薄いカーテン越しに朝日が差し込み、シェリーは目を覚ました。
時計を見ると時針が「6」を指しており、いつも通りの目覚めといえよう。
まだ完全に醒めない体を伸ばし、二階の窓のカーテン越しに窺える商業都市グレンカダムの街並みと、更にその先の彼方にあるディーンストン山脈をボーッと眺め、大きな欠伸をしつつベッドから降りる。
そしてチェストから伸縮性のあるレギンスと、続けてクローゼットから赤のエプロンドレスを取り出して手早く着る。その頃には、もう完全に眠気は醒めていた。
部屋を後にし、対角線上の端にある父親の部屋へ向かう。
何故そのような配置にしているかというと、父親のイヴォンは大変お盛んな男であり、愛人である受付嬢のエイリーンと日々励んでいるからだ。
一四歳の娘にとって大変情操教育によろしくないが、母親であるエセルが他界してから五年経つし、それは仕方のないことだと自身に言い聞かせることに決めている。
それがまだ五年かもう五年かは、意見が分かれるところだろう。
当たり前に、シェリーにとってはまだ五年である。だがどうやらイヴォンにとっては違うらしい。
そんなことを回顧していたら、刹那的に鈍い器で殴ってやりたい衝動に駆られるが、其処は我慢し飲み込んだ。
一時のそういう快楽に身を任せて身を滅ぼすほど莫迦でも愚か者でもないし、なによりそんな快楽殺人者にはなりたくない。
あんな莫迦――じゃなくて屑――でもなく……いや、微妙に正解なんだろうが、とにかくあんな親の所為で手を汚すのは御免だ。
「お父さーん、もう朝だよー」
娘のそんな悩みなど一切知らないし理由すら理解不能であろう父親を起こすべく、大きな声でそう言いながら、三回ノックをする。イヴォンの部屋を朝に訪ねるときは、特に気を使うからだ。
別に躾が厳しいからではない。逆にシェリーがだらしない父親を躾けているくらいだから。
問題は、父親イヴォンの素行にある。
以前なにも考えずに「ドバーン!」と開けて、
「おはよう!」
と言ったところ、ユウベハ、オタノシミデシタネ状態だった。
即閉めてから、取り敢えず閂を掛けて半日ほど出られないようにしたが。
その後そんな仕打ちをされたお相手のエイリーンさんが、瞳を消失させた効果線付きの顔で「シェリー、恐ろしい子!」と言ったとか言わなかったとか。
そのときのことを今更どうこう言うつもりはない。そもそもエセルも諦めていたのか、一人娘のシェリーが生まれてからイヴォンと同衾する気は一切なかったらしく、部屋はシェリーの隣であった。
エセル曰く、「ヘタクソ」だったそうな。まだオコチャマなシェリーには、よくわかんにゃかった、そうな。
そんなどうでも良いことを思い出し、更にトイレ以外のノックは三回だとエセルから言われたことを、何故か今更思い出す。
ノックをして数秒。反応は無い。
まだ寝てる? そう訝しんでもう一度ノックをするが、結果は一緒だった。
だから思い切ってドアを開けると、其処には誰もいなかった。ただやっぱり「ユウベハ、オタノシミデシタネ」とベッドが訴えていたが。
随分早いな、珍しい。
色々突っ込みどころはあるが全て無視して見なかったことにして、そんなことを考えながら階下に降りて顔を洗ったり髪を梳かしたり、そして軽く朝食を摂って食器を片付けたりする。
朝食の途中で住居に併設されている店舗がなにやら騒がしくなっていたが、きっとイヴォンがなにかをしているのだろうと気にも留めなかった。
身支度を整え、白金色の髪を結い上げて鏡を覗き込む。
母親譲りの、光の加減で色が変わる翠瞳で其処に映る自身を見詰め、そして一度笑顔を作り、店舗――アップルジャック商会本店へと足を踏み入れる。
騒がしいのは仕入れか棚卸をしているのかと思ったシェリーだが、その予想は悉く裏切られた。
店舗では、従業員が並んでいる商品を片付け、商品棚を空にしている。
そう、まるで店仕舞いをしているかのように。
「え~と……なにをしているのかしら?」
呆然としたまま、傍にいる従業員を捕まえて訊く。するとその従業員は盛大に驚き、
「お嬢! なんで此処にいるんですか!?」
その声に、残りの従業員が一斉にシェリーへと顔を向ける。そんな大声を出されれば当たり前に驚くし、一斉に目を向けられれば更に驚くのは当然で、シェリーもその例に漏れずにそうなった。
「え? なんでって、普通に起きて来ただけだけど……」
「はぁ!?」
そしてお互いに動きが止まる。
