異界転生譚シールド・アンド・マジック

前回のあらすじ
魔法の効かない敵船に、それならばと体当たりを敢行した一行であったが……。





 さしもの敵潜水艦も、船体が丸ごとぶつかってくる衝撃には耐えかねたようで、大慌てで浮上してきた。しかしさすがに頑丈で、船体に大きな亀裂こそ入れたものの、まだ沈むには至らないようだった。通常の帆船であれば沈んでいてもおかしくはない大きな亀裂であるからして、敵の排水機構は大したものである。

「いまので沈まんとは恐ろしく硬いな。よし、鉤縄出せ! 戦闘員は移乗攻撃準備!」
「随分手馴れてますね」
「実は海賊上がりでね」
「本物じゃねーか!」
「冗談だ。単によく訓練されているだけさ、お国の免状付きでね」

 そう言ってちらりと見せてくれた免状とやらには、どう見ても海軍うんたらかんたらと書いてある。

「あんた海軍なのか?」
「海軍御用達というところだな。帝国はまだ海軍をまともに運用できるほど海運を学んじゃいない」

 詳しく聞いてみたいところではあるが、何しろ事態が事態だ。

 戦闘員たちが手に手に銛や曲刀をもって敵船に乗り移っていくと、向こうも白兵戦に出るほかにないと思い切ったのか。ハッチらしきものが甲板上に開き、次々と敵戦闘員たちが繰り出されていく。
 しかしこれに驚いたのは、なんと敵の戦闘員が人間ではなく魔獣だったということである。

「早速お出ましか!」
「いったい何もんです、ありゃ!」
「あれは、鱗蛸(スクヴァムポルポ)だな。硬軟併せ持つ厄介な魔獣だ」

 この鱗蛸(スクヴァムポルポ)というのは、名前の通り全身に分厚い鱗を張り巡らせたタコの魔獣で、大きなもので犬ほどもある。それが鋭いとげのついた吸盤で締め上げにかかり、おまけに毒もあるというのだからとんだ海の殺し屋である。しかも陸でも、速い。

 この鱗が頑丈なだけでなく、柔らかな体で柔軟に衝撃を受け止めるため、成程剣や銛ではなかなかダメージが通らない。それに位置が低いということもあって、銛はともかく剣で挑むにはやりづらい。海中ならまともに相手できるものではないし、陸でもご覧の通り、乙種に匹敵する猛者である。

 こちらの戦闘員もさすがによく訓練されているだけあって、手早く銛に持ち替えてとにかく距離を取ろうとしているが、何しろ骨などない相手だからうねりにうねってしまいには銛にも絡みついてくる。そして毒を受けたものはみなしびれて動けなくなってしまうのである。

「成程。こいつらを敵船に送り込んで手当たり次第に噛ませて、あとは悠々と出てきた船員どもが荷物を回収していくというわけだ」
「感心してる場合ですか」
「それもそうだ。幸い連中は魔法にはさして耐性はない。我が方が押さえ込んでいるうちに、やってくれたまえ」
「気軽に言ってくれちゃって」

 とはいえ、動きさえ封じてくれれば気軽な仕事であることは変わりない。

 シヅキはショートカットリストを選択し、早速慎重に狙いをつけては魔法を放っていく。何しろ今回はこちらの戦闘員もいる戦場だから、適当に大規模にやってしまえばそれで済むという話ではない。丁寧に狙いをつけ、素早い一撃で倒す、これである。

「《雷撃(サンダー・ボルト)》! 《雷撃(サンダー・ボルト)》! 《雷撃(サンダー・ボルト)》!」

 紙月が右指を揺らすたびに、中空から不意に小さな雲が発生し、鱗蛸(スクヴァムポルポ)に正確に電を叩き落としては霧散していく。頑丈な鱗を持っているとはいえ、さすがに海水をたっぷり浴びている海産物に電撃は良くきくようで、一撃食らうやこの鱗蛸(スクヴァムポルポ)たちはみな焼け焦げて足をくるりと丸めるのだった。

「よし、よし、その調子で頼むぞ」

 とはいえ、そうはいかなかった。

 鱗蛸(スクヴァムポルポ)たちが次々に倒されていくのを察したのか、今度はハッチの中から細身の鎧をまとった男が飛び出てきたのである。
 今度は人の形をしているということで安堵した戦闘員たちが勢いよく躍りかかったが、何とこれが手に持った杖で軽くあしらわれてしまう。
 それ自体に殺傷能力はないようなのだが、勢いをつけて飛び掛かればその勢いのままに放り出されて海に叩き込まれ、ならば近間でと曲刀を抜けば、これもまるで子供の相手でもするかのようにたやすくうちのめされてしまう。

「全く、帝国の海軍もどきにこうまでコケにされるとはな」

 それは海の底から湧き上がるような忌々しげな声だった。

「我が船を破り、我が手下どもを焼き、この私を虚仮にした借りは、しっかりと返させてもらおう」

 ぼう、と杖の先端に火がともる。

「《我が怒りは炎である、我が憎しみは炎である、我が敵を焼き尽くす炎である!》」

 力ある言葉が精霊たちに呼びかけ、海上とは思えぬほどの業火が渦となって巻き上がり、こちらの船員たちを焼き焦がす。慌てて海に飛び込んだものは幸いで、あまりの火力に一瞬で炭と化すものさえいた。
 潜水艦上は一瞬で炎によって焼き払われ、先ほどまでの優勢はすべて振り出しに戻ってしまった。

 そう、全て……振り出しに……。

「ああ、わたしのかわいいしもべたちがっ!?」

 味方もろともであった。





用語解説

・海軍
 実は帝国にはしっかりとした海軍という組織がない。
 それというのも目立った海運国が隣国ファシャしかなく、ファシャとも関係が長らく友好であったからである。
 仮想敵国という言葉もあるが、そもそも帝国は北方の聖王国と正面を構えることで手いっぱいで、他国もそれを承知しているのである。
 まあ承知していてもちょっかいというものはあるもので、それがために帝国も海軍の養成を考えてはいるのだが。

鱗蛸(スクヴァムポルポ)
 大きなもので犬ほどのサイズにもなる巨大な頭足類。体表に柔軟かつ硬質な鱗を持ち、さらには吸盤のとげには毒まで持つというかなり危険な魔獣。陸でもある程度活動が可能であることから沿岸部ではかなり警戒されている。
 身はコリコリとして美味しく、生の身は透き通るように美しく、舌に吸い付くような食感とふんわりした甘みが楽しめる。が、やはり危険性と、鱗と吸盤を剥ぐ手間を考えるとメインで狙う相手ではない。

・《雷撃(サンダー・ボルト)
 《魔術師(キャスター)》やその系列の《職業(ジョブ)》が覚える最初等の雷属性《技能(スキル)》。
 小さな雷雲を生み出し相手に雷を落とす魔法で、まれに麻痺・気絶状態にさせる。
『わしらの体はごくごく小さな雷で動いておる。その雷を自由に扱うというのは、生命の一端に触れるようなことなのかもしれん。つまり、決して人様のひげを焦がすための魔法ではないということじゃ』

・力ある言葉
 精霊たちに呼びかける魔力のこもった言葉。
 この世界では決まった呪文というものはなく、魔術師本人がスイッチを入れるためのフレーズとしてお決まりの文句を述べているに過ぎない。
 魔法の制御に必要なのは呪文などではなく、精霊たちに命令を下す断固とした意志と、精霊たちを突き動かす圧倒的な魔力、そして繊細な想像力と調整力なのだ。

