少年がエセルから「セシル」と名付けられてから六年の年月が経ち、彼は一五歳になっていた。
それまでの月日は特筆すべきことはほぼなく、強いて言うなら経営者であるレミーから提供される種々様々な知識と技術を、同じ孤児院にいる子供たちと共に吸収していたくらいである。
更に時々ではあるが訪れるエセルから魔法を、そしてそれと同じく訪れてしまうリーから戦闘技術の享受――
「ふふ、来たよセシルくん。さあ、キミの濡烏の髪と白磁の肌、そして灰色の瞳をよーーーーーーーーく見せておくれ。そして今日こそ組んず解れつ一晩中◯◯◯◯をしようじゃないか!」
――と銘打つ、スキンシップが異常に多いセクハラを躱して必要なことのみを学んでいた。
というか、セシルが一五歳の成人を迎える前後あたりからリーのセクハラが本格的に酷くなり、最近では筋肉の付き方を見ると言われて脱がそうとするわ、組み手をしていたら何故かリーが頬を赤らめハァハァ言いながら全裸になり獲物を狙う眼になっているわ、挙句深夜に寝室へ忍び込もうとしていたりで、本気で貞操の危機を感じるセシルであった。
まぁそれのおかげというか怪我の功名というか、罠の設置と気配の感知だけは、リーですら唸るほどの腕前になってしまっていたが。
「はう!? こんなところに罠が! くぅ! 荒縄が躰に喰い込んで……ああ、でもこれもまたイイ! やるなセシルくん! どうしてキミは常に私が想像する少ーし斜め上を行くんだい? 本気で惚れちゃいそうだよ。さあ今からでも遅くない、共に爛れた性を謳歌しようじゃないか!」
「……それに『はい』と答えれば、夜中に俺の寝室へ突撃するのを止めてくれるのか?」
「ああ、それはもう二度としない。さあ言え! 言っておくれ!」
「だが断る」
「な、なにぃ!?」
「このセシル・アディが好きなことの一つは、自分が優位だと思っているヤツに『No!』と言ってやることだ……!」
などと何処かで聞いたような受け答えをし、何事かと駆け付けたエセルと、
「ふ……やるじゃあないかセシルくん。リーを縛った上でその遣り取りをするとは。グレートだよ、こいつぁ!」
「この程度、出来て当たり前ですよ。それにしても……いつもいつも、懲りずに相変わらずでやれやれだぜ」
互いに真剣な表情で劇画調な顔になり、両手で髪を掻き上げるエセルに対し、被ってもいない帽子の鍔を摘んで間深く被るセシル。
背景に「ドドドドドド」という文字を背負いながら、そんな謎のポーズで同じくそんな謎の会話をする二人。とてもご満悦である。
ちなみに前述のエセルとの遣り取りは、ポーズ以外は二人の脳内変換で繰り広げられていた身内ネタであるために、物音に気付いて駆け付けた、当然それが判らない皆を須く置き去りにしていた。
――セシルもエセルも、実はそっち方面には結構傾倒していたため、互いに誰にも通じない会話が出来ていたりする。
そしてそんな二人を見たリーが、ハンカチを噛み締めながら「キー!」と言っていた。
これはエセルから教わった、嫉妬をしたときの作法(?)であるらしい。実行してみると不思議と様になるために、彼女はそれを結構愛好している。
まぁ二人のそっちがどっちかは謎であるが。
そんなアホな茶番劇が繰り返されたある日、例によってセシルの罠を掻い潜り、そして遂に寝室に到達したリーは、ベッドで仲良く全裸で抱き合って眠るセシルとディアを目の当たりにして絶句し、それ以降この孤児院へ来ることは二度となかったという。
どうやらリーは、出会った頃からセシルをちょいちょい揶揄ってはいたのだが、どんどん大人になって行く彼にいつの間にか本気になってしまっていたらしい。
肩を落としてエセルと共に帰って行く彼女は、ちょっとだけ可哀想だったという。
だからといって、セシルがリーに色々されるのはごめんである。それとこれとは話が別だ。
そしてそのセシルとディア――正式にはクローディア。ディアは愛称である――は、その時点で別に「そういう仲」であったわけではない。
