異界転生譚シールド・アンド・マジック

前回のあらすじ
一網打尽に大嘴鶏食い(ココマンジャント)を片付けた二人だったが。





 大嘴鶏食い(ココマンジャント)の巣を殲滅し終えたことを意気揚々と報告したところ、叱られた。
 三人そろって、叱られた。

 まず依頼主のチャスィスト家のマルユヌロ老に、独断専行が過ぎると叱られた。天狗(ウルカ)の言うことを信じて、大事になったらどうするつもりだったのかと大いに叱られた。これについて反論しようとしたところ、マルユヌロは渋い顔をして、付け加えた。君も、賢い子供ならば大人の暴走は止めなさいと。
 スピザエトはしばらく自分が言われたのだということを咀嚼できないでいたが、そうとわかると何度も頷いて、叱られてしまったと笑うのだった。

 次に冒険屋たちのリーダー格である古参の冒険屋に叱られた。お前たちは子供に説教しておいて、やることはその子供と一緒じゃないか。次は自分達も呼ぶようにと大いに叱られた。それから少し迷って、頼るときはこんな胡散臭いのじゃなくて、もっとしっかりした大人を頼れと胸を叩いた。
 じゃあ助けてくれるのかとスピザエトが恐る恐る問うと、お代によると大真面目に言われて、これにもまた笑った。冒険屋も、やはり生業なのだ。

 最後に、スピザエトのおつきの者たちが探しにやってきて、何を馬鹿な冒険ごっこなどしているのかと散々に叱られた。この方をどなたと心得るのかとか、子供を連れて害獣退治など言語道断だとか、大いに叱られた。
 それからスピザエトが素直に謝罪すると、こっそりと、どうやって躾けたのか教えてくれと頼まれた。それはあんたらの仕事だと返せば、人族に言い負かされるのは癪だとため息を吐かれた。

 こうして三人は三様に叱られたのだが、スピザエトはこの小さな冒険でいろいろと得るものがあったようだ。そればかりは、紙月も未来も手放しで喜べるところだった。

「シヅキ、ミライ、冒険屋には報酬がいるんじゃろ?」
「子供料金でサービスしとくよ」
「そうはいかん。おぬしらはわしを立派な一人として見てくれた。わしもおぬしらを立派な冒険屋として扱う」
「その気持ちだけでうれしいんだけどな」
「いいじゃない紙月。受け取っておこうよ」
「うむ。と言っても手持ちがないからの。ちょっとした装飾品じゃが、受け取ってくれ」

 そう言って、スピザエトは両手を飾っていた腕輪を外し、二人に一つずつ寄越して与えた。

「いいのか、高そうだけど」
「高いわい! 高いから報酬なんじゃろ!」
「それもそうだ」
「ありがたくうけとるよ」

 二人はこれを大事にインベントリにしまった。腕に付けていると、何しろ冒険屋なんて稼業だから、なくしたり壊したりしそうだし、売り払うという気にもならなかったので、記念品として取っておくことにしたのだ。
 依頼主からもきちんと革袋に詰められた報酬が渡され、これにてこの地の依頼は済んだ。

「おうちょっと待て」
「え」
大嘴鶏食い(ココマンジャント)どもを片付けたんだろ」
「素材がもったいねえ。巣まで案内しな」
「うげ、そうだった」
「二人で突っ走った分、まだまだ働いてもらうぞ!」
「ぐへえ」

 こうして二人は凍り付いた巣の前で説明に励み、凍り付いた巣の解体に励み、凍り付いた素材の解体に励み、なんで凍ってんだよと三回ほど自分に切れ、それでもなんとか素材を解体し、街におろすのだった。





 騒がしい平原の民の集落を離れて、連れの者たちの操る風精に乗って空を飛びながら、スピザエトは思った。これは紙月たちの言う通り小さな冒険にすぎず、従者たちの言う通り冒険ごっこにすぎず、これがために何か変わるようなことも、何かが起こるようなこともないのだろう。

 これから。
 すべてはこれからなのだ。

 かつて父や祖父にも、何かしらのきっかけがあっただろう。
 それが自分にも訪れただけのことなのだ。
 それをどう生かすも、どう殺すも、すべてはこれからなのだ。

 いつもそうだった。

 スピザエトは風を頬に受けながらそう思った。

 いつもそうだったのだ、本当は。
 いつだって人生というものは、呪いに縛られている。
 でもその呪いを生み出しているのは、本当のところ自分自身なのだ。

 自分の人生は呪いのようなものなのだと、自分の好きなようにはできないのだと、その思い自体が呪いなのだった。呪いが呪いを生み続けてきたのだった。

 けれど本当はいつだって、どこだって、きっかけと呼べるものはあったはずなのだった。

 例えば父が声をかけてくれたあの月のない夜。
 父の語らない言葉の向こうにある本心に触れたあの夜。

 あの時だって、スピザエトは違うといえたはずなのだ。
 父のためでもなく、祖父のためでもなく、連綿と続く呪いのような血筋のためでもなく、ただ自分が父を尊敬するから父のようになりたいのだと、そう言えたはずなのだった。

 そうだ。
 いつもそうだった。
 これから。
 すべてはこれからなのだ。

「おや、腕輪はどうなさいました?」
「うむ。冒険屋に報酬としてやった」
「おやまあ、御駄賃にしてはちょっと高かったですよ、あれ」
「わしにしてみれば妥当な報酬だったのじゃ」
「ではその分、お勉強して返していただきますよ、殿下」
「ぐへえ」





用語解説

・殿下
 帝国内に、現状で王または王子を僭称するような輩はいない。
 もしも正当に王または王子を名乗るようなものがいるとすればそれは帝国外の勢力となる。
前回のあらすじ
天狗(ウルカ)の少年とともに大嘴鶏食い(ココマンジャント)を殲滅した二人。
そしてそろって叱られるのであった。





 子供をいじめたものがいるとして、森の魔女が怒り狂って平原を永久凍土に閉ざしたらしい。そんないい加減な噂はいつも通りに聞き流すとして、それでも地竜殺しや山殺しに続いて、凍土の魔女とかいう二つ名までいただいてしまって、いやまったく、本人たちのあずかり知らぬところで西部には化物が生まれようとしているようである。

 さて、そんな噂などどこ吹く風のスプロの町。

 からりと涼しい風の吹く西部の町にも、そのときが来ようとしていた。

「暑い、な」
「暑い、ね」

 つまり、夏である。
 異世界であるところのこの帝国にも、地域によって大きく差はあるものの、四季のようなものが巡るらしかった。

 西部での夏というのはこういうものである。
 からりとよく乾燥し、空気には湿り気が少なく、いわゆるじめじめとした暑さはない。むしろ風が吹く間などは涼しいくらいだといっても良い。
 ただし、遮るもののない平野は、日光を常に浴び続けているせいで、決して冷めているわけではない。
 時折嫌に気温が高くなる時など、石畳で卵が焼けるそうである。

 やったのかと聞けば、パン種はさすがに無理だったというので、冒険屋というものは大概阿呆なのか、それとも夏の暑さが人を阿呆にするのか。

 ともあれ、異世界でも夏は暑かった。窓や戸を開け放してごろりと横になればまだましなのだが、それでもどこか遠くでじりじりと石畳の焼ける音が聞こえるような、そんなどこか落ち着かない夏である。

 未来はきっとその方が涼しいであろうに、《白亜の雪鎧》を断固として着ようとしなかった。涼しいは涼しいのだが、クーラーのような妙な涼しさだし、だいいち、暑くはなくとも暑苦しいらしい。
 紙月の方はもともと涼しげな格好ではあったが、しかし何しろ黒尽くめである。とんがり帽子の広いつばで日光を遮ったにしろ、結局黒は熱を帯びるので死にそうになる。

「氷菓でも食いに行きやせんか」
「なに、氷菓」
「ひょーか?」
「アイスだ」
「行く」

 筋肉の分暑苦しくて仕方がないのか、大いに汗をかきながら手ぬぐいを濡らす冒険屋ムスコロが、この時期は氷菓の店が出るというので、三人は連れ立って出かけることにした。
 うんざりするほどの日光が眩しくて、紙月は日傘を取り出して差すことにした。これは《吸血鬼の逃げ場》という名の装備品で、黒いレースの日傘の形をしたアイテムなのだが、装備している間、光系の属性攻撃に対して高い耐性を付与する。

「姐さんはなんだか、涼しそうでやすなあ」
「これでも暑いんだよ」
「俺もこの時期は、筋肉が脱げたらなと思いやす」
「ある種哀れだな……ほれ、《浄化(ピュリファイ)》」
「おお、汗も退いて、こりゃすっきりしていいですなあ」

 何となく鬱陶しいのでかけてみただけなのだが、意外に評価が良い。自分達にもかけてみたが、なるほど、汗のべたつく感覚がなくなるだけでも、大分、良い。
 同じように最初から魔法で外気を冷やせないのかとムスコロが期待した顔で言うので、できるはできると答えた。しかしやりたくはない。どんなに小さな魔力であれ、使えば失われるのである。すぐに回復するとはいえ、疲れる。長時間それを続けるのはなかなかしんどいのである。

