前回のあらすじ
足高なる新しい種族との遭遇。そして。
大嘴鶏食いが狙う大嘴鶏というものを、紙月たちはあまりよくしらなかった。
この世界に来て最初に世話になった村でも家畜として飼育していたが、そのときはただただ大きさに圧倒されるばかりで、詳しくは聞く由もなかったのである。
大嘴鶏というのは、現地人曰く「でかい鶏みたいなもの」である。その言葉の通り、人が載れるほどに大きいし、産む卵も、ダチョウの卵程はある。大嘴と名のつくように嘴は大きく、あまり顔立ちは鶏には似ておらず、どちらかというと恐竜か何かのようでさえある。
気性は温厚だが、これは人が飼いならしているからであり、ひとたび危害が迫ると非常に猛々しく勇猛であるという。
紙月たちには大して違いがあるようにも思われなかったが、大嘴鶏には大きく分けて三種類あった。
一つは野生のもので、これは気性が荒く、一人で捕まえて乗りこなすことが成人の儀であるというが、たまに重症者が出るというほどだから、ほとんど害獣と言って差支えない。警戒心が強く、人が寄ると襲うよりまず逃げるので、まだ害獣でないというだけで、立派な獣である。
もう一つは騎乗種である。これは乗って走らせることを目的として飼育しているもので、気性は荒く、勇猛で、とにかく力強く、速い。野生種と頻繁に交雑させるのでほとんど野生に近いが、人間の言うことをよく聞き、群れをつくる、遊牧民のよき友である。遊牧民はみなこの騎乗種を手足のように扱えるようになって初めて一人前と見なされる。
また一つは食用の家畜で、これは肉付きよく、立派な卵を産むように品種改良を重ねてきたもので、気性は臆病で温厚。走らせると遅いが、肉はうまく、乳もよく出て、卵を日に一つか二つは産む。紙月たちが観察してみれば、成程確かに騎乗種と比べるとふっくらしているし、騎乗種にまたがった牧人に追い立てられる姿はなんだかおっとりとしている。
そしてなにより、
「旨そうだな……」
「だよね」
なのである。
騎乗種や野生種が猛々しく、まず争いを覚悟させられるのに比べて、食用種は嘴も丸いし、いかにも食われるために育てられているといった丸々しさで、成程、大嘴鶏食いも狙って食うわけである。
またこの羽毛のきめ細やかで柔らかな事と言ったらたまらないもので、試しにと抱き着いてみた紙月はあれよあれよという間に沈み込んでしまって、他の冒険屋からそうだろうそうだろうと妙な頷きをもって迎え入れられたのである。誰もが試す道であるらしい。
なお、鎧を脱いで身軽になった未来などは、上に寝そべったまま平気で大嘴鶏が移動するので、まるで雲に寝そべったようだと実に満足げであった。
この食用種を護るために冒険屋が雇われたのであって、紙月たちもあくまでも休憩中にこのような戯れをしているだけであって、仕事を放り出して遊んでいるわけではない。
しかし、そこのあたりでいうと先任者たちは立派なものであった。
足高の牧人のことではない。彼らの飼い慣らす牧羊犬のことである。
最初に大嘴鶏を追い立てるこの牧羊犬を見た時、紙月たちはこれこそ大嘴鶏食いなのかと警戒もあらわだったが、牧人たちはこの旅人たちの勘違いに大いに笑った。
「安心せい。あれは俺らの牧羊犬や」
「ぼ、牧羊犬!?」
羊相手ではないので牧鶏犬とでも言うべきなのだろうが、交易共通語では、馬の類と同じように、区別しないようであった。
彼らは全部で五頭の牧羊犬を飼っていたが、みな立派な体格をしており、ふさふさの長い毛をした長毛種であった。この長毛は見た目に立派なだけでなく、敵に噛み付かれたときに防具の役割もこなすというのだから、自然の妙である。
筋骨隆々たる冒険屋たちは無理であったが、小さな未来を背に載せて走り回るなど造作もないことのようであったし、細身で華奢で他の冒険屋の半分くらいしかない紙月をのせて歩き回るくらいのことはやってのけた。
未来は最初、牧人たちにからかわれてこの牧羊犬に載せられるや、死を覚悟したような泣くのをこらえるような壮絶な表情をしたものだったが、今では年齢相応にこの変わった乗り物を楽しんで牧地を走り回っていた。牧羊犬の方でも子供の面倒を見るのは楽しいらしく、勝手気ままに歩き回って草を食む大嘴鶏たちを囲いながら、つまり仕事の片手間に未来の面倒も見ていた。
一方でなかなか慣れないのが紙月である。
相方が頑張っているんだぞと囃し立てられ、勇気を振り絞って背中に乗ったはいいものの、牧羊犬の方でもこの細っこいのが大いに恐れているということを感じ取って、すっかり警戒してしまっていた。動物というものは、相手が警戒しているのを鋭く感じ取ってしまう生き物なのである。
「なんかこういう銅像ありそうだな」
「妙な趣味の奴な」
好き勝手に言われるまま、かちんこちんに固まった紙月と牧羊犬を解きほぐしたのは、一等年若い一頭であった。
なにしてるのー、とばかりにこの一人と一頭にとびかかった牧羊犬は、華奢なハイエルフを押し倒して声にもならない悲鳴を上げさせるや、もふもふの毛並みで上下から挟み込んでしまったのである。
「おい、あれ大丈夫か」
「いや、もう駄目だな」
「マジか」
「実家に帰省した時アレを喰らったが、アレはまずい。死ねる」
「マジか」
マジであった。
上下から豊かな毛並みに挟み込まれた紙月は、とてつもない恐怖と嫌悪感に体をこわばらせ、そして次の瞬間にはその毛並みのあまりのふわっふわに巻き込まれて解脱した。ような気がするほどの得も言われぬ心地よさに、思わずあられもない声を漏らしてしまい、事前に性別を聞いて驚いたはずの冒険屋たちも思わずそっと屈んで目を逸らしてしまうほどだった。
何しろこの毛並みの心地よさと言ったら、下手な羊のそれよりも余程に柔らかくしなやかなのである。ところが残念なことに、この毛並みは本来外敵に対しての防御のために生まれたものであって、切り離してしまうと途端にとげとげしくがさついた毛並みへと劣化してしまうのである。
売り物になれば、どんな貴族でも買うだろうというのに、とは世の牧人の言うところである。
ことほど左様に人を魅了する生き物であるところの牧羊犬をどうして紙月たちがあれほどに恐れたかと言うと、その外見であった。
「お嬢ちゃんら、よほど都会人なんやな。牧羊犬見たことないて」
「犬ってみんなこんなのなんですか?」
「うん? まあせやろ。商人なんか愛玩犬飼ったりするけど、よう逃げられたりしとるな」
そういえば迷子の犬探しなどの依頼もあったが、最初の犬がこのようなやんわりした接触でよかったと紙月は思った。心底思った。
何しろこの世界で一般的に犬と言ったら、それは土蜘蛛達の連れてきたという種族らしいのだ。
つまり、その見た目は巨大な蜘蛛そのものなのである。
たっぷりの毛におおわれて、目もきょろりと丸っこく愛らしく、などと字面でどれだけ飾ろうにも、蜘蛛なのである。
聞けば、一応四つ足で哺乳類のいわゆる犬もちゃんといるらしいが、八つ足の犬と比べると少ないらしい。この言い方は紙月をはなはだ混乱させたが、荷を引いたり背に乗ったりする類の動物を軒並み馬呼ばわりするのと一緒で、こういう役割をする家畜を犬と呼ぶらしい。
では猫はどうなのかと聞いたら、ちゃんと猫もいるという。しかしこちらは四つ足の猫しかいないという。
「八つ足の猫はいないんですか?」
「猫が八足やったらキショイやろ」
「そういうもんですか」
「そらそうやろ」
そういうものであるらしい。
「猫はただでさえ意味わからんからな、これ以上意味わからんくなっても困る」
「はあ。ここらにもいるんですか」
「遊牧民はまず飼わへんけど、村やら町やらにはまずおるやろな。猫はウルタールを通ってどこにでもおるもんや」
「ウルタール?」
「猫の来るところや」
