商業ギルドから戻ったシェリーの行動は、他の事業主の度肝を抜くくらい迅速だった。
まず彼女がしたことは、手放したイヴォン名義の資産とエセルから相続されたシェリー・アップルジャック名義の資産を完全に分けて持ち去る作業だった。
そう、アップルジャック商会にはイヴォン名義の資産とエセル名義の資産の二つがあり、グレンカダムにある本店と住居はエセル名義で、それと併設されている、イヴォンの言う通りに現在は安酒しか作っていない酒蔵は、イヴォン名義である。
更に、商業ギルドに提出していたエセル名義の特許は、金策のためにイヴォンが売却したという体になっていたのだが実はそうではなく、そうされるのを予見していたエセルが前持ってギルドへ預金しておき、そのような事態になったら売却と見せ掛けてそこから金銭を渡すように依頼していた。
よってそれらは現在もエセル名義であり、だが遺言状によりイヴォンではなく全てシェリーへと相続されることとなっている。
つまり、イヴォンの総資産といってもほぼ残っておらず、逆に莫大な借金が大半どころか全てを占めている有様だった。
もっともこれは書類に目を通せばすぐにでも判ることであり、確認しない方が悪い。
そのための書類であり、それを怠って酷い目にあったとしても、結局は自分が悪いのだから文句など言える筈もないのだ。
「でも、気付いたら絶対に突撃してくるよね。そう簡単には理解出来ないでしょうけど」
独白しながらも自分の荷物を纏め、そして五年前に他界した母エセルの部屋も――片付け始める。
「なんでかな、未だに信じられないんだよね。あのお母さんが死んじゃったって」
だから、今の今まで部屋を片付けることはなかった。
だから、いつでもここで生活出来るように残した。
だから、部屋の掃除やシーツの交換も欠かさなかった。
そして、就寝前には必ず声を掛けた。
――おやすみ、お母さん――と。
でも――それももうお終い。
本当に、本当の意味で、受け入れなければならない。
エセルは――母はもういないのだ。
湧き上がる感情と共に零れ落ちそうになるものを堪え、とりあえず全ての荷物を纏めて箱詰めする。分別して処分するか決めるのは、別邸に移ってからでも出来るから。
店舗に残っている商品は、従業員の希望があれば全て譲った。そもそも廃業したのだから、在庫処分として販売も出来ない。
それがその辺の屋台商とは違い、廃業して商業登録を解除した商会はその時点で販売はしてはいけないのである。
まぁそんな規則を真面目に遵守している商会は意外に少なく、そしてギルド側も見て見ぬふりをするきらいがあった。
だがシェリーは、それをする気は更々なかった。これは色々便宜を図ってくれた商業ギルドへの恩返しと誠意、それになにより、ギルドや組合、そして全ての顧客と最後まで誠実に向き合った、事実上のアップルジャック商会三代目であったエセルのプライドの問題なのだから。
それに、売れないのならば、従業員へ還元すればいい。
ここアップルジャック商会本店の商品は主に食品であり、仕入れ担当の三名――土の妖精族メイ・スコールズ、ヒト種のシャーロット・エフィンジャー、そして鬼人族のレスリー・レンズリーの、通称〝姦しい三人娘〟が各地を飛び回って食べまく――じゃなくてその舌で厳選して契約した商品を、薄利多売している。
ぶっちゃけ食品関連での儲けはそれほどではないし、仕入れも結構大変なのだが、こればかりは妥協出来ない。
何故そこまでしていたのか――その理由は、至ってシンプルで、そして誰しも納得出来るものだ。
従業員全員が、美味しいものを食べたいから!
