同窓会には、行かなかった。
「もう、せっかく久しぶりに里紗に会えると思ったのに。」
「ごめんごめん。仕事休めなくて。」
電話越しに野々花が不貞腐れたように呟く。眉を寄せて口をとがらせているのだろうなあ、と中学時代の野々花の姿を思い出して少し笑ってしまう。彼女とは2年生から同じクラスで、いつも一緒にいた。人の顔色を伺いすぎることなくハッキリと自分の意見を述べる彼女は性格的には私と似ていない所が多かったが、不思議ととても仲がよかった。別々の高校、大学に行き進路はバラバラだったが、現在2児の母となっている彼女とは度々連絡を取り合って今でも仲の良い友達だ。
「あんたそういえば成人式にも来なかったよね。」
「・・・そうだっけ?」
「そうだよ。来るって言ってたのにいなくてさ。騙された。」
一瞬目の前に真っ青な空の色が浮かんで、セミの大合唱が聞こえた気がした。
ゆっくりとまばたきをして現実へと自分を引き戻す。ピークは過ぎたとはいえ今の季節はまだ冬だ。セミの鳴き声なんてあまりにも季節外れ過ぎる。
「千堂結構ショック受けてたんだよ。」
「ええ、なんでよ。」
「あいつ里紗の事ずっと好きだったじゃん。で、まだちょっと気持ちあってワンチャン期待してたんじゃない。」
「どこにワンチャンがあると思ったのよ。」
クラスのお調子者であった千堂くんの姿が浮かぶ。何回か2人で遊びに行った事はあったが結局付き合ったりはしなかった。そんな何年も前の気恥ずかしい気持ちを思い出して、何故か頬が熱くなってしままう。電話で良かった。
数日前、中学のクラスで同窓会が開かれていた。成人式の後のクラス会は中々人数が集まらなかったようで、その時また改めて開こうと話をしたらしい。その時のは5年後の皆が25歳の年、と話したようだが、結局1年遅れのこの冬に同窓会が計画されていた。久しぶりに皆に会えたらと思っていたが、今回は本当に仕事で参加できなかったのだ。
「結構人は集まったの?」
「まあボチボチかな。」
そのまま同窓会の話を聞いていれば中学時代の記憶がどんどん蘇ってきて、気づけば時間を忘れて話し込んでしまった。出来れば一生思い出したくもない恥ずかしい思い出もあるけれど、全ての事に一生懸命で情けないほど等身大だったあの頃の自分にはもう一生会えないと思うと、その恥ずかしささえ愛おしかった。結婚しているもの、仕事に打ち込んでいるもの、夢を追っているもの、何をしているか分からないもの、当たり前だけど皆の進路は様々で、そんな私たちが一緒にあの狭い教室の中にいたことがなんだかおかしく思えてしまった。
ひときしり話し終えた後、野々花があ、と声を出す。
「藍も来なかったんだよ。」
その名前に一瞬息が詰まった。
「連絡するのも大変でさ。ほら、実家の固定電話の番号しか知らなくて。」
「そうだよね。」
「友達の友達の友達くらいを辿ってやっとアドレスだけ手に入れたの。大変だったあ。」
「さすが野々花さん。やるね。」
藍は、なんて?