意味は分からなかったが、そういうものであるらしい。
用語解説
・牧羊犬
牧場などで羊を誘導したり、外敵から守ったりするために飼われている。主に八足で、卵生。
・猫
ねこはいます。
・ウルタール
ウルサール、ウルサーなどとも。遠い地。歩いて渡れぬ隣。夢野の川の向こう。猫たちのやってくるところ。
前回のあらすじ
紙月、死す。
ほとんど遊んでいるようにしか見えない冒険屋たちだったが、ひとたび敵が出ると動きは素早かった。
「出たぞ!」
最初に声を上げたのは、紙月たちと同じ休憩組であるエベノの冒険屋たちだった。そして声を上げると同時にもう矢をつがえて、ひゅうと鋭く射っている。そしてこの咄嗟の射が外すことなく獲物の脳天を射抜くものだから、遊んでいるようでさすがは冒険屋である。
次いで紙月が跳ね起きると同時に、仕事組であった冒険屋がものすごい勢いで手斧を投げつけ、もう一頭の胸にしたたかな一撃を加えた。そしてわずかに間をおいて、紙月の《火球》が逃げ去ろうとした一頭の頭を焼き払い、ごろりと地に転がした。
仕事組の冒険屋がじろりと見やってくるので、紙月は少し考えて、そうか、とすぐに頭を下げた。
「すまない」
「いや、いい、間が悪かった。あんたの魔法は、思いのほかに早いな」
失敗は冒険屋にとってつきものであるし、これは致命的な誤りでもなかったから、すぐに謝罪したことで、こじれることはなかった。
未来が瞬時に着込んだ鎧を、やはり同じように解除しながら不思議そうに首をかしげるので、紙月は教えてやった。
「大嘴鶏食いは大体三頭で行動するだろ」
「うん」
「一頭残しておけば、巣の場所が分かったかもしれない」
「あっ」
「でも、いまのは俺の魔法があんなに早いとは思わなかったし、向こうにも非があるといって許してくれたんだ」
「成程」
未来は賢い。賢いが、まだ経験が浅く、気の回らないことも多い。そこを補ってやるのも紙月の仕事だった。
「それに、まだ挽回できる」
「え?」
「仕事はまだ終わってないぞ」
紙月が鋭く言うと、未来も鼻を引くつかせて、瞬時に鎧を着こむ。そして今度はためらうことなく、その手元の盾が翻った。
ガツンと激しい音と共に、紙月たちの警戒していたその逆方向からひっそりとやってきたもう一群の鼻先を、未来の投げた盾が一撃お見舞いした。
ついで、牧人の足高の弓がもう一頭を仕留めた。
あと一頭。
即席の冒険屋たちが一瞬強張る中で、先の経験で反省した紙月が新たな魔法を繰り出した。
「《土鎖》!」
さかしくも早々に逃げ出そうとした最後の一頭の足元から土が盛り上がり、素早くその足を縛り付ける。
土でできているから決して頑丈な戒めではないが、走り出したその足元をすくって転倒させることには成功した。
「未来!」
「よしきた!」
そこに鎧姿の未来がのしかかれば、細身の大嘴鶏食いはひとたまりもなく昏倒した。
捕まえたのである。
「火の魔法に土の魔法、多芸だな、あんたは」
「伊達に森の魔女と呼ばれちゃいないよ」
「なに、するとあんたが地竜を昼飯にしているという」
「待って」
「俺も聞いたぞ、腹いせに山を吹き飛ばすとか」
「待って待って」
勿論冒険屋たちもそれが盛りに盛った冗談の類だということはわかっていて大いに笑った。
大嘴鶏食いはすっかり昏倒していて、しばらく目覚めそうになかったので、紙月が《土槍》を工夫して即席の土の檻を作って囲った。崩れぬように念じるとそのようになったし、形も、あまり細かくは無理だったが、大雑把には念じた通りになったので、これは大きな発見だった。
目覚めるまでの間、冒険屋たちは各々矢や手斧を回収し、大嘴鶏食いのむくろを集めて、さてどうしたものかと頭を集めた。
そんな中でふと食べ盛りの未来が腹の根を鳴らし、思い出したように牧人が言った。
「割りにうまいで」
「なに?」
「ちいと筋張っとるけど、なかなか乙なもんや」
「焼くか」
「うむ、焼くか」
焼いて弔うことになった。
冒険屋たちはそのような建前でさっさと竈を組み、手慣れた様子で血抜きし、この恐竜のようなオオトカゲをさばき、水精晶の水筒で洗い、適当な大きさで串に刺して、あぶった。
食ったことがあるのかと聞けば、ないという。ないが、獣というものはその種類ごとに大体同じような骨付きをしているから、鶏が捌ければ鳥や蜥蜴の類はさばけるし、毛獣もさほどの違いはないという。
やったことがないというのでは冒険屋をやっていくのは大変だろうからと一頭任せてもらった。最初こそ気持ちが悪くなりかけた紙月はすぐに調子を掴んでてきぱきと解体し、包丁仕事はそれなりに慣れているという未来も、小さな手ながらすんなりとやってのける。
「毛獣は、例えば熊や猪の類は、脂がもっと分厚いから、刃がすぐに鈍る。近くで湯を沸かしておくといい」
「羽獣や大トカゲの類は骨が細いものが多いから、折ってしまわないように気をつけろ」
「今日はお前たち冒険屋の流儀だから焼くが、遊牧民は基本的に煮る。その方が火も節約できるし、肉もすっかり骨からとれる」
一見旅慣れない女である紙月と、子供の未来が素直に指示に従うのが健気でよいらしく、冒険屋たちは、また牧人たちも様々な事を教えてくれた。
五頭の大嘴鶏食いはさすがに多いので、二頭を冒険屋たちがおやつ代わりに平らげることにし、残りの三頭分はいくらかを牧人たちの夕餉にすることにし、残りを市でさばくことになった。
さて、肝心の大嘴鶏食いの串焼きはというと、これは成程なかなかの美味だった。
肉自体は、そのごつごつとした鱗からは想像できないほど白く透き通っており、焼くと白っぽく濁る。これにしたたかな牧人たちが売りつけてきたべらぼうに高い岩塩を振りかけて食べるのだが、これが、美味い。岩塩に高い金を払うのも仕方がないと思う位には、美味い。
「見た目より臭みがないな」
「よりっていうか、全然ない。鶏肉だよね」
「ジューシーな鶏肉」
「ささみっぽいというか、脂身はあんまりないんだけどね」
「いかんな。無限に食える」
「あれ欲しい」
「あれ」
「ポン酢」
「わかる。それに、わさび」
「ぼくさび抜きでいいや」
「お子様め」
試しに、以前村で頂戴した猪醤につけてみると、これがたまらなく美味かった。ワサビはなかったが、牧人たちが猪醤と引き換えにと差し出してきた生姜、つまりショウガを摩り下ろして加えると、これはもう犯罪的だった。
冒険屋たちはそれぞれにスダチのように香りのよい柑橘や、このあたりでは値の張る胡椒、また南部で仕入れたという唐辛子のペーストを交換条件に出し、それぞれが満足のいく取引となった。
冒険屋が集まっていいことの一つは、食道楽が多いということである。決まって何か一つは、決まり手と言っていいような食材を、懐に忍ばせているものである。
そうこうしているうちに、肉の焼ける香ばしい匂いに誘われてか、大嘴鶏食いが目を覚ました。そして解体されてあぶられている仲間の姿にギャアギャアと鳴きながら暴れ始めるではないか。
いくら害獣とはいえ、これは悪いことをした、配慮が足りなかったなとは思いながらも、冒険屋たちは檻の強度を確かめるだけで、満足するまで肉を食い、酒を飲んだ。
そしてしっかり火の始末まで終えてから、冒険屋たちはそれぞれに大嘴鶏を借り、息を吹き返した大嘴鶏食いを放して、早速追いかけたのだった。
用語解説
・《土鎖》
ゲーム内《技能》。《魔術師》系列が覚える土属性の低級魔法。
土属性の行動阻害系《技能》で、相手の移動を封じたり、場合によっては転倒させて行動を封じたりする。勿論空を飛んでいる相手には効かないし、水場でも使えない。
『《土鎖》! 今日ほどこの魔法を忌々しく思った日はないわ! 言わんでもわかるじゃろ! 出て来い!』
前回のあらすじ
や き と か げ お い ひ い !
