「どうしてわたしに相談してくれないの」
アンジェラはぶつぶつ言いながら真新しい着替えに袖を通す。日は既に頂点にさしかかっていた。
「足りない物があったら、今のうちに言ってくれ。ただし、持ち運べる範囲内でだ。ロボットとベッドのバッテリーもじきに切れる」
バーグマンは母娘に釘をさした。出発の準備を日没後までかかって整えた。
「どうして、暗い夜道を行くの?」
「ルルティエがピカピカ光っているのを見ただろう」
リズは小妖精に騙されたような顔をしていたが、説明している時間はない。19時を回った頃、一行はモールを後にした。
「アルバートが置いてけぼりだわ。マーサも」
アンジェラが心配しているが、バーグマンはやるべきことを進めた。
「御祖母さんは大丈夫だ。あいつかついている。それよりも西を目指すんだ」
「ロンドンではなくて?」
アンジェラの問いにバーグマンは首を振った。
「ブリストルだ。テンノウドー・ヨーロッパの開発拠点がある。カルバートがワイバーンロードの急ごしらえを応援依頼するとすれば、そこしか思いつかん」
バーグマンの話では、テンノウドーがゲーム商品を充実させるために開発キットを各社に提供している。メーカー側もそれに応じて連絡調整スタッフをテンノウドー常駐させている。繁忙期には出荷寸前の最終チェックを支援する事もあるという。離反者が潜んでいるとすればブリストルの開発ラボだろう。それはドラゴン・イコライザーの最終迷宮。捕らわれの王妃救出ミッションと重なる。
「本来の脚本ならどうなっているんです?」
「それはゲームプレイヤーの進行具合に拠るよ。シナリオは分岐するんだ」
バッドエンドのいくつかには救出ミッションが省かれる結末もある。
「王妃が殺されるか、何らかの原因で死ぬか…ですか?」
「それ以外にも2つほどある」
「2つ? 私が思いつくのは王妃が自力で脱出する。例えば、何か強力な隠しアイテムを発見するとか」
「それもあるが…」
バーグマンは口ごもった。何か表に出しにくい秘密があるようだ。ぶつぶつ言葉を選んでいる。
「何なんです? はっきり言ってください。事と次第によっては人命がかかっているんですよ!」
食い下がられて、男はしぶしぶ明かした。
「超展開の一つさ。王妃が悪魔に憑依される。そして…」
「そして…?」
「ルルティエを使役するんだ。正確にはルルティエに魅了されてね。勇者に勝ち目はない」


足が決して自由でない老婆を伴って瓦礫と化した街を移動することは死の危険を伴う。さりとてマーサひとりを残してバーグマンと合流する事もできない。
アルバートはテンノウドーを壁際のLANコネクターに接続してメールを送信しようと試みた。
だが、加入しているプロバイダーのサーバーが反応しない。電源がダウンしているか物理的にオフラインなのだろう。
つづいて、フリーメールやSNSのアカウントを試してみたがログイン手続きすらままならない。
「無理せず、バーグマンの所にお行き」
キーボードを叩き続ける背中をマーサが圧してくれた。もう何年も忘れていた人の温もりだ。愛情がバーグマンとの間にあるにはあるが、それはビジネスパートナーであり、男同士の友情でもあり、濃度やベクトルが異なる。
母、ふとそんな語句が浮かんだ。アルバートの両親は幾つかの虐待を経て数え切れないほど変わっており、生みの親の顔すら定かでない。
「さぁ!」
にっこりとほほ笑んで送り出そうとしてくれるマーサに無常の優しさを感じた時、守るべきものと、それを成し遂げるために必要な事を悟った。
「いいえ! 貴方は置いていけない。大切なキーパーソンだ」
自然に腕が伸びた。ぎゅっと年老いた女を抱きしめて、母なる存在をしっかりと確認した。そして、テンノウドーで館内をくまなく検索した。
案内図と防犯カメラの最新映像を基に介護福祉ヘルパーステーションを発見した。福祉用具の在庫があり、ちょうど新品の車椅子が入荷している。
どうにかして手に入れたい。問題はルルティエの奇襲と暗がりだ。マーサを連れて取りに行かねばならない。
肝の据わったアルバートはともかく、老婆には心臓が凍る思いだろう。
「しっかりと僕だけを見つめて。絶対に目を逸らしちゃいけない。闇に飲み込まれてしまう」
マーサを庇うように先導し、懐中電灯片手に慎重に一歩ずつ進む。老婆の負担を考えて段差の少ないルートをゆっくり進んだ。
途中、どうしてもエレベーターを利用しなければならない箇所があり、しかたなく呼び出しボタンを押した。

すると、フロアの照明が一斉に灯った。眩いスポットライトが灯台の様にくるくると売り場を照らし、場違いなロックミュージックが耳を貫く。
アルバートばとっさに固有名詞を飲み込んだ。
「奴だ!」