【長編版】誕生日に捨てられた記憶喪失の伯爵令嬢は、辺境を守る騎士に拾われて最高の幸せを手に入れる

 ビルの訪問のあと、二コラは仕事があるからと村はずれにある事務所へと向かった。
 リーズはそのままビルに手を引かれて隣の家に挨拶に行くことになったのだが……。


「まあっ!! あなたがリーズさん!!?」
「母ちゃん、リーズ姉ちゃんすげえ美人だよな! 母ちゃんと違って!」
「あんたいつも最後が余計な・の・よ!」

 リーズからビルを引きはがすと、彼の母親は彼の頭を軽く叩く。

「お見苦しいところをすみません! リーズ……さんっていうのもなんだかよそよそしいのでリーズでどうかしら?」
「ええ、ぜひ!」
「よかったわ! 何もないところだけどよかったら入ってゆっくりしていってちょうだい」

 リーズはお言葉に甘えて家の中にお邪魔することにした。
 二コラの家とはまた違い家族住まいという感じが漂っており、物が多くて散らかり気味だった。
 それでもリーズはある棚の雑貨が気になってまじまじと見つめる。
「これ、スノードームですか?」
「そうなのよ、主人が私の結婚記念日にくれてね」
「スノードーム……」

 リーズの中にある記憶の欠片が降りてきて、誰かの声が聞こえた。


『スノードームにはね、幸せが詰まってるの。ほら、ここ●●●●の●●が……』


 その場にリーズはしゃがみ込み頭を抱える。
「う……」
「大丈夫かい?!!」
「おいっ! リーズ姉ちゃん!! 大丈夫かよ!」
「え、ええ……」
「とにかくここに座んな!」

 テーブルの椅子を急ぎビルの母親が持ってきてリーズを支えて座らせる。
 目を閉じて少し心を落ち着かせようとする。

(誰……? あの声は誰なの……?)


 しばらくの間椅子に座って息を整えていると、また目の前が鮮明に見えるようになった。

「とにかく紅茶でも飲んで」
「ありがとうございます。だいぶ落ち着きました」


 もらった紅茶は桃の香りがしたフレーバーティーで、リーズの心を落ち着かせた──
 桃のフレーバーティーをカップの半分ほど飲んだ頃、ビルが隣に、そしてビルの母親がリーズの向かいに座った。

「落ち着いたみたいだね」
「すみません、ご迷惑をおかけして……」
「いいんだよ、身体は大丈夫そうかい?」
「はい、もうだいぶ落ち着きました」
「私はキャシーだよ、ビルの母親。もし困ったことがあったらいつでも来な」
「ありがとうございます。嬉しいです。なんとお礼を言っていいか……」
「いいんだよ、記憶、ないんだろ?」

 そのキャシーの言葉に思わず黙ってしまう。
 ビルも先程までやんちゃに動き回っていたが、心配そうに見つめておとなしくしている。

「もし思い出したとしても、思い出さなくても、この村はあんたを受け入れるように決めたんだ。ニコラが頼み込んでくることは滅多ないからね」
「ニコラはどんな人なんですか?」

 ある日森に放り出されていた自分をどんな人間かもわからないのに、助けてくれた人。
 だからこそ彼のことを知りたいし、役に立ちたいと思っていた。
 リーズの中では彼が辺境を守る騎士としか情報がない。

「ニコラはね、私たちをいつも助けてくれる立派な騎士様だよ。森からの獣退治だけでなく、村の運営も手伝ってくれている」
「騎士とはどういったお仕事なのですか?」
「私たちも詳しくはわからないが、ニコラは王都からの使者でね、三年前にここにやってきたんだ。まだ若いのに一人で馬に乗ってやってきてね」

 当時を思い出すように紅茶を一口飲んで、語る。
「この辺境の地をまとめる長だけど、気取ってなくて優しくてね」
「ニコラの兄ちゃんは俺に読み書きも教えてくれるしな!」
「そうなのよ、なかなか私も農業と市場への運び込みとかで手が離せないこともあってね。そんなとき隣の子のフランソワーズとビルの面倒を見てくれるんだよ」
「そうですか……」