前回のあらすじ
敵船を圧倒していると思いきや、船より現れたのは炎の怪人。
果たして何者なのか。





 魔法の炎が戦場の全てを焼き払い、ポツン、とひとりたたずむ細身の鎧。その手の中で杖がいまだにぼぼぼぼと名残のような火を上げていたが、それがかえってシュールだった。

「わたし、の、しもべたちが!」

 ショックのあまりにか二度目の絶叫。それも頭を抱えるリアクションとともにである。

「あれ、ああなるってわかってなかったんでしょうかね」
「わかっていなかったんだろうな。新兵にたまにああいうのがいる」

 状況を覆す一手は、時として何もかも台無しにしてしまうことがあるものであるらしい。紙月も何かと周囲を丸ごと焼き払うような魔法の方が得意だから、覚えていて損はないだろう。

「おのれおのれおのれ貴様らァアアア! よくも、よくも陛下より賜った我が船と我が配下を!」
「船はともかく配下はこっちの責任じゃあねえよなあ」
「貴様らが私の冷静さを奪わなければこんなことにはならなんだのだ!」
「冷静ではないっていう自覚はあるんですね」
「冷静なのやらそうでないのやら」

 あまりにひどい登場シーンに好き勝手言われながらも、この怪人はめげなかった。へこたれなかった。そもそも話を聞いていなかった。

「我が船はもはやこれまでとしても、このままではおけぬぞ、このままではぁあああ!」
「おっと、ちとやばいか?」
「どうして火炎遣いたるこの私が大海原になんぞ派遣されたか、いまようやくわかった、わかったぞ忌々しい子ネズミどもめが! 怒りだ! 我が怒りを発散させるにこれほど適した環境はないという思し召しなのだ! 敵だけを焼き尽くすことのできる格好の環境というわけだふぁははははははははははははは!」

 なんとも騒がしい男であったが、そう騒ぎながらも、その前身に火の精霊が集まっていっているのがハイエルフの紙月の目にはありありと見て取れた。それこそ、それだけで火が燃え起こりそうなおびただしい精霊の数である。
 ふざけた男だが、その本領は、笑い話にもならない実力者。

「さすがにやばいぞ!」
「《我が怒りは炎である、我が憎しみは炎である、我が敵を焼き尽くす炎である!》」
「全員、伏せろ!」

 爆轟とともに男を中心に巨大な炎が巻き起こり、それはまるで命を持つかのように蛇身をかたどるや、潜水艦上にとぐろを巻いた。相当な熱量がここからでも感じ取れたが、炎の中心にいる男は精霊たちの加護か、まるで動じる様子もなく炎を操って見せる。

「さあ、今こそ汚名を挽回してやる! 我が炎を食らうが――」
「確かこうだったな――忠告してやる。汚名は返上するものだ!」
「なにっ」
「《水球(アクア・ドロップ)》三十六連!!」
「なっ、にいぃっ!?」

 巻き起こった炎に対して、紙月は瞬時にショートカットキーを切り替えていた。相手がすべてを焼き焦がす日ならば、こちらはその火を消す水で挑めばよいだけのこと。
 僅かな間隔を置いて降り注ぐ《水球(アクア・ドロップ)》の雨は、しぶとくも燃え続ける炎蛇に蒸発させられながらも、それでもなにしろ、物量が違う。一度に三十六発。そして再使用はわずか一秒足らず。

 降り注ぐ大雨に、やがて、炎はまばらに砕け散り、そして最後には悲鳴を上げて霧散した。

「ば、ばかなっ、やめっ、いったんやめっ、ばかっちょっ」
「いいのかね」
「いやあ、もう一回魔法合戦とかになっても馬鹿馬鹿しいので、ここは徹底的に叩いておこうかと」

 炎蛇を消しつくしてなお止まらない水球の雨が、細身の男をひた撃ちにしていく光景はいっそ哀れですらあるが、敵は海賊である。容赦はいらない。

 しかし所詮は最初等魔法。物量はともかく一発一発はどうとでも抑え込めるようで、男は炎の盾を身にまといなんとか《水球(アクア・ドロップ)》を防ぎ始めている。

「お、おのれ、何という馬鹿げた魔力だ。我が炎をかくもたやすく……!」
「それを防ぐあんたも大したもんだよ」
「魔道に身を置くものが、これしきで膝をつくものか! 私はまだ負けておらんぞ!」
「よしきた」
「紙月ってホント大人げないよね」
「挑戦はお買い得らしいぜ」

 ぱちん、と紙月が指を鳴らすと同時に、《水球(アクア・ドロップ)》の雨は停止する。弾切れか、あるいは何かの作戦かと警戒する男に、しかし紙月の告げる言葉は冷徹だ。

「ああ、すまん。すでに下ごしらえは済んでるんだ――《冷気(クール・エア)》!!」

 想像のショートカットキーを指が叩くと同時に、異界よりおぞましき冷気が海上を包み込み、静かに、しかし確実に凍らせていく。船体自体は半ば壊れかけているとはいえ対魔法装甲が耐えてくれる。しかし《水球(アクア・ドロップ)》のまき散らした水はそうではない。
 対魔法装甲に魔力を散らされながらも、絶え間なく襲う冷気が水を凍らせ、その氷が放つ冷気がさらに後押しする。

「ぐぉ、ば、ばかな、この、この私が、寒い、だと!?」

 冷気は容赦なく潜水艦の表面を氷漬けにし、接触する海面さえも凍らせ、炎の盾で身を護る男をも襲う。
 冷気には実体がない。剣でも矢でもなく、ただその空気が冷たくなっていくという驚異。むろん、生中な防御でやすやすと防げるものではない。

「く……《炎よ! 我が身に!》」

 男は冷気に触れることを厭ってか、盾の形状から全身にまとわりつくように炎を変じさせるが、その足元はすでに凍り付き始めている。

「おのれおのれおのれ……くっ、聞いておこう、わたしをここまでに追い詰める貴様の名を!」
「紙月。古槍紙月。といっても、こっちじゃ森の魔女の方が通りがいいかな」
「覚えたぞ女ァ! 必ずや、必ずや貴様に復讐するため、私は戻ってくるぞ!」
「ふん、ここまで締め上げてしまえばあとはない。捕縛して尋問を、」
「いや、待て!」

 プロテーゾは捕縛するために人員をやろうとしたようだったが、変化に気付いた紙月は未来に視線をやる。未来は一瞬固まり、そして即座に盾を構えた。

「こいつ、火精をため込んでやがる――船に!」
「なに!?」
「自爆する気だ!」
「総員伏せろ!」
「もう遅いわ、《我が怒りは炎である、我が憎しみは炎である、我が敵を焼き尽くす炎である!》」

 閃光。
 そして遅れて衝撃と轟音が潜水艦を内側から吹き飛ばしたのだった。





用語解説

・用語解説がない回は平和な回と言ったな。
 あれは嘘だ。
前回のあらすじ
敵海賊の自爆攻撃に、果たして紙月たちは無事で済んだのだろうか。
まあ、話の展開的に無事なんだろうが。





「うぉぉぉおおおお、死んだのか! 私は死んだのか!?」
「生きてますよ」
「おお、よかった! まだ海に飛び込んでなかったから死ぬかと思ったぞ!」

 そのように大いに喚き散らしたのは社長のプロテーゾであった。
 まさか船が目の前で爆発するなどとは思わなかったらしい。実際、この世界の海戦では白兵戦でけりをつけることがもっぱららしく、そもそも爆発自体余り見慣れないものなのだろう。

 幸いにも未来がシールドを張るのが一足早かったおかげで船は無事助かったのだが、問題はその後だった。

 船員たちが語るにはこうである。

「船首が落ちてないのが奇跡っすね」
「自爆時も突っ込んだまんまでしたからねえ」
「特別頑丈に作っているとはいえ、あの不思議な結界がなければどうなってたことやら」

 さすがに衝角攻撃後接舷したままという至近距離だったため、完全にはダメージを防ぎきれなかったようで、船体のあちこちにガタが来ているのである。そうでなくても直前に紙月の風魔法で大分負荷をかけていた後である。