放した大嘴鶏食いを追いかけるのは、生半な事ではなかった。
なにしろ足も速く体力もある大嘴鶏を餌にしている連中なのである。賢く、瞬発力があり、ガッツもある。
平原と言えど何もないというわけでは無く、踏み荒らされていない野を行けば、丈の長い草むらもあるし、そう言ったところに隠れるように走られると、保護色になってすっかり隠れてしまって、冒険屋たちは何度となくその姿を見失いかけた。
それでも冒険屋たちが追跡を続けられたのは、あまりの重さに鎧を着るのを諦め、紙月と二人で大嘴鶏にまたがった未来のおかげであった。
「ん、あっちだ。あっちに隠れてる」
「よしきた」
時に姿を見失いかけても、獣人の未来の鼻は鋭く、焼き立ての炙り串の煙に燻された大嘴鶏食いの姿は目に見えるよりもはっきりとその姿を捉えられているらしかった。
また、大嘴鶏を駆る手付きも様になっており、最初こそ紙月が未来を抱え込むようにしながら手綱を取っていたが、未来が見て覚えると、攻撃役である紙月は両手を自由にして、すっかり操縦を任せることになった。
「いますごいことに気付いたんだけど」
「なに!?」
「この帽子すっげえ風の抵抗受けるんだけど、装備品だからかいくら吹かれても飛んでかねえ」
「それはすごい……けどどうでもいいかな!」
そのような暢気な事を言う余裕さえある追跡行は、しかし不意に目標の大嘴鶏食いが大声で鳴き始めてから難航し始めた。
「あいつ、仲間を呼びやがった!」
鳴き声が響いてからしばらく、方々から大嘴鶏食いがやってきては、冒険屋たちを妨害し始めたのである。
巣が近い、ということでもあるのだろうが、しかし厄介なことに連中は方角を悟らせないようにか均等に全方角から迫ってきた。
そしてまた賢しいことに、仲間を逃がすことを目的とした戦法であるようで、こちらに積極的に挑んでくることはなく、あくまでも威嚇に徹して隙を見せることなく、こちらの攻撃をするりするりとかわしてしまうのである。
弓や手斧はともかく、挙動のわかりづらい紙月の魔法までかわしてしまうのは、これは野生の勘だけとは言えない、優れた戦闘センスが伺えた。
「連中、やりやがる!」
囲まれたとはいえ、連中もこちらを襲う気はないようで、じりじりと輪は一行から離れていこうとしている。
「どうする?」
「これ以上無理をするのもな……」
「やれるか?」
問われたのは紙月である。
数だけならどうとでもできる相手だが、周囲を囲まれ、それも俊敏に動くとなると、これは紙月でも難しい。首を振ると、集団のリーダー格として見られている年かさの冒険屋が武器を収めて馬足を落とした。他の冒険屋がそれに続くと、大嘴鶏食いはまるで訓練された集団のように、速やかに輪を開放し、ばらばらに散っていってしまった。
「うーむ」
「普通の大嘴鶏食いも、あんな挙動をするのか?」
「いや、いくら賢いとはいえ……いや、これ以上考えるのは俺達の仕事じゃあないな」
ひとまずの大雑把な方角だけを控えてはみたが、あのような賢い行動を見た後だと、ここまで逃げてきたのも仕込みではないかと疑心が暗鬼を生む状態である。
「むう。まあ、仕方がない。一度戻って、依頼主に確認すべきだな。調査に出るか、迎撃で済ませるか」
調査に一組か二組出すとなると、これはどうしても休憩と警備のローテーションが保てない。冒険屋たちはあくまでも仕事で来ている以上、これ以上危険を冒してまで追いかける義理はない。勿論、依頼主がどう判断するか次第であるから、ここは一度戻って確認を取るのが一同の賛成するところだった。
駆け足で戻る最中、ふと顔を上げたのが未来である。
「においがする」
「なに?」
「大嘴鶏食いと、大嘴鶏。それから知らない匂いがする」
紙月がリーダー格の男にこれを伝えると、男は顎をさすった。
「放牧の時にはぐれが出ることはある。今日も襲撃があって、何頭かはぐれたと聞いた。それかもしれん」
距離がほど近く、匂いの数も少ないとあって、一行は一応確認のために出向いてみることになったが、そこで見つけたものは奇妙な光景であった。
食用種の大嘴鶏が三頭、駆けている。逃げているのだ。これはわかる。その後を大嘴鶏食いが三頭、追いかけている。これもわかる。
問題は大嘴鶏の背にまたがって、へなちょこな矢を射っては大嘴鶏食いを牽制している子供の姿である。
「おい、あれ……」
「うむ……」
冒険屋たちがその姿を見て顔を見合わせている間に、未来が大嘴鶏を走らせた。
「早く助けないと!」
「お、おう、そうだな!」
「あっ、待て、いや、しかし」
「行かせよう。少なくとも大嘴鶏は、俺達の仕事の領分だ」
矢が切れたのか大いに泣きそうになりながらも、健気に弓を振るって牽制する子供の姿がはっきりと見えるほどの距離に入ってから、紙月は慎重に狙いを絞った。的が近いので、もしものことがあってはならない。
「周囲への被害が少ないやつで……鳥、鳥は火属性が多いんだよな……」
「紙月! はやく!」
「はいよ、そんじゃあ」
ぱちん、と指が打ち鳴らされた。
「《水球》! 三連射!」
瞬間、虚空から人の頭ほどの水球が出現し、勢いよく大嘴鶏食いの頭部に飛来し、命中する。殴りつけたような衝撃が三頭を襲い、そして次の瞬間、さらなる苦痛が襲った。
「おお……こういう感じになるのか」
水球は弾けることなく三頭の頭を覆って呼吸を奪い、速やかに窒息させてこれを地に倒した。ゲーム内で存在した状態異常である窒息が現実に再現されると、このようになるらしい。
倒れこんだ大嘴鶏食いが起き上がらないことを確認して、紙月たちは目の前の唐突な出来事にすっかり呆然としている子供に馬を寄せた。
「おう、大丈夫か? ひとりでよくやったな」
「ひ、ひ……」
「ひ?」
「一人でやれたわこの程度!」
「うお、気が強いでやんの」
「ほんとじゃからな! この程度わし一人でやれたわ!」
「おうおう、そうだな、そうだな。手柄を取って悪かったな」
子供の言うことだからとおおらかな紙月に、同じ子供なのに同じく鷹揚な態度を見せる未来。
そしてそんな二人とは裏腹に、追いついた冒険屋たちは一様に渋い顔をしていた。
「やっぱり天狗か……」
「どこの部族だ?」
「どこでもいい。なんでこんなところに……」
それは剣呑と言ってもいい空気だった。
用語解説
・《水球》
ゲーム内《技能》。《魔術師》系列が覚える最初等の水魔法。
