「お父さんが住んでいた街にはね、穏やかな春と、少しの夏しかなかった。ひどいときは、ほとんどが冬に閉ざされていたよ。それでも、その中に春や夏を感じさせる時間があった。真っ白な雪景色に晴天の空が差して、銀白の絨毯がきらきらと輝くんだ。雪の間からは花が覗いてね。寒さに厳しい場所だったけれど、お父さんは、あの街が本当に好きだったよ」

 地元には、積もらないほどの雪が降った。

 ビルに降り注ぐそれを想像しながら、香澄は父の話しに耳を傾けた。

「なんだか、別世界のお話みたいね」
「そうだね、別世界なのかもしれない。ずっと北の、雪の国の話だ」

 父は取り留めもなく話し、前触れもなく眠りに落ちた。

 そうして、しだいに覚醒している時間の方が短くなり――凍えるような秋の暮れに、静かに息を引き取った。

 痛み止めを求める苦しみもなく静かに旅立った父の死は、それこそ幸いだったと医者は述べた。脳が麻痺してこん睡状態に陥った患者は、深い睡眠の中で死を迎えるのだ。