 護衛船たちも帆をほとんど破られており、これを張りなおすのに手いっぱいで、こちらへ参戦する余裕もなかったようである。

「結局、海賊は退治できたってことでいいんですかね」
「うーむ。謎は多く残ってしまったが、仕方があるまいな。とはいえ報告に困ったものだ。あのような摩訶不思議な代物を何と説明したものか」
「記録水晶、とかでしたっけ? 積んでないんですか?」
「あれは高価でなあ……しかし、今後があれば事故の検証のためにもつけておくべきかもしれん」

 浮かんでいて回収できるものは回収するとして、残りは後日、山椒魚人(プラオ)たちの引き揚げ屋に頼んで、何か残骸の一つでも回収しなければならないとプロテーゾは大きなため息を吐いた。

「もしかして赤字ですか?」
「もともと赤字前提ではあったのだが、通商に多大は被害が出ていたので、帝国から予算の出ている依頼だったのだよ、これは。これで無事に通商が再開できればハヴェノは万々歳だが、証拠があがらなければ私の会社は傾きかねん」
「そんなに!?」
「帝国の後押しもあって、絶対の意気込みでそろえたこの船団は、見かけ以上に金がかかっていてね。本来なら轟沈させると言っても、精々沈ませるという意味だったのだ。船体自体は後で引き上げられるようにな。それがあそこまで完膚なきまでに粉砕してしまうとは……」

 恐らくは敵の自爆もそれが目的だったのだろう。つまり、証拠品を少しでも破壊し、散逸させ、正体をつかめなくするための。もとより隠密作戦をモットーとする潜水艦など用いる相手だ。最初から仕組まれていた自爆機構だったのだろう。
 そうなると、証拠品の回収は絶望的である。

 証拠が挙がらなければ帝国も金を出し渋るだろう。保険屋でも乗せていれば証言してくれたかもしれないが、どう考えても保険金の下りない危険な状況は確実だったので、乗せていなかったのである。

「せめて沈み切る前に装甲版でも回収しなければな……」

 船員たちは泳ぎの得意な者たちがこぞって網などを手に回収作業に入っているが、人手は多くない。何しろこちらの船の破損も小さくはないのだ。その補修に、怪我人の手当てなど、人手は余っているわけではない。

「紙月、なんとかしてあげられないかな」
「うん。俺もそう考えていた。これはいい稼ぎ時かもしれん」
「紙月のそういうところ嫌いじゃないけど、どうかとは思うよ」
「ただでやると後々響くからな。どんな仕事でも仕事である以上は報酬はいただく」
「君たち何を話しているのかね。まさかとは思うが、まさか。どうにかできるのかね?」
「報酬次第ですねえ」
「足元を見ないでくれ。我が社は今まさに危機にあるのだ」
「しかたない、では貸し一つということにしましょうか」
「助かる。随分大きな、貸しになりそうだが」
「なに、俺たちゃそこまでがめつくないですよ」

 紙月は船べりに足をかけ、回収作業に精を出していた船員たちに撤退を促した。余所者で、海のド素人でしかない紙月に、しかし船員たちは素直に従い、慌てて船に戻った。

 つまり、こう言ったのである。

「おーい、巻き込まれても知らねえぞー!」

 船員たちがみな予測効果範囲から離れたのを見届けて、紙月はステータスメニューを開いて、ショートカットリストを整理した。普段使わないので、どこにあったか覚えていなかったのだ。

「えーっと……まあ、これでいいだろ」
「非常に怖いんだが大丈夫かね、そんなに適当で」
「何かあってもあんただけは大丈夫なんでしょう」
「私はともかく会社は困るんだがね」

 立て直すのに苦労するんだ、とのたまう顔は、成程しぶとそうな男の顔である。自身が死にかけるのと同じくらいの頻度で会社を傾けては立て直してきたといううわさも伊達ではないのかもしれない。

「よし、じゃあいくか……《水鎖(アクア・ネックレス)》!!」

 《水鎖(アクア・ネックレス)》。それは水属性の初歩の捕縛系魔法であり、つまり相手を縛り付けて行動を阻害する魔法である。ふつうこれを単体目標に三十六連発したところで何ら意味はない。ばらけた相手に用いたところで、所詮初歩の魔法にすぎず、すぐに解けてしまう。
 しかし、ここが海原という広大な水場で、つまり水精がわんさかいるという異世界事情のもとで行使した場合、話が違う。

「お、おおおお………!」

 繰り返される《水鎖(アクア・ネックレス)》。水の鎖でできた巨大な網が海中からゆっくりと引き上げられ、漂っていた残骸ががらがらと引き上げられていく。紙月の詠唱が繰り返されるたびに《水鎖(アクア・ネックレス)》はより深く、より広くをさらい、集めていく。

「あ、しまったな」
「ど、どうしたのかね」
「これだけの残骸、どこに置きましょうかね」

 完全にバラバラになってしまっていて、曳航するどころの騒ぎではないのである。いくら紙月の魔力が無尽蔵と言えるほどにあるとはいえ、まさかハヴェノまで引きずっていく間ずっと魔法を使っているというのは現実的ではない。

「む、そうだな……本船が偽装として喫水を下げるために積んでいた荷を下ろそう」

 船というものは水の上に浮いている以上、重ければ沈むし、軽ければ浮かぶ。船を見慣れたものにとっては、その船がきちんと荷を積んでいるのかどうかというものは喫水を見ればわかるものなのである。そのため、海賊船を誘うおとりとしてふるまう以上、喫水を下げるために安価な荷をたくさん積んで誤魔化していたようである。

「じゃあ、しばらくこの船の上に吊り下げておくんで、積み荷を降ろし次第回収するって形で」
「そうしよう」
「貸しをお忘れなく」
「……そういえば帝都の知り合いを紹介するという貸しが」
「おっと疲れてきたな落としそうだ」
「わかった! わかったから!」





用語解説

・《水鎖(アクア・ネックレス)
 《魔術師(キャスター)》系統の覚える最初等の水属性デバフ《技能(スキル)》。
 相手の行動を阻害する転倒や窒息などの状態異常のほか、単に行動速度を低下させたりする。
『《水鎖(アクア・ネックレス)》! これほど皮肉な名づけをするものじゃよ、魔術師とは。美しくはあるが、首にかけたが最後じわじわと苦しめる……ついでに水でしかないからアクセサリにもならん』

前回のあらすじ
無事海賊を撃退した紙月たち一向。
あとはそう、バカンスだ。





 船が予定よりも早めに帰港して、そのぼろぼろの惨状を見せつけるにあたって港では何事かと大いにざわめいたものだった。
 プロテーゾが海賊船の残骸を港に広げて見せ、また森の魔女こと紙月とその盾の騎士未来を並べて海賊退治の報をぶち上げると、ざわめきは大歓声に代わり、あちこちで日も高いうちから酒瓶を開ける音が響き始めた。景気のいい船主などは、酒の樽を開けてもいる。
 海賊騒動は、目には見えぬようでいて、港の人々の心中に深い不安を落としていたのだろう。

 海賊を見事仕留めたプロテーゾとその商社は大いに褒め称えられ、不死身のプロテーゾまたも生き残ると大いにはやし立てられていた。
 そして脚色も華やかに尾ひれも背びれも胸びれも、なんなら尾頭までついた森の魔女の海賊退治の物語は、その日のうちにハヴェノの町中に広まった。ハヴェノの町中に広まるということは、一週間以内には、街道でつながる全ての町に森の魔女の偉業がさらに頭を二つか三つ増やして伝えられるということであったが、これに関しては、紙月たちはもうあきらめることにした。

 未来は鎧を脱いでしまえば盾の騎士の面影などないし、そんな未来を連れている紙月も、衣装を黒尽くめから少し色合いを変えてしまうだけであっという間に町並みに紛れてしまう。ましてうわさ話にかけらも出てこない、むくつけき斧男二人がお供についているとなれば、これはもう誰も本人とは思わなかった。