水球を飛ばして相手にぶつけ、ダメージを与える。確率で窒息などの状態異常効果。
『ここで魔術師ジョークを一つ。《水球》で顔を洗おうとして窒息しかけた阿呆がいるんじゃよ。どうじゃ。笑えよ』
前回のあらすじ
無事大嘴鶏と子供を救助した二人。
しかし冒険屋たちの様子がおかしくて……。
「おい、その天狗を連れて行くなら、お前たちが面倒を見ろよ」
「え? ああ、はい」
「お前も大概お人よしだな。天狗なんぞを拾うとは」
「最後まで面倒見ろよ」
口々に言われる言葉に、釈然としないながらも、紙月と未来は天狗だという子供を預かった。他の冒険屋たちは、見事に昏倒している大嘴鶏食いに舌を巻きながら、しっかりととどめを刺して大嘴鶏の背に載せ、手早く帰り始めた。
勇敢な子供のことなど見もしない。
「なあんだ、ありゃ」
「なんだろうね」
二人は顔を見合わせて、肩をすくめた。
子供は未来よりもまだ小さく、十歳になるかどうかというくらいだろうか。
話には聞いていた天狗という種族らしく、確かに端々に鳥の特徴が見て取れた。
口を開ければ見えるのは歯ではなく、そのように見えるひとつながりの嘴であるし、瞳は大きく、白目の部分がほとんどない。
暴れるのを抱き上げて大嘴鶏に載せてやった時に気付いたが、靴には靴底というものがなく、鱗のある鳥のような足がそこから覗いていた。成程、木などに掴まるとき、靴底があっては邪魔だろう。
また、服があまりにも上等な刺繍がなされていたので飾り物かと思っていたが、その手首からひじのあたりに生えているのは紛れもなく羽毛である。羽毛というより、立派な翼の一部と言っていい。
飾り羽のようだが、話に聞くところ、天狗はこれで空を飛ぶという。
「ほら、暴れんなって。お前らちっちゃいんだから乗り切るだろ」
「ちっちゃいっていうな!」
馬上に押し込まれてぎゃいぎゃいとうるさい子供二人は、手綱を取る紙月の腕の中で声をそろえた。
「俺は紙月で、こいつは相棒の未来」
「未来だよ、よろしく」
「ふん、冒険屋風情かあっだだだだだだ」
「名乗られたら名乗り返すくらいは教わってないのか」
「あだ、あだだ、ス、スピザエト! スピザエトである!」
「よし、よし」
頬をつねってやって、ようやく名を聞き出せて、第一歩である。
「よ、よくもわしに手を上げたな! わしはな!」
「うん、うん、よくわかるぞ。お前は立派な奴だ」
「お、おう?」
「一人で大嘴鶏食いに立ち向かおうなんてなかなかできることじゃあない。怖かったろ」
「こわくなどあるものか!」
「勇敢な奴だ。それで、どうして一人でこんなところに?」
「うむ。それが、連れとともにおったはずなのだが、彼奴ら、いつの間にか逸れてしもうてな。付き人としてなっとらんのじゃ」
それは多分お前の方が逸れたんだろうな、とは思いながらも紙月は口を出さなかった。口ぶりからどうもいいとこの坊ちゃんであるらしいし、余計な口をはさんでこじれるのも面倒だったからだ。
「それでひとりで散歩しておったら、あの可哀そうな大嘴鶏どもが彷徨っておった」
「おお、お前が見つけてくれたのか」
「そうとも。わしはきっとこいつらはきっと親から逸れてしもうたんじゃ、かわいそうになと思って、折角だから親元まで返してやろうと付き添ってやったんじゃ」
迷子が迷子の世話見ようとしている、などと言いだそうとした未来の口はそっと塞いでおいた。
「それからどうした」
「うむ、そうしたらあのトカゲども! 野蛮な大嘴鶏食いめが追いかけてきおったのじゃ」
「おお、大変だったな」
「そうとも、そうだとも! わしは哀れな大嘴鶏を守ってやらねばと思って矢を番えては射たのじゃが、何しろあいつらすばしっこくての、さしものわしもなかなか当たらん」
(まるでとは言わないでやろう)
「そうこうしているうちに矢も尽きて、こうなれば仕方がない、わしの鍛え上げた蹴り足をお見舞いしてやろうとしておったところに、おぬしの茶々が入ったのじゃ」
「俺か」
「おぬしじゃ」
「紙月だね」
「そうだ、シヅキとかいったか。おぬしが茶々を入れねばわしがぼっこぼこにしておったのじゃ、ほんとじゃぞ」
まあ持ち上げるのもこの辺でいいかと、紙月はそうかそうかと適当に頷いた。
「それじゃあ、俺たちが助けないでも、お前ひとりで倒せたのか」
「そうとも、そうだとも!」
「本当にか」
「本当だとも! 疑うのか!」
「ここにゃ俺たちしかいないんだ。誰にも言わねえよ」
「……ま、まあちょっぴり、ほんのちょっぴり危なかったかもしれんな」
「そしたら、大嘴鶏たちは危なかったな」
「う……うむ。そうだ。危なかったかもしれん」
「もしお前が万が一足を滑らせでもしたら、万が一だぞ、それじゃあ大嘴鶏たちは酷い目に遭っていたな」
「ひどい目に遭っていたのか?」
「間違いないな」
「で、でもなんとかなったのじゃ」
「もしかしたら俺達は来なかったかもしれないな」
「む、むう」
「お前は一人でよくやったよ。でも一人じゃ大変なことだっていっぱいある。一人じゃ護り切れない時もある。そういうときは、助けを求めていいんだ」
「し、しかしな、しかしわしは……」
「お前は自分一人でやれると思ってるだろうし、それは大事な気構えだけど、それで護るべきものが傷ついたんじゃあ仕方がないだろ」
「む、むう」
「護りたいと思ったんなら、そのことをまず大事にしなきゃな。自分のことはおいておいて、誰かのことを考えられる方が、ずっと格好いいと思わないか」
「お、思う、かもしれん」
「そうか」
「そ、そうだ」
「それがわかったならお前さんは立派な勇者だよ」
「そ、そうか?」
「そうだとも」
そうか、とはにかむように笑うスピザエトの頬を、紙月はつねった。
「あだだだだだ激痛でない程度の適度な痛み!」
「それじゃあできる天狗様はまず助けてもらった感謝! それに悪態ついた謝罪な!」
「ありがとうございます! ごめんなさい!」
「よし」
「紙月、ほんと多芸だよね」
「これくらい子守のバイトしたらすぐ慣れる」
「ほんと多芸だよね、ほんと」
腕の中ですっかり大人しくなったスピザエトは、緊張が解けたためか、ぐったりと脱力し、それを未来が支えてやっている状態だった。
「しっかし、こんな子供相手におっさんたちはなんでピリピリしてんだろうな」
これが紙月には疑問であった。
単に子供嫌いであるというのは、これはない。