セシルに対してリーのセクハラがあまりに酷く度を越してきたため、レミーとエセルが一計を案じ、そしてクローディア本人が文字通り一肌脱いだのである。
この事件(?)には実は続きがあり、常にリーを嗜めていたクローディアが、知らず知らずのうちにリーから色々と影響を受けてしまっていたため、本来はちょっと着崩した感じで横になる筈だったのが、なにを思ったのか小気味よく全裸になってしまった。
そしてその裸身がセシルの好みのど真ん中であったため、若い二人は止まれずそのまま色々直行してしまっていたのである。
それから、そんな仲になっちゃったからといって二人が恋人同士になったかというと、そういう事実は一切無い。
「ディアは可愛いし身体も好みだけど、性格が合わないから」
「セシルは凛々しいし色男だし身体も好みだけど、万能過ぎて付いて行けないわ」
などと互いに言いつつ、そういうことだけはしっかりする仲になってしまった。
これには流石にレミーもエセルも想定外であったらしく、なんとか止めさせるか、もしくはきちんとけじめをつけさせようと画策したのだが――
「いや、別に身体だけの関係で満足してるから。それにちゃんと『森妖精式避妊法』実行してるから大丈夫だよ」
「身体だけの関係で快楽を共にしているだけのなにが悪いの? 不特定多数としてるわけじゃないから良いでしょ別に。それにセシルはちゃんと避妊してくれるから問題ないわ」
明け透けにそんなことを言われ、更に部屋は一つの方が良いとばかりにクローディアがセシルの部屋に引っ越してしまって一切聞く耳を持たなかった。
そしてエセルは、やはりリーを連れて来ていたのが間違いであったのかと後悔し、だが、考えてみれば何故に成人後の男女のアレコレに口出ししなければならないのだと思い至り、本人達も満足しているし問題ないだろうと判断して放置することに決めたそうな。
つまり、匙を投げたのである。
そしてレミーも遂には諦め、だがもしなにかあったときにはちゃんとケジメを付けるようにキツく言い含めて納得させ――
「まぁそのときは仕方ないか。ディアは性格が合わないだけで良い女だし、良き妻で良き母になると思うよ」
「そうね、そのときは仕方ないわよね。セシルは万能過ぎて鬱陶しいところがあるけど、夫や父親としてならこれ以上ないくらい優良物件だし」
――た筈なのだが、おかしなところで達観していて、若干どころか相当心配になるレミーであった。
そんなこんながあってわちゃわちゃしてはいたが、意外に充実した日々をセシルは送っている。
この孤児院に来てから、今までは知識としての普通の生活を識ってはいたが、それを実際に送るなど無いであろう生活をしていたセシルにとっては、その全てが新鮮であり、そして懐かしいものだった。
そしてそんな彼の一日は、朝四時から始まる。
季節によっては日の出より早く起きだし、隣で寝息を立てているクローディアを起こさないようにベッドを抜け出して着替えをする。
その後は音もなく寝室を後にして洗面場で身支度を整え、台所へ行って孤児院にいる仲間たち全員分の朝食を作り始めるのが日課となっていた。
パン種を仕込んで二次発酵まで終わらせ、形成してパン窯へ入れて焼成する。
その後副菜の下拵えをしている途中で、白髪赤目の色素欠乏症である女の子のリオノーラが合流し、下拵えが終わって本格的に調理を開始する時間になって、レミーが合流した。
その後もヒト種のシャーロットと土妖精のメイ、そして鬼人族のレスリーも合流し、協力して百を超える人数の孤児たちの朝食を作るのである。
そんな中でセシルは、調理はレミー達に任せてリオノーラとあれこれ相談しながらレシピを考え、昼食用の下拵えやら夕食用の食材を形成したりしていた。
朝食が完成間近になり、まだ寝ている子供たちを起こして身支度を整えさせる。ちなみに一番最後に起き出すのは大抵クローディアで、その原因はセシルにあった。
