前回のあらすじ
散らかり、荒れ果てた研究所へようこそ。
そもそもの話として、どうしてまたよくわからない鉱石を集めていたような学者が地竜の卵の孵化実験などしているのかということを尋ねてみると、それは逆なのだという答えが得られた。
つまり、先に地竜の卵が彼女らの手元に来て、その調査のために鉱石を必要としていたということなのである。
「卵内部を窺う透視術式にはアスペクト鉱石を触媒として用いることが一般的なんですけれどこの鉱石が面白いことに純度も大事ですがその質量に比例して透視精度を」
「簡単に言うと卵の中身を確認してみるのにたくさんあの鉱石が必要だったんですね。石食い( シュトノマンジャント ) の素材は魔術科で欲しがってる人がいましたのでついでで。協賛ってやつですね」
キャシィが盛り上がってユベルがなだめるというか放置するというのがこのコンビの流れであるらしかった。
ともあれ、この二人が地竜の卵の調査を任され、そのために鉱石を必要としていたということは分かった。
「お二人はその、地竜の専門家、ということに?」
「とんでもない。私たちは、その、何というか……もっとこう……」
「私は魔獣全般の、特に魔獣特有の魔術式の研究をしています。キャシィはもっといい加減です」
「いい加減?」
「何( ・ ) で( ・ ) も( ・ ) 屋( ・ ) なんですよ、言ってみれば。面白そうであれば何でもします」
「はあ」
「一応、これでも優秀なのは確かなのでご安心ください。優秀ではあります」
能力と人間性というのは必ずしも一致するものではないらしい。
あはははー、と能天気そうに笑う姿には邪気はないが、同時に優秀そうという空気もない。
「まあさすがに初見で信用してください、危険があるかもしれない実験に参加してくださいというのは難しいかもしれませんので、一応簡単な自己紹介を。私はこれでも帝都大学で教鞭をとっている教授です」
「教授さん」
「キャシィも一応助教授の資格は持ってます」
「すごいのかな?」
「すごそうではある」
「うーん、学者相手だったらもう少し説明しやすいのに……あ、そうだ、私の発明品見ます?」
せっかくなので見せてもらったのは、一見ごてごてした鎧である。
「資材運ぶのに結構重宝するんですよ」
「フムン?」
「強化鎧( フォト・アルマージョ ) といいます。霹靂猫魚( トンドルシルウロ ) という魔獣の電流術式を流用しています。筋肉に適切な電流を流して、いわゆる火事場の馬鹿力をいつでも出せるようにしたものですね」
「成程、それで資材運びにね」
「でもそれって、あとで疲れるんじゃ?」
「そうですね、筋肉痛待ったなしです。でも外力で補助する既存の強化鎧よりはかなり小型になって、ようやく試用できるかもってくらいにはなってますね」
「出力は着用者次第、か」
「そこが難点ですね。ある程度鍛えた冒険屋さんなんかは自力でそのくらいできますから、実用段階まではまだまだ」
その他にもユベルは様々な研究成果を披露してくれた。
「例えばこれなんかは、試作品の飛行具ですね」
「ひこうぐ?」
「空を飛ぶ道具です」
そう言って見せてくれたのは、何やらごてごてとした機械がついたような、板である。
「こちらの操作盤で遠隔操作できます。こんな感じで……」
ユベルが一抱えもありそうな操作盤とやらをいじると、その板が重低音を響かせながら、ゆっくりと空中を移動する。
「室内なのでゆっくり動かしてますけれど、実際には人が走る程度の速度は出ます」
「遠隔操作可能な距離はどれくらい?」
「これは試作品なので、まあ十メートルくらいですかねえ。きちんと調整すれば二十くらいは行けそうです」
「乗っても大丈夫かな?」
「うーん、その鎧だとちょっときついかもです。出力が内蔵してる魔池( アクムリロ ) 頼りなので……」
「あく、なんですって?」
「魔池( アクムリロ ) ですね。ようするに、魔力をため込んだ石だと思ってください」
「電池みたいなものか」
「成程」
「私は主に魔法を使えない人たちが魔法を使えるようにという観点で発明していますから、どうしても普通の魔道具よりごてごてするし、出力で劣るんですよねえ」
普通の魔道具と言われて思い当たるのが、精霊晶( フェオクリステロ ) を用いた道具の類である。例えば火精晶( ファヰロクリスタロ ) を用いた小さなコンロであったり、風精晶( ヴェントクリスタロ ) を用いた《金糸雀の息吹》などである。
そう言った品々のことを話すと、ユベルは頷いた。
「あれらは極めて単純な、火精晶( ファヰロクリスタロ ) であれば火を起こす、風精晶( ヴェントクリスタロ ) であれば風を起こすといった、精霊の力を特定の形に向けて発揮しているんですね」
例えばこれなどは、と取り出したのは、以前冒険屋ニゾが使ってみせた《静かの銀鈴》である。
「これは振れば一定範囲内の音を遮断する効果がありますが、これは金属自体に練りこまれた風精晶( ヴェントクリスタロ ) が、風の流れを遮断することで音を遮断しているという造りです。これは《金糸雀の息吹》に比べるとかなり複雑な仕組みですけれど、やってることは同じです」
翻って、とユベルは空中に浮かんだ板に腰かけた。
「この浮遊という現象は、一見風精晶( ヴェントクリスタロ ) の仕事のように見えますが、もし風精晶( ヴェントクリスタロ ) で揚力を生み出した場合、常に風が発生して消費が莫大になるだけでなく、周囲への影響が大きすぎます」
「じゃあどうやって浮かしてるんです?」
「うーん、非常に説明しづらいんですけれど、えっとですね、物が落ちるということはですね、」
「重力を操ってるんですか?」
「重力! どこでその言葉を?」
「あー、まあ、魔女のたしなみとして」
「素晴らしい! そう、重力への干渉がこの浮遊術式の肝なんです。単に重力を軽減するだけではふわふわと頼りありませんから、適切な斥力を発生させることで同一座標に固定できるということがこの発明の素晴らしい点でして、そのあたりを感性でどうにかできる魔術師どもは全く理解してくれないんですよわかりますかこの屈辱が! 木から林檎( ポーモ ) が落ちる理屈さえも想像していない古典的世界観の持ち主たちがよりにもよってこの私の発明した、機械的魔術装置を『漂う板』呼ばわりしやがるんですよクッソいま思い出しても腹が立つあの教授いつかとろかした乾酪( フロマージョ ) を鼻に詰めて」
しばらくお待ちください。
「というわけでして、理論がもう少し整理されて、必要な術式を絞ることができれば、もっと小型化することも可能なんです、この《静かの銀鈴》のようにね」
「よくわかりました」
「うん。もうお腹いっぱい」
「あ、ユベル終わった?」
訂正事項。
『まだまとも枠』改め『マッド二号』。
用語解説
・アスペクト鉱石(Aspekto)
透視術式の触媒として用いられる。精錬して純度を上げ、加圧して密度を上げることで、より精密な透視が可能となる。
・強化鎧( フォト・アルマージョ ) (fort armaĵo)
外部動力でアシストするパワードスーツではなく、着込んだものの筋肉に微細な電流で刺激を与えて反射速度やいわゆる火事場の馬鹿力を発揮させる鎧。実験段階である。
・霹靂猫魚( トンドルシルウロ ) (tondro-siluro)
大きめの流れの緩やかな川に棲む魔獣。成魚は大体六十センチメートル前後。大きなものでは二メートルを超えることもざら。水上に上がってくることはめったにないが、艪や棹でうっかりつついて襲われる被害が少なくない。雷の魔力に高い親和性を持ち、水中で戦うことは死を意味する。身は淡白ながら脂がのり、特に揚げ物は名物である。