実際、未来が鎧を脱いだ姿を見せた時も、成人前だというのに立派だなと大いに褒められ、成人前の子供を冒険屋稼業に連れまわすなどと紙月は怒られたぐらいだった。帝国では一般的に成人と言えば十四歳であるらしく、なるほど未来はまだ二、三年程足りない。
この例で行くと、その未来よりいくらか幼いスピザエトの奮闘は、褒め称えられてしかるべきであって、間違ってもその逆はないはずだった。それなのに実際は、スピザエトは敬遠され、すっかり紙月に面倒を任されてしまっている。
首をかしげる二人に、スピザエトは眠たげながらも唇を尖らせた。
「それはきっと、わしが天狗だからなのじゃ……」
帰り着き、それが事実だと知って、紙月は激怒するのであった。
用語解説
・スピザエト(Spizaeto)
天狗の少年。非常に身なりが良く、良いところのお坊ちゃんであるようだ。
弓を持っていたが腕前は杜撰なもので、年若いこともあってまだ一人で飛ぶのは難しいようだ。
前回のあらすじ
助けた少年はスピザエトと名乗った。
紙月たちは彼と話してみるが、特におかしな点はない。
天狗だからとはいったい、どういう意味なのか。
「天狗嫌いィ?」
帰り着き、リーダー格の冒険屋が依頼主に話を通している間、エベノの弓遣いに聞いたところ、天狗というものは事この西部では蛇蝎のごとく嫌われている種族らしかった。
「もともと天狗ってのは鼻持ちならねえ高慢な連中なんだが」
「はあ」
「大叢海の連中はもう、なんだ。天井知らずだよ」
「天井知らず」
「頭が高すぎて雲突き抜けるレベルだなありゃ」
詳しく聞いてみたところ、たしかに天狗という種族は、空を飛べるという種族特性的なものなのか、神話の時代にさかのぼる因縁なのか、他種族を下に見る高慢なところがあるらしい。それでもまあ、ほかの地域の天狗は付き合えばわかるようなところはあるらしい。慣れるともいうが。
しかし大叢海の天狗たちは、なまじ自分たち以外大叢海に住むこともできないという環境に生き続けたからか、完全に他種族を下に見ているらしい。下手すると同族内でさえも見下し合いをしているとか。
遊牧民たち平原の民は、草原の民と一つの大部族の下にあるというのが体裁だが、実際のところは大叢海から出てくる気のない天狗たちと平原の民はあまり、というかはっきり仲が良くないらしい。
それでも大昔に杯を分けた仲だとかでいまもなあなあで関係は続いているものの、天狗たちは他種族を見下し、他種族は天狗を毛嫌いしてと、水面下どころか目に見えて相当冷え切った仲らしい。
これは成程わかる話である。
あるが、紙月は激怒した。
「それと子供に何の関係があるってんだ!?」
「落ち着け、落ち着けシヅキ」
「落ち着けるか!」
何しろ自分も子供を連れて歩いている紙月である。ただ天狗であるというだけで子供がないがしろにされたのだ、我が身を振り返ればこれ以上腹の立つことはない。
しかも腹の立つことはまだ続くのである。
一応チャスィスト家も大人であるから、相手が天狗であるかどうかは別として、大事な資産である大嘴鶏を助けてもらったことには感謝をするとして、天幕に三人を招いて礼をしてくれたのだが、問題はその後である。
「なに、巣がある?」
「そうじゃ。連れのものと近くを飛んでおる時に、大嘴鶏食いのものと思しき巣が見えた。何十頭もおる、大きな群れが、巣をつくっておったのじゃ。子供もおった」
「なんと……」
「わしはこれはいかんと思ったのじゃが、連れが捨て置けと我儘を言うので、振り払って、近くに見えた天幕、つまりここを目指したのじゃ。大嘴鶏は、その途中で見つけた」
この話を聞いて、チャスィスト家の人々は会議を執り行うとして天幕にこもった。
ローテーションをどうするか、冒険屋たちに任せて襲撃するのか、警備はどうするのか、そう言った会議が行われると思われた。
しかし長い会議を経て、明けて翌朝、紙月たちに伝えられたのは現状のローテーションを維持せよとの指示だった。
「どういうことだ?」
「どういうことだっていってもな」
首をかしげる紙月に、エベノの弓遣いは辺りをはばかりように伝えてきた。
「つまり、情報源が信用できないんだろう、連中は」
「なにっ」
「俺に怒るな。まあ落ち着いて考えろよ」
つまり、こういうことだった。
大叢海の天狗たちは、もうずいぶん長いこと平原の民を下に見てきた。朝貢じみた貢物の制度もあるという。そして今回の大嘴鶏食いの件で応援を頼んだ際も、すげなく断られているらしい。自分達で何とかせよというだけならばまだよかったが、できなければ飢えて死ねとでもいうような態度であったらしい。
ここにきて平原の民の怒りはかなりのものとなっており、次回のクリルタイでもたもとを分かつことを宣言するのではないかとされている。
そんな中で、たまたまはぐれた天狗が大嘴鶏食いの巣を見つけたなどという情報を持ってくる。
遊牧民たちはこぞって罠を恐れたらしい。嘘の情報ならばまだよし。しかし、もしその巣というのが、天狗たちの後押しによってできたものならばどうするか。そのような不安まであるのだという。
「こんな子供まで疑うか!?」
「こんな子供だからだろう。大人の天狗が同じ情報を持ってきたところで、やつらのことなど最初から信じられるわけがない。しかし子供ならどうだ。ちらとでも信じてしまうかもしれん」
「子供を使った騙しとまで疑うのかよ……」
そう言われればわからないでもない。
平原の民はもうずいぶんと草原の民に虐げられてきているのだ。その感情を思えば、一概に子供だからどうのなどという紙月の意見は薄っぺらいものなのかもしれない。
「むーん」
とはいえ、じゃあそれで平原の民の言うことに従えるかと言えばそういう訳でもなかった。
平原の民には平原の民の言い分があり、スピザエトにはスピザエトの訴えがあり、そして紙月には紙月の感性というものがある。
「未来、お前はどう思う」
「大局的っていうやつを考えるなら、おじさんたちの言うことも、もっともなんじゃないかな」
「お為ごかしはよせやい」
「ふふ。じゃあ決まってるよ。ぼくら、冒険屋だぜ?」
「よしきた」
用語解説
・冒険屋だぜ?
つまりそういうこと。
前回のあらすじ
天狗嫌いの実態を知った紙月は、子供相手にと激怒する。
そういうときどうするか。答えは決まっている。
ぼくら、冒険屋だぜ?
