混沌とした引越しと移築と謎の大宴会が終わり、そこから更に一か月が経過し、シェリーは静かな日常を過ごしていた。

 だからといって夜更かしをしたり昼まで寝ているなどという自堕落はしていない。その身体に染み付いた早寝早起きを繰り返し、有り得ない速度で移築出来ちゃった店舗と自宅を掃除したりしていた。

 アップルジャック商会の従業員には、ギルドを通して適正額の退職金が支払われ、そして既に新たな就職先がほぼ内定している。
 そもそも社員教育をしっかりしていたアップルジャック商会の元従業員の人気は高く、即戦力というばかりではなく管理職として雇用するという好条件を出す商会すらあった。

 店長のアイザックは、あの後から自宅に籠ってほぼ外出していないという。

 副店長のリーはその姿を消し、現在は何処にいるのかその所在は(よう)として知れない。元々影に潜むのが好きらしいし、それに人生経験が豊富らしいから彼に関しては全く心配していない。色々苦手だし。

 会計監査のJJは、金銭管理に頭抜けている能力を買われ、ただいま商業ギルドに引っ張って行かれて経理の手伝いをさせられてたりする。そして諸々不正をしていた中間管理職どもの裏帳簿を暴いちゃったりして、サブマスターのデリックにやたらと熱心に入職を勧められているらしい。
 関係ないが、JJとデリックは金銭感覚が似ているためか、非常に仲が良い。二人と追加のユーインとパーシーで組んで、ギルドからの借入金を滞納している商会へ査察に入って色々暴いちゃったりもしたとか。

 そしてエイリーンは時々――というかほぼ毎日シェリーを訪ねて、アイザックが夜の相手をしてくれないと嘆いていた。
 そんな生々しい話しを未成年にされても困るだけだが、ちょっとだけ心当たりがあるため無下に出来ないシェリーだった。どうやら以前勢いで渡したエセルの色々な写真がお気に召したようで、色々と()()()恋人の相手すら出来ないらしい。まぁそのうち飽きるだろう。

 そうしてほぼ全ての従業員が再就職を果たし、やっと肩の荷が下りたと、シェリーは感慨深げに思う――

「あ、お嬢。店舗の清掃、終わりました」
「商品棚も埃一つありません。いつでも再開出来ますよ」
「〝冷却棚(フロワ・バギャージュ)〟の点検終わりました。冷却器も正常稼働しています」
「食材はいつでも仕入れ出来ますよー。言って貰えればいつでも商品開拓に出掛けられます」
金銭登録機(レジスター)の準備も出来ています。中身は空っぽですけどね」
「リンクウッド商会の会長から商会宛に親書とメッセージが届いていますよ。『いつになったら商会を再開するんだ? そちらさんが再開しないとこっちも困る』――だそうです」
「先ほどからレストラン『オーバン』のオーナーシェフのリオノーラ嬢が物凄い涙目で応接室でお待ちですよ。なんでもウチから食材を卸してくれないと料理のクォリティが保てないそうです。あんま変わらないって評判なんですけどね」
「ヒュー氏から手紙が届いています。開封してみたら気持ち悪い文章で例によって『愛を愛を愛を』って書いてたから破棄しました。あと差出人がないお嬢宛の手紙も来てるんで、後で目を通して下さい」
「酒蔵のザカライア爺とザカリーさんが醸造始めてます。お嬢の言う通りシードルとかスパークリング・シードルの改良についても研究を始めてますよ」
「待って!」

 もう商店でもなんでもないのに、既に廃業してから一か月は経っているのに、何故か出勤して掃除やら機器点検やらをして開店準備を始めている元従業員達。
 更に酒蔵の職人に例の宴会のときなんとなく、世間が嗜好する酒類とか売れ筋とかを伝え、醸造酒と蒸留酒をバランス良く製造、販売をするのが実益が高いと伝えたところ、何故か職人魂に火が点いてしまってこの有様である。

