文化祭の一週間前のホームルームでのこと。
 この時間は文化祭当日の出し物の担当決めがされていた。
 クラスの出し物は一時間ごとのローテーションで担当を分担された。
 八時五十分からスタートして昼の二時五十分に終了する予定であるため、最初から順にA班、B班…F班まで振り分けられた。クラスは全部で四十人だから各班ごとに六人から七人となる。
 担当する班の決め方はくじ引きというシンプルな方法だった。箱の中にAからFまで書かれた紙切れが入っており、それを出席番号順に引いていくというものだった。  
 僕の名字は「和田」、もう小学校のころから最後の出席番号。出席番号順となると、いつも最後になる。『残り物には福がある』などとはよく聞くが、それは福のあった勝者の言葉であり、福が残っているなどとは断言できない。これは経験談。
 そして残された紙切れには雑に「C」と書かれていた。C班は十時五十分から十一時五十分が担当の時間帯だ。午前中に終わったとしても午後からは何をしようか。誰かと一緒に回ることも考えたが、いうても高校の文化祭だ。おそらくネタはすぐに切れて「これから何をしようか」などと言い合っている光景が目に浮かぶ。
 ホームルーム自体は担当の班決めで終わっており、残りの時間は自由時間となっていたため、友達と話をする人、スマホを夢中になっていじっている人、塾の宿題かどうかわからないが問題集にペンを走らせている人と様々だった。
 そんなときに目に飛び込んできたのが前の席にある紙切れの文字。そこには僕の紙切れと同じように、雑に「D」と書かれていた。
 ……せっかくの学校のイベントなんだし、勇気振り絞って「一緒に文化祭回りたい」って言ってみようかな。
 それは突飛な考えだった。
 ただ一緒に文化祭を楽しみたい。
 それだけの感情だった。
 気が付けば僕は、椅子に座ったまま前のめりになり、机に左肘をつけ右手の人差し指で彼女の右肩を彼女ポンポンと叩いていた。すると、彼女は驚いた表情を浮かべながら振り返った。
「和田くんどうしたの?」
 首を少し傾げながら彼女は聞いてきた。
 一緒に文化祭を楽しみたい、その感情だけが先走ってしまい、何を言うか考える前に行動してしまった。案の定、何と切り出せばいいのか分からず困惑してしまった。
「山本さんはどこの班だったのか気になっちゃってさ」
 喉から出た言葉は上手い切り出し方だったのではないか。なんせ直近の話題だ。
「わたしはDだったよ。和田くんはどこの班だったの?」
「僕はC班になったよ。CもDもちょうど真ん中の時間帯だから前後で何していいか分からないよね」
 一緒に回ろうという言葉を発せるように何とか思考を巡らせて、CとDの共通点を探していたが、一向に思いつかず、面白くもないことを言ってしまった。
 ……結局は担当の時間帯が違うというだけで共通点もクソもないわけであるが。
「すごいわかる。でもわたし学校のイベントって人が多くて苦手なの」
「そうそう、僕も協調性とか苦手でなんか学校のイベントは好きになれない」
 ……あれ?なんか普通に会話できてないか?
「去年の文化祭なんて空き教室見つけてずっと読書してたし」
「え、山本さん読書よくするの?」
「読書大好きだよ!」
 彼女は曇りのない眩いばかりの瞳を開いて、食い気味にそう答えた。
 彼女が読書をよくしていることは普段の生活を見ていればすぐに分かることだった。朝の登校してからホームルームまでの時間、授業の合間の休憩時間など、暇があれば何かしらの本を読んでいる。結衣ちゃんが前の席だからよく見えるだけで、決してストーカー行為とは言わないでほしい。
「そうなんだ。僕も本を読むのが好きだから気が合うね」
「え、和田くんも読書好きなんだ!」
「音が多くて内容に集中できないから学校では読まないんだ」
「どんなジャンルの小説を読むの⁉」
 文化祭の話をしてるときの表情とは全く違う、本の話になったとたんめちゃくちゃ食い気味に聞いてくるじゃん。
 それからの話の主導権を握ったのは意外にも彼女だった。彼女は本の話になると人格が変わっていると錯覚するくらいに、普段の学校生活では考えられないほど読書へ対する熱意を語ってくれた。もはや「一緒に回らない?」と切り出すのは難しい状況だった。今なお、好きな本ベストスリーを教えてくれている最中であり、一位の発表に移るところだ。
「好きな小説第一位は『好きだ。』です!この本は記憶喪失になった女子高生のお話なんだけど、記憶がなくなる前に付き合ってた同級生がもう一度惚れさせるっていう青春小説なの!」
 彼女の弁は留まることを知らないのか。
 その瞬間にホームルーム(仮)の終わりを告げるチャイムが鳴った。
「え、もう終わり⁉この小説は本当に好きだからもっと話したかったのに!」
 彼女はまだ話し足らないという不服の言葉を吐き、頬を赤ちゃんのように膨らませた。また話そうね、そう言って彼女は前を向いた。
 ……ああ、結局誘えなかった。
 両肘を机につき、俯いた。木で作られた机の木目を目で追いかける。結衣ちゃんの読書への愛が半端ではないことを知れただけでも良しとしよう。なにより彼女の方から「また話そうね」って言ってくれたのは大きな進歩だ。
 そうやって今回の目標『結衣ちゃんと文化祭を一緒に回りたい』を達成できなかったことを忘れるかのように、ポジティブに考えるようにしていた。ただの現実逃避でしかないんだけど。
 ホームルームの後は帰りの会があって帰るのみだ。彼女の話をたくさん聞いていたためか、疲労感が大きく感じられる。今日はもう寄り道せずにまっすぐ帰ろう。 
 そう考えながら引き出しに入っていた教科書をバックに詰め込んでいると、突然彼女が僕の方へ振り返った。そこには先ほどまでの光に満ち溢れた瞳はなく、どことなくそわそわしているようにも見える。ホームルームが終わった以上、彼女が僕に話しかけることは何もないはず。
「え、えーっと……んーっと」
 僕の頭には単純な疑問符しか浮かんでいない。なにをそんなに歯切れの悪そうなことがあるだろうか。視線が定まらず、きょろきょろしている。
「どうしたの?」
 彼女が話を切り出しやすそうにこっちから振ってみた。すると彼女の口から出たのは思いがけない言葉だった。
「よかったら文化祭さ、一緒に回らない?」
 その言葉の意味を理解するまでに相当な時間を要した。
「大丈夫?」
 しばらく自分の世界に入っていると、彼女の方から声がかかった。
「大丈夫やよ。僕でよければ」
「やよ?」
 なんて返せばいいのか分からずに変な語尾になってしまった。
 頬は赤くなっていないだろうか。心臓の大きな音は聞こえていないだろうか。顔はにやけていないだろうか。本当は嬉しすぎて頭が真っ白になっている。
「よかった!それじゃまた集合場所とかは知らせるね!」
 そう言って、こちらの言葉を待たずして彼女は前を向いた。
 僕は彼女に聞こえるかどうかくらいの安堵の息を吐いた。
 頬は赤くなっていないだろうか。
 心臓の大きな音は聞こえていないだろうか。
 顔はにやけていないだろうか。
 ……まさか結衣ちゃんの方から誘ってくれるなんて。神様ありがとう‼
 何が起きたのか理解できていなかったから、頭の中は真っ白だった。
 でも、なにはともあれ結衣ちゃんと文化祭一緒に回れるぞ。目標達成だ!