いつもそうだった。
スピザエトは貸し出されたという名目で自分を閉じ込める天幕の中で、一人膝を抱えていた。
いつもそうだった。
いつもスピザエトの意見というものは、取り上げられるということがなかった。取り上げられることがあってもその中身とは別のところで推し量られるばかりだった。
いつだってスピザエトの意見が真面目に取り上げられたことはなかった。
スピザエトの立場がそうさせたし、スピザエトの父の立場がそうさせたし、周囲の全ての立場や関係性というものがそうさせた。
スピザエトはそうあるように求められる形を演じるばかりで精一杯だった。その中身を考えることはとうになくなった。ただ父のようにあれと呪いのように繰り返され、ただ父のようであるなと呪いのように褒められ、父ならこのようなことはしないぞと呪いのように窘められ、呪われて、呪われて、呪われてきた。
人生とは呪いのようなものだ。
以前、月のない夜に、父はひっそりとスピザエトにそう語ってくれた。
――お前が父のようにあれと言われるのはな。
父のうち開けた秘密は、とっぷりと暗い呪いに満ちていた。
――私が同じように、お前の祖父のようにあれと言われていたからだよ。
人生とは呪いのようなものだ。
誰も自分の好きなように生きていくことなどできない。
誰もが自分の決めたいと思うところとは別のところで人生を決められ、その呪いに従うように人生という織物を織りあげていく。
スピザエトの人生はスピザエトのものではなかった。巨大な織物に描かれた、大叢海の物語の、その中の色糸の一本に過ぎなかった。
スピザエトの持ってきた情報を持て余し、天狗の情報だからとためらう平原の民の気持ちは痛いほどに分かった。自分たち天狗が嫌われているということをよく知っていたからではない。それ以上に、ずっと言われ続けてきたことに反抗するのは難しいのだということを、よくよく知っていたからだった。
平原の民にとって、草原の民は、呪いに近いほど長く長く続く敵なのだ。怨敵なのだ。ただ呪いに近いほど古く古くから続く縁の為に、切っても切れないというだけなのだ。
古くから忌み嫌ってきた天狗の意見を聞き入れることが、彼らにとってどれだけの苦痛であることか。長きにわたって一族全体を蝕み、支え、痛めつけ、永らえてきた呪いに逆らうことは、その歴史が長ければ長いほど、耐えがたい苦痛を伴うことなのだ。
だから、スピザエトは平原の民を恨まない。
だってそれは仕方がないことなのだ。
スピザエトは幼いから、まだ呪いの影響が少ないから、こうして加護の外へ飛び出して、そうして試すことができた。
しかし人々はそうではないのだ。人々は鳥かごから飛び出すには、あまりにも歴史という呪いに縛られ過ぎていた。
だから。
だから。
だから。
「よう、俯いてないで、行こうぜ」
だから、その声は、スピザエトにとって初めて聞く声だった。
初めて聞く響きで、初めて聞く奏でで、初めて聞く言葉だった。
「ちょうどぼくら休憩時間でね。なにしたって文句は言われないんだ」
開かれた天幕の中に、鋭く光が差し込んでくる。
目にも痛く、肌にも熱く、そしてどこまでも鮮烈な光が注いでくる。
「お前ができないって言うんなら、俺たちがやってやる」
それは、
「お前が怖いって言うんなら、俺たちが代わってやる」
まるで、
「お前が行きたいって言うんなら、俺たちが連れて行ってやる」
祝いのように、スピザエトの胸に響いた。
「本当に、いいのか?」
「本当にいいとも」
「本当に、本当にいいのか?」
「本当に、本当にいいよ」
「わしは、だって、わしは、天狗じゃぞ」
「それなら俺達は冒険屋さ」
「ぼうけん、や」
「そうとも」
「そうだとも」
「俺達は人の冒険請け負って、人の代わりに、人の為に、人のついでに、冒険なんかしたいって酔狂ものなんだ」
「いまさら天狗の一人くらい、背負ったって軽すぎるくらいさ」
それはスピザエトの知らない言葉だった。
それはスピザエトの知らない世界だった。
こわかった。
不安だった。
震えるほどに、見知らぬ世界が恐ろしかった。
いつだって呪いを恐れていた。いつだって呪いに震えていた。いつだって呪いを疎んでいた。いつだって呪いのせいにしてきた。
ああ、でも、いつだって呪いが悪いのだと、呪われていることを享受し続けてきたのは誰だ。
スピザエトは唐突に理解した。
それは自分なのだと。自分のせいなのだと。
呪いを呪いたらしめるのは、それを受け入れる自分のせいなのだと。
「じゃあ、じゃあ、じゃあ!」
ならば、踏み出さなければならなかった。
目を焼き、肌を焼き、くじけそうになる程に熱い灼熱の太陽のもとへ、踏み出さなければならなかった。
「わしは……わしを!」
かつて父が、呪いの中で自分に託したように。
きっと祖父が、呪いの中で父に託したように。
果てなき呪いを、いつの日か解けるようにと。
「――助けてくれ!」
その叫びは、まるで祈りのようで。
「請け負ったぜ、その願い!」
そして、誓いのようであった。
用語解説
・請け負ったぜ
帝国法においては、冒険屋が依頼を請けることを禁じる法はない。
前回のあらすじ
その依頼、請け負った。
「よっしゃ、急ぐぞ!」
「よしきた」
豪華な天幕からスピザエトを連れ出し、三人は未来の手綱を取る大嘴鶏に乗って平原を駆けた。
「地上からでも場所分かるか?」
「天狗をなんじゃと思っとる。そのくらいの把握力があるから上から目線できるんじゃ」
「成程ごもっとも!」
スピザエトの指示は、確かなようだった。
というのも、巣があると思しき方角へ駆け出した途端、統率の取れた大嘴鶏食いたちの襲撃を受けたからである。
「紙月! 大丈夫!?」
「この程度なら大丈夫だ! FPSで慣れてる!」
「ほんと多芸だよね!」
襲撃は散発的なものから、やがて明確に進路を妨害するような派手なものになってきたが、この程度で妨害されるようなら、紙月たちは地竜など殺していないし、山など吹き飛ばしていない。
「《タワーシールド・オブ・シルフ》!!」
未来がスキルを使用すると同時に、突き進む大嘴鶏の前面に不可視の壁が展開される。風の精霊が力を貸して作られる、大気の壁だ。鎧も楯も装備していない未来は著しくその能力を衰えさせているが、それでもレベル九十九の《楯騎士》は伊達ではない。
進行方向の大嘴鶏食いを跳ね飛ばし、なお衰えることのない走力で駆け抜けていく。
そうして前方の障害が排除されれば、横と後ろから襲い掛かってくるものたちを、紙月が振り浮きざまに平然と蹴散らしていく。
「《火球》! 《火球》! 《燬光》! 《火球》! 《燬光》! 《燬光》! 《燬光》! おまけの《火球》!」
指先をわずかに向けるだけで、業火が、また熱線が恐るべき恐竜たちを焼き払っていく光景に、スピザエトは大いに恐れをなし、そして憧れの視線を受けた。
「おお、すごい! すごいのじゃ!」
「そうとも! お前が見出した冒険屋はすごいのさ!」
「一応ぼくもすごいことしてるんだけどなあ」
「ミライもすごいのじゃ!」
「ありがと」
驀進していく三人の行く先に、ついに巣らしきものが見えた。
平野にできた窪地に、何十頭もの大嘴鶏が、枯れ枝や、一部は強奪してきたらしい遊牧民の天幕などをもとに巣をつくり、小さな雛たちを育てているのである。巣の中では何頭かの大嘴鶏がむさぼられ雛の餌となっているところもあった。
これだけをみれば、大自然の大きな営みとして、おそれを持って眺めることができたかもしれない。しかしことは人間の里に及んでしまっているのである。大自然がなんだ、共存共栄がなんだといいながらも、結局のところ、人は人である以上、自分達の営みをこそ優先しなければならない。
お互いの縄張りを犯そうという以上、必ずやしっぺ返しが来るのである。
「悪いが、これ以上増えられても困るんでな!」
「恨むんなら恨んでおくれよ!」
大嘴鶏食いたちはついに訪れた外敵に威嚇の声を上げ、巣に集まって雛を護ろうとしたが、その行動は、かえって悪手であった。