戸惑いまくって固まる従業員を他所に、いち早く再起動を果たしたシェリーが、小首を傾げて訊いた。まぁどうせロクデナシな親父殿が碌でもないことを始めたんだろうと思っているが。
「それで、コレってなにを始めるの?」
何の気なしに、素朴な疑問を口にする。それに対して従業員達は、
「はぁ!?」
またしてもそんなことを言いながら固まってしまう。
「いや、それはもう良いから。コレはなんの騒ぎなの?」
半眼で溜息を吐き、両手を腰に当てて再度訊く。従業員は戸惑うばかりだ。
「なんの騒ぎって……お嬢、旦那から聞いてないんですかい?」
「なにを? もしかしてウチのロクデナシ親父、エイリーンさんに捨てられた? それとも別の娘に手を出しちゃった?」
「……お嬢……」
シェリーは現在一四歳。だがロクデナシ親父の所為で達観しているにも程がある。従業員達は一様にそう考え、そっと涙を拭ったとか拭わなかったとか。
それはともかく。
事態を全く把握していないシェリーに、なんと説明したものかと戸惑い捲る従業員。だがそのまま説明しないわけにもいかず、代表で店長が、物凄く言い辛そうに口を開く。
「実は昨夜、会長がウチに来ましてね、商会を畳むって言い出したんですよ」
「は?」
今度はシェリーが絶句する番だ。
「いや、『商会が巧く回らないから、これ以上は借金が増えるだけだからもう畳む。あとは任せる』って言い捨てて何処か行ってしまったんですよ。というかお嬢、本当に聞いてないんですか?」
「聞いてないわよ! というか借金ってそんなのあったの!? 私全然知らなかったんだけど!」
「いやそれはきっとお嬢に心配させないようにって……」
「いいえ、それは絶対に違うわ! あのロクデナシはきっと『怒られるのイヤー』とかクソくっだらない理由で言わなかったのよ! そうに違いないわ!」
「お嬢……」
的確に自身の父親の素行を見抜いて言い切るシェリー。そしてその可能性は否定出来ないばかりか、十中八九その通りだと思う従業員達。シェリーへ同情し、そっと零れる涙を拭う。
「店を畳むって言い捨てて行った、ですって! なのに『ユウベハ、オタノシミデシタネ』出来る余裕が良くぞあったわねあの宿六!」
「え? どういうことですかお嬢?」
「どうもこうもないわよ! 私昨日の夕方に異臭を放つ謎物質がいっぱい付いているシーツを洗濯機で五回洗ってから卸したてのシーツでベッドメークしたのよ! なのに朝になったら『ユウベハ、オタノシミデシタネ』状態になってたのよ!」
家事が出来ない父親の代わりに娘がそれを担うのは良くある話だが、そんな「ユウベハ(以下略)」なシーツまで洗わせるとは!
なんというロクデナシぶりであろうか! 従業員一同、滂沱の涙が止まらない。
「でもこの際それはどうでも良いわ! 問題は、どうして私に一言もなく夜逃げしやがったのかってことよ! 然も借金まで作って! なんでそうなる前に私に会長を譲らなかったのよあのバカ親父! そうしたら自重なしで盛り返してやったのに!」
ズバッと言い切るシェリー。本来であったならば子供の戯事と一笑に付すのだが、相手は妊婦でありながらも僅か半年で商会の純利益を倍以上にしてのけたエセルの愛娘である。誰もそれが戯事や大言壮語ではないと知っていた。
そしてそのエセルが他界したときも、僅か九歳にして慌てふためくバカお……じゃなく父親を一喝し、従業員を纏め上げて混乱を鎮めたのは誰であろうシェリーだ。
あのときは「お母さんがやっていたのを見ていたから」と言っていたが、そんなことで騙されるのはロクデナシお……じゃなくイヴォンだけだ。
従業員一同はエセルを超える逸材だと期待に満ちた視線を向け、そしてエイリーンさんは、やっぱり顔に効果線が引かれて瞳が消失した眼で「シェリー、怖ろしい子!」とまた言っていたそうな。
関係ないが、シェリーはエイリーンを嫌ってはいない。寧ろ仕事仲間として気に入っているくらいだ。イヴォンが真面目にエイリーンと所帯を持つと言ったら祝福するし、望むなら「お母さん」と呼んでも良いとすら思っていた。
だが当のイヴォンは移り気で浮気症な莫迦であるため、エイリーンは身体だけの相手と割り切っている節があった。
そう――エイリーンさんは、エッチな女性だったのである。
「それで、借金ってどれくらいあるの?」
言うだけ言ってスッキリしたのか、それとも今更そんなことを言っても仕方がないと割り切ったのか――多分両方だろうが――シェリーは店長に聞いた。
店長は帳簿を捲りながら言い辛そうに、僅かな間だけだが窒息し掛けた淡水魚のように口元を歪め、やがて意を決したように言った。