実は仕入れた食材の三割程度は、従業員達が自費で購入していた。然も社員割引は一切なく、割引しようかとエセルが提案しても、
「それはこの食材に関わった全ての人達に対する冒涜だ!」
と言って聞かなかった。
その判断は立派だが、商人としてはどうなのだろうかとエセルはちょっと悩み、そしてシェリーも理解に苦しんだという。
そんな食材に並々ならぬ拘りを持っているアップルジャック商会では、痛み易い食材はエセルが開発した〝冷却箱〟を使い、更に輸送費は若干嵩むが蒸気機関車を利用して遠くの海産物も新鮮なまま仕入れていた。
因みに〝冷却箱〟は特許取得済みであり、このストラスアイラ王国のみならず他国でも爆発的に売れ捲っている。
ただし特許の有効期間は一五年。それが開発されたのがシェリーが生まれる前であったため、もうすぐ期限切れとなる。
もっとも一五年も経てばそれなりに改良されているため、それでの儲けは今では無いに等しいが。
余談だが、この〝冷却箱〟の特許申請でエセルが王都へ行くときに護衛したのが、当時一六歳であったアイザックをリーダーとした冒険者パーティ〝無銘〟であった。
メンバーは前衛アイザックと、その恋人で無手の前衛エイリーン、斥候のリー、そして盾を持たないがやたらと硬い盾役のJJという、ガチガチ脳筋で頭脳労働完全無視な、とりあえず突撃して粉砕するとんでもないパーティだったらしい。
そしてパーティ名の由来は、考えるのが面倒だから無銘でいいじゃん、という脱力する発想だった。
仕方なく、護衛依頼をしたエセルが何故か後衛と状況判断をした上での指揮をしていたようである。
申請が終わって特許が通った帰路で軽く祝宴をして、泥酔したアイザックをエセルが介抱したのは良い(?)思い出だと、エセルがなにかの拍子に何故か遠くを見ながら独白していた。
「片付けは大体終わったわね? 荷物は『輸送屋』さんに任せて一旦郊外のジャック・ブランデー醸造所まで運んで貰うわよ。じゃあ、『移築屋』さんお願いします!」
そんなシェリーの合図と共に、背は低いが全身ガチムチな岩妖精御一行様が鬨の声を上げ、大工道具を片手に一斉にアップルジャック商会本店に群がり、有り得ない速度で解体し始める。
「あ、ちなみに本日中に移築完了して貰えると、特別ボーナスで私が生まれた年に仕込んだ『シェリー・ジャック・ブランデー』の500リットル大樽を追加報酬で出しちゃいまーす!」
そんな宣言をしちゃうシェリー。
大樽ブランデーの報酬は本当だが、本日中に~とかは無論彼らのやる気とプライドを刺激するための冗談である。
だが――何故かそれを聞いた岩妖精御一行様の目付きがいっぺんにギラギラし始め、更にそのテンションが爆上がりした。
そして何処からそれを聞き付けたのか、依頼人数を遥かに超えて勝手に追加集合するガチムチ岩妖精御一行様。
それにより、物理的に有り得ないだろうとツッコミが入るほどの速度で解体される本店。その様は恰も溶鉱炉に落ちて熔けて行く某一千号機のようだ。
何故そこまで岩妖精が張り切っちゃうかというと、彼らは三度の飯より仕事より、酒を呑むのが好きだから。
最早酒のために仕事を熟していると言ってしまっても過言ではない。
そして性質の悪いことに彼ら岩妖精は、揃いも揃って酒に弱かった。
ストレートのブランデーなら一杯で泥酔して即爆睡し、水割ならば三杯が限界だったりする。
そんな酒に関しては下手の横好きみたいな有様で、だが支出面ではある意味で色々環境に優しい非常にエコな連中なのだが、仕事は的確で丁寧で、それでいて早くて速い。
夕前には全ての解体が終わり、そこから荷馬車を全力稼働させることなんと三〇台のピストン輸送で郊外へ移送し、到着した傍から組み立て始める。
ちなみに最初の見積もりで出していたのは、荷馬車一〇台程度だった。
