三奈ちゃんに浩平と仲直りした事を報告すれば、彼女が駆け寄ってきて私の手を握ってくれた。なんだか照れ臭くて俯けば、彼女も照れたように笑う。

「これで三奈も自分のカラオケ修行に集中できます。」
「え?なんでカラオケ?」
「今いい感じの人が歌上手い人が好きみたいなんです~。特に昭和の歌!ああ歌詞覚えなきゃ!」

そう言って三奈ちゃんはスマホとにらめっこを始めた。この子は本当に、と呆れと可愛さとで笑ってしまえば、なんですかあ、と口を尖らせた。首を振って三奈ちゃんのスマホを覗き込む。そのうち彼女は何この歌詞、クサいし古!女の事なめすぎ!と文句を言い始めてしまって、お局に注意されちゃうくらい、2人で笑い合ってしまった。




「ごめーん、今大丈夫だった?」
「うん。どうかした?」
「聞いてよ。ちょっと愚痴。」

夜ご飯の炒め物用にほうれん草を切っている最中に、野々花から着信が入る。どうやら旦那へのイライラがまた溜まってしまったようで、これまた愚痴のオンパレードだった。うんうん、と聞いていれば少し落ち着いたのか、はあ、とため息をつく。

「結婚すれば変わってくれると思っちゃったんだよねえ。私が甘かった。」
「でも割と家事手伝ってくれるんでしょ?」
「あ、里紗、今家事手伝うって言ったでしょ。あのねえ一緒の家に住んでるんだから家事は手伝うものじゃなくて当然に一緒にやるもんなんだよ。アンタもちゃんと浩平くんにやらせてる?今のうちに調教しといた方がいいよ。」
「言い方言い方。」

私のツッコミに電話口で野々花が笑う。そのまま話は別の話題に映って、気づけば数十分が経過しようとした。そろそろ切ろうかと話したところで、そういえば、と野々花が思い出したように言う。

「この前の、藍の話なんだけどさ。」
「・・・ああ、うん。」
「藍だよ、中学校一緒の。玉木(たまき)くんが4回も玉砕してた藍ね。」
「分かってる分かってる。好きすぎて藍が主人公の自作の小説書いちゃってしかもそれを見られて少しの間学校に来れなくなった玉木くんの好きな人の藍ね。」
「そうそう。」

ふざけながらも、彼女の名前が出たことにまた心が揺れてしまった。何となく緊張したまま、彼女の言葉の続きを待つ。

「藍、入院してるの産婦人科だって。」
「・・・え?」
「だから、産婦人科。妊娠。」
「・・・は、え、藍が、え、」
「なんでそんなに動揺してるのよ。失礼じゃない普通に?」
「・・・え、結婚したの?」
「みたいだよ。年上旦那らしいよ~いいね~包容力」

その後の会話は入ってこなかった。気づけば電話は切れていて、そして夕食は作り終わっていた。既に温まっているはずの中華スープを私はずっと弱火で混ぜ続けていて、いつの間にか帰ってきていた浩平が私の名前を呼んでいた。

「・・・里紗?」

立ったままの私を不審に思ったのか、浩平が不思議そうな声を出す。それでも顔を上げれなくて俯いていれば、浩平が私の顔を覗き込んで。

「・・・泣いてんの。」

ポロポロ、と目から涙がこぼれていた。どんな感情かもわからなくて、そんな私を浩平は優しく抱きしめる。理由を聞く事もせず、そのまま、ただ抱きしめてくれる。ああもう、私は最近泣いてばっかりだ。人前で泣く事なんて滅多にないはずなのに、嗚咽が漏れてしまうほど泣いている。体の奥底から感情が沸き上がってきて、それは苦しいくらいに熱かった。

あい、藍、あんた、お母さんになるの。前に進んでくの。ちっちゃな命を守ってくの。苦しくて辛くて痛くてどうしようも出来ない気持ちを抱えて押しつぶされてそれでもまた新しい人生を進んでくんだねまた背負ってくんだね精一杯ぶつかりながら生きてくんだねそう決めたんだね。結婚して子供を産む事が誰にとっても幸せだとは思わないしもしかしたら今も色んな事で苦しんでるのかもしれない、でも、でも。あんたは進み続けてるんだね、もがいてるんだね。

「・・・浩平。」
「ん?」

溢れてくる言葉を、止めようとはしなかった。きっとこれが今の私の本当の気持ちで、伝えたい事で、伝えなければいけない事だ。

「・・・わたし、まだそういう事が出来ない。大好きなのに怖いと思ってしまうの。自分が気持ち悪いと思ってしまうの。」
「・・・うん。」
「もしかしたらこれからずっと出来ないかもしれない。子供も産めないかもしれない。憧れの家庭は築けないかもしれないし浩平をパパにしてあげれられないかもしれない。そんな私が嫌になって、浩平は私の傍を離れてくかもしれないし、私が浩平の傍を離れることもあるかもしれない。」
「・・・うん。」
「でも、でもね。」

彼の手を握る。自分の手が震えているのが分かるけど、精一杯浩平の手を握り締めた。

「わたし、わたし。浩平の、奥さんになりたい。」

ずっと言えなかった。この言葉はこんな私が言っていいものじゃないと思っていた。浩平は優しいから、私から何かを言い出すまで待ってくれていることも分かっていた。分かっていたけど、気づいてないフリをしていた。でもそんなのはもうやめる。もうやめるんだ。

浩平が私を抱きしめる。強く強く、まるで子供が母親にしがみつくみたいに。彼は力を緩めて、息を吐いて、私の頬に手を添えた。

「・・・流行りの逆プロポーズってやつ?」
「別に流行ってないでしょ。ていうか手熱。大丈夫?」
「うるせえ、こんなこと言われたらドキドキするに決まってんだろ。」
「や~~ん、可愛いね~~。」
「ちゃかすな。」

そのまま彼は私をもう一度抱きしめて、耳元で何かを呟いた。その声があまりにも小さくてもう一回、とねだれば、彼はポリポリと頭を掻く。その耳は真っ赤で。もう一度呟かれたその言葉に、私はゆっくり頷いた。