 白のワンピースドレスに麦藁帽という、そのあたりに何人もいそうな変哲もない服装は、ともすれば人込みに紛れて数秒もすれば見失ってしまいそうなほどにありふれたものであったが、スカートを翻してどうだ似合うかと笑う紙月に、未来はそっと小首をかしげたのだった。

「いっそ男物買えばよかったんじゃないの?」
「うーん」

 街中なのだし安全だろうと未来は思うのだけれど、紙月はいまだに装備品の数値にこだわるのだった。この田舎から出てきたばかりのような服装だって、立派なゲーム内装備である。

「仮にの話なんだが」
「なあに」
「お前が攫われても俺は心配しない。お前を傷つけられるやつが想像できん」
「ちょっとひどいんじゃないそれ」
「まあまあ。だがおれは自分が攫われる姿は容易に想像できる」
「自信満々に」
「そうなるとお前に迷惑をかけるので、せめてもと自衛しているわけだ」
「成程」

 紙月はそう言って、さあ海遊びでもしようかとさっさと浜へ歩き始めるのだが、上機嫌そうなその後ろを歩きながら、未来は小首をかしげるのだった。

「本当はちょっと楽しくなってない?」
「……ちょっとだけ、な」

 舌を出して笑う姿は成程魅力的だった。



 海開きはもう済んでいるということで、浜には多くの観光客が集まっていた。泳ぐ者もいるし、浜を駆けまわるものもいるし、蔦のようなものを編んだ球で遊ぶ者たちもいるし、そしてまた最大勢力はかまどに網を広げて肉を焼く勢力だった。

「バーベキュー見てるとアメリカンって感じがする」
「文化的には一応ヨーロピアンっぽいんだけどなあ」

 人々はみな水着姿だったが、その水着一つとってもスタイルに大きく幅があった。首元から足元まで覆う全身型のものもあれば、ほとんど局所しか覆っていないようなものまであり、文化が妙にごちゃ混ぜになっているような光景である。

「普通こう、もっとみんな似たような感じになるんじゃないのか……?」
「水着に関しちゃ、帝都が毎年新しい意匠を考えちゃ広めてるんでさ」
「それで流行り廃りが激しいから、ああやっていろんな水着が出回ってるのさ」
「デザイナーってのはどの世界でも……」

 そういうハキロとムスコロは、昔ながらというか、手入れも簡単だというふんどしのようなスタイルである。これがひょろい優男なんかだとみっともないが、筋骨隆々の二人は実によく似合っていた。ただし見ていて楽しいというものでもなかったが。

 未来はゲーム内アイテムの《勇魚(イサナ)皮衣(かわごろも)》と呼ばれる、トランクスタイプの水着を身に着けていた。これは装備していると水中での活動が可能になるというもので、水中ステージに挑むにあたって必須のアイテムだった。ただ、未来がフル装備で挑んだ場合、鎧の上にトランクスタイプの水着を履くという大変シュールな絵面であったが。

 そして紙月はというと、ビキニタイプの水着にパレオを巻き、麦わら帽子をかぶった夏らしい装いだった。この水着もゲーム内のアイテムであり、その名も《魅惑のマーメイド》という。未来の装備と同じく水中での活動が可能になるほか、異性の敵に魅了効果のある装備だった。
 現状でこの異性に当たる部分が一体何に当たるのかは不明であったが、すくなくとも筋肉ダルマ二人は男とわかっていながらも目をそらせずにいたし、そして未来は、その二人のすねを蹴りつけていた。

「未来は意外と筋肉ついてるんだな。お、水着にしっぽ穴付いてる」
「動物学的な観察をどうも。……紙月、とっても似合ってるよ」
「え? お、おう。なんだか恥ずかしいな……あんがとよ」

 日差しは強く、白い砂浜の照り返しは暑い。
 だが風は心地よく、潮の香りが異国を思わせた。
 夏はまだ、始まったばかりだった。





用語解説

・白のワンピースドレス
 ゲーム内アイテム。正式名称《あの夏の思い出》。女性キャラ専用装備。特定の組み合わせで装備することで防御力を大幅に高めることができる。夏のイベント限定で入手できた。
『今も僕は覚えている。抜けるように青い空を背に、君の白いワンピースが、泣きたくなるほどに眩しかったことを』

・麦藁帽
 ゲーム内アイテム。正式名称《夏のいたずら》。攻撃を受けると低確率で装備から外れてしまうが、特定の組み合わせで装備することで防御力を大幅に高めることができる。夏のイベント限定で入手できた。
『待って! ああ、待って! それは風にさらわれた帽子を追う声だったのだろうか。それとも。いや、やめておこう』

・《勇魚(イサナ)皮衣(かわごろも)
 ゲーム内アイテム。夏限定イベントで登場する特殊なMobから確率でドロップする。水中活動が可能になる。
『勇魚の皮を羽織れ、海に挑め。その先に挑むべきものがあるのだから』

・《魅惑のマーメイド》
 ゲーム内アイテム。夏限定イベントで登場する特殊なボスから低確率でドロップする。女性専用装備。水中活動が可能になる。名前のわりにパレオでナマ足が見づらいのではという意見もあった。
『夏、海、そして水着。なぜだろう。たったこれだけでぼくらは限界を超えられるのだった』

前回のあらすじ
海賊を無事蹴散らし、魅惑の夏を楽しんだ一行であった。





 南部の海で海賊が氷漬けにされたとか火炙りにされたとか、どうにも過激な噂が世の中を騒がす一方で、《巨人の斧(トポロ・デ・アルツロ)冒険屋事務所》はやはりどうにも暇だった。

 実際には暇なのは一部だけで、多くの冒険屋たちはそれぞれにそれぞれの仕事にいそしんでいるわけなのだが、それはそれとして暇である一部にとってはやはり退屈というほかになかった。

「こう、さあ……普通の魔獣退治とかでいいんだけど、ダメかな」
「ぼくらすっかり危険物コンビ扱いされてるからねえ」

 事務所の広間でだらんとくつろいで見ていたりはするが、心は全く退屈のあまり落ち着きはしない。何しろ海賊退治からしばらく経つが、その間ずっと何も仕事が入ってこないのだ。

 ようやく冒険者章もでき、《魔法の盾(マギア・シィルド)》なる格好の良いパーティ名もつけてもらったのに、いまやそこそこ強い魔獣が出たとかではもう呼ばれもせず、顔を出そうものなら過剰暴力だの魔獣が哀れだの散々な言われようなのだった。

 紙月としても、自分がフルパワーで戦うような事態がそんなに何度もあってたまるかとは思いもするけれど、それはそれとして手ごろな運動もとい、気軽に受けられる依頼があってもいいのではなかろうかとも思う。折角の異世界なのだ、もうちょっと高難易度の任務がごろごろしていてもいいんじゃないかと思う。
 実際にその異世界で生活している側からしてみれば、紙月と未来に見合った依頼がごろごろしているようなそんな世界たまったものではないのだろうけれど。

 実際のところは、こうだった。
 つまり、最初こそ、地竜退治の件だって幼体だったからとか運がよかったからと考えていたらしい西部冒険屋組合も、二人が方々でやんちゃをするたびにその認識を改めてきているらしく、事務所のおかみであるアドゾがどうのというより、その上の大組合のほうで危険視されているらしく、依頼が制限されているのだった。

 いっそ組合の方で召し上げて、専属の冒険屋として縛ってしまってはどうかという意見もあったが、問題はだれが責任をもってこの二人を管轄下に置くかということだった。うまいこと運んでいるうちはいいかもしれないが、いつ爆発するかもわからないのである。
 それなら今のまま、《巨人の斧(トポロ・デ・アルツロ)冒険屋事務所》に押し付けてしまった方が楽でいいし、いざとなれば切り捨てるにも話が早い。