その意味でも、岩妖精の本気が窺える。
しかも解体が終了する前に移築先へと向かっていた別働隊が、土魔法を使ってベタ基礎とか上下水道などの配管工事を終わらせているという徹底ぶりである。
そんな良い仕事をして、そして幾ら人員が雪ダルマ式に増えようとも、最初の見積もり通りの金額しか出せない。
それはきっと「移築屋」側も判っているだろう――多分、きっと、なんとなく……。
ならば何故そうなったのかというと、それはシェリーが追加報酬として提示した「シェリー・ジャック・ブランデー」のせいだろう。
どれだけそのブランデーが呑みたいのだろうと、若干頭痛を覚えるシェリーだった。
そんなシェリーの頭痛の原因となっていることなど判る筈もなく、士気も勢いも全然衰えないまま作業は続く。
日が暮れると空に光魔法で明かりを灯して視界を確保しながら作業するという徹底ぶり。
夜中の工事は近所迷惑? そんなの関係ねぇ! とでも言わんばかりの勢いである。
そして二〇時――遂に移築作業は終了した。
その瞬間、岩妖精達は勝鬨を挙げ、そんな奇跡のような出来事の一部始終を目の当たりにしたシェリーは、嘆息と共に――
「バカじゃないの!?」
渾身のツッコミを入れたという。
そして言われた岩妖精達は、
『いやぁ~、照れるなぁ』
何故か頬を赤らめモジモジしつつ、揃ってご褒美が欲しい飼い犬のようにシェリーを見詰めた。ガチムチのくせに。
そんな岩妖精達に呆れながら、だが約束は約束であるためそれを果たすべく、醸造所から宣言通りに特大酒樽を運び出す。
「さあ! これが一五年前の品評会で百年に一度と言われた最高品質のリンゴを使って作った『シェリー・ジャック・ブランデー』よ! どうせ廃業して売れないんだから、今日は泥酔するまで呑みなさい! あ、でもだからといってイヴォンみたいに女の子におかしな真似をしたら、××××を××××しちゃうからね!」
そんなシェリーの宣言を聞き、男衆が何故か「キュン!」と内股になる。だが一部のヤツらは、ちょっと嬉しそうにしていたが。
そして始まる大宴会。
場所が民家はほぼない郊外であるため、誰も彼もが遠慮なく大騒ぎしている。
そしてシェリーは――これが最後だと自分に言い聞かせ、頷いた。
――*――*――*――*――*――*――
翌朝、郊外の醸造所前の宴会場跡は死屍累々となっていた。
「判ってたけどね」
案の定というべきか、予想通りの展開に呆れるでもなく、シェリーは倉庫から2メートルはある大鍋を転がして出し、土魔法で竈門を作って薪を焼べる。
そして近所の牧場から夕方のうちに貰っておいた牛乳を、綺麗に洗った大鍋になみなみと注いで温め始めた。
「まったく、この程度の酒で情けない」
そんなことを言いながら、何故かいるヒューがグラスに入った氷をカラカラ鳴らしながら、優雅にロックのブランデーを口に流し込む。
「呑んでも酔わない枠なヒューさんには言われたくないと思うけど?」
「確かに俺は酔えないからな。だが酒が嫌いなわけではないぞ。それにこのロックだってまだ五杯目だ」
そんなことを言われても、それが多いのか少ないのかイマイチ判らないシェリーだった。
だが、大樽の中身が大して減っていないところを見ると、やっぱり消費量は少なかったのだろう。
「ま、俺はニコラスに『酔わないから酒の無駄』と言われたしな。それに嫌いではないからといって呑んでも酔えないなら、確かに酒の無駄だからな。以来量を飲むのはやめている」
うん、どうでも良い。
ヒューが得意げに語っているのを華麗にスルーし、まだ温まっていない牛乳にパン職人渾身の特製フワフワ食パンを千切って放り込む。
そして煮立たないように火を調節しながら、放り込んだそれが煮崩れるまで煮込み、特大スパチュラでよく掻き混ぜで出来上がり。