「未来、閉じ込められるか!」
「成程! 《ラウンドシールド・オブ・シルフ》!」
紙月が唱えたのは、自身を中心にして円状に空気の結界を張る《技能》である。ただし今回は自分を中心に使うのではない、大嘴鶏食いの巣を中心に使うのである。
「ぎあっ!?」
「ぎゃあっ! ぎゃあっ!」
大嘴鶏食いたちが叫ぶがもう遅い。巣を中心に張り巡らされた結界は、外から何物をも通さない代わりに、内側からも何物も逃がさない檻となったのだ。
「それじゃあお次は、どうするかな。食われた分の素材は返してもらおうか」
「どうするの?」
「こうするのさ!」
紙月の指が翻る。
「《水球》!」
空想のキーボードが叩かれ、空中にいくつもの水滴が浮かぶ。それらは《遅延術式》によって空中にとどめられ、その間に次々と水球が生み出されては空中に浮かべられていく。
「そんで、解除!」
それらが一斉に解き放たれるや、結界内の大嘴鶏食いたちを雨のような勢いで水球が襲い掛かっていく。中には運悪く頭に直撃を受け、窒息の憂き目にあうものもいたが、多くは殴られたような衝撃を受けるばかりで、びしょぬれになりながらも意気軒昂である。
むしろ水を浴びせられたことで、かえって怒り出している。
「あんまり効いてないみたいだけど、どうするの」
「仕上げに入る」
「仕上げ?」
空想のショートカットキー、次のリストは氷冷属性である。水属性から派生するこの属性は、静かだが、苛烈だ。
「《冷気》……水を凍らせるのが精々ってフレーバーテキストだったが、それで十分だ」
どこからともなく押し寄せてくる冷気は、紙月が指を走らせるごとにその強さを増していく。そして未来の閉ざす風の結界に巻き込まれ、その内側を猛烈に冷やしていく。急激に冷やされた空気に、まず反応するのは水だ。
巻き散らかされた水が、次第にぱきぱきと音を立てて凍っていく。それは地面にぶちまけられた水だけではない。大嘴鶏食いたちの体を濡らしに濡らした水全てが急速に凍っていく。
「そおら……凍りつけ! 《冷気》!」
異界からの冷気がすべてを凍り付かせるまでに、物の数分もかからなかった。
「ま、これで……しばらくの食糧にはなるだろ」
「食べ切れなさそうだなあ」
「そんときゃ売ってもらうさ……っぷし」
「かわいいくしゃみ」
「うるせ」
そして余りの光景にスピザエトをも凍り付かせ、いままで大変失礼いたしましたと頭を下げさせるに至ったのだった。
用語解説
・《タワーシールド・オブ・シルフ》
《楯騎士》の覚える風属性防御《技能》の中で最上位に当たる《技能》。
範囲内の味方全体に効果は及ぶが、使用中は身動きが取れず、また常に《SP》を消費する。
『シルフは気まぐれだ。約束という言葉をまるで知らない。だがもしもそのシルフを縛り付ける言葉があるのならば、それは絶大な効果を及ぼすだろう』
・《ラウンドシールド・オブ・シルフ》
《楯騎士》の覚える風属性防御《技能》の中で上位に当たる《技能》。
自身を中心に円状の範囲内の味方全体に効果は及ぶが、使用中は身動きが取れず、また常に《SP》を消費する。
『風の扱い方を覚えるんだ。風は気まぐれだが、理屈を知らない訳じゃない。理屈が嫌いなのは確かだが』
・《冷気》
《魔術師》やその系列の《職業》が序盤で踏み台程度に覚える魔法。氷冷系魔法の入り口。冷たい空気で攻撃し、確率で氷結などの状態異常を起こす。
『水を凍らす程度の冷気じゃが、わしらはこの冷気がどこから来るのか、そのことさえもいまだわかっとらん。異界から、というのはちと、ぞっとせん話じゃな』
前回のあらすじ
一網打尽に大嘴鶏食いを片付けた二人だったが。
大嘴鶏食いの巣を殲滅し終えたことを意気揚々と報告したところ、叱られた。
三人そろって、叱られた。
まず依頼主のチャスィスト家のマルユヌロ老に、独断専行が過ぎると叱られた。天狗の言うことを信じて、大事になったらどうするつもりだったのかと大いに叱られた。これについて反論しようとしたところ、マルユヌロは渋い顔をして、付け加えた。君も、賢い子供ならば大人の暴走は止めなさいと。
スピザエトはしばらく自分が言われたのだということを咀嚼できないでいたが、そうとわかると何度も頷いて、叱られてしまったと笑うのだった。
次に冒険屋たちのリーダー格である古参の冒険屋に叱られた。お前たちは子供に説教しておいて、やることはその子供と一緒じゃないか。次は自分達も呼ぶようにと大いに叱られた。それから少し迷って、頼るときはこんな胡散臭いのじゃなくて、もっとしっかりした大人を頼れと胸を叩いた。
じゃあ助けてくれるのかとスピザエトが恐る恐る問うと、お代によると大真面目に言われて、これにもまた笑った。冒険屋も、やはり生業なのだ。
最後に、スピザエトのおつきの者たちが探しにやってきて、何を馬鹿な冒険ごっこなどしているのかと散々に叱られた。この方をどなたと心得るのかとか、子供を連れて害獣退治など言語道断だとか、大いに叱られた。
それからスピザエトが素直に謝罪すると、こっそりと、どうやって躾けたのか教えてくれと頼まれた。それはあんたらの仕事だと返せば、人族に言い負かされるのは癪だとため息を吐かれた。
こうして三人は三様に叱られたのだが、スピザエトはこの小さな冒険でいろいろと得るものがあったようだ。そればかりは、紙月も未来も手放しで喜べるところだった。
「シヅキ、ミライ、冒険屋には報酬がいるんじゃろ?」
「子供料金でサービスしとくよ」
「そうはいかん。おぬしらはわしを立派な一人として見てくれた。わしもおぬしらを立派な冒険屋として扱う」
「その気持ちだけでうれしいんだけどな」
「いいじゃない紙月。受け取っておこうよ」
「うむ。と言っても手持ちがないからの。ちょっとした装飾品じゃが、受け取ってくれ」
そう言って、スピザエトは両手を飾っていた腕輪を外し、二人に一つずつ寄越して与えた。
「いいのか、高そうだけど」
「高いわい! 高いから報酬なんじゃろ!」
「それもそうだ」
「ありがたくうけとるよ」
二人はこれを大事にインベントリにしまった。腕に付けていると、何しろ冒険屋なんて稼業だから、なくしたり壊したりしそうだし、売り払うという気にもならなかったので、記念品として取っておくことにしたのだ。
依頼主からもきちんと革袋に詰められた報酬が渡され、これにてこの地の依頼は済んだ。
「おうちょっと待て」
「え」
「大嘴鶏食いどもを片付けたんだろ」
「素材がもったいねえ。巣まで案内しな」
「うげ、そうだった」
「二人で突っ走った分、まだまだ働いてもらうぞ!」
「ぐへえ」
こうして二人は凍り付いた巣の前で説明に励み、凍り付いた巣の解体に励み、凍り付いた素材の解体に励み、なんで凍ってんだよと三回ほど自分に切れ、それでもなんとか素材を解体し、街におろすのだった。
騒がしい平原の民の集落を離れて、連れの者たちの操る風精に乗って空を飛びながら、スピザエトは思った。これは紙月たちの言う通り小さな冒険にすぎず、従者たちの言う通り冒険ごっこにすぎず、これがために何か変わるようなことも、何かが起こるようなこともないのだろう。
これから。
すべてはこれからなのだ。
かつて父や祖父にも、何かしらのきっかけがあっただろう。
それが自分にも訪れただけのことなのだ。
それをどう生かすも、どう殺すも、すべてはこれからなのだ。
いつもそうだった。
スピザエトは風を頬に受けながらそう思った。
いつもそうだったのだ、本当は。
いつだって人生というものは、呪いに縛られている。
でもその呪いを生み出しているのは、本当のところ自分自身なのだ。
自分の人生は呪いのようなものなのだと、自分の好きなようにはできないのだと、その思い自体が呪いなのだった。呪いが呪いを生み続けてきたのだった。
けれど本当はいつだって、どこだって、きっかけと呼べるものはあったはずなのだった。
例えば父が声をかけてくれたあの月のない夜。
父の語らない言葉の向こうにある本心に触れたあの夜。
あの時だって、スピザエトは違うといえたはずなのだ。