・魔池( アクムリロ )
魔力をため込んでおける媒体。無色の精霊晶( フェオクリステロ ) などとも言われる。
・浮遊術式
重力に干渉することで物体を浮遊させている、らしい。
前回のあらすじ
マッドが一人、マッドが二人。
両博士のマッド具合もとい優秀さがよくよくわかったところで、話題は地竜の卵へと移っていった。
「魔獣の専門家として、と言いたいところですが、何しろ地竜の卵の観察はこれが初めてでして、おそらく古代聖王国時代でさえこんな研究はなかったでしょうね」
「つまり我々が世界で最初、と言いたいところなんですけどねえ」
「そうではない、と?」
「どうもそうなんじゃないかな、と」
両博士の言うところによれば、今回発見された地竜の卵は、自然下のものとして見るにはあまりにも不自然な点が多いとのことだった。
「まず我々は、この卵を奇麗に掃除しました」
「そこから」
「ええ、そ( ・ ) こ( ・ ) か( ・ ) ら( ・ ) なんですよ」
「この卵は奇妙なほど清浄な状態で保たれていました。つまり、地面に接していた部分を除いて、これと言って汚れなどが見当たらなかったんです」
「…………それが?」
「わかりませんか。つまり、この卵は奇( ・ ) 麗( ・ ) す( ・ ) ぎ( ・ ) る( ・ ) んですよ」
小首をかしげる二人に、両博士はいくつかの書類を取り出した。
「年代測定呪文によれば、この卵はまだ若いもののようでしたが、それでも、十年か、二十年程経っているようでした」
「そんなに卵のままなんですか?」
「大型の魔獣には珍しいことではありませんね。休眠状態のようなものです」
「問題はそこではなく、それだけ森の中で放置されていたにしては、表面に汚れがないということです」
「そっか。十年も転がってて汚れない訳ないですもんね」
「そうです。そしてさらに奇妙な点が、周囲が平穏すぎるということですね」
「平穏?」
ユベルは地図のようなものを取り出して二人に見せた。それはあの卵の見つかった森とその付近の地図であるらしい。
「この地点が卵の見つかった地点で、このまっすぐと伸びる破壊痕が、御二方が討伐した地竜の進路です」
「成程」
「そしてこちらの短い破壊痕が、卵から孵ったとみられるもう一頭の進路です。こちらはかなり前のもののようで、すでに森が回復しつつあり、はっきりとした進路は追えていません」
「十分破壊されているように見えるんですけど」
「新しい傷跡についてはそうです」
キャシィが言うのは、つまりこの卵を産んだ親の地竜はどうなったかということであった。
「ここに卵を産んだ地竜が十年前か二十年前にいたとすれば、当然この辺りはその当時破壊されつくされているんですよ。幼体ではない、立派な巨体を誇る成体の地竜によって」
「成体ってどれくらいの大きさなんですか?」
「少なくとも体長十メートルは超えます。観測史上最大は、えーと、」
「二十五メートルですね。個体名ラボリストターゴ。討伐済みです」
「討伐できたんだそんなの」
「まあ百年以上前の記録ですから、伝説みたいなもんですけど」
少なくとも十メートルを超える怪獣がのしのしと破壊して回ったとしたら、それは十年か二十年前のことだとしても記録に残っていることだろう。森にも破壊の跡が残っていておかしくない。しかし実際には卵だけが残されており、その卵もきれいなものだという。
「騎士ジェンティロたちが回収してくれた卵の殻も調べてみましたが、こちらはコケや土埃など、古い方で二十年程度、新しい方、つまりあなた方が討伐した方でも年単位で経過しているように見受けられる汚れかたでした」
「それってつまり……」
「ええ。まるで誰かが卵だけをここに放置したみたいじゃないですか。それも一度だけでなく、継続的に」
これは奇妙な話であった。そもそもが目撃証言自体少ない地竜という生き物の卵を、それも間をおいておきに来るというのは、どう考えても自然現象などではありえない。
「最初はもしかすると地竜って生えてくるのでは、とも思ったんですけど」
「あ、思ったのはキャシィ( このバカ ) だけです。お間違えなく」
「まあさすがにそんなことはなかろうと現地の調査も続けてもらった結果、人為的な痕跡が見つかりました」
「つまり」
「つまり本当に文字通り、誰かが卵だけ置いていったんですよ」
「た……托卵?」
「そんな面倒見れなくなったから捨ててきましたみたいな発想やめてください」
叱られてしまった。
とにかく、とユベルは言う。
「我々は、というより正確にはもうちょっと上の方々は考えました。これは一体どういうことなのだろうかと」
例えば、地竜の卵をたまたま発見した冒険屋が、売れるかもと思ってここまで運んだものの、何かしらの理由で冒険屋側が失踪。確かに売れるかもしれないが、わざわざ運び込んだ先が西部の森の中というのも意味が分からない。もっと喧伝したことだろう。
ではたまたま見つけてしまった領主が、危険なので他の領まで捨てに行ったのだろうか。いや、それならば破壊してしまった方が早いだろうし、危険を冒してまで他領に運び入れる意味が分からない。では逆に、秘密兵器として領主が秘匿していたのか。いや、うっかり自領で孵ってあわや大惨事だった。
となれば、やはり。
「帝国はこれを他国による破壊工作であると疑っています」
「他国って、つまり」
「我らが怨敵、帝国の長らくの宿敵、聖王国の仕業であると」
用語解説
・ラボリストターゴ(Laboristo tago)
体長二十五メートルを超える超大型の地竜。だったとされる。
百年以上前の伝説のため、はっきりとした記録は残っていない。
前回のあらすじ
地竜の卵には破壊工作の疑いありと論じる両博士であった。
「我々は一研究者ですので、あまり多くは知らされておりません。しかし帝国は冒険屋組合に掛け合って、すでに事態の調査を手掛けているようです。もしかするとあなた方も、聖王国の破壊工作と思しき異常事態に遭遇したことがあるのでは?」
ユベルの問いかけにはっと思いついたのは、先の海賊船事件である。
「そう言えば、ハヴェノで受けた依頼で、海賊船を討伐したんだが、最新鋭だとかいう船よりよっぽど進んだ潜水艦だったな」
「潜水艦! つまり、海中に潜って進むという?」
「自在に進めるかどうかは見てないですけど、海中から現れたのは確かですね」
「そのような技術を帝国は保有していません。ファシャであっても持ち合わせていないでしょう。いないはずです! まだ動力船構想が仕上がったばかりなんですよこっちは!?」
「ですよと言われても」
「それを! 海中に! これは間違いなく聖王国の仕業です!」
「そう、なのかなあ」
「そう、なのです!」
キャシィが断言するところによれば、現在東西大陸で最も先進的なのが巨大な魔力炉のエネルギーで推進機を回転させて進む動力船構想とやらで、これもまだ試作機が出来上がったばかりだという。それを一足飛びで飛び越えて、潜航可能にする技術は、いくら何でもまだ机上にしかないという。
そうなるとそんなものを引っ張り出してこれるのは、古代聖王国時代からの技術をほぼ正当なままに受け継いでいる聖王国をおいて他にはないという。
「他に詳しい点は!?」
「あーっと、なんだっけ、対魔法装甲が優秀だとかで、俺の魔法防がれたんですよね」
「地竜殺しの魔法を防ぐ!? 手加減したんですか!?」
「いや、普通に沈めるつもりだったんだけど、しれっと受け流されました」
「それだけの魔法を攪乱解除する対魔法装甲なんて、それこそ帝都の城壁張りじゃないですか!?」