――大金貨三枚、と。
時計を見ると時針が「6」を指しており、いつも通りの目覚めといえよう。
まだ完全に醒めない体を伸ばし、二階の窓のカーテン越しに窺える商業都市グレンカダムの街並みと、更にその先の彼方にあるディーンストン山脈をボーッと眺め、大きな欠伸をしつつベッドから降りる。
そしてチェストから伸縮性のあるレギンスと、続けてクローゼットから赤のエプロンドレスを取り出して手早く着る。その頃には、もう完全に眠気は醒めていた。
部屋を後にし、対角線上の端にある父親の部屋へ向かう。
何故そのような配置にしているかというと、父親のイヴォンは大変お盛んな男であり、愛人である受付嬢のエイリーンと日々励んでいるからだ。
一四歳の娘にとって大変情操教育によろしくないが、母親であるエセルが他界してから五年経つし、それは仕方のないことだと自身に言い聞かせることに決めている。
それがまだ五年かもう五年かは、意見が分かれるところだろう。
当たり前に、シェリーにとってはまだ五年である。だがどうやらイヴォンにとっては違うらしい。
そんなことを回顧していたら、刹那的に鈍い器で殴ってやりたい衝動に駆られるが、其処は我慢し飲み込んだ。
一時のそういう快楽に身を任せて身を滅ぼすほど莫迦でも愚か者でもないし、なによりそんな快楽殺人者にはなりたくない。
あんな莫迦――じゃなくて屑――でもなく……いや、微妙に正解なんだろうが、とにかくあんな親の所為で手を汚すのは御免だ。
「お父さーん、もう朝だよー」
娘のそんな悩みなど一切知らないし理由すら理解不能であろう父親を起こすべく、大きな声でそう言いながら、三回ノックをする。イヴォンの部屋を朝に訪ねるときは、特に気を使うからだ。
別に躾が厳しいからではない。逆にシェリーがだらしない父親を躾けているくらいだから。
問題は、父親イヴォンの素行にある。
以前なにも考えずに「ドバーン!」と開けて、
「おはよう!」
と言ったところ、ユウベハ、オタノシミデシタネ状態だった。
即閉めてから、取り敢えず閂を掛けて半日ほど出られないようにしたが。
その後そんな仕打ちをされたお相手のエイリーンさんが、瞳を消失させた効果線付きの顔で「シェリー、恐ろしい子!」と言ったとか言わなかったとか。
そのときのことを今更どうこう言うつもりはない。そもそもエセルも諦めていたのか、一人娘のシェリーが生まれてからイヴォンと同衾する気は一切なかったらしく、部屋はシェリーの隣であった。
エセル曰く、「ヘタクソ」だったそうな。まだオコチャマなシェリーには、よくわかんにゃかった、そうな。
そんなどうでも良いことを思い出し、更にトイレ以外のノックは三回だとエセルから言われたことを、何故か今更思い出す。
ノックをして数秒。反応は無い。
まだ寝てる? そう訝しんでもう一度ノックをするが、結果は一緒だった。
だから思い切ってドアを開けると、其処には誰もいなかった。ただやっぱり「ユウベハ、オタノシミデシタネ」とベッドが訴えていたが。
随分早いな、珍しい。
色々突っ込みどころはあるが全て無視して見なかったことにして、そんなことを考えながら階下に降りて顔を洗ったり髪を梳かしたり、そして軽く朝食を摂って食器を片付けたりする。
朝食の途中で住居に併設されている店舗がなにやら騒がしくなっていたが、きっとイヴォンがなにかをしているのだろうと気にも留めなかった。
身支度を整え、白金色の髪を結い上げて鏡を覗き込む。
母親譲りの、光の加減で色が変わる翠瞳で其処に映る自身を見詰め、そして一度笑顔を作り、店舗――アップルジャック商会本店へと足を踏み入れる。
騒がしいのは仕入れか棚卸をしているのかと思ったシェリーだが、その予想は悉く裏切られた。
店舗では、従業員が並んでいる商品を片付け、商品棚を空にしている。
そう、まるで店仕舞いをしているかのように。
「え~と……なにをしているのかしら?」
呆然としたまま、傍にいる従業員を捕まえて訊く。するとその従業員は盛大に驚き、
「お嬢! なんで此処にいるんですか!?」
その声に、残りの従業員が一斉にシェリーへと顔を向ける。そんな大声を出されれば当たり前に驚くし、一斉に目を向けられれば更に驚くのは当然で、シェリーもその例に漏れずにそうなった。
「え? なんでって、普通に起きて来ただけだけど……」
「はぁ!?」
そしてお互いに動きが止まる。
戸惑いまくって固まる従業員を他所に、いち早く再起動を果たしたシェリーが、小首を傾げて訊いた。まぁどうせロクデナシな親父殿が碌でもないことを始めたんだろうと思っているが。