 アドゾの方でもそのあたりのことは何となく察しているので、腹こそ立つものの、表向きは大人しくしているのだった。
 まあ、それはそれでやっぱり腹が立つのは腹が立つので、そのうち適当な依頼を放り投げてやって、組合を慌てさせてやろうとか、逆に組合が押し付けてきた依頼を書類不備ではねてやろうかなどと考えていたりもするのだから、冒険屋の事務所など開いているやつに碌な連中はいない。

「ちわーす。飛脚(クリエーロ)のお出ましやでー」
「あらやだ、今日もいい男前じゃないか」
「おかみさん、そんな空が青いみたいなこと言いなんな」
「観賞用のためだけに飛脚(クリエーロ)呼びたいくらいだよ全く」
「お疲れでんな。書留でっせ」
「誰宛てだい……おうい、シヅキ、ミライ、書留だよ!」

 飛脚(クリエーロ)というのは、馬などではなく、人が自分の脚で走って宿場を継いで荷物や手紙を届ける制度であり、場合によっては馬などよりも早く届けることができる他、割合に廉価で済む。安上がりということだ。
 帝国の場合、多く足高(コンノケン)という土蜘蛛(ロンガクルルロ)の一氏族が多くこの職業についており、これによって情報伝達網はかなり強固に支えられていると言ってよい。

 書留というのは郵便の一種で、配達途中に万一紛失した場合にきっちり損害賠償金が出る制度のことである。これはこの異世界でも同様で、発覚した場合はきちんと賠償金が出る。そして発覚しやすいように飛脚(クリエーロ)の間でもきちんと制度が出来上がっている。

「はいはい、書留ですって?」
「帝都からでんな」
「はいよ。サインはここでいいかな」
「お二人分、はい、はい、シヅキはんにミライはん、はい、確かに届けましたさかい」
「あんがとさん。ぬる茶でよけりゃ」
「お、助かりまんな」

 くいっとすがすがしいほどに爽やかに湯飲みのぬる茶を飲み干して、足高(コンノケン)飛脚(クリエーロ)は再び夏の往来に飛び出していった。
 走り去って行く道の先では、逃げ水のそばで逃げ水啜りが舌を鳴らしているところだった。

 飛脚(クリエーロ)の仕事とはいえ、この炎天下に、ご苦労な事である。

 たらいに魔法で氷柱を生み出して暑気払いをしている紙月としては信じられない苦行であるが、遮るものもない平原育ちの足高(コンノケン)たちにとってはさしたる暑さでもないのかもしれない。いや、多分聞いたら「暑いにきまっとるがな」と涼しい顔で言われるのだろうけれど。

 さて、と紙月は書留をうちわにパタパタと顔を仰ぎながら氷柱のそばに戻り、極々小さい魔力で《金刃(レザー・エッジ)》を唱え、小さな刃物をペーパーナイフ代わりに生み出した。これは氷柱作りの際にいろいろと試した結果編みだした小手技で、魔力の量や質、流し方次第で魔法の細かな制御に成功したのである。
 さらには、《金刃(レザー・エッジ)》のように後に残る魔法でも、魔力に分解して再吸収可能なことまで発見している。

 これはもはやただの《技能(スキル)》ではなく、この世界に適応した魔法としての形だなと、紙月はひそかに自賛していた。なにしろ今更この程度のことをしたくらいではみんななんとも思ってくれないので、自分で褒める他にないのだった。

「帝都の……帝都大学? の博士さんだとさ」
「帝都大学……あ、あれじゃない。前に、ミノ鉱山に行った時の」
「あー」

 以前、ミノという鉱山に依頼で鉱石を掘りに行ったことがあった。その時の依頼人が確か帝都のなにがしという人であり、研究用に用いるということであったから、大学の博士と言えばちょうどそれに合致する。

「というか大学なんてあったんだな」
「他に聞かないもんねえ」

 学校と名のつくものは、スプロの町にはない。今まで巡ったほかの土地にもなかった。読み書きに関しては言葉の神の神殿で片が付くし、専門的なことはそれぞれの職業の組合で教えてくれるものなのだ。また、貴族ともなればそれぞれに家庭教師を雇うのが普通である。
 だから学問を専門的に扱う組織というのは実は、帝都の大学をおいて他にないのである。

「どれどれ……おお、結構な額だな」
「本当だ。ピオーチョさんたち頑張ってくれたんだねえ」

 封筒から取り出した為替の額は、そろそろ金銭感覚の麻痺してきている二人にしても満足のいく額であった。
 鉱山を爆破して崩落させてしまったため、実際に鉱石を採掘し、また魔物の素材を剥いで帝都に送るという作業は現地の冒険屋に任せてしまったため、どのくらいであるのか二人は良く知らなかったのだが、良い仕事をしてくれたようである。

 しかしそれにしても、囀石(バビルシュトノ)たちの協力もあってかなりの採掘量が見込めたとはいえ、惜しみなく賃金が支払われているというのは意外であった。
 というのは、あの現場ではかなりの量の魔物の素材が取れたはずで、その全てを送り付けたのだとしたら、多すぎるとしてかえって買取を拒否される可能性もあったのだ。それをしっかり全て支払ってくれているようであるから、余程金があったのか、余程需要があったのかである。

 ともあれ、これでまたしばらくの間は生活費に困ることもない。今でもまあ困ってはいないのだが、あるにこしたことはない。

「ん? まだなんか入ってるな」
「手紙みたいだね」

 並んで覗き込んだ文面は、招待状であるらしかった。





用語解説

飛脚(クリエーロ)(kuriero)
 一般に知られているかどうかは作者はよく知らないのだが、多分知られている飛脚とほぼほぼ同じ。
 馬などではなく、人が走って荷物を運ぶ。某運送会社のロゴマークに使用されているあれ。

・逃げ水啜り
 陽炎の一種である逃げ水の周りに集まり、逃げ水を啜るとされる魔獣。
 夏場によくみられるが、接触したという実例は皆無に等しい。
 実際魔獣と考えるより幻覚なのではないかという説もあるが、どちらにせよ原因は不明。

・帝都大学
 帝国に唯一存在する専門の学術研究・教育機関。
 入学金と成績のみで学生を受け入れており、貴族であろうと平民であろうと成績以外で自分を語れるものはいない能力主義。
 ありとあらゆる学問を受け入れると称しているが、特に魔術科は混沌とし過ぎていて、もはや全容がしれないともっぱらの都市伝説である。
前回のあらすじ

帝都からお手紙が届いたのであった。
読まずに食べておけばよかった。





 二人が並んで覗き込んだ手紙には、およそ学者とは思えない、あるいは学者だからこそなのか、ひどい癖字で読みづらい文面が並んでいた。傾けたり遠のけてみたり、近づいてみたり傾けなおしてみたり、二人で何とかして解読した結果はこのようであった。

 つまり、字の汚さもとい難解さとは裏腹に、時候の挨拶から始まり、依頼の結果、予想よりもずっと多くの収穫があったことへの感謝の辞といった至極まっとうな、むしろ文化人的な内容がつらつらと並び、うまく二人の気が緩んだあたりで本題をぶつけてくるというよくできた手紙だった。

 本題はこうだった。

 貴殿等のもたらせし地竜の卵の孵化実験を執り行いたく、地竜討伐の実績ある御二方に是非とも御同席頂きたく候。

 つまり、大分前に帝都に送られたとかいう地竜の卵がどう巡り巡ったのかこの博士とやらのもとに辿り着き、今回孵化させてみようということになったので、万が一の危機の為に地竜を討伐した実績のある紙月と未来にも同席してもらって万難を排したい、とこのような次第であるらしい。

 勿論報酬についても確かな額が約束されていたし、協力者として論文や関係書類にも名を残すことを重ね重ね述べられているのだが、それが嬉しいかどうかと言われると微妙な所である。

