「はーい、じゃあある程度班ができたら塊になって座って!」

 榊原の言葉で、みんなが席を立って、予め決めていたであろう友達とすぐ束になっていく。

「俺たちは二人でいいよな?」

 席を一歩も動かない僕の前に石川が来た。僕は首を縦に振る。

「新、石川、よろしく」

 すると、当然のように米村先生が僕らの前に来た。

「なんですか、よろしくって」
「ここの班二人だろ? だから私はここ」

 何を言っているのかさっぱり分からない。

「榊原、私はここでいいよな?」

 先生は黒板の前にいる榊原に、片手を口に添えてかなり大きなボリュームで聞いた。

「そこ何人ですか?」
「二人」
「大丈夫です!」

 榊原はにこやかな表情で返す。

「担任はクラスで一番人数の少ない班と行動することになっているから、私はここだ」
「嫌ですよ」
「私も高校で一回しかない生徒の修学旅行に介入したいわけじゃない。でもうちの高校は堅苦しいから、そういう融通が効かないんだよ」
「米村先生が他の班に行ったらウェルカムなんだろうけど、新のこの顔見てくださいよ」

 本当に嫌だ。修学旅行までこの人と一緒にいたら、絶対ろくな事が起きない。

「どう足掻こうと私はこの班だ。ドンマイ」

 先生が僕の肩をポンポン叩いてきて、僕の顔はさらに歪んでいく。



「じゃあ二日目の班別行動の道を決めてください。終わったら三日目の自由行動の内容も決めてもらって大丈夫です」

 三泊四日の修学旅行。二日目まで京都、三日目から大阪。なんか移動が激しい気もするけど、班別行動と自由行動で見る場所を被らせないためなのだろう。

「新決めようぜ」
「勝手に決めちゃっていいよ。二日目も三日目もどうせ石川とだろうから」
「ごめん、三日目は先約いるから、新は他当たって」
「榊原か?」
「そゆこと」
「いいだろ新! 私とデートだ。楽しもうじゃないか」

 先生は僕を肩を引き寄せる。

「⋯⋯石川、恨むから」

 石川はそんな僕に手を合わせて、へなへなと謝ってきた。

「二日目は決めちゃっていいよ」
「三日目は先生について行くんで適当にお願いします」

 僕は二人の表情など、素知らぬ顔で外に目をやった。

 外子さんと新一のことが頭にチラついて、何にも集中ができない。





「外子さんってどういう人?」

 いつもの世間話のようなテンションで唄に聞いた。

「なんかお姉ちゃんみたいな? 優しくて、目配り気配り思いやりがすごいできてるイメージかな」

 顎にペンを立てて、少し考えてからスラスラと言った。

「何で?」
「あー、いや、昨日話して、いい人だなぁってさ」
「そうでしょ? 私の家族みたいなもんだし」
「琴さんも外子さんもみんないい人だよ」

 唄はこんな人たちに囲まれている。じゃあ、何で琴さんの前であんな顔するんだろう。

 唄の中で琴さんと外子さんの差がわからない。

「新曲リリースもうすぐだね」

 そんな踏み切ったことが聞けるはずもなく、話を逸らした。

「そうだよ! ちゃんと聞いてね」
「再来週だよね?」

 僕の言葉に唄は「あー」っと言いながら目を泳がせた。

「違かった?」

 唄は何か苦しい顔で、数回言おうとしてはやめてを繰り返した。

「これ言っちゃダメなんだけど、サプライズで今日の二十時にYouTubeで発表するんだ。だから、ちゃんとその時間に待機しててね」
「何それ、誰が提案したの?」
「⋯⋯桐谷さん」

 何となくそんな予感がしたけど、こんなことしていいんだろうか。

「大丈夫? 炎上とかしない?」
「ファンのみんな騙すみたいで嫌なんだけど、言うこと聞くしかないからさ」

 あの人の名前を出すと、唄は急激に顔色が悪くなる。

 もう、いいよ。辞めちゃいなよ。とか言いたいし、この一言を唄が受け入れてくれれば唄を苦しませるものの一つを取り除けると思った。でも、それを言っても聞いてくれるはずがない。

「無視してみたら?」

 僕が今できる精一杯の誘導をしようとした。

 でもやっぱり「いやぁ」と、苦い表情で返される。

「まあ、タイトル好きだし、僕は楽しみにしてるよ」

 

 家に帰ってから、風呂に入って、ご飯を作って、食べて、宿題やって、皿洗いをして、歯を磨いて、としていたら気がつくと二二時を回っていた。いつもなら電話がかかってくる頃なのに電話もなくて、時間の確認を忘れていた。

 不審に思いつつも、YouTubeを開いて、USのアカウントをタップした。本当にアップされていた。動画を押して、広告が流れた。最上部にあるコメントが見えた。
<ずっと思ってたんだけどさ。高校生ですごいって言われてるけど、そんなアーティストAdoで十分だし、こういう意味わかんないことして、調子乗るの目に見えてたんだよな>

 背中がゾワッとした。恐る恐るコメント欄を開いた。それと同時に新曲の『星涙』が流れた。

「何だよ、これ」

 コメント欄は曲ではなく、USの人格否定のような言葉で溢れかえっていた。しかもそれに対して、いいねがたくさんつけられている。いくらスライドさせても、誹謗中傷のような言葉ばかり。擁護するようなコメントを見ても、次はそこを一斉に叩き始める。

 あー、本当に腐ってる。これが日本で現実だ。僕がずっと見てきた世界だ。いつも、どんな時でも裏切って背中を向けて、底に堕ちたら救うものはどこにもいない。希望なんてありゃしない。

「満天の星に輝いた君の涙が星になって、冬の夜空に消えていく。君の背中はもう見えない」

 やっぱり悲しい歌詞から始まった。

 唄はそんな世界知る必要ない。僕が見せないようにすればいい。こんなのはまやかし。



 YouTubeを閉じて、唄のLINEを開く。電話マークを押そうと指を伸ばすと、スマホが鳴った。知らない番号からの電話だ。

「何だよ、こんな時に」

 普段ならすぐ切るのに、なぜか出た方がいい気がした。本当に理由はないけど、出てしまった。

「住永麗美です。新くんの携帯でよろしいでしょうか?」
「は、はい」

 母の姉だ。なんだ、こんな時に。

「今、大丈夫?」
「長くならなければ」

 早くしてくれ。一分でも一秒でも早く唄に電話したい。そんな気持ちで。こんな数秒が何十分にも感じた。

「妹が、亡くなった状態で見つかったの」

 言葉が出ない。

 動揺しなかったといえば嘘になる。でも、僕は一人で生きてきた。楽じゃない。昔は寂しかった。それもこれもいなかった母が悪い。

「⋯⋯だから、何ですか。僕にとっては赤の他人です」
「本気で言ってるの? あなたの母親よ!」

 当然の反応だ。僕の言っていることは人道的にも一般的にもおかしい。そんなこと重々わかってる。でも――。

「知らないですよ、そんなの。もう切っていいですか?」
「そうよね。ごめんね」

 呆れのような言葉を最後にツーツーと電話が切れた。

 あとは、唄に電話をかけるだけ。――だけなはずなのに。指が震えて、心臓がざわついた。顔すら知らない他人の死。テレビのニュースで報道されているのと何ら変わらない。そう自分に言い聞かせても、唄に声をかける気にはなれなかった。