詳細は省くが、所謂一般的に言うところの夜の営みで、彼は相当凄いらしい。よってそのお相手であるクローディアがそんなことになっちゃうのは、当然なのである。
そんなポワポワした状態であるクローディアの隣に座ったセシルは、まだ半分以上眠っている彼女の世話を甲斐甲斐しくしていた。
これは毎度のことであり、これで恋人同士ではないとか言われても説得力が全くない。確かにある意味では、恋人同士ではないのであろう。既に夫婦みたいだし。
そしてそういうことを毎度毎度繰り返している二人を、孤児院の仲間たちは砂糖を丸呑みしたような表情で眺めて――
「ねぇリオちゃん、このニンジンスープめっちゃ美味しいし。あと柑橘系の香りも良い感じ。どうやって作ったし?」
「あ、それボクも気になってた。ニンジンに柑橘系の風味が合わさってるって意外な組み合わせなのねん」
「ああ、それは普通のニンジンスープにオレンジを皮ごとミキサーしたのを濾してから入れて、沸騰しないように温めただけだよ。エセルさんのレシピ本にあったから作ってみたの」
「ほわ~、柑橘類と根菜の夢のコラボだし」
「ふへぇ~、野菜の新たな可能性を見出せて、ボクは満足だよ。サスガはエセルさんなのねん」
「……あちきは肉も魚も入っていないのが残念で仕方ないでありんす」
「ニンジンじゃなくて葉物野菜とかで作って、そこに鶏肉入れるってのも悪くないんだけどね。でも今はちょっと食材が不足気味なの。エセルさん忙しいみたいでなかなか来られないみたい。えーと、確か今はトミントール公国に行ってるんだっけ?」
「そうなのねん。湖上都市カードゥってところに行ってるみたいなのねん」
「カードゥかぁ。あそこで採れる『水瓜』はとっても美味しいって話だし。ウチも行ってみたいし」
「あ、でも『水瓜』って野菜なのねん。果物じゃないのねん」
「ウソぉ!?」
「肉が少ないとはほんざんすか? それは残念でありんす。ではこの機会に、あちきが一狩り行きとうござりんす。ついてはディアはん、セシルはんを貸しておくんなんし」
――いなかった。
そんなのどうでも良いとばかりに、今朝のスープの出来栄えについて議論を始める果物大好きヒト族シャーロットと野菜大好き土妖精メイ、肉魚大好き鬼人族レスリー、そしてそれに答えるリオノーラ。
レスリーに至っては、セシルへ一狩り行こうぜとばかりにクローディアに許可を求めちゃう始末。
そして訊かれたクローディアは、セシルに「あーん」して貰いながら、
「ふえ? 良いんじゃない? 別にセシルがレスリーと一狩り行こうが◯◯◯◯しようが一向に構わないわよ。というかなんであたしに訊くの?」
「主さんがたがなんとおっせえましょうが、どう見ても夫婦にしか見えないでありんす。妻の許可なくセシルはんと共するなどという好かねぇことは出来ないでありんす」
「えー? 夫じゃなくてただのトモダチだよ? ヤだなぁレスリーったら、おかしなことを言うんだから」
「なにをおっせいす。でも主さんがたが良いならそういうことにしなんす」
そんな会話をし、そして言われている当人の承諾など一切無視して済し崩し的に、セシルとレスリーが狩りに出ることが決まった。
――のだが――。
セシルが狩りの準備をするため、防刃服を身に纏い、急所に硬皮で作った簡単な防具を着ける。
そしてクローディアが彼愛用の刺突剣と、御守り代わりの防御の聖魔法が付与された指環をネックレスに通してセシルの首に着けた。
……どう見ても、出掛ける夫の身支度を整える妻である。
胸に晒しを巻いて着流しを羽織り、大太刀を背負って腰に大鉈を帯びた鬼人族らしい出立ちになっているレスリーも、流石にそこまでイチャコラされればゲンナリするのだが、やはり二人には一切の自覚はない。
そんな感じで身支度をしてはいたが、結局二人は出掛けることはなかった。
孤児院の御用商人であるアップルジャック商会バルブレア支店の店長が、馬車を飛ばしてレミーを訪ねて来たのである。
そして何事かと面倒そうに出て来るレミーに、店長が息を切らせて伝えた。