「俺に言われても」
「むむむむ……はっ、もしかして先ごろ大量に持ち込まれた材木みたいなやつですか!?」
「いや知らないですけど……でも帝都に運んで調査するとか言ってたような」
「うん、確かにそう言ってたね」
「こっちが忙しすぎて忘れてましたけど、えーとどこやったっけ」
二人は整理という名の隠ぺいをしたばかりの部屋をひっくり返してくしゃくしゃになった書類を見つけ出してくると、大いに騒ぎ出した。
「これですよこれ! 積層装甲に塗装基盤式送力装置!」
「なん……なんですって?」
「積層装甲に塗装基盤式送力装置ですよ! 何枚もの装甲版を重ねて防御力を高めると同時に、魔導体を装甲に直接塗り込むことで、送力線を介することなく外部まで魔力を伝達させる新概念装甲! ご覧になった潜水艦には外部に砲口などが見当たらなかったでしょう!?」
「あ、ああ、そう言えば、つるんとしてたな」
「そうです! 最外部の装甲にはなんと塗装式の! 塗装式ですよ! 塗装式の魔導砲! これによって表面の凹凸をなくして防御力を増すと同時に、既存の魔導砲に見られた彫刻部分などの欠損をよりたやすく補修することができるんです!」
「お、おう」
「開閉部が極端に少なく気密性を高められ、仮に陸上でこんな兵器を持ってこられたら重砲でもないと装甲ぶち抜けません――ところがどっこい! 装甲版に金属装甲も用いられている粘り強い積層装甲が物理防御も万全にしているわけです! 何やったらこんな怪物沈められるってんですか!?」
「えーっと、体当たりで」
「質量攻撃! まあそりゃそうなりますよね。これだけの強力な魔力炉積んでる対魔法性能抜群の塊ぶち抜くとしたらそうなりますよね」
「魔力炉?」
「そう、魔力炉! 魔力を注ぎ込むことその魔力量を増大させる拡張装置! いったいどんな燃料燃やせばこれだけの出力を保てるのか!」
「そういえば、潜水艦の乗組員、かなり凄腕の魔術師だったな」
「魔術師! 聖王国の魔術師ともなればこのくらいの規格なら……参考までにどの程度の腕前でした?」
「短い詠唱で船上を丸焼けにするくらいだったね」
「素晴らしい! それだけの実戦魔術師がまだ存在していたとは! 百年間ただ眠ってたわけではないようですね聖王国も!」
何やら大はしゃぎの二人にドン引きせざるを得ない紙月と未来であったが、こうして説明されると、いよいよもってあの海賊の異常さというものが見えてきた。技術的にも裏付けがあるというのは、何とも言えない説得力を持って聖王国暗躍説に信ぴょう性を与えるのだった。
「俺、覚えてろって言われちまったよなあ」
「自爆したけど、あれ、本人は生き延びてそうだよねえ」
フラグというのならば再戦フラグが立っているのだろう。件の炎の魔術師とは。
「まあ、とはいえこの規模の潜水艦が大量に建造されているわけではなさそうですね」
騒ぎ負えてすっきりしたのか、キャシィはけろりとした顔でそう言ってのける。
「そうなんですか?」
「恐らくですけれど。もっと建造されていたなら今も通商破壊は止んでいませんよ……というより、通商破壊は二の次で物資の獲得が目的だったみたいですし」
「そういえば、執拗なまでに荷物を根こそぎにしてるんだったな」
「多分、向こうも余裕がなかったんでしょう。北大陸から南部の海までは、ぐるっと大陸を回ってくる必要がありますからね」
成程それは長い旅路であったことだろう。現行の帆船に比べて乗組員の数はかなり少なく済んだだろうという調査結果が出ているらしいが、それでも人間が動かしている以上、食料や水というものは欠かせない。船を沈めなかったのは、沈めるまでもなく制圧できるという自信があった以上に、沈めたら物資が手に入らないという切実な事情があったのだろう。
「御二方は何かと縁がありそうですねえ」
「そうですかねえ。あとは、精々大嘴鶏食い( ココマンジャント ) の大量発生とか石食い( シュトノマンジャント ) の大量発生くらいですよ」
「大いに関係ありそうじゃないですか」
「ええ?」
「大嘴鶏食い( ココマンジャント ) の大量発生なんて滅多にないですし、折り悪く十何年に一度かというクリルタイの頃に発生するなんて時期が良すぎますね。石食い( シュトノマンジャント ) だって人が出入りしてる鉱山にはもともとそんなに湧くもんじゃないんですから」
「おいおい、陰謀論は勘弁してくださいよ」
「ふふふ、まああんまり脅かすのはこれくらいにしておきましょう」
「肝心の地竜の卵という、連中につながるかもしれないものが手中にあるわけですしね」
「ふふふ」
「ふふふあははははははははッ!!」
どう考えても徹夜明けのハイなテンションか、悪役側のマッドサイエンティストだった。
用語解説
・積層装甲に塗装基盤式送力装置
オニオン装甲にプリント基板式送電装置もとい積層装甲に塗装基盤式送力装置。
複数の素材からなる装甲版をそれぞれが支えあうように複雑に積層することで従来の船舶よりも格段に防御力を底上げされた装甲。気密性も高い。
またこの装甲には、魔力伝達性の高い素材を直接塗り込み、焼き付けることで、送力線などを必要とせずに外部まで魔力を伝達させることに成功している。
・塗装式の魔導砲
魔力伝達性の高い素材を直接塗り込み、焼き付けることで形成された魔導砲。魔導砲の位置の調整ではなく術式の調整によって照準を定めるため技術難度はかなり高くなっているが、外部との接点を減らし気密性を上げられるほか、技術に通じてさえいれば修復がたやすい。
・魔力炉
製造コストそのものが非常に高いものの、少ない魔力を大幅に底上げして拡大することができる炉である。帝国でもまだ大掛かりなものは数多くない。
前回のあらすじ
マッド解説回。
「はい、というわけでこちらが地竜の卵でございます」
「そんな料理番組みたいに言われましても」
「実際美味しいんですかね。地竜って」
「…………亀っぽいし、臭みが強そうだよなあ」
「それって泥臭さのイメージなんじゃない?」
「かもしれん。どちらにしろ食う気にならんなあ」
「御二方は研究心に乏しいですねえ」
「研究者って新発見した生き物は食うって聞くけど……」
「少なくともユベルは研究した魔獣は一通り食べてますよ」
「研究員がおいしくいただきました。ご安心ください」
「なにも安心できない」
案内された先は、中庭のように開けた場所だった。地面が掘りぬかれており、そこに埋められた大きな金属製の容器に、ごろんと地竜の卵が転がされている。そのサイズが二メートル近くあることを除けば、完全に鍋の中の卵にしか見えない。遠近感が狂いそうな光景だった。
「到着予定がもう少し先だったので急遽準備を整えています。ちょっとお待ちくださいね」
「ああ、いえ、なんかすみません」
「いえいえ、はやく実験できて私たちも楽しいですから!」
健全な笑みではあるのだが、発言の内容はマッドでしかない。
子供のように純真な笑みが、怖い。
「いやあ、しかし地竜の孵化なんて、本当に、帝国史に残る実験ですよ」
「竜種ってのは、そんなに難しいんですか。辺境じゃあ飛竜を飼育してるって聞きましたけど」
「あれは環境がいいですよね。飛竜がいくらでも湧いて出てきて、しかもその飛竜をおやつ代わりにできるような人たちがいて」
「つまり辺境が特殊なだけだと」
「そうですよ。普通は竜種っていうのは遭遇するのも稀なんです。地竜なんて、十何年かに一度観測される程度ですし」
「それでも十何年かに一度は出るんですね」
「人里、人の目のつく範囲にってことですね。帝国も広いですけれど、その分目の届かないところって多いですから」