父のためでもなく、祖父のためでもなく、連綿と続く呪いのような血筋のためでもなく、ただ自分が父を尊敬するから父のようになりたいのだと、そう言えたはずなのだった。
そうだ。
いつもそうだった。
これから。
すべてはこれからなのだ。
「おや、腕輪はどうなさいました?」
「うむ。冒険屋に報酬としてやった」
「おやまあ、御駄賃にしてはちょっと高かったですよ、あれ」
「わしにしてみれば妥当な報酬だったのじゃ」
「ではその分、お勉強して返していただきますよ、殿下」
「ぐへえ」
用語解説
・殿下
帝国内に、現状で王または王子を僭称するような輩はいない。
もしも正当に王または王子を名乗るようなものがいるとすればそれは帝国外の勢力となる。
前回のあらすじ
天狗の少年とともに大嘴鶏食いを殲滅した二人。
そしてそろって叱られるのであった。
子供をいじめたものがいるとして、森の魔女が怒り狂って平原を永久凍土に閉ざしたらしい。そんないい加減な噂はいつも通りに聞き流すとして、それでも地竜殺しや山殺しに続いて、凍土の魔女とかいう二つ名までいただいてしまって、いやまったく、本人たちのあずかり知らぬところで西部には化物が生まれようとしているようである。
さて、そんな噂などどこ吹く風のスプロの町。
からりと涼しい風の吹く西部の町にも、そのときが来ようとしていた。
「暑い、な」
「暑い、ね」
つまり、夏である。
異世界であるところのこの帝国にも、地域によって大きく差はあるものの、四季のようなものが巡るらしかった。
西部での夏というのはこういうものである。
からりとよく乾燥し、空気には湿り気が少なく、いわゆるじめじめとした暑さはない。むしろ風が吹く間などは涼しいくらいだといっても良い。
ただし、遮るもののない平野は、日光を常に浴び続けているせいで、決して冷めているわけではない。
時折嫌に気温が高くなる時など、石畳で卵が焼けるそうである。
やったのかと聞けば、パン種はさすがに無理だったというので、冒険屋というものは大概阿呆なのか、それとも夏の暑さが人を阿呆にするのか。
ともあれ、異世界でも夏は暑かった。窓や戸を開け放してごろりと横になればまだましなのだが、それでもどこか遠くでじりじりと石畳の焼ける音が聞こえるような、そんなどこか落ち着かない夏である。
未来はきっとその方が涼しいであろうに、《白亜の雪鎧》を断固として着ようとしなかった。涼しいは涼しいのだが、クーラーのような妙な涼しさだし、だいいち、暑くはなくとも暑苦しいらしい。
紙月の方はもともと涼しげな格好ではあったが、しかし何しろ黒尽くめである。とんがり帽子の広いつばで日光を遮ったにしろ、結局黒は熱を帯びるので死にそうになる。
「氷菓でも食いに行きやせんか」
「なに、氷菓」
「ひょーか?」
「アイスだ」
「行く」
筋肉の分暑苦しくて仕方がないのか、大いに汗をかきながら手ぬぐいを濡らす冒険屋ムスコロが、この時期は氷菓の店が出るというので、三人は連れ立って出かけることにした。
うんざりするほどの日光が眩しくて、紙月は日傘を取り出して差すことにした。これは《吸血鬼の逃げ場》という名の装備品で、黒いレースの日傘の形をしたアイテムなのだが、装備している間、光系の属性攻撃に対して高い耐性を付与する。
「姐さんはなんだか、涼しそうでやすなあ」
「これでも暑いんだよ」
「俺もこの時期は、筋肉が脱げたらなと思いやす」
「ある種哀れだな……ほれ、《浄化》」
「おお、汗も退いて、こりゃすっきりしていいですなあ」
何となく鬱陶しいのでかけてみただけなのだが、意外に評価が良い。自分達にもかけてみたが、なるほど、汗のべたつく感覚がなくなるだけでも、大分、良い。
同じように最初から魔法で外気を冷やせないのかとムスコロが期待した顔で言うので、できるはできると答えた。しかしやりたくはない。どんなに小さな魔力であれ、使えば失われるのである。すぐに回復するとはいえ、疲れる。長時間それを続けるのはなかなかしんどいのである。
「未来、お前は小さいから特に気をつけろよ」
「子供扱いしないでよ」
「そういうことじゃなくて、熱い路面に近いし、水分の保有量も少ないんだよ」
「あ、なるほど」
熱射病、日射病という概念はこの世界にもあるようなのだが、異世界だからと言って画期的な治療法があるわけでもないようで、やはり水分と塩分を取って、体を冷やして、とそのような手段に頼らざるを得ないようである。
すこしでもと思って日傘の陰に入れてやるが、まるで親子である。
氷菓屋と言うのは表通りに店を出していて、店先にパラソルを据え付けたテーブルを並べて、その日陰で氷菓を食わせるものらしかった。
なんにするかと聞かれて任せると答えてテーブルにぐったりと座り込むと、しばらくしてムスコロは三つの木皿を器用に運んできた。
「削氷にしやした。蜜は三種頼んだんで、お好きなのを」
削氷というのは、つまりかき氷だった。蜂蜜をかけたもの、甘酸っぱい柑橘の蜜をかけたもの、煮豆をかけたものがあったので、紙月は煮豆を、未来は少し迷って柑橘を選んだ。ムスコロは顔に似合わず甘いものが好きなようで、蜂蜜をたっぷりとかけた氷を喜んでしゃくしゃくととやった。
「おお、うまい。生き返る」
「紙月、一口頂戴」
「ほらよ」
「んむ。じゃあお返しに」
「んむ」
三人三様にアイスクリーム頭痛で悶えたりしながら削氷を楽しみ、一息ついた。
「それにしてもこの暑い時期に、どうやって作ってるんだろうな」
「店にゃあ大概、大きめの氷室がありやすからな」
「なるほど」
北部や辺境の雪山から取れる氷精晶を使った氷室は、小さいものであれば事務所にもある。仕組みが違うだけで、冷蔵庫や冷凍庫のようなものが存在するのであれば、氷菓の類を作ることもできるだろう。
少し落ち着いて、あたりを見てみれば、それこそアイスクリームや、シャーベットのようなものも見える。
「もう少し、食っていきやすかい?」
「いや、俺はもういらん」
「ぼくもうちょっと欲しいかも」
「あんまり腹ぁ冷やすなよ」
「大丈夫だよ」
少し食べればそれで満たされるハイエルフの紙月に煮豆は少し重かったが、身体が小さく熱をため込みやすい未来はもう少し体を冷やしていきたいようだった。
じゃあとムスコロは一皿の雪糕なる氷菓を買ってきて、未来と分けて食べた。これはアイスクリームのようなもので、西部では大嘴鶏の乳を使うのが一般的らしい。
「一口」
「あい」
「んむ」
乳とわずかな砂糖だけで味がつけられているようだったが、大嘴鶏の乳はコクがあり、僅かなナッツのような香りが面白い。
「こうも暑いと、仕事する気も起きやせんな」
「全くだ」
「雪山に行く仕事とかないかなあ」
ムスコロはともかく、紙月と未来は相変わらず、やんちゃが過ぎるとして仕事をほとんど干されたままなのである。貯えはあるし、最近は紙月もそこまで不安を覚えなくはなってきていたが、良くはないと思っている。
しかし仕事がなければどうしようもない。
またうだるような暑さの中を事務所へと向かいながら、紙月はため息を吐いた。
そんな三人を、正確には紙月と未来の二人を待ち構えていたのがおかみのアドゾだった。
用語解説
・《吸血鬼の逃げ場》
ゲーム内アイテム。光属性の攻撃に高い耐性を与える装備。
また、見た目にもかわいらしいのでヴィジュアル重視のプレイヤーにもよく使用されていた。
誤解されがちだが、分類としては「武器:剣」である。
『真夜中に人目を忍ぶなんて、いつの時代の話かしら。日焼け止めに日傘に、何なら地下街。吸血鬼が昼歩いたっていいじゃない』
・氷菓
氷精晶や氷室を活用して作った冷たいお菓子の総称で、夏場は特に好んで食べられる。
・削氷(Somero gracio)夏氷と言ったところか。
氷の塊を細かく削って盛り付け、シロップなどをかけて食べる氷菓。かき氷。夏の定番。
・雪糕(glaciaĵo)
乳、糖、香料などを混ぜ合わせ、空気を入れながら攪拌してクリーム状にして凍らせた氷菓。アイスクリーム。