エセルが列車事故に巻き込まれた――と。
それまでの月日は特筆すべきことはほぼなく、強いて言うなら経営者であるレミーから提供される種々様々な知識と技術を、同じ孤児院にいる子供たちと共に吸収していたくらいである。
更に時々ではあるが訪れるエセルから魔法を、そしてそれと同じく訪れてしまうリーから戦闘技術の享受――
「ふふ、来たよセシルくん。さあ、キミの濡烏の髪と白磁の肌、そして灰色の瞳をよーーーーーーーーく見せておくれ。そして今日こそ組んず解れつ一晩中◯◯◯◯をしようじゃないか!」
――と銘打つ、スキンシップが異常に多いセクハラを躱して必要なことのみを学んでいた。
というか、セシルが一五歳の成人を迎える前後あたりからリーのセクハラが本格的に酷くなり、最近では筋肉の付き方を見ると言われて脱がそうとするわ、組み手をしていたら何故かリーが頬を赤らめハァハァ言いながら全裸になり獲物を狙う眼になっているわ、挙句深夜に寝室へ忍び込もうとしていたりで、本気で貞操の危機を感じるセシルであった。
まぁそれのおかげというか怪我の功名というか、罠の設置と気配の感知だけは、リーですら唸るほどの腕前になってしまっていたが。
「はう!? こんなところに罠が! くぅ! 荒縄が躰に喰い込んで……ああ、でもこれもまたイイ! やるなセシルくん! どうしてキミは常に私が想像する少ーし斜め上を行くんだい? 本気で惚れちゃいそうだよ。さあ今からでも遅くない、共に爛れた性を謳歌しようじゃないか!」
「……それに『はい』と答えれば、夜中に俺の寝室へ突撃するのを止めてくれるのか?」
「ああ、それはもう二度としない。さあ言え! 言っておくれ!」
「だが断る」
「な、なにぃ!?」
「このセシル・アディが好きなことの一つは、自分が優位だと思っているヤツに『No!』と言ってやることだ……!」
などと何処かで聞いたような受け答えをし、何事かと駆け付けたエセルと、
「ふ……やるじゃあないかセシルくん。リーを縛った上でその遣り取りをするとは。グレートだよ、こいつぁ!」
「この程度、出来て当たり前ですよ。それにしても……いつもいつも、懲りずに相変わらずでやれやれだぜ」
互いに真剣な表情で劇画調な顔になり、両手で髪を掻き上げるエセルに対し、被ってもいない帽子の鍔を摘んで間深く被るセシル。
背景に「ドドドドドド」という文字を背負いながら、そんな謎のポーズで同じくそんな謎の会話をする二人。とてもご満悦である。
ちなみに前述のエセルとの遣り取りは、ポーズ以外は二人の脳内変換で繰り広げられていた身内ネタであるために、物音に気付いて駆け付けた、当然それが判らない皆を須く置き去りにしていた。
――セシルもエセルも、実はそっち方面には結構傾倒していたため、互いに誰にも通じない会話が出来ていたりする。
そしてそんな二人を見たリーが、ハンカチを噛み締めながら「キー!」と言っていた。
これはエセルから教わった、嫉妬をしたときの作法(?)であるらしい。実行してみると不思議と様になるために、彼女はそれを結構愛好している。
まぁ二人のそっちがどっちかは謎であるが。
そんなアホな茶番劇が繰り返されたある日、例によってセシルの罠を掻い潜り、そして遂に寝室に到達したリーは、ベッドで仲良く全裸で抱き合って眠るセシルとディアを目の当たりにして絶句し、それ以降この孤児院へ来ることは二度となかったという。
どうやらリーは、出会った頃からセシルをちょいちょい揶揄ってはいたのだが、どんどん大人になって行く彼にいつの間にか本気になってしまっていたらしい。
肩を落としてエセルと共に帰って行く彼女は、ちょっとだけ可哀想だったという。
だからといって、セシルがリーに色々されるのはごめんである。それとこれとは話が別だ。
そしてそのセシルとディア――正式にはクローディア。ディアは愛称である――は、その時点で別に「そういう仲」であったわけではない。