「どう考えても失敗するイベントだよな、これ」
「バイオなハザードを予想させる感じだよね」

 古来から、強大な生物を御そうという実験は失敗してヘリコプターが落ちると決まっているものなのだ。

「帝都には行ってみたかったけど、なあ」
「ちょっとついでにって感じじゃないもんね、このイベントの重さ」

 帝都には、メートル法をはじめとした元の世界の知識を持ち込んだ誰かがいるかもしれない、ということを伝え聞いたのは海賊討伐の依頼でのことだった。元の世界に帰る手掛かりがあるかもしれないし、そうでなくても同郷の人間には会っておきたいところであった。

 とはいえ、なにしろ危険物扱いされてなかなか自由に動けない身の上で、ちょっと帝都観光に行ってきますというのは難しかったのである。別にアドゾは止めなかったが、組合は目を光らせていると言われてしまうとさすがにやる気が起きなくなった。

「いいじゃないか。どうせ退屈してたんだろう」

 ところが、そのアドゾが後押ししてきたのである。

「招待状貰ったんなら断る方が失礼じゃあないか」
「そうは言いますけどねえ」
「第一、地竜の孵化実験だって? そんなもの対処できるの、当代でそう何人もいないだろうさ」

 そう言われてしまうと、弱い所であった。
 実際には西部冒険屋組合にニゾやジェンティロといった面子があったように、帝都にも生まれたての地竜ぐらいどうとでもできるような戦力はありそうなものであったが、それでも何かあった時に、どうして来てくれなかったのだと言われると、心苦しい。

「帝都行きたかったんだろ?」
「まあ、ついでがあれば程度ですけど」
「ちょうどいいついでじゃないか。観光しといでよ」
「観光というにはあまりにも重めなイベントなんですけど」
「一生に一度もんだよ、地竜の孵化なんざ」
「そう言われるとなんだか貴重な気がしてきますけどね」

 うだうだともめる紙月とアドゾを止めたのは、手紙から離れて氷柱にへばりついていた未来だった。

「紙月、もういいよ。素直に行こうよ」
「つったってなあ」
「大人には大人の都合があるんだよ」
「へあ?」
「あんたもミライくらい大人になりなってことさ」

 つまりは、ちょうどいい切っ掛けがあったから、アドゾとしては面倒ごと、つまり紙月と未来によそに行ってもらって、少しは気の休まる時間を過ごしたいのだと、そう言うことであった。
 そしてまた更に言うならば、散々締め付けを食らわせてきている西部冒険屋組合の管轄を超えた帝都でひと暴れでもして、すかっと気晴らしでもして来いというのである。

「それにさ、紙月。結局南部でお刺身食べ損ねたじゃない」
「あー」
「帝都だと、南部から直送の冷蔵便でお魚届くから、お刺身食べられるらしいよ」
「おお」

 南部では何度となく生魚を食べる機会があったのだが、連れのハキロとムスコロが絶対腹を下すと怯えに怯えるので、食べ損ねてしまったのである。あれは大いにもったいないことであったと、確かに後悔していたのだ。

「南部よりすっごく高いけど、でもちょうどお金も入ったし、観光料金だと思ってさ」
「ううむ」
「どうせしばらくどこにも行けそうになかったんだし、折角なんだから御呼ばれしちゃおうよ」
「フムン」
「夏が終わるまで西部で氷柱抱いてるなんて、僕、嫌だよ?」

 言葉を重ねられれば重ねられるほど、気持ちはぐらぐら傾いてくる。
 しかし、しかしだ。

「どうしてまたそんなに推すんだ?」
「いや、だって、ほらさ」

 未来ははにかんだように笑った。

「怪獣が生まれるシーンって、やっぱり憧れるじゃないか」

 子供のためなら何でもできる、そんな親心が理解できた瞬間だった。





用語解説

・怪獣が生まれるシーン
 どうしてこうも心をくすぐるのだろうか。
前回のあらすじ

子供の笑顔には勝てなかった。





 帝都は帝国の首都ということで帝都と呼ばれており、スプロの町やミノの町といった風な帝都なんたらという名前はついていないらしい。ということを知ったのは、案内人としてついてきたムスコロから道中で聞いた話である。
 道中と言っても、馬車ではなく、例によって魔女の流儀、すなわち《魔法の絨毯》の上での話だが。

「もともと帝都ってのは、北方の荒涼の大地、いわゆる不毛戦線の向こうにいやがる聖王国に対する防衛陣地として始まったもんなんでさ」

 相変わらず見た目の割にインテリなムスコロは、絨毯の上に小物を並べて簡単な地図を作って見せた。

「辺境から北部までは峰高い臥龍山脈が塞いでやす。西部じゃあご存じ大叢海がうまく蓋をしてくれる形になってやす。ところが帝都の真北のあたりだけがちょうど臥龍山脈と大叢海が途切れた平野が続いていやして、何度となく聖王国はここから攻め入ってきやした。幾度とない争いで荒廃したこの地帯を不毛戦線と呼んでるんですな」

 聖王国というのは、人族のもっとも古い国家であり、文明の神ケッタコッタを信奉する単一種族国家で、そしてかつて東西両大陸をその手中に収めるところまで行った強大な国家であったらしい。
 しかしその専横に神々も嘆き、言葉の神エスペラントが遣わされ、各々の言葉と文化を持って争っていた各種族をひとつなぎの言葉交易共通語(リンガフランカ)で隣人種として結び付け、激しい戦いの末に狭い北大陸に押し込み、封じ込んだ。これが帝国の始まりであるという。

 その後帝国は、何度か内部で分裂しながらも、聖王国に動きがあるたびに一致団結してこれに抗い続け、そしてようやく今のように一つの国家として東大陸を平定したのだという。

「今でも聖王国は健在で、いざとなれば不毛戦線を舞台に対応できるよう、帝都ってのは帝国の文明の発信地であると同時に、軍事の最大集結地点でもあるわけです。……あー辺境除く」
「辺境?」
「辺境てなあ、まず人間が住み着くには向かないってくらい厳しい冬の訪れる土地でしてな。その上、臥龍山脈の切れ目がある」
「じゃあ聖王国がやってくるかもしれないのか?」
「聖王国でさえ来んでしょうな。なにしろ、代わりに飛竜どもがやってくる」

 聞けば飛竜というのは、地竜と同じく竜種の一種で、地竜ほど硬くはないけれど、自由自在に空を飛びまわり、まず攻撃の届く範囲まで引きずり下ろすことが大変であるという。単純な比較はできないものの、およそ人間が相手にするものではないという点では同じだとのことである。

「辺境のもののふたちは、帝国ができた頃から、この飛竜を臥龍山脈の向こうに抑え込むために、大陸中から種族文化問わずに集まった酔狂たちでしてな」
「こっちで例えりゃ、地竜が何頭もやってくるのを退けているわけだ」
「そういうわけでやす。帝国に参加したのも統一戦争のころというくらいで、詳しいことはあまり」
「統一戦争てなあ、いつ頃だい」
「五百年前ですな」
「そんなに経つのに、まだ知られてないのか?」
「いや、その時分の物語なんかは劇ではやったりしてるんですがね、何しろ、その、環境が厳しいでしょう」
「……あー、誰も、行かない、と」
「辺境の連中も、たまには出てくるんですけれど、暑いのが苦手みたいで、もっぱら北部辺りまでしか出てこないみたいですなあ」

 となれば、辺境人に会う機会があるとすれば、北部まで出向くか、死ぬ気で辺境に顔を出すか、あるいは奇特な辺境人がこっちに来てくれるのを待つほかにないわけだ。

「ああ、でも、最近は辺境出の冒険屋が北部で活躍してるみたいですな」
「へえ?」
「なんでも朝飯代わりに乙種魔獣をバリバリ食っているとか」
「帝国人その言い回し好きな」
「まあ冗談はさておき、得手不得手なく魔獣を平らげちまうってのは本当らしいですな」
「いずれ会ってみたいけど、こればっかりは縁だよなあ」
「なんでもパーティの頭は白い髪の娘だそうですから、冒険屋やってりゃそのうち出会うかもしれませんなあ」
「なんだいそりゃ。どんなジンクスだ」
「冒険屋の大家に南部はハヴェノのブランクハーラ家ってのがありまして、八代前から冒険屋やってるんですがね」
「酔狂の極みだなあ」
「その家でも冒険屋として大成するのはみんな白い髪の持ち主だそうでして、昔っから白い髪の冒険屋は旅狂いってえ話なんでさ」
「成程なあ」