自然な質問のはずなのに、上手く口から出てこなかった。言葉にならなかった私の質問をくみ取ったのか、野々花が口を開く。
「あの子いま鳥取にいるんだって。だからごめん、皆に宜しくお伝えくださいって。そんな感じだったよ。」
「・・・鳥取?」
「そう、びっくりだよね。」
思いもしなかった地名に間抜けな声が出てしまった。中学生の時に転校してしまった彼女は、確か神奈川に越すと言っていたはずだ。それでも十分遠いところだと思っていたのに、それがまた離れた土地にいるのか。
「メールだけで直接話せたわけじゃないから詳しい事は全然分かんないんだけどね。
・・・あ、でも。」
そこまで言って、野々花は声を潜める。
「あの子いま、入院してるみたいだよ。」
入院。
その二文字が巨大な岩のような重みを伴って、脳みそが押しつぶされた気がした。
「結構前の事なんだけどお母さんが病院でたまたま悦子さんに会ったみたいでね。ああそれはただのギックリ腰だったんだけど。藍ちゃん元気にしてますか~って聞いたらそう言われたって。その後すぐ診察呼ばれちゃって詳しくは聞けなかったみたいなんだけど。」
藍のおばあちゃんである悦子さんの甘ったるい香水とタバコの煙が混ざった匂いを思い出す。その切れ長の瞳は藍のお母さんによく似ていて、でも藍に似てると思った事は一度もなかった。笑った顔を見たことがなかったからだろうか。
へえ、と乾いた相槌が零れた。何か返事をしなきゃ、そう思っても中々頭が働かない。不思議そうに野々花が私の名前を呼ぶ前に、小さな泣き声が響いた。
「あら~、起きちゃったの。よしよし。」
「・・・ひろくん?」
「そう。ごめんね、ちょっと。」
「はいよ。また電話しようね。」
またね、と電話を切って、部屋に沈黙が落ちる。
0歳児に助けられてしまった。思わずため息が漏れた。
『里紗ちゃん。』
少し俯きながらはにかんだように笑う彼女の顔と声が、鮮明に再生される。
藍とは中学校の同級生だった。野々花と同じく2年生のクラス替えで初めて同じクラスになって、それまでは一度も話したことが無かった。可愛らしく穏やかな藍は男子からの人気も高くて、目立つタイプではなかったけれど、いつもニコニコと微笑んでいる姿が印象に残っていた。同じクラスになってからも挨拶や雑談程度だった。野々花含め陸上部員と一緒にいることが多かった私は、藍たちのグループとの関係は正直当たり障りの無いくらいで、深くかかわる事もないと思っていたし正直そんなに気も合わないだろうと勝手に感じていた。
それが変わったのは、あの日だ。
廊下を小走りで進む藍の後ろ姿。持っていた教科書の隙間から赤い何かが滑り落ちて、私がそれを拾った。窓から入るそよ風に揺れる彼女のリボンとスカートの裾をぼんやりと眺めながら名前を呼べば、振り向いた藍は、何かを諦めたように笑うのだ。
「・・・里紗?」
「ああ、浩平。おかえり。」
ガチャ、とドアが開く音がして現実へと引き戻される。ボーっと座ったままの私を不思議そうに見つめて、彼が私の名前を呼んだ。
「遅かったね。お腹は?」
「ペコペコ。めっちゃいい匂いすんだけど。」
「ふふ。今日はジャガイモ安かったからコロッケ作ったの。」
やった、と浩平が子供のように目を輝かせるから思わず笑ってしまった。高身長で少し強面の彼は笑うと雰囲気が一点、まるで少年のようになる。付き合って3年、同棲してからは2年近く経つ。
「うん。おいしい。」
「ほんと?良かったあ。」
「炊飯器が使えなかったのが嘘みたい。」
「うるさいな、その話は忘れて。」
クスクスと彼が笑うから思わず頬を膨らませた。元々家事全般に苦手意識があった私は、大学生で一人暮らしをしていた時もほとんど自炊をしなくて、浩平と付き合い始めた時は料理がほとんどできなかった。それどころか炊飯器も使えなかったのだ。