セシルに対してリーのセクハラがあまりに酷く度を越してきたため、レミーとエセルが一計を案じ、そしてクローディア本人が文字通り一肌脱いだのである。
この事件(?)には実は続きがあり、常にリーを嗜めていたクローディアが、知らず知らずのうちにリーから色々と影響を受けてしまっていたため、本来はちょっと着崩した感じで横になる筈だったのが、なにを思ったのか小気味よく全裸になってしまった。
そしてその裸身がセシルの好みのど真ん中であったため、若い二人は止まれずそのまま色々直行してしまっていたのである。
それから、そんな仲になっちゃったからといって二人が恋人同士になったかというと、そういう事実は一切無い。
「ディアは可愛いし身体も好みだけど、性格が合わないから」
「セシルは凛々しいし色男だし身体も好みだけど、万能過ぎて付いて行けないわ」
などと互いに言いつつ、そういうことだけはしっかりする仲になってしまった。
これには流石にレミーもエセルも想定外であったらしく、なんとか止めさせるか、もしくはきちんとけじめをつけさせようと画策したのだが――
「いや、別に身体だけの関係で満足してるから。それにちゃんと『森妖精式避妊法』実行してるから大丈夫だよ」
「身体だけの関係で快楽を共にしているだけのなにが悪いの? 不特定多数としてるわけじゃないから良いでしょ別に。それにセシルはちゃんと避妊してくれるから問題ないわ」
明け透けにそんなことを言われ、更に部屋は一つの方が良いとばかりにクローディアがセシルの部屋に引っ越してしまって一切聞く耳を持たなかった。
そしてエセルは、やはりリーを連れて来ていたのが間違いであったのかと後悔し、だが、考えてみれば何故に成人後の男女のアレコレに口出ししなければならないのだと思い至り、本人達も満足しているし問題ないだろうと判断して放置することに決めたそうな。
つまり、匙を投げたのである。
そしてレミーも遂には諦め、だがもしなにかあったときにはちゃんとケジメを付けるようにキツく言い含めて納得させ――
「まぁそのときは仕方ないか。ディアは性格が合わないだけで良い女だし、良き妻で良き母になると思うよ」
「そうね、そのときは仕方ないわよね。セシルは万能過ぎて鬱陶しいところがあるけど、夫や父親としてならこれ以上ないくらい優良物件だし」
――た筈なのだが、おかしなところで達観していて、若干どころか相当心配になるレミーであった。
そんなこんながあってわちゃわちゃしてはいたが、意外に充実した日々をセシルは送っている。
この孤児院に来てから、今までは知識としての普通の生活を識ってはいたが、それを実際に送るなど無いであろう生活をしていたセシルにとっては、その全てが新鮮であり、そして懐かしいものだった。
そしてそんな彼の一日は、朝四時から始まる。
季節によっては日の出より早く起きだし、隣で寝息を立てているクローディアを起こさないようにベッドを抜け出して着替えをする。
その後は音もなく寝室を後にして洗面場で身支度を整え、台所へ行って孤児院にいる仲間たち全員分の朝食を作り始めるのが日課となっていた。
パン種を仕込んで二次発酵まで終わらせ、形成してパン窯へ入れて焼成する。
その後副菜の下拵えをしている途中で、白髪赤目の色素欠乏症である女の子のリオノーラが合流し、下拵えが終わって本格的に調理を開始する時間になって、レミーが合流した。
その後もヒト種のシャーロットと土妖精のメイ、そして鬼人族のレスリーも合流し、協力して百を超える人数の孤児たちの朝食を作るのである。
そんな中でセシルは、調理はレミー達に任せてリオノーラとあれこれ相談しながらレシピを考え、昼食用の下拵えやら夕食用の食材を形成したりしていた。
朝食が完成間近になり、まだ寝ている子供たちを起こして身支度を整えさせる。ちなみに一番最後に起き出すのは大抵クローディアで、その原因はセシルにあった。
詳細は省くが、所謂一般的に言うところの夜の営みで、彼は相当凄いらしい。よってそのお相手であるクローディアがそんなことになっちゃうのは、当然なのである。
