女は彼の様子を観察すると静かに息を吐き、傍らに立つ仲間を見上げる。すると視線に気が付いたのであろうかその男は口を開いた。顔には笑みを浮かべている。この状況にあって、それがどれほど異様な光景であるのか当人たちは気が付いてはいないのだろう。
彼らの目的は単純だった
「これで全部ですかねー。結構な数が居ましたしぃ、まあ問題ないかと」男の口調には緊張感の欠片もない。その隣で壁を背にして腕組みをしているのはリーダーであるらしい。
女が答えるよりも早く、もう一人の仲間が彼女の横に並び立つ
「そうね。これだけ殺れば十分でしょう。目的は果たしたわ。帰る準備を始めましょう」女の声に淀みはない。まるでこの場で起こっている出来事を気に留めていないかのような自然さだ。しかしそれも当然と言えるだろう 何故なら彼女の認識においてはここは現実ではないからだ。彼女はこの場所がどこかも知らない そもそも彼女自身はこの場所について何も知らされてはいないのだ。それ故に彼女は今自分が何をすべきかもわかっていない 彼女にできるのはただ一つ、男たちを見つめることだけだった。「いやぁにしてもお姉さん凄いですねぇ。僕びっくりですよ。こんな綺麗なお嬢様だなんて思わなかったんで」「……」
褒められてる気がしなかったので、彼女は沈黙を守る。「ちょっとだけ僕の趣味につきあってもらってもいいですか?もちろん報酬は出しますから」彼は右手の指を五本立てて見せる「いくら何でもそれだけでは多すぎるわよ。それにそんなことする必要がどこにあるって言うの?」彼女の表情には警戒の色が浮かぶ。彼にとってみれば彼女もまた自分たちと同類であることくらいわかっているのだ。それを金で買おうと言うわけだから彼女は少しばかり驚いているのだった。
だが次の瞬間彼女は後悔することになる。
彼の左手の指は六本増えていた。彼女は思わず悲鳴を上げた 彼女が知る由もないのだが、彼は最初から五本のつもりだった。
それが彼女の声を聞いたことにより六本になったことについては、単なる偶然だった。
しかし、彼にとってそれは幸運以外の何者でもなかった。

【1時間ほど遡る。
5月27日 16時35分 B県 山中にて―――
雨合羽のフードを被ったままではさすがに落ち着けなかったので、俺はそれを外すことにした。そして腰に手を当てて深呼吸をしてみる。少しだけ落ち着いてきたので懐中電灯を点けて辺りの様子をうかがった。
視界は良好とは言い難かったが、それでも何とかなりそうな程度だった。どうやら道はそれなりに整備されているらしく土がむき出している部分もあるが、砂利敷きになっている箇所も散見された。もっとも歩きづらくはなさそうだが、水はけが悪いのだろうか時折水が溜まりかけているような場所がある。注意しながら歩く必要があるだろう。
時刻はまだ16時過ぎだというのに随分と暗いと思った。曇天模様なのは間違いないだろう。周囲が木々に覆われていることに加えて、夜目の効かない俺にとっては光量が不足していることもあって薄気味悪い雰囲気を醸している。正直に言えば引き返したくなっていた。
「まぁここまで来ておいて今更引き返すってのはあり得ないんだけどな」
自分にいい聞かせるように呟いてから先へと進む。山肌の傾斜は急というわけではなかったが、緩くもない。緩やかな坂といった感じか しばらく行くうちに勾配は徐々にきつくなってきたようで息が上がってくる。気温が低いことも影響しているのかもしれないが体力的にかなり辛い状況だ。とはいえここでへばっていては目的地に着く前にバテてしまいかねないので気力で我慢するしかない。何しろここに入る前には登山装備まで持ち出したのに結局使わずじまいになってしまった。あの荷物を持って山の中を引き返さなければならないことを考えるとげんなりした。いっそ途中で放棄してしまいたいという気持ちがないでもなかったが とにかく今は少しでも前に進むことに集中しよう。そう思っていたのだが、前方で何かが動く気配があった。目を凝らすと暗闇の中から白い手がゆっくりと現れてこっちの方に向かって伸びてきているのが見えた。
「…………!」反射的に立ち止まって距離を取り懐中電灯を向けた。すると手はすっと闇の中に引っ込んでいく。その光景に思わず後ずさりをしたその時だった、背筋を走る感覚があった 俺は本能に従い後ろを振り向いたそこには何の変哲もない森が広がっているだけだ。ただ木の影に隠れているだけで何もないと思わせる演出にしてはいささかもったいない。
もう一度正面を見るとやはり何者かが居るようにしか見えなかった。