「えーと、嬢ちゃん、なにを作ってんだ?」
ドヤ顔の得意満面で語るが悉くスルーされてちょっと傷付いたヒューだが、シェリーが作っている物に興味が向かって気持ちを持ち直す。
「ああ、これミルク粥。岩妖精の親方達、どーせ揃いも揃って二日酔いになってるだろうから、これ消化が良くて食べ易いから作ってみた」
本来は離乳食なんだけどね。
肩を竦めて半眼で、やれやれそんなことも知らないのかとでも言いたげにヒューを一瞥するシェリーさん。
もっとも独身で子供は当然いない彼がそんなことを知る筈もなく、そうされるのは些か理不尽であると言わざるを得ない。
それはそうと、何故シェリーがミルク粥の作り方などという大抵の母親も知らないであろうレシピを知っているのか。それは以前子供の離乳食に関して相談されたことがあり、エセルのレシピ集を引っ繰り返して調べて教えたことがあったからだ。
ちなみに相談者は、トレヴァーだったりする。
その後シェリーの予想を一切裏切らずに二日酔いになっている岩妖精達へそのミルク粥を振る舞い、更に駆け付けた、調理部門を取り仕切っていたアップルジャック商会が誇るパートタイマー主婦連合が、食材倉庫を空にする勢いで料理をし始めてしまう。
宴会は三日三晩続き、入れ替わり立ち替わり商会に縁のあった顧客や商会の関係者達が訪れ、廃業を惜しみながらも振る舞われたリンゴ酒に舌鼓を打った。
そして四日目の朝、昨夜のうちに訪れてくれた皆は、御贈答用の手土産――リンゴ酒やらシードルやらスパークリング・シードルやらアップルジュースやらアップル・サイダーやらの詰め合わせ――を持参して帰宅したのだが、
「……なんでまだいるのよ……」
二日酔い(?)でぶっ倒れている、気のせいか更に人数が増えている岩妖精御一行様のためのミルク粥を掻き混ぜながら、シェリーはひとりごねていた。
「まぁ、酒のあるところに集まるのは岩妖精の習性みたいなもんだからねー」
「お黙り!」
何故かまだいるヒューの一言に、渾身のツッコミを入れるシェリーだった。
まず彼女がしたことは、手放したイヴォン名義の資産とエセルから相続されたシェリー・アップルジャック名義の資産を完全に分けて持ち去る作業だった。
そう、アップルジャック商会にはイヴォン名義の資産とエセル名義の資産の二つがあり、グレンカダムにある本店と住居はエセル名義で、それと併設されている、イヴォンの言う通りに現在は安酒しか作っていない酒蔵は、イヴォン名義である。
更に、商業ギルドに提出していたエセル名義の特許は、金策のためにイヴォンが売却したという体になっていたのだが実はそうではなく、そうされるのを予見していたエセルが前持ってギルドへ預金しておき、そのような事態になったら売却と見せ掛けてそこから金銭を渡すように依頼していた。
よってそれらは現在もエセル名義であり、だが遺言状によりイヴォンではなく全てシェリーへと相続されることとなっている。
つまり、イヴォンの総資産といってもほぼ残っておらず、逆に莫大な借金が大半どころか全てを占めている有様だった。
もっともこれは書類に目を通せばすぐにでも判ることであり、確認しない方が悪い。
そのための書類であり、それを怠って酷い目にあったとしても、結局は自分が悪いのだから文句など言える筈もないのだ。
「でも、気付いたら絶対に突撃してくるよね。そう簡単には理解出来ないでしょうけど」
独白しながらも自分の荷物を纏め、そして五年前に他界した母エセルの部屋も――片付け始める。
「なんでかな、未だに信じられないんだよね。あのお母さんが死んじゃったって」
だから、今の今まで部屋を片付けることはなかった。
だから、いつでもここで生活出来るように残した。
だから、部屋の掃除やシーツの交換も欠かさなかった。
そして、就寝前には必ず声を掛けた。