 シェリーにしてみれば、今後新たにその酒蔵と取引する足しになれば良いと考えていたのだが、

「え~? あたしシェリーちゃん以外と取引したくないわぁ。それともエセルちゃんを裏切って他所(よそ)に行けって言うの?」

 と、九つある尾をブンブン振りつつプリプリ怒る、希少な金毛妖狐(こんもうようこ)族のザカライア爺。ちなみに現在一〇三歳。孫が二〇人いて、そしてザカリーさんは奥さんである。
 彼らはアップルジャック商会初代会長ニコラスの最初の仕事仲間だった。

 因みに金毛妖狐族は、五百歳を超えればその身は九つの尾を持つ白い(おもて)の巨大な狐の聖獣になると伝承されている。
 だが実際はそんな現象を見た者は誰も居らず、そして当の金毛妖狐族もその伝承が真実かどうか知らない有様だった。

 関係ないが、九つある尾は一つに纏めて格納可能で、更に頭に獣耳(ケモみみ)があるなどという、世界のケモナー垂涎の容姿は、一切していない。
 これは全ての獣人族に共通することなのだが、見た目は完全に他種族と同じであり、本人が出そうとしなければ獣要素は微塵も無いのである。

「なんで皆して此処にいるの? もう商会はなくなったんだし、此処は店舗でもなんでもないのよ。貴方達が来る理由なんて全然ないし、それにそんなことをしていないで再就職先を探しなさいよ。ギルドからの斡旋だってあったでしょ?」

 そんなことを言ってみるが、

「だぁって」
「なぁ」
「オレ独り身だし家族いないし」
「此処って給料が良いし、ちゃんと食事は出るから金の使いどころがないから貯まる一方だし」
「あたしゃ旦那の給料で充分食べていけるけど、働かないと堕落しちゃうからパートしてただけなのよねー」
「此処にいない他の人達は家庭だったり家のローンだったりがあるから断腸の思いで再就職したみたいだけど、私達はそんなワケで全然困っていないのよね~」
「え~…………」

 再就職しなくても、全然生活に困らない連中大集合であった。

「それにウチらは生活に困ったらまた冒険者に戻れば良いわけだし?」
「そだよん。ボクもまた気侭に農業でもするからねん」
「あちきはその辺で狩りでもして生計を立てるでありんす」
「そんなことより早く再開してよ!『オーバン』の料理が不味くなったって言われたらシェリーのせいだからね!」

 更にそんなことを言い出す〝(かしま)しい三人娘〟の、シャーロット、メイ、レスリー。便乗するかのように半泣きでそんなことを言い始める有名レストランのオーナーシェフ。

「どうしてこうなった……」

 堪え切れなくなったのか、自分に抱き着いてわんわん泣き始めるリオノーラの背をポンポン叩きながら、呆れたように溜息を吐く。

 実はこれまでも、そして現在もアップルジャック商会の開業を願う声はある。だがそれをシェリー自身が望んでおらず、そしてその気もないためそれは叶わなかった。

「ごめんねリオノーラ。でも、もうアップジャック商会はないの。だから――はっきり言えば、そんなこと言われても困る」

 自分より三つ年上の、純白の髪と赤の瞳のまだ少女の面影を残しているリオノーラに優しく、だがはっきりとそう言う。

 そして――彼女は更に大泣きして収拾がつかなくなってしまった。

 はっきりときっぱりと言うことが、全ての事態を収拾させるわけではない。人によっては余計に拗れる場合もあったりする。

「ああもう。メイ、シャーロット、レスリー」

 リオノーラの後方で「泣ーかした泣ーかした」とか言っている〝姦しい三人娘〟を一睨みして黙らせてから、その三人を呼ぶ。

「ええ? べべべつのウチら見たまんまなこと言っただけだし」
「ボボボボクは言ってないよ。思っただけだよ」
「あちき、ちょっと持病の癪が……」
「いやそれどうでも良いから。そんなことより、貴女達は今からリオノーラの仕入れ手伝いなさい」