「未来、お前は小さいから特に気をつけろよ」
「子供扱いしないでよ」
「そういうことじゃなくて、熱い路面に近いし、水分の保有量も少ないんだよ」
「あ、なるほど」

 熱射病、日射病という概念はこの世界にもあるようなのだが、異世界だからと言って画期的な治療法があるわけでもないようで、やはり水分と塩分を取って、体を冷やして、とそのような手段に頼らざるを得ないようである。
 すこしでもと思って日傘の陰に入れてやるが、まるで親子である。

 氷菓屋と言うのは表通りに店を出していて、店先にパラソルを据え付けたテーブルを並べて、その日陰で氷菓を食わせるものらしかった。
 なんにするかと聞かれて任せると答えてテーブルにぐったりと座り込むと、しばらくしてムスコロは三つの木皿を器用に運んできた。

削氷(ソメログラツィオ)にしやした。蜜は三種頼んだんで、お好きなのを」

 削氷(ソメログラツィオ)というのは、つまりかき氷だった。蜂蜜をかけたもの、甘酸っぱい柑橘の蜜をかけたもの、煮豆をかけたものがあったので、紙月は煮豆を、未来は少し迷って柑橘を選んだ。ムスコロは顔に似合わず甘いものが好きなようで、蜂蜜をたっぷりとかけた氷を喜んでしゃくしゃくととやった。

「おお、うまい。生き返る」
「紙月、一口頂戴」
「ほらよ」
「んむ。じゃあお返しに」
「んむ」

 三人三様にアイスクリーム頭痛で悶えたりしながら削氷(ソメログラツィオ)を楽しみ、一息ついた。

「それにしてもこの暑い時期に、どうやって作ってるんだろうな」
「店にゃあ大概、大きめの氷室がありやすからな」
「なるほど」

 北部や辺境の雪山から取れる氷精晶(グラツィクリスタロ)を使った氷室は、小さいものであれば事務所にもある。仕組みが違うだけで、冷蔵庫や冷凍庫のようなものが存在するのであれば、氷菓の類を作ることもできるだろう。
 少し落ち着いて、あたりを見てみれば、それこそアイスクリームや、シャーベットのようなものも見える。

「もう少し、食っていきやすかい?」
「いや、俺はもういらん」
「ぼくもうちょっと欲しいかも」
「あんまり腹ぁ冷やすなよ」
「大丈夫だよ」

 少し食べればそれで満たされるハイエルフの紙月に煮豆は少し重かったが、身体が小さく熱をため込みやすい未来はもう少し体を冷やしていきたいようだった。
 じゃあとムスコロは一皿の雪糕(グラツィアージョ)なる氷菓を買ってきて、未来と分けて食べた。これはアイスクリームのようなもので、西部では大嘴鶏(ココチェヴァーロ)の乳を使うのが一般的らしい。

「一口」
「あい」
「んむ」

 乳とわずかな砂糖だけで味がつけられているようだったが、大嘴鶏(ココチェヴァーロ)の乳はコクがあり、僅かなナッツのような香りが面白い。

「こうも暑いと、仕事する気も起きやせんな」
「全くだ」
「雪山に行く仕事とかないかなあ」

 ムスコロはともかく、紙月と未来は相変わらず、やんちゃが過ぎるとして仕事をほとんど干されたままなのである。貯えはあるし、最近は紙月もそこまで不安を覚えなくはなってきていたが、良くはないと思っている。
 しかし仕事がなければどうしようもない。
 またうだるような暑さの中を事務所へと向かいながら、紙月はため息を吐いた。

 そんな三人を、正確には紙月と未来の二人を待ち構えていたのがおかみのアドゾだった。





用語解説

・《吸血鬼の逃げ場》
 ゲーム内アイテム。光属性の攻撃に高い耐性を与える装備。
 また、見た目にもかわいらしいのでヴィジュアル重視のプレイヤーにもよく使用されていた。
 誤解されがちだが、分類としては「武器:剣」である。
『真夜中に人目を忍ぶなんて、いつの時代の話かしら。日焼け止めに日傘に、何なら地下街。吸血鬼が昼歩いたっていいじゃない』

・氷菓
 氷精晶(グラシクリステロ)や氷室を活用して作った冷たいお菓子の総称で、夏場は特に好んで食べられる。

削氷(ソメログラシオ)(Somero gracio)夏氷と言ったところか。
 氷の塊を細かく削って盛り付け、シロップなどをかけて食べる氷菓。かき氷。夏の定番。

雪糕(グラシアージョ)(glaciaĵo)
 乳、糖、香料などを混ぜ合わせ、空気を入れながら攪拌してクリーム状にして凍らせた氷菓。アイスクリーム。
前回のあらすじ
暑さのあまり氷菓に救いを求める三人だった。





 事務所に帰りつくと、出てきた時とは違って、なんだか人気が少ない。
 筋肉ダルマたちが熱い熱いとうなだれていた空気がわずかに残っているが、それも開け放した窓や戸からの風で流されてしまう程度のものだった。

「なんだあ?」
「阿呆どもがね」

 よく風の通る居間で書類をめくっていたおかみのアドゾが呆れたように言った。

「暑いからって食料品をしまってる氷室に頭突っ込んで占領するもんだから、頭冷して来いってみんな仕事押し付けて追い払ってやったのさ」
「なるほど」

 この暑い中ご苦労な事だが、そんな子供じみたことをしているくらいならば、まだそうして外に出て体を動かした方が頭も回り始めるだろう。

「ちょうどよかった。あんたたちにも仕事があるんだよ」
「ええ、俺達いい子にしてたぜ?」
「だよねえ」
「だからだよ。ムスコロ、ハキロと一緒に、こいつら連れて南部までお行き」
「南部でやすかい」
「仕事は仕事だけど、もう海開きしてる。まじめに働いてるあんたらには賞与変わりだ」

 海!
 この響きに紙月も未来ももろ手を上げて喜んだ。
 騒ぎになんだなんだと顔を出したハキロも、暑さには参っていたようで、この話を聞いて大いに歓声を上げた。
 一人冷静なのはムスコロで、つまり金で払うという話だった賞与の件は、この現物支給でぱあになるのだな、と納得顔である。この男、見た目こそ筋肉ダルマだが、頭の回転は速い方なのである。

 目的地である南部の港町までは、馬車で十日はかかる。紙月が《回復(ヒール)》で癒しながら進んでも、まあ八日はかかることだろう。これは障害がなく、それなりに急いだ話であって、実際はやはり《回復(ヒール)》込みでも十日やそこらはかかるだろう計算である。

 早めにつけばその分の時間は自由に使っていいとのことだったし、帰りも仕事が早く終わればゆっくり過ごしていいとのお墨付きは受けている、つまり行きと帰り、仕事も考えれば、たっぷり一月かかる仕事である。

 ハキロとムスコロは慣れた様子で準備を始めたが、これで困ったのは紙月と未来である。なにしろいままではゲーム内アイテムでずいぶん楽をしてきたのである、普通の旅支度など、知ったものではない。同行人がいると、合わせなくてはならないので、面倒なものである。

「なあ、ムスコロ。旅にはどんなものが必要なんだ」
「ええ? 姐さん今までにも何度か遠出はしたでやしょう?」
「魔女には魔女の流儀があって、俺達は冒険屋のやり方は知らないんだ。教えてくれ」
「はあ、まあ、そういうことなら」

 紙月が開き直って堂々とそのように言い張ると、ハキロは何を言っているんだという顔をしたが、ムスコロは特に何を言うでもなく、携帯食料はこのような物がある、これはこのように食う、火種はこれ、水精晶(アクヴォクリスタロ)の水筒は必須、現地で手に入りそうなものも少しはもっておく、などと事細かに説明してくれたが、これはなにもムスコロが魔女の流儀云々を馬鹿正直に信じたわけではない。ただ、馬鹿の相手を正直にすると面倒だということを経験から学んでいるので、それならいっそ気にしない方がいいというわけである。

 ムスコロは紙月と未来をまったくの素人として扱い、自分の持っている荷物をずらりと広げて教えてくれた。それも、誰でも知っているだろうと思われるものでも除外したりせず、馬鹿にしているのかというくらい丁寧に説明した。これが二人にはありがたかった。何しろ二人にはこの世界では何が当たり前で何がそうでないのか、全く分からないままだったのである。

「お前たち、本当にもの知らずだったんだな」
「ハキロ、お前さんまだわかっちゃいねえんだな」
「何がです」
「こういう生き物なんだよ」
「アッハイ」

 何やら妙な納得をされてしまったが、二人は興味津々で道具の類の説明をきっちり聞き終え、そして持っていないものは新しく購入することにした。また似たようなものを持っていても、例えば火種に関しては、以前の鉱山での依頼で冒険屋ピオーチョに便利な小型コンロを作ってもらったのだが、あれは薬缶一つかけるにはちょうどいいが、鍋をかけるには心もとないなどの不備があるので、やはりムスコロの勧めに従って新しく着火具を買った。