 ブランクハーラというのは、交易共通語(リンガフランカ)で白い髪という意味である。

 ブランクハーラの者に誰か会ったことがあるかと尋ねてみれば、子供の頃に西部までやってきたブランクハーラの女に会ったことがあるという。

「《暴風》なんてあだ名された女でしたがね、ありゃあ本当にすさまじいもんでしたよ。二つ名の通り、嵐のようにやってきて、嵐のようにずたずたに引き裂いて、そして嵐のように去っていくんでさ」
「何その天災」
「まさしく天災でしたよ、魔獣どもにとっちゃ。姐さんも大概強いが、あの女も地竜ぐらいはやれたんじゃないかってそう思いますね」
「本人を前に言うじゃないか」
「酔った勢いで斬岩なんてやらかすやつでしたからね」
「岩くらいなら俺だって」
「素手で」
「素手で」
「砕いたとかじゃなくて、岩を、素手で、スパッと切っちまったんでさ」
「人間の話してる?」
「ブランクハーラの話をしてやす」
「ああ、そういうジャンル……」
「全く恐ろしい女でしたよ、《暴風》マテンステロってのは」

 およそそのように話をしているうちに、馬車で最低十日はかかる道は瞬く間に過ぎていったのだった。





用語解説

・聖王国
 人族最古の国家にして、隣人種最大の戦犯。
 かつて東西大陸を支配下に置いたものの、ひとつなぎの言語交易共通語(リンガフランカ)を得た隣人種たちに叛逆され、現在は北大陸に押しやられている。
 今も返り咲く時を待っているとして、帝国と現在もにらみ合っている。

・臥龍山脈
 大陸北東部に連なる険しい山々。巨大な龍が臥したような形であるからとか、数多くの龍が人界に攻め入らんとして屠られ、そのむくろを臥して晒してきたからとか、諸説ある。
 北大陸に竜種たちを抑え込んでくれている障壁でもある。

・不毛戦線
 幾度となく戦場となり、荒れに荒れ果てたことからついた地名。
 聖王国と帝国の国境線ともいえる。

・統一戦争
 五百年前に、南部で連鎖的に発生した戦争をきっかけに、帝国が東大陸統一に乗り出した大戦。
 十年以上かけて帝国が勝者となったが、その後も何度か内乱はあった。

・辺境出の冒険屋
 実は辺境には冒険屋が少ない。皆、自分でどうにかできてしまうくらいに強いからだ。
 その辺境から出てくる冒険屋というものはもっと少なく、ちょっとした話題にはなるようだ。

・ブランクハーラ
 記録に残るだけで八代前から冒険屋をやっている生粋の酔狂血統。
 帝国各地で暴れまわっており、その血縁が広く散らばっているとされる。
 特に白い髪の子供はブランクハーラの血が濃いとされ、冒険屋として旅に出ることが多いという。

・《暴風》マテンステロ
 ブランクハーラの冒険屋。二刀流の魔法剣士。白い髪の女で、気性はいかにもブランクハーラらしいブランクハーラ。
 つまり自分勝手で気まぐれで旅狂いで酔狂。
前回のあらすじ

帝都までの道のりは速いものだった。





 帝都近くまでたどり着いて絨毯を降り、さて、見上げた門は実に立派なものだった。外壁自体がまず他の町々よりもはるかに立派で、比べ物にならない。高く、分厚く、そして土蜘蛛(ロンガクルルロ)のものとみられる装飾が壁面に緻密に彫り込まれているのである。

「こりゃあ、壁面見物してるだけで日が暮れそうだなあ」
「以前来た時に聞いたんですがね。ありゃあ全部ただの彫刻じゃあなくて、魔術彫刻だそうで」

 西部で見かけた刺繍で魔術を織り込むのと同様に、彫刻の形一つ一つが魔術の式となり陣となっているのだそうである。

「そりゃあ、調べてたら日が暮れるだけじゃすまなそうだな」
「何しろ古代からのものもあるんで、大学にゃあ壁面の研究している連中もいるそうでさ」

 主には魔獣除けや、単純な強度の底上げと言ったもののほか、外部からの攻撃に対して自動で反撃するシステムや、悪意ある魔術の侵入を防ぐ機能があるそうである。

「姐さんが使えるかどうかは知りやせんが、転移呪文も帝都の中には侵入できないそうでさあ」
「……それ、試したら怒られるかな」
「あっしのいねえところでやってくだせえ」

 《魔術師(キャスター)》の魔法を、初等のものならすべて揃えている千知千能(マジック・マスター)の紙月である。いくらか高等な呪文とはいえ、転移呪文も心得ている。とはいえ、警告されたうえで使うほど軽率ではなかったが。

 門までの列は長かったが、いざ辿り着いて衛兵に冒険屋章と招待状を見せると、検査もほどほどにさっさと通されてしまった。

「帝都大学より通達が来ております。随分お早いおつきですね」
「魔女のたしなみでね」
「フムン。迎えの馬車を用立てますので、しばしお待ちを」

 慌てた様子で衛兵たちは準備を進めてくれた。
 ムスコロは少し気まずげに、耳打ちした。

「普通は少し前の宿場や町から、飛脚(クリエーロ)なんかでそろそろつきますってえ手紙を出しておくんでさ」
「そういうもんか」
「あっしもこういうきちんとした出迎えは慣れねえんで、すいやせん」
「いや、俺たちも気が付かなかった」

 なにしろ電子メールも電話もない世界である。連絡というものはもう少し気にかけなければならないなと紙月たちは反省した。相手があることなのだから、魔女の流儀だからと何もかも自分の都合で動いていては、いずれどこかで問題が生じていただろう。

 ムスコロのような現地人の案内がこれほどありがたいと思うことはない。
 しかしそのムスコロも、招待されているわけではないし、用事がすむまで観光でもしていやすとさっさと姿を消してしまった。
 なにしろ酒さえ入っていなければ妙に察しのいい男であるから、面倒ごとの匂いを嗅ぎつけたのだろう。山火事を察する野ネズミのごとしである。

 少し待って用意された馬車は、貴族が使いそうな立派な馬車であった。帝都大学の馬車であるという。そして珍しいことに、馬車を引いているのは馬であった。

「いや、馬車なんだから馬なんだけどよ」
()()()()()って、見るのも久しぶりだよね」

 この馬は、いわゆる四つ足で、蹄があって、鬣のある、元の世界と同様の馬であった。帝都では馬と言えばこの馬のことというくらい、蹄ある馬が多く用いられている。これはかつて聖王国、つまり人族の勢力を追い返した時に大量に取り残された馬たちの子孫であるという。

 さて、この用意された馬車に乗って帝都を進むのだが、対聖王国の防衛陣地と聞かされていた二人の目には、帝都はかなり洗練された町並みに見えた。石造りの町並みは、それこそ現代に残るヨーロッパの町並みにも似た市街である。
 馬車の通る車道があり、人の通る歩道があり、上下水道が敷設され、街灯らしきものも等間隔でたてられている。建物は多く三階以上あり、計画的に碁盤目状のブロックが形成されていた。

「これはまた、想像以上の町並みだなあ」
「帝都は聖王国時代の町をそのまま拡張して使っていますからね、遺跡レベルの高度な技術がふんだんに使われています」

 遺跡というと古びたイメージがあるが、この場合、古代の非常に高度な技術が、その知識だけが失われて再研究されているような意味合いである。
 御者によれば特に上下水道などは非常に洗練されており、蛇口をひねれば水が出るというのは、帝都を含め大きな町にしか見られない特徴であるそうだった。