――おやすみ、お母さん――と。
でも――それももうお終い。
本当に、本当の意味で、受け入れなければならない。
エセルは――母はもういないのだ。
湧き上がる感情と共に零れ落ちそうになるものを堪え、とりあえず全ての荷物を纏めて箱詰めする。分別して処分するか決めるのは、別邸に移ってからでも出来るから。
店舗に残っている商品は、従業員の希望があれば全て譲った。そもそも廃業したのだから、在庫処分として販売も出来ない。
それがその辺の屋台商とは違い、廃業して商業登録を解除した商会はその時点で販売はしてはいけないのである。
まぁそんな規則を真面目に遵守している商会は意外に少なく、そしてギルド側も見て見ぬふりをするきらいがあった。
だがシェリーは、それをする気は更々なかった。これは色々便宜を図ってくれた商業ギルドへの恩返しと誠意、それになにより、ギルドや組合、そして全ての顧客と最後まで誠実に向き合った、事実上のアップルジャック商会三代目であったエセルのプライドの問題なのだから。
それに、売れないのならば、従業員へ還元すればいい。
ここアップルジャック商会本店の商品は主に食品であり、仕入れ担当の三名――土の妖精族メイ・スコールズ、ヒト種のシャーロット・エフィンジャー、そして鬼人族のレスリー・レンズリーの、通称〝姦しい三人娘〟が各地を飛び回って食べまく――じゃなくてその舌で厳選して契約した商品を、薄利多売している。
ぶっちゃけ食品関連での儲けはそれほどではないし、仕入れも結構大変なのだが、こればかりは妥協出来ない。
何故そこまでしていたのか――その理由は、至ってシンプルで、そして誰しも納得出来るものだ。
従業員全員が、美味しいものを食べたいから!
実は仕入れた食材の三割程度は、従業員達が自費で購入していた。然も社員割引は一切なく、割引しようかとエセルが提案しても、
「それはこの食材に関わった全ての人達に対する冒涜だ!」
と言って聞かなかった。
その判断は立派だが、商人としてはどうなのだろうかとエセルはちょっと悩み、そしてシェリーも理解に苦しんだという。
そんな食材に並々ならぬ拘りを持っているアップルジャック商会では、痛み易い食材はエセルが開発した〝冷却箱〟を使い、更に輸送費は若干嵩むが蒸気機関車を利用して遠くの海産物も新鮮なまま仕入れていた。
因みに〝冷却箱〟は特許取得済みであり、このストラスアイラ王国のみならず他国でも爆発的に売れ捲っている。
ただし特許の有効期間は一五年。それが開発されたのがシェリーが生まれる前であったため、もうすぐ期限切れとなる。
もっとも一五年も経てばそれなりに改良されているため、それでの儲けは今では無いに等しいが。
余談だが、この〝冷却箱〟の特許申請でエセルが王都へ行くときに護衛したのが、当時一六歳であったアイザックをリーダーとした冒険者パーティ〝無銘〟であった。
メンバーは前衛アイザックと、その恋人で無手の前衛エイリーン、斥候のリー、そして盾を持たないがやたらと硬い盾役のJJという、ガチガチ脳筋で頭脳労働完全無視な、とりあえず突撃して粉砕するとんでもないパーティだったらしい。
そしてパーティ名の由来は、考えるのが面倒だから無銘でいいじゃん、という脱力する発想だった。
仕方なく、護衛依頼をしたエセルが何故か後衛と状況判断をした上での指揮をしていたようである。
申請が終わって特許が通った帰路で軽く祝宴をして、泥酔したアイザックをエセルが介抱したのは良い(?)思い出だと、エセルがなにかの拍子に何故か遠くを見ながら独白していた。
「片付けは大体終わったわね? 荷物は『輸送屋』さんに任せて一旦郊外のジャック・ブランデー醸造所まで運んで貰うわよ。じゃあ、『移築屋』さんお願いします!」