ご飯を食べた後はシャワーを浴びて、寝る前に大抵2人で一緒にゲームをする。ソファに並んで座ってコントローラーを握ればあっという間に時間が過ぎてしまうのだ。欠伸を噛み殺していれば、そんな私の頬に彼の手が伸びる。
「眠いの?」
「・・・眠くない。」
「嘘つくな。」
そう言って彼は笑う。細められた彼の目が愛おしそうに私を見つめてくれているのが分かって、何とも言えない幸福感に包まれる。そのまま彼は両手を私の頬に添えて顔を近づけた。近づいた顔が離れて、もう一度彼と目が合う。その目の奥に変わらず愛しげなまなざしがあるのに、少しだけ見えてしまった彼の本能に体の奥深くから何とも言えない不快感がこみあげてくる。気づかないふりをしたいのに体は硬直してしまって、それに気づいて少し申し訳なさそうに眉を下げた彼は私からパッと離れた。
「・・・寝よっか。」
「・・・うん。」
そのまま布団に入る。寝る前に一度だけハグをして、その後は同じベッドの中で少し離れて眠る。いつもの事だった。
「もう、せっかく久しぶりに里紗に会えると思ったのに。」
「ごめんごめん。仕事休めなくて。」
電話越しに野々花が不貞腐れたように呟く。眉を寄せて口をとがらせているのだろうなあ、と中学時代の野々花の姿を思い出して少し笑ってしまう。彼女とは2年生から同じクラスで、いつも一緒にいた。人の顔色を伺いすぎることなくハッキリと自分の意見を述べる彼女は性格的には私と似ていない所が多かったが、不思議ととても仲がよかった。別々の高校、大学に行き進路はバラバラだったが、現在2児の母となっている彼女とは度々連絡を取り合って今でも仲の良い友達だ。
「あんたそういえば成人式にも来なかったよね。」
「・・・そうだっけ?」
「そうだよ。来るって言ってたのにいなくてさ。騙された。」
一瞬目の前に真っ青な空の色が浮かんで、セミの大合唱が聞こえた気がした。
ゆっくりとまばたきをして現実へと自分を引き戻す。ピークは過ぎたとはいえ今の季節はまだ冬だ。セミの鳴き声なんてあまりにも季節外れ過ぎる。
「千堂結構ショック受けてたんだよ。」
「ええ、なんでよ。」
「あいつ里紗の事ずっと好きだったじゃん。で、まだちょっと気持ちあってワンチャン期待してたんじゃない。」
「どこにワンチャンがあると思ったのよ。」
クラスのお調子者であった千堂くんの姿が浮かぶ。何回か2人で遊びに行った事はあったが結局付き合ったりはしなかった。そんな何年も前の気恥ずかしい気持ちを思い出して、何故か頬が熱くなってしままう。電話で良かった。
数日前、中学のクラスで同窓会が開かれていた。成人式の後のクラス会は中々人数が集まらなかったようで、その時また改めて開こうと話をしたらしい。その時のは5年後の皆が25歳の年、と話したようだが、結局1年遅れのこの冬に同窓会が計画されていた。久しぶりに皆に会えたらと思っていたが、今回は本当に仕事で参加できなかったのだ。
「結構人は集まったの?」
「まあボチボチかな。」
そのまま同窓会の話を聞いていれば中学時代の記憶がどんどん蘇ってきて、気づけば時間を忘れて話し込んでしまった。出来れば一生思い出したくもない恥ずかしい思い出もあるけれど、全ての事に一生懸命で情けないほど等身大だったあの頃の自分にはもう一生会えないと思うと、その恥ずかしささえ愛おしかった。結婚しているもの、仕事に打ち込んでいるもの、夢を追っているもの、何をしているか分からないもの、当たり前だけど皆の進路は様々で、そんな私たちが一緒にあの狭い教室の中にいたことがなんだかおかしく思えてしまった。
ひときしり話し終えた後、野々花があ、と声を出す。
「藍も来なかったんだよ。」
その名前に一瞬息が詰まった。
「連絡するのも大変でさ。ほら、実家の固定電話の番号しか知らなくて。」
「そうだよね。」
「友達の友達の友達くらいを辿ってやっとアドレスだけ手に入れたの。大変だったあ。」
「さすが野々花さん。やるね。」
藍は、なんて?