 騎士の本来の仕事は任地の統治であり、そこまで住民に密接にかかわることは少ないが、ニコラは違った。
 積極的に村の者の意見を聞き、取り入れて、助け助けられていた。
 そんな仕事でのニコラの様子を聞いたリーズの心にある気持ちが芽生えた。

(お役に立ちたい、ニコラの)

 それと同時に騎士の妻たるにはどうしたらいいのだろうか、そもそも妻とはどうしたいいのかわからなかった。
 そんな戸惑いを見透かしたのか、キャシーが優しい微笑みで声をかける。

「自分のやれることをやればいいんだよ」
「え?」
「妻というのは難しいし、正解なんてないよ。ニコラと相談してもいいし、自分で考えてもいい。でも彼のことを理解しようとして彼の癒しになってあげてほしいと私は思う」
「キャシーさん……」
「今すぐでなくていい。少しずつどうやって生きるか考えてごらん。いつでも相談に乗るし、手助けするからさ!」

 リーズはキャシーと、そしてビルの顔を見ると頬を一筋の雫が伝う。

「リーズ?!」
「あ、なんだか安心してしまったのでしょうか。久々に泣いてしまったようです」


 騎士の、ニコラの妻であるためにはどうすればいいのか、彼女はこれから少しずつ向き合っていく──
「リーズ、戻ったよ」
「あ、おかえりなさい、ニコラ」

 ニコラが仕事から戻るとそこにはキッチンに立つリーズの姿があった。
 家にはないはずのエプロンをしておたまを持ちながら、ゆっくりと鍋をかき混ぜている。

「…………」

 ニコラはリーズのその新鮮な姿に思わず虚を突かれて、ぶわっと顔を逸らす。
 その口からは小さなか細い声で「やばいだろ、その服」と呟いていた。

「ニコラ?」
「い、いや! なんでもない、それより何してるの?」

 するとリーズはちょっと照れたようにもじもじとしながら、唇をぎゅっと結んで言う。

「えっと、お昼に隣のお家にお邪魔してね、その、ニコラのお仕事のこと聞いてたんです」
「俺の?」
「ええ、そしたらなにか私にもできることないかなって思って、キャシーさんに料理を教えてもらったのだけれど……」
「けれど?」
 ニコラは言いにくそうにしているリーズの気持ちを悟って鍋の方へと確認に行く。
 そこにはいいにおい……ではなく、かなり焦げたようなにおいがして、ニコラは思わず顔をしかめる。
 頑張って作ろうとしたけれど作れなかったものは難しい料理ではなく、簡単なポトフだったがどういう料理かわからなかったリーズは水を入れるのを忘れて食材が焦げてしまった。
 しかし、なんとか努力しようとして、そして何より自分を思って挑戦してくれたことが嬉しく、ニコラはおたまを持ったままのリーズを抱きしめる。

「ニコラ?!」
「リーズ、ありがとう。その気持ちが本当に嬉しいよ。まだうまくいかなくても大丈夫、ゆっくりでいいから」

 包み込むような優しい声にリーズは心がほわっとあたたかくなり、そして同時に二コラのことを愛しく思った。

(もっとニコラの笑顔が見たい。あなたのために役に立てるようになりたい)

 抱き合った二人はゆっくりと身体を離すと、目を見つめて思わず微笑み合った。
「一緒にポトフ食べようか」
「ダメですっ! これは焦げちゃってお腹壊しちゃったら大変です!」
「このくらい大丈夫だよ、ほらもったいないでしょ」

 食材がもったいないなんてわざと言っていて、自分の気持ちを第一に思ってくれていることがわかって、彼女は喉の奥がつんとなった。

(幸せってこういうことなのかしら?)

 ようやく日常と呼べる日が始まったような気がして、リーズはほっとした。
 リーズがキュラディア村で暮らすようになってから一ヶ月が過ぎようとしていた──

 村の暮らしにも段々と慣れてきた彼女は、何か村の役に立てないかという思いで村を歩き回ってみる。

(村で何か私ができること……いつもお野菜やお肉をもらってばかりだし……ん? あれって)

 リーズの視線の先にはいつも親切に野菜を届けてくれるお年寄りの女性がいたのだが、どうにも様子がおかしい。
 腰に手をあててとても顔を歪めており、しばらくするとそのまま土の上に座り込んでしまった。

「セリアおばあちゃん!!」