 ――*――*――*――*――*――*――


 そんなこんなで元従業員達にあれこれと指示を出し、あれ? これって結局今までと一緒じゃない? とかセルフツッコミをして、届いている手紙の束を持ってシェリーは自室に行く。階下ではまだ色々と騒いでいるようだが、この際それは無視することに決めた。

 机に手紙の束を置いて椅子に座り、それらに目を通す。その殆どは、商会の再開への嘆願書だったり、あと数件ほど何故かお見合いの申し込みだったりしていた。まだシェリーは未成年なのに。

 そんな中、差出人のない手紙が目についた。

 それは差し出されてから明らかに数年は経っているであろうほどに汚れていたが、そうなるの見こしているかのように表面には蝋が塗られている。

 住所はこの家が元あった場所。きっと配達人が気を利かせてくれたのであろう。それに感謝しながら、書体がタイプライターで打ち込まれているその手紙を、レターナイフで開封して目を通す。

「あ」

 それはシェリーへの――エセルからの手紙だった。





 この手紙を貴女が読んでいるということは、もうあたしはこの世にいないということだと思う。

「お母さん……」

 なーんて、一回やってみたかったのよね~。どう? ちょっとウルって来た?

「……イラって来たわね。間違いなくお母さんだわ」

 冗談はさておき、あたしは今、トミントール公国にいるわ。あ、でもそこで生活しているわけじゃないのよね。はっきり言ってしまえば、あたしはもすぐ死ぬと思う。

「……お母さん……」

 今もね、実は身体が動かせないのよ。まぁあれだけの事故にあってまだ生きてるっていうのがおかしいくらい。
 具体的には、右手と両足が潰れて無くなっているし、首だって動かせない。一人でおトイレにも行けないんだよ。この若さでもう介護生活だよ。シェリーに老後の面倒を診て貰おうと思っていたけど、これじゃあその夢も叶わないな~。

「なに莫迦なこと言ってるのよ。老後の面倒なんて幾らでも診てあげるわよ」

 どう? 元気にしている?

「うん、元気だよ」

 ちゃんと朝起きられてる?

「この私が起きられないわけないでしょう。お母さんこそちゃんと起きられているの?」

 ちゃんとご飯食べてる?

「食べてるわよ。ちょっと体重が気になるくらい」

 歯は磨いた?

「磨いてるわ……ん?」

 お風呂には入ってる?

「んん? まぁ入ってるけど」

 ちゃんと寝てる?

「え? うん、時々は眠れないけど、寝てる方ね」

 良い夢見ろよ!

「……なにこれ?」

 お父さんの……イヴォンはどうでも良いわ。

「うん、そうだね」

 もしかしたら、莫迦が莫迦なことをして商会が傾くかも知れないけど、そのときはお爺様と協力して頑張ってね。イヴォンは役立たずだから。

「お爺様も、お母さんの後を追っちゃったんだよ。もう、どれだけ愛されているのよ。お婆様嫉妬しちゃうでしょ。うん、でも、私なりに頑張ったよ。もう、商会はなくなっちゃったけど」

 もう遅いかもしれないけど、イヴォンのせいで商会がダメになるかと思う。そのときは、トレヴァーさんや商業ギルドに助けを求めなさい。きっと、なんとかしてくれると思うから。

「なんとかって、なによ。もう、遅いわよ」

 でもダメになったら、それはそれで良いと思うよ。お爺様――貴女の曾祖父のニコラスも、商会の存続に拘っていなかったからね。

「そうね。商会に拘っていたのは、お父さんだけだった」

 もしかしてもう知っているかもしれないけど、ギルドにあたし名義の特許とか資産があって、あたしになにかあったら残らずシェリーに相続されるように手続しておいたわ。ちゃんと相続税分も分けてあるから大丈夫。

「うん、そうなってた。なんかこう、『らしい』って思っちゃったよ」

 商会とかについてはこれくらいにして。今からとても大切なお話しをします。椅子に正座して読むように。

「え? 正座なんて普通にイヤだけど?」

 貴女のお父さんについてだから、嫌がらずに正座しなさい!