 性能で言えば余程便利な道具をいくつも持っている二人ではあったが、それとは別に、全くファンタジーの世界で、ファンタジーの道理によって洗練されて作り上げられたファンタジーの道具というものは、興味深い代物だった。
 フレーバーテキストを集めるのが好きだったというゲーム仲間の言葉を思い出すほどである。

「《自在蔵(ポスタープロ)》は持っていやすか? あれのあるなしで旅の難度は大いに変わりやす」
「一応持ってる」
「そういや、何かと大容量にいろいろ突っ込んでいやしたね。じゃあ、それとは別に鞄買いやしょう」
「え、《自在蔵(ポスタープロ)》あるのに要るのか?」
「要りやす」

 ムスコロもハキロも早いうちに大枚をはたいて《自在蔵(ポスタープロ)》を買ったそうであるが、それでも中身の詰まった鞄を背負っている。

 というのも、まず便利な道具というものは、なくなった時にすぐに代用できなければならない。《自在蔵(ポスタープロ)》が壊れてしまった時、荷物の持ち運びができないでは困る。これはすべての道具について言えることで、火種がないから火がつけられないなどと言っていては野営などできないのである。
 またひとつは、《自在蔵(ポスタープロ)》に入れておくものと、そうでないものというものがあるのだそうだ。

「《自在蔵(ポスタープロ)》は容量に限りがありやすし、どうしても手放したくないもの、手放せないものを入れやす。一方で鞄には、何しろ不意の戦闘の時に放り捨てることも多いから、壊れてもいいもの、なくしてもいいものを詰めやす」

 成程。容量に制限のない二人のインベントリには関係のない話だが、普通の《自在蔵(ポスタープロ)》というものは無限にものが入るわけではないし、入れれば入れるだけ重くなるものなのだ。

 そしてまた一つは、《自在蔵(ポスタープロ)》を持っているというのは大っぴらにすることではないからだそうである。

「高価なものでありやすし、高価なものを入れやすい、その割に小さいから、盗りやすい。だからどれかわからないように同じような物入れを増やしたり、懐にしまい込んだり、そして分かりやすい荷物である鞄を背負ったりするんでさ」

 成程、道理であった。わざわざスリのいそうな地域で派手な財布をちらつかせているようなものなのだろう。インベントリは盗めるようなものではないが、怪しまれないためにもそのようにしたほうがよさそうである。

 一行は早速二人に新しい冒険屋道具をそろえるため、新品の品を求めず、かえって古道具屋に向かった。

「新しいものを身につけていれば見た通り駆け出しで、それも金持ちと思われることがありやす。それに革物はある程度古した方が使いやすいですし、道具の類もそう言うところがありやすな」
「俺も装備はすべて古具屋でそろえた。冒険屋事務所のある町には冒険屋のおさがりも多いから、まず困らない」

 二人はムスコロとハキロの助言を受けながら道具を揃え、最終的に紙月は容量の少なめの肩掛け鞄を、未来は、鎧を着ても着ていなくても調整の利く、肩掛け紐の長い背負い鞄を選んだ。

「俺の方が容量多いやつにした方がいいんじゃないか?」
「姐さんは見かけより体力ありやすけど、華奢ですからふらつくかもしれやせん。足元も不安定だ」

 もっともである。

「それにほら、兄さんもやる気のようだ」
「ぼくが紙月の分まで持ったげるからね!」

 仕事を任されるというのは、子供の未来にとってこれ以上なく喜ばしいことなのである。

 二人の仕入れた鞄には、冒険屋のたしなみということで変わった造りがあって、それは肩掛け紐の一部が飾り紐のように結ばれていて、これはある角度で引っ張ると簡単に解けてしまって、急な時でもすぐに鞄を放り出せるようになっているのだそうだ。また結び方も、覚えればすぐだった。冒険屋は船乗りのように、このような結び方の一つや二つは覚えているのだそうだ。

 一通り道具がそろって、さて馬車の支度をと事務所に向かいかけたムスコロとハキロを紙月が止めた。

「なあ、別に馬車じゃなくてもいいんだろう?」
「ええ? そりゃあいいでしょうけど、歩きじゃとても間に合いやせんぜ」
「別に歩こうなんて言ってない」

 紙月はインベントリをあさって、それを取り出した。色々揃えるのは楽しかったが、それと同時になんだか面倒臭くなって来たので、この際魔女の流儀もお見せすることにしたのでおる。

「諸君、高い所は得意かね?」





用語解説

・解説がない回は平和な回
前回のあらすじ
ムスコロたちの指南で旅支度を整えた二人。
しかし結局面倒くさくなるのであった。





「ばっかじゃねえの!? ばっかじゃねえの!?」

 青ざめた顔で大いに叫びまくるのがハキロならば、

「……………………」

 悟りを開いた僧のような顔でひたすらに家族の名を唱えるのがムスコロであり、

「おおー! すごい! 乗ってみたかったんだ、ぼく!」

 大喜びではしゃぎまわるのが未来で、

「これどういう理屈で飛んでるんだろうな」

 同乗者の心臓に悪いことを呟くのが紙月だった。

 何の話かと言えば、現在冒険屋一行四人を運ぶ、空の乗り物であった。

 その名も高き《魔法の絨毯》。ゲーム内アイテムであり、一度に一パーティだけであるが、以前行った町や村に飛ぶことができる優れモノだ。ただし知性があるらしく、ダンジョンなどの危険な場所には飛んでくれない。
 一行は今、その絨毯に乗って空を飛んでいるのだった。

「馬鹿じゃねえの!?」
「えー、でも早くつけばいっぱい遊べるってハキロさんも言ったじゃないですか」
「まさかこんな手段だとは思わねえだろ!」

 早くつけばその分遊べるとして紙月が用意したのがこの《魔法の絨毯》だったが、やはり人族というものは空を飛ぶことに慣れていないらしく、大いに恐れられているのである。

 紙月は何度か飛行機に乗ったことがあるし、なんならスカイダイビングの経験もあるので落ち着いたものだし、未来は飛行機には乗ったことがないようだったが空を飛ぶという乗り物の存在にはなじみがあるし、なにより子供らしい冒険心が刺激されて大いに楽しんでいた。

 そもそも空を飛ぶという概念と親しくないらしいおっさん二人は皆で寝転んでもまだ余裕のある絨毯の真ん中にへばりつくようにしており、ふわふわとやや頼りない足元の感覚に恐れおののいているようだった。

 何しろ地面や床に敷いているわけではないのでその足元はしっかりとしたものではなく、例えるならば敷き詰めた風船の上を歩くような感じなのだが、それが未来には面白く、それがおっさんどもには恐ろしいのである。

「ムスコロ、港町の、なんだっけ」
「ハヴェノでやす」
「そうそれ、行ったことあるんだろ」
「ありやす」
「じゃあちゃんとつくから安心しろ」
「へい」

 ムスコロの記憶を頼りにこの絨毯は現在空を飛んでいるのだが、本当に大丈夫なのかというくらい当人は真っ青である。ハキロなどはもう叫ぶ気力もないようで、ガタガタと震えている。

「二人ともこわがりだよね」
「なー」
「お前らがおかしいんだよ!」

 と、最初のうちはそのように青ざめるばかりだったのだが、一飛びとはいえ何しろ距離があるから、ずっと緊張し続けるのも疲れるようで、だんだんと平常心を取り戻してきた。
 特に、端の方に行くと落下防止なのか絨毯が自動で押し返してくれることが判明してからは、ふたりも幾分気が楽になったようである。

「そういやあ、すごい勢いで飛んでる割には、風を感じないな」
「ああ、風精を調整しているんだろうな」

 ハキロが恐る恐る下を覗き込んでは首を引っ込めということを、度胸試しのように繰り返しながら言ったが、確かに、勢いの割に風を感じない。むき出しであるのだからもっと空気抵抗を受けてもよさそうなものであるが、そのあたりは絨毯の魔力が、風精を避けてくれているらしい。

 ハイエルフの紙月の目には、鳥のような姿をした風精たちが絨毯をさけるようにして飛んでいくのが、そしてまた時折戯れるように絡みついていくのがよく見えた。
 未来にはよく見えないようだったが、それでも何かしらの魔力は、その鋭い感性が感じ取っているようだった。

 ムスコロも随分時間はかかったようだが、何とか気を取り直したようで、恐る恐る景色を見下ろしながら、あれは恐らく街道のどのあたりだ、あれは何という宿場町だと案内ができるようになってきていた。

