●宣戦布告
小さなカーテンを右に寄せると、ガラスの向こうに黄金の瀑布が広がっていた。
機体は日付変更線を超えて睡魔の王国を横断する。
眼の高さに街明かりはない。ただ、キラキラと不規則な稜線が月に照らされる。
夜空を染めるグラデーション。黄土色からエメラルドグリーン。寒色かと思いきや、目が覚めるほど鮮やかなピンク。
残像がいそがしく増殖して視界が痛い。
「ブランケットをもう一枚?」
やさしい気遣いが長旅を癒してくれる。
「いや、ウオッカをくれ。氷はいらない」
タイミングよく、グラスが差し出される。
人が何に幸せを感じるのか、彼女は地母神より心得ている。
「ありがとう」
自然なやりとりが敗者復活の種火になるかと言えば、神のみぞ知る、だ。
すくなくとも広大無辺の空間を埋める目途はまったくない。

正直言って、今回の移動は旅という言葉の本質を改めて教えてくれた。
古来、離れた場所に移動する行為はやむにやまれぬ苦渋の選択だったはずだ。
住み慣れた場所を棄てて未知の環境でやり直す。その困難な過程として旅があった。
出発の動機はいろいろある。天災地変で生活の糧が得られない、外敵に襲われた。
様々な理由で生活の安全を脅かされた結果として旅がある。
そして目的地があればいが、たいていは定まらぬ未来を手探りする。
旅とは辛くて危険と困難を伴う。
現代のように快適、居住性なとと言った機能を追求する事は旅の存在理由に反する。

「アンドレイ。随分と厭世的じゃないか。もう萎えたのか」
バーグマンは、ブログの更新分に控えめな攻撃を加えた。
「ああ」
日記の主はエアタブレットを右手で払うとグアテマラを煽った。
ラム酒はコストパフォーマンスがよく、黒糖の甘い匂いが如何にも良い酒だ。
しかし、スパイシーな香りが強く鼻に抜ける。スパイスドラムほどではないにしろ。辛らつだ。
「済んだことだ。もう少し前向きに考えたらどうだ」
バーグマンは実直な男だ。いつも失敗したビジネスからチャンスを見つけようと嗅覚を鋭敏にする。
たいしてアンドレイは内向的で攻撃的で悲観論者だ。
「じゃあ、打って出るんだな? カルバートをあらゆる手段で徹底的に追い詰める!」
そして、彼はヒステリックで攻撃的だ。
「しねえよ。どうせ返り討ちに遭う。奴の顧問弁護士は救いの神って崇められてる」
「死刑無罪放免請負人が怖くて地獄のオンラインゲームを開発できるってか」
アンドレイは往生際が悪い。
それだけ次回作に入れ込んでいたのだ。
構想5年——彼に言わせばの話だ。実際には高校生時代のアイデアノートを先月まで塩漬けにしていた。
満を持した意欲作が世界恐慌のあおりで次から次へと発売延期になり、糊口をしのぐリリーフとしてアンドレイが抜擢された。
新たにコンセプトアートやシナリオを書き下ろす予算も時間のないまま、中二病の具体化が図られた。
桁外れの一撃になる。最後の1行をコーディングし終えた時、アンドレイの瞳は燃えていた。
「ドラゴン・イコライザー~機龍の兵帝者」は彼のノートに心酔したデザイナーたちの意欲を焚きつけ。
急場しのぎとは思えない素晴しい操作性と少女が夢見るような美麗キャラクターが暴れまわる傑作となった。

それをカルバートが奪った。

ピヨピヨと安っぽい電子音がアンドレイの傷心を逆なでした。コンペティションの席上でカルバートが配った試供品だ。
テンノウドーのポータブル端末にアルバートの魂が同梱されている。
「ワイバーンロード・ホライズンズ」
勧善懲悪そのものと戦い、善悪両方の言い分を平等に吟味して共存共栄を探る。
コロンブスの卵的な新機軸がオープニングムービーに流れている。
ただ、惜しむらくは表現が追い付いてない。のっぺりとしたポリゴンにアダルト系っぽいマダムがしなをつくっている。
カルバートはソースコードを盗み出してからコンペティションまで三日もなかったはずだ。
その間にグラフィックと音楽をでっちあげ、マスターアップまでこぎつけた実力は評価できる。
テンノウドー4Dワオ!のローンチタイトルとしては十二分に通用する。
バーグマンほど目は肥えてない親子に限っての話だが。
とまれ、アルバートとバーグマンが極秘の実行ファイル本体とプレゼンテーション動画を携えて意気揚々と到着した時、コトは始まり、すべてが終わっていた、

「ワイバーンロード・ホライズンズ! 誰も見た事のない空想郷とカッコよさを実体験してください」
ピヨピヨと気の抜けた旋律がフルオーケストラで演奏されれば、それなりにゴージャスに聞こえる。

「どういうことだってばお」
絶句するアルバートにカルバートが歩み寄った。
「悪いが、先に始めさせてもらった」
「なんなんだよ! これは」