そう言われれば、町から町までは馬車で二日とかがざらであるし、森などは大きく迂回することもある。地竜がいくら巨大な怪獣だとしても、ド田舎の辺鄙な森の中を歩き回っている分には誰も気づかない訳である。
「今のところ帝都大学で捕捉しているのは二頭です。どちらも成体で、十二メートルと十五メートル。カトリーノとツァミーロと名付けられています。カトリーノは三年、ツァミーロは十二年追いかけられていますけど、どちらも産卵したことはありません」
「十二年も追いかけてるんですか?」
「専門の観測班がいるくらいですよ。彼らのおかげで、地竜は海か臥龍山脈に出くわすと少しずれて引き返すという行動が判明しました」
危険ではないのかという問いかけに、十分に距離はとっていると前置きしたうえで、キャシィは笑った。
「というのは彼らの報告書の建前で、実際にはよじ登ってもほとんど無反応らしいですよ。うかつに鼻先に出ようものならパクリとやられかねないらしいですが、それ以外は外敵どころか障害とさえ思っていないんでしょうね。五年前にツァミーロが、火山の噴火を察知して殻にこもったことがあるくらいですよ。それだって結局遠すぎて影響ありませんでしたし」
この二頭に関しては何年か先の進路予測までたっていて、重大な都市侵害を防ぐための早期進路変更さえ彼らの任務に入っているらしい。
「新規の地竜の発見報告なんてもうカトリーナ以来ですからね。それが幼体と卵だなんて、業界が大騒ぎでしたとも」
「お二人が討伐した幼体の遺体も、大学で回収して調べさせてもらったんですよ」
「何かわかりました?」
「馬鹿げた生き物だということくらいですね」
かなり状態が悪かったため、そこまで詳しい調査はできなかったらしい。申し訳なくもあるが、しかし初見の敵に対してやりようは考えられなかったので仕方がない。
それに、死骸に対してでさえ、相当に強化を施した斧でようやく首を切り落とせたほどの硬さだったのだ。まともにやりあっていればこちらが押し切られていたかもしれない。
《選りすぐりの浪漫狂( ニューロマンサー ) 》というものは、ハマれば強いがそれ以外はピーキーすぎるのだ。
「ああ、でも、腸内細菌の帳簿が作れたのは大きな発見でした。未発見の微生物で盛沢山でしたよ」
「微生物の観察もしているんですか?」
「ええ。あとで顕微鏡覗きます?」
そう言って示された機械は、紙月の知る顕微鏡よりもいくらかオカルティックな代物だった。つまり、検体の安置された箱の上に水晶玉が乗っていた。これを覗き込んで、魔力で倍率を変えるらしい。奇妙な道具だった。未来は早速興味深そうにのぞき込み、キャシィに使い方を習っていた。
「面白いことに今回気付いたんですが、地竜の腸内細菌と石食い( シュトノマンジャント ) の腸内細菌には一部同種のものが発見されまして、つまり、金属や鉱石類を消化分解して栄養とする類のやつなんですけど、いやー、いったいどこでこんな微生物が住み着いたんでしょうかね。案外石食い( シュトノマンジャント ) と地竜って近縁種なのかもしれませんねえ」
「勘弁してくださいよ。地竜が鼠算式に増えたらたまったもんじゃない」
「あはは。まあ言っても毛獣と甲獣ですしねえ」
これはこの異世界の言い方で、おおむね哺乳類と爬虫類、特に甲羅のある亀などの区別と言っていい。おおむねというのは、異世界ファンタジーらしく、どうも元の世界通りの分類に従うという訳にはなかなかいかないからだった。
「紙月紙月、すごいよ」
「おう、どうだった」
「思ったよりうじゃうじゃいた」
「そっかー……俺そう言うの苦手だから遠慮するわ」
「えー、仕方ないなあ」
仕方がないのだった。
虫でもなんでも、細かいものがうじゃうじゃしているのはあまり得意ではないのだ、紙月は。反射的に焼き払ってしまっても責任はとれない。
「んー、では男の子の喜びそうなもので、骨格図とか」
「あー、まあ、うじゃってる微生物よりは」
「骨だ!」
正確には縮尺模型らしく、テーブルに乗る程度のサイズに縮められた地竜の骨格が正確に再現されているという。こうしてみると、リクガメやゾウガメか何かのようにも見えた。あるいは、どうにもとげとげとした全体から言って、ワニガメか。
「こうして見ると典型的な甲獣なんですよね。ただ骨の強度は尋常ではなくて、そもそも皮と肉引っぺがすところからして相当難航しました」
「そう言えば俺達も首落とすの苦労したもんなあ……どうやったんです?」
「破壊系の魔法得意な人たち総出でなんとか。結構仲悪い人とかもいたんですけど、最終的には垣根を乗り越えて握手する程の難事でした」
「帝都の魔術師でもそこまで大変なのか……」
「で、ある程度解体できたら後はもう最低限の検体とって、酸性粘菌くんで骨の周りの肉溶かして骨取り出しました」
「酸性……なんですって?」
「酸性粘菌くんです。魔法生物としてはよくある方で、見た目涼しげな透き通った粘菌なんですけど、肉食で、酸性の体液でじわじわと溶かしては食べる子です」
「スライムだ……」
「スライムだな……」
見ますか、と言われたがこれ紙月は遠慮しておいた。余り気持ちの良い代物ではなさそうだ。
一方で未来は嬉々として見に行き、そのあたり男の子だなあと紙月は思うのだった。そして不意に自分の性別を思い出してへこむのであった。最近女装に慣れ過ぎてちょっと危うい瞬間があるのだ。女子トイレに入りそうになる時とか。男子トイレに入れば入ったでそれはそれで絵面がひどいのだが。
「紙月すごいよー!」
「おう、どうだー」
「思ったより食欲旺盛」
「あんまり聞きたくなかったなそれは」
用語解説
・カトリ―ノとツァミーロ(Katrino, Camillo)
地竜。それぞれ十二メートルと十五メートル。
いわゆる地竜という生き物の典型的なイメージは彼らによるものである。
・腸内細菌と顕微鏡
この世界ではすでに微生物レベルの小さな生き物の世界にまで見識が及んでいるようである。
とはいえその知識の多くはいまは亡き旧聖王国時代に培われた知識・技術であるらしく、帝国における技術発展は遅々として進んでいないようだが。
・酸性粘菌
強酸性の体液を分泌して対象の肉を奇麗に溶かして食べてしまう肉食性の魔法生物。人工物。
肉は食べるけど骨は食べない、といった風な調整ができ、魔力での操作も楽なため、実験にもよく用いられる。
不法投棄ダメ。絶対。
前回のあらすじ
骨格標本って男の子だよな。
「あ、どうもー、遅くなりましてー」
「えー、いえいえー急にお呼び立てしちゃってー」
そんな朗らかな挨拶とともに仮設実験場にやってきたのは、法衣とでもいうのだろうか、ゆったりとしたローブをまとった眠たげな眼の女性だった。
どうも研究者や学者という風には見えないし、かといって紙月たちと同じ冒険屋のようにも見えない。
「あ、こちら、万一の護衛でついてくださってる冒険屋のシヅキさんとミライさんです」
「あ、どうもー、よろしくお願いしますー」
「あ、はい、よろしく」
「よろしくお願いします」
どうにも気の削がれる緩やかな喋り方の女性は、シュビトバーノと名乗った。
「シュビトバーノさんは孵化実験に協力してくださる、風呂の神官さんなんですよ」
「風呂の神官?」
「ご存じありません?」
「いや、知ってはいますけど」
風呂の神殿と言えば、帝都主体で衛生観念を広めている今日日、どこの町にも存在するメジャーどころの神殿である。その風呂の神の神官と言えば、風呂を沸かしたり温泉を湧かしたりといった法術が有名で、いわゆる神官というイメージより風呂屋のイメージが強い。