「ムスコロ、この調子だったらいつごろ辿り着きそうだ」
「そうですなあ、昼出て、もうこのあたりですから、街門が閉まる前には辿り着けると思いやす」
「そりゃ重畳……と、そう言えば氷菓は食ったけど昼飯まだだったな」
「とはいえ、絨毯の上で火を起こすわけにもいきませんしな」

 勿論、それでも困らないのが紙月と未来である。

「ちょっと端によけて」
「お、おう、こうか?」
「そうそう、ムスコロはちょっとそっち」
「へい」

 絨毯の真ん中を開けて、紙月が広げたのは《食神のテーブルクロス》である。
 腹を満たすのに必要なだけの食事を出してくれるというゲーム内アイテムで、食い盛りの未来に、大食いの冒険屋二人もいるとあって、かなりのご馳走である。
 とはいえ、使用者である紙月と未来の記憶をもとに再現しているらしく、全く新しい料理や、食べたことのない知らない料理を出すことはできないので、ご馳走と言っても限度はあるのだが。

「おお、なんじゃこりゃあ、こりゃ美味い!」
「魔女の飯ってのはこんなにうまいのか!」

 それでも、初めて食べる二人にとっては大いに新鮮であるらしく、皿までなめるような調子で平らげてくれるのだった。
 食べ終える頃にはムスコロもハキロも、自分達が空の上にいることなどもうすっかり恐れなくなって、柔らかな絨毯の上に寝そべって平気で寝返りを打てるようになっていた。

「うう、いかん。いかんぞこの柔らかさは……」
「眠くなるよねえ……」
「寝ててもいいぞ。ついたら起こすから」

 あまり睡眠の必要ないハイエルフの体は便利である。三人が子供のように寝入るのを見届けて、紙月は行く先を見据えた。
 心なし、潮の匂いも、してきたような気さえする。

 夏が、呼んでいた。





用語解説

・《魔法の絨毯》
 ゲーム内アイテム。使用することで最大一パーティまで、いままで行ったことのある町などの入り口まで一瞬で移動できる。ただし、ダンジョンなどの近くには飛んでくれない。
『これは何故飛ぶのだ? 何故絨毯なのだ? もっとこう、安全なものはなかったのか?』

・ハヴェノ(La Haveno)
 南部一の港町。西大陸の大国家ファシャとも交易があり、帝国の玄関口ともいえる。
 種族、民族、国籍など、最も多彩な街の一つと言えるだろう。

前回のあらすじ
快適な空の旅をどうぞ。





 ハヴェノというのは内湾を囲むようにしてできた三日月状の町で、常に多くの船が出入りし、それによって運ばれる品々を運ぶために太い街道で方々と結ばれている、大きな通商都市であった。
 念のために直接乗り付けるのではなく、近くで《絨毯》を降りて歩いて向かったのだが、門や、街を囲む外壁の立派さだけでも、スプロなどとは比べ物にならない都会であることが伺えた。

 ハヴェノに向かう人も、ハヴェノから旅立つ人も、みな大なり小なりの馬車に乗っているものが多く、商人ではない旅人も、乗合馬車などに乗っていることが多かった。

「あんたら歩きできたのかね」
「途中までは馬車だったんだが、ちょっと面倒があってね」
「そうかい。まあお疲れさん」

 門でもそのことを不思議がられたが、首に下げた冒険屋事務所の証を見せ、いくらかの通行税を支払って、一行は無事町に入ることができた。

「こういうしっかりした街に入るのは初めてだけど、意外と簡単にはいれるもんなんだな」
「冒険屋事務所は、冒険屋組合の許可を取って商売してやすからね。下手な商人より、信用があるんですよ」

 成程、バックの大きさが違うということだ。

 依頼人から指定された期日まではまだ随分間があって、一行はとりあえず、紙月と未来の満足できる、つまりほどほどのクラスの宿を取り、宿代は紙月が支払った。貯蓄がどうのと普段は言っているが、何しろ早々使い切れない貯蓄がすでにあるのだ。たまのバカンスに使わないでは意味がないというのが紙月の持論だった。

「さて、俺達は早速観光に行こうと思うが、どうする」
「俺は一応冒険屋組合の支部に顔を出してこようと思う。挨拶はいるだろうからな」
「じゃあ俺も付き添おう。そのままついでに依頼元にも挨拶だけして来ようぜ」
「そうしましょうか」

 宿で話し合い、紙月と未来は観光に、ハキロとムスコロが挨拶回りへと赴くことになった。一応挨拶も仕事であるし、二人もついていこうかと思ったのだが、止められた。
 せっかく観光を楽しみにしていたのだしというのが前面に出された理由だが、紙月は何となくその視線から理由を察して、素直に辞退した。
 つまり、紙月の見た目から舐められるかもしれないということを懸念したのだろう。

 紙月は改めて日傘をさして街へ出て、未来がそれに続いた。楽にすればいいとは言ったのだが、初めての町だし、視界が高くないと人込みで何も見えないというので、《白亜の雪鎧》姿で供をしてくれた。

 初めての南部、はじめての港町は、潮風が湿気をはらむのか、西部よりいくかじめりとした空気ではあったし、暑さ自体もぐんと上がったように思えたが、何しろよく風が吹き抜けるので、そこまで極端な暑さは感じなかった。
 坂が多く、高低差が多いこともまた、風のよく吹く要因とみられた。

 宿は門を入ってすぐ入り口辺りにあった。
 これはどの町も似たような造りで、要するに旅人や商人が出入りする出入口付近に、宿や、旅の必需品を売る雑貨店が並ぶのである。
 そしてそれを抜けると市があり、様々な品が売っている。ハヴェノの町は港町ということでこの市も盛況なもので、町の半分が市なのではないかと思わせるほどに賑やかだった。

 それをまっすぐに突き抜けると港に出るのだが、この港こそ町の正味半分に当たる部分だった。三日月のその内側がすべて港なのである。常に船が出入りし、荷が出し入れされ、一部は市へと運ばれ、一部はお定まりの店へと運ばれ、一部は馬車に詰め込まれて町を出ていくのである。

 また荷物と同じように、たくさんの人も出入りした。人々はどこか遠方から乗り付けるのか、顔立ちには西部の人とも南部の人とも違う顔立ちが見受けられ、また見知らぬ種族も多く見受けられた。
 なかにはどこか懐かしいアジア人のような顔立ちの人々も見受けられてもしやと思ったが、あれは大叢海をはさんで向こう側の、西方諸国の人々であるという。服装もどこか和装に似ていたり、あるいは中華風であったりする。

「……紙月、まだ気になる?」
「え? ああ、いや、うん、気になってるは気になってるが」

 何のことかと言えば、元の世界に帰る術ではあるのだが、この時はちょっと違った。

「醤油とか持ってねえかな……」
「あー」
「あと中華街とかねえかな……」
「わかる」

 実際、あった。
 港付近の一角に、えらく派手な装飾の町並みが広がっていると思えば、それは西方のファシァ国からの移住者や居留者などが住まう街並みであるとされ、通貨や文化などが大いに入り混じって混沌としているという。
 店先では栗のようなものを焼いていたり、蒸籠のようなものでまんじゅうを蒸していたり、漂ってくる香りというのもまた砂糖や酢のものであり、これは中華街と言ってよいに違いなかった。

 晩飯はこのあたりで食おうかなどと考えながら見て回ったが、すぐにやめた。というのも道があんまり複雑すぎるので、表通りから外れるとすぐに何もかもわからなくなってしまうのである。
 せめてガイドが何かいれば助かると思ったのだが、さすがに商売上手な連中で、中華街の入り口辺りにそのような連中がいた。いたが、やはり、高い。観光客からぼったくるのも目的であろうし、妙な輩が中華街で暴れないようにという自衛の目的もあるのだろう、強面の半分用心棒のようなのが金をせびってくるのだから、これは怖い。

「しかし、まあ」

 それとは別に、紙月が困惑したことがあった。

「こんなにナンパされるとはな」

 軽く表通りを歩いただけだったのだが、その間に五度も声をかけられているのである。そのうち一度はうちの店で働かないかというどう考えても怪しいお誘いだったのだが、他のものに関しても、お茶でも、食事だけでもと似たようなものであり、一組などは男なのだと告げても諦めないつわものだった。

「紙月はもうちょっと今の自分の外見気にした方がいいと思うよ」
「いやだって、なあ」

 紙月としてはこの間まで普通の男子大学生を営んでいたのだ。それがいきなりナンパされるようになっても、対処のしようがわからない。いまのところ、その都度未来が半分実力行使で助け出しているのである。

「というかさ、隣に大鎧(ぼく)が立ってても釣れるくらいなんだから、いい加減自覚してよ」
「なんかすまん」
「もうさー……もう、さー!」

 紙月の鈍い反応に対して、しかし未来もどう怒ったものかわからない様子ではある。シチュエーションが特殊過ぎて、経験不足の未来にはどういったらいいものかわからないのだ。だからとにかく自分のそばを離れないようにと手を引くことしかできないのだった。

