咲花は昨日の非礼をわびた。赤丸急上昇中の女性シンガーがいつの間にかお忍びで常連客になっていたのだ。台風上陸でテンパってたせいですっかり失念していた。
プラハの嵐とブラバの嵐うんぬんは彼女の持ちネタだ。
「私は貴女の店を応援しますよ」
超有名人がカラコロ♪とカウベルを鳴らしに来た。


女性の笑顔が咲花の耳から離れていく。咲花と女性はつないだ手をぎゅっと握りまくる。
「ありがとう」
「いいえ」
咲花は顔が赤くなりつつも、心の中では笑っていた。
「今度はわたしがあなたをおもてなしする番ね」
プラハの嵐は咲花を事務所に招待してくれた。

「お迎えに上がりました。プラハの嵐は事務所で待機しております」
人形のように色白で無表情な黒髪美人がインプレッサで迎えに来た。
インドア系に見えてブリーチアウトのデニムミニスカート。健康なのかメンヘラなのかわからない。車は靖国通りをまっすぐ進み両国橋を渡って京葉道路に入る。
そして、ももんじやの裏で止まった。

咲花は女性の後をついて行く。いつもいつも人気のない道を選ぶ。
女性は咲花の後を見ながら黙ってついて来る。
人気のない雑居ビルの中腹、入口の鍵を閉める。
二階、三階の芸能事務所と四階の住居を合わせて四階建てのビル。この一階にはお店が一つしかなく、一階の受付を行っている女性は咲花の姿を見た後にその場を去った。
地下にお酒を出すラウンジがあるようで女性は階段を降りて行った。
お店の一階、事務所の一階に通された咲花はテーブルから顔を上げた。白く滑らかな指先。
「今日、お仕事ですか?」
いつもの女性。空気のように喫茶ふらわぁに咲いている。芸人でなく常連の顔だ。
咲花はそう思いつつ訪ねた。
「はい。仕事中ですけど、お話がしたいの」
彼女は脚本を閉じた。
「お話って」
急に振られて困る。呼び出したのはそっちのほうだろう。
「私は貴方の事が好きです」
お店の中、女性はカウンターに向かって椅子から立ち上がる。
咲花は席を離れ、後を追う。相手はすたすたと受付に行く。
「すいません」
咲花は背後から声をかけた。
「ん? 何かしら?」
ガサガサと女性は引き出しをまさぐっている。
「わたしはお話をしにきたのでは?」
呼び出しておきながら放置する。咲花は芸人という生き物がわからなくなった。
「咲花さんのこと、好きですよ」
「ええ、そうなの」
「うん……」
プラハの嵐は子供のように頬を紅潮させた。
「え、本当ですか?」
「本当よ」
「本当に、ですか」
「はい、本当です」
「本当?」
「はい、本当です」
「本当なら嬉しいわ。でも、なんで今なの?」
咲花はそろそろ帰りたくなった。お人形のように弄ばれるのは嫌だ。
「はい、私はそろそろ次の仕事が決まる予定なので、ちょっと遅くなってしまいました」
「え……あ、そう……」
近況を報告するために呼んだのか。
「はい。でも少しでも時間ができたので早めに来て下さっただけでも感謝です」
わけがわからない。芸能プロダクションなんて一般女性に縁のない場所に入れてくれただけでも良しとするか。
「ありがとうございます……」
そろそろ辞去しよう、と咲花は真剣に考える。
「まあ、もう時間だわね。それに仕事が忙しいのにわざわざ来てくれたのに、こんな事をして少し驚かせたようね」
「そ、そんな事はないですよ、プラハの嵐さん。それを言えば……」
スマホの礼をまだしてもらってない。
「私、誰かにお願いされたことないのよ」
「ああ、そうでしたね」
「ええ。だからあまり詳しく知らないの」
「そんな、どうしてですか?」