「ええ、ヘンリーが現役時代にドーバー海峡で確かに見たんです」
「具体的な場所はわかりませんか? それらしい手がかりやヒントになるような事は?」
アルバートのしつこい追及にも老婆は寛大な心で臨んだ。壁の配電盤から無理やりにタコ足配線した玩具のLEDが頼りなげにほのめいている。
「そうね…」
彼女はしばしこめかみを揉んだのち、明確な地名を示した。
「カンタベリーの近く、ガストンだったかしら。お城が下に見えたと言ってたわ」
聞き流しながらアルバートがテンノウドーを乱打する。手のひらサイズの液晶画面に芥子粒のようなフォントが並んだ。
エンターキーを打てば響くように検索結果一覧が並んだ。

‷セントマーガレッツ・アット・クリフのお城ですか?”
検索エンジンが候補をいくつか画像でサジェストしてくれる。
「そうよ! ドーヴァー城よ」
マーサは宝くじに当選したかのように言う。アルバートはつくづく実感する。彼女が生き残っていてくれてよかったと。
ネットのアクセス手段を確保すべく、家電製品売り場を物色していた。最初はそこでモバイルルーターとパソコンを確保しようとしたのだ。
ところが崩落した天井に目論見が打ち砕かれた。めげずに彼はおもちゃ売り場に望みをつないだ。
4Dワオのブラウザー機能はペアレンタルロックが掛かっていてアクセス制限が厳しい。
開発者ならば容易に解除できる。彼は首尾よくテンノウドーと専用Wi-Fiルーターのセットを確保した。
そこで途方に暮れているマーサと再会した。彼女は娘のためにブラックフライデーの買い物に来たと証言した。
ヘンリーと最後に手を取り合った場所だという。
「あら、あなた。これもリズが喜びそうね」
「あまり無駄遣いするんじゃないぞ」
夫婦の会話はそれっきりになった。
「残念ながらご主人を救えなかった。しかし、お孫さんに元気な顔を見せないと」
アルバートは安楽死を願う老婦人をどうにかなだめすかした。その間にライブカメラ経由で周囲の安全を把握した。
「兎も角、ヘンリー氏が第二次大戦中にルルティエを目撃したのは間違いないのですね」
マーサは弱々しく頷いた。未確認飛行物体の目撃情報を空軍パイロットはあまり話したがらない。
黙っていなければ、操縦桿を握らせて貰えなくなるからだ。しかし常軌を逸していない同僚が複数の龍を飛行中に捉えている。
それは戦闘機のガンカメラに収録されているはずなのだが、空軍は黙殺し続けていた。
祖国が未知の脅威にさらされている。その事実を墓場にもっていく行為は守るべき大衆に対する重大な裏切りだという呵責と守秘義務の狭間でヘンリーは苦しんで来た。
その重荷に気づいたマーサは「何か言えない秘密があるんじゃないの」と夫を促しつづけた。
それが夫婦の疑心暗鬼を深め、ヘンリーは飲み歩くようになった。夫が秘密を少しずつ話すようになったのはマーサが当てつけに男漁りをはじめだしてからだ。
「あまり思いつめないでください。ご主人も悪いんじゃない。ルルティエに鈍感な軍と政府が悪いんだ」

解放的なアンジェラを瀬戸際であしらった。ここに来るまでリカーコーナーでボトルを開けたらしい。
酒気帯び運転はバーグマンにとって神に背く行為だ。「リズの前だぞ」と一喝して黙らせた。
今、母娘は重なり合うように寝ている。
彼は介護用ロボットを操って制御室を囲むように雷サージ装置——落雷の際に過電流がコンセントから電化製品に伝わってショートさせてしまう事故から防いでくれる機械だ——を配置した。
これでルルティエは進入できないだろう。
安堵した途端に小腹がキュッと鳴った。作業に没頭するあまり、寝食を忘れていた。確か、フードコートに冷凍食品と業務用のレンジがあった。
バーグマンはピザとチキンナゲットとレンジ本体をロボットに運ばせた。籠城戦を覚悟したからだ。
自分用に一食分加熱し、頬張りながら館内とモール周辺の警戒監視を済ませた。今のところ敵の兆候はない。その作業にも眼精疲労を覚えたので専用のスクリプトを書き下ろした。
画像解析フィルターを濾過して、いくつかのパターンを条件定義した。それらしい怪異を発見したら警報が作動する仕組みだ。
これでようやく横に成れる。
夜半過ぎにリズが起き出したので、食品パッケージをいくつか解凍した。
「いつまでここにいるつもりなの?」
アンジェラはノートPCのフロントカメラを姿見代わりにして、手櫛で髪を整えている。
彼女が言いたいことはだいたい想像がつく。だから、女は扱いづらい。
バーグマンは黙ってキーボードを叩いた。自走式の介護ベッドとロボットを遠隔操作して、ショッピングモールを徘徊させた。
可能な限り平坦なルートを巡り、化粧品や生理用品や着替えを買い物かごに放り込む。それを制御室の前まで運ばせた。