 そのようにして中華街を歩き、ぜひとも中華が食べたいという気分になってきたものの、安全な店がわからないというジレンマにうろついていると、不意に紙月にぶつかるものがあった。

「ごめんなさい!」
「おう、いいよ」

 紙月の腰ほどの子供である。ぶつかった勢いそのままに、謝罪しながら走り抜けていくのを紙月は見送り、しかし未来が見逃さなかった。

「待ちなよ」

 大鎧で足が鈍いとはいえ、何しろ歩幅が違う。子供はすぐに首根っこをつかまれ、引っ立てられた。

「おいおい、どうしたんだよ」
「紙月こそ、ぼうっとしすぎだよ」

 未来が取り押さえた子供の手を見れば、先ほどまで未来の腰にあった物入があるではないか。スリである。とはいえ、見かけ上つけているだけで、中身はからなのだが。
 
 周りも良くあることなのか咎める声もないし、かといって助けるものもいない。スられたやつが間抜けで、見つかったやつが愚かなのだ。この調子では、衛兵に突き出してもあまり意味のあることではないだろう。それがわかっているから、未来も紙月に視線を向けた。

「どうしよっか」
「そうだなあ」

 実被害はないとはいえ、これで手打ちにして周囲から舐められるというのも、よろしくない。
 紙月はそれではと子供を引っ立てて、一度宿まで帰ることにしたのだった。





用語解説

・首に下げた冒険屋事務所の証
 ドックタグのような金属板。どこの組合に所属するどこの事務所かという板と、何というパーティのメンバーかという板の二枚一組である。
 紙月たちはまだパーティ用の板を作っておらず、平らな板で代用としている。

・ファシャ(華夏)
 大叢海をはさんだ向こう側、西大陸のほとんどを支配下に置く西野帝国ことファシャ国。
 ざっくりと言えば中国のような国家であるらしいが、帝国のように広範であるため、一概には言えない。
 現在は帝国との仲は極めて良好であり大叢海さえなければ気軽に握手したいと言わせるほど。

前回のあらすじ
スリの子供を捕まえた二人。
お持ち帰り事案である。





「……お持ち帰りですかい?」
「馬鹿言え。子供の教育に悪いことを言うな」
「へえ、すいやせん。しかしまたなんで、ファシャのガキなんて」

 宿で少し話をしているうちに、ハキロとムスコロが帰ってきた。挨拶は問題なく終わったようである。問題は紙月たちが連れ帰った子供、シァォチュンと名乗った少女だった。

「うん、スリにあってな」
「姐さんの懐狙おうなんざ」
「まあまあ」
「将来大物になりやすぜ」
「おい」

 スリはよくあることとしてしかしムスコロたちが首をかしげたのはその下手人をわざわざ宿に連れ込んだ理由である。何しろ下手人は幼いとはいえ少女であるから、始末として慰み者にしようというのは、あると言えばある。
 しかしこの少女を連れてきたのは紙月である。
 男であることはわかっているが、子連れであるせいかどうにもその方に今まで鈍かったし、第一人柄としても、子供に乱暴を働こうという人物ではない。そも子連れで子供に乱暴できる人間というものがムスコロたちには理解できない。そこまで落ちぶれていないのだ。

「いやなに、大した被害じゃなかったんだが、かといって何も罰がなしじゃいかんと思ってな」
「はあ」
「だから、晩飯ついでにファシャ街の案内をしてもらうことにした」
「はあ?」

 なぜファシャ街なのか、なぜそれが罰になるのか、様々な意図の含まれた「はあ?」であったが、勿論黙殺された。すっかり中華料理を楽しみにしているのであり、そのほかのことなどどうでもいいのである。

 シァォチュンを連れた一行は早速ファシャ街へと向かい、この小さな案内人に連れられて異国情緒あふれる町並みを楽しんだ。

 シァォチュンは最初こそどんな罰が与えられるのかとおびえていたが、この不思議な一行が本当に案内をさせては純粋に観光を楽しみ、時折店先で甘栗や饅頭を買っては案内役にさえ分けて見せる段になっては、すっかり気が楽になった。ましてや案内賃として少なからず帝国貨幣を渡されては、大いに案内業に励んだ。

 もとよりスリなどは金に困って魔が差しただけのことであり、シァォチュンもその家族も純朴な物売りに過ぎない。励んだ分だけ喜んでもらえるとなれば、これに勝ることはない。

 シァォチュンは実際、その励みに劣らず立派に案内人を果たした。この娘は人の機微を察することに長けており、子供に対して表情を大きく出して見せる紙月だけでなく、強面であるムスコロや、押しの弱いハキロ、そしてまた鎧で顔の見えないはずの未来の望むものまでをも見事に当てて見せ、一行を大いに楽しませた。最初乗り気でなかったムスコロ達さえも笑顔にさせるのだから、これは天稟、持って生まれた才能と言っていい。

 ついに夕食の場を選ぶ段になっても、シァォチュンの案内役ぶりは堂に入っていた。予算を聞き、どのようなものを望むのかを察し、ただ高価で見栄えの良い観光客向けの店ではなく、地元の人間が使う本当に味の良い店へと案内して見せたのである。

 店の主も珍しく羽振りのよさそうな客に喜び、特別に個室を用意してくれようとしたが、これは紙月が丁寧に辞した。せっかく良い案内役に恵まれての縁であるから、ここはひとつ今夜の客に一杯ずつ奢らせてほしいというのである。これはムスコロから耳打ちされたことであり、よそ者が手早くなじむ方法であり、また金を持っている時の冒険屋としての正しい流儀であった。

 これには客たちも大いに沸き、この見慣れぬ客に乾杯をささげ、またこの上客を招いたシァォチュンを褒め称えた。

 気を利かせた店主が次々にふるまった料理は、紙月たちが驚くほどにかつての世界で見知った中華料理そのもの、しいて言えば四川系統に近いようであったが、食材には見慣れないものが多く、その都度にシァォチュンが、わからぬものは他の客たちが親切に教えてくれた。

「こいつは何だい?」
「双頭海老の紅焼(ホンシャオ)だな。甘辛くてうーまいぞ!」
紅椒肉絲(ホンジャオロウスゥ)はどうだい? 赤いが甘いんだ」
「こっちの家常豆腐(ヂャーサンドウフー)をお食べよ! 表じゃあんまり出してないよ!」
「おお、豆腐か! 豆腐は久しぶりだ! いただくよ!」
「おお、嬢ちゃん帝国の人なのに豆腐を知ってるんだな!」
「久しぶりに湯豆腐食いてえなあ」
「通な食い方知ってるねえ!」

 ムスコロたちは初めて見る食べ物に恐る恐るフォークを伸ばし、そして初めての味わいに混乱しながらも、それがうまいのだということを何とか身振りで表現した。
 紙月と未来は――未来もさすがに鎧を脱いだ――、貧乏人たちよりよほど上手に箸を使うので、双方から大いに驚かれた。

「姐さん、よくそんな棒っ切れで食えますな」
「お前こそよくそんな刺すことしかできないもんで食えるな」
「そう言われりゃ、そうか」

 ムスコロたち帝国人も試しに箸を使ってみたが、これがなかなか難しいもので、ハキロは早々に諦めたが、ムスコロはなんとか肉の端切れをつかむことに成功した。筋肉ダルマのわりに何かと器用な男ではある。
 しかし意外なことに、酒にはハキロの方が強く、ムスコロはファシャの酒に早々に酔い始めた。思えば最初にあった時も酔っていたが、あれもかなり少量の酒だったのかもしれない。

「しかしまあ、帝国もうまいものは多いが、ファシャには大いに負けるな」
「なにしろファシャには食の神が降り立ったからな!」
「食の神だって?」
「なんでも、ファシャが西大陸を統一したころに、食の神ジィェンミンが降り立って、今のファシャ料理の基礎を作ったんだそうだ。いまでも食の神は、神々の食卓をめぐっては新たな料理を生み出しているんだそうだ」

 神話の話なのか、それとも偉大な料理人の話なのか曖昧な頃の話だそうだが、それでも各地に証拠となるような品々や伝説が残っており、人間から神に陞神(しょうじん)したのではないかということであった。

「陞神? おい、ムスコロ」
「んっ、むうう、陞神? 陞神てなあ、あれですよ。人間が偉業を成し遂げるとですな、神々が新たな神として迎え入れるんでやす。そのことを陞神というんですな」
「人が神になるのか」
「神話にゃよくありますし、姐さんが世話んなってる風呂の神だって、ありゃ、世界で最初に温泉につかった山椒魚人(プラオ)が陞神したものですぜ」
「はー」

