彼は三十一歳になっていた。

 父の体調は良くなっていた。あと一カ月もすれば、一年ぶりに家に帰ることが出来るまでに回復していた。

 大腸癌を宣告されたときの余命が脳裡にちらついたが、香澄はそれを振り払って晃光からのプロポーズを断った。

「思い出がたくさん詰まっている家で、お父さんと過ごしたいの」

 あなたを好きかもわからない、とは言えなかった。

 会う回数はじょじょに減り、過ごす時間も確実に短くなっている。

 そこには、桜宮家の思惑があるように思われた。見知らぬ女性に睨まれたりすると気になり、どこからか桜宮家の人間が覗いていないだろうかと緊張し、まるですべての人に『桜宮晃光の婚約者として相応しいか』と審査されているような苦痛を覚えた。

 お互いの肩や、手に触れることもない日々。

 上べだけの『婚約』の文字が、そこにはあった。

 それは、とても不思議なほどにまったくの赤の他人を縛り付けるものだ、と香澄は思った。

 それでも――