中学二年生の冬、私は好きな人に告白した。
私は剣道部だった。剣道部員は私を含めて女子は5人。男子は2人。計、7人の少人数な部活だった。
この部活はいわゆるサボり部というヤツで、何度もサボっているところを顧問の先生にバレては部活停止になっていたような部だ。
部活の時間になれば、ひとまず道着に着替えて、面や籠手などの剣道具が並んだところに集まって駄弁を弄するのが日常。私はこの時間が好きで、毎日6限目のチャイムが鳴るのを楽しみにしていた。何故なら、男子部員の一人が好きだったから。
私はよく彼のことを誰かに話すとき、“アイツ”と呼んだ。アイツは運動もできて頭も良くて、何よりも優しくて面白いヤツだった。アイツと話すと、2時間なんかあっという間に経つのだ。
女子部員の5人のうち、私以外の2人もアイツを好きだった。私は抜け駆けなんて気持ちはなかったけども、二人には好きということを教えずに、ひっそりと告白した。
好きと言われて付き合った彼女がいたという話を聞いて、ほんの少しだけ希望を持ったから。
しかし、結果はダメだった。しかも、私は振られるのが怖くて何十分と家の前で泣いてしまった。やってしまったと後悔した。
「泣いてるし引っ越すとか言われるんかと思ったで」
「全然。ただ、言うのが怖かっただけやねん」
ずびずびと鼻を啜って、汚い顔で話してたのだと思う。今思えば、そんな状態で告白したなんて有り得ない。
「でも、俺、お前のこと結構好きやで。なんて言うか、そこまで届かへんだけで友達以上っていうか。やから、悲しまんといて」
私を余計に希望で苦しませることがアイツは分からない。
でも、その言葉は優しい彼らしい性格ゆえなんだと感じる。だからこそ、彼に何でそんなこと言うの、なんて責められないわけだ。
私は期待のままに、アイツへアタックし続けた。バレンタインも本名でもちろんあげた。「義理じゃないから!」と家まで行って、渡したのだ。我ながら少女漫画じゃあるまいし、なんてセリフだ。
そうして、盲目な私は三年になってからもよくメールをしたり、返事をせかしたりした。アイツは携帯を持っておらず、親の携帯で友達とやり取りしていたので、電話したい時は家の電話にかけた。毎回、何時間も話しすぎるせいで、アイツの親に嫌われたものだ。
というのも、アイツの母親は銀行員で父親も堅物な人だった。医者を目指すアイツのことを母親はとても期待していたようで、三年の大事な時期に邪魔をする私が不愉快だったみたいだ。
それから段々と私の気持ちも落ち着き、三年の秋頃には別の人を好きになっていた。塾の先生だったというのはまた別の話だが、卒業する頃にはすっかりアイツへの恋心はなくなっていた。
その後、高校生や大学生になっても、帰りに出会う度に私たちは長時間、立ち話をした。本当に、アイツとは気が合っていたんだと今でも思う。
大人になって偶然の遭遇をきっかけに一度だけ私はアイツと二人で飲みに行った。アイツは二浪した後、医者の道は諦めて先生になるための勉強を東京でしているようだった。一方、私は社会人一年目。地元の中小企業で何とか仕事を覚えている最中といったところだ。
そして、二軒目で終電が近づき、アイツは言った。
「明日の予定、キャンセルして朝まで飲んでもええな」
お互いにフリーだったので、つまりそういうことだ。だが、結果的に私たちは終電で帰った。
この人は「友達以上」だと言ったあの時から何も変わらない。何だか、可笑しく思えた。
がたん、ごとん。帰りの電車。肩と肩が触れ合う距離。二人ともほろ酔いのまま、たぶん私だけがドキドキしていた。何だか少し、中学時代の恋心を思い出した。
教えてあげたいな、あの時の私に。あなたの恋は叶うことはなかったけれど、大人になっても二人で飲みに行くくらいの友達。それこそ、友達以上なんだよ、と。
