前回のあらすじ
自らの死とその後を語る老人。
そして未来は……。
《白亜の雪鎧》を脱ぎ去り、自分の目でしっかりと紙月を見つめて、未来は、改めて呼吸を整えた。舌が乾いて、指先が冷えた。目は泳ぎそうになり、唇は震えた。
しかし、それでも未来は語らなければならなかった。
覚えていないことをいいことに、隠し続けてきたのは自分なのだから。
「紙月は、元の世界で最後の日が何の日だったか、覚えてる?」
「最後の日……は……確か………」
「その日は、人と会う約束をしていた」
「そう、だ……俺は、そうだ、あの日、俺は」
「そう。僕と会う、約束をしていた」
MMORPG 《エンズビル・オンライン》は老舗ではあったが、どうしようもなく陰りを見せてきている下火のゲームだった。未来たちはそれでも休日の度に二人で組んでプレイし、平日も暇を見つけては入り浸っていたけれど、《選りすぐりの浪漫狂》というギルド内でもログインしなくなるものは増えつつあり、往年の活気は失われて久しかった。
それはたかが一年、しかし大きな一年だった。一年もあれば、世の中の流行り廃りは変わっていく。誰が強制するわけでもないゲームともなれば、なおさらだ。
きっとこのまま何年も何十年も、同じようにゲームをプレイして、同じように付き合っていくということはできないんだろう。
小学生の未来にだってそのくらいのことは分かった。
どれだけ今が楽しくても、その今は、いずれなくなってしまうものなのだ。
だから未来は、その今が失われてしまう前に、何かを、してみたかった。
何かになるようなことを、してみたかった。
自分の行く末どころか足元さえもおぼつかない未来には、多くのことは思いつかなかった。
何かをしようと思い立っても、何かを成し遂げるだけの力もなかった。
だからその単純な思い付きに至ったことは、未来にとってこれ以上ない幸運だった。
会ってみたい。
ただそれだけのことだった。
ただそれだけのことを言い出すまでに一月かかり、そして帰ってきた答えは一瞬だった。
いいよ、と。
会おうよ、と。
幸い、二人の住所は天と地ほど離れているわけではなかった。土日の連休を使って、十分に会いに行けるほどの距離。少し前までは宇宙よりも遠く感じていたはずの場所は、地図上で指でなぞることができるほどの近さだった。
二人きりのオフ会は、計画をしているときこそ楽しいものだった。
二人の住んでいるどちらで会おうか。最初はお前の、いいやペイパームーンのと押し問答して、結局すぐに二度目があるからと、未来の家の近所にされてしまった。少し悔しかったけれど、でも楽しかった。始まる前から、二度目の約束ができたのだから。
じゃあ何月何日の何時に、俺はこれこれこういう格好をしていくから、じゃあ僕はこういう格好をしていくね、そうして段取りを組んで待ち構える週末は、遠足前のようにドキドキした。
当日になって、かなり早めに駅前の待ち合わせ場所について、急に冷や汗が止まらなくなって、どうしようって焦り始めた。本当は小学生なんだって言ったら、どんな反応をされるだろうか。彼女(もしかしたら彼?)は怒ったりしないだろうか。怒って帰ってしまわないだろうか。
そうして、そのまま縁が切れてしまわないだろうか。
ゲームの中でさえ、もう会ってはくれなくなったりしないだろうか。
そんな考えがぐるぐると駆け巡るうちにふいに突き飛ばされる様な衝撃がしたのだった。
「あぶない!」
そんな声と同時に、続けて衝撃があって、そして。
「そして、僕は死んだ」
「……っ、あ………!」
頭の中が真っ白になったようなものすごい衝撃と、酷い耳鳴り。どこか遠く聞こえる悲鳴と、空の青さ。焼け焦げたようなにおいと、ぬるく湿った感触。
「ああ」
溜息のようにこぼれた吐息が、未来の最期だった。
「プルプラに聞いたよ。交通事故だって。お年寄りの乗った車が、アクセルとブレーキを踏み間違えて、暴走したんだってさ。話には聞いてたけど、あるんだね。まさか自分が被害者になるなんて、思ってもみなかったけど」
無意識に撫でた胸元は、いまはもう、ただ平らに、健康にそこにある。けれどあの時はきっとひどいありさまだったことだろう。
「あの時助けようとしてくれたのが、紙月だったんだって。ごめんね。僕の巻き添えで、死なせてしまったようなものだ」
「そんな、そんなこと!」
「そんなことあるんだよ。紙月があの時助けてくれようとしたから、紙月は死んでしまったんだから」
「ぐっ……うっ……!」
夢現に、生ぬるいアスファルトの上に未来は神様を見た。あるいは神様のようなものを。
それは本当に神様としか形容ができない全くよくわからない何かで、そしてそれは何者とも知れぬ声で語りかけたのだという。
やあやあ未来くん。
死んじゃったねえ。
物の見事に死んじゃったねえ。
救急車も呼ばれて君はこの後緊急病棟に担ぎ込まれるけど、でも残念、すでに肉体の死は確定して、三十二秒後に君は完全に死ぬ。
今はその三十二秒間を引き延ばしてこうしてお話しているわけだ。
大丈夫?