そんなポワポワした状態であるクローディアの隣に座ったセシルは、まだ半分以上眠っている彼女の世話を甲斐甲斐しくしていた。
これは毎度のことであり、これで恋人同士ではないとか言われても説得力が全くない。確かにある意味では、恋人同士ではないのであろう。既に夫婦みたいだし。
そしてそういうことを毎度毎度繰り返している二人を、孤児院の仲間たちは砂糖を丸呑みしたような表情で眺めて――
「ねぇリオちゃん、このニンジンスープめっちゃ美味しいし。あと柑橘系の香りも良い感じ。どうやって作ったし?」
「あ、それボクも気になってた。ニンジンに柑橘系の風味が合わさってるって意外な組み合わせなのねん」
「ああ、それは普通のニンジンスープにオレンジを皮ごとミキサーしたのを濾してから入れて、沸騰しないように温めただけだよ。エセルさんのレシピ本にあったから作ってみたの」
「ほわ~、柑橘類と根菜の夢のコラボだし」
「ふへぇ~、野菜の新たな可能性を見出せて、ボクは満足だよ。サスガはエセルさんなのねん」
「……あちきは肉も魚も入っていないのが残念で仕方ないでありんす」
「ニンジンじゃなくて葉物野菜とかで作って、そこに鶏肉入れるってのも悪くないんだけどね。でも今はちょっと食材が不足気味なの。エセルさん忙しいみたいでなかなか来られないみたい。えーと、確か今はトミントール公国に行ってるんだっけ?」
「そうなのねん。湖上都市カードゥってところに行ってるみたいなのねん」
「カードゥかぁ。あそこで採れる『水瓜』はとっても美味しいって話だし。ウチも行ってみたいし」
「あ、でも『水瓜』って野菜なのねん。果物じゃないのねん」
「ウソぉ!?」
「肉が少ないとはほんざんすか? それは残念でありんす。ではこの機会に、あちきが一狩り行きとうござりんす。ついてはディアはん、セシルはんを貸しておくんなんし」
――いなかった。
そんなのどうでも良いとばかりに、今朝のスープの出来栄えについて議論を始める果物大好きヒト族シャーロットと野菜大好き土妖精メイ、肉魚大好き鬼人族レスリー、そしてそれに答えるリオノーラ。
レスリーに至っては、セシルへ一狩り行こうぜとばかりにクローディアに許可を求めちゃう始末。
そして訊かれたクローディアは、セシルに「あーん」して貰いながら、
「ふえ? 良いんじゃない? 別にセシルがレスリーと一狩り行こうが◯◯◯◯しようが一向に構わないわよ。というかなんであたしに訊くの?」
「主さんがたがなんとおっせえましょうが、どう見ても夫婦にしか見えないでありんす。妻の許可なくセシルはんと共するなどという好かねぇことは出来ないでありんす」
「えー? 夫じゃなくてただのトモダチだよ? ヤだなぁレスリーったら、おかしなことを言うんだから」
「なにをおっせいす。でも主さんがたが良いならそういうことにしなんす」
そんな会話をし、そして言われている当人の承諾など一切無視して済し崩し的に、セシルとレスリーが狩りに出ることが決まった。
――のだが――。
セシルが狩りの準備をするため、防刃服を身に纏い、急所に硬皮で作った簡単な防具を着ける。
そしてクローディアが彼愛用の刺突剣と、御守り代わりの防御の聖魔法が付与された指環をネックレスに通してセシルの首に着けた。
……どう見ても、出掛ける夫の身支度を整える妻である。
胸に晒しを巻いて着流しを羽織り、大太刀を背負って腰に大鉈を帯びた鬼人族らしい出立ちになっているレスリーも、流石にそこまでイチャコラされればゲンナリするのだが、やはり二人には一切の自覚はない。
そんな感じで身支度をしてはいたが、結局二人は出掛けることはなかった。
孤児院の御用商人であるアップルジャック商会バルブレア支店の店長が、馬車を飛ばしてレミーを訪ねて来たのである。
そして何事かと面倒そうに出て来るレミーに、店長が息を切らせて伝えた。
エセルが列車事故に巻き込まれた――と。