「それで、コレってなにを始めるの?」
何の気なしに、素朴な疑問を口にする。それに対して従業員達は、
「はぁ!?」
またしてもそんなことを言いながら固まってしまう。
「いや、それはもう良いから。コレはなんの騒ぎなの?」
半眼で溜息を吐き、両手を腰に当てて再度訊く。従業員は戸惑うばかりだ。
「なんの騒ぎって……お嬢、旦那から聞いてないんですかい?」
「なにを? もしかしてウチのロクデナシ親父、エイリーンさんに捨てられた? それとも別の娘に手を出しちゃった?」
「……お嬢……」
シェリーは現在一四歳。だがロクデナシ親父の所為で達観しているにも程がある。従業員達は一様にそう考え、そっと涙を拭ったとか拭わなかったとか。
それはともかく。
事態を全く把握していないシェリーに、なんと説明したものかと戸惑い捲る従業員。だがそのまま説明しないわけにもいかず、代表で店長が、物凄く言い辛そうに口を開く。
「実は昨夜、会長がウチに来ましてね、商会を畳むって言い出したんですよ」
「は?」
今度はシェリーが絶句する番だ。
「いや、『商会が巧く回らないから、これ以上は借金が増えるだけだからもう畳む。あとは任せる』って言い捨てて何処か行ってしまったんですよ。というかお嬢、本当に聞いてないんですか?」
「聞いてないわよ! というか借金ってそんなのあったの!? 私全然知らなかったんだけど!」
「いやそれはきっとお嬢に心配させないようにって……」
「いいえ、それは絶対に違うわ! あのロクデナシはきっと『怒られるのイヤー』とかクソくっだらない理由で言わなかったのよ! そうに違いないわ!」
「お嬢……」
的確に自身の父親の素行を見抜いて言い切るシェリー。そしてその可能性は否定出来ないばかりか、十中八九その通りだと思う従業員達。シェリーへ同情し、そっと零れる涙を拭う。
「店を畳むって言い捨てて行った、ですって! なのに『ユウベハ、オタノシミデシタネ』出来る余裕が良くぞあったわねあの宿六!」
「え? どういうことですかお嬢?」
「どうもこうもないわよ! 私昨日の夕方に異臭を放つ謎物質がいっぱい付いているシーツを洗濯機で五回洗ってから卸したてのシーツでベッドメークしたのよ! なのに朝になったら『ユウベハ、オタノシミデシタネ』状態になってたのよ!」
家事が出来ない父親の代わりに娘がそれを担うのは良くある話だが、そんな「ユウベハ(以下略)」なシーツまで洗わせるとは!
なんというロクデナシぶりであろうか! 従業員一同、滂沱の涙が止まらない。
「でもこの際それはどうでも良いわ! 問題は、どうして私に一言もなく夜逃げしやがったのかってことよ! 然も借金まで作って! なんでそうなる前に私に会長を譲らなかったのよあのバカ親父! そうしたら自重なしで盛り返してやったのに!」
ズバッと言い切るシェリー。本来であったならば子供の戯事と一笑に付すのだが、相手は妊婦でありながらも僅か半年で商会の純利益を倍以上にしてのけたエセルの愛娘である。誰もそれが戯事や大言壮語ではないと知っていた。
そしてそのエセルが他界したときも、僅か九歳にして慌てふためくバカお……じゃなく父親を一喝し、従業員を纏め上げて混乱を鎮めたのは誰であろうシェリーだ。
あのときは「お母さんがやっていたのを見ていたから」と言っていたが、そんなことで騙されるのはロクデナシお……じゃなくイヴォンだけだ。
従業員一同はエセルを超える逸材だと期待に満ちた視線を向け、そしてエイリーンさんは、やっぱり顔に効果線が引かれて瞳が消失した眼で「シェリー、怖ろしい子!」とまた言っていたそうな。
関係ないが、シェリーはエイリーンを嫌ってはいない。寧ろ仕事仲間として気に入っているくらいだ。イヴォンが真面目にエイリーンと所帯を持つと言ったら祝福するし、望むなら「お母さん」と呼んでも良いとすら思っていた。
だが当のイヴォンは移り気で浮気症な莫迦であるため、エイリーンは身体だけの相手と割り切っている節があった。
そう――エイリーンさんは、エッチな女性だったのである。
「それで、借金ってどれくらいあるの?」
言うだけ言ってスッキリしたのか、それとも今更そんなことを言っても仕方がないと割り切ったのか――多分両方だろうが――シェリーは店長に聞いた。
店長は帳簿を捲りながら言い辛そうに、僅かな間だけだが窒息し掛けた淡水魚のように口元を歪め、やがて意を決したように言った。
――大金貨三枚、と。