お話通じてる?
よかった。君本とか読む子? 読む子は大概話通じるってわけでもないけど、読まない子よりは通じる確率が高いよね。あくまでわたし論だけど。
えーっとそれでなんだっけ。
そうそう。
君は死にました。
わーいぱちぱちぱち。
うん? 違うか。まあいいや。
「ペイパームーンは」
うん、なにかな?
「ペイパームーンは、待ち合わせしていた人は、どうなったかな?」
ああ、君をかばおうとして一緒にはねられちゃった人だ。
その子も死んじゃってるよ。
いま同時並列で勧誘中。
そう、勧誘中なのだよ君を。
「後の話は、お爺ちゃんと似てるけど、少し違う」
「違う?」
「残りの三十二秒間があれば、僕は、僕の方だけは助けられる、プルプラはそう言ったよ」
「じゃあ……!」
「答えは今目の前にある通り。僕はそのまま死んでしまう代わりに、そのまま生きていく代わりに、プルプラの与えてくれたこのゲームキャラクターの体で、この世界に転生した」
用語解説
・神は言った。
特にないと。
自らの死とその後を語る老人。
そして未来は……。
《白亜の雪鎧》を脱ぎ去り、自分の目でしっかりと紙月を見つめて、未来は、改めて呼吸を整えた。舌が乾いて、指先が冷えた。目は泳ぎそうになり、唇は震えた。
しかし、それでも未来は語らなければならなかった。
覚えていないことをいいことに、隠し続けてきたのは自分なのだから。
「紙月は、元の世界で最後の日が何の日だったか、覚えてる?」
「最後の日……は……確か………」
「その日は、人と会う約束をしていた」
「そう、だ……俺は、そうだ、あの日、俺は」
「そう。僕と会う、約束をしていた」
MMORPG 《エンズビル・オンライン》は老舗ではあったが、どうしようもなく陰りを見せてきている下火のゲームだった。未来たちはそれでも休日の度に二人で組んでプレイし、平日も暇を見つけては入り浸っていたけれど、《選りすぐりの浪漫狂》というギルド内でもログインしなくなるものは増えつつあり、往年の活気は失われて久しかった。
それはたかが一年、しかし大きな一年だった。一年もあれば、世の中の流行り廃りは変わっていく。誰が強制するわけでもないゲームともなれば、なおさらだ。
きっとこのまま何年も何十年も、同じようにゲームをプレイして、同じように付き合っていくということはできないんだろう。
小学生の未来にだってそのくらいのことは分かった。
どれだけ今が楽しくても、その今は、いずれなくなってしまうものなのだ。
だから未来は、その今が失われてしまう前に、何かを、してみたかった。
何かになるようなことを、してみたかった。
自分の行く末どころか足元さえもおぼつかない未来には、多くのことは思いつかなかった。
何かをしようと思い立っても、何かを成し遂げるだけの力もなかった。
だからその単純な思い付きに至ったことは、未来にとってこれ以上ない幸運だった。
会ってみたい。
ただそれだけのことだった。
ただそれだけのことを言い出すまでに一月かかり、そして帰ってきた答えは一瞬だった。
いいよ、と。
会おうよ、と。
幸い、二人の住所は天と地ほど離れているわけではなかった。土日の連休を使って、十分に会いに行けるほどの距離。少し前までは宇宙よりも遠く感じていたはずの場所は、地図上で指でなぞることができるほどの近さだった。
二人きりのオフ会は、計画をしているときこそ楽しいものだった。
