だがいくら見ても木しか見当たらない。そもそもこんな場所で人が何をやっているというのか? 疑問はあったがそれを口に出すよりも先に体が動いていたことに他ならない。もし相手が友好的な存在であったならそれでよかったのだ。仮に危険があったとしても対処することはできるだろうし、もしもの場合に逃げ出せばよい 懐中電灯を消し、忍び足で相手との距離を詰めるつもりだったが、相手の姿を認めたことでその考えを改めざるを得なかった。そこには何も存在していなかった。確かに人の形に切り抜かれた闇の奥は静まりかえっていた。ただそれだけのことだった。「なんだこれは?」と口に出た。恐怖心よりは困惑の方が勝っていたせいもある。俺は今見たものをすぐに受け入れることができなかった しかし、いつまでもぼんやりしているわけにもいかない。得体の知れない存在をこのまま放っておくことはできなかった。
意を決して近づいてみると再び腕らしきものが地面から生えていることに気が付いた。さっきと同じようにゆっくり手が伸びてくる。その指先は俺の靴を掴もうとしているようだ。恐ろしさもあったが同時に興味もあった。果たしてどんな生き物なのか。
「うおっ!? びっくりした」突然の出来事に驚いてしまい素っ頓狂な声を出してしまったが、それと同時に足元を取られてつんのめってしまう。どうやらこの空間において相手の方に主導権を握られてしまっているようだ。俺の腕力では払いのけることはできないらしい。このままなすがままにされてしまうしかないのだろうか? 諦めかけた時だった。頭上で羽音が聞こえたかと思うと同時に光が辺りに降り注いだ。見上げるとヘリコプターが旋回していた。どうやら救助隊が来たらしく、ヘリからは照明器具を吊り下げて俺たちがいる地点を目指しているようだったが、こちらからは何も見えないのが不安要素ではあるが他に頼れるものはない やがて地上の明かりが見え始めた。徐々に高度を下げてきたそれは着地したかと思うとその真上にあった照明灯も地面に接触させ、周囲一帯を眩いばかりに照らした 救助対象が居ると思われる場所に視線を送ると人の形をしたシルエットを見つけることができた あれがおそらくそうだと判断したところで、今度は視界の端にちらりと何か黒いものが映ったが確認する間もなく光に包まれた次の瞬間には姿を消してしまっていた。結局それが何者だったのかわからぬまま、俺は助かった。そして今に至る 。これら一連の事件の背後に潜むものは何だろう?それともただの偶然の一致だろうか。あの晩以来ずっとそのことだけを考えていた。答えは出なかったがそれでも考えるのを止めることはできなかった。何にせよ、あの森だけは二度と近寄るまいと思っている。
5月16日 15時50分 都内の病院の一室で意識不明のまま眠る男の顔はひどく青白く見える。まるで蝋のようだ。顔立ちそのものは端正と言ってもよいくらいなのに肌の色がそれを邪魔してどこか不気味ささえ感じさせる。そんな彼の様子を少し離れた場所で見守っているのは彼の妻である