私は剣道部だった。剣道部員は私を含めて女子は5人。男子は2人。計、7人の少人数な部活だった。
この部活はいわゆるサボり部というヤツで、何度もサボっているところを顧問の先生にバレては部活停止になっていたような部だ。
部活の時間になれば、ひとまず道着に着替えて、面や籠手などの剣道具が並んだところに集まって駄弁を弄するのが日常。私はこの時間が好きで、毎日6限目のチャイムが鳴るのを楽しみにしていた。何故なら、男子部員の一人が好きだったから。
私はよく彼のことを誰かに話すとき、“アイツ”と呼んだ。アイツは運動もできて頭も良くて、何よりも優しくて面白いヤツだった。アイツと話すと、2時間なんかあっという間に経つのだ。
女子部員の5人のうち、私以外の2人もアイツを好きだった。私は抜け駆けなんて気持ちはなかったけども、二人には好きということを教えずに、ひっそりと告白した。
好きと言われて付き合った彼女がいたという話を聞いて、ほんの少しだけ希望を持ったから。
しかし、結果はダメだった。しかも、私は振られるのが怖くて何十分と家の前で泣いてしまった。やってしまったと後悔した。
「泣いてるし引っ越すとか言われるんかと思ったで」
「全然。ただ、言うのが怖かっただけやねん」
ずびずびと鼻を啜って、汚い顔で話してたのだと思う。今思えば、そんな状態で告白したなんて有り得ない。
「でも、俺、お前のこと結構好きやで。なんて言うか、そこまで届かへんだけで友達以上っていうか。やから、悲しまんといて」
私を余計に希望で苦しませることがアイツは分からない。
でも、その言葉は優しい彼らしい性格ゆえなんだと感じる。だからこそ、彼に何でそんなこと言うの、なんて責められないわけだ。
私は期待のままに、アイツへアタックし続けた。バレンタインも本名でもちろんあげた。「義理じゃないから!」と家まで行って、渡したのだ。我ながら少女漫画じゃあるまいし、なんてセリフだ。
そうして、盲目な私は三年になってからもよくメールをしたり、返事をせかしたりした。アイツは携帯を持っておらず、親の携帯で友達とやり取りしていたので、電話したい時は家の電話にかけた。毎回、何時間も話しすぎるせいで、アイツの親に嫌われたものだ。
というのも、アイツの母親は銀行員で父親も堅物な人だった。医者を目指すアイツのことを母親はとても期待していたようで、三年の大事な時期に邪魔をする私が不愉快だったみたいだ。
それから段々と私の気持ちも落ち着き、三年の秋頃には別の人を好きになっていた。塾の先生だったというのはまた別の話だが、卒業する頃にはすっかりアイツへの恋心はなくなっていた。
その後、高校生や大学生になっても、帰りに出会う度に私たちは長時間、立ち話をした。本当に、アイツとは気が合っていたんだと今でも思う。
大人になって偶然の遭遇をきっかけに一度だけ私はアイツと二人で飲みに行った。アイツは二浪した後、医者の道は諦めて先生になるための勉強を東京でしているようだった。一方、私は社会人一年目。地元の中小企業で何とか仕事を覚えている最中といったところだ。
そして、二軒目で終電が近づき、アイツは言った。
「明日の予定、キャンセルして朝まで飲んでもええな」
お互いにフリーだったので、つまりそういうことだ。だが、結果的に私たちは終電で帰った。
この人は「友達以上」だと言ったあの時から何も変わらない。何だか、可笑しく思えた。
がたん、ごとん。帰りの電車。肩と肩が触れ合う距離。二人ともほろ酔いのまま、たぶん私だけがドキドキしていた。何だか少し、中学時代の恋心を思い出した。
教えてあげたいな、あの時の私に。あなたの恋は叶うことはなかったけれど、大人になっても二人で飲みに行くくらいの友達。それこそ、友達以上なんだよ、と。