実際本人たちも風呂屋として営業している節がある。
その風呂屋が孵化実験に何の用があるのかと思えば、こういうことらしい。
「地竜の卵の孵化条件ははっきりとは解明できていないんですけれど、この状態でも呼吸していることは確かなんです」
「まあ、卵も呼吸するとは聞いたことがある」
「で、大型の魔獣の卵というものは、同時に食事もするものなんです」
「食事?」
「正確には周囲の大気から魔力を吸い上げて、孵化する為の熱量としてため込むんですね」
「はあ、成程」
「これは強い魔獣ほどそう言う傾向があって、恐らく卵の栄養だけでは足りないものと推測されます」
「そこで! 風呂の神官さんの出番なのです!」
「つなぎがよくわかりません」
つまりこういうことらしかった。
風呂の神官の生み出す温泉水には高濃度の魔力が含まれ、これが自然と癒しの術式になって、温泉に浸かる人々に治療回復効果を与えるのだという。この温泉水の適度なぬくもりと豊富な魔力、そして新陳代謝の活発化などの効果を複合的に与えられることで卵の孵化が促進されるのではないかという仮説が立っているのだそうだった。
「……仮説ですよね?」
「いくつかの魔獣の卵では有意な時間差が確認されています。いくつかは失敗して茹で卵にしちゃいましたけど」
それがアカデミック・ジョークなのは本気なのかはともかくとして、どうやらある程度確度の高い情報ではあるらしい。
そしてどうやら本人たちはかなり真面目らしかった。
「では、早速実験を開始します、各自所定の位置についてください」
などと言われても所定の位置など聞いていない。ちらりと伺えば、お任せしますとばかりににこやかに微笑まれる。まあ、万一の時の対処を任されているのだから、ある程度自由にさせてもらえた方が楽ではある。
一応、盾役である未来は紙月をかばうように一歩踏み出し、紙月はその陰から覗き込むようにしながら構えた。
そして風呂の神官シュビトバーノは、とことこと卵の入った金属桶に近づき、おもむろに手に持った水瓶を逆さに返した。するとどうしたことだろうか。とてもではないが小さな水瓶から出てくるとは思われない量の水が、それも湯気を立てる温泉水がこんこんと湧き出ては金属桶を満たしていくではないか。
「質量保存の法則どうなってんだ……」
「紙月がそれ言う?」
「それもそうだった」
魔術師ができるのだから、神の力を借りる神官ができないという道理もなかった。
しばらくして湯が金属桶を満たし、卵を沈めてしまうと、シュビトバーノは水瓶を返して、やはりとことこと暢気に帰ってくる。
「ユベルちゃん、今回もお仕事ってこれだけー?」
「はい、ありがとうございました!」
「なんだか悪いわねえ。今度神殿に来たら割り引くわー」
「ありがとうございます!」
そうしてとことこと去っていく風呂の神官であった。
「いや、えっ、マジであの人これで終わり!?」
「ご安心を、風呂の神官の湧かせた温泉は、神の力で冷めないということです」
「すごいけどそう言うことではなくて!」
何しろ壮大に実験だなんだと言っておきながら、やっていることは巨大な鍋で巨大な卵をとろ火で茹で卵にしているだけである。むしろ温泉卵だ。
「しかも全然反応ないし!」
「いやあ、さすがにそんなにすぐには孵化しませんって」
「そうなんですか!?」
「当たり前じゃないですか」
「今更のように当たり前を持ち出してくる!?」
「紙月は本当に突っ込みが好きだよね」
「俺は心底裏切られた気分だよ!」
頼りの未来にまで裏切られ、紙月の繊細なメンタルはボロボロだった。少なくとも自分でそのように述懐する程度には余裕があり、およよよよと泣き真似までする程度に余裕綽々だったが。
「で、実際のところどれくらいかかりそうなんですかね」
「さすがに地竜ほどのサイズは初めてなので厳密な所はわかりませんが、ほかの大型魔獣の卵での実験結果からすれば、一日かからないくらいと思われます」
「んっ……このイベント消化的にはクッソ長いけど卵の孵化と考えると短いくらいの感じ……!」
「絶妙に文句が言いづらいくらいだよね」
さすがに万一の備えとはいえずっと見張っているという訳にもいかず、両博士と交代で見張ることとなった。
用語解説
・シュビトバーノ(ŝvitbano)
風呂の神官。帝都で神官やっているあたりエリートなのかというと別にそう言う訳ではない。
前回のあらすじ
どう見ても茹で卵ですありがとうございました。
それから一年が経った。
ということはなくて、本当は夜も更けて月も傾きかけた頃。
両博士が交代で眠りにつき、見張りについていた二人も、退屈な茹で卵の絵面にうつらうつらとし始めたころのことだった。
ぴしり、と小さな音に気が付いたのは未来だった。
(うん?)
最初は気のせいかと思ったが、ぴしぴしぴしりと、小さいながらも音は続く。
(おや?)
ちらと横を見れば、紙月は半分寝入ってしまっているようで、ちょうど船を漕いで月まで飛んで行ってしまっているところだった。未来はピクリピクリと獣の耳を動かして、注意深く音を探った。
するとやっぱり、ぴしりぴしりと音が聞こえる。
「紙月」
「んっ……おう」
声をかければ頼りの相棒も、がくりと顎を落として目を覚ましてくれる。
「音がする」
「音?」
「ひび割れるみたいな」
「……わからん」
「僕が獣人だから聞こえるのかな」
「……だな。ハイエルフの俺には、目で見えたぜ」
そう言う紙月の目には、卵の上で踊る魔力の流れが見えていた。先ほどまでのまどろむ様子ではない、活発に踊り狂う様が。
「博士たち起こしてくる」
「うん、僕は見てるよ」
紙月が両博士を起こしに行く間、未来は金属桶のそばまで歩み寄って、のそりと屈みこんでその鎧の巨体で卵を見下ろした。目に見えるひびはまだ、見当たらない。しかし確かに卵は内側からつつかれて、こつりこつり、ぴしりぴしりと音を立てているのだった。
「どうです?」
「もうひびが?」
「いや、もう少しのようですけど……」
両博士がのぞき込み、危ないからと紙月が遠ざけたそのときだった。
「紙月!」
「おう!」
卵を覆う魔力が一段と高まり、びしりと大きな亀裂が卵に入った。亀裂はすぐにも広がっていき、びしりびしりとかけらを散らし、まず爪が覗いた。丸っこく、しかしそれでも紙月の指などよりもずっと太く大きな爪だ。それがもう片方飛び出す。そしてびしりびしりとひびは広がり、ついにごとりと殻を落として、とげとげしく凶悪な顔が飛び出した。
ぎょろり、と黄色くまあるい目が覗き、はっきりと二人の姿を捉えたようだった。
「うっ」
「むっ」
息をのむ二人を前に、地竜の雛はのっそりと殻を引きはがし、四つの脚でしっかりと湯舟を踏みしめた。
頭の先から尾の先まで二メートルばかり。体高は未来の腰ほどもある、ずんぐりむっくりとした巨体である。雛のうちから牙が生えそろい、らんらんと輝く目で見据えながら、これがのしりのしりと歩み寄ってくるのだから恐ろしいというのは言葉ばかりではない。
「は、博士、どうします!?」
「ど、どうしますって、どうしましょうか」
「孵化させた後の手順は!?」
「考えてなかった……」
「このバーカバーカ!」
狼狽える四人を気にした風もなく、地竜の雛はいよいよ未来の鎧にごつんと鼻先をぶつけ、そして。
「みゃあ」
しわがれた声でそう鳴くや、ぐりぐりと鼻先を押し付けるではないか。
「……おい、大丈夫か、未来」
「えーと……大丈夫、みたい?」
「……もしかすると、刷り込みかもしれません」
「刷り込みって、つまり、親と思われてるんですか?」
「かもしれない、というほかには……」