そんなシェリーの合図と共に、背は低いが全身ガチムチな岩妖精御一行様が鬨の声を上げ、大工道具を片手に一斉にアップルジャック商会本店に群がり、有り得ない速度で解体し始める。
「あ、ちなみに本日中に移築完了して貰えると、特別ボーナスで私が生まれた年に仕込んだ『シェリー・ジャック・ブランデー』の500リットル大樽を追加報酬で出しちゃいまーす!」
そんな宣言をしちゃうシェリー。
大樽ブランデーの報酬は本当だが、本日中に~とかは無論彼らのやる気とプライドを刺激するための冗談である。
だが――何故かそれを聞いた岩妖精御一行様の目付きがいっぺんにギラギラし始め、更にそのテンションが爆上がりした。
そして何処からそれを聞き付けたのか、依頼人数を遥かに超えて勝手に追加集合するガチムチ岩妖精御一行様。
それにより、物理的に有り得ないだろうとツッコミが入るほどの速度で解体される本店。その様は恰も溶鉱炉に落ちて熔けて行く某一千号機のようだ。
何故そこまで岩妖精が張り切っちゃうかというと、彼らは三度の飯より仕事より、酒を呑むのが好きだから。
最早酒のために仕事を熟していると言ってしまっても過言ではない。
そして性質の悪いことに彼ら岩妖精は、揃いも揃って酒に弱かった。
ストレートのブランデーなら一杯で泥酔して即爆睡し、水割ならば三杯が限界だったりする。
そんな酒に関しては下手の横好きみたいな有様で、だが支出面ではある意味で色々環境に優しい非常にエコな連中なのだが、仕事は的確で丁寧で、それでいて早くて速い。
夕前には全ての解体が終わり、そこから荷馬車を全力稼働させることなんと三〇台のピストン輸送で郊外へ移送し、到着した傍から組み立て始める。
ちなみに最初の見積もりで出していたのは、荷馬車一〇台程度だった。
その意味でも、岩妖精の本気が窺える。
しかも解体が終了する前に移築先へと向かっていた別働隊が、土魔法を使ってベタ基礎とか上下水道などの配管工事を終わらせているという徹底ぶりである。
そんな良い仕事をして、そして幾ら人員が雪ダルマ式に増えようとも、最初の見積もり通りの金額しか出せない。
それはきっと「移築屋」側も判っているだろう――多分、きっと、なんとなく……。
ならば何故そうなったのかというと、それはシェリーが追加報酬として提示した「シェリー・ジャック・ブランデー」のせいだろう。
どれだけそのブランデーが呑みたいのだろうと、若干頭痛を覚えるシェリーだった。
そんなシェリーの頭痛の原因となっていることなど判る筈もなく、士気も勢いも全然衰えないまま作業は続く。
日が暮れると空に光魔法で明かりを灯して視界を確保しながら作業するという徹底ぶり。
夜中の工事は近所迷惑? そんなの関係ねぇ! とでも言わんばかりの勢いである。
そして二〇時――遂に移築作業は終了した。
その瞬間、岩妖精達は勝鬨を挙げ、そんな奇跡のような出来事の一部始終を目の当たりにしたシェリーは、嘆息と共に――
「バカじゃないの!?」
渾身のツッコミを入れたという。
そして言われた岩妖精達は、
『いやぁ~、照れるなぁ』
何故か頬を赤らめモジモジしつつ、揃ってご褒美が欲しい飼い犬のようにシェリーを見詰めた。ガチムチのくせに。
そんな岩妖精達に呆れながら、だが約束は約束であるためそれを果たすべく、醸造所から宣言通りに特大酒樽を運び出す。
「さあ! これが一五年前の品評会で百年に一度と言われた最高品質のリンゴを使って作った『シェリー・ジャック・ブランデー』よ! どうせ廃業して売れないんだから、今日は泥酔するまで呑みなさい! あ、でもだからといってイヴォンみたいに女の子におかしな真似をしたら、××××を××××しちゃうからね!」
そんなシェリーの宣言を聞き、男衆が何故か「キュン!」と内股になる。だが一部のヤツらは、ちょっと嬉しそうにしていたが。
