっそー、トレヴァーのヤツ、楽な顧客囲いやがって! 減給してやる!』
「それは止めてあげて。トレヴァーさんはヒューさんと違って本当に真面目なんだよ。それに減給されたら奥さんが悲しむでしょ。まぁそんなワケでこっちは準備万端よ」

 スピーカーから『あいよー』と気が抜けた返答があり、通話が終了する。
 因みに通話料金は掛けた側に発生し、一分間で大銅貨三枚――約三千円ほどだった。
 ヒューに乗せられて話し込み、色々で時間か掛かったために電話料金がちょっと怖くなるシェリーである。

 そんなことでちょっと頭を抱えるシェリーを他所に、イヴォンが交遊費として無駄遣いした金額を、帳簿を監査していた三人が既に算出していた。

 その額、概算ではあるのだが、大金貨五枚を超えていたのである。