 確かにスプロでも、そう言った施設は見かけたことがない。

 馬車はしばらくアスファルト敷きらしい非常に滑らかな車道を揺れも少なく進み、そしてどこまで進むのかと思ったあたりで、別の門から外に出てしまった。

「おっと?」
「帝都大学は非常に敷地が広大でして、帝都郊外に建てられているんですよ」

 御者によればそのような事であった。

 そうして馬車でしばらく進み、これまた普通の町程度に立派な門をくぐって、それでもまだ大学らしき建物というものは見えない。

「本棟はこれよりさらに先に進みます。我々の目的地である魔術科の実験用仮設施設ははずれの方ですね」

 馬車は進みながら、あちらが魔術科の棟、あちらが農業科の棟、あちらが政治学の棟、と説明していってくれるのだが、成程、帝都大学というのはもう、それ自体が一つの町と思った方がよさそうである。立ち並ぶ棟はそれぞれに馬車で移動するのが普通のようで、かなり贅沢な土地の使い方である。

「もっぱら魔術科のせいです」

 これも御者の言である。

「何しろ学問というものは様々な分野がかかわってくるものですから、昔はそれぞれの棟も近かったのですけれど、魔術科棟から火災やら爆破やら変な煙やら新種の魔獣やらと湧き出てきたので、仕方なくそれぞれの棟を離して安全を図っております」

 それでなくとも学者というものは近づけておいてもいいことはないというのが御者の言で、喧嘩しないように遠ざけておいた方が本人たちのためであるという。なかなかずけずけ言う御者である。

 そのような与太話を繰り広げながら辿り着いたのが、仮設であるという割には立派な木造の建物だった。装飾は少ないが、規模だけなら屋敷と言っていい。

「では、私はこれで」

 そういってさっさと去っていってしまう御者の姿は、あれは逃げ出しているのではと思わせるほどの拙速ぶりである。余程魔術科とやらと関わりたくないらしい。

 そして取り残された二人はというと、ノッカーを鳴らす前に、よくよく脱出経路を相談するのであった。





用語解説

・魔術彫刻
 その掘方や形状そのものが魔法となっている彫刻。
 特定の状況、または呪文などに反応して効果を現す。

前回のあらすじ

いかにも危険の匂いのする実験施設までやってきたのだった。





「はーい、どちら様ですかー?」

 どこのお勝手か、と言いたくなるほど平凡な出迎えをしてくれたのは、もはや半分くらい元の色がわからなくなっている白衣を羽織った銀髪の女性だった。

「《巨人の斧(トポロ・デ・アルツロ)冒険屋事務所》から参りました、冒険屋《魔法の盾(マギア・シィルド)》の紙月と未来です」
「冒険屋……あー、あー、あー、ちょっと待ってくださいね」

 ぱたん、と静かにドアが閉められ、そしておそらくは本人としては隠しているのであろうが、隠し切れない大騒動がドアの向こうで繰り広げられ始めた。

「仮眠中止! 仮眠中止ー! 冒険屋さんもう来たって!」
「ええ? まだ十日くらいは猶予あるんじゃないの……?」
「でも来てるんだって! 起きてアカシ! せめて服着て!」
「わかった、わかったから、揺らさないで……」
「ああ、せめて見える所だけでも片付けないと!」

 事前に連絡を入れないとどういうことになるのか、非常に反省させられる音声をお楽しみください。
 まるで戦争でもしているのかという激しい物音の続く十分間が過ぎ、そして改めてドアが開かれた。

「お、お待たせしましたー。どうぞ、中へ」
「アッハイ」

 仮設実験用施設とやらは、荒れに荒れていた。本人たちは何とか片付けたつもりなのだろうが、そもそもの感性がずれているのだろうか、それとももうどうしようもないとあきらめたのか、たたまれもしない洋服はクローゼットからはみ出ていたし、書籍の類は平然と床に積み上げられていたし、もう何やら片付けようがないと悟ったらしい器具の類が、シーツにくるまれてベッドに放り投げられていた。

 少なくともこの乱雑さを理解しているらしい銀髪の女性は引きつった笑顔だが、もう一人の赤毛の女性となるともうへらへらと笑っているのでこちらは自覚なしとみていいだろう。

「えっと、お待たせしました。私が依頼人のユベルです。こっちがキャシィ」
「あはは、どうも」
「今お茶でも入れますので、そこら辺に座ってお待ちくださいな!」

 ユベルと名乗った銀髪の女性はそそくさと席を外してしまったが、困ったのは残された紙月と未来である。そこらへんに、と言われても、一応応接セットらしきソファはあるのだが、書類やら書籍やらが積まれていて完全に用をなしていない。

 仕方がなく適当に床におろして座ってみたが、埃がまたひどい。

「いやー、ごめんなさいね、もうすこしゆっくりいらっしゃると思ってまして」

 そう笑って同じように腰を下ろしたのがキャシィ、なのだろうけれど。

「……? えーと私の顔に何か?」
「ああ、いえ、顔立ちが西方の方っぽいな、と」

 紙月たち流に言えば、アジア人顔しているといったところだが。

「ああ、わかります? 実際生まれはそっちの方でして。でも帝国の人には名前が発音しづらいみたいで」

 本当は明石菊子というのだと女性は名乗った。

「明石、が言いづらいからいつの間にかキャシィに。ユベルも、本名は夕張つつじって言うんですよ。あ、もう帝国名の方が慣れちゃってますんで、御気兼ねなく」
「はあ、そう言う次第でしたら」

 もしかしたら元の世界の人間なのだろうかと思ったのだが、いまいちそのような空気ではない。向こうからこちらをうかがう様子もない。

 そして何より。

「唇がちゃんと動いてる」
「だな」
「?」

 つまり、紙月たちが日本語を喋っているつもりで話しても、実際には交易共通語(リンガフランカ)として発音されているような、唇の動きと発音とに齟齬がないのである。

「しかし本当に早いおつきでしたね。手紙が届いたころかなーって今朝話してたばかりなんですけれど」
「まあ、魔女の流儀というやつでしてね。もう少し早めに連絡入れるべきでしたけど」
「魔女の流儀。気になりますね。まさか転移呪文でも?」
「空飛んできたって言ったら笑います?」
「飛行呪文! とても興味深い! 当代ではなかなか使える人どころか理論自体も遺失しかけてまして、私たちも遺跡から再発見を試みている最中でして、あ、対物ですか対人ですか? 物を浮かせる呪文があるんですけど、やっぱりあれじゃ飛行には至らないんですよね。自分を浮かせて運ぶような形ではどうしても飛行に至るほどの印象形成に至らず、自分の乗った椅子を自分で持ち上げようとする不格好な感じにしかならないんですよね。そこで自動術式をかけてみてはどうかという試みが現在行われていて、」
「はいはいそこまで」

 ものすごい勢いで食いつかれて焦ったところで、タイミングよくユベルが戻ってくれたようであった。実に洗練された所作で甘茶(ドルチャテオ)のカップが埃と謎の書類にあふれたテーブルに器用に置かれ、そして、そしてお茶うけになのか、なぜか煮物が出てきた。

「すみません。茶菓子とか用意してなくて。昨晩の余りですけど」

 どうやら「まとも枠」ではなく「ややまとも枠」であったようだ。
 なお、帝都名物であるという芋の煮物は、しいて言うならば洋風肉じゃがといった具合で、よくよく味が染みていておいしかったのは確かであった。それが茶菓子として通用するかというと全く別の話であったが。





用語解説

・飛行呪文
 実は現代では飛行呪文はあまり一般化されていない。
 一部の術者たちがそれぞれに確立した流派でやっているため、まず体系化そのものがなされていない。
 古代にはよく用いられていたとされる。