そして始まる大宴会。
場所が民家はほぼない郊外であるため、誰も彼もが遠慮なく大騒ぎしている。
そしてシェリーは――これが最後だと自分に言い聞かせ、頷いた。
――*――*――*――*――*――*――
翌朝、郊外の醸造所前の宴会場跡は死屍累々となっていた。
「判ってたけどね」
案の定というべきか、予想通りの展開に呆れるでもなく、シェリーは倉庫から2メートルはある大鍋を転がして出し、土魔法で竈門を作って薪を焼べる。
そして近所の牧場から夕方のうちに貰っておいた牛乳を、綺麗に洗った大鍋になみなみと注いで温め始めた。
「まったく、この程度の酒で情けない」
そんなことを言いながら、何故かいるヒューがグラスに入った氷をカラカラ鳴らしながら、優雅にロックのブランデーを口に流し込む。
「呑んでも酔わない枠なヒューさんには言われたくないと思うけど?」
「確かに俺は酔えないからな。だが酒が嫌いなわけではないぞ。それにこのロックだってまだ五杯目だ」
そんなことを言われても、それが多いのか少ないのかイマイチ判らないシェリーだった。
だが、大樽の中身が大して減っていないところを見ると、やっぱり消費量は少なかったのだろう。
「ま、俺はニコラスに『酔わないから酒の無駄』と言われたしな。それに嫌いではないからといって呑んでも酔えないなら、確かに酒の無駄だからな。以来量を飲むのはやめている」
うん、どうでも良い。
ヒューが得意げに語っているのを華麗にスルーし、まだ温まっていない牛乳にパン職人渾身の特製フワフワ食パンを千切って放り込む。
そして煮立たないように火を調節しながら、放り込んだそれが煮崩れるまで煮込み、特大スパチュラでよく掻き混ぜで出来上がり。
「えーと、嬢ちゃん、なにを作ってんだ?」
ドヤ顔の得意満面で語るが悉くスルーされてちょっと傷付いたヒューだが、シェリーが作っている物に興味が向かって気持ちを持ち直す。
「ああ、これミルク粥。岩妖精の親方達、どーせ揃いも揃って二日酔いになってるだろうから、これ消化が良くて食べ易いから作ってみた」
本来は離乳食なんだけどね。
肩を竦めて半眼で、やれやれそんなことも知らないのかとでも言いたげにヒューを一瞥するシェリーさん。
もっとも独身で子供は当然いない彼がそんなことを知る筈もなく、そうされるのは些か理不尽であると言わざるを得ない。
それはそうと、何故シェリーがミルク粥の作り方などという大抵の母親も知らないであろうレシピを知っているのか。それは以前子供の離乳食に関して相談されたことがあり、エセルのレシピ集を引っ繰り返して調べて教えたことがあったからだ。
ちなみに相談者は、トレヴァーだったりする。
その後シェリーの予想を一切裏切らずに二日酔いになっている岩妖精達へそのミルク粥を振る舞い、更に駆け付けた、調理部門を取り仕切っていたアップルジャック商会が誇るパートタイマー主婦連合が、食材倉庫を空にする勢いで料理をし始めてしまう。
宴会は三日三晩続き、入れ替わり立ち替わり商会に縁のあった顧客や商会の関係者達が訪れ、廃業を惜しみながらも振る舞われたリンゴ酒に舌鼓を打った。
そして四日目の朝、昨夜のうちに訪れてくれた皆は、御贈答用の手土産――リンゴ酒やらシードルやらスパークリング・シードルやらアップルジュースやらアップル・サイダーやらの詰め合わせ――を持参して帰宅したのだが、
「……なんでまだいるのよ……」
二日酔い(?)でぶっ倒れている、気のせいか更に人数が増えている岩妖精御一行様のためのミルク粥を掻き混ぜながら、シェリーはひとりごねていた。
「まぁ、酒のあるところに集まるのは岩妖精の習性みたいなもんだからねー」
「お黙り!」
何故かまだいるヒューの一言に、渾身のツッコミを入れるシェリーだった。