「……さて、お昼はなににしようかな?」

 ……あ、ごめんウソウソ、そのままで良いから。

「なんで私の行動が読めるのよ?」

 はい、此処で咳払い。……なんかね、あたしの咳払いがエロいって喜ばれるのよね……。

「私も良く言われるわよ。リーが大喜びするし」

 貴女も咳払いで好きな男の子を悩殺するのよ!

「イヤだよ」

 そんなことより、貴女の父親についてなんだけど。

「……自分で脱線しておいて……まぁいいけど――て、え?」

 はっきり言うけど、シェリー、貴女の父親はイヴォンではないわ。

「ああ、うん、やっぱりそうなんだ。」

 こんなこと言うと、もしかしてあたしを不実な母親だって軽蔑するかもしれないけど、ちゃんと読んでね。

「軽蔑しないよ。逆によくやったって思うよ。あんなヤツじゃあ浮気の一つもしたくなるよね」

 その人とは、所用があって王都に行ったときに知り合ったの。初対面だったけど、凄く馬が合ってね。でもだからといって、すぐにそんな仲になったわけじゃないわよ。そこまで軽い女じゃありません。

「いや、誰もそんなこと思ってないけど……」

 王都までは数週間掛かってね、まぁその間にその人やその仲間達には良くして貰っていたんだけど……惚気話なんて聞きたくもないよね。

「うんそうだね。特に自分のお母さんの惚気話なんてね」

 はっきり言っちゃえば、あたしとその人はお互いに合意の上でそんな関係になったわけじゃないのよ。

「うーん、ちょっと話が見えなくなって来た……」

 実はね、あたしがその人にされちゃったの。

「え?」

 酔った勢いってやつ?

「いやいやいやいや! 待って待って! じゃあ私ってそんなことで出来ちゃったの!? 事故だったの!?」

 でも、抵抗しなかったあたしも悪いんだけどね。

「なんでしなかったの!? ええ……ちょっとお母さん……」

 うん、絶対困惑しているわよね。でも仕方ないのよ、たった数週間だったけど、あたしは彼ことが気に入っちゃってた。だけど、その人には恋人がいてその人から彼を奪うことなんて出来なかったわ。
 この想いは出しちゃいけないって、自分に言い聞かせてたんだけど……あるときに彼に、酔った勢いで押し倒されちゃって。
 最初は恋人と勘違いしているって思って抵抗したんだけど、でもそのとき彼が言ったの。あたしのことが好きだ、愛しているって。

 こんな既婚者捕まえて、旦那だっているのによ?

 だけど、そのときのあたしは、放蕩なイヴォンをどうしても許せなくて、それに、自分を好きだって言ってくれる彼がとても愛おしくて……。

「……」

 ごめんねシェリー。ダメなお母さんでごめんね。

「……そんなことない、ダメなお母さんじゃない。ダメなのは、お父――イヴォンだから!」

 シェリーが生まれて、あたしは初めて生きていて良かったって思った。今まで碌でもない目にしか遭わなかったけど、貴女が生まれて、初めて嬉しいって思ったの。

 だから、例え貴女に軽蔑されても、あたしは言いたい。

 生まれてくれてありがとう。

「……お母さん」

 あたしと逢ってくれてありがとう。

「お母さん……」

 お母さんって呼んでくれて、ありがとう。

「お母さん……お母さん……」

 そして――ごめんね。

「お母さん!」

 もっと貴女と一緒にいたかった。

 もっと一緒にいて、してあげたいこともいっぱいあった。

 シェリーが大人になって、恋をして、結婚して、そして孫はまだ? って言ってやりたかった。

 出来れば曾孫まで見て、しわくちゃのお婆さんになって、皆に見守られながら死にたかったなぁ。

 ――ごめんねシェリー。もう疲れちゃったみたい。

 貴女のこれからに、多くの幸せがありますように。

「お母さん! お母さん! お母さん!」

 そうそう、大切なことを言っていなかったわね。

「! お母さん?」

 貴女の父親について。

「もう、どうあっても最後までシリアスになれないんだから……」

 父親の名は――