「ははっ、あんまり早くて驚いたか? 俺ん家すぐそこなんだよ」

「そうだったんですね」

なんという偶然だろうか。
運がよかったなと笑う先輩につられて、私も笑みをこぼす。
今日の先輩は黒を基調とした、ちょっとロックな格好をしていた。
ショートのウィッグは休日用なのか、さすがに学校にはつけてこられないような目の覚めるハイトーンベージュで、これがまた今日の服装によく似合っている。

「そっか、今日は麻生のコンクールだって言ってたな」

「はい。すみません、お休みの日なのに呼び出したりして」

「構わねーよ。いつもは俺が礼を振り回してるんだから、たまにはこんなことがあってもいいだろ?」

「ありがとうございます……!」

先輩の優しさに、胸がじんと熱くなる。
やっぱり彼は世界で一番かわいくてかっこよくて頼りになる人だ。
そう一人で感極まっていると、私の背後でじっと座っていた和奏を確認した先輩は、ぐるりと回り込んで彼女の正面に立った。

「おーおー、珍しく弱気な顔してんじゃねーか」

和奏の顔を覗き込んだ先輩は、打って変わって挑発するような言葉を彼女に投げかけた。
その様子を見て、ヒッと肩が跳ねる。
今日の和奏は本調子ではない。
いつもの応酬をする力なんてあるはずもなく、今の状態ではいたずらに心が傷ついてしまうと、すかさずフォローを入れようとした瞬間。

「何よ、笑いにきたの?」

和奏は睨むように視線を上げ、強気な口調で言い返した。
そこにいつもの和奏の片鱗が見えて、言いかけた言葉を呑む。
そんな私に対し、先輩は余裕な表情でニヤリと口角を上げた。
そうか、今のこの状況をすかさず理解した先輩は、わざと和奏を試したのだ。
そして見事、和奏はそれに応えた。
大丈夫、彼女の中にはまだ立ち直る力がある。

「礼がそんなことのために俺を呼ぶわけねーだろ? 魔法をかけにきたんだよ」

「魔法……?」

「先輩の力は和奏も知ってるでしょう? だから大丈夫だよ」

先輩の魔法は姿を美しくするだけではない。
心まで強くしてくれるのだ。
きっと和奏も、舞台に上がるだけの力を取り戻せる。

「事情はだいたい分かった。出番まではどれくらいだ?」

「あと1時間半くらいです」

「あんまし余裕はねーな。とりあえず俺ん家に行くぞ」

「はい。お願いします……!」

にぎやかな公園を後にした私たちは、それから急いで先輩のお家へと向かった。
そう言えば文化会館の敷地を出てすぐのところにおしゃれなサロンがあったが、まさかあそこが先輩のご両親の営むお店だったとは。
ガラス張りの外観が見えてくると、先輩は慣れた様子で近づき、大きなドアを開けた。
そのまま堂々と中に入っていく彼の後ろを、こっそりと窺うようにしながら続く。

「ただいま」

「お、おじゃまします」

「おかえりなさい……あら」