後日、雫の葬式が行われた。
僕が知っている人は病院の院長だった石川の祖父と石川、石川と一緒に住む祖母だけ。祖父母は僕を見ると、優しい言葉をかけてくれた。「いつも雫と仲良くしてくれてありがとう」「最後、雫にちゃんと別れを言ってやってほしい」。
僕は二人の顔を見れなかった。どんな顔で僕を見ているんだろうか。この優しい言葉に裏なんてないのは分かっている。でも怖くて僕は顔を上げられなかった。
最近撮ったのか、遺影の雫はとても元気そうに笑っていた。
死因は心不全だったらしい。
葬儀中、僕の前には石川が座っていた。
「何で言わなかったんだよ!」
僕は葬式のすぐ後、外で石川の胸ぐらを掴んで怒鳴った。
腸が煮えくり返るほどの怒りで、気持ちが抑えられない。今にも血管がはち切れそうなくらい血が昇っていた。
「言えなかったんだよ」
石川は僕の目を見ず、吐き捨てるように言った。その姿は、まるで現実から目を背ける僕みたいで、それが余計にムカついて石川を突き飛ばした。
「それでも言うべきだろ!」
今にも殴ってしまいそうで、ぎりぎりのところで拳が出るのを押さえ込んだ。
「唄が言うなって言ったんだよ! 心臓弱くていつ危なくなるかもわかんなかったんだ」
石川は地面を見ながら言った。今度の石川の口調は強くて、僕の口が篭る。
「お前と会う時は笑顔でいたいっていっつも言ってたんだよ! だからそれを言ったら新が笑顔じゃなくなるからって!」
畳み掛けるように続けてきた。
「じゃあなんだ? もうすぐ死ぬけど、いつも通り接しろって言ったらできたんか?」
「そ、それは⋯⋯」
僕は唄を見殺しにした。僕のせいだ。そんな急に容態が良くなるはずがない。そんなの冷静に考えればわかるだろ。
もし、入院していればまだ数日ひきのばせたんじゃないかって。
視点が合わず、吐きそうだった。
また僕の知らないところで大事な人が死んでいった。雫の顔が浮かぶ度にどうしたらいいかわからなくなる。激しい立ちくらみで今にも倒れそうになる。
新一が死んでから、僕は人に固執しないと決めていたのに、やっぱり知り合いが死ぬというのは本当に辛くて苦しかった。新一が死んだ時にも感じた気持ち悪さが、永遠と続いて、辛くて、苦しくて、気持ち悪くて、泣きたくて、腹が立って――。
「雫は新が好きだったんだよ。好きな人の前では綺麗な自分を見せたいって、笑顔でいたいって! 当たり前だろ!」
……何、⋯⋯言ってんだ。
何で雫が僕のことを好きになる? 僕は雫に何もしていない。ただ中学の時、小説と同じように、現実から目を背けるためだけに会いに行っていた。自分でも認めている。僕は雫から死にたいという気持ちを消してもらっていた。それだけだ。何もあげてない。ずっともらっていた。そんな僕を好きだなんて。高校に入ってからなんて、会ったのは二回だけだ。
……おかしいだろ。
なんでそんなに僕を追い込むんだ。
身勝手な思考に辛くなり、息が切れる。気持ち悪い。
感情がこんなに抑揚する自分を久しぶりに感じた。新一の時の恐怖と雫の笑顔が交互に僕を襲ってきた。
「僕が、どれだけ――」
「わかってるよ!」
「いいや、何もわかってない!」
この僕の言葉に石川の何かが切れたみたいだった。
僕の胸ぐらを掴んで、さっき僕がしたように強く、足が浮くぐらいに力が入っていた。
そして、殴られた。
痛かった。
拳で人に殴られたのなんて、生まれて初めてだった。僕の頬からは血が出ていたのか、ものすごく熱くて、でもそれ以上に色々なものが込み上げてくる。
石川はそのあと馬乗りになってきた。石川の顔はぐちゃぐちゃで涙に濡れていて、酷いなんてものじゃない。でも、やっぱり石川は僕とは違うんだと、気付かされた。
石川は僕をまっすぐ見ていて、僕にはできない眼をしていた。
「ずっと新一さんが引っかかってんだろ! わかってるさ! どこかに逃げて、気持ちを誤魔化したかったんだろ! 雫だって知ってたかもしれない! でも! それでも良かったんだよ! だから……」
石川の涙が、僕の顔に何滴も垂れてきた。唾もかかって、もう何が何だかわからない。
「それ以上、言わないでくれよ」
石川は懇願するように僕に言った。
「……ごめん」
ただ、僕は返す言葉が見つからなかった。
石川は立ち上がって外方を向いて、流した涙を一生懸命なかったことにするようにして、何度も鼻を啜りながら目を拭っていた。
「悪い、今日は帰ってくれ」
少し落ち着いてから、石川は僕に向けて言った。
僕は黙って葬式場から家に帰った。電車に揺られながら、何度も戻ろうかと思った。
そうだ。戻って、もう一度雫の顔を見よう。僕のことを好きでいてくれた過去にも未来にもいないかも知れない、一人の女の子の顔をもう一度⋯⋯。
葬式場で見た一度きりの顔とは違く見える気がした。思い返すと涙が出てきた。もう会うことができない。あんなふうに笑ってくれることはない。僕は笑った雫しか見たことがなかった。雫は何度も泣いて、辛いことも沢山あったはずだ。
思えば思うほど、僕は雫という少女の泣いた顔を見てみたくなった。変なのかも知れない。だけど、本当の雫がそこにいる気がして、そうすればもっと違った、もしかしたら支えたいなんて思えたかもしれない。
雫のためにもっと色々してあげたかった。