昼休み、久しぶりに生徒会の集まりがない俺を捕まえて将人は昼食を誘ってきた。
 購買で買ってきたであろう焼きそばパンを左手で頬張りながら、右手は器用に携帯。わざわざ誘ったくせにとは思うが、これがいつもの彼だった。

「俺、一応生徒会長なんだけど。放課まで携帯禁止だぞ」
「会長権限で不問にしてくれ。それにすぐに返さないと西高の由美ちゃんが心配するんだよ」

 先週は付属高の人と付き合っていた気がするが、これも変わらずいつものことだ。俺とは違ってモテる将人は、恋人をとっかえひっかえしている。一応擁護できる点は、決して浮気だけはしないところだ。

「そんなことよりさ、修一少し変わった?」
「どうして?」
「なんか、前より明るくなった気がする。好きな人でもできたか?」
「いや……」
「嘘下手だな」

 俺という人間は器用ではないから、いろいろなことが顔に出てしまうらしい。

「もしかして、生徒会副会長の道心って子?」
「知らないよ」
「可愛いもんなーあの子。修一が好きそうなタイプだ」

 将人は相変わらず携帯を触り続けている。俺は熱くなる顔を誤魔化すように、ため息を吐いた。

「顔で好きになったんじゃない」
「まあ上手く行くように応援はしてるよ。卒業までもう一年もないんだから、せめて悔いのないようにな」

 将人の言う通りだ。高校三年の俺たちは、悩めば悩んだだけ一緒に過ごせる時間は少なくなっていくから。
 だけど一週間で恋人を作れるような器用さは俺になく、さりとて二人の仲を前進させるような勇気も持ち合わせてはいなかった。そんな俺をあざ笑うかのように、二日後には昇降口で楽しげに話をしている道心と将人の姿を見つけてしまった。ちょうど、桜が完全に散ってしまった日のことだ。
 気付かれないように逃げ出そうと思ったけど、間の悪いことに彼女は俺を認めると「あ、会長おはようございます!」と律儀に朗らかな挨拶をしてきた。勝手に、足は止まっていた。

「……おはよ。朝から仲良いね、二人」
「実は、将人先輩と会長のことについて話してたんです」
「……そうだったんだ」

 本当に、彼女は裏表のない人だ。

「今年のスポーツ大会、上手く行きそうなんだって? 正直去年まで同じことの繰り返しでつまらなかったから楽しみにしてるよ」

 それだけ告げると、名残惜しさの欠片も感じさせず将人は教室へと向かった。余裕のある男はやっぱり違う。ああいうところに女性は惹かれるんだろうなと、少しだけ悔しく思ってしまった。
 後姿を見送っていると、内緒話でもするかのように道心がこちらへ近寄ってきて、ほのかにホワイトムスクの香りが鼻腔をくすぐった。

「将人先輩、会長のことすごい褒めてましたよ」
「なんて?」
「友達や大切な人にすごく誠実で、良い奴だよって」

 途端、馬鹿みたいに嫉妬していた自分が恥ずかしくなって、鼻の奥がツンとした。
 その日の昼休み、また将人は昼食を誘ってきて、右手で携帯を操作しながら「莉奈ちゃん、彼氏いないってさ」と教えてくれた。
 俺は、彼女に告白することを決心した。


 人生とは、ままならないものだと思う。初めて強く感じたのは、高校受験に失敗してしまった時だろうか。人並み以上に努力をして、絶対に合格できるという自信を持って挑んだ受験は、しかし不合格という結果に終わった。
 明確に、何かに拒絶されたのが初めての経験だったから、俺はこの学校に入学することになった後、それなりに落ち込んだ。きっと将人がこの学校に居なければ、俺は今でも『こんな場所にいるはずじゃなかったのに』と燻ったままだったと思う。
 とはいえそれはもう二年も前の過去の話で。俺の中では決着の付いている話ではあった。けれど今になって思い出してしまったのは、放課後の生徒会の定例会議が終わった後、一緒に帰ることになった道心と、彼女の忘れ物を教室に取りに行った際にそれを聞いてしまったからだろう。

「マジで道心必死すぎだよ。巻き込まれるこっちの都合も考えてほしい」

 教室で話をしていたのは、私用で定例会議を休むと言っていた会計の新田風音だった。椅子ではなく机の天板に座り込んで、お友達と三人でケタケタ愉快そうに笑っていた。

「風音、内申点稼ぐためだけに生徒会入ったのにね。余計なことに巻き込まれて大変だね」
「私だったら今すぐやめてるわー」
「だいたい、いじめのない学校にしていきたいですって、無理でしょそんなの。痛すぎ。会長も、絶対に道心のこと好きだよ。だから二人して頑張ってんの。キモいよ」

 初めて彼女の演説を聞いた時、それは理想論だと俺も思った。何百人も在籍する狭い箱庭の中だから、反りが合わない人がいるのは当然のことで。
きっと戦争がなくならない限り、いじめもまたなくならないと思うからだ。
 けれど道心の言葉や行動は、笑っていいものじゃない。声を上げられない人の意見も、必死ですくい上げようとしているんだから。その事実に感謝しろとも、手伝ってほしいとも思わないけれど。
 ただ純粋に、馬鹿にするようなことだけは、してほしくなかった。
 だから俺は、立ち止まったまま微動だにしない道心の代わりに、ドアを開けて教室の中へと入った。三人の視線が一斉にこちらを向き、俺を認めた新田がバツの悪そうな表情を浮かべた。

「あ、会長……どうしたんですか? 二年のクラスなんかに……」
「道心の席ってどこ? 筆箱、忘れたみたいで」

 訊ねると、彼女は思い出したように座っていた机から飛び降りて、気まずそうにそこから距離を取った。引き出しに手を入れると、確かにそこには道心がいつも使っている筆箱があった。
 それを持って、すぐに教室を出てもよかった。だけど未だ無色透明で空っぽだった俺は、せめて年相応くらいには青くなりたかったのかもしれない。だから何も言い返さずに帰れるほど、穏やかにもいられなかった。

「頑張ってくれてるんだよ、彼女。当日もちゃんと楽しめばいいのに、人手が足りないから一日運営側に回らせてくださいって言ってくれてる。そういうところ、ちゃんと見てあげてほしい」

 それからお友達二人がバレー部で、アンケートにも二人揃ってバレーがしたいですと書いていたのを思い出した。

「たぶん戦力が偏るから一緒のチームにはなれないだろうけど、当日は一位になれるように二人とも応援してるよ」
「あ、ありがとうございます……」

 伝えたいことだけ伝えて、教室の入口へと踵を返す。もし気に入らないと思ったら、新田は生徒会を辞めるだろう。それなら俺が二人分頑張ればいいと思った。どうせ半年後には、もう生徒会を引退しているんだから。半年、頑張るだけだ。
 ドアに手を掛けて開こうとした時、目元を赤く腫らしている道心と窓越しに目が合った。まだ伝えていなかったことがあったのを思い出し、振り返るような無粋なことはせずにそれを伝えた。

「それと俺は、道心のことが好きだよ」