 この世界では神は実在するものとして何となく漠然とその存在を思っていたが、どうも人間から神になったりと結構身近な存在であるらしい。

「ほら、ムスコロさん、水飲んで。陞神といやあ、あれだよ。人間から神になりかけている、半神ってのは今でもいるぞ」
「半神?」
「完全に陞神しちまうと下界に干渉しづらくなるんだが、半神は不死の存在であるが、まだ地上の存在なんだな。帝国でいやあ、放浪伯が有名だな」
「放浪伯、ってぇと、伯爵、貴族なのか?」
「そうさ。帝国のあちこちに飛び地で領地を持ってる。旅の神ヘルバクセーノに愛された結果、旅をしている限り不死身という加護を得たそうだ」
「そりゃまた不便そうな加護だ」
「全くだ」

 陞神に、半神。
 あるいは半神とやらと会えれば、神々との接点が持てるかもしれない。そうすれば、元の世界に帰る方法がわかるかもしれない。
 黄酒(フゥァンチュウ)に半ば酔いながらそう考える紙月を、未来は仕方がないのだからと眺めるのだった。





用語解説

・シァォチュン(小春)
 ファシャ街に住む少女。雑貨屋の娘。魔がさしてスリに手を出すくらいには貧乏だが、根は素直で善人である。
 案内人の才能があるようだ。

・双頭海老の紅焼(ホンシャオ)
 頭が二つある変わったエビのエビチリ。

紅椒肉絲(ホンジャオロウスゥ)
 赤パプリカと豚肉の細切り炒め。真っ赤な見た目で、さっぱりとした甘みがある。

家常豆腐(ヂャーサンドウフー)
 家常(ヂャーサン)とは家庭風のとか、家でいつも食べる味とか、そのような意味。
 家庭風豆腐煮込みと言っていい。実際には豆腐は生揚げとして使用することが多い。
 細かい味付けに関しては家それぞれである。

・食の神ジィェンミン
 ファシャが西大陸を統一した頃に存在したと言われる料理人。またその陞神した神。
 現在の多彩なファシャ料理の基礎を作り上げたと言われる。
 一説によれば、美味なる料理を求めた境界の神プルプラが異界より招いたともされる。

・人神
 隣人種たちのうち、神に目をかけられたり、その優れた才覚や行跡が信仰を集め、神の高みに至った者たち。武の神や芸術の神、鍛冶の神など幅広い神々がいる。元が人であるだけに祈りに対してよく応えてくれ、神託も心を病ませるようなことはあまりない。人から神になることを陞神という。

・風呂の神マルメドゥーゾ(Mal-Meduzo)
 風呂の神、温泉の神、沐浴の神などとして知られる。この世界で最初に湧き出した温泉に入浴し、そこを終の棲家とした山椒魚人が陞神したとされる。この神を信仰する神官は、温泉を掘り当てる勘や、湯を沸かす術、鉱泉を生み出す術などを授かるという。

山椒魚人(プラオ)(Prao)
 最初の人たちとも称される、この世界の最初の住人。海の神を崇め奉り、主に水辺や浅瀬に住まう隣人。肌が湿っていないと呼吸ができないが、水の精霊に愛されており、よほどの乾燥地帯でもなければ普通に移動できる。極めてマイペースで鈍感。好奇心旺盛でいろいろなことに興味を示すが、一方で空気は読めず機微にもうとい。

・放浪伯
 ヴァグロ・ヴァグビールド・ヴァガボンド(Vagulo Vagbirdo Vagabondo)放浪伯。
 帝国各地に、大きくはないが点在する形で飛び地領地を数多く持つ大貴族。
 過去の戦争中にあちらこちらで転戦して領地を獲得していった結果らしい。
 本来であれば利便性の為にもどこかにまとめる筈だったらしいが、本人の放浪癖とあまりに力を持ち過ぎる事への懸念からあえて分散させている。
 当人はいたって能天気で権力に興味はない。
 旅の神ヘルバクセーノの加護により、一所に長くとどまることが出来ない代わりに、旅を続ける限り不死である。

・旅の神へルバクセーノ(HerbaKuseno)
 人神。初めて大陸を歩き回って制覇した天狗(ウルカ)が陞神したとされる。この神を信奉するものは旅の便宜を図られ、よい縁に恵まれるという。その代わり、ひとところにとどまると加護は遠のくという。

・半神
 神々の強い祝福を受けたり、人の身で強い信仰を集めたものが、現世にいながら神に近い力を得た生き物。現人神。祝福や信仰が途切れない限り不死であり、地上で奇跡を振るうとされる。

黄酒(フゥァンチュウ)
 ファシャの醸造酒。紹興酒、老酒など。
前回のあらすじ
よその家の童女を連れて酒を飲みに行きました。
事案だ。





 数日の間、シァォチュンの案内でハヴェノの町を遊び、ついに呼び出されたのは一つの海運商社であった。いかにも立派な店構えで、港に面した店の中でも一、二を争う大きなものである。

「最近、海賊どもに悩まされていてな」

 そのように語った依頼人プロテーゾに、紙月と未来は思わずそうでしょうともと言いそうになって、危うく止めた。

 というのもこのプロテーゾという男、粋に角度をつけた三角帽に、左目には洒落た刺繍の施された眼帯、右手は義手代わりの鈎爪に、左足は太い木の棒を義足にしてあるという、誰がどう見てもお前が海賊だろうという荒っぽい見かけだったのである。

「言いたいことはわかる。だがこれも半分はある種の海賊対策だ、と思ってくれ」

 もちろん、その一つ一つを見ればきちんと金のかかったもので、きちんとした装飾具としても見れる。要は、海賊のように見せかけることで相手の戦意をくじくというのが目的なのだ、と以外にも理知的にこの依頼主は語った。

「もう半分は?」
「勿論、趣味だ」

 そして茶目っ気もあった。

 とはいえこの男、ふざけているのは見た目と時折のジョークだけで、実際的な所で言えば、かなりできる人物だった。

 最初、ムスコロとハキロが前面に出て、紙月と未来はあくまでもサポートであるという立場で伺ったのだが、プロテーゾはじろりと隻眼で四人を眺め、それからおもむろに言い放ったのである。

「そちらのレディが大将格だな」
「レディじゃないですけどね」
「……よもや()()()()()のか?」
「確かめるかい?」
「是非じっくりと……いやいや、騎士殿が恐ろしい、やめておこう」

 ジョークもそこそこに、プロテーゾはやはりじろじろと一行を眺め、こう品定めした。

「戦士、戦士、魔法使い、……特殊な戦士、といったところかな」
「わかるんですか」
「ざっくりとはな。いい船乗りは、精霊が見えるものさ」

 成程、プロテーゾの目つきは、ハイエルフの紙月が見ているのと近い世界を眺めているようである。
 しばしの間二人はじっと互いの目を見つめあった。紙月の方からすれば見れば見るほどにこの男の力量というものがつかめなくなってくるような思いであったが、プロテーゾはそのにらみ合いでずいぶん多くを察したようで、フムンと一つ頷いた。

「射程は」
「なんですって?」
「魔法の射程だ。海戦では、陸よりも射程が必要となる」

 紙月は少し考えた。今まであまり遠くを狙う必要がなかったので、はっきりとしたことはわからなかったのだ。ただ、なんとなくではあるが、見えないところは狙えないということはわかっていた。座標を指定できないのだ。
 つまり、逆に言えば、と紙月は考えた。

「見える範囲であれば」
「ほう」
「試しますか」
「よろしい」

 窓から見える海を見つめ、茫漠とした海に何となくピントを合わせ、紙月はまっすぐに指を向けた。

「《火球(ファイア・ボール)》!」

 瞬間、窓の外に火球が生まれ、速やかに海の彼方へと飛んでいき、そして何もない海の真ん中で爆散した。

「はっきりした的があれば、もうすこし狙えるかと」
「いや、いや、いい。的なしであれであれば十分すぎる。……威力は」
「試しますか」
「化かしあいはもう結構だ。肚を割っていこう」

 プロテーゾはどっかりと椅子に腰を落ち着けて、客人にも進めた。
 それが正式な会議の合図だったのだろう。給仕が人数分のカップに、黒々とした液体を注いで持ってきた。

「む。コーヒーか」
「ほう、豆茶(カーフォ)を知っているのかね」
「たまたまですが。未来は大丈夫か?」
「砂糖とミルクが欲しいかも」
「砂糖! 乳! 君はなかなかわかっているな!」

 速やかに真っ白に精錬された砂糖の入った砂糖壺と乳の入った壺が持ってこられた。

 未来が軽く会釈して自然に砂糖と乳を入れる姿を見て、プロテーゾは大いに感嘆した。

「君たちはこの白い砂糖にも驚かないし、他所にはあまり出回らん豆茶(カーフォ)の飲み方もわかっている。わたしは南部の一大都市であるハヴェノの町を代表する海運業者だと自負しているが、そのわたしをしても君たちのような人材はなかなか見かけないものだ」
「勧誘はお断りしますよ」
「残念だ」