刷り込みというのはつまり、鳥の雛などが、卵から孵って最初に見たものを親と思い込む本能だそうである。これは姿かたちが全く異なる生き物相手でも起こる現象であり、人間相手の刷り込みも珍しくはないという。
試しに未来が撫でてやると地竜はごろごろと喉の奥から音を鳴らしたし、試しに金属桶から離れてみると、のしのしと湯から上がって追いかけるではないか。
「俺も触って大丈夫かね」
紙月がおっかなびっくり近寄ってみると、雛の反応は敏感であった。未来にしたのと同様に、鼻先をこすりつけてしわがれた声でみゃあと鳴くのである。これはどうやら二人一緒に見たから、二人とも親と思い込んでいるようだった。
一方で、これなら安全かもしれないと挑戦してみた両博士への反応は芳しくなかった。別に暴れたりかみつくという訳ではないのだが、近寄っても無反応、撫でても渋い対応と、露骨な反応の違いがみられたのであった。
「ふーむ。地竜にも刷り込みがあるというのは面白いですね。幼体や雛がなかなか発見されないのは、親と思い込んだ動物を追って、一定範囲内から離れないからなのでしょうか」
「そんな冷静に話してないで、どうするんです、これ」
「どうしましょうかねえ」
幸いにもこの雛は割合に賢いらしく、未来に対する時と紙月に対する時で力加減を変えてくれるので今のところのしかかられたり押しつぶされたりということはないが、それでも凶悪な形相の巨大な亀に付きまとわれるというのははっきり言って恐怖でしかなかった。
「とりあえず」
「とりあえず?」
「餌付けでもしてみましょう」
食糧庫の備蓄は豊富だった。
用語解説
・特に何もないいい実験だった。
前回のあらすじ
特に何もない、いい実験だった。
地竜の雛は、実際何でも食べた。肉も食べる。野菜も食べる。木材も食べる。土も食べる。およそ親である二人に差し出されたものは何でも食べた。際限なく食べた。実際は体が大きいからそう感じるだけで、やがて順当に満腹になるとさすがに鼻先に突き出されても食べようとはしなかったが、それでも随分食べた。
「まあ、馬の飼料と思えば、ちょっと、いやかなり大食いかな、という感じですかね」
「つまり?」
「いくら竜種でも現実的な量しか食べないということですね」
「フムン」
「そして満腹になると、寝る」
寝息というのかは不明であるが、しゅうしゅうと小さく息をしながら、すっかり殻に首と足を引っ込めた地竜の雛は、鋼鉄の檻の中でお休み中であった。
「これはカトリーノとツァミーロの行動観察でもわかっていたことですね」
「そして寝たらある程度腹が空くまでは動かない」
「いいご身分だな、全く」
「まあ食べなければ食べないで結構な距離平気で歩くのもわかってますけれど」
「とんだ超生物だ……」
ともあれ、地竜の雛も暴れるようなことはないようであるし、そうなれば紙月たちの依頼も終了である。
「いやー最悪もう一回地竜とやりあうとなったらちょっと焦ったけど、なんとかなったな」
「バイオなハザードフラグじゃなくてよかったね」
「ジュラシックなパークでもなくてよかったぜ」
檻の鍵をきちんと閉めながら、ユベルは言った。
「報酬はどうしましょうか。また書留で手形送りましょうか?」
「いや、いま受け取ってしまいますよ」
「はいはい、ちょっとお待ちくださいね」
ユベルは事前に用意してあったという手形を丁寧に封筒で包んで寄越してくれた。
「ちょっとした額ですから、無くさないように気を付けてくださいね」
「やだなあ、脅かさないでくださいよ」
「わかりませんよー。地竜ががぶっといっちゃうかも」
「おー怖い」
そのように朗らかなジョークなどかわしつつ、無事別れを告げて二人は大学を後にできなかった。
できなかったのである。
正確に言うと、大学の門を出るところまではいった。馬車に揺られてとことこと門をくぐり、ああ、短かったけれどこれでお別れだなとさして感慨深くもなく大学を振り返ったところで、その異常はやってきた。
「…………何あれ」
「何あれったってなあ……」
それは鎖につながれながら、しかしそれを全然意に介した風もなく、素知らぬ顔でのっしのっしと走って来る地竜の雛の姿であった。その鎖の先には、強化鎧( フォルトアルマージョ ) を装備した誰か、まあ十中八九ユベルとキャシィの両博士が引きずられるままになっていた。
やがて地竜の雛は馬車までたどり着くと、怯える馬を気にした風もなく、のっそりと馬車を覗き込んできたのである。
「……博士」
「……どっちのです?」
「どっちでもいいですけど、これはいったい?」
「目を覚ました途端こ( ・ ) う( ・ ) ですよ」
「檻も壊して仮設実験場も壊して、壁を一直線にぶち抜いてあなた方を追いかけ始めちゃいまして」
「匂いか、魔力の性質か、多分、刷り込みされた親を追いかける習性なんです」
「おいおい、てぇことは……」
「これは帝都大学からの正式な依頼です」
「やめろ、ばかやめろ」
「地竜の雛、お任せします!」
「ぐへぇ」
「やった!」
これで参ったのが紙月で、喜んだのが未来だった。
「ちょうど依頼がないってぼやいてたし、丁度いいじゃない」
「丁度いいかよ。こんな怪獣の世話なんざ」
「そうかなあ。なんでも食べるし、素直で言うこと聞くし、なにより」
「なにより?」
「格好いい」
「そういうとこ、ほんと男の子だよなあ」
どう考えても厄物でしかない問題児を預かる。それも権威ある組織から半ば強引に依頼されて。これは紙月としては胃が痛くなるような案件だった。しかし、紙月は未来のお願いには弱かった。弱かったのだ。
結局、どれだけ目くらましをしようと、それこそ《絨毯》で空を飛んで逃げようにもついてきてしまうことが何度かの実験によって発覚してしまい、最終的には、紙月も折れることとなった。
何より、結局のところ、子供に頼まれて、嫌だとは言えない。怪獣を育ててみたいなどという、元の世界ではかなわなかっただろう純朴な願いを踏みにじることなど紙月にはできなかった。
大きくなったらそのときはどうしたものかと考えなければならないが、まあ、そのときのことは、そのときに考えればいい。どうしようもなくなったら改めて大学に押し付ければいいし、本当の本当にどうしようもない怪物に育ってしまったら紙月がけじめをつければいい。
「俺、生き物育てるのって苦手なんだけどな……」
「僕のこと育ててくれてるじゃない」
「それはまた、別だろうよ」
まあ、何と言ったところで、未来は嬉々として地竜の雛を撫でまわしているし、鎧で見えないながらもその笑顔は本物だろうし、そうなると、紙月には何にも言えなくなるのだった。この子供の笑顔には、何も言えないのだった。
用語解説
・格好いい
すべてに優先される理由。
前回のあらすじ
大怪獣の雛に懐かれてしまった紙月と未来。
格好いいから、いいか。
「おいでタマ」
そう呼びかけると、地竜の雛は素直に未来に従った。
タマというのは紙月のつけた名前だった。しわがれた声でみゃあみゃあと鳴くので猫みたいだなと紙月が言い、そのまま勢いで名付けてしまった。未来はもう少し格好の良い名前が良かったのだが、しかし紙月の言うことも実にもっともだと納得してしまったので、仕方がない。
未来は出来た人間なので、紙月のそういう子供っぽいところも受け入れてやらねばならないのだった。
このタマと名付けた地竜の雛は実に賢く、簡単な指示や合図はすぐに覚えたし、また匂いや魔力、そう言った目には見えないものでも未来を認識しているようで、鎧を脱いでもすぐに未来と察して鼻先をこすりつけてくるのだった。
タマを連れて帝都を歩くには難儀があった。