二人の住んでいるどちらで会おうか。最初はお前の、いいやペイパームーンのと押し問答して、結局すぐに二度目があるからと、未来の家の近所にされてしまった。少し悔しかったけれど、でも楽しかった。始まる前から、二度目の約束ができたのだから。
じゃあ何月何日の何時に、俺はこれこれこういう格好をしていくから、じゃあ僕はこういう格好をしていくね、そうして段取りを組んで待ち構える週末は、遠足前のようにドキドキした。
当日になって、かなり早めに駅前の待ち合わせ場所について、急に冷や汗が止まらなくなって、どうしようって焦り始めた。本当は小学生なんだって言ったら、どんな反応をされるだろうか。彼女(もしかしたら彼?)は怒ったりしないだろうか。怒って帰ってしまわないだろうか。
そうして、そのまま縁が切れてしまわないだろうか。
ゲームの中でさえ、もう会ってはくれなくなったりしないだろうか。
そんな考えがぐるぐると駆け巡るうちにふいに突き飛ばされる様な衝撃がしたのだった。
「あぶない!」
そんな声と同時に、続けて衝撃があって、そして。
「そして、僕は死んだ」
「……っ、あ………!」
頭の中が真っ白になったようなものすごい衝撃と、酷い耳鳴り。どこか遠く聞こえる悲鳴と、空の青さ。焼け焦げたようなにおいと、ぬるく湿った感触。
「ああ」
溜息のようにこぼれた吐息が、未来の最期だった。
「プルプラに聞いたよ。交通事故だって。お年寄りの乗った車が、アクセルとブレーキを踏み間違えて、暴走したんだってさ。話には聞いてたけど、あるんだね。まさか自分が被害者になるなんて、思ってもみなかったけど」
無意識に撫でた胸元は、いまはもう、ただ平らに、健康にそこにある。けれどあの時はきっとひどいありさまだったことだろう。
「あの時助けようとしてくれたのが、紙月だったんだって。ごめんね。僕の巻き添えで、死なせてしまったようなものだ」
「そんな、そんなこと!」
「そんなことあるんだよ。紙月があの時助けてくれようとしたから、紙月は死んでしまったんだから」
「ぐっ……うっ……!」
夢現に、生ぬるいアスファルトの上に未来は神様を見た。あるいは神様のようなものを。
それは本当に神様としか形容ができない全くよくわからない何かで、そしてそれは何者とも知れぬ声で語りかけたのだという。
やあやあ未来くん。
死んじゃったねえ。
物の見事に死んじゃったねえ。
救急車も呼ばれて君はこの後緊急病棟に担ぎ込まれるけど、でも残念、すでに肉体の死は確定して、三十二秒後に君は完全に死ぬ。
今はその三十二秒間を引き延ばしてこうしてお話しているわけだ。
大丈夫?
お話通じてる?
よかった。君本とか読む子? 読む子は大概話通じるってわけでもないけど、読まない子よりは通じる確率が高いよね。あくまでわたし論だけど。
えーっとそれでなんだっけ。
そうそう。
君は死にました。
わーいぱちぱちぱち。
うん? 違うか。まあいいや。
「ペイパームーンは」
うん、なにかな?
「ペイパームーンは、待ち合わせしていた人は、どうなったかな?」
ああ、君をかばおうとして一緒にはねられちゃった人だ。
その子も死んじゃってるよ。
いま同時並列で勧誘中。
そう、勧誘中なのだよ君を。
「後の話は、お爺ちゃんと似てるけど、少し違う」
「違う?」
「残りの三十二秒間があれば、僕は、僕の方だけは助けられる、プルプラはそう言ったよ」
「じゃあ……!」
「答えは今目の前にある通り。僕はそのまま死んでしまう代わりに、そのまま生きていく代わりに、プルプラの与えてくれたこのゲームキャラクターの体で、この世界に転生した」
用語解説
・神は言った。
特にないと。