 しばしの間、豆茶(カーフォ)を楽しみ、そして実際的な話が始まった。

「まず、威力を聞こうか」
「三十六発」
「なに?」
「先ほどのものと同じ程度であれば、三十六発同時に放てます。待機時間は一秒」
「まて、一秒? 待機時間だと? 一秒おきに三十六発撃てると君は言うのかね?」
「試しますか?」
「馬鹿な……いや、しかし精霊は嘘を吐かん」
「伊達に森の魔女の名で呼ばれてませんよ」
「さすがは地竜を朝食代わりにするというだけはある」
「そのネタもう聞き飽きたんで」

 森の魔女の名は南部にも広まっているようだった。
 というよりは、流通の激しい南部だからこそともいえるのかもしれなかったが。

「まあ、私の知る限りは、西部と南部ではすでに森の魔女の名は聞こえているよ。帝都でもちらほら、聞かれ始めているそうだ」
「参ったな、随分名が売れちまった」
「冒険屋にとっては素晴らしいことでは?」
「あんまり名が売れると半端な仕事は入ってこないんですよ」
「成程。となると、今回の依頼は君たちにとって更なる不幸かもしれんな」

 プロテーゾは実に悪役じみた笑みを浮かべた。

「なにしろ、海賊退治は海の花形だからな」





用語解説

・プロテーゾ(Protezo)
 ハヴェノでも一、二を争う大きな海運商社の社長。
 見た目はどう見ても海賊の親分でしかない。
 海の神の熱心な信者で、いくつかの加護を得ている。
 義肢はすべて高価な魔法道具である。

豆茶(カーフォ)(kafo)
 南方で採られる木の実の種を焙煎し、粉に挽いて湯に溶いて濾した飲料。焙煎や抽出の仕方などで味や香りが変わり、こだわるものはうるさい。
 南部では比較的普及している飲料。栽培もしている。

・白い砂糖
 真っ白になるまで砂糖を精製するのはかなりの時間と労力を必要とする。
 つまり、お高いのだ。
 南部ではサトウキビが取れることもあって砂糖が比較的廉価だが、それでも白砂糖は高価だ。
 ぶっちゃけ北部でも甜菜から砂糖を作っているので値下がりしつつあるが。

・飲み方
 豆茶(カーフォ)は南大陸で発見されたが、当初は原住民の間で食用とされるほかは、その効用を偶然知ったものが眠気覚ましなどに用いる程度だった。
 いつごろからか豆茶(カーフォ)の豆を潰し、湯で溶いて飲用とする飲み方が始まったが、この頃はある種の秘薬のような扱いだった。
 南大陸の開拓が進んでいく中で豆茶(カーフォ)は薬用として目をつけられ始めたが、まだ一部の宗教関係者などが用いる程度だった。
 いつごろからか、恐らくは偶然から、豆を炒ると香ばしく香りが立つことが発見され、焙煎されるようになると、豆茶(カーフォ)は嗜好品として広まるようになった。
 人々の間に広まっていくうちに、より飲みやすくするために砂糖や乳を入れる飲み方が一般的になっていったとされる。
 南大陸で一般化されたこの風習は商人たちによって帝国に持ち込まれ、気候の近い南部で何とか栽培に成功し、南部での豆茶(カーフォ)の喫茶文化が洗練されていったという。
 渋みや苦みを伝統的に苦手とする帝国全体としては、すでに甘茶(ドルチャテオ)が喫茶文化の柱となっていたこともあり、趣味人のあいだでのみ流通することとなり、「知ってはいるが飲んだことはない」という人間が増えた。
 このため、南部外の人間が砂糖や乳を入れる「正しい」飲み方を知っていると、情報通であるとみなされることがある。

 なお、諸説あるが、最初に豆茶(カーフォ)に砂糖や乳を入れる飲み方を提案して、大々的に広めた人物は、神の啓示を受けたと証言したとされる。「神は()()()()()()()()を望まれている!」という発言が当時の新聞に残っているが、完全に発狂していて詳しくはわからなかったとのことである。

・待機時間は一秒
 説明するのが面倒だっただけで、実際にはもっと短い。具体的にはフレーム単位。

前回のあらすじ
海賊に海賊退治を持ち掛けられた。





「近頃、我が社の船だけでなく、近郊の輸送船が多く海賊の被害に遭っていてな」

 以前から海賊というものはいくらもいたそうなのであるが、今回の海賊はどうも様子が違うのだそうだった。

「最初は季節違いの嵐にでもあったのかと思った。船自体が帰ってこんし、保険屋の腕利き冒険屋も帰ってこん。海賊相手なら、こうはならん」

 海の海賊も陸の盗賊と同じで、相手を殺しつくしてしまっては仕方がない。せいぜいが荷の何割かを奪う程度で、皆殺しにするような海賊というものはまずいない。はずだった。

 ところが、最近になって航路に帆を破壊されて難破している船が発見された。嵐にでもあったのかと乗り込んでみれば、何と乗組員は皆殺しにされ、荷物は食料に至るまですべて略奪されているのだという。どれだけ飢えた連中でもここまで徹底的にはやらないだろうという徹底ぶりである。

 しかし、嵐にも魔獣にもこんなことはできないとなれば、残るのは人間の手、つまり海賊ということになる。

「しかも連中、港に仲間でもいるのか、船の予定をかなり正確につかんできおる。厳重に組んだ護衛船団にはぴくりとも反応せず、おとり船団にもやはり無反応。手薄な所を正確に狙って襲ってくるのだ」
「陸の仲間たちは見つからないんですか」
「ファシャ街に潜んでおるのではないかと思っているが、どうにも探し出す手立てがない。まず怪しげな船が入港したことさえないのだ」
「そんなバカな」

 海賊といえど、手に入れた財宝を売りさばくには、どこかの港を利用しなくてはならない。船というものはいつまでも海の上を漂っては干からびる一方なのだ。たとえ船を襲って食料や水を根こそぎに奪っているとはいえ、限度がある。
 それに、陸によらずに陸の情報を仕入れるというのは、不可能だ。

伝書鷹(レテルファルコ)のような手段はどうです?」
「あれは土地を覚えて飛ぶ生き物だ。海上で移動し続ける船にどうして連絡できる」
「どこかの小島を拠点としているとか」
「そうなればますます手におえんし、それにしたって、補給や売買はどうしたって港を利用せねばならん」

 話しているうちにふと気づいたのは、紙月である。

「通商妨害では」
「通商、妨害?」
「要するに、自分達が儲けたり食っていくために襲っているのではなく、国家間の通商を封じて不利益をもたらそうとしてるんです」
「馬鹿な!」

 面白い概念だとは言いながらもプロテーゾが一笑に付した理由は簡単である。
 それというのも、帝国が海運で結ばれているのは隣の西大陸のファシャだけであり、近海に国益のからむような国家はない。そのファシャとも国交は実に友好的なものなのである。
 つまり、二国間の通商を妨害して得をする国家はなく、また帝国内の海運を妨害されるほどファシャとの国交は険悪ではないのである。

「全く?」
「全くだ。というのも、超皇帝自らが使節団を率いて友誼の為に出向き、その際にファシャの皇女を一人我が帝国に迎え入れているほどだ」
「……超皇帝?」
「うむ。以前南部にも公演会の興行に来てくださってな。大いに盛り上がったものだ。西部も廻ったはずだが、君は知らんのかね」
「いやあ、森に引きこもってたもんで」
「それはもったいない! 記録水晶があればよかったんだが、あれは自宅に大事にしまってあってな」
「ああ、いえ、おかまいなく」

 どうやら皇帝とは名がついているが、ある種のパフォーマンス集団であるらしい。恐らくは。多分、国家的な人気集団であるのだろう。そしてそのグループが出向いて平和的にパフォーマンスした挙句、向こうの皇女を帝国に招いて歓待するというやり取りがあったほど、国家間の関係は友好的であるらしい。

 という風に紙月はどうにかかみ砕いて理解した。未来はすでに何となくでしか話を聞いていない。頼りのムスコロとハキロはこれだけの情報で話が通じているというか、前提条件のようなものであるらしくて、うむうむともっともらしくうなずくばかりである。

「仕事の話に戻りましょう」
「おお、そうだったな。まあとにかく正体不明のやつらでな。こうなっては仕方がないと、あらかじめ隙がありそうだという情報を流した輸送船を用意し、このおとりにかかったところを迎撃するという直接戦法を用いることになった」

 このおとり戦法の情報は港湾組合の上層部にしか知らされていない極秘情報であり、もしもこのおとりさえ見破られた場合、港湾組合を切り崩していくほかにないというほどに切羽詰まっているようだった。

「我が社の荒事に慣れた連中も載せていくが、なにしろおとりであることがばれればいかんから、通常の積み荷も勿論積み込むし、それほど大掛かりに武装していくことができん」
「そこで森の魔女の出番という訳ですね」
「そうだ。予想以上に使えそうで、喜ばしい限りだ」
「船団の内容は?」
「我々が乗り込むおとり輸送船が一隻に、護衛船が三隻。護衛船には最新鋭の魔導砲が積んであるが、正直なところ、いままでの戦績で言えば役に立たん可能性が高いな」