自然な質問のはずなのに、上手く口から出てこなかった。言葉にならなかった私の質問をくみ取ったのか、野々花が口を開く。
「あの子いま鳥取にいるんだって。だからごめん、皆に宜しくお伝えくださいって。そんな感じだったよ。」
「・・・鳥取?」
「そう、びっくりだよね。」
思いもしなかった地名に間抜けな声が出てしまった。中学生の時に転校してしまった彼女は、確か神奈川に越すと言っていたはずだ。それでも十分遠いところだと思っていたのに、それがまた離れた土地にいるのか。
「メールだけで直接話せたわけじゃないから詳しい事は全然分かんないんだけどね。
・・・あ、でも。」
そこまで言って、野々花は声を潜める。
「あの子いま、入院してるみたいだよ。」
入院。
その二文字が巨大な岩のような重みを伴って、脳みそが押しつぶされた気がした。
「結構前の事なんだけどお母さんが病院でたまたま悦子さんに会ったみたいでね。ああそれはただのギックリ腰だったんだけど。藍ちゃん元気にしてますか~って聞いたらそう言われたって。その後すぐ診察呼ばれちゃって詳しくは聞けなかったみたいなんだけど。」
藍のおばあちゃんである悦子さんの甘ったるい香水とタバコの煙が混ざった匂いを思い出す。その切れ長の瞳は藍のお母さんによく似ていて、でも藍に似てると思った事は一度もなかった。笑った顔を見たことがなかったからだろうか。
へえ、と乾いた相槌が零れた。何か返事をしなきゃ、そう思っても中々頭が働かない。不思議そうに野々花が私の名前を呼ぶ前に、小さな泣き声が響いた。
「あら~、起きちゃったの。よしよし。」
「・・・ひろくん?」
「そう。ごめんね、ちょっと。」
「はいよ。また電話しようね。」
またね、と電話を切って、部屋に沈黙が落ちる。
0歳児に助けられてしまった。思わずため息が漏れた。
『里紗ちゃん。』
少し俯きながらはにかんだように笑う彼女の顔と声が、鮮明に再生される。
藍とは中学校の同級生だった。野々花と同じく2年生のクラス替えで初めて同じクラスになって、それまでは一度も話したことが無かった。可愛らしく穏やかな藍は男子からの人気も高くて、目立つタイプではなかったけれど、いつもニコニコと微笑んでいる姿が印象に残っていた。同じクラスになってからも挨拶や雑談程度だった。野々花含め陸上部員と一緒にいることが多かった私は、藍たちのグループとの関係は正直当たり障りの無いくらいで、深くかかわる事もないと思っていたし正直そんなに気も合わないだろうと勝手に感じていた。
それが変わったのは、あの日だ。
廊下を小走りで進む藍の後ろ姿。持っていた教科書の隙間から赤い何かが滑り落ちて、私がそれを拾った。窓から入るそよ風に揺れる彼女のリボンとスカートの裾をぼんやりと眺めながら名前を呼べば、振り向いた藍は、何かを諦めたように笑うのだ。
「・・・里紗?」
「ああ、浩平。おかえり。」
ガチャ、とドアが開く音がして現実へと引き戻される。ボーっと座ったままの私を不思議そうに見つめて、彼が私の名前を呼んだ。
「遅かったね。お腹は?」
「ペコペコ。めっちゃいい匂いすんだけど。」
「ふふ。今日はジャガイモ安かったからコロッケ作ったの。」
やった、と浩平が子供のように目を輝かせるから思わず笑ってしまった。高身長で少し強面の彼は笑うと雰囲気が一点、まるで少年のようになる。付き合って3年、同棲してからは2年近く経つ。
「うん。おいしい。」
「ほんと?良かったあ。」
「炊飯器が使えなかったのが嘘みたい。」
「うるさいな、その話は忘れて。」
クスクスと彼が笑うから思わず頬を膨らませた。元々家事全般に苦手意識があった私は、大学生で一人暮らしをしていた時もほとんど自炊をしなくて、浩平と付き合い始めた時は料理がほとんどできなかった。それどころか炊飯器も使えなかったのだ。
ご飯を食べた後はシャワーを浴びて、寝る前に大抵2人で一緒にゲームをする。ソファに並んで座ってコントローラーを握ればあっという間に時間が過ぎてしまうのだ。欠伸を噛み殺していれば、そんな私の頬に彼の手が伸びる。
「眠いの?」
「・・・眠くない。」
「嘘つくな。」
そう言って彼は笑う。細められた彼の目が愛おしそうに私を見つめてくれているのが分かって、何とも言えない幸福感に包まれる。そのまま彼は両手を私の頬に添えて顔を近づけた。近づいた顔が離れて、もう一度彼と目が合う。その目の奥に変わらず愛しげなまなざしがあるのに、少しだけ見えてしまった彼の本能に体の奥深くから何とも言えない不快感がこみあげてくる。気づかないふりをしたいのに体は硬直してしまって、それに気づいて少し申し訳なさそうに眉を下げた彼は私からパッと離れた。
「・・・寝よっか。」
「・・・うん。」
そのまま布団に入る。寝る前に一度だけハグをして、その後は同じベッドの中で少し離れて眠る。いつもの事だった。