「ん~」
「どうだ?」
「そうだなあ」
プログラマーは耳の後ろを掻きながら投げやり気味に言った。
「コーディングに煮詰まった時に納期ごと滅びちまえと思う事は無きにしも非ず」
「それだ!」
バーグマンは表情を明るくした。
「ワイバーンロード・ホライズンズの出来栄えを思い出してみろ。とてもリリースできたもんじゃねえ」
彼は言う。カルバートはコンペティションで発表するにあたって、相当な無理を開発陣に強いたはずだ。
当然ながら反発するプログラマーもいただろう。アルバートと同じく、技術者という種族は理不尽と圧力が大嫌いだ。
そして陰険だ。順応的ガバナンスを装って面従腹背する者もいる。
その一部にはコッソリと想定外の、そして場合によっては雇い主を害する処理を仕込むケースがある
「イースターエッグか!」
アルバートはようやく気付いたようだ。
「そうだ。ワイバーンロード・ホライズンズ開発者の誰かがトラップを仕組んだ」
「フムン」
バーグマンの推理にアルバートは再び考え込んだ。
「だからと言ってよ」
カルバートごと世間と心中するほど愚かな技術者はいないだろう。彼らだって人間だ。家族や友人もいる。
「身寄りのない世捨て人もいるだろう」、とバーグマンが突っ込む。
「それはごくごく少数だ。プログラマーは人嫌いじゃない。人付き合いが不器用なだけだ」
「でも、いなくはないだろ」
「しつこいぞバーグマン。そこまでヒネた奴は希少種だぞ。まるで、腐った女みたいに…あっ」
「女だったら」
その時、窓の外に雷鳴と女の悲鳴が響いた。
バーグマンは悲鳴を聞きつけて部屋の隅に寄った。天窓一つしかない部屋だ。それでも耳をすませば薄い壁ごしに喧騒が聞こえる。
時刻はちょうど20時をまわったばかり。お世辞にも治安がよろしくない立地で住民のほとんどは年金受給者だ。
絹を裂くような声には色つやがある。ガタガタと何か小物が石畳を転がっている。そして、荒い息遣い。
熱く、激しく、浅く、速い。様子は見えずとも彼女の緊迫感が伝わってくる。
「アルバート…」
言いかけて、シィっと制止された。
彼も気づいているのだ。若い女が何者かと対峙している。それも至近距離だ。ギシギシと舗装が軋んでいる。
「ドラゴンだ」
小声で相方が断言する。
「ああ、ルルティエ…」
「その名前を言うな」
迂闊にもバーグマンは禁忌を口にしてしまった。アルバートはそれがどんな恐ろしい結末を迎えるか熟知している。そして、心の底で悔いる。
何という怪物を設定してしまったのか。
あたり一面を粉々に打ち砕くような咆哮が女の断末魔をかき消した。直下型地震かと思うほど部屋全体が揺れる。
そして、バシッと稲光が天窓を貫いた。
「終わった…」
アルバートはへなへなとその場に座り込んだ。
「何が起こったんだ?」と、バーグマン。
「焼け跡を見る勇気があるんなら、表に出てみろ。焦げ跡と脊柱管の欠片ぐらいは残ってるかもな」
言われるまでもなくバーグマンは戸外へ出た。監視カメラやセキュリティーのたぐいはサージ電圧で死んだらしく、赤ランプが明滅している。
おそるおそる螺旋階段を下ると、惨状が否が応でも目に入った。
ちょうど、女の首から下が順に砕けている最中だった。
「うわああ」
声にならない声をあげて、部屋に逃げ帰った。
「言わんこっちゃない。ルルティエの捕食だ」
アルバートが鼻汁を啜りながら解説する。
「こんな馬鹿な話があるか! 非科学的だ。ルルティエが現実にあろうはずもないっ!」
バーグマンは柄にもなく大声で否定した。彼が落ち着きを失う時はたいてい理不尽そのものに憤っている。
「あんたのせいだよ。獲物の前でNGワードを口走った」
「自分を棚に上げてよく言う。そもそも原作者はお前だろう。お前の妄想が人を殺したんだ」
アルバートがおかしなアイデアをしたためなければ、彼女は食われずに済んだのだ。
学生時代の能天気な邪悪が雷龍という悪夢を呼び覚ました。
「いや、俺じゃない!」
血走った眼でアルバートが睨む。
「じゃあ、誰だ?」
「決まってる。カルバートの野郎だ」
「どういう意味だ?」
バーグマンが問いただす。天才プログラマーが言う。仕組まれているのだと。
アルバートの黒歴史ノートは若気の至りというよりは若きウェルテルの悩みだ。多感な思春期に誰もが思い悩んで行き詰る。そして、極端な厭世論にたどり着いて自己憐憫に酔うのだ。
そして、彼も破滅願望の成就と救世主再臨を望んだ。その方法が突飛を好む子供らしい。無力な木偶の坊な自分を救済する手段は一つしかない。
悪魔的な何かにすがり、凡百をしのぐ超人力を授かればよい。ダメな自分をどうやっても克服することなど不可能だと知り尽くしている。