 何しろ、いままでどんな護衛船も皆殺しにして、修理の為の寄港もしていない以上おそらくは一切の損傷も負っていないままの無敵の海賊たちである。
 むしろ護衛船をおとりにして、本命であるおとり輸送船の森の魔女に、魔法で撃沈してもらうというのが確実な戦法かもしれないとプロテーゾは語った。

「勿論、敵の正体も確認したいし、船を押さえられればそれに越したことはないのだが」
「そのためにはどんな戦法が?」
「衝角攻撃、つまり敵船側面に体当たりをして直接乗り込み、乗組員を捕縛ないし殲滅することだが……今までそれができないでいるのだ。この際、相手の殲滅を最優先にしたい。状況にもよるが、君の魔法で速攻を決めたい」

 そういうことになった。

 間もなくして、穏やかな海の向こうに敵を見据え、おとり船団は出向した。





用語解説

・超皇帝
 帝都から発信された一大ムーブメントにしてパフォーマンス集団。アイドル。
 全く新しい歌謡と舞踊を舞台の上で披露し、万単位の観客を沸かせるという。
 メインは二人組の半神で、それに随時バックダンサーや伴奏がつく形である。
 興行と称して帝国各地で公演を行っており、困惑とともにその人気は高まっている。
 最近ではファシャにも興行に行っており、その際トチ狂った皇女の一人が追っかけとしてついてきてしまった。

・記録水晶
 映像と音声を記録できる水晶。成人男性がなんとか抱えられるほどの大きさ、重さで、使い勝手も悪いし高価なのであまり普及はしていない。
 囀石(バビルシュトノ)がもっと小型なものを製造可能であるが、こちらはさらに目をむくほどに高価なものとなる。

・魔導砲
 火薬の代わりに魔力で爆発を起こして砲弾を打ち出す大砲、または魔法そのものを打ち出す大砲。
 ここでは最新式の、指向性の衝撃を打ち出す魔導空気砲とでもいうべきものを搭載している。
 魔力さえ続けば弾数に制限はないものの、威力は操作する魔術師次第である。
 とはいえ、普通の木造船であれば穴をあけるくらいはたやすい威力なのだが。

前回のあらすじ
海賊をどうするかという会議を海賊顔の人とするというシュールな光景だった。





 船旅というものは、見渡す限り海ばかりで、比較対象となるものがないせいで、実にゆっくりとしたものに感じられた。
 しかし実際のところはどうなのかと聞けば、これがなかなか速かった。

「そうさな。風の調子にもよるが、平均して時速十数海里というところだな。この船には風遣いを乗せているから、やろうと思えばいつでも二十海里は出せるだろう」
「海里?」
「そうさな、緯度なんぞの面倒な話は長くなるからな、ざっくりと陸里の半分くらいとみていい」

 緯度、という言葉で紙月はピンときた。一日の長さがほとんど前と変わらないように感じられるし、もしかしたらこの世界でも緯度や経度が同じように計算されているのではないかと以前から思っていたのだ。

「大体一・八五キロメートルか」
「む……そうだな、交易尺で言えばそのくらいになるだろうな」
「紙月、よくわかるね」
「以前天体観測にはまった時にちょっとな」
「ほんと多芸だよね」

 交易尺というのは、帝都から発信されている度量衡に関する新しい尺度で、それらはこの世界でもメートル法と同じ呼び方をされているらしい。

「……というより」
「完全にメートル法だよね、これ」

 船乗りたちはいまも昔ながらの海里を用いているが、新しく造る船などはこの帝国尺で測って造るようにお触れが出ているようで、この船もまたそのようにして造られているのだった。
 最新だという海図を見せてもらい、最新だという物差しも見せてもらったが、体感的にはどうも以前の世界のメートル法そのものであるように思われた。

「……帝都にいるのかもな」
「ぼくたちと同じような人?」
「あくまでかもしれんってだけだけどな」

 二人が悩んでいると、社長のプロテーゾがこれを聞き留めた。

「なんだ。君たちは帝都に興味があるのかね」
「え? ああ、そうなんです。 知り合いがいるかもしれなくて」
「フムン。当てはあるのかね?」
「それがさっぱり」
「帝都は広いからな。探し人は大変だろう。私の知り合いに人探しくらいしか取り柄のない女がいるのだがね、良ければ紹介しよう」
「いいんですか?」
「勿論。まあ、生きて帰れればだがね」

 などとニヒルな笑いを浮かべるプロテーゾだったが、勿論この男に死ぬ気などない。社長自らが乗り込むなどという暴挙を許すのは、この男のワンマン経営が所以なのではなく、この男ならば平気で生きて帰ってくるという確信があるからだった。

「君たちが死んでも私は生きて帰れるから、何かあっても真相だけは究明してやるから安心したまえ」
「せめて嘘でもいいから君たちを信頼しているとか言ってくださいよ」
「『君たちを信頼している』」
「こんのひげおやじ」

 というのもこの男、左足を失う大怪我を負った事故の頃から熱心な海の神の信者であり、ついに賜った加護によって「海で溺れ死ぬことがない」、「波の助けを得る」という恩寵を得ているのである。なのでいざとなれば海にさえ飛び込めば、適当に魚でも獲りながら漂っているだけで勝手に陸に辿り着くのである。

 まあ過信しすぎて左目と右手を失ったらしいが、その分義肢には大枚はたいた魔法道具を仕込んでいるらしい。

「そろそろ海賊が出るらしい海域に近づく。君たちは十分に休息を取って英気を養ってくれ」

 君たちはと強調していったのは、見かけには頼りになるムスコロとハキロの二人がそろって船酔いでダウンして、船室に閉じこもっているからである。紙月は揺れには慣れているし、未来も最初こそ多少酔いはしたが、ひと眠りすると、慣れた。

「とはいえ、こうも良く晴れた海では、隠れて接近もできんだろうから、」

 しばらくは安心だろうというプロテーゾの言葉は、轟音によってかき消された。

「何事だ!?」
「護衛船一番、左舷被弾しました!」

 手旗信号で素早く情報を確認した船長が叫ぶ。
 しかし、どこから?
 困惑した一行に、続報が入る。

「て、敵船、海中より出現せり! 繰り返す! 敵船、海中より出現せり!」
「海中だと!?」

 舷側に乗り出した一行の目に映ったのは、転覆した船の底が海中より顔を出したような、奇妙な姿だった。それは表面にいくつもの奇妙な模様を輝かせており、その一つ一つが輝くたびに、護衛船に衝撃が走るのだった。

「なんですあれ!?」
「わからん!」

 プロテーゾは叫んだ。

「だが、敵だ!」

 それさえわかれば、船団に躊躇はなかった。
 護衛船は即座に輸送船を護るように展開し、この奇妙な船に照準を合わせた。しかし本来狙うべき位置よりもずっと下向きになるためにこの作業は難航し、そうこうしているうちに一番船の帆が引き裂かれ、すぐには航行不能となってしまった。

 護衛船がこの正体不明の敵と戦っている間に、紙月は敵船の伺える位置で待機させられた。

「君はアレをどう見るね」
「まさか潜水艦があるとは思いもしませんでしたよ」
「潜水……つまり、海中を潜ってきたのだと?」
「でしょうね。そりゃあ神出鬼没なわけだ。わざわざ顔出してきたってことは、魚雷はなさそうだけど」
「ギョライ?」
「まあ、水中からは攻撃してこないってことです」
「当たり前だ……いや、無防備な船底への攻撃か。あれば、恐ろしいな」
「しかも表面が迷彩色になってる」
「む……確かに海の模様を真似ているようだな。あれでは狙いが狂いかねん」

 実際、位置が低いこと、迷彩で距離感が狂うこともあってか、こちらの砲撃は著しく命中率が低いようだった。ひるがえって敵の魔法と思しき攻撃はかなりの精度があるようで、瞬く間に護衛船の帆に穴が開いていく。幸いなことは、こちらの物資が欲しいらしく、船体そのものには積極的に攻撃を加えてこないことだった。

「まあ膠着状態は幸いでもある。射線は通っている。やってくれ」
「あいあい。この距離なら外しはしませんよ」

 紙月は軽く指を鳴らして、いつもの構えを取った。つまりは、右手を目標に突きつけ、左手で想像のショートカットキーを叩くのだ。

「《火球(ファイア・ボール)》三十六連!」

 瞬間、頭上に三十六の火球が浮かび上がり、砲弾のような速度で潜水艦へと襲い掛かった。






用語解説

・交易尺
 もともと帝国では、長さや重さといった単位をそれぞれの国や種族毎の単位で扱っていた。
 交易尺とは交易貫などとともに近年帝都で制定された単位であり、公的事業においてはこの単位を使用することが法で定められており、また交易尺貫法を用いるものが優遇される方針にある。
 交易尺はメートル、交易貫はグラムと呼ばれ単位を基準に、キログラム、トンなどと呼ばれる単位が用いられる。