なにしろ、馬車に乗せるという訳にもいかない。どこかに繋いでおくというのも物騒で仕方がない。かといって背中に乗っていくというのもどうにも不格好だし、第一とげとげの甲羅は座り心地がよろしくない。
また帝都から西部に帰るにしても、まさか《絨毯》に乗せていくという訳にもいかず、参った。
仕方なしに二人は大学に頼んで幌馬車を一台用立ててもらった。
これをタマにひかせて行こうというのである。
タマの体に合うように馬具を調整するには少し時間が必要だったが、それでも甲馬( テストドチェヴァーロ ) という大型の亀のような馬が他にあるらしく、調整可能な範囲内ではあった。
タマもこのお荷物を最初は不思議そうに眺めていたが、未来と紙月が乗り込むと、成程成程というように何度か頷いて、それから手綱の合図もすぐに覚えて、立派な馬車引きとなった。
恐ろしい顔立ちも、夜ならばいざ知らず、一夜明けて朝が来て、日の光に照らされればそれほどでもなかった。ただすこうしばかり目がぎょろりとしていて、牙やら棘やらあちこちとげとげしているだけだ。道行く人も、しっかりとした幌馬車を引いていることもあって、ちょっと変わった甲馬( テストドチェヴァーロ ) だという風に受け入れているようだった。
「……何事もなくてよかったっつうか、何事もなさ過ぎて怖いっつうか」
「紙月はつくづく心配性だよねえ」
「未来は肝が据わってんな。大物になるぜ」
別段度胸があるというつもりは、未来には全然なかった。ただ、なるようになることはなるようになるし、ならないようなことはどうあってもならないのだということを、子供ながらに知っているだけのことだった。
なんだったか、そう、ケ・セラ・セラだ。
なるようになる( ケ・セラ・セラ ) 。
それが未来の人生哲学だ。
ひょんなことからこの異世界に転生することになったのはさすがに驚いたけれど、でも、これもなるようになる( ケ・セラ・セラ ) だ。どこかには落ち着くものだし、落ち着かない場所には落ち着かない。
「さて、紙月、これからどうしようか」
「そうだなあ。帝都観光って気持ちでもないし、当初の目的通りにしようか」
「じゃあ、まずは人探しのための人探しだね」
「いよいよお使いゲーめいてきたな……」
未来はあまり気にしてはいないが、紙月は元の世界に帰ることにこだわっている。またそうでなくても、元の世界の住人がいるかもしれないというのは、確かに気になることだった。
海賊討伐の依頼で知ったところによれば、この世界にはメ( ・ ) ー( ・ ) ト( ・ ) ル( ・ ) 法( ・ ) が、つまり元の世界の尺度が存在する。そしてそれを広めた人物も、帝都にいるんじゃないかというところまでは予想がついた。
問題はその人物を探す手段なのだが、これもすでに伝手を入手していた。
「人探しぐらいしか取り柄のない女、ねえ」
「いまの僕らにとっちゃこれ以上ないくらい欲しい才能だよね」
「全くだ」
海賊のお頭、もとい海運商社の社長であるプロテーゾに紹介状を書いてもらった人物の肩書はこうだった。
「『探偵』ドゥデーコ・ツェルティード、ね」
「なんか心くすぐられる響きだよね、探偵って」
「わかる。探偵って必ずしも名探偵とかそういう感じじゃないんだろうけど、ちょっと盛り上がるな」
しかし問題はまず、慣れない帝都で指定の住所を見つけ出すことだった。
「まあ、でも、歩いてれば見つかるでしょ」
「本当に肝が据わってるよ、お前は」
「なるようになる( ケ・セラ・セラ ) 、なるようになる( ケ・セラ・セラ ) だよ、紙月」
「Whatever will be, will be、ね。そう思えるってことは、度胸あるってことさ」
「それは……褒められてる?」
「いつだって手放しで褒めてるよ」
「それはそれでなあ……肝心なところで締めて欲しいよ」
「難しいお年頃だな、全く」
みゃあみゃあとしわがれた声で、タマが鳴いた。
それはどちらに賛同するとも知れない鳴き声で、二人はなんだか不思議とおかしくなって噴き出したのだった。
用語解説
・甲馬( テストドチェヴァーロ ) (testudo-ĉevalo)
甲羅を持った大型の馬。草食。大食漢ではあるがその分耐久力に長け、長期間の活動に耐える。馬の中では鈍足の方ではあるが、それでも最大速力で走れば人間ではまず追いつけない。長距離の旅や、大荷物を牽く時などには重宝される。性格も穏やかで扱いやすい個体が多い。寿命も長く、年経た個体は賢く、長年の経験で御者を助けることも多い。
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第六章 イッツ・オンリー・ア・ペイパー・ムーン
第一話 人探しのための人探し
前回のあらすじ
なんやかんやあって巨大なワニガメを仲間にした二人であった。
なんやかんやはなんやかんやです。
帝都での人探しの為に、人探しが得意だという『探偵』を頼る紙月と未来だったが、問題はまずその『探偵』の住まいを発見しなければならないということだった。
帝都は碁盤目状に計画的に建設された都市であり、それぞれの通りには数字が割り振られており、機能的でわかりやすくはなっている。しかしそれはある程度大きめの通りに限った話であって、区画内の小さな通りなどはそれぞれに何かしら由来があるのであろう名称がつけられている。しかもそれという看板があるわけでもなく、なかなかどれがそうなのかは判然としない。
「このブロックだっていうのはわかったんだがな……」
ある程度までは絞れる、というのは、そもそも番地などあってなきがごとしいい加減な他の町に比べればずっとましではある。しかしある程度絞ったあとは、今度はどの建物も似通った造りをしている帝都の町並みが捜索を困難にさせるのだった。
これで屋根の色が何色だとか、変わった形をしているとか、そう言う特徴がつかめればいいのだが、何しろずらりと並ぶのはみな似通った建物ばかり。看板を掲げていたとしても、これでは見落としかねない。
「ふーむ」
「どうしよっか」
「未来ならどうする」
「しらみつぶしに冒険してみる」
「じゃあ、俺がもうちょっと大人のやり方を教えてやろう」
「なあに?」
紙月は問題のブロックに馬車を止めて、それからとことこと少し歩いて、一頭立ての小さな馬車に歩み寄った。
「やあ、お兄さん」
「おや、お客さんかい」
「いや、ちょっと道に迷ってね。こういう事務所を探してるんだけど」
「ああ、《ツェルティード探偵事務所》! あそこは看板を出してないからね。ちょうど次の角さ。ほら、あそこだ」
「ありがと。今夜の酒代にでもしてくれ」
「ありがとよ」
チップを握らせて帰ってくると、紙月はにやっと笑った。
「タクシー運転手は道をよく知ってるんだ。あとは郵便配達員」
「成程なあ」
紙月の後ろ姿ににやにやとした視線を送ってきた御者をさりげなく鎧姿で威圧しながら、未来は感心した。未来も頭の回転は悪くない方だが、タクシーなどを自分で利用した経験はない。また、生活圏内でもあまり多く接する機会のないものだ。とっさには思いつかないことだった。
二人は地竜の雛ことタマの手綱を引いて言われた角にまで移動した。
このタマは見かけこそ狂暴そうだったが実に暢気で、賢く、待っているようにというと、すぐに頭と手足を殻に突っ込んで、昼寝を始めてしまった。
そうしていると、まるで道端に転がった巨石に幌馬車がつながれているような、ひどくシュールな光景であった。
「よし、行ってみるか」
「うん」
未来が先に立って、ドアに取り付けられたノッカーを鳴らすと、少しして中から返答があった。