「どうだ?」
「そうだなあ」
プログラマーは耳の後ろを掻きながら投げやり気味に言った。
「コーディングに煮詰まった時に納期ごと滅びちまえと思う事は無きにしも非ず」
「それだ!」
バーグマンは表情を明るくした。
「ワイバーンロード・ホライズンズの出来栄えを思い出してみろ。とてもリリースできたもんじゃねえ」
彼は言う。カルバートはコンペティションで発表するにあたって、相当な無理を開発陣に強いたはずだ。
当然ながら反発するプログラマーもいただろう。アルバートと同じく、技術者という種族は理不尽と圧力が大嫌いだ。
そして陰険だ。順応的ガバナンスを装って面従腹背する者もいる。
その一部にはコッソリと想定外の、そして場合によっては雇い主を害する処理を仕込むケースがある
「イースターエッグか!」
アルバートはようやく気付いたようだ。
「そうだ。ワイバーンロード・ホライズンズ開発者の誰かがトラップを仕組んだ」
「フムン」
バーグマンの推理にアルバートは再び考え込んだ。
「だからと言ってよ」
カルバートごと世間と心中するほど愚かな技術者はいないだろう。彼らだって人間だ。家族や友人もいる。
「身寄りのない世捨て人もいるだろう」、とバーグマンが突っ込む。
「それはごくごく少数だ。プログラマーは人嫌いじゃない。人付き合いが不器用なだけだ」
「でも、いなくはないだろ」
「しつこいぞバーグマン。そこまでヒネた奴は希少種だぞ。まるで、腐った女みたいに…あっ」
「女だったら」
その時、窓の外に雷鳴と女の悲鳴が響いた。
バーグマンは悲鳴を聞きつけて部屋の隅に寄った。天窓一つしかない部屋だ。それでも耳をすませば薄い壁ごしに喧騒が聞こえる。
時刻はちょうど20時をまわったばかり。お世辞にも治安がよろしくない立地で住民のほとんどは年金受給者だ。
絹を裂くような声には色つやがある。ガタガタと何か小物が石畳を転がっている。そして、荒い息遣い。
熱く、激しく、浅く、速い。様子は見えずとも彼女の緊迫感が伝わってくる。
「アルバート…」
言いかけて、シィっと制止された。
彼も気づいているのだ。若い女が何者かと対峙している。それも至近距離だ。ギシギシと舗装が軋んでいる。
「ドラゴンだ」
小声で相方が断言する。
「ああ、ルルティエ…」
「その名前を言うな」
迂闊にもバーグマンは禁忌を口にしてしまった。アルバートはそれがどんな恐ろしい結末を迎えるか熟知している。そして、心の底で悔いる。
何という怪物を設定してしまったのか。
あたり一面を粉々に打ち砕くような咆哮が女の断末魔をかき消した。直下型地震かと思うほど部屋全体が揺れる。
そして、バシッと稲光が天窓を貫いた。
「終わった…」
アルバートはへなへなとその場に座り込んだ。
「何が起こったんだ?」と、バーグマン。
「焼け跡を見る勇気があるんなら、表に出てみろ。焦げ跡と脊柱管の欠片ぐらいは残ってるかもな」
言われるまでもなくバーグマンは戸外へ出た。監視カメラやセキュリティーのたぐいはサージ電圧で死んだらしく、赤ランプが明滅している。
おそるおそる螺旋階段を下ると、惨状が否が応でも目に入った。
ちょうど、女の首から下が順に砕けている最中だった。
「うわああ」
声にならない声をあげて、部屋に逃げ帰った。
「言わんこっちゃない。ルルティエの捕食だ」
アルバートが鼻汁を啜りながら解説する。
「こんな馬鹿な話があるか! 非科学的だ。ルルティエが現実にあろうはずもないっ!」
バーグマンは柄にもなく大声で否定した。彼が落ち着きを失う時はたいてい理不尽そのものに憤っている。
「あんたのせいだよ。獲物の前でNGワードを口走った」
「自分を棚に上げてよく言う。そもそも原作者はお前だろう。お前の妄想が人を殺したんだ」
アルバートがおかしなアイデアをしたためなければ、彼女は食われずに済んだのだ。
学生時代の能天気な邪悪が雷龍という悪夢を呼び覚ました。
「いや、俺じゃない!」
血走った眼でアルバートが睨む。
「じゃあ、誰だ?」
「決まってる。カルバートの野郎だ」
「どういう意味だ?」
バーグマンが問いただす。天才プログラマーが言う。仕組まれているのだと。
アルバートの黒歴史ノートは若気の至りというよりは若きウェルテルの悩みだ。多感な思春期に誰もが思い悩んで行き詰る。そして、極端な厭世論にたどり着いて自己憐憫に酔うのだ。
そして、彼も破滅願望の成就と救世主再臨を望んだ。その方法が突飛を好む子供らしい。無力な木偶の坊な自分を救済する手段は一つしかない。
悪魔的な何かにすがり、凡百をしのぐ超人力を授かればよい。ダメな自分をどうやっても克服することなど不可能だと知り尽くしている。