「どちらさまですか?」
「冒険屋の未来と紙月といいます。プロテーゾさんの紹介で参りました」
「紹介状はございますか?」
あるというと、すこし戸が開くや、年のいった老婆が顔を出した。
「フムン……確かに、この封蝋はプロテーゾ様の印ですね。お伺いしてまいりますので、中でお待ちください」
中に通されると、簡素だが質の良い家具に出迎えられた。派手な装飾はないが、どれも品が良く、選んだものの美的感覚の高さがうかがわれた。
「ほう、これはセンスがいい」
「僕でも何となくすごいと思うもの」
「お恥ずかしい。お嬢様が良く破壊されるもので、安物ばかりでして」
おっとりとした様子で言うのだから思わず聞き流しそうになったが、なにやら聞き捨てならないことを言われたような気も、する。しかし改めて聞き直すのもなんだかためらわれたので、二人は大人しく椅子について、これまた上品なカップで甘茶( ドルチャテオ ) を頂いた。
老婆は物静かにそのまま奥へと消えた。造り上、その奥というのには階段があって、そのまま二階に続いているらしい。思うに、水場の関係から一階が生活関係のスペースになっていて、事務所の本体は二階にあるのではないかというのが紙月の予想であった。
水道が整っているのに一階も二階も関係があるのかと小首を傾げる未来に、紙月はうなった。
「現代基準程ってことは、多分ない。仮に三階まで水道を通すと、かなりの圧力をかけないといけない」
「魔法でどうにかっていうのは?」
「俺も《魔術師( キャスター ) 》ってことで、いろいろ街中の魔法関係を見たんだがね。どうにも魔法で何かやるっていうのは、俺たちが機械で何かやるのと同じくらい手間暇がかかるものみたいだ」
「ファンタジーも世知辛いねえ」
「全くだ」
少しして、老婆が戻ってきた。
「お会いになるそうです。どうぞこちらへ」
二人は頷いて後に続いたが、なんだか不思議ではある。
「探偵に依頼しに来たはずだけど、まるで貴族にでも会うみたいだな」
「そうだね」
老婆は小さくうなずいた。
「お嬢様は実際、いわゆる貴族にございます。爵位もございませんし、ただ貴族であるというだけでございますけれど」
「えっ」
「跡を継げるでもなし、嫁ぎ先もなし、商売でも始めればという勧めに応じられまして、トチ狂ってお始めになられたのがこの、ええ、事務所にございます」
「トチ狂って?」
「失礼、年のためか言葉が出ませんで。ええと……そう。酔狂で」
よりひどくなったかもしれない。
「ご安心ください。お客様が何をお求めか存じ上げませんけれど、しかしお嬢様は事、何( ・ ) か( ・ ) を( ・ ) 探( ・ ) す( ・ ) というそれだけに関しましては、期待を裏切ることのないお方です」
「それ以外に関しては」
「勿論それ以外に関しても期待を裏切らないお方です。期待をしないでいる限りにおいては」
表情一つ変えずにしれっと言ってのける妖怪じみた老婆の後を歩いているのがなんだか不安になったころ、ようやくゆったりとした歩みが二階に辿り着いた。
「失礼いたします。お客様をお連れいたしました」
「入り給え」
これまたセンスはいいがどこか安普請の戸を開ければ、そこは立派な応接具を整えられた執務室であった。奥の執務机には、男物の服を見事に着こなした長身の女性がどっかりと腰を掛けて待ち構えていた。
勘違いのないように言っておくならば、執務机と一組の椅子にではなく、執務机そのものにそのご機嫌な尻をどっしりと乗せて、無造作に脚など組んで座っているのである。
「よく来たな。海坊主のおやじからの紹介となれば、こうして会ってみるのもやぶさかではない、などと思っていたところだが、成程これはなかなかに面白い組み合わせじゃあないか。フムン。なかなかいい。面白いぞ。結構。座ってよろしい。座り給え。さあ」
天井どころか天上から降ってくるのではないかという実に上からの言葉を、ごくごく自然に吐き出す女である。
おずおずと二人が応接具のソファに腰かけると、女もするりと執務机から腰を下ろし、応接具のソファにどっかと腰を下ろす。そして老婆が改めて甘茶( ドルチャテオ ) を三人に振る舞い、そして流れるような手つきで銀盆で主人の後頭部を叩くにあたって、ようやく空気は動き始めた。
「ええと、俺達は」
「なんだ君は。つ( ・ ) い( ・ ) て( ・ ) る( ・ ) のか?」
「はっ?」
「それにそっちの鎧は面白いな。どういう造りだケモチビ」
「ち、チビっ!?」
「まあどうでもいいか。それで何の用だったか、えーと、シヅキにミライ」
名乗ってもいない名前を呼ばれてぎょっとすると、老婆が再び銀盆で主人の後頭部を叩いた。
「いささかはしたのうございますが、人様のお名前を当てるのもお嬢様の――探偵ドゥデーツォ・ツェルティードの特技にございます。名刺代わりと思ってご笑納ください」
「は、はあ」
「ばあや、茶もいいが甘いものも欲しい」
「後になさいませ」
それよりも主に対して全く敬意のなさそうなこの侍女の方が気になって仕方がないのだが、もうこれはこういうものとしてスルーした方がいいのかもしれない。チビ扱いされてご機嫌斜めの未来がこれ以上こじれても、困る。
「えっと、俺達は帝都で人探ししてまして」
「それは海坊主の親父の手紙にも書いてあった。どこのだれを探して欲しいんだ耳長」
「このっ」
「ステイステイ、いちいち煽られるな未来。えーと、手掛かりなんですけど、いまこれくらいしかなくて」
そう言って紙月は、懐から、と見せてインベントリから一枚の金貨を取り出した。手のひらに収まるような小さな金貨である。それでも帝国では金貨といえば相当な額の貨幣として扱われるから、老婆が少し、教養ある範囲で目をむいた。
それはかつて《エンズビル・オンライン》で使用されていたゲーム内通貨であった。
一方でドゥデーツォはその金貨をむんずと無造作につかみ取って、指先でつまんでは明かりに透かすように眺めた。どう見ても高額貨幣を見る目ではない。だがそれ以上に面白そうなものを見つけたと言わんばかりの目である。
「こいつはどこで?」
「以前いたところから持ってきた。それ以上は言えない」
「成程。成程。この金貨を持っているやつを探して欲しいというわけだな、君たちは」
「そうなる」
ぽいと無造作に金貨を投げ返してから、ドゥデーツォはにっこりと笑った。それは貴族という血筋の良さからなのか、暴力的な顔面の良さを見せつけるような笑みだった。
「では残念ながらその依頼は請けられない」
用語解説
・一頭立ての小さな馬車
大きめの町ではよくみられる辻馬車。
作中で言われるように、いわゆるタクシーとして利用されている。
・《ツェルティード探偵事務所》
帝都でも最初で唯一の探偵事務所。
そのため住人も探偵というものが何なのかよくわかっていない。
とりあえず物探し、人探しを請け負っているということだけはわかっている。
また所長が奇人変人の類ということも知られている。
・探偵ドゥデーツォ・ツェルティード(du deco celtido)
北部の貴族ツェルティード家の三女。
物探しに関して非常に優れた才能を持つが、人と違うものが見えているせいか振る舞いは奇矯。
跡を継げるでもなし、嫁ぎ先も貰い元もないし、親に放置されていたところを、人から勧められて探偵事務所を開く。
金には困っておらず、完全に趣味でやっており、客も自分を楽しませるためのものだと思っている。
なお、専門の探偵屋という概念そのものが今までなかったので、この世界で最初にして唯一の専業探偵である。
仮にこいつを